俺は夢を見ている。
真っ暗で何も無い空間。
どちらが上でどちらが下なのか分からない。方向感覚が麻痺しているようだ。
そんなところに俺とどこか見覚えのある一人の女の子だけが存在していた。
『ねえ。あなたは、―――さんはわたしのことを許してくれると思う?』
その空間に女の子の発する言葉が静かに響く。肝心の名前のところが聞き取れない。
どうしたいきなり。なんでそんなこと言うんだ?
『わたしはね、―――さんが幸せになるならどんなことでもする。けれども、一体どんなことが―――さんの一番の幸せなのかしら』
そいつがどこの誰だか知らんが、とにかく一緒にいてやればいいんじゃないか?
大事に思ってるなら一緒にいたいってもんだろう。
『わたしには分からないな。けれども誰だって本当にいいことをしたら、一番幸せなのよね。だから―――さんは、わたしをいつかきっと許してくれるわよね?分かってくれるわよね?』
お前が何を言いたいのかよくわからんが、そうなんじゃないか?
『ふふっ、どうもありがとう。わたし、これで安心した……』
暗闇に浮かぶその彼女の顔は何か本当に決心しているように見えた。
なあ、お前は何をそんなに悩んでいるんだ?俺に話してみろよ。楽になるかもしれんぞ。
俺がそういうと、彼女は俺の方に悲しい笑みを向ける。
その瞬間びゅうと一陣の風が吹いた。
とっさのことで驚いて目をつぶった俺が再度目を開いた時にはもう彼女の姿は無く、その代わりに見覚えのある教室に俺は立っていた。そう。夕日に染まった、あの教室である。
しばらくその場に立ち尽くしていると、脳に送り込まれる映像がだんだんぼやけてくる。
あれ・・・?さっきあの子、なんて言ってたんだっけ?
少し前までの記憶までもが薄れて・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・
「ぅん・・・ぐむ・・・」
胸に軽い圧迫感を感じて目が覚める。天井を見つめていた視線を自分の腹のほうに向けると、そこには俺の上でぐー、と眠る涼子の姿があった。
妙にその姿が愛しくなってそのままにしておく。いや、正直に言うと実はこっそり抱きしめた。と言うより体が勝手に動いていた。しょうがないだろう。なんか込みあげてくるものがあったんだからな。言い訳はせん。事実だ。
「それはそうと…」
さっきの夢は何だったのだろうか。
確かどっかで見たような奴が出てきたような気がしたのだが・・・
どんな夢だったか、なんていうのはほとんど覚えていないので推測でしか話せないが、とにかく変な夢だったような気がする。
腹の上に涼子を乗せたままぼーっと考えるが、さすがは寝起きの頭、ということで全く働こうともしない。
おいおい、ちゃんとしてくれよ。俺の脳みそ。元々性能が悪いのは知っているが、こういうときくらいまともに動いてくれ。
まあそれはおいといてだな。
何か忘れている気がする。涼子のことではない。俺が忘れるわけないだろう。いくら現実逃避がしたいとはいえ、そこまで終わっているつもりは無い。
それとは別に何か大切な何かがあったような気がする。
はて、なんだっけ。
今日は長門と涼子と一緒に街に散歩に行く予定だしな・・・
変に遊びまわるよりも、あいつが思うままに行きたいところへ行かせたほうが楽しいだろうし、俺自身新しい何かを見つけられるかもしれない。きっと色々な思い出もできるだろう。
そういう面で考えると最後にはぴったりなのではないだろうか。
「ん?」
二つのキーワードが俺の頭の中に引っかかる。
「散歩?何かを見つける・・・?」
・・・・・って今日はSOS団の不思議探索の日じゃねえか!どうして今日に限ってこんなのがあるんだよっ!
どうする!?どうやって休む!?俺一人が休むのなら、妹がどうたらとかで適当に理由を作れば、後で罰があるとはいえ休むことができるだろう。
だが長門はどうする?変に夏風邪を引いた、とか連絡すると不思議探索がお見舞いにチェンジする可能性もある。もしそうなったら完全にアウトだ。
だからといって知り合いが来ている、とかだと怪しいし・・・
ええぃ!どうすりゃいいんだ!?
「うぉ!?」
その時俺の携帯がけたたましい音を発した。
どうやら着信メールのようだ。枕元の携帯に手を伸ばして恐る恐るメール受信ボックスを開く。
そこに表示されていた差出人の名前は我らが団長であり、今俺が最も恐れている人間、涼宮ハルヒであった。
メール一つでここまで驚く必要もないだろう、と思えるくらいビクついた手で届いたばかりのメールを開こうとする。
・・・・・が指が震えて上手くボタンを押すことができない。
はぁ。俺はなんて情けないのだろうか。
やっとのことでそのメールを開くとそこには・・・
【From:涼宮ハルヒ】
【Sub:今日の団活について】
タイトルは俺の頭を悩ましているものをストレートに現していた。
ここまできたらもう後は野となれ山となれ。割り切れよ、でないと死ぬぜ?
ということで俺はゴクリ、と一旦唾を飲んでから一気に本文に目を通した。
【本文:今日は団活は中止っ!お母さんが体調崩しちゃって家から出られないのよ。
だからあなたたちで不思議を見つけときなさいっ!】
・・・・・良かった。ほっとため息が出る。
こう言うとハルヒのお袋さんに悪いが、正直助かった。恩に着ます。
今日だけは何があっても無駄にすることはできないからな。
まさか・・・。長門、考えたくも無いがお前が何かやったわけじゃないだろうな?
「うぅ~ん・・・・・」
俺の上に乗っかっていた涼子がモゾモゾと動き出した。眠そうな顔だけを、目をゴシゴシしながらこちらへ向ける。
「涼子>ハルヒ」の公式によりハルヒのことが俺の頭からきれいサッパリ抜け落ちた。
「おとーさん・・・・・おはよー・・・」
ふわぁと一つ欠伸のオマケが付いてきた。どうやらさっきのメール着信音で目を覚ましたらしい。
「おはよう、涼子。起こしちまったか?」
「うーん・・・でもねぇ・・・そろそろおきたかったのー」
そろそろ起きたいとか言ってるがお前はついさっきまで寝てただろうが、と苦笑が漏れる。
娘はまだ寝ぼけているようだ。まだ目が半分ほど閉じたままである。
まあ確かに時刻はもうすぐで九時、といったところだから起きる時間としてはちょうどいい時間かもしれん。
「お、そうか。それじゃ俺から降りてくれ。お前が降りてくれないと父ちゃんが起きれんからな」
「えー、やだー」
と言って俺の腹にぎゅうと抱きついてきて、頬を摺り寄せてくる。おいおい、起きるんじゃなかったのか?
「だっておとーさん、あったかくてきもちんだもん」
確かに俺も抱きつかれて暑い、というふうには感じない。今更になって気がついたのだが、耳を澄ますとガーッという機械音が聞こえる。どうやら微妙に空調が稼動しているようだ。
ということは・・・横を見るともうそこには予想通り長門の姿は無かった。
恐らく空調を入れておいてくれたのは長門だろう。今日もまた早起きして俺たちの朝ごはんの準備をしてくれているのだろうか。
だとしたらそれこそ早く起きなければ長門に悪いってもんだろう。こうなったらこの寝ぼすけを何とかして起こさなければ。
「早く起きないとやりたいことができなくなっちまうぞ?涼子は今日なにがやりたいんだ?」
【作戦コード:遊びたかったら起きなさい】を発動する。こうすりゃきっと起きるだろ。うん、我ながら中々いい作戦ではないか。だが、ターゲットの返事は俺の予想をはるかに凌駕するものだった。だってだぞ。普通こんな返事が来るなんて思いもしないだろ。
やれやれ。一体誰に似たんだか。
「うんとね、わたし・・・こーやってたい~」
顔を俺の腹に埋めてきた。つまり・・・お前は寝ていたいんだな?
「うんっ~。わたし、おとーさんのうえでねてたいの~」
そんな純粋で眠そうな笑顔を見せられたら断れるわけ無いだろうが。それにこいつの願いがこれだっていうんなら俺はその願いを叶えてやるだけさ。
「仕方ないな、それじゃ三十分だけだぞ?それ以上は外に出かける時間がなくなっちまうから駄目だ」
「うん~っ」
返事だか欠伸だか伸びだかよく分からん返事をしてから涼子はずるずるとうつ伏せのまま俺の胸あたりまで這い上がってくると、俺を抱き枕のように抱いてもう一度目を閉じた。
「おやすみー、おとーさん・・・」
「おう、おやすみ」
俺はその背中を赤ん坊をあやすようにリズム良くトントンと叩いてやる。
すまんな、長門。朝食はもう少し遅れる、と俺は心の中で手を合わせた。
そして俺は涼子の寝顔を覗き込む。こいつが今日いなくなっちまうなんて正直未だに信じられない。昨日今日と一緒に過ごしただけだが、俺にとってはもう既に家族の一員だ。
なにも、過ごした時間の長さだけが家族の絆と言うわけでもないだろう。
ようは自分の心の中にどれだけ根を張っているか、安らぎとなるか、つまるところ自分の帰るべき場所となるか、ではないだろうか。
もちろん恋人とは別だろう。俺自身恋愛と言うものをしたことがないのでよく分からないが、家族が帰るべき場所ならば恋人とはさしずめ守るべき場所、といったところだろうか。その辺は俺なんかよりももっと詳しい奴がいるだろうからそいつに聞いてくれ。
話が脱線してしまったようなので元に戻すが、帰るべき場所か否か、というならこいつはもう十分すぎるほどに俺の帰るべき場所である。
こいつの笑顔に何度癒されたことか。
こいつにどれだけの幸せを分けてもらったことか。
俺は自信を持って言える。こいつは俺の家族だ。誰がなんと言おうと俺の娘だ。
もうすでに早々と夢の世界へ再び旅立っていった我が愛娘の寝顔を見つめる。
その寝顔を心の中に刻みこむようにじっくりじっくり見つめる。
一瞬目頭が熱くなったが気合で押しとどめた。お前はこいつの前で泣いてはいけないのだろう、と。
最初で最後の涼子との昼寝。朝っぱらからの昼寝。
もう一度だけその小さい身体をぎゅうと抱きしめてから目覚ましを九時四十五分と、少し長めに設定する。できるだけこいつの願いを聞き届けたいというのもあるし、俺自身ができるだけこうしていたいという思いがあったからだ。
そうして俺は胸にかかる重さを感じつつ自分のまぶたを閉じた。
最終章-朝ごはん・バタートースト-へ