二 章
 


 
 まあメランコリーはさておき、ハルヒの突拍子もない思いつきにどうしたものか考えあぐねていた。営利目的になれば高校や大学の同好会とは違う。金はからむし、顧客と出資者への責任も生じる。それに社員全員の生活もかかっている。社会的責任、ってやつだ。ハルヒの思いつきだけで会社がやっていける世の中なら、経営コンサルタントなんていらないだろう。なんというかこう、ハルヒも満足する、社員も顧客も満足する、すべてがうまくいく方法はないものか。
 
 長門から晩飯を作ると電話があったので、俺は帰りにマンションに寄ることにした。俺も今回ばかりはうまく切り抜ける案がないので、長門の知恵を借りることにした。
「ハルヒを満足させられるだけの仕事で、四人を養っていくだけのネタがあればいいんだが」
「……事業内容を二つに分ければいい」
「とういと?」
「基本収入を得る事業、実験的な投資事業」
なるほどな。前者が仕事、後者が遊びってわけか。
 
「後者のタイムマシン云々はハルヒに好きにやらせるとして、前者の基本収入を得る事業だが、なにかいい方法はないか」
「……低コストでなら、ソフトウェアを売るのがいい」
「お前ならさくっと作れるだろうが、学生をやりながらはきついだろ」
「……大丈夫。時間の切り分けをうまく調整する」
「ハルヒのお守りのためにあんまり長門の手間をかけさせたくないんだがな」
「……いい。必要とされるのは、いいこと」
長門の顔に少しだけ微笑が浮かんだ。そう言ってくれるのは嬉しいんだが。
「じゃあ、俺も勉強して手伝うよ。ハルヒと古泉にも手伝わせるから」
とはいっても、ハルヒに今からプログラム言語を勉強しろと俺が言えるかどうか。
 
「それで、どんなソフトウェアを売るんだ?」
長門はごそごそと薄型ノートパソコンを出してきた。
「……アイデアはある」
 長門テクノロジーから生まれた製品のアイデアはいくつかあった。すぐにでも実用化できそうなのは『自律思考型業務支援仮想人格』とか言うらしい。
「どういうもんなんだそれ?」
「……通俗的な用語を使用すれば、人工知能」
長門がとあるプログラムを起動すると、黄色いリボンをした3Dの人形っぽいキャラクタが画面に飛び跳ねた。
『ゆきりんおかえりぃ、元気ぃ?』
「ゆきりんってお前のことか」
「……そ、そう。たまにそう呼ばれる」
『その人だぁれ?ふふっ、もしかしてカレシぃ?』
このキャラクタ、知ってる誰かに非常によく似てるんだが。
「……この子は元はウィルスだった。北高のコンピ研に所属していた頃、コンピュータから抽出して育てた」
「ウィルスって、大丈夫なのか」
「……問題ない。増殖する機能は切ってある」
長門が言うには、この“涼宮ハルヒシミュレータ”は元々ハルヒの情報を栄養源とする人工知能の一種らしい。
 
「こいつ、自分で考えて喋るのか」
「……プログラムに考えるという機能はない。状況を示す情報に応じて反応しているだけ」
「どうやってこっちの様子が分かるんだ?」
「マイクとカメラからの情報を内部で解析している」
俺はCCDカメラに向かって話し掛けた。
「おいハルヒ、ちょっと見ないうちに小さくなったな」
『うるちゃいわね!でかいだけが能じゃないわょ』
この三頭身だか四頭身だかのミニハルヒはかわいい。パッケージ化しておまけにフィギュアをつけたら売れるぞ。
 
「……同じコアロジックを利用し、業務支援ソフトを作る」
長門が考えているのは、会社全体の情報から経営分析し、スケジュールとか文書管理などの仕事で必要な手間をすべてやってくれるマルチなプログラムらしい。簡単にいえば社員全員にAI秘書をつけて業務管理する、らしいが。
「これを店頭で売るのか」
「……店頭小売パッケージにはできない。ライセンス数で売る。グリッドコンピューティングの一種」
難しい名前が出てきたが、要は複数のパソコン上で連携して動くソフトウェアらしい。二十台以上のパソコンがある事業所なんかで稼動可能。だから個人用途では売れない。
「ほかにも、セキュリティ機能をオプションで付ける」
そっちのほうが人気出そうだな。近頃の管理職はセキュリティソフトが好きだから。とりあえず食うために、それをメインに事業をはじめてみるか。
 
 翌日、今度は俺がハルヒを呼び出した。
「ということでだな、まず安定収入を得ることが先決だと思う」
「しょうがないわ。お金なんか目的じゃないんだけど、食っていけるだけの余裕がないと困るものね」
「まあ長門が作ったデモを見てくれ」
ノートパソコンの画面に冴子先生より美人なお姉さんが現れた。さすがにハルヒの格好をしたキャラクタなんか見せたら猛烈に怒り出すだろう。
『おはようございます、涼宮さん。三十分後にミーティングです。出席者は社長、事業部長、課長、担当者です。議題は四点、プリントアウトしている資料に目を通しておいてください。新着のメールは二十件。そのうち、一時間以内に返信が必要なものは四件です』
 
「なんか、仕事に管理されてるって感じね」
「無駄がなくていいじゃないか」
「無駄がないのはいいんだけど。なんか足りないのよね」
曖昧だな。なんかって何だ。俺も考え込んだ。
「萌えよ萌え!いわゆるひとつの萌え要素」
なにを言い出すかと思ったらまたそれか。
「この秘書、もっと若くしてメイド服着せて、眼鏡っ子にしたらどうかしら。きっと仕事もはかどるわ」
たまにスケジュールミスとか打ち合わせバッティングしそうな秘書だな。
「性格も選べるといいわねぇ。ツンデレとかお嬢様とか。女性向けにイケメン秘書も。ジョークなんか飛ばしてくれると和むわ」
「お前、別のゲームと勘違いしてんじゃないのか」
「ソフトウェアなんて所詮は道具よ。だったら、かわいかったりかっこいいほうがいいに決まってるじゃない」
朝比奈さんみたいな秘書だったら、まあ、一理あるな。
「もうちょっとキャラクタ性が欲しいのよね」
機能に関しちゃなにもなしかよ。
「……分かった」
長門はちょっとがっかりしたようだった。まあそうしょげるな、ハルヒは何も分かってない。いっそのことミニハルヒで売りに出すか、本人の営業付きで。
 
 数日後、バージョンアップした秘書が現れた。
『ハーイ古泉くんげんきぃ?昨日はよく眠れた?もしかして彼女と一晩中ウフフだったのかしら。あら、眉間に皺なんか寄せちゃって、冗談よん』
画面には“メールを読む・今日の予定を聞く・昨日の彼女の話をする”の選択肢が現れた。業務が三択かよ、分かりやすすぎる。
「いい感じですね」
「俺もいいと思う。音声認識させたらキーボードもマウスもいらなさそうだな」
男は単純だ。
「古泉くんみたいなキャラはいないの?」
「……設定すれば、可能」
「じゃあキャラクタをオプションで売りましょう。渋めの中年が好きな人もいるし」
表向きは秘書ソフトなんだが、バックで超高度な人工知能とデータベースが動いてることには興味なさげだった。まあ顧客ってのはそういうもんだろうけどな。
 
「それでだな、これを主力商品にするのはいいんだが、長門ひとりに開発を任せるのは負担が大きすぎる。だから俺らも勉強して、せめてセールスエンジニアくらいの仕事はこなせるようになりたい」
「僕も多少なら手伝えますよ。専攻ではありませんが、情報工学も取っていましたから」
「プログラム書けるか?」
「ええ。たしなみ程度なら」
そうだったのか。思わぬ伏兵だな。
「ハルヒ、お前も勉強しろ」
「分かったわ。しのぎよね」
「長門、お前は大学院を優先させてくれていいから。無理なスケジュールで働くことはないからな」
ハルヒが趣味で作る会社のために長門の時間を潰させたくない。
「……分かった」
 長門に気を使ってそうは言ったが、こいつがいないと会社が回らないかもしれない。思いのほか長門も、ハルヒとつるんでなにかはじめられることを喜んでいるようで、溜息をついているのは俺だけとなった。まあ、しばらくは付き合ってみるか。せめてハルヒが飽きるまでは。潰れたらそんときまた考えればいい。
 
 残るは資金だが。これが最も重要な課題で、しかも難題だ。ハルヒの会社に投資してくれるような酔狂なやつは、たぶんこの世界にはひとりもいない。
「古泉、お前の機関の財政状態はどうなんだ?」
「最近は締め付けが厳しいですね。経費清算もやたら書類ばっかり書かされます」
どこぞもそうだよな。このご時世、金が余ってるなんてやつがいたらお目にかかりたいもんだ。
「機関ってどういう金で動いてるんだ?」
「世界を守るという、我々の目的に同調してくださる御仁が数名いらっしゃいまして。その方々のご支援によっています」
「その、御仁への見返りは?」
「いちおういくつかの会社法人を抱えていますから、その利益を少しでも還元していますね。多丸氏はそのへんの財務を担当しています」
なるほど。どの世界でもしのぎが必要なわけだ。
 
「出資者はどれくらいいるんだ?」
「片手で数えるくらいです。前にも言ったかもしれませんが、鶴屋さんはその御仁のご息女です」
そういえばそんなことを聞いた覚えがある。鶴屋さんか……。
「もしかして、鶴屋さんに出資を依頼しようとお考えですか」
「分からんが、ダメモトで当たってみる価値はあるな」
「では僕は顔を出さないことにしましょう。機関は鶴屋家には直接的には関わらないというルールがあるので」
「そうか。じゃあ俺は週末にでもハルヒを連れて鶴屋さんに会ってくる」
 
「なんであたしが鶴ちゃんにお金を借りないといけないのよ」
「金が天から降ってくるとでも思ってるのか」
「銀行に借りればいいじゃないの」
「銀行は借りる必要がないことを証明してはじめて融資してくれるんだよ」
「は?」
「つまりな、銀行は支払能力があることを認定しないと貸してくれないんだ。俺たちには担保物件になりそうなものもないだろ」
ハルヒが実家を抵当に入れると言い出さないかハラハラした。
「妙なことになってるのね金融って。しょうがないわ。ただし、」
「ただし、なんだ」
「タイムマシン開発がうちの主力事業だということははっきりさせておくわよ」
いくら鶴屋さんが物好きでも、それを言い終わらないうちに断られるぞ。
 
「わははっ。さすがはハルにゃんだねっ。で、タイムマシンはいつ完成するんだい?」
だから言うなっていったのに。鶴屋さんに会うのは卒業式以来か。相変わらずあっけらかんとしていた。大学を出てから親父さんが経営する会社をいくつか任されているらしい。
「ええと、そっちは研究事業ということにして、ソフトウェア開発を主体に考えているんです」
「ほ~う。キョンくんそっちに詳しいんだ?」
「詳しいのは長門のほうでして、あいつが開発担当になる予定です。俺たちはもっぱら営業ですね」
俺は年度ごとの事業展開と収支の見込みをまとめた事業計画書(外様向け)を見せた。
 
「な~るほど。出資してもいいけど、ひとつだけ条件があるんだけどねっ」
「なんでしょうか」
「タイムマシンができたら、あたしを乗っけて江戸時代に連れてっておくれよ」
「そりゃもちろん」
まかり間違って完成するようなことがあったらですが。江戸時代って、まさか山に埋まっていたアレを調べに行くんじゃ。
「いやぁ、うちにはいろいろと謎の言い伝えがあるんっさ。それを調べに行きたいね」
これだけのお屋敷を数百年も維持している一族だ、いくつものミステリーが眠っているに違いない。
「それで、一億くらいあればいいかい?」
「……は?」
俺もハルヒも、目が点になった。
 鶴屋さんが言うには、会社経営じゃ一億なんてあっという間に消えてしまうものなのらしい。
「消えていくお金をどれだけ回収できるか。そこが社長の手腕よ、あはははっ」
なるほど、肝に銘じておきます。というかハルヒ、しばらく鶴屋さんのところで修行させてもらえ。
 
 とはいえまだ収入の見通しも立っていないので、初年度分の人件費と設備費を借りるだけにしておいた。資本金が一千万を超えないほうが税金が安いらしいからな。それに、ハルヒに大金を持たせたらえらいことになりそうだし。
 俺たちは三回くらい畳に頭をこすりつけて礼を述べ、鶴屋さんちを後にした。
「キョン、早速事務所を借りに行くわよ。まずは足場を作らないとね」
そんな、ビルの建設現場みたいに。
 
 翌日、俺は古泉と長門を呼び出して開業資金が調達できたことを伝えた。
「さすがは鶴屋さんです。本当の投資家というのは、あのような方のことを言うんですね」
ただ無謀なだけかもしれんが。
「社屋はやっぱり駅に近いほうがいいわよねぇ」
「僕の知り合いに不動産を扱っている人がいましてね。彼ならいい物件を知っているかもしれません」
知り合いって機関の連中か。古泉にこっそり尋ねてみた。
「ええまあ。不動産も営んでいますから」
「ゆりかごから棺桶まで何でも揃いそうだな、お前の機関」
「ええ、墓石もあります。お安くしておきます」
いや、冗談だから。
 
 古泉の案内で空き事務所を見に行った。さして古くはない雑居ビルの四階だった。これが北口駅から徒歩三分という、絶好のロケーションにあった。偶然じゃないだろこれ。
「明るくて広いし、いい物件ですね」
「ここにしましょう!ドリームも近いし。集合場所にも近いわ」
この歳になって市内不思議パトロールはいいかげんやめてもらいたいもんだが。
 
 月曜日、俺は今の職場に辞表を出した。友達と会社を作ることになったのでと言うと、上司が呆然と俺を見た。自分がクビになったら雇ってくれと涙ながらに頼まれたが、まだ俺自身が食っていけるかすらも分からないので考えておきますとだけ答えておいた。残りの一ヶ月は引継ぎだけだ。少し気分がいい。
 
 ハルヒは欠勤プラス有給消化でさっさとやめてしまっていた。通常は一ヶ月の余裕を見て辞表を出すもんなんだが、とても待てなかったらしい。
「キョン、次の土曜日に事務所開きをするわよ。SOS団のハッピを作ってくれるところ、探しといて」
事務所開きって……まるで涼宮組じゃないか。家紋入りの提灯も必要か。
 
 忙しい人ばかりにもかかわらず、週末にはいろんな知り合いが集まってくれた。出資者の鶴屋さん、機関の森さんに新川さん、多丸兄弟。喜緑さんも差し入れを持ってきてくれた。他にもハルヒの大学時代の友達やら、俺の前の会社の知り合いやらで賑わった。ちなみに今年高校三年になる妹もいた。
 まだ長テーブルとパイプ椅子しかないがらんとしたフロアで、団員四人と鶴屋さんがSOS団オリジナルハッピを着て酒樽のフタを割った。ハルヒは上戸だった。酒は一生飲まないとか言ってなかったか、おい。
 
 宴が終わる頃、ハルヒがぼそりと言った。
「みくるちゃんがいたら……巫女衣装で出てもらったのにね」
 
 それから一ヵ月後。俺は元の職場を無事退社し、今日が株式会社SOS団の初出社だ。昨日、やっと登記が済んだ。ハルヒは待てずにひとりで出社している。これまた殊勝なことに、机やらパーテーションやら内装やら、肉体労働を全部自分でやったらしい。
 
 出社第一日目となる今日、朝メシを食いながら新聞を開いて、目が飛び出るくらいに仰天した。覚えていると思う、十年前に俺とハルヒが東中のグラウンドに描いた謎の地上絵を。全面広告にアレが出ていたのだ。絵文字がでかでかと載っているだけで、何の宣伝ともどこの会社とも書いていない。でかい絵文字の下にちょこっとホームページのURLが書かれてあった。こ……このURL、SOS団のじゃないか。妙な焦燥感が俺を包んだ。なにかまずいことが起るとき、この感じに襲われる。これは緊急召集だ。
 俺は携帯を取り上げた。
「古泉、今朝の新聞見たか」
「ええ、見ました。涼宮さんが広告を出したんですね」
「そんなのん気なこと言ってていいのか。これの意味知ってるよな」
「ええ知ってます。載せるならSOS団のエンブレムでもよかった気がしますが。会社登記が済んだのでその記念でしょう」
「記念って。URLが書いてあるってことは集客するためだろう」
「涼宮さんがウェブに長門さんの秘書システムの紹介を載せたみたいですよ」
「全然聞いてないぞ。いったいいつだ」
「三日くらい前だったかと」
全国紙の全面広告だ、それでも十分すぎるくらいに宣伝効果はある。これでもし問い合わせが殺到したら。
「古泉、急ぎ出社してくれ。緊急事態だ」
俺は食いかけたメシもそのままに玄関へ走った。
「キョンくん、ご飯くらいちゃんと食べて行かないとだめよ」
妹が呼びかける声がしたが、そんなことを気にかけてる場合じゃない。俺は自転車を飛ばした。車なんかに乗ってる余裕はなかった。道々、長門に電話して事情を伝え大至急出社するよう頼んだ。順風満帆で起業できたと思ったら、いきなりこの暴風雨か。
 
「やっほー!早いじゃないのキョン」
やっほーじゃないよまったく。初日から飛ばしてくれるぜ。
「今朝の広告、お前の仕業か」
「そうよ~。なかなか派手な初広告でしょ」
「新聞広告って締め切りは最低でも一ヶ月前だろう。どうやって頼んだんだ」
「さあ。ちょうどキャンセルが入ったらしいからタイミングよかったんじゃないの」
そのタイミングとやらはきっとお前自身が作り出したんだな。ハルヒが鼻歌を歌いながら、近所で買い漁ったらしい新聞の広告ページを壁に貼り付けていた。
 
「全国紙で全面広告って、お前掲載にいくら払ったんだ?」
「三千万くらい、かな」
さ……さんぜんま……。眩暈がした。俺たちの給料の何年分なんだ。うちの資本金を軽く超えてんじゃないかよ。
 俺は時計を見た。まだ八時半だな。
「ハルヒ、あのな、全国紙ってことは軽く八百万人が見てるってことなんだ。仮にそのうちの一パーセントが興味を持って問い合わせてきたらどうなると思う?」
「電話が鳴るわね」
鳴るだけじゃないよまったく。
「殺到だ殺到!下手すりゃ一週間くらい電話対応に追われるぞ。電話だけじゃない、メールもパンクする」
「いいことじゃないの。こっちで客を選べるんだから」
分かってない、お前はなにも分かってない。俺は頭を抱えた。
 
「遅くなりました。おはようございます」古泉が顔を出した。
「……出社した」続けて長門も現れた。
初出社がこんなでなけりゃ、長門のフォーマルスーツ姿をじっくり眺めて心安らぐ余裕もあったのだろうが、それどころではなかった。
「お前ら、全員電話の前に座れ。今日一日電話対応だ。長門、事業内容と製品概要を軽くまとめて人数分プリントアウトしてくれ」
「……了解した」
長門にも意味が分かったようだ。手早く作業に取り掛かった。
「俺は燃料を調達してくる」
近所のコンビニに走った。食えなかった朝飯の分と、栄養ドリンク、のど飴、人数分のおにぎり、その他カロリーメイトなどなどを調達した。
 俺は時計を見た。もうすぐ九時を回る。そして今日が、SOS団のいちばん長い日の始まりである。
 
 
 
「お電話ありがとうございます、株式会社SOS団です!」
「どうもお世話になっております、SOS団です」
「……SOS団の、電話」
九時十分ごろから五つあった電話が一斉に鳴り始めた。新聞とホームページを見た客からの問い合わせに、事業内容とかろうじてひとつだけある製品の説明を繰り返し繰り返し伝えた。終業時間が来る頃には全員ノドが枯れていた。
 長門にはメール対応も頼んだ。形態素解析とかなんとかいうプログラム技術で、メールの本文を分析し内容に応じて自動返答する仕組みを作り、さくさくと処理していた。余談だが、ホームページのアクセスカウンタが桁が足りなくてとうとう壊れたらしい。かつてのハルヒ自作のSOS団エンブレムを上回る集客効果だ。
 電話は六時を過ぎても鳴り止まない。しょうがないので就業時刻を終えたメッセージを入れた留守電に切り替えた。
 
 当然ながらこの日、休み時間は一切なかった。午後七時、全員がぐったりと椅子によりかかっていた。ある者は机に突っ伏していた。メーカーのサポートセンターってきっとこんな感じなんだろうなぁとかぼんやりと妄想していた。
「ハルヒ……明日もこんな感じだぞきっと」
「悪かったわよ……」
「……緊急会議を提案する」長門がぼそりと言った。
ふだんから無口な長門に電話対応をさせたのは、ちょっとかわいそうだったが。イライラした客から上司を出せと何度も言われたらしい。
「会議?なにか議題あるのか」
「……受注数が予定で二十件を超えた。外注したほうがいい」
なるほど。長門は電話対応しながらまめに営業してたのか。
「二十件の注文が取れたの?すごいじゃない」
ハルヒが突然元気を取り戻した。
「……まだ、営業担当を訪問させる約束を取り付けただけ」
「それでもすごいわ、二階級特進して昇進よ!」
やれやれ、二階級特進が好きだな。ハルヒが腕章を取り出して副社長と書き込んだ。そのストックまだあったんだ。
「……拝命する」
長門は両手で腕章を受け取った。気のせいかもしれんが、嬉しそうだな。
「長門さん、昇進おめでとうございます」
古泉が拍手した。俺もしょうがなしに拍手した。そういえばハルヒと知り合ってからずっと、俺だけが腕章をもらってない気がする。いや別にいいんだが。
 
「外注っていっても、やってくれそうなところがあればいいが」
「……心当たりは、ある」
長門がスクと立ち上がった。
「って、これから行くのか?」
「……そう。来て」
いくらアウトソースといっても、アポくらいしていったほうがいいんじゃないだろうか。この時間だし。
 ぞろぞろと三人で長門の後をついていった。エレベータに乗ったが、長門は三階のボタンを押した。
「このビルか?」
「……そう」
偶然にしちゃえらく近くにあったもんだな。俺たちの部屋があるちょうど真下に、IT関係っぽいカタカナの名前の会社があった。規模はそれほどでかくなさそうだが。
 
 俺はドアの前でインターホンを押した。
「すいません、営業担当の方、いらっしゃいますか」
「どちらさまでしょうか?」
「上の階に事務所を構えている株式会社SOS団と申しますが」
そこでインターホンの向こうから咳き込む声が聞こえた。
「な、なんですって!?」
「突然で申し訳ありません。お仕事をお願いできないかとご相談に上がった次第なんですが」
「ちょ、ちょっとお待ちを」なぜか慌てている。
ドアが開いてわらわらと人が出てきた。
「な、なんでキミタチがこんなところにいるんだ!」
誰かと思えば。見覚えがあるどころか、忘れもしない。朝比奈さんとの強制セクハラ写真を撮られた挙句、パソコン一式、いやそれ以外にノートパソコンまで取られたあのコンピ研部長氏だった。あのときの部員が全員いる。
「あら、あんた。コンピ研の部長じゃないの。お隣さんだったのね」
「部長じゃないよ!社長だよ社長」
「奇遇ね。あたしも社長なのよねぇ」
これはどう考えても奇遇じゃないだろ。俺はちらりと長門を見た。長門は我関せずの顔を決め込んでいた。
 
 数年ぶりのご対面がこんなだったが、いちおう客として応接に通してくれた。
「で、なにしに来たのキミたち」
「新聞広告出したら注文が殺到しちゃってさあ。うちの仕事手伝ってよ。報酬はそうね、あんたんとこが三でうちが七でどう?」
まるでありがたく仕事をくれてやる態度だな。俺たちがやったのは電話対応だけじゃないか。ぼったくりにもほどがある。
「残念だけど、僕たちもう廃業するんでね」
「えっ、そうなんですか」
俺は驚いた。この人なら技術も経営ノウハウも十分ありそうなのに。
「この業界って仕事の取り合いでなかなか難しいよ。最近は人件費が安い海外の企業に流れることが多いし」
生半可な気持ちではじめた俺らとはえらい違いだ。うちもうかうかしてはいられない、明日はわが身かもしれん。
「一年前に意気揚々とはじめた会社だったのに、残ったのは債務の山だけ。このパソコンも全部抵当なんだ」
部長氏は愛する機材をなでなでしながら大きくため息をついた。
「じゃあ、あたしがあんたたちを買い取るわ。企業買収って一度やってみたかったのよねぇ」
「おいハルヒ、そんな金どこにあるんだ」
「なんとかなるわよ。うちの実家を担保にしてもいいわ」
お前の親父さんが汗水たらして二十年間ローンを払いつづけてる一戸建てをか。いくら一人娘とはいえそれは酷なんじゃ。
 
 部長氏を見ると難しい顔をして呆然としていた。これが沈みかかった船への救助なのか、あるいは地獄の日々がはじまる予兆なのか考えているようだった。
「もう、好きにしてくれ……」
「じゃあ、あんたにはシステム開発部部長の肩書きをあげるわね」
「なんでもいいよもう」
「担当副社長は有希だから、この子に任せるわ。あんたたち、有希のこと好きでしょ」
「ええっ、ほんとかい?」
「有希、こいつらの面倒みてくれるわよね?」
「……たまになら」
部長氏は願ったり叶ったりといった感じで手を打って喜んだ。まあ、コンピュータが分かる者同士、長門とならうまくやっていけるだろう。
 
 部長氏の会社は看板が変わっただけで、今日付けでうちのシステム開発部に吸収合併された。株式会社SOS団はメンツも増え九人になった。いよいよ大所帯だな。
 
 部長氏の負債だが、出資者の鶴屋さんに頼むほかなく、結局全額引き受けてもらうことになった。実家を担保にしなくてよかったな、ハルヒ。まあこれだけ受注が来てるんだ、全部掃けたら保守費も取れてうまい具合に回るだろう。副社長の長門は三階と四階のフロアを往復する毎日だった。大学院の授業もあるだろうにご苦労だ。俺も営業に回れるだけの知識を得るべく、しばらくは長門に教えてもらいながら勉強の日々だ。
 


 
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最終更新:2008年01月29日 18:43