その日がいつであったかは思い出せない。ただ何となく印象的な日だった。
いつものように変わらない部室で、変わらない日常を送っていただけだ。日々のどか、時々ハルヒ、ただそれだけだ。
そしてその日はどちらかというとのどかな部類に入るのだろう。俺たちは部室でいつもの役割を果たしていた。ハルヒはグチグチいいながらパソコンにかじりつき、何かまた予定を立てようとしている。どうせろくでもない、と思う矢先にこちらに強烈な眼光が飛ぶ。
やれやれ、人の気持ちを読む能力でも持っているのか?こいつは。
無言でまたパソコンに向き直るハルヒをよそ目に、俺はお決まりのカードゲームを古泉としていた。そして朝比奈さんは横であみもの、長門は読書。
いつもとほとんど同じ。ただ何となく話していた話題が家族の事に及んだだけだ。話しているのは主に俺、古泉、たまに朝比奈さん、長門は短い返答をよこすだけだ。
始めは親の趣味やら簡単な親族自慢、自分の位置づけなどなど。古泉と朝比奈さんの話はおおよそほとんど作り話だろう。まず第一に小泉は小泉八雲の子孫な訳はないし、朝比奈さんは話すまえに「ええっとぉ」と人差し指を唇にあてながら数分悩んだ末に話している。所々話に辻褄があっていなかったですよ、朝比奈さんとつっこんでやりたい位だった。
長門はただ「いる。」とか「少しは。」とかこっちからの質問に答えるだけだ。無論宇宙の話は出てこない。考えるまでもなくただの嘘っぱちだ。
結局本当の事を話すのは俺だけか。なんて思っていると、俺に朝比奈さんが問いかけてきた。
「キョン君のお父さんは、どんな人なんですか?」
この問いに答える時、俺は少しだけ躊躇する。そしてそんな躊躇した自分をたまに少し嫌になる。
「ほとんど覚えていませんね。」
一瞬の沈黙。
古泉は苦笑してカードに目を落としている。長門はページをめくる手を少し止めた後、又いつものように本を読み出した。一番驚いているのは、目を丸くする朝比奈さんのような気がする。
「え…」
やっぱり説明してやらなきゃならのかなぁ。
ふと周りを見渡す。朝比奈さんは少し目を潤ませ、古泉と長門はそのまま。団長が頬杖をついたまま、口を小さくOの字に空けてこっちを向いていた。そういえば、さっき小さく声を上げたのはハルヒだったような気がする。
「小学生中学年くらいのときに震災にあって、その時に父親は瓦礫の下敷きになって死んだんですよ。だから、俺の中で父親のはっきりとした記憶はないんです。不思議なものですよね、それくらい大きくなっているんだったら、少しくらいはっきり覚えていてもいいような…。でも、何でか中学高校とくるうちに記憶が遠のいてしまって。」
しゃべり終わっても、周りにこれといった動きは無かった。ただ朝比奈さんだけが明らかに動揺して、
「あの、ええと、じゃあ…」
といっておどおど手首を口元で返していた。ようやく言葉を思いついたのか、小さく言った。
「すいません、ごめんなさい。私、そんな事教えて…知らなくて」
「いえ、いいんですよ。」
少し笑って答えられた。俺も少しは大人になれたのかな?
「仕方ないことなんです。別に親父が悪い訳でも、誰が悪い訳でもない。実際、保険金も何とか下りて、母親も実はそこそこ稼ぎをもっているんで、生活は安定してるんですよ。」
ああ、うう…といいながら朝比奈さんは泣きそうになっている。
本当に、この人は優しいんだな、なんて思った。
「じゃああんたは」
と唐突にハルヒはいった。
「父親を入れた、一家の団欒とかも何も覚えちゃいないの?」
こいつにぶしつけに言われると、俺はなんかムっとする。
「ああ」
適当な感じを出しつつ答えておく。
「父親と遊んだ事も?」
「ああ」
「しかられた事も?」
「ああ」
「誉められた事も?」
「ああ」
「じゃあ、例えば…」
「おい、ハルヒ」
少し最後は低い声で答えた。
「何でお前にそんな詮索を受けなきゃならないんだ?」
「それは、その、…私は団長だから、」
ムスっと唇を突き出すまではいつもと同じだが、また「団長なんだし…」と言ったきり押し黙ってしまった。
「団長だったら、人の過去を洗いざらいしゃべらせてもいいのか?」
「そんなんじゃないわ、私はただ団員の精神状況を把握したくて」
そんなもん把握してどうする気だ。
「団員が正常かどうか判断するのは、団長の役目なの!」
じゃあお前は何か?俺は父親が早くに亡くなった事で何か妙な異変を持ってしまったとでもいうのか?俺は割と普通に今までやってきたつもりだし、実際お前に比べれば全然事件なんざ起こしちゃいない。俺はきわめてまともだ。
「そういう意味じゃないわ!」
「じゃあどういう意味だ?」
「キョン君」
気づくと朝比奈さんが後ろで、困った顔をフルフルと振っていた。
「お二人とも、冷静になってください。」と付け加えるように古泉が言った。
俺はきわめて冷静なつもりだがね。
「嘘よ」
ハルヒは憮然としていう。手を腰に当てて立ち上がっていた。
「あなたがみくるちゃんにしゃべっている時、何だか不自然だったもの。何よ、無理して笑って、声色まで変えようとして」
ハルヒの言葉の端々が俺の心にとげをさすようだった。何故だろう、ふつふつと言葉で表しづらい感情がこみ上げて来るようだ。
「本当はつらいんじゃないの?」
「違う!」と言いたい衝動にかられた。そのかわり俺はギュッと唇をむすぶ。
「悲しいんじゃないの?」
こいつはなんのつもりなんだ?
古泉が「涼宮さん」と言い掛けるとそれを静止するように奴は言い放とうとした。
「本当は父親にいて欲しいって」
「ハルヒ!」
俺は叫んでたちあがっていた。
一歩大きく踏み込んでハルヒに向かい手を振りかざそうとする。
振りかざせない。
気づくと長門が俺の手を止めていた。いつぞやかの高速移動か。
無言で大きな瞳を俺にむけている。
そして、搾り出すようにして小さく言った。
「ダメ…」
俺にしか気づけない悲しそうな表情を読み取り、俺はふと我に返った。
その時には、朝比奈さんが何事か泣きつついいながら俺の足元にしがみついていた。古泉は微笑をくずして真顔で俺を見据えている。
「何よあんた!」
事件の当事者が俺の目の前にやってきて、ふんぞり返った。
「団員のくせに私にたてつく気!?」
少しは落ち着いたが、以前俺は感情の高ぶりの中にいる。後少しで殺意がにじみそうな目で、目の前の女を見据えた。
「あぁ!だったらどうした?」
「そ、そんなに…」
珍しく言いよどむハルヒ。その言葉がいかにも弱弱しく、俺から敵意が消えた。
そしてその顔を至近距離で感情抜きに見たとき、俺はある事に気付いた。ハルヒが少し涙ぐんでいる。
「もう、知らない!」
そういって俺を避けて足早に部室を後にした。
その後の事になる。部室にはハルヒ以外のいつもの面子が少々落ち着かない様子でいる。
俺は泣き止んだ朝比奈さんの出してくれたお茶を飲みながら、さっきの事を回想した。
なんだ、結局俺は…
「これで二度目ですよ?」
古泉が少しきつい口調で言った。
「確かに、あなたの気持ちは分かります。それにこちらもその事情は事前に調べていましたから、もっと上手く止めに入るべきだったでしょう。そして、僕はあなたの気持ちが実際ちゃんと把握できている気でいます。」
そういってため息をつく。
「僕も似たような境遇ですから」
…それは初耳だな。
「別に涼宮さんはあなたに害意があっていった訳じゃなく、彼女なりに気にしてしたからです。あなただって再三に渡ってそういってきたじゃないですか、涼宮さんに人を害して喜ぶ気質があるわけがないと。あの人はあなたに対しては丁寧になれない。だからあんなぶしつけな言い方になるだけで、あれが彼女流の気にする仕方なんです。」
ああそうかい、別に気にされてもうれしくないね。自身五体満足な上に家族までちゃんとそろっていながら、それで何が気に食わんのか異常パワーで世の中ひん曲げながる奴に、俺の気持ちが分かる訳がない。
「気づいていらっしゃらなかった訳ですね」
一体何にだ。
「…」
古泉が珍しく間を貯める。
「この事をあなたに告げるべきかどうか、機関では議論が分かれていました。僕らもつい最近知ったことですから」
だから、一体何をだ?
「知ったら、後悔しますよ。」
そんな事は聞いてみないと分からない。俺の後悔までお前に心配してもらう必要などまるでない。
そう俺が言うと、古泉は軽く目を閉じ、そして目を見開き決意したように言った。
「涼宮さんのお父さんは、あなたと同じように亡くなられております。」
俺はその言葉に脳天をつんざくような衝撃を感じた。一瞬で頭が真っ白になったような気分だ。
「私達の機関には涼宮さんの夢を担当して調べている人間がいます。その担当者達が夢の内容を正確に吟味した結果、さらに新たな事実が発覚したのです。」
一同が古泉を凝視した。
「涼宮さんのお父さんが亡くなられた事が、僕らが言った三年前の事件そのものなんです」
しばらく間を置いて、朝比奈さんが軽く引きつるような悲鳴を上げたのが聞こえた。
「恐らく涼宮さんがあなたをこの団に引き入れたのは、その事からでしょう。あなたから同じ匂いのようなものを感じたのです。そして、だから…」
ふっと、古泉が息を漏らす
「あなたなら、自分を理解してくれると本能的に思ったのでしょう。」
俺は混乱する頭を抱えながら、必死に状況を整理しようとした。
だが、あいつは、単純にこの世をおもしろくないと思ったから変な能力を身に着けてしまったんじゃないのか?
「確かにそれも引き金の一つのようです。ただ、その悩みの最中、認めたくない父親の死という出来事が起こってしまった。そしてまだ幼い自分は何もできない。そこで彼女の混乱はエスカレートした。中学校の頃のエキセントリックさは、それを引きづったものなのです」
確か「私は待っているだけの女じゃない」、ハルヒはそういった。
「何もしなければ状況はますます悪くなる、彼女の最初の思い込みです。そしてトラウマになった記憶を思い出したくない。それ故に何者にも過去を遡らせない能力を持った。はたまた、多くの過程を経て、恐るべき思い込みが世を変える能力を生み出していった」
「あなたの話は正しくはない」
長門が急にいった。
「ただ、それに準じた可能性はある」
「僕は一つの仮説をいっているだけに過ぎません。」
そこから先の話は知らない。なぜなら俺は部室を飛び出していた。驚く部員をそっちのけ、俺はこんな話を聞いている場合じゃない事に気付いたのだ。
ハルヒを探した。俺はあらゆる校舎を駆け巡り、グランドをすみまで見渡した。そうこうしている内にやっと見つかった。
ハルヒは、俺がいつぞやかにしょっ引かれた屋上につながる階段にいた。
息を切らし、俺はあいつを見る。
しばらくすると、そんな俺に気付いてハルヒは俺を見た。
何て事だ!
ハルヒは泣いていた。こんな悲しい顔をしたあいつを見た事はなかった。そしてそれは、俺の一番見たくないハルヒの顔なんだと自覚した。
俺達はしばらく無言のままだった。夕日が差す中、そしてやっと俺は言うべき言葉を思い出した。
「すまない」
真っ先にそういった。
「本当に…」
古泉から詳しい事情を聞いた事を言うべきだろうか?いや、それは不自然すぎる。勘のいいハルヒなら何でそんな事を古泉が知れるのか見破ってしまうかもしれない。
それよりも、言葉で何かいうよりも…
そんな事を思いながら、俺はハルヒに近づいていた。
最初はそこからどうする気もなかった。ただ近づかねばならないような気がしただけだ。
そして…
ゆっくりハルヒを抱きしめた。
ハルヒもそれに任せていた。思った以上に小さい肩が、腕のなかで確かな感触を俺に伝えていた。
それからどれ位たっただろう。ハルヒの涙をぬぐってやると、俺はあいつをひとまず部室につれてきてやった。
だがそこには誰もいなかった。だが今の俺達にはその方が都合いいような気がした。皆が気を利かせたということだろうか。
そして俺達は言葉すくなに帰り道をたどった。ハルヒは顔を下に向けていて、表情をみせない。そのままずっと歩き続け、別れ際になって初めて
「私のほうもごめん」
そうハルヒが言った。
「事情は分かっちゃったんでしょうね。あんなに取り乱した訳だし」
俺は黙っていた。
風が俺とハルヒの間を通り抜ける。その吹きぬける音が消えたとき、ハルヒはつぶやいだ。
「許してくれる?」
顔を下に向けながら俺に聞いた。答えなんて始めから決まっている。
「ああ」
今度は、ちゃんと相手に届くように言った。
もう、お前の事を責める気なんかありはしない。
「うっ」
と少し嗚咽しながら、ハルヒは顔を見せないように俺の肩に顔を埋めた。
するにまかせながら、俺は今度は、朝比奈さんの時のように動揺しないでそこに佇んだ。幸い人通りもなかった。
どれ位時間が経っただろう、俺達は別れて道を進んだ。
そして次の日の朝、あいつはいつものように俺の後ろの席にいた。俺がはいって来るのを一瞥すると、すぐに雲に見入った。
一応声をかけてやる。
「気分はどうだ?」
目だけを動かし「ふぅ」とハルヒは息をはいて
「何その聞き方?…普通に決まってるじゃない」
そっけなく答えてまた雲に見入る。
やれやれ、またいつもと同じか。
でも分かっている。何かは変わった。
俺とハルヒの間にある壁、それはもう今は存在していない。