間違いだらけの文化祭 Scene2
受験の年に厄介な事を押し付けられちまったな。 ただでさえ英単語や年表で圧迫されている記憶容量に無理矢理詰め込んでるから、フライパンにかけたポップコーンのように頭が破裂しそうだ。 塾のない日は、放課後遅くまで演劇練習で居残りだ。 帰る時間が遅くなる理由を聞いたお袋は色々文句を言っていたが、ロミオとジュリエットの主役を俺と佐々木がやると白状したら(させられた)態度が一転した。「それなら仕方ないわね、がんばりなさい」で片付いたのだ。 なんだろうね、この変わり身の早さは。 一応ありがたく思っておくか。しつこく説教されるよりはいい。 だが妹と一緒にニヤニヤして俺を見るのは止めろ。 学校でもクラスのやつらがニヤニヤするんで不快指数は鰻上りだ。 そして俺は気づいていなかった。 このとんでもなく疲れる事態に、まだ追加される要素があることを。 「おはようジュリエット」とからかってくるクラスの野郎どもにヘッドロックをかまし、やって来た佐々木に「今日は遅いんだなロミオ」と話しかけた朝に異常は起こった。 「僕の名前でなくても僕はすぐに自分が呼ばれたことを理解した。ただ理解が普段よりも0.2秒遅れた。不慣れなことは否めないがそれ以上の要因が考えられる。キョンと呼ばれることをキミの深層意識が嫌がっているように、相手が死んだからといって自分も死を選ぶ依存的な男女の名前で呼ばれることを僕も嫌がっているのだろう。 今さら推測するまでもないことだけどね。僕としては自明の理だ。それより気になるのはキミだ、キョン。僕をそう呼ぶとは、意外とキミはあの演劇を気に入っているのかな。話を通しやすそうで良かったよ。朝から時間のかかることを頼まれて困っていたんだ」 獲物を前にした肉食動物の笑顔だった。 嫌な予感がする。「佐々木、悪いが用があるなら後にしてくれ」「用件はすぐ済む。なぜ逃げ腰になっているんだい?」 お前がそんな風に笑う時はロクなことを言わないからだ。「くっくっく。まだ何も言っていないのに酷いな、キョン」 ……これからロクでもないことを言うって言ってるようなもんじゃねえか。 くそ、聞いてやるから言えよ。俺に何の用だ。「衣装作成に必要な数値を計測するために、昼休みに家庭科室集合だ」 衣装? 計測?「察しが悪いな。劇の本番で着る衣装だよ。まさか制服や体操服でロミオとジュリエットを発表すると思ってたのかい?」「はぁぁぁぁぁぁぁ!?」 変な声を上げてしまった。 よく考えてみろ、俺はジュリエット役だ。 劇で衣装を着る=ジュリエットの服を着るということだ。 あの時代の衣裳だからひらひらしたドレスは確定。「……制服でいいと思うぞ」「その意見が通る可能性はとても低い。僕も気が進まないが仕方ないさ。乗りかかった船だ、クラスの方針は守ろうじゃないか」 冗談じゃない。お前と俺じゃ立場が違うんだよ。 佐々木は男装で俺は女装だ。 異性の衣装を着る点は共通でも恥ずかしさや周囲の目はだいぶ違う。 佐々木の見た目がかなり良いことは俺も認めるし、ロミオの衣装も悪くないだろうと思う。 しかし俺がジュリエットの衣装を着たらオカマ以外の何物でもない。 俺への嫌がらせを重ねるのは止めてくれ。 嫌がらせのつもりはないのだろうが、そうとしか受け取れん。 女のドレスを着て、女言葉でみんなの前で演技だぜ。羞恥プレイだ。「佐々木、役を代わってくれ……」「ロミオのほうが内容的にはキミの精神に悪影響が出ると思うよ」「ジュリエットの口調でイーブンだ。衣装を入れると楽に上回るぜ」 佐々木は肺を引きつらせたように笑った。 瞳の輝きが1割増しだ。何を思いついたんだ?「試しにロミオを演じてくれないか。それで決めよう」 今すぐ教室でか? そろそろホームルームの時間だから、ほとんどのやつが登校して教室にいる。「大した問題ではないさ。本番ではクラスメートどころか全校生徒の前でやるんだ」 全校生徒の前で愛のセリフを棒読みするオカマの自分を幻視して頭が痛くなった。 同じ恥なら被害が少ないほうがいいよな……。「どんなセリフだったっけか」 くっくっくと佐々木が笑う。「僕の愛する聖女様。僕の祈りを聞き届けてください。でなければ、僕は絶望してしまいます」 もう暗記してるのかよ。 それは俺の状況に合わせて選んだセリフか?「どうぞキョン。僕の努力を無に返す価値がある演技を期待しているよ」 棒読みは認めないってことだろうか。無理だ。 まわりの視線も痛い。どうやっても聞かれるな、これは。 俺はこの状況で佐々木に『僕の愛する聖女様』なんて平然と言える神経はしていない。「なあ、昼休みにやらないか」 却下、と佐々木は無情に答えた。「今言えないなら本番でも言えないだろう」 お前、俺ができないとわかってて提案してないか? いじめか? いじめだな? いじめなんだろ、俺への。「くく。キミの頼みを考慮した相手に被害妄想をぶつけないでくれ」「やっぱわざとなんだな」 このサディストめ。…というのは黙っておいた。 言ったが最後、俺の身に不幸が降りかかるかもしれん。 今の状況でこいつが佐々木大魔神様にグレードアップしたら死ねる。 無駄な抵抗として軽く睨んでやると、佐々木はまた独特の笑い声を上げた。「ロミオ役はできないみたいだね。ジュリエットをがんばることだ」 はいはい……。 本番じゃきっと俺は半死人だろうがよろしくな。生気のない目を見て驚くなよ。「それはそうとキョン。キミが今日になって役の入れ替えを頼んだ理由は、ジュリエットの衣装が女物だからかな?」 見た目もやばいオカマの出来上がりだからな。 ジュリエットのセリフも言いたくないね。男が女言葉で話しても気持ち悪いだけだ。 恋愛物じゃなくて寒いギャグになってるぜ。「キミはその問題を解消したい、と」 ああ。できれば今からでも通行人Aになりたい。「キミの希望を全て叶えるのはおそらく無理だろうが、僕も考えてみよう」「役を代わってくれりゃいいんだがな」「監督と話し合ってみるよ。放課後まで待ってくれ」 悪の大魔王でもやったほうが似合う笑顔で佐々木は請け負った。 逆に心配だ。俺の気にし過ぎか? 俺はこの疑問というか悪寒を信じるべきだった。 佐々木を甘く見ていた。 論理的なのにこいつの思考は時々ぶっ飛んでいると思う。 放課後、佐々木はホチキスで留められた紙束を渡してきた。「頼んで変えてもらったよ。これがキミの新しい台本だ」「お、悪いな」 ほんの少し軽くなった気分で台本を開いた。 確かに台本の中身がだいぶ変わっていた。 しかし赤線が引かれた部分の内容と筆跡にとても見覚えがある。いくら俺の記憶力が悪くてもわかるさ。 台本の中身は、こうだった。 『どうしてお前はロミオなんだ?俺を想うなら、お前の親父を捨てて名を名乗らないでくれ。もしそれが駄目なら俺への愛を誓って欲しい。そうすれば俺はキャピュレット家の人間でなくなり、今日からお前の恋人になろう』 さらに恥ずかしいモノに変貌している。 絶対言いたくないぞこんなセリフ。 俺は乱暴に台本を閉じてそのまま丸めた。そいつでびしっと佐々木をさす。「どういうことだ、佐々木」「キミはジュリエットの女性的な言葉遣いが嫌だと言った。だから、キミが普段使う言葉に変換した台本を用意したんだ。昼休みの残りを潰して僕が書いたんだが気に入らなかったかい?」 佐々木はしれっと説明した。 お前は俺がこれを気に入ると本気で思っているのか? ここまでいじめられると、俺もちょっとめげるぞ。「心外だな。役の交代は認められなかったが、キミの希望に近づけたつもりだ。衣装もだいぶ男性的になったから安心するといい」 それだけは感謝するが……。 新たに気になる問題がひとつある。「……なんつーか、男同士の……ガチホモっぽくないか」 文句ばかりな上、ミもフタもない言い方でスマン。でも俺の要望を通したらそう見えると思うんだ。 佐々木は納得したように頷き、「では、ロミオの言葉を変えようか」 俺の目を見つめて微かに笑った。「あなたがロミオという名前が気に入らないのなら、もうわたしはロミオではありません。恋人とでも何とでも好きなように呼んでください」 ――それは俺に向けられた、初めての女言葉だった。 実際はただロミオの演技をしてるだけだから違うんだが。 その表情が普段より柔らかい気がして、俺はつい目をそらした。なぜか気まずい気分だ。「変だったかな?」「いや、そうじゃない」 また佐々木を見る。…うむ、大丈夫だ。「これなら普通に役を代えたほうが早いだろ」「同感だよ。もう一度頼んでみようか。でも衣装を作り始めてるからどうなるかな」 佐々木はいつもの偽悪的な笑みで答えた。
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。