森園生の溜息
 
 ぽかぽか陽気の過ごしやすい日、俺はまたぼけーっと文芸部室にいるわけだが、どうしてそんな時間の無駄をやっているのかと
問われれば、大抵の人間の日常の無駄に過ごしている物である、別に俺のSOS団の部室にいる時間が他人の過ごしている時間と
大差ないと声を大にして反論したい。それにたまに起きる奇想天外な事件は、その退屈な日常の埋め合わせどころか、
お釣りが来るほどのセンセーショナルに襲われるからな。
 そんな暇をもてあましている中、何やっているのか知らないが、珍しくハルヒは長門と朝比奈さんとともに
ネットに没頭中である。何をやっているんだとディスプレイをのぞき込もうとしたが、
どうやら男子禁制のものを閲覧しているらしく、画面ごと隠された上にハルヒからエッチバカスケベ変態とまで言われてしまった。
なんなんだ一体。
 ほどなくして、SOS団女子3人組はいそいそとどこかへ出かけて行ってしまった。行き先は具体的には教えてくれなかったが
学校外に出てくるらしい。もちろん朝比奈さんはメイド姿のままだったが、本人はもう諦め気味に頷くだけである。
 そんなわけで今日のところは男子のみ解散という流れになると思いきや、何とハルヒたちが戻ってくるまで
部室から出ないように厳命されてしまった。おかげで、部室に軟禁されてしまった俺と古泉副団長なわけだが、
時間を潰すべくやってきたボードゲームもやり尽くしてしまった状態である。
 ……何というか、男子二人と部室に二人っきりというのは正直息苦しい。当の古泉の野郎は仏頂面で動かないが、
一体こういうときは何を考えているんだろうね、こいつは。
 ま、二人っきりというのも余り無いので、せっかくだから話を振ってみることにする。
「なあ、古泉。聞いてみたいことがあるんだが」
「何でしょうか? あらかじめ言っておきますが、答えられることと答えられないことがありますので」
 といきなり釘を刺されてしまった。やれやれ、ぼーっとしているようで警戒感の強い奴だ。
 俺は何を聞こうかある程度思考をめぐらせてから、
「最近あの化け物――神人を倒すのもめっきり減ったんだろ? なら以前は相当頻繁に発生したのか?」
「ええ、涼宮さんは中学時代はイライラしっぱなしでしたからね。一日二回なんていうのもしょっちゅうですよ。
おかげで機関は常時臨戦態勢でしたから」
「せっかくだから、その神人討伐の時のおもしろいエピソードを話してくれよ。暇つぶしにはちょうど良さそうだからな」
「ほう……あなたもようやく機関の働きを知りたくなってきたんですか?」
 くくっとにやけた笑みを薄気味悪く上げる古泉に、俺は眉をひそめて手を振りながら、
「どうせやることもないからな。退屈しのぎだ」
 そんな俺に古泉はしばらく真剣なまなざしで考えて、
「……良いでしょう。せっかくなんでとっておきのエピソードを紹介して差し上げます。そう……」
 古泉は俺に視線だけ向け、
「僕が初めて機関に入り、神人と対峙して――そして、森さんと出会った話をね」
 
 
~~~~~~~
 
 4年前、僕は突然自分に特別な能力が備わっていることに気がついた。
 いや、気がつかされたと言うべきだろう。
 ある時点を境に世界を作り出したかも知れないと言われる少女。涼宮ハルヒ。
 彼女によって僕はある能力を与えられ、役割を与えられた。
 
 それは彼女のストレスが最高潮に達したとき、発生する閉鎖空間、その中に生まれる周囲を破壊し尽くす神人を倒すこと。
 自らの止められない感情の暴走――神人という新種の病原菌を作ったのと同時に、彼女の理性はその治療薬を作り出したのだ。
 
 だが、最初僕はその役割を受け入れられなかった。どうしても自分の能力を受け入れられず、
しばらくふさぎ込んだ生活が続いた。昼夜問わず、閉鎖空間が発生したことを感じ取り、神人の破壊行動が頭の中に
鮮明に映し出され続けた。学校にも行かなくなり、夜もろくに眠れず、ただベッドの中で耳を塞ぎ続けることしかできなかった。
その状態が続けば、僕は自殺という道を選んだかも知れない。
 でも、変わった。僕と同じような役割を与えられた人たちが組織した『機関』という存在が僕を迎えに来た日に。
 
 僕は身支度を終え、機関へと赴くことになった。最初はあまり乗り気ではなかったが、一人でいてもふさぎ込むばかりで
何も変わらない。どうせなら同じ仲間のいるところへ行った方が気が紛れるだろうと思ったからだ。
 機関の用意した自動車に乗せられた僕が連れて行かれた先は、ごつい男たちが巣くう軍事基地だった――
 
~~~~~~~
 
「おいちょっと待て」
 思わぬ展開に、俺は話し途中で思わず突っ込んでしまう。だが、古泉は首をかしげ不思議そうな顔を浮かべると、
「何か変なところがありましたか?」
「機関ってのは超能力者の集団だろ? 何で軍事基地が出てくるんだよ。鉄砲や大砲は必要ないはずだ。
お前のような超能力があればな。大体、軍隊でもあのバケモンは止められないと言ったのはお前だろ?」
「確かにそう言いましたが、最初から超能力者があっさりと神人を倒せると思っているんですか?
それに怪獣映画にしろ何にしろ、現実で最初にそういった脅威に持ち出されてくるのは銃や大砲のような兵器です。
倒せるとは分かっていても、ろくに使ったこともなく、信頼性もない超能力に頼る人はいません。機関も同じです」
「じゃあ、最初は普通の軍隊が倒していたってのか? お前の話と矛盾するじゃねえか」
「倒すのは超能力者ですが、とどめだけです。そのサポートに軍隊を利用したんですよ。牽制や移動など当時の超能力者だけでは
とても対応できませんでしたからね」
 古泉の説明に、俺はふむと頷き、
「なるほどな。だが、初期の機関ってのはそこまで困窮していたのか?」
「金銭面ではそこまでせっぱ詰まっていませんでしたよ。バックに大きな勢力がいましたからね。ただ……」
 古泉は一旦視線をそらすと、
「肝心の超能力者がいなかったんですよ。僕が機関の敷地に初めて踏み込んだとき、まだ他に一人しかいませんでしたから」
 
~~~~~~~
 
 名前は?
「……古泉一樹」
 基地の事務室っぽいところで、直立不動で質問に答えていた。名前、歳、性別、経歴……耳のアカまで
ほじくり返されそうな勢いだ。
 話を聞くところに寄ると、どうやらここは機関の本部というわけではないようだった。どちらかというと、
最前線基地といったところか。神人が現れると、ここから部隊が飛び出て閉鎖空間に突入するというわけだ。
 ほどなくして事務処理を終えると、僕は基地内を一回り案内してもらえることになった。
 そこまで大きくない基地に200名ほどの戦闘・事務要員がひしめき合っているため、かなり混雑しているように感じる。
しかし、迷彩服のようなものを身につけている人たちは、がりがりにカットされたごついおっさんたちが
僕を睨みつけるように睨んできて、物陰に隠れたい気分になった。
 しばらくして、射撃訓練場に着く。パンパンと銃声が鳴り響き耳が痛くなってきた。
 そして、そこから一人の兵士が現れた。僕を案内してくれた事務の人と一言二言言葉を交わすと、
ヘルメットを降ろし素顔をこちらに見せてきた。
 これから君の面倒を見てくれる人だ、挨拶を、と事務の人が言う。僕はその姿にしばらく唖然となってしまった。
「……森園生です。よろしく」
 やる気のない声。それは若い女性のものだった。
 
 翌日、僕は森さんに連れられて、ブリーフィングルームに行った。神人について詳しく教えてくれるらしい。
 室内には年老いた指揮官や立場の高い機関の人たちがいた。物珍しそうに僕の顔を眺めてくる。
「座って」
 森さんに促されて、僕は一番前の席に座る。
 ほどなくして、機関の人たちの自己紹介が始まった。機関の上層部と思われる人たちは日本人だったが、
軍隊の指揮官は外人だった。紹介を聞く限り、機関に雇われた傭兵らしい。
 始めよう、と機関の人が口を開いたのと同時に、ブリーフィングルームのモニターに一人の少女が写しだされた。
歳は僕とさほど変わらなそうで、長めのストレートな髪型が目につく。
容姿は、はっきりと自分の趣味に従って感想を述べるなら、めちゃくちゃかわいい。
僕が今まで出会った中ではトップクラスに属するのは間違いない。
 しかし、何だろうか、映像を通しても伝わってくるまがまがしさは。恐怖すら感じる。
「これがあなたに力を与えた涼宮ハルヒよ」
 僕は森さんから告げられた言葉を聞いて愕然となってしまった。
 こんな年端もいかない少女が僕に得体の知れない力を与えたって?
 その通りだ、と初老の指揮官が言う。そして、次に映し出されたモニターの映像を見たとたんに、
僕は椅子を蹴飛ばして後ずさった。
 白く光輝く巨人。全身は人の形を成しているが頭身に対して短い足、異様に長い腕……僕の頭の中に
フラッシュバックされ憶を蝕み続けたあの化け物だ。
 その恐怖心に耐えられなくなった僕は頭を抱えて床に突っ伏してしまいそうになるが、
「ちゃんと話を聞いておきなさい」
 と、森さんが無機質な口調で僕を抱え揚げ元の椅子に座らされた。
「……今の内に慣れておかないと、後で後悔することになる。本当よ」
 続けて言われた言葉には――何か特別な感情が込められていた感じがした。
 続けても大丈夫か?と指揮官が確認してくるが、僕は数度深呼吸して、
「大丈夫です。続けてください」
 そう返した。ここで逃げ出せば家から一歩も出られない引きこもり状態に逆戻りだ。
なんのためにここに来たのか思い出すんだ。僕の返事とともにモニター内の化け物が動き出す。
かなりの巨体のはずなのに、自らの重みを全く感じていないような軽い動作で走り始めた。
一歩踏み出す度に辺り一面の建物が激しく揺さぶられるところを見ると、あれは幽霊みたいなものではなく、
実体を持った何かであることがわかる。ほどなくして光の化け物が腕をふりおろして、手近にあったビルを粉砕した。
轟音とともにそれがまるで破裂するように、辺り一面に残骸が飛び散る。
「あれが涼宮ハルヒのストレスが最高潮に達したときに現れる怪物。私たちはそれを神人と呼んでいる。
我々が住む現実には出現せず、あくまでも彼女が作り出した閉鎖空間と呼ばれる隔離された領域のみで暴れる」
 森さんの言葉に僕はただ唖然とするばかりだ。自分と大差ない歳の少女があんなものを作り出しているのか。
 初老の指揮官が言う。
 現在、閉鎖空間とその内部で破壊活動を行う神人を確認したのは26回。これらに関してはすべてこちらで掃討を完了している。
失敗は一度もない。最近では奴――神人の動きも理解できているため作戦の遂行はきわめて円滑に行えるようになっている。
一回30分もあれば完了できるほどにな。一方で涼宮ハルヒに対する監視体制もほぼ完全なものとなり、
事前に閉鎖空間の発生予測もやりやすくなった。こちらのサポート体制はほぼ万全になりつつある。
君は最後に奴をしとめればいいだけだ。実に簡単な仕事と言えるだろう。
 それを受けて、君のやるべきことはわかっているな?と機関の人間が言う。
 だが、僕は眼前のモニター内で荒れ狂っている神人を見るにつれて、自身に与えられた役割が果たせるのか、
気持ちが揺らぎ始めていた。どんな兵器よりも強力で凶暴。通常の軍事力では歯が立たないような代物。
 ――そんなものを本当に僕は倒せるのか?
 
「……力が使えない?」
「はい……」
 僕は食堂で、面倒見役の森さんが食事をとっている目の前で、がっくりと肩を落としていた。
女性らしくもないがつがつとした喰いっぷりで僕に視線だけを向けてきている。
「わからないわね。事情は聞いているつもりだけど、あんたは自分に神人を倒せる能力があるって自覚しているんでしょ?
閉鎖空間や神人の発生も認知できる。なのに、その使い方がわからないってのは矛盾していると思うけど」
「僕にも詳しくはわからないんですが……」
 さっき現在機関に唯一いる超能力者と面会をしてきた。てっきり他の軍人みたいなごつい男をイメージしていたが、
意外にも僕と大して年齢も変わらず、オールバック気味の髪型に軽薄そうな口調の少年だった。
何度か超能力者としての役割やその力の使い方をレクチャーされていたが、ふと彼にいわれてあることをやってみた。
超能力者なら涼宮ハルヒの閉鎖空間内でなくてもできることが一つだけあるらしい。
 しかし、だめだった。力を持っている自覚はあるのにその使い方が全くわからない。いろいろ実体験を元に
現超能力者からやり方を教えてもらっても無駄だった。
「そう」
 森さんはお茶をすすりながら、ぶっきらぼうに答える。まるで他人事――いやまあ、知り合ってから間もない他人なんだけど、
世話役なんだからもうちょっと親身な反応を見せてくれてもいいんじゃないか?
「関係ないわね。私たち機関にとって、あなたが戦力として使えるかどうかが重要なのよ」
「…………」
 僕はその森さんの言葉に憮然とするばかり。まるでもの扱いじゃないか。
 だが、彼女は食事の後始末をしながら、どうでもいいという感じで、
「事実を言ったまでよ」
 そうとだけ言った。
 ……このとき、森さんはまるで溜息をついているように見えた。そんな素振りは一つも見せていないのに、僕にはそう感じた。
 今でもそのときの森さんの姿は僕の脳裏に焼き付いていた。
 
 それから数日間、もう一人の超能力者と一緒に訓練っぽいものを受けてみたが、一向に僕が超能力が使えるようになる
予兆すらなかった。
 
~~~~~~~
 
「あのとき、僕は機関にやってきたことを少し後悔し始めていましたね。最初は役割もその力の意味もわかっていたので、
後は機関のサポートの元、淡々と神人狩りをすればいいと思っていましたから。存在は認知していましたが、
いざあの神人の破壊活動を見せつけられ、怖じ気ついてしまっていたんです。あまつさえ、それが使えないとわかったときの
絶望感ときたら……」
「無理もねえな。腕一降りで周囲のビルをなぎ倒せるような化けもんだ。俺ならとっとと逃げ出すね」
 俺のあきれと関心のこもった言葉に、古泉は苦笑するばかり。
 ふと、俺はさっきの話の部分で伏せられている箇所があることに気がつき、
「そういや、超能力が使えるかそうでないか確かめる方法があるって言っていたよな? いったいどうやるんだ?
俺がおまえに初めて超能力の話を聞かされたときは、閉鎖空間でしかできないといっていた覚えがあるんだが」
「……それを聞きたいんですか?」
 俺の疑問に対して、古泉はにやりといやらしい笑みを浮かべる。
「お教えすることは可能ですよ? ですが、仮にあなたがそれを使って確かめてみたら、
実は超能力の素質があるというオチがつくかもしれませんが?」
 その言葉に俺はぞっとして、手を振り、
「いんや、聞きたくなくなった。話を続けてくれ」
 
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 超能力が使えないとわかった翌日、僕は荷物をまとめて家に帰る準備をしていた。
役に立たない人間がここにいても仕方がない。ならば、じゃまにならないうちにとっとと帰ろうと思った。
それを機関の上層部の人間に伝えたところ、軽く溜息をついただけであっさりと許可してしまった。
機密事項とかそんなのはいいのか?とこっちから訪ねてしまったが、答えは簡単。言ったところで誰も信じない。
確かにその通りだった。新聞社にこの話を持ち込んでも、何かの記念品でももらって追い返されるだけだろう。
 そんなわけで、VIP待遇でここにつれてきたときとは裏腹に、最低限の電車賃だけもらって
僕は基地から出て行こうとしていた。
 季節はずれの豪雨が降り注ぐ中、僕は傘も差さずに基地の出口に向かう。たくさんの兵士や機関の人間の視線にさらされながら
一歩一歩踏み出す足はまるで鉄球でもつけられているように重い。
 この重みは何なんだろうか。
 逃げ出すことへの罪悪感? いや、逃げるも何も僕には何もできないことがわかったんだ。ここにいても無意味なんだ。
だから逃げるんじゃない――逃げるんじゃないんだ……
 ずぶぬれになり、上着にたまった水がズボンの裾をたどって靴の中に流れ込む。がっぽがっぽと不愉快な感触と音が
豪雨に紛れることなく、耳に入る。
 出口のゲート近くになると、ほとんど人もいなくなり、たまに物資を運び込んでくるトラックだけが目に止まった。
ゲートでチェックをしている係員はこちらに気がついていない。
 ……ふと、ゲートの隅に一人の人間がいることに気がつく。
「…………」
 いつもの戦闘服姿で直立不動のまま、こちらを見ているのは森さんだった。
 僕の歩みはゲートの出口から自然と外れ、森さんの前にたどり着く。
「見送りにきてくれたんですか?」
 知り合ってから数日もたっていなかったが、まともに言葉を交わしていたのはこの人だけだった。そのためだろうか、
総スカン状態で出て行く後ろめたさに救いを求めてしまっていたらしく、森さんに語りかける口調は喜びの感情が交じっていた。
 一方の森さんもどういう訳だか、笑顔を浮かべていた。しかし、優しさというよりも清々したようなものだったが。
「ま、一応、あんたの世話係だったから。最後に挨拶の一つぐらいしておかないとと思ってね」
「そうですか……」
 森さんの口調はあくまでも軽い。
「気にすることはないわ。できない人間がいても仕方がない。これは事実よ。むしろ、無駄にうじうじされる方がよっぽど迷惑。
あんたの判断は間違っていないし、尊重されるべきものだわ」
 彼女からもらった言葉は僕の中のにある結論と一致しているものだった。力が使えず、役に立てない。だから出て行く。
それでいい――それでいいじゃないか。
 なのに、何なんだろう。このやりきれない気分は。まるで模型を作っている最中に、
重要な部品が壊れてしまってどうしようもなくなったときみたいだ。目の前には完成すべきものがあるのに、
自分には完成させるだけの力がない。そして、周りの人たちはそれを無理して完成させる必要がないと言っている……
 僕の頭にふつふつと矛盾した怒りが沸いてきていた。機関の人たちは僕が必要だからここにつれてきた。
でも、使えないと少しわかっただけで帰っていいなんて、あっさりとしすぎていないか?
もうちょっとがんばってみようかとか、他の手段を講じてみるとか誰一人も言ってくれないのはおかしくないか?
「……どうかした?」
「…………」
 森さんの問いかけに僕は黙って地面を見つめているだけ。頭に降りかかった雨水が髪の毛にたまり、
地面に向かって垂れ下がった毛を通して流れていく。
 僕の気持ちはゆがんでいる。それはわかっている。だが、納得できないのも事実だ。そして、さらに不愉快なことがある。
それは森さんが笑顔――それも見送りのための作り笑顔ではなく、自身の喜びを表現したものに見えることだ。
 勢いよく顔を上げた。頭にたまった水滴が上空に巻き上げられ、森さんの身体にも降りかかる。
「森さんはどうして嬉しそうなんですか……?」
 自然と僕の声は押し殺したものになっていた。
 質問の意味がしばらく理解できなかったのか、森さんはきょとんとしていたが、やがてぽんと手をたたくと、
「嬉しいに決まっているじゃない。まさかここにきて子供のお守りをさせられるとは思っていなかったから。
あんたが辞退してくれるなら、わたしもその任務を解かれる。喜ぶのは当然じゃない?」
 あまりのぶっちゃけぶりに僕は激高して、
「ふざけないでください! 僕が――僕がどれだけ不安な気持ちでここに来ていたと思っているんだ!
なのに、そんなどうでもいいどころか、鬱陶しいなんて思っているなんて酷すぎるじゃないか!」
 だが、僕の怒りに、森さんはただ首を振って、
「当たり前じゃない。最初は誰だってそうよ。その後に言葉を交わしていくにつれ、気持ちのつながりができていく。
でも、わたしとあんたは数日前にあっただけ。ろくに言葉も交わしていないわたしに何を期待しているわけ?」
 ――僕は森さんに何の反論もできないどころか、自分の愚かさに気がつかされてしまった。
 森さんとは会って間もないのだ。ほとんど赤の他人に等しい人が、どうして僕の気持ちを理解してくれると思っているんだ?
 …………
 …………
 …………
 そうか。僕は誰か頼れる人を求めていたんだ。
 涼宮ハルヒという常識はずれの存在からこの妙な力を与えられたと自覚したときからずっと続いていた孤独感。
親に相談しても眉をしかめて病院の手はずをされるだけだった。友人に話しても変なやつ扱いされて終わり。
 そんな中、機関という僕と同じ立場を共有している人たちが現れた。僕は嬉しかった。
この異常な力を理解してくれる人たちがいる。それならば、きっと僕の不安な気持ちも受け入れてくれる。
そんな僕の一方的で身勝手感情は、最初にまともに言葉を交わした森さんに向けられてしまっていたんだ。
森さんの気持ちなんて一つも考えず、ただ理解してくれるはずだと期待していた。頼れる人であってほしいと思いこんでいた……
「すいません……すいません……!」
 雨にまみれて、僕の目からは多量の涙が流れ落ちていた。自分の愚かさと恥ずかしさと悔しさで止められなくなっていた。
 森さんは謝罪の言葉を並べ続ける僕に、困った顔を浮かべ目をそらすと、
「で、どうするの? 帰るの、帰らないの?」
 単刀直入に聞いてくる。
 どうするべきか。僕は迷っていた。いても意味がないのは事実だ。しかし、帰ったところで今の僕に居場所があるのか?
また誰も僕のことを理解してくれず、ふさぎ込んだ毎日が戻ってくる……
 ふと、森さんの横顔が目に止まる。それは以前にも見た少しだるそうで、なぜか溜息をついているような感じがしたものだ。
 彼女は僕の視線に気がついたのか、こちらに目だけを向けてきて、
「無理しなくていいのは事実よ。いったん家に帰って、また気が向いたらここに来ればいいわ。
機関はいつでも超能力者を探しているんだから。そのときも歓迎してくれるはずよ。ただ……」
 ――そのとき見せた森さんの表情を僕は一生忘れられないと思う――
「たぶん、そのときわたしはもうここにいないでしょうけどね」
 この一言で、僕の決意が固まった。
 ここに残る。
 理由の一つは、この先も超能力が使えるようになるかはわからないけど、使えるようになりたいから。
そうなれば、ここにいる人たちと同じ立場に立てる。僕はもう一人じゃなくなる。
 もう一つの理由は、森さんだ。それは漠然としてまだ自分でもはっきりとはわからない。だけど、なぜか確信していた。
 
 ――この人を次の作戦に一人で参加させるわけにはいかないと。
 
~~~~~~~
 
「俺の知っている森さんとは結構違うな。もうちょっとかしこまってプロといった感じだが、おまえの前だとそんな感じなのか?」
 俺は頭の中にあるのはメイド森さんとOL森さんだから、軍人森さんはいまいちぴんとこない。
 だが、俺の質問に古泉は上の空で全く答えようとしなかった。なにやら懐かしさをひしひしと噛みしめているかのようだ。
よっぽどその時のことが記憶に色強く残っているんだろう。
 そのまま、古泉は俺の質問に答えず話を続け始める。
 俺は内心やれやれと思いつつも、追求はせずに耳を傾けた。
 
~~~~~~~
 
 翌日、結局ここに残ることを機関の上層部に伝えると、まあがんばってくれとだけ言われて復帰を許可された。
やっぱり超能力が使えない僕にはあまり期待がかけられていないらしい。だが、それも森さんの言ったとおり、
仕方のない話だ。使えるかそうでないか。僕に対する評価の判断基準はその二つしかない。
 ところで話は変わるが、超能力が使えないにも関わらず基地内での僕の人気は上がりつつある。
どういうわけだか、僕がここに来て以降、閉鎖空間の発生が一度も確認されていないのだ。
人によっては、それがおまえの超能力なんじゃないかとからかい半分に言われてしまうほどの平和っぷりらしい。
以前は一日に2回出撃があった日もあったほどだから。
 あの雨の日の以降、僕は積極的に森さんと一緒にいるようにした。
 食事の時は必ず相席するようにしているし、訓練の時もコバンザメのごとくくっついていった。
射撃訓練の時はすごい銃声音に耳を閉じているだけで精一杯だったが。
 森さんはいつでも無愛想だった。同僚の兵士に語りかけられても適当に相づちを打つだけ。
 僕が話題を振っても、
「そう」
 の一言で終了。ボールを投げても懐にしまわれてしまっている気分だ。
 別の日には、何でそんなに無愛想なんです?と単刀直入に聞いたみたところ、
「作戦に必要なことなら話すわ。それ以外にいちいち口を開いても仕方ないじゃない」
 で終了。うーん、プロというか何というか表現しがたい。
 
 ただ、訓練で真剣なときでも食事を取っているときでも、やはり森さんは溜息をついているように見えた。
何かに憂鬱になっている。ただそれがなんなのかさっぱりわからなかった。
 
 他人から見ればどうしてそんな無愛想な人間につきまとっているのかと不思議がられるかもしれないが、
正直なんで森さんにここまで入れ込んでいるのか僕自身にもよくわからない。とにかく、あの溜息が気になるのだ。
何というか……表現しがたい何かを感じる。どうしてもその正体を突き止めたかった。
 だがこんな状況が続くだけなら何も変わりはしない。というわけで、僕は基地外へ遊びに行くことにした。
もちろん森さんも誘ってだ。せっかくの休日、親睦を深めるのも悪くない。
 最初は二人っきりというのも微妙だと思い、もう一人の超能力者を誘ったみたが、ナンパしようぜナンパ!とか言って
別の色男グループに混じって出て行ってしまった。全く軽薄な人である。あんなんで神人討伐なんて言う重役が務まるんだろうか。
僕もその一団に加わるように勧められたが、丁重にお断りさせてもらったことは付け加えておく。
 てなわけで森さんに声をかけたわけだが、いつものように無愛想でぶっきらぼうな返事でOKを出してきた。
別にどうでもいいという感じは変わっていなかったが、簡単に承諾したのは意外だった。
 
 翌日、僕と森さんは基地のゲートを抜けて、街へと向かうバス停に座っていた。バスが大幅に遅れているのか、
予定時刻になっても、一向にやってくる気配がない。
 待っている間、僕は何か話題を森さんに振ろうと、脳細胞をフル活性化させていた。
僕が誘った以上、森さんを退屈させるわけにはいかないのだ。事前に、軽薄超能力者からレクチャーを聞いておいたが、
基地に出てすぐに予定外な事態にぶつかるとは思っていなかったため、冷や汗ダラダラの状態である。
 僕は青い色彩が満たされた空を見上げると、
「今日はいい天気になりましたね」
「そうね」
「気温もそこそこ」
「活動しやすいわね」
「最近は涼しいですから、夜もよく眠れるんですよ、僕」
「そうね」
「あ、でも森さんたちはいつ出撃するかわからないから、ゆっくりとはできないか」
「そうね」
「……ええと」
 ――再び流れる沈黙――
 僕は内心で頭を抱えてしまう。どうしたらいいんだ。会話が続かない。これではますます雰囲気が険悪になるだけじゃないか……
 ふうっとここで森さんが初めて溜息をついた。実際の行動としてそれを見たのはここに来て初めてだろう。
「別に気張らなくていいわよ。どのみち、あんたが外に出るならあたしもついて行かないといけない決まりになっていたんだから。
保護者代わりって訳。子供らしく好きに遊びなさい。わたしは遠巻きにそれを見ていてあげるから」
 相変わらずのぶっきらぼうな答え。って、OKしたのは僕が誘ったからじゃなくて、そういう決まりだからなのか。
それならそうと最初から言ってくれればいいのに。
 そうむくれる僕を森さんは完全にシカト。あー、失敗だったかな? こんなんだったら最初から基地にこもっていた方が
なんぼかマシだったかもしれない。
 ――と、ここで森さんの表情が少し引き締まった。気がつけば、携帯電話が着信を知らせる振動を発している。
それを彼女は一つの無駄もない動きで取り出し、何事か話し始めた。どうやら基地かららしい。
 ほどなくして通話を終えると、森さんは荷物を持ってすっと立ち上がる。
「残念だけど、今日のあんたとのデートは中止よ。ついでに、信じていた訳じゃないけどあんたの御利益も今日で終わり」
「えっと、なん……ですか?」
 唐突にかけられた言葉に、僕は内容を理解できず頭に?マークを浮かべる。
 森さんは基地の方にゆっくりと歩き出し、そして言った。
「出るわよ。閉鎖空間、そして、神人がね」
 ……全身から血の気が引いた。
 ついに出る。ここしばらく涼宮ハルヒは安定していた。だが、ついに彼女の精神が再び不安定になったのだ。
 僕はまだ超能力を使うことはできない。だから、おそらく基地で待機なるだろう。
 しかし。
 それでいいのか? このままだと森さんは閉鎖空間に行ってしまう。あの溜息を僕に残したままで。
その理由を僕は全く知らないままで。
 ふと、彼女が空を眺めていることに気がついた。そして、誰に言う出もなくぽつりと、
「こんないい天気の日に戦争なんて……ね」
 この言葉を聞いたとたん、僕の神経が一気に引き締まった。そして、僕の口からも言葉が飛びます。
「一緒に行きます」
「え?」
 森さんが珍しく拍子抜けした声を上げた。よく聞こえていなかったかもしれないと思い、僕は森さんの前に立つと、
「一緒に閉鎖空間に行きます。あそこで森さんと一緒に神人をはっきりと見てみたいんです。許可してください」
 そう言い切った。恐れがないといえば嘘になる。しかし、今行かなければきっと後悔する。
 最初は驚きを見せていた森さんだったが、やがて、
「……わかったわ。上にはわたしの方で調整する」
 
 ブリーフィングルームには、もう一人の超能力者や機関のお偉方、それに兵士たちの指揮官が集まっていた。
物々しい雰囲気の中、正面のモニターを眺めている。
 そこにはどこからか隠し撮りされている涼宮ハルヒの姿が映っていた。まだ午前中――そういえば、今日は平日だった。
最近の不登校生活のせいですっかり曜日の感覚が狂っているな――で閑散とした商店街を一人でさまよっていた。
何をやっているんだ?
 いつもの徘徊だろう、と機関の人が言う。彼女は定期的にこうやって街の中を歩き回るらしい。
機関は彼女と直接的に接触はほとんどない――というより彼女は周りの人間と親密なレベルで接触することが全くないため、
その行動に何の意味があるのか、さっぱりわからないという。
 以前にも教室の机を廊下に出したり、学校の校庭に巨大な絵文字を書いたりしたな、ともう一人の超能力者が言う。
どうやら涼宮ハルヒという少女は、その神懸かり的な力に合うように奇っ怪な性格を持っているらしい。
「ところで、この映像は誰が送ってきているんですか?」
 僕は隣に座っていた森さんにこっそりと聞いてみる。すると、彼女はモニターから視線は外さず小声で、
「機関のエージェントが常に彼女のそばにいて、その観測班が映像を送ってきているわ。
閉鎖空間発生のタイミングを逃さないために、24時間ずっとね」
 その言葉に僕はまるで盗撮――いや、実際に盗撮をしていることにバツが悪くなった。年頃の少女を丸裸にしているようだから。
とはいえ、自分の頭の中には神人討伐という彼女によって押しつけられた義務があるのも事実だ。
自分で望んだことなんだから、我慢してもらうしかないよな。
 ぼちぼちだぜ、と超能力者が言う。彼女の踏み出す足の力が強まっている。
もっと近くで聞けば、派手な足音が聞こえてくるだろう。
 ここでモニターが二つに分割される。片方は今まで通り涼宮ハルヒの姿、もう片方は地図だ。
最初は彼女のいる場所を示しているかと思ったが、どうやら違う場所らしい。
 ――唐突だった。僕の頭に警告音が発せされた。詳細なその場所、規模……次々と閉鎖空間発生の情報が流れ込んでくる。
どうやら来たらしい。
 閉鎖空間が発生したぜ、場所は予想通りその辺だ、と超能力者がモニターの地図を指さす。
涼宮ハルヒがいる場所から数十キロ離れた市街地、しかも旧市街らしく古い建物が不規則にぎっしりと詰め込まれている地区だ。
僕に与えられた情報も寸分の違いもなく、その地点を指していた。思わず、超能力者の方を振り返ると、
親指を上げてにこやかな笑みを浮かべてきた。軽薄な人だが、その超能力は本物らしい。
涼宮ハルヒは本当に自分の感情ストッパーをでたらめに選んだらしいな。
 では始めよう、と初老の指揮官が声を上げる。
 作戦の概要はこうだ。
 空中指揮所ヘリ1機・攻撃ヘリ2機・輸送ヘリ2機・5台の車両に分乗して閉鎖空間に入る。
 その後はまずヘリはそのまま神人近くに兵員を降ろす――ただし、場所から見て着陸できる場所はないだろうな。
ロープで降りてもらうことになるぞ。降下完了後、輸送ヘリは離脱、あとは攻撃ヘリが降下した地上部隊を援護。
 車両部隊は神人の活動範囲外ぎりぎりで待機。神人掃討完了後、地上部隊を回収し閉鎖空間消失後基地まで帰還する。
 前回と全く同じだ。
 
 何が何やらわからない部分が多かったが、僕が把握できたのはそれだけだ。ヘリコプターで突入して、神人をやっつけ、
最後にトラックか何かで基地まで戻る。聞いた限りじゃ簡単そうに見えるが……
 何か質問は?という初老の指揮官。
 それに対し、一番後ろの席に座っていた中年の兵士が、新しい超能力者は今回どうするんですか、と返す。
 すると一気に僕へ視線が集まった。
 初老の指揮官は、僕へ手を伸ばし紹介するような素振りで、本人の希望により今回彼も作戦に参加してもらう、とだけ言った。
 それを最後に、質問が挙げられることはなかった。
 
 作戦会議終了後、僕と森さんだけ残される。そして、指揮官からこう言い渡された。
 今回僕は降下後の地上部隊を回収する車両に乗ってもらう。森さんもそれに同行するように。
貴重な超能力者だ、危険にさらすわけにはいかないからな。
 しかし、森さんは猛然とそれに反発した。
「以前にも要望したように、わたしは最前線へ行くことを望んでいます。それに遠巻きから見るだけの車両部隊では
古泉がここでモニターを見ていることと大して変わりません。彼とわたしをヘリに乗せてください」
 初めて聞く強い口調の森さんに、僕は少し驚いていた。
 指揮官も面食らったように、ヘリからはロープで降下することになる、素人にできることではないと再反論する。
 だが、森さんは凛とした表情で言い放った。
「ヘリからはわたしが背負って降下します。どんな状況下におかれようとも、わたしが彼を守ってみせます」
 普通ならそんな森さんを僕はかっこいいと思っただろう。しかし、なぜか僕の目には彼女がそういう風に見えなかった。
 自分の都合、それを優先しているように見えてしまったから。
 
 
 結局、森さんの言い分が通り、僕と森さんは地上部隊に入ることになった。指揮官の言うとおり、命の危険があるチームだ。
しかし、それは他の人たちも同じこと。僕だけが安全地帯でのうのうとしていることには僕自身も反対だ。
 基地内は一気にあわただしくなり、兵士たちが準備を始めていた。装備品のチェック。チームに対して檄を飛ばす。
基地の外では、数名が小さなヘリを押して運んでいた。下部に武装が施されているところを見ると、
あれが攻撃ヘリとして使われるらしい。てっきり映画とかでよく見かけるでっかいものが出てくると思いきや、
まるっこい形の小さなヘリだ。あんなので大丈夫なんだろうか? 空中指揮所になる方も武装が着いていないだけの同型だった。
 奥には大きな輸送ヘリ2機がすでに準備万端な状態で待っている。あれに乗ってあの化け物の眼前に行くのか……
 
 
 自分の準備を忠実にこなしていく人の中、僕はどうにも居心地の悪さを感じてしまい、人気のない基地の裏側にいた。
ここで出撃まで大人しくしておこうと思ったが、先客がいた。てっきり準備に追われて姿を消したもんだと思っていた森さんが、
すっかり装備を調えてそこでだらんと地面に座り込んでいる。その顔はさっきとは打ってかわって、いつもの憂鬱なものだった。
 邪魔をしてしまったかと思い、僕はそそくさと立ち去ろうとしたが、
「別に邪魔じゃないから」
 そう僕の心を読んだように森さんが言った。
 僕は森さんの隣に座り、
「なんか違和感がしてしまうんですよね。みんなきっかりとやるべきことをしているのに、ただ見ていることしかできない自分に」
「……そう」
 森さんはいつもの相づちを打ってきた。
「やっぱりまだ何もできない僕がここにいるのは間違いかな?」
 つい出てしまう本音。森さんとともに行くという理由はあった。しかし、さっきのあわただしい基地内を見て、
僕は森さんしか見ていなかったことを痛感させられてしまった。無力な自分が行って、多くの人に迷惑をかけたりしないのか、
それを急に不安に思うようになってしまったのだ。
「今更ね」
 森さんのズバリな指摘に僕の胸がちくりと痛む。
「だけど、自分だけじゃなくて周りが見えたことは大きな成長よ。自信に思いなさい。でも、もうすぐそんなことをなんて
考えてもいられなくなる。ひとたび戦いが始まれば、もうそんなことなんて全く気にならない――気にしている暇もない」
「…………」
 僕は黙って森さんの言葉に耳を傾けていた。こんなことを言ってくれる彼女は初めてだ。
 そして、森さんは僕に顔を向けると、
「古泉、生き残りなさい、焦らず、周りの仲間を信じて動けばみんな助けてくれる。それだけに集中するの、いいわね?」
「……はい」
 僕はうなずく。初めて森さんから受けたアドバイスだった。その貴重な一つ一つの言葉を脳裏に深く刻み噛みしめる。
 ほどなくして、森さんを呼ぶアナウンスが聞こえてきた。彼女は立ち上がりその指示に従って指揮所へと歩き出した。
その前に一つだけいつもの見えない溜息と言葉を残して。
「あんたはまだ先がある。わたしとは違うから……」
 
 森さんと入れ違いに、初老の指揮官が僕の元にやってきた。見た目は怖そうなおじさんだが、語りかける口は優しげだ。
 彼女についてだが。
 その口から出たのは、森さんことについてだった。僕はわかっていますと頷く。
 指揮官は言う。
 彼女とは以前に付き合いがあった。
 その時は男勝りの迫力を持っていた。
 ここに来て、彼女を見て驚いたよ。
 実力は全く変わらなかったが、以前の威勢の良さは消え失せ憂鬱そうな表情ばかりしている。
 彼女の近くにいた人物に聞いたところ、前の仕事で何かあったらしい。
 しかし、それが何なのかはわからない。
 彼女の口は恐ろしく堅い。問われても話すことはないだろう。
 過去に何があったのかは問題ではなく、彼女が今後取る態度に不安がある。
 何かしでかすのではと危惧している。
 もっとも彼女の性格上、裏切りや暴走なんて言うことはないだろうが。
 君(僕のことだ)の世話役にしたのは、君にも彼女を見ていてほしかったからだ。
 ……彼女のことを頼む。
 
 僕は指揮官に対してただ黙って頷く。
 ……森さん、あなたは何を考えているんですか? そして、何を――
 
 
 いくぞ!という地上部隊のリーダのかけ声とともに、兵士たちが輸送ヘリに乗り込み始める。
僕も遅れまいとついて行くが、結局森さんに腕を引っ張られてヘリに乗り込んだ。
 自分の服装は他の人の都市用迷彩服とは違い、動きやすいジャージ姿――合うサイズが無いらしい――で、
頭には軍用ヘルメット、胸には装甲版入りの防弾チョッキを身に付いている。おかげで狭いヘリの中、
所狭しとひしめく兵隊さんの中に一人民間人がぽっかり浮いてしまっていた。
 輸送ヘリ一機に、乗員5名・地上部隊10名という構成だ。もう一機の方に超能力者が乗り込んでいる。
 ほどなくして、機体が揺らぎ、小型の攻撃ヘリと輸送ヘリが飛び立った。
 見下ろせば、軍用トラック5台も同じタイミングで走り出し、基地のゲートから出て行っている。
 閉鎖空間までここから5分程度で着くはずだ。否応なく僕の心臓は高鳴り始めていた……
 
~~~~~~~
 
 古泉はしゃべり疲れたのか、一息つくために自らお茶を注ぎ始める。
 俺は今のうちに聞けることは聞いておこうかと思い、
「ヘリ5機とトラック5台だけかよ。意外に小規模だな。てっきり戦車や戦闘機がばんばん出てくるもんだと思ったが」
「あなたは機関をNATOかなにかと勘違いしていませんか?」
 と、あきれ口調でこっちに顔を向ける。そして、お茶を入れ終えると定位置に座り、
「機関はまだまだ小規模でしたから、それだけの装備を調達するだけでも大変だったんですよ。
軍用ヘリなんていくらお金があっても簡単に買えるものではありませんし、整備の手間もかかりますから」
 そうお茶をすすりながら言う。ま、確かに店に行ってほいほい買える代物ではないだろうからな。
 ふと、ここで俺はあることに気がつき、
「なあ、古泉。さっきから基地基地と言っているが、それはどこにあったんだ?
仮にも機関は非公開の民間組織みたいなものだろ? 本物の銃や武装ヘリコプターを置いておける場所なんて想像もできないが。
外国にあったとも思えないしな。そんなものが飛び交っていたら、警察がすぐに駆け込んでくるはずじゃ」
 俺の指摘はどうやら機関の機密事項に当たるらしい。古泉がどう答えようかと真剣な表情で考え始め、
「そうですね……。今ではもう廃止されている場所ですが、詳しくは言えません。
とりあえず日本国内であって日本国内ではない場所とだけ言っておきましょうか」
 その古泉の言葉に、俺は即座にある場所が脳裏に浮かび、
「おい、それってまさか……」
「おっとそれ以上は禁則事項です♪」
 俺は古泉の演じる朝比奈さん得意ポーズに、猛烈な不快感をぶつけられ顔をしかめた。
 
~~~~~~~
 
 後一分!
 ヘリ内に叫び声がこだまする。バタバタとヘリから発せされる音が大きいため、でかい声ではないと
近くでも相手が何を言っているのか聞き取れない状態だ。
 僕は開けっ放しになっている出入り口?から落ちないように、ヘリの奥に縮こまっていた。
隣では銃を肩にかけて目を閉じている森さんがいる。眠っているのではなく、雑音を取り払って精神を集中させているようだ。
 
 ほどなくして、さっきまで太陽光に照らされていたヘリ内が急に灰色に染まった。
月明かりでも、曇りの緩い太陽光でもない。存在するものすべてがまるで色を奪われたような状態になっている。
「閉鎖空間に入ったわね」
 いつの間にか、目を開いて外を眺めている森さんの一言。その視線の先にはもう一機の輸送ヘリが飛んでいる。
あそこに乗っている超能力者が僕ら全員をこの灰色な世界に招き入れたのか。やはり彼の実力は本物のようだ。
外見を当てにしてはいけないというのは、まさに常に軽薄な性格をさらしだしている彼に与えるべき言葉だろう。
 ふと、他の兵士たちの隙間から見える街並みが目に入った。僕はそれをもっとはっきりとみたいと思い、
落下の恐怖心を押さえつつ、ヘリの入り口部分に顔を出す。
「……すごい」
 思わず簡単の言葉が口からこぼれ出た。
 空・地面・人工物……すべてが灰色とかし、昔の白黒映画に近い状態になっている街並み。違和感を超えて美しくすら感じた。
 と、ここで気がつく。僕たちのヘリの側面数キロぐらいの場所がゆっくりと明るくなってきている。
最初はただぼんやりとした光にすぎなかったが、やがてその輝きが強まり少しずつ何かの形ができ上がり始めた。
「よく見ていなさい。あれが神人――涼宮ハルヒの感情の暴走、そしてわたしたちの敵よ」
 背後から森さんの言葉。それに僕の背筋――いや、全身に寒気としびれに似た感覚が走り、震えた。
 じわりと発光体が人の形へと変貌を始める。青白い身体、長い腕、それにしては短い足、顔に当たる部分には
血のような赤い大きな点が三つほど浮かび上がった。不安定にその三つは位置を変えるが、口と目を模っているように感じた。
 今日のは前回に比べて大きいな、と隣にいた兵士が言う。比較できるものはないが、確かにビデオで見たものに比べて
一回り大きく感じた。となると、あばれっぷりも前回以上だというのだろうか?
 ところが、完成刑と化した神人はぼーっと立ったまま一歩も動こうとしない。てっきりすぐに暴れ出すものかと思ったが……
 ヘリが方向を変え、神人に向かって移動を始めた。両サイドで攻撃ヘリが護衛する中、超能力者が乗る輸送ヘリが先行する。
 作戦では神人の近くに着いた時点で、ヘリから降下することになっている。下は事前の打ち合わせに出たとおり、
小さな家・ビルが不規則、かつ密集しているため着陸できる場所はなさそうだった。
 こちらがでかい音を立てて向かっているにもかかわらず、神人は身じろぎ一つしない。
「何で動かないんですか?」
 大声で近くの兵士に聞いてみる。
 すると、神様の考えることなんてわからねえよと笑いながら返された。続いてげらげらと女性に対するアレな話を
続け始めるのでいくら何でもリラックスしすぎじゃないのか?と不安になる。
 一方で森さんは目を閉じたまま、他の話には耳を傾けることなく再び目を閉じていた。
 しばらく機内を馬鹿話が蔓延していたが、僕は話しについて行けずまた神人の方に目をやって――
「……あれ?」
 意図して出したものではなく、思わず自然と口にしてしまった間の抜けた声。だが、自分で言うのも何だが無理もない。
さっきまで灰色世界で燦々と輝きを放っていた神人が跡形もなく消えてしまっているからだ。
「森さん!」
 僕は自然と彼女の名前を呼ぶ。ただならぬ口調に、何事かと僕のそばに移動して――顔を硬直させた。
機内の兵士たちも異変に気がつき全員静まりかえり、ヘリの轟音だけが辺りを支配した。
 どういうことだ?と地上部隊のリーダが困惑の表情を浮かべる。どうやらこの事態は頻繁に発生しているものではなさそうだ。
 リーダはすぐに無線で、前方のヘリに乗っている超能力者と事態把握に努めだした。
しかし、聞こえてくる会話の内容から察するに向こうも事態が把握できていないらしい。
 僕は難しい顔でじっとさっきまで神人のいた場所をにらんでいる森さんに、
「どうするんですか?」
「さて……ね」
 彼女から落ちるんじゃないかとハラハラさせるほどにヘリから身を乗り出し、辺りをうかがっていた。
どうやら神人が別のどこかにいるのではないかと探しているようだ。
 ――その時だった。
「真下よ! 回避して!」
 森さんの叫び。僕が訳がわからずぽかんとしてしまうが、地上部隊のリーダは全く疑問をもたず、ヘリの操縦者へ
指示を飛ばした。同時に無線で先行しているヘリにも指示を出すが……
「うわぁ!?」
 突然ヘリ内部が曇り空から顔をだした満月の明かりに照らされたように、青白く輝いた。
そして、少し前方をまるで天に伸びる豆の木のように、光の物体がのびていく。
 神人だった。突然消えたと思った神人が、今度は僕たちの目の前に現れたのだ。
 同時に、ヘリが回避行動をとったことにより身を投げ出されるほどの衝撃が機内を揺るがす。
僕は全く経験のない揺れ方に足をもつれさせ、ヘリの外に投げ出されそうになるが、すんでの所で森さんに抱きかかえられ
落下を阻止してくれた。そのまま抱きしめなが機内の床を転がり落ちる心配のない場所にうまく移動する。
「す、すいません!」
 僕は顔数十センチ前にある森さんの口を見て、思わず謝罪の言葉を口にした。だが、彼女はそれには答えず、
すぐに僕を離すとまた外の様子をうかがった。
 墜落する!
 どこからか聞こえてきた声に、僕ははっと息をのんだ。見れば、リーダが盛んに無線で呼びかけを続けている。
 程なくしてようやくヘリが回避行動を終え機内の振動が緩くなった。僕は足場の安定を気にしつつ、森さんの隣に移動し
外の様子をうかがった――そのとたん、目の前に広がる絶望的な光景に呼吸が一瞬止まり、冷や汗と鳥肌、そして震えが
一度に全身に伝わった。
 外には燦々と輝きを放つ神人の周りを、煙を吐きながら回転する物体があった。それはコントロールを失った
あの超能力者が乗っているヘリだ。回避行動ではない。明らかに機体の一部を損傷し、操縦不能の状態に陥っている。
きっと、突如出現した神人にぶつかってしまったのだ。
「……森さん、どうするんですか!?」
「…………」
 僕の呼びかけに、森さんは苦渋に満ちた表情で唇をかんだ。どうすることもできないのだ。
森さんだけではなく、ここのいる全員がただ黙ってヘリが地上に落ちていく様を見ていることしかできない。
 墜落する、墜落する!
 無線から漏れる声がヘリの中を虚しく反響する。ほどなくして、その声も収まりヘリが市街地に墜落した。
操縦者が狙って落としたのかはわからないが、ちょうど二車線道路の十字路に砂煙を上げてその活動を停止した。
そのすぐそばをヘリの墜落に気がついていないように神人がぼーっと立っている。なんてこった。よりによって神人の目と鼻の先に
墜落するなんて最悪じゃないか。
 ――ヘリ内を緊迫した空気と沈黙が流れる。誰も何も言わない。ただ唖然としていた。
 また無線が入る。空中指揮所のヘリからの指令だ。リーダは、訓練通りやるべきことはわかっていますとだけ答えると、
全員の注目を自らに向けさせる。
 彼は言う。
 みんな見たようにヘリが墜落した。だが、不安に思うことはない。そのための訓練は今まで何度も行っているんだ。
まず予定通り神人からある程度離れた場所に降下する。そこから徒歩でヘリの墜落地点に向かい、周辺を確保。
車両部隊の到着後、墜落したヘリから負傷者を救助して離脱する。神人の相手は後回しだ。肝心の主役がどうなったか
わからないんだからな。車両部隊もこちらとは別行動で墜落地点に向かっているはずだ。そこで合流する。
 その指示内容に全員が緊張した面持ちでうなずいた。
 訓練はしている。だが、周りの兵士たちの雰囲気から見てもヘリ墜落の初めての事態のようだ。
 僕の初出撃は波乱に満ちた幕開けになった。
 
 
 神人から500メートルほど離れた位置にヘリがホバリングを始める。すぐにロープが下ろされ、総勢10名の地上部隊員たちが
次々と降下を開始した。リーダが行け行け!と声を上げている。
 降りるだけなら問題なさそうだが、面倒なことに神人がついに活動を開始した。腕を振り回し、周辺の民家をなぎ倒し始める。
たまに両腕を地面にたたきつけ、そこから発生する衝撃がヘリを揺るがした。タイミングを計り違えると
その衝撃でロープから手を滑らせかねない状態だ。一人一人慎重に降下する必要に駆られているため、
降下に予想以上の時間をとられてしまっている。墜落したヘリでは一刻も早い救助しなければならない人たちがいるというのに、
僕の頭に焦りが生じ始めていた。
 だが、森さんはそんな僕の背中をぽんと叩くと、
「あんたが焦っても戦況は変わらないわよ。そんなことよりとっとと背中に乗りなさい」
 そう言いながらゴーグル――降下後、ヘリから叩きつけられた風で巻きあがる土埃対策のためだろう――をつけた。
僕はこの歳でおんぶしてもらうことに少々抵抗感を覚えたが、そんなことを考えている暇じゃないと頭を振り、
彼女の背中に飛び乗った。しかし、そんなに体重はない僕とはいえ、森さんは二人分の重量を背負って降りるというのか?
大丈夫なんだろうか?
 森さんは僕の不安なんてお構いなしに、ヘリの下へと伸びるロープをつかむ。僕はふと地面が目に入ったとたん、
軽いめまいを覚えてしまった。思ったよりも高い。10メートルはあるんじゃないか?
 身体に震えが生じてしまっていることが森さんに伝わってしまったのか、僕の方にゴーグルをかけた顔を向け、
「いい? この高さから落ちればただじゃ済まない。とにかく、暴れられたりすると危ないから目を閉じていなさい!」
 そう僕の背中を数度叩く。その言葉を信じた方が良さそうだ。僕はぎゅっと強く目を閉じ、
自らを周りの状況を全くわからない状態に置いた。
 しばらくして急な落下感、今までと違うヘリのローター音、そして、猛烈な風にうめき声を上げてしまうが、
ひたすらに森さんの背中にしがみつき、よけいな動作をしないように心がけた。
「――いつまで捕まってんのよ、早く離れなさい」
 森さんの声。気がつけば、僕たちはいつの間にかヘリからの降下が終わり、近くの物陰に身を潜めていた。
周辺には同じように物陰から、銃を構えて警戒している兵士たちが見える。
 僕は森さんの背中から離れると、ヘルメットをかぶり直し、
「これからどうするんですか?」
「……さっき指示のあったとおり、墜落地点に向かうのよ。あの神人の足下へね」
 このときの彼女はやっぱり溜息と憂鬱に染まっていた。
 
~~~~~~~

 

 ~後編へ

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最終更新:2008年06月22日 02:26