その風景は、俺の出身中学校の校庭だった。
ただし、見渡す限り360度がセピア色で染まっている点で、現実のものではないとすぐに分かった。
「私の世界へようこそ」
俺の目の前には、佐々木がいた。
なぜか、いつもの口調とは違う女口調だ。
「せっかくのご招待だが、モノトーンの空間にはいい思い出がないんでね。さっさと帰りたいんだが」
「相変わらず、つれないわね。帰り方については、橘さんや周防さんから、ヒントをもらってないかしら?」
俺は、忌々しい二人のセリフを思い出した。
白雪姫。
sleeping bueaty。
ふざけるな!
俺の感情がそう主張する。
これには、俺の理性も満場一致で賛同していた。
「断る」
佐々木の表情が曇る。
「そんなに嫌なの?」
「好きでもない女にするもんじゃないだろ、そんなことは」
「私のことが嫌い?」
「嫌いってわけでもねぇよ。ただ、好きでも嫌いでもないってだけの話さ」
佐々木のことを、そういう対象として見たことはなかったし、今も見てはいない。
ただそれだけのことだ。
「私の何がいけないの? 私を好きになれない理由は何?」
「別に理由なんてねぇよ。好きならば、その理由をあげることは簡単だ。嫌いな場合でも、理由をあげるのは簡単だろう。でも、好きでも嫌いでもない理由をあげろなんていわれても、はなはだ返答に困るな」
「やっぱり、キョンは、涼宮さんのことが……」
俺は、佐々木の言葉を即座にさえぎった。
「ハルヒは関係ない。たとえ、ハルヒがこの世にいなくても、佐々木とずっと同じ学校で同じクラスだったとしても、答えは変わんなかっただろうさ」
佐々木の表情が変わった。
どこか狂気を帯びたような……。
「でも、それをしないと一生ここからは出られないのよ」
「そうだろうな。だが、なんといわれようと、俺の気持ちは変わらない。こんな卑怯なやり方で俺の意思を強制しようとする奴のことは、軽蔑するだけだ。絶対に恋愛感情の対象なんかにはならないな」
佐々木の表情がますます狂気に染まっていく。
「私は、あなたの感情を変えてしまうことだってできるのよ」
俺は、佐々木に冷たく言い放った。
「やってみろよ。ここではお前は神様なんだからな。でも、それは、この俺を殺して、まがい物の俺を作り出すことと同じだ。お前がそんなまがい物で満足できるってんなら、やればいいさ。
この俺は、そんな奴を親友だと思っていた自分の馬鹿さ加減をののしりながら、くたばってやる」
神のごとき力をもってしても、いやそのような力だからこそ、それはただ虚しい結果しかもたらさないのさ。
それは、人間には過ぎた力だ。せいぜい、無意識にささやかな望みをかなえるぐらいですますのが、人間の身の丈にあってるんだ。
俺の冷たい言葉に、一転して、佐々木の表情が崩れた。
ぼろぼろに涙を流しながら、大声で泣き始めた。
最悪のフリ方だな、これは……。
俺はいささか自己嫌悪に陥ったが、だからといってさきほどの感情に変化が生じたわけでもなかった。
それでも、この場を収めて、ここから脱出しなければならない。何とかこの佐々木をなだめなければならないだろう。
事ここに至っても、そんなことを冷静に考えている俺は、最悪の男なんだろうな。ハルヒや朝比奈さんや長門がここにいれば、袋叩きにされていたかもしれない。
俺は静かに語りかけた。
「確率なんてことを言い出したら、確かに不可能なことなど何もなくなるよ……だったけっな。いつだか、お前が言ってただろ?」
佐々木が顔をあげた。
じっと、俺を見ている。
「確率論でいえば、将来、俺がお前をそういう対象として見る可能性だって0じゃないさ。神様もどきの力なんて大げさなものを使わなくたってな」
佐々木はしばらく沈黙していたが、やがて、ゆっくりとうなずいた。
そして、世界が崩れ始めた。
セピア色の空間にひびが入り、ガラスが割れるように崩れていく。
意識が一気に闇に落ちた。
目を開けると、見慣れた天井が見えた。
自宅の俺の部屋のベッドの上。俺は、そこに仰向けで寝ていた。
どうやら、無事に戻ってこれたらしい。
その夜はまともに眠れず、朝となった。
妹のボディプレス目覚ましの恩恵を受けることなく起き上がった俺は、眠たい頭を酷使しながら、朝飯を食って顔を洗って、登校した。
いつもよりきつく感じられるハイキングコースを這い上がって、何とか校舎にたどりついた。
教室に入ると、いつもどおり、ハルヒが先に来ていた。
「あんた。今日は一段と冴えない顔ね」
「ああ、昨日は眠れなくてな」
「いかがわしいビデオでも見て興奮してたわけ?」
「ちげぇよ。夢見が悪かったんだ」
「ふーん。私も、昨日は変な夢を見た気がしたんだけど、全然思い出せないのよねぇ」
そこに、担任の岡部が来た。
朝のホームルーム。なんだかんだいっても、いつもどおりの学校生活の始まりだ。
俺のそんな思いは、岡部の次の一言で、粉微塵にまで粉砕された。
「今日からこのクラスに転校生が入ることになった」
教室に入ってきた女子生徒は、どこからどう見ても、見たことのある人物だった。
「佐々木さんだ。みんな仲良くしてやってくれ」
「佐々木です。よろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀をした女子生徒は、紛れもなく佐々木だった。
午前中をひたすら睡眠という名の体力回復行為にあて、やがて昼休みとなった。
ハルヒが学食に向けて飛び出していったのを確認して、佐々木は俺を屋上に呼び出した。
「昨日のことはすまなかったね。僕はどうかしていたよ」
「いいさ。無事にこの世界に戻ってこれたんだからな」
「やっぱり、君は優しいね。でも、そういう優しさが人を苦しめることがあるということも、君は認識すべきだよ」
「俺は別に優しくしているつもりなんかねぇけどな」
「無自覚なだけに余計にたちが悪い」
「そんなことより、おまえがいきなりここに転校してくるなんてどういうことなんだ?」
北高には古泉の「機関」の目が光ってるし、長門だって黙っちゃいないだろう。橘京子の組織や周防九曜の情報操作を駆使したって、こんなことは容易ではないはずだ。
「昨日、涼宮さんに『力』を返すときにお願いしてみたんだ。僕を北高のキョンのクラスに転校させてほしいとね。彼女はその願いをかなえてくれた。彼女自身は、そんなことは覚えてはいないだろうけど」
なるほど、そういうことか。ハルヒが望んだ結果だとすれば、「機関」も長門も下手に手は出せないよな。
でも、ハルヒは何で佐々木の願いを聞き入れたんだ?
「彼女は本当に優しい人だね」
なんかよく分からんが、佐々木はそれで納得しているらしい。
「それはともかくとして、なんで、北高に転校しようなんて考えたんだ? 勉強とか進路とかいろいろと大変だろ?」
佐々木は、険しい表情になった。
「君の鈍感さには、ほとほとあきれるよ。君は昨日言ったじゃないか、可能性は0じゃないとね。僕はその可能性に賭けてみることにしたんだ。ただ、今までのままじゃ、あまりにもハンデがありすぎる。だから、そのハンデを少しでも縮めようというわけだ」
「……」
佐々木の返答に、俺は言葉を詰まらせるしかなかった。
「まあ、そういうことだから、よろしく」
佐々木は、そういい残すと、去っていった。
俺もいつまでも屋上でたたずんでいるわけにもいかないので、後に続く。
時間差をつけてさりげなく教室に戻った俺は、俺の弁当を勝手に食っているハルヒの姿を発見し、いつもどおりに言い争いを始めることとなった。
そんな俺たちの様子を見ていた佐々木が、羨ましそうな表情に見えたのは、きっと気のせいだろう。
その日は、俺は掃除当番だった。
掃除を終わらせて、文芸部室、別名SOS団のアジトに向かう。
一応、扉をノックしてから中に入った。
長門は定位置で分厚い本を読んでおり、ハルヒはパソコンでネット巡回、麗しの朝比奈さんはヤカンにさした温度計とにらめっこしている。古泉は、ボードゲームを広げていた。
いつも変わらない光景。
しかし、その光景に、唯一イレギュラー要素が紛れ込んでいた。
古泉がボードゲームで対戦している相手は、佐々木だった。
「いやはや、佐々木さんはお強いですね」
「古泉君が弱いだけだと思うよ」
さすがは佐々木。男に対しては、容赦ない。
って、そんな呑気なことを言っている場合じゃねぇ! なんでここに佐々木がいるんだ!?
「バカキョン。やっと来たわね。新入団員を紹介するわ。佐々木さんよ」
「よろしく」
「…………」
俺は、しばし絶句するしかなかった。
「なあ、ハルヒ。なんで、佐々木の入団を認めたんだ? 普通の人間は入れないんじゃなかったのか?」
「佐々木さんが条件に一致していたからよ。あたしと考えが真逆な、新しい息吹を吹き込んでくれるような人、って条件にぴったりだったのよね」
ある意味では、そうかもしれないがね。
おい、古泉。大丈夫なのか?
「かえって好都合ですよ。こちらの内懐に抱え込んでしまえば、敵対勢力が佐々木さんを利用しようとしたとしても容易に阻止できます。長門さんも同意見でしょう」
俺は、長門の方を見た。
長門は、本から顔をあげると、1ミクロンだけうなずいた。
確かに古泉や長門の言い分には一理あるけどなぁ……。
なんか大きな問題が発生しそうな気がして仕方がないのだが。
「まあ、その問題はあなたの頑張りで何とかしてもらうしかないですね。僕のアルバイトが増えるのは勘弁してもらいたいところです」
おいおい、俺に押し付ける気かよ。
「こればかりは、第三者にはいかんともしがたいですよ」
いや、まあ、そうなんだけどな……。
「はい、そこ! 私語はやめなさい! これからSOS団のミーティングをやるわよ!」
ハルヒは、朝比奈さんがいれてくれたお茶を一気に飲み干すと、こう言い放った。
「新団員が加入したことを記念して、これから闇鍋パーティをやるわ! みんなで親睦を深めなきゃね!」
「それはよいアイデアかと」
イエスマン古泉が即座に賛成する。
長門も朝比奈さんも異議はないようだった。
俺だって、異議はないさ。学校で鍋料理ってもどうかと思うが、いまさらな話だ。俺たちには前科があるからな。
「材料はどうするつもり?」
佐々木の質問に、ハルヒはきっぱりと言い切った。
「もちろん、雑用係のキョンに買いに行かせるわ!」
ああ、そうですか。どうせ、拒否権はないんだろうから、反論などという無駄なことはしない。
「キョンだけだと何買ってくるか心配だから、あたしもついていくわよ!」
はいはい。仰せのままに。
「私もついていっていいかしら」
佐々木のその言葉に俺は思わず顔をあげた。
一瞬、ハルヒと佐々木の間に、火花が散ったように見えたのは、気のせいだろう。
是非ともそう思いたい。
「ごちそうになってばかりじゃ悪いし」
「……いいわよ。佐々木さんも一緒に来て」
ハルヒ、今の間はいったい何だったんだ?
「まさに両手に花ですね」
古泉が耳元でささやきやがった。
おいおい、どこが花だよ。これじゃ、両手にいばらだ。
「確かに、お二人ともバラというにふさわしいかもしれませんね。綺麗なバラにはとげがあるものです」
勝手にほざいてろ。
三人による買出しの光景がどのようなものだったかについては、俺の記憶からすっぱり消去したので、語ることはできない。
針のむしろというにふさわしい光景だったことは間違いないだろうな。
しかし、その間ずっとハルヒの右手が俺の左手の手首を握りっぱなしだったのは、はて、なぜだろうね?
闇鍋パーティは、終始楽しいものとなった。
ハルヒの天才的な味付けによりこれ以上なくうまかったし、名誉顧問として参加してくれた鶴屋さんのおかげで、ハルヒも佐々木も上機嫌だったしな。
場を明るくすることは関しては、鶴屋さんは天才的だ。
彼女には、いくら感謝しても感謝しきれない。神棚に飾って毎日拝み倒したいくらいさ。
これですべて丸く収まればよかったんだが、そうは問屋がおろさなかった。
翌日、クラスの席替えがあったのだが、そこで大事件が発生した。
俺の後ろがハルヒという永遠の黄金パターンが崩れたのだ。
では、ハルヒはどこに行ったのか?
俺の右隣の席だった。まあ、これはいい。後ろだったのが、横になっただけだ。ハルヒが俺の近くにまとわりつくパターンは変わらん。
問題は、左隣だった。
ここまでいえば予想がつくと思うが、そこは佐々木の席となった。
谷口が恨めしそうに俺をにらんでいたが、代われるもんなら代わってやるぞ。これで、学校にいる間中、ずっと針のむしろ状態だ。
古泉にいわせれば、これもハルヒが望んだからってことになるんだろうが。
ハルヒよ、お前はいったい何を考えてるんだ!?
俺の波乱の高校生活は今しばらく続きそうである。
終わり