【仮説3】その1

 
「宇宙ひも理論-通常空間」
 


「宇宙ひも理論-ひも1本」
 

「宇宙ひも理論-ひも2本」

 


「海軍将校長門」
Illustration:どこここ

 


 
「さあっ、はじまるざますよ。第一回時間移動技術会議でがんす」
ハルヒ、そんな数ヶ月もすりゃ元ネタが分からなくなるような賞味期限付きのネタはやめろって。
「こないだから熱心に勉強してくれているハカセくんがタイムマシンの作り方を教えてくれるわ。キョン、ちゃんと耳をほじって聞きなさい」
「そんな、涼宮姉さん、まだ理論も完成していません……」
ハカセくんがぽっと顔を赤らめた。思いのほか気が小さいらしい。
「まあまあ、小学生相手に理科の授業をやると思って、気楽にやってくれ」
 
朝比奈さんが入れてくれた緑茶で落ち着くと、ハカセくんはパネルを示しながら言った。
「今の科学で時間移動につながりそうな理論を探してみました。無限の長さの宇宙ひもを使った理論らしいのですが、一九四九年にクルトゲーデルという数学者が提唱しました」
「宇宙、ひも?そんな昔に?」
長門に付き合って宇宙という言葉にそれほど違和感を感じなくなっている俺だが、それにひもがついているのがどういう状態なのか、いくら考えても想像できない。
「宇宙ひもというのは、この宇宙が生まれたときに発生したと考えられているひも状の物体です。自転していて、質量がハンパじゃないくらいに大きいです。僕たちが住んでいる宇宙を帯のように横断しているんじゃないかと言われています」
なるほど。ともかく重たいひもらしい。
 
「これでどうやって時間移動するかというと、まず一枚目の絵を見てください」
黒い背景に青い円盤が水平に置かれている絵を指した。
「通常の空間では、このスタート地点から円のまわりを一周して戻ってくるまでに三分かかるとします」
これはふつうにある物理だよな。
「次に二枚目をご覧ください。円の中心に長さが無限の宇宙ひもが一本あります。このひもはすごい速さで自転していて、そのまわりでは時間と空間が巻き込まれる感じに歪んでいます。そして、このまわりを一周すると二分五十秒で済みます」
なるほど。空間と同時に時間も縮んでいると考えればいいのかな。
「三枚めをご覧ください。この絵では宇宙ひもが二本立っています。この二本は互いに移動しています。このとき、片方のひもの空間の歪みがもう片方の歪みを取り込み、一周するとなんとスタートした時間より三十秒前に戻ってしまいます。これが宇宙ひもによる過去への時間移動です」
じゃあ三本ではどうなるんですかと質問してハカセくんを困らせてはかわいそうなので、後で長門に聞くことにしよう。ハルヒはぽかんとした顔をしている。
 
「もう少し詳しい話をします。アインシュタインの一般相対論によると、物体のまわりは時間と空間が歪んでいることになっています。宇宙ひものような質量の高い物体のまわりでは空間が歪んでいて、さらに自転しているために回転方向に沿って捻じ曲がっているのですが、」
ハカセくんはもっといい例えはないかと考えていたようだが、ふと俺に目を向けた。
「風呂の栓を抜くと水がぐるぐると回りながら吸い込まれていきますよね、あんな感じに時空が捻じ曲がっているわけです」
分かりやすいっちゃ分かりやすいが、それは俺のレベルに合わせてくれたのか、ありがたいのかありがたくないのか。
「このねじれが時間までも回転方向に横倒しにしてしまい、過去と未来が繋がってしまいます。これをレンズ-シリング効果と呼ぶらしいです」
「その、繋がった時間のせいでスタートした時間より前に戻るってことか」
「そうです」
ハカセくんはうんうんとうなずいた。
 
「ポイントは二つの宇宙ひもが互いに高速で移動している、というところにあるようです」
「で、その宇宙ひもって作れるの?」
「ええっと、宇宙ひもは負のエネルギーでできているらしいんですが。長門さん、どうでしょうか」
「……擬似的なものなら、作成可能」
それまで黙って聞いていた長門が口を開いた。
「……エキゾチック物質を加速してリングを作る。それを無限の長さと見なす」
エキゾチック物質?旅に出たくなるような物質か。あれ、このくだらん突っ込みにはなぜかデジャヴを感じる。
「そう。難しいことは分かんないから、実験に取り掛かってちょうだい。機材はどんどん買っちゃっていいわ」
おいおい、そんなこと言って、十人の給料をなんとか払っている会社の台所事情をご存知か。
 
 そんな経理担当者の心配はどこ吹く風、次の日から実験機材と称する箱がどんどん納入されてきた。
「これどこに置けばいいんだ?会議室にでも置いとくか」
「……実験室の確保を申請する」
「そうね、せっかくやるんだったらちゃんとした研究施設が欲しいわよね」
「僕が手配しましょうか。不動産関係には心当たりがあるので」
「さすが古泉くん、持つべきは不動産に詳しい取締役よね」
言っとくが、古泉の心当たりってのは実在しないことになってる闇の組織なんだぞ。
 
 古泉の手配とやらで同じ階のお隣さんが空き室になっていた。これ絶対機関の圧力で追い出されたんだよな、かわいそうに。四階を一社独占状態にした我がSOS団の実験機材がそっちに運び込まれた。ハルヒの要望で部屋と部屋の仕切りに穴を開けてドアが取り付けられた。わざわざ廊下に出て行くのがめんどくさいらしい。
 
 実験機材というのは見たこともない機械類だった。厚さ三センチのガラスでできた、直径三メートルの密閉された筒。上の部分は天井まで届き、試験管の底みたいに丸くなっている。長門が設計した特注品なのらしい。それから巨大な電磁石が六個あり、特殊な構造らしく自分で丁寧に銅線を巻いていた。電磁石はガラスの筒のまわりに配置された。ほかにもビーム砲やら測定機器やらがところ狭しと並んでいる。
「長門、放射能漏れとかないよな」
俺はエナメル線を巻き巻きしている長門にこっそり聞いた。
「……大丈夫。部屋全体を、」
長門はちょっと言い淀んで視点をさまよわせ、「重力子フィールドで包む」と言った。
「ならいいが、危険がないように頼む」
「……分かった」
 
 実験室には制御装置らしいパソコン類が何台も並んでいた。壁に長テーブルをくっつけ、それに液晶モニタをずらりと並べた。何度か機材のテストをして、最初の実験がはじまった。
「十五時四十四分、試作機初号、実験開始します」
「やってちょうだい」
実験用の白衣を着込んだハルヒが腕を組んでえらそうに言った。
「……電源投入」
「始動しました」
「……真空ポンプ作動」
ブルルルと音がして、プロパンガスのボンベを横にしたようなエアコンプレッサーぽい機械が動き始めた。でかいガラスの筒の中の空気を抜いているらしい。
「……磁性体コア稼動」
「了解。電源入りました」
「……加速砲用意」
「電源入ります」
ガラスの筒には二本の腕が伸びていて、ビーム砲に繋がっている。そこからエキゾチック物質とやらを打ち込むらしい。
「……照射開始」
長門の合図でハカセくんがスイッチを回した。ガラスの筒の中で一瞬だけ青白い火花が散ったが、その後はなにも起きない。長門もハカセくんも、そのまま数分間じっとしていた。
 
「何が起きてるんだ?」
「……照明を落として」
長門に言われて実験室の電灯を消した。部屋の中が真っ暗になるかと思われたが、そこで起っている現象を見て俺は目をしばたたいた。ガラスの筒の中に一本の薄紫色に光るリングが浮かび上がっている。
「……美しい」
長門が呟き、俺たちはうなずいた。
「このリングを見れるだけでもすごいわね」
「これ、回っているのか」
「……そう。これがエキゾチック物質」
「きれいですね。ふつうは見えないんですが、電子をくっつけて加速しています」
ハカセくんが補足した。
「……磁界を分離。リングを分解」
長門が呟いてキーボードのテンキーを叩くと光のリングが内側と外側に別れた。さらに二本とも少し太くなった気がする。じっと見つめていると、内側のリングが外側のリングを覆うようにして動き始めた。内側のリングの半径が伸びて外側のリングを包むように回り、また内側に入る。それを繰り返す。
「二本のリングがシンクロ開始しました」
「あ、つまりこれが二本の宇宙ひもってことか」
「そうです」
なるほど。分かりかけてきた。まずエキゾチック物質が円を描いて無限の長さと同じ状態になる。その円を二本作り、内側の円が外側の円を包むようにして回る。これを繰り返せば互いに動いてることになる。あとはスピードを上げればいいだけか。
「……正解。あなたにしては分かりやすい説明」
それ俺がいつも言ってるセリフじゃん。
 
 内側のリングはだんだんと回る速度を増し、次第に一本の太い薄紫色のドーナツのようになった。これ、円周方向にも回ってるんだよな。ということはエキゾチック物質は螺旋を描いて回ってるってことか。今日の俺はいつになく冴えてるな。
「……コアの電圧を上げて。光速の八十パーセントを目標」
「了解。現在光速の五十五パーセントです」
ハカセくんはパソコンのモニタを眺めて数値を読み上げた。リングの色がだんだんと白っぽくなり、ついには目を開けていられないくらいに輝きを増した。
「シンクロ率が四百パーセントを超えました!」
どっかで聞いたようなセリフだな。次の瞬間、プーンともピューンともつかない音がしてリングが消えた。
「すごいわ、光速を超えたのね!」
「ブレーカーが落ちただけです」
「あらっ」
「……実験失敗。契約アンペアの変更を忘れていた」
「んーっ、しょうがないわ。失敗にめげずにがんばりまっしょーい」
ハルヒがグーで天を突くように背伸びをしながら叫んだ。失敗してるときの元気のよさがこれなら、成功したときにはいったいどうなるんだろう。銀河規模の情報爆発でも起こすんじゃないのか。
「今日はいいものを見せてもらったわ。キョン、電力会社に話つけといてね」
へいへい、どうせ俺は雑用ですよ。
 
 部屋から出ようとして腕時計を見ると五時前だった。窓の外がやたら暗いので雨でも降ってるのかと顔を出したがそうでもなさそうだ。壁にかかっている時計を見ると七時を過ぎてしまっている。腕時計が壊れてるのかと思って振ってみたがちゃんと秒針は回っているようだ。ふと気になって古泉に尋ねた。
「おい古泉、お前の時計ちゃんと七時になってるか?」
「え、今五時ごろじゃないんですか」
俺は壁の時計を指して見せた。
「あれれ変ですね。僕の時計じゃ針もデジタル表示も五時なんですが」
「……リング周辺の時空が少し歪んでいた」
「ってことは二時間くらいタイムトラベルしちまったのか」
「ちょっとした浦島太郎の気分ですね。え、どうかしましたか?」
「いや、前にも似たようなことがなかったか」
「さあ、覚えていませんが。いつごろでしょうか」
「たぶん気のせいだ。気にするな」
 
 翌日、電力会社の人がやってきて電線とブレーカーを交換して帰った。ソフトウェアの会社でそんな大容量をなにに使うのか怪しまれないかと思ったが、電気を大量に使ってくれるのはいい客らしくホクホク喜んでいた。定額割引サービスも適用してもらったが、果たしてどれくらい節約になるのか。
「十三時二十八分、実験開始します」
「やってちょうだい」
ハルヒが腕を組んでガラスの筒に見入っていた。ところが昨日のようなリングは生まれず、ブーンと消えていくような音がしてまた照明が消えた。
「またなの?もう、電力けちってんじゃないの、このビル」
ビルというより俺たちがアンペアを使いすぎてるだけだと思うが。
 そのとき、部屋の南側の窓ガラスが割れ、いくつもの人影が飛び込んできた。SWATか海軍特殊部隊かと思わせるような風体のやつらがバラバラとなだれ込んできた。数人の黒装束が周囲を見回し、背中合わせにしてフォーメーションをとった。なんだありゃ、構えているのはアサルトライフルか!?
 
 いったい何が起こっているのか、状況判断と思考がなかなか前に進まないうちに大きな音を立ててドアが開いた。ノックくらいしろよと突っ込まないところはすでに俺はパニクってたに違いない。暗がりの中、廊下から射してくる蛍光灯の光だけが眩しく目に焼きついた。
 開いたドアからこれまた黒装束が数人走りこんできた。そのうちのひとりが銀行強盗ばりの声色で叫んだ。
「全員動くな」
なんのイベントなんだこりゃ、ドッキリか。
「なんなのよあんたたち!」
「ハカセくんはどいつだ」
お前ら、ハカセくんの本名を知らないで来たのか。見かけによらず間抜けだな。
「名前などどうでもいい。どいつだ」
「ぼ、僕ですが」
ハカセくんだけを残して俺たちは実験室の外に連れ出された。
「お前ら全員、両手を上げろ。抵抗すれば撃つ」
「CIA?FBI?あんたらどこの組織よ!あたしがタイムマシンを作ってることを知っての襲撃ね、こんなことをしてタダじゃすまないから」
「黙れ、お前ら動くな。両手を頭の上にあげろ」
そのうちのひとりが俺たちに銃を向けた。俺たちは互いに顔を見合わせ、両手を頭の上に乗せた。数人が駆け寄って後ろ手にし、俺たちは両手と両足をインシュロックで縛られた。朝比奈さんを見たが、若い頃のようにオロオロとはしていなかった。ただじっと黒装束メンバーのひとりを睨みつけていた。
 
「抵抗すれば命の保証はない」
俺は聞き覚えのある女の声に、ふと知り合いの顔が浮かんだ。
「もしかしてその声は森さんでしょう!?」
「う。わたしはそのような名前ではない」
「それからそっちの、迷彩服着て頭にバンダナ巻いてるおっさん、あんた新川さんでしょう」
「なんのことやらさっぱり分かりませんなあ」
「ってことはこの中に多丸さん兄弟もいるってわけですね」
うちの二人がビクっとした。レンジャーだかSWATだか知らないが、あんたら向いてないわ。と突っ込まれたのが気に入らなかったらしく俺の足元に弾を四発撃ちこんだ。カーペットに穴が開き、焦げくさい煙が立ち込めた。実弾じゃないか、こいつらマジか、サバゲにしちゃ気合が入りすぎてるじゃないか。
 
 古泉を見ると自分の立場をどうしたものか決めかねているようだった。こいつは以前、機関の命令に背いても一度きりなら俺たちの味方をすると約束している。
「森さん、状況を説明してください」
「その義務はない。お前はすでに機関の人間ではない」
「そ、そうだったんですか。なぜクビになったのか教えてもらえませんか」
森さんは答えるかわりに銃口を突きつけただけだった。
「あんたたち、何が目的なのよ」ハルヒが森さんと思しき黒装束に向かって叫んだ。
「時間移動技術のデータを破壊する」
「なんの恨みがあってそんなことすんのよ!」
ひとりがAKライフルをハルヒに突きつけようとした。俺はそれを見て頭に血が登り、立ち上がってそいつに体当たりした。二、三人がバラバラと駆け寄って俺を取り押さえ、森さんと思しきやつからしこたま蹴られた。
 
「お前たちのせいで三十億人が死んだ。我々はその要因を取り除くために来た」
「なんの映画だそりゃ」
「映画ではない。実際の歴史だ」
あ、もしかしてこいつら未来から来たのか。
「そうだ。お前たちが開発した時間移動技術が要因で国家間の軍事力バランスが大きく崩れた。日本が第二次大戦に勝利し核保有国となった。冷戦はなく延々と紛争が続いた。陸地の六十二パーセントが放射能に汚染されている」
「第二次大戦は過去の話だろう」
「お前の頭には時間の概念がないのか」
ってことは、未来にいたやつが歴史を書き換えたってことかな。
「それは分かりますが、その格好は何なんですか。あんたらもどこぞの兵隊?」
「機関はレジスタンスとして政府と戦っている」
「なるほど。ってちょっと待て、あんたらに正しい歴史の記憶があるのはなんでだ?」
その質問には森さんは答えず、その隣にいたやつが口を開いた。
「わたしが歴史を修復したからよ」
そ、その声は朝比奈さん!っていつものメンバーじゃないか。
 
「もしここで時間移動技術がなくなったら、あんたたちは全員消えてしまうんじゃないのか」
「それでもかまわないわ。世界が守られるならそれくらいの犠牲は安いものよ」
まったくなにカッコつけてんですか、朝比奈さんらしくない。こめかみに手を当てて頭痛を訴えたくなるようなセリフを聞いていると、実験室から爆発音が聞こえた。ガラスが飛び散り、黒い煙をモクモクと吐き出している。ガラスの筒その他実験器具が粉みじんになっていた。ああ、俺たちの出来損ないタイムマシンが無残な姿に。
「自分たちがやったことを償うがいい」
黒装束全員の姿が徐々に透けてゆき、やがてそいつらはかき消すように消えていった。非常ベルが鳴り、スプリンクラーから大量の水が降り注いだ。
 
 なぜかここで暗転する予感がしたのだが、そうはならなかかった。手足を縛られたまま、俺たちはずぶ濡れになった。俺は朝比奈さんに耳打ちした。
「あの、今ここにいる朝比奈さんが消えないのはなぜなんでしょうか」
「さっき消えたわたしは、たぶん別の時間線のわたしなのでしょう」
「というと?」
「時間移動理論の資料と実験機材が破壊されたことで、涼宮さんが作るタイムマシンの歴史の流れは白紙に戻ったんだと思うわ。でもわたしが持っているTPDDは消えていないので、元の流れに戻っただけ、ということかしら」
「それじゃ発案者のハルヒが生きている限り同じことを繰り返すんじゃないですか」
「そうかもしれないわ」
俺はみんなを見回した。あいつらは口やかましさに閉口したのだろう、ハルヒの口をガムテープで封じていた。
「誰か両手が効くやつはいるか」
長門が両手を上げて見せた。ハサミで全員のインシュロックを切り離してまわった。
「ぷは、まったくもう!さっさと警察呼んで」
ハルヒの顔にガムテープを剥いだ跡が残っていた。警察を呼ぶのはまずい気がする。時間移動技術を研究しているなんてことが公の機関の耳に入ったりしたら、CIAやらモサドやらがやってくるに違いない。そもそも通報が原因であいつらがやってきたのかもしれない。
 
 俺は長門に耳打ちした。
「長門、情報操作を頼む。これが世間に知られると厄介なことになりそうだ」
分かってくれているようで、長門は黙ってうなずいた。右手を上げて詠唱をはじめた。
「有希、なにそ……」
ハルヒがなにごとか言おうとしたが、部屋の中が分子再構成の嵐に見舞われて声はかき消された。光の粒子と化した部屋の残骸が竜巻のようにらせん状に回転して広がり、元あった机やロッカー、パソコンのモニタなんかに姿を変えていった。
「……終わった」
嵐が消えるといつもより整然と整った机と事務用品が現れ、全員が自分の椅子に座っていた。服は濡れておらず一滴の水もこぼれていない。だが部屋の電気は消えたままだった。
「え、あれ。なにやってたんだっけあたし」
「ブレーカーを戻そうとしてたんじゃないのか」
「そうだっけ、あ、そうだったわね」
ハルヒは椅子の上に乗ってドアの上にあるブレーカーを戻した。部屋の明かりが元に戻った。俺は天井を指差して長門に言った。
「火災報知器は大丈夫か」
「……警備会社への通報を解除した。涼宮ハルヒの記憶も改竄した」
「そうか。ありがとよ」
お礼ならいい、と言うはずの長門が言わなかった。じっと無表情のままだ。
「ハカセくん、大丈夫か」
「ええ。やっぱり電力使いすぎですよね」
やっぱりさっきの襲撃は覚えてないようだ。
 
 ここで少し、朝比奈さんと長門と協議しなければならない。ハルヒに聞かれては困るので三人で喫茶店に向かった。ついて来たそうにしていた古泉はハルヒの子守り役として残した。
「長門、パソコンやら実験データの類は戻ったんだよな」
「……時間を除いて、すべて実験後と同じ状態」
「ということはハルヒがタイムマシンを作ってしまう歴史の流れはそのままってことに?」
「そうなるわね。また彼らがやってくるかもしれないわ」
俺は古泉に電話をかけ、今すぐ部屋の戸締りをして二人を連れて飯でも食って来いと伝えた。古泉が僕は社長の子守りですかとブツブツ言ったのでそのとおりだと答えておいた。
 
「ええとつまり、まとめるとだな」
ハルヒが時間移動技術の実験をしているところへ、未来から森園生の一団が襲撃に来た。つまり近い将来タイムマシンは完成する。あいつらが言うには、その時間移動技術のせいで戦争が起ったらしい。タイムマシンを使って第二次大戦の歴史を改変したやつらがいたということだ。だが俺たちの記憶にないところをみると、もうひとりの朝比奈さんが修正を加えたようで、歴史には影響していない。
 森園生一団が時間移動技術関連の情報と実験機材を破壊するとあいつらは消滅した。つまり、襲撃はなかったことになっている。
「しかしだ、長門が情報と実験機材を元に戻したのでハルヒがタイムマシンを開発してしまう可能性は残されている。ここからの未来はどうなるんだ?」
「……計算するための要素が多すぎるが、同じ展開を繰りかえす可能性は高い。比喩を用いるならなら、イタチごっこ」
「朝比奈さんの未来ではどうなるんですか」
「わたしが知っているのは、わたしがいた時間線の未来なのでこの流れの未来と必ずしも一致するわけではないの」
「じゃあここにいる朝比奈さんは、朝比奈さんのTPDDが作られる歴史しか知らないんですか」
「今のわたしはね。未来に戻れば事情も変わるでしょうけど」
「未来と連絡はつきますか」
「それが、さっきの一団がやってきたときから時間平面の並びが歪んで連絡がつかないの」
「ってことは戻れないかもしれないってことですか」
「ええ……」
朝比奈さんの表情に少しだけかげりが現れたが、いつだったか、前に朝比奈さんがTPDDを失ったときよりは落ち着いていた。それを思い出したのか、朝比奈さんは笑顔を作って言った。
「わたしは大丈夫。タイムトラベラーはいつなんどき、時空の歪みに閉じ込められてしまうかもしれないという覚悟はできているの。もし帰れなくなっても、それは任務を全うした結果だから」
時間移動ってのもたいへんだな。家族やら友達と二度と会えなくなるという、潜水艦の乗務員並みの危険性があるわけだ。
 
 長門が妙に考え込むような表情をしていた。
「どうしたんだ?」
「……さっきの襲撃のとき、わたしの異時間同位体がいた気配がある」
「長門もいたのか」
「……不可視遮音フィールドの痕跡が残っていた。わたし以外に考えられない」
「もしかして喜緑さんとか、ほかのヒューマノイドとかじゃ?」
「正体は分からないが、それに準ずる存在。床にかかる重力から計算すると、フィールド内に三人いた」
「ということは、組み合わせとしてはわたしたちがもっとも近いわね」
「それが長門だったとしたら、なぜ接触してこなかったんだろう。黙って見てただけなのか」
「……彼らの目的は不明」
「もしかしたらわたしの、つまりわたしたちの記憶にないということじゃないかしら」
「……その可能性はある」
ええと、つまりどういうことですか。
「隠れていた三人が過去か未来かどこから来たのか分からないけれど、わたしたちの知らない何かを知っていて、それを確かめに来たんじゃないかしら」
「なるほど。……すいません、よく分かりません」
「……過去から来たとする場合、わたしたちとは異なる歴史を持っている三人ということ。未来から来たとする場合、襲撃の時間をポイントにして生まれた分岐かもしくは同じ時間線から観察に来た三人で、これからわたしたちがなにかを行わなければならないということ」
「なんだかややこしいが、俺たちがたくさんいるわけだな」
 
「いずれにしても、わたしたちがあの時間に戻ってなにかをしなければならないということね」
「……それは正しくはない。わたしたちは未来に干渉する必要がある」
「長門さんどういうこと?」
いつもは歴史を改変するときは過去に干渉するよな。
「……一連の事件はタイムマシンが絡んでいる。涼宮ハルヒの時間移動技術が完成するのは、今のわたしたちから見て未来。あの襲撃がどこからきたのかを見定めなければいけない」
「じゃあ彼らをたどってゆけば原因が判明するということね」
 
長門がスクと立ち上がった。
「……準備は、できている」
「キョンくんも来てくれるわよね」
「え、未来へですか」
駅前で待ち合わせている女の子がBMWとかメルセデスで乗り付けられてちょっとドライブに付き合わないかと誘われているようなのとはまったくレベルが違う、とんでもないお誘いだった。今まで経験した時間移動はずっと過去だった。ずっと待ち焦がれていた未来がようやく拝めるというのだ。
「連れて行ってもらえるのならどこへでも参ります」
俺はいつの頃からか時間移動がやみつきになっているようだ。あの三半規管が暴走して目が回るような感覚はなぜか忘れられない。
「……この時間線では、かなり危険な状態が予測される」
「ええ。さっきの一団を見る限り、平穏では済まされそうにないと思うわ」
俺と朝比奈さんも立ち上がった。三人は手を繋いで輪を作った。
「では行きます。目を閉じて」
「大丈夫ですよ、もう慣れましたから」
足元から重力井戸に落ちたかのように、はるか下方の一点に世界が吸い込まれてゆく。俺たちも漏斗の底に流れてゆくように円を描いて、最初はゆっくりと、徐々にスピードを上げて落ちていった。
 
 眼下の風景に朝比奈さんは息を飲んだ。
「ここ、まさか閉鎖空間じゃないですよね」
閉鎖空間を知ってるのは少なくとも俺と古泉だけのはずだが、一面が灰色で人気のない世界にそう思わせるだけの迫力がある風景だった。
「……閉鎖空間ではない」
長門がボソリと呟いた。さすがの長門も唖然としている。目の前に広がっているのは、かつてビルだった瓦礫や、家だった屋根瓦、道路だったアスファルトの塊らしきものが山と積まれた町だった。元はビルだったらしいコンクリの塊から錆びついた鉄筋が飛び出していて、折れ曲がり具合は爆発かそれに似た衝撃によるものだと想像できた。
「場所はどこですか」
「さっきの、喫茶店と同じ地点です」
まわりを見回してみたが看板の跡すらなく、道に立っていた標識もない。土ぼこりを被っていて、かなり前からこの状態にあるのだろう。それどころかここが北口駅前の繁華街だとはとても思えなかった。
 
 彼方から爆音が聞こえてきた。ヘリの羽根の音だ。俺は二人を促して物陰に隠れて空を見上げた。軍用ヘリらしきものが二機、東から西へと飛んでいった。
「非常にやばい時代に来てしまったな」
「うかつに誰かに話し掛けたりできないわね」
誰かに遭遇したらまず敵か味方かを問われるだろう。過去から来ましたなんてことになったらとっ捕まって暗い部屋に放り込まれるのがオチだ。
「長門、この時代のお前が味方かどうか分かるまで会わないほうがいいと思うんだが」
「……わたしもそう思う。でも互いの検知を封じるのは不可能」
願わくば、遭遇しないようにってとこだな。
「今回の時間移動が長門さんの記憶にあるとしたら、この時代の長門さんはわたしたちがここに現れることを知ってるはずじゃ……」
「……それは心配しなくてもいい。わたしの判断で記憶を禁則事項に指定することはできる」
そもそも、長門が異時間同位体と意見が食い違ったり争ったりすることはあるのだろうか。いつだったか長門が暴走したときは、時間的に若い方の長門が未来から来た長門の指示に従った。長門の双子の姉という異次元同位体のときは、どちらも主張を変えず町をまるごと破壊するほどの大喧嘩になった。
 俺はあのときの二人の派手な戦いを思い出して鳥肌が立った。
「もし未来の長門が出てきてもできるだけ穏便に解決してくれ」
「……分かった」
たぶんそんなことは起らないだろうという根拠のない楽観視をしている俺だったが、もし二人の長門が意見を異にするような事態になるとしたら、それぞれの守るべきものが違う場合だけだろうと考えていた。
 
「朝比奈さんの上司とか仲間で、この時代の誰かと連絡取れませんか。誰か協力してくれそうな人」
「わたしの時間線とはだいぶ違うみたいだから、どうだか分からないけど。ちょっとやってみます」
朝比奈さんは数秒だけ宙に視線を浮かせた。
「この時代のわたしがいます。会ってくれるそうです」
よかった。時代と場所が変わっても、この人だけは俺の味方になってくれると信じている。
「今どこにいるんです?」
「どこかの組織の隠れ家にいるようです。方角を教えてもらったから行きましょう、こっちよ」
先導する朝比奈さんはくるりと振り向いて、末恐ろしいことをサラリと言ってのけた。
「途中に地雷があるらしいから、気をつけて」
「じ、地雷って踏んだらジャンプしてパチンコ玉が四方八方に飛び散るやつですか」
「それだけならまだいい方」
「ひぃっ」
「……大丈夫。わたしが熱光学とエックス線で見ている」
じゃ、じゃあ長門が最初で朝比奈さんが二番手で、俺が最後ってことに。情けない。
 
 ずっと空は曇っていて、遠くまでは見渡せなかった。今が昼なのか夕方なのかさえ分からない。瓦礫の山を十五分ほど歩いたところで長門がピタリと止まった。
「……」
長門が指差した方向を見ると、ビルの残骸の上に人影があった。小柄な、見慣れたボブカットの女の子。この時代の長門がいた。三人が来るのを待っていたようだ。近寄ってみるとどこかの制服らしきものを着ている。海軍か海自か、胸のポケットの上にJMSDFとロゴがある。
「……なにが、あった」
「……時間移動技術がさまざまなグループ、国家の覇権争いの元になっている」
「……この事態になるまで放置していたのはなぜ」
「……説明する義務はない」
「長門、俺にも教えてくれないか。その制服はなんだ?どこかに雇われているのか」
このシリアスな状況でまさかミリタリヲタのコスプレではあるまい。将校らしく、階級章に星がついている。
「……現在SOS団は海軍特殊部隊の傘下にある。涼宮ハルヒ以下四名はそこで勤務している」
「海軍って海自か」
「……憲法九条改正により、正式に軍となった。内外の勢力と交戦中」
 
まぎらわしいので未来のほうは長門(大)、俺の長門を長門(小)と呼ぼう。俺は長門(大)に向かって言った。
「教えてくれ、お前がいながらなんでこんな事態になっちまったんだ」
「……わたしの仕事は涼宮ハルヒを観察すること。それ以上の干渉はしない」
「それはおかしいぞ。ハルヒがタイムマシンを作ることに関与したはずじゃなかったのか」
「……わたしは関与していない。涼宮ハルヒの願望により実現した。あなたたち三人は時間線を外れている」
「どういうことかしら?わたしたちは同じ時間線をたどってきたはずなんだけど」
朝比奈さんが質問した。
「……涼宮ハルヒの時間移動技術の副作用で、複数の分岐を生み出している。わたしの記憶では、あなたたちがここに来るはずはない」
長門(小)が長門(大)に向かって右手人差し指を差し出した。
「記憶の不整合点を洗い出したい。同期を求める」
「……断る」
「……なぜ」
「……分かっているはず」
長門(小)は明らかにムッとしたようだった。かつて自分が異時間同位体とのリンクを拒んだときの返答を自ら受けるとは、これも因果か。
「まあまあ、同期しなくても不整合なポイントを調べることはできる」
「……それも、そう」
二人の長門はうなずいた。
 
 長門(大)が俺に向かって言った。
「……涼宮ハルヒに会って」
「もちろんそのつもりだ」
「……わたしたちは間違った選択はしていない。でも正しい選択だったとも言えない。それを是正できるのは、あなた」
そう、俺はこの話が始まって以来ずっとハルヒのストッパー役なのだ。なにかまずいことが起るたびに俺は尻拭いに奔走させられる。
「先にこの時代の朝比奈さんに会って事情を聞きたい。そっちのハルヒにはまだ伝えないでくれ」
「……分かった」
「この時代の俺は一緒にいるのか」
「……いる」
それを聞いて安心した。だが長門(大)の表情はいまいちよく読めなかった。
「……いつもの場所で待っている」
長門(大)はそう言って灰色の風景に紛れ込んだ。背中が小さく見えた。
 


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