ハルヒの湯
姉妹編『長門の湯』『鶴屋の湯』『一樹の湯』『みくるの湯』もあります。
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『ハルヒの湯』「何よ、ホントに当たり入っているの? 全部はずればっかりじゃないでしょうね!」商店街の福引のガラポンのハンドルを無意味に力いっぱい握り締めたハルヒは、苦笑いをするしかない係りのおっちゃんに文句を垂れている。「大丈夫だよ、お嬢ちゃん。まだ、特賞も一等賞も出てないから、安心しな」「ふん、ホントかしら」そのとき、コロンと出た玉は、また白、つまり今度もはずれだった。「ほらーー」「ほい、またティッシュ。あと一回だよ」ハルヒ連れられた俺たちSOS団の面々は、映画の撮影でお世話になった商店街の大売出し協賛の福引コーナーに来ている。どこで手に入れたのかはあえて聞かないようにしているが、ハルヒは十枚もの福引券を持って、ガラポンに戦いを臨み、そして九連敗中だった。 特賞は五十インチの薄型テレビ、一等は温泉・カニツアーのペア宿泊券が当たるらしいが、今のところは末等のティッシュの山を築くのみだった。「もういいわ、最後の一回、あんた引きなさい」「お、俺?」いきなり俺を指名するなよ。どうせ俺が引いたところではずれしか出ないだろう。「いやだよ、お前が最後までやれよ」「なによ、栄えあるトリの権利をあんたに譲ってあげようって言ってるんだから、謹んで受けなさい」ここで最後に俺がはずれを引いても、ハルヒがはずれを引いても、結局俺の責任にされて、いつもの茶店で奢らされそうな気配がぷんぷん漂っている。ふん、それなら素直にはずれを引いてやるぜ、ティッシュ、山分けしろよな。俺は、無造作にハンドルを掴むと、これまた無造作にぐるりとまわして、ポトリと転がり出てきた玉の色を確認した。赤――。一瞬の静寂がその場を包んだ後、おっちゃんは手に持った鐘を派手に打ち鳴らして叫んだ。「いっ、一等賞―――」賞品となった温泉地は結構有名なところだった。こじんまりした町の真ん中を流れる小さな川の両岸に、古風な温泉旅館が軒を連ねている。何軒かは改築されて、今風のホテルになっているものもあるが、お おむね古の佇まいを残しており、川のほとりの柳並木の遊歩道と、所々にかけられている石造りの橋とあいまって、町全体から古風な温泉街の雰囲気と温泉饅頭 を蒸している湯気が漂っている。俺が当てたペア宿泊の権利なんだから是非朝比奈さんと二人で、なんて思いが通じることは当然なかった。だからといって、俺とハルヒがペアで行ける訳でもない。ハルヒは残り三人分の参加に関する諸々の交渉については古泉に一任し、古泉もその要求を否定することはなかった。いつもすみませんね、機関のみなさん。そんなわけで、SOS団は五人揃って、この風情あふれる温泉街のカニ料理旅館に来ているわけだ。ひとまず宿にチェックインした後、俺たちは浴衣と丹前に着替えて外湯めぐりスタンプラリーに出発ことになった。「七つある外湯を全部回ってスタンプを集めると記念品がもらえるの。みんな、夕食前の腹ごなしにがんばって回るわよ!」朝比奈さんの手を引っ張って先頭を行くハルヒに続いて、俺たちは湯けむり溢れる温泉街を歩いていた。街の中では、俺達と同じように外湯巡りを楽しんでいるらしい浴衣姿の温泉客が夕暮れ間近の川沿いの散策を楽しんでいる。「どうせ、男女で一緒には回れないから、ここからは自由行動よ。じゃあね、キョン」少し先で振り返ったハルヒは、朝比奈さんの手をとったまま、右手の建物の中に消えていった。そのあとを無言の宇宙人は振り返ることないまま続いていった。当然のように、男チームと女チームに分かれて行動することになるわけで、結局、俺は古泉と行動を共にするだけだ。くそ面白くもない。「やれやれ」「おや、今日はもう『やれやれ』が登場しましたね」「ふん」「我々はもう少しむこうの外湯から攻めることにしましょうか」「どうでもいいよ」「つれないですね。温泉はお嫌いですか?」隣の古泉はやや大げさに驚くような仕草を見せながら、「僕は好きですよ。この典型的な温泉地の雰囲気、いいじゃないですか。気楽に楽しみましょう」「うん、まぁ、それはそうだな」温泉は好きだぜ、もちろんだ。これがお前と二人ではなくて、朝比奈さんと一緒であれば俺のテンションはウナギ上りなんだがな。何が悲しくて野郎二人だけで、温泉のはしごをしないといけないんだよ。 とりあえず、古泉の言うようにこの街の雰囲気は堪能させてもらおうか。そうして三つめの外湯までは古泉と一緒に回ったのだが、ぶっちゃけ古泉と男二人ではモチベーションは下がる一方なので、より気楽に単独行動しようぜ、ということで話がまとまった。 「では、僕はあっちの外湯に行ってみます。また、後ほど」「おう、またな」古泉と分かれた俺が次の外湯を目指して遊歩道を歩いていると、横の通りから飛び出してきた浴衣の固まりとぶつかりそうになった。「ちょ、ちょっとー、ぼんやり歩いているから誰かと思ったらキョンじゃない。もう、危ないじゃないのよ!」ハルヒだった。どこに行っても鉄砲玉な女だ。「飛び出してきたのはそっちだぜ。一時停止違反だ」俺はハルヒの衝突を物理的にも言葉的にも交わしながら、「ん、どうした、お前一人なのか? 朝比奈さんや長門はどうした?」えっ、という感じで不意を突かれたハルヒは、体勢を立て直すと、「みくるちゃん、温泉に興奮しちゃってのぼせ気味になったから、有希が旅館まで連れて行ってくれたわ。有希も本が読みたいらしいしね。湯船の中では読めないから」 そう言ってハルヒは俺のことをジロリと見上げて言葉を続けた。「そう言うあんたも一人? 古泉くんはどうしたの」「いつまでも男二人でつるんでいてもつまらんからな、別行動にしたんだ」「あ、そ」そっけなく返事したハルヒは、浴衣の帯あたりに両手を当てて、「幾つ回ったの? コンプリートした?」俺は手に持ったスタンプラリーの用紙に目を落とすと、「いや、まだだ、あと四つだ」「なによー、まだ三つしか回ってないの? あたしはあと二つよ」なるほど、その勢いで温泉をはしごしたら、朝比奈さんものぼせるはずだな。「でも、みくるちゃんじゃないけど、さすがにちょっと疲れたわね」そりゃそうだろうさ。「ねぇ、キョン、冷たい飲み物買って来てよ。あたしはあそこで待ってるからさ」ハルヒが指差す先は、温泉街を貫いて流れるせせらぎに架けられた橋の上に設置されたベンチだった。まぁ、確かに俺も、温泉で火照った体を冷やす飲み物が欲しいと持っていたところだ。仕方ないがついでに何か買ってやるか。「わかったよ」「ノンシュガーのすっきり系でお願いね」「へいへい」とりあえずゼロカロリーの炭酸飲料を二本買って指定された橋の上に戻ってみると、読書中の長門の様にちょこんとベンチに腰を下ろしたハルヒは、右手で軽く髪をかき上げながら、風に揺れている柳の枝葉を見つめていた。 立て続けに五つの温泉に入ったおかげで、少ししっとりした髪にわずかに桜色に染まった頬、浴衣のすそに覗く白い素足の草履姿も――、ううむ、いい感じに絵になっている。趣の有る風景をバックにして、ただじっと座っているハルヒは、やっぱりかなりのレベルの美人であることは確かだな。性格的なことさえ考慮する必要さえなければ……。 そんなハルヒの姿に一瞬見とれた後、俺はハルヒの隣に腰を下ろした。「ほれ、買ってきたぞ」「うん、ありがと」プシュっとプルタブを起こし、乾杯、と缶をコツンと合わせて、よく冷えたコーラの喉越しを味わった。うまい! 「ぷふぁー、おいしいわねー」俺と同じ感想を口にしているハルヒは、さらに、「やっぱ、こういう時はビールがおすすめなのかもね」なんてことまで言ってるし。確かにその点においても同感だけどな。ごくごくっと缶の半分ほどを一気に空けて、ほっと一息をつくことができた。隣のハルヒも大きく息を吐くと、手に持った缶をぼんやり見つめている。「どうした、やっぱり疲れたのか? 温泉に入って疲れているのは本末転倒だな。だいたい入浴するだけでも体力は結構消耗するらしいから」「うん、そうね。さすがに五つも連続で入ると、ね」朝比奈さんは三つ目で脱落したらしい。長門ならまったく平気のはずだが、今回は朝比奈さんにかこつけてうまく逃げたようだ。こういうのも自律進化の一つなのだろうかね。 「スタンプラリーなら、晩飯食ってからでも間に合うだろ。今、あわてて全部回る必要はないと思うぜ」「そうするわ。古泉くんにもとりあえず中断って連絡入れておいてね」「わかったよ」「でも、おかげでいい感じにお腹も減ってきたし、次はカニのフルコース巡りね」振り返ったハルヒは、力強く肯いた。残りのコーラを飲み干す頃には、西の空を染める赤がさらに色濃くなっていった。ゆっくり流れる風も、わずかに冷たさを増したようだ。俺は、うーん、と夕焼け空に向かって両手を突き上げて背筋を伸ばしながら、搾り出すように率直な感想を口にした。「やっぱ、温泉はいいよな。毎日じゃなくてもいいが、週に一回ぐらいは、のんびりと温泉にはいれるような生活をしてみたいもんだ」伸ばしていた両手をだらんと下ろして、隣のハルヒに視線を向けると、ハルヒは少しあきれたような表情で俺のことを見つめていた。が、すぐにその大きな瞳の中に怪しげな輝きが煌き始めたのがわかった。しまった、俺は妙なトリガを引いてしまったのか?「そうね、帰ったら温泉を掘るわよ」「な、なんだって?」「学校に温泉を掘るの。だいたいあの周りは名水で有名な土地柄だし、そもそも日本中どこでも掘れば温泉は出るはずだしね。そうすれば毎日でも温泉に入れるわ!」今にも浴衣の袖を捲り上げて襷をかけて、スコップを持って走っていきそうな勢いでベンチから立ち上がったハルヒは、空いた口がふさがらないまま座っているだけの俺を見下ろすと、 「なにアホ面してんのよ。早速、古泉くんに頼んで、ボーリング道具を手配できないか探してもらうわよ」「待て待て待て待て!」そんなことを古泉に話したら、本当に温泉採掘用のボーリング道具を積んだトラックで、新川さんと森さんが学校にやってくるに違いない。「バカな事はするなって。勝手に学校に温泉なんか掘るやつがあるか」「いいじゃない、それぐらい。別に減るもんじゃないし」減るんだよ、俺の神経が……。
「さ、行くわよ!」「おいおい、だからちょっと待てって。別に今ここで動かなくても……、まずは夕食のカニを堪能してだな……」ハルヒは俺の腕を引っつかむと馬鹿力で柳並木の遊歩道をずんずん進んでいく。俺は、どうやってハルヒを止めようかと思案しながら、それでも少しぐらいは学校に温泉が出ることも期待しつつ、ぽつぽつと街灯に明かりが燈りだした温泉街を引きづられるように駆けて行くしかなかった。遠くない将来、あの文芸部室が『ハルヒの湯』としてオープンする日が来るのかもしれない。Fin.
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