柔らかな日差しがカーテン越しに伝わり、部屋内をほのかな暖かさで包み込む。
半時ほど前に摂取した昼飯が、ちょうど腹の辺りでゆっくりとぐるぐる蠢いている。気がする。現在、俺の体内ではそれらを消化するのに全力を尽くしていて、全エネルギーが腹に供給されている。
そのためか、余分なエネルギーは一切無い。腹以外には供給されていないのだ。それは俺の思考能力に対しても例外ではない。時機に俺の脳内に残存するエネルギーは底を突く。そうなれば、強制的に夢の世界へと誘われることとなり、気付いたときには、部屋内はオレンジ色で満たされていることとなるだろう。
うん、それも悪くない。いや、是非それを歓迎したい。眠ることは人間にとって必要不可欠なものだ。そのための条件はばっちり揃っている。まず、暖かい部屋。次に満腹の状態。そして、午後からは何もすることがないという素晴らしい休日。
惰眠を貪るには絶好の機会だ。そうと決まれば、早速寝よう。善は急げ、だ。
俺は嬉々としてベッドに潜り込む。目を瞑れば、直ぐにでも飛び立って行けそうだ。
「おい、今から出かけるから支度しろ」
……萎えた。なんかすっごい興を削がれた。
ノックも無しに部屋に入ってきた親父は藪から棒に言う。くそ野郎め。
俺は上半身だけを起こし、アホな侵入者を睨む。
「いやだね。一人で行け。くそ親父」
捨て台詞を残し、俺は再びベッドの中へと潜り込む。ふん、馬鹿馬鹿しい。
親父はそれを好く思わなかったのか、大きく鼻息を漏らすと、つかつかと俺の方へと歩み寄ってきた。そして、何の躊躇も無く、掛け布団を思いっきり剥いだ。
「いいから出かけるぞ。さっさとしろ。馬鹿息子」
俺は再び睨みながら言う。
「いやだと言ってるだろ。面倒くさいんだよ。布団返せ!」
「いいのか? そんなこと言って」
親父には何か案があるらしい。大したことでもないくせに。
「どうなるんだよ?」
「来月、再来月、そのまた次の月までお前の小遣いは無しだ」
「……」
「どうだ? 来る気になっただろ? なら、早く準備しろよ」
親父はそう言い残し、部屋から出て行った。
くそっ。納得いかねえ……こんな単純な手なのに……。
俺は渾身の力でベッドを殴った。
渋々、親父に付き添うことになり、俺は簡単に身支度を整える。準備を終えると、すぐさま俺たちは出発する。
出発するとき、お袋は俺たちのことをかなり訝しんでいたが、親父が適当に誤魔化し、お袋は家に残ることとなった。
どこに行くのか知らされてないまま、出発して何メートルか歩いた後、親父に訊いた。
「何でお袋を家に残したんだ?」
「ん? ちょっとな」
訳も分からないまま、駅に到着し、電車に乗り込んでから、親父に訊いた。
「いったい何処を目指しているんだ?」
「ん? ちょっとな」
電車から降り、また歩き出してから、親父に訊いた。
「目的は何なんだよ?」
「黙って付いてこい」
親父は俺が何を訊いても答えてくれない。息子を連れ出すなら、せめて理由くらいははっきりしてくれ。出し惜しみしてんのかよ。このくそ親父。
せっかくの休日が勿体無い。空は雲一つ無く、鮮やかな水色が広がっている。生暖かい風が周りの草木をそよそよと揺らし、ついでに俺の頬をも撫でていく。先月には目にすることの無かった、白や黄色のリボンもひらひらと宙を舞っている。
忌々しい。何故、俺はこんな良い日にむさい親父と二人で歩いているのだろうか。これが数日前にあった綺麗な女性なら至福の時間を過ごすことができたのに。昼寝という対価を払った行為が無駄だ。今からでも遅くはない。Uターンして家を目指そうか。……向こう三ヶ月が死活問題だな。
やれやれ。不条理なもんだ。
どんどん道行く人々が増えてきた。目的地は都会の方にあるらしい。
頭の中で親父に対する罵詈雑言が原稿用紙十枚分を軽く超えたところくらいでその張本人が声を掛けてきた。
「着いたぞ」
それしか言うこと無いのかよ。「やっと着いたな。疲れただろう。ジュースでも買ってやるぞ」みたいに、気を利かせろ。まったく。
俺たちが到着した場所はここら辺では一番大きなデパート。ここで親父の目的が買い物であることが分かった。しかし、何が欲しいのかはまだ分からない。
「何を買うつもりなんだ?」
「それを決めるためにお前を連れてきたんだ」
はっきり言おう。俺は親父の言ったことを解することができない。
「はあ? 何で俺がそんなことしなきゃいけないんだ?」
「実はな――」
親父が言うには、もうすぐ親父とお袋が初めて出会った日が近いのだと。毎年、何かしらプレゼントを贈っているのだが、あのお袋だ、親父の贈り物に対して苦情だらけで、やれセンスが悪い、やれこんなんじゃ宇宙人が寄って来ないなど、もう滅茶苦茶らしい。
思い返してみれば、過去にそんな場面を何度か見たことがある。確かに、親父は不平不満を罵られていた。「来年こそは……」、とか言っていた気がする。
しかし、それには続きがある。親父は分からないだろうが、プレゼントを貰ったときのお袋の顔は本当に幸せそうだった。若造ながら思う。あれはきっと照れ隠しなんだと。証拠にそのプレゼントの数々は家のある場所に大事に保管してある。
まっ、そんなことを親父に教える気はさらさら無い。黙っていた方がおもしろいからな。
「――と言うことだ。今年こそはハルヒを見返したいんでな。お前も協力してくれ」
そういう話なら喜んで協力しよう。親父のためならまだしも、お袋のためだ。ここで協力しない訳にはいかないだろう。
「分かった。力になってやるよ」
そう聞くと、親父は満足したらしい。そのせいか、こんなことを付け加えた。
「結果次第では、来月の小遣いは三倍だな」
俄然とやる気が出る。現金な者だな、俺も。
デパートの中に入り、俺たちは看板を出している様々な店を物色して回る。休日のためか、たくさんの人々でごった返している。
アクセサリー、バッグ、靴などを並べる誰もが名を知るようなブランド店をいくつか見て回る。どの店も一流と言うことで、商品についている名札は頭がくらくらする物ばかりである。
親父に聞けば、行きしなにずっと黙っていたのは予算のことを考えていたのだと。しかし、そんなけち臭い考えも消滅した。予算のことを考えていたからと言って、どうにかなる金額ではない。
少ない予算ながらも買えるものはないかと、男二人であーだこーだ、と言いながら、数々の店を徘徊する。
暫くして、俺はある重大な点に気付いた。タイミング良く、隣にいる親父も気付いたらしい。もっと早く気付くべきだったな。
「親父。一つ訊いていいか。俺を連れてきた意味ないだろ?」
「奇遇だな。俺もそう思い始めていた」
やっぱりそうだよな。曲がりなりにも、俺と親父は親子だ。ちゃんと血が繋がっている。そして、俺はよく親父に似てる――内面的なとこだ――と言われる。お袋も言っていたし、たまに遊びに来る長門さんや古泉も言っている。数日前にも言われた。
そんな似たもの同士が意見を出し合って意味があるだろうか? 答えはNOだ。
「人選ミスだな」
「そうだな。どうするか?」
「お袋に直接電話して訊いたらどうだ?」
「馬鹿野郎。そりゃ本末転倒だ」
どちらが始めるとも無く二人とも自然に笑い出してしまう。とんだ間抜け親子だ。
「古泉にでも訊いたらどうだ?」
「一応『さん』を付けろよ。まあ、古泉か。喜んで教えてはくれそうだが」
端から見れば、可笑しな二人に見えただろう。本人がそう思っているんだから仕方ないな。こういう馬鹿げたことは嫌いじゃない。
そんな状態で歩いていると、一つの小さな店を見つけた。
その店の両隣は有名ブランド店で、素人目に見ても肩身の狭い思いをしている気がする。店内を覗き込んでみるが、客らしき人はいない。主に装飾品を扱っているようだ。
「親父、この店気になる」
なんとなく。なんとなくこの店が気になったのだ。理由は分からない。不思議が俺を呼んでいるんだ、とでも言えば、お袋は歓喜したに違いない。
「んー、見てみるだけだぞ」
親父はあまり興味が無い。というか、俺みたいに不思議電波を受信しているわけでは無さそうだ。
店内に入ると、今まで居た世界とは雰囲気が違う、どこかの歯車がずれているという気がした。セピア色の光が照らし、聞いたことのあるようで聞いたことのない静かに心の奥底を刺激するBGMが流れる空間。
元の世界とは隔絶された空間。自分でも妄想甚だしいと思う。そんな世界が存在するはずがない。春の陽気でついに呆けちまったか
中をぐるっと一周する。小さい店なので数分足らずで全てのものに目を通すことができた。どの商品も手が出ないほどの金額ではない。むしろ、手頃な価格だ。
お袋が満足できる贈り物。それを探し出すのは困難なことではなかった。
シックスセンスと言うのだろうか。脳裏に一閃が起こったんだ。敢えて、擬音を付けるならピキーンだろう。トゥクティンも有り得るかもしれない。
「親父、これ良くないか?」
俺は隣に居た親父と同じ商品を見ながら言う。
「ああ。それだったら、ハルヒも納得するだろうな」
親父もうんうんと首を縦に振る。
「値段もそんなに高くないし、何より絶対にお袋に似合うはずだ」
「これまた奇遇だな。俺もそう思ったよ」
「当たり前だ。俺らは親子だからな」
一瞬、何とも言えない空気が流れる。しかし、居心地は悪くない。
「そうか。親子だもんな。考えることは一緒か。よし、じゃあこれにしよう。二人が納得して推薦するんだ、これ以上のものは存在しないはずだ」
親父はその商品を手に取り、精算するためにレジへと持って行った。
親父の表情は今年こそ、という何だかよく分からない意気込みが感じられた。見ていて、むず痒い。
お袋もきっと喜んでくれるはずさ。今からでも、幸せそうに笑うお袋の姿を容易に想像することができる。そして、それに照れるだらしない親父の姿も付属品みたいに付いてくる。
優しいママに、頼もしいパパ。そして、元気な子供。
理想のような家族ではない。おっかないお袋、だらしない親父。そして……俺はいいや。
でも、悪くはない。
俺はこういうのが好きなんだから。
こんな状況だが思ってしまう。俺はこの家族の一員になれて幸せだと。
デパートでの買い物を終えると、俺たちは足早に家を目指す。なんでも、さっきから引っ切り無しに親父のケータイが泣き叫んでいるからだ。もちろん、それはお袋から。
見た目は天使のように美しくても、怒ると悪魔ですら逃げ出してしまうほどの人だ。俺も、当然親父もそのことは分かっているので反抗しようとはせず、ただただ素直に足を動かすのであった。
歩いているのか、走っているのか微妙なペースで、やっとこさマイホームに到着する。僅かに開けられた窓から食欲をそそる良い匂いが出ている。急げと――ケータイを鳴らして――言ったのは、このためか。
「ただいまー」
親父に続き、俺も家の中へと入る。それと同時に、台所の方から窓ガラスを割る勢いの大きな声が聞こえた。
「遅いわよ! どこ行ってたのよ! ご飯が冷めちゃうじゃない!」