目を覚ませば、そこはホームルームの真っ只中だった。 それがリアルな現状なので、「俺も少しばかり困ったやつだな…」などとほんのり感じている俺は正常である。
「あんた馬鹿だとはおもってたけど、まさかここまでとはね。
今日の時間割はなんだったか、ちゃんとおぼえてんの?」
見縊るなよ。 お前、アレだ。
一時間目は国語だ。 その後は時間割通りの、ソレのはずだ。
「意味わかんないけど、まぁいいわ。
っで、授業の内容はどうなのよ」
それは………、…お前アレだよ。
「はりたおすわよ」
この通りいままでと同じような、それより若干劣っているような遣り取りをしているが、視線をずらせば日常でないことを痛感する。
朝倉の席には『死神』が、もとい無名が鎮座している。 今起きたばかりの俺が言うのもなんだが、熱弁している岡部を無視して腕を組んで寝ているのはどうかとおもうぞ。
「明日から連休だが、気を抜いて遊んでばかりいるじゃないぞ。
勉強か、もしくはハンドボールだ。 特にハンドボールだが、やっぱりハンドボールだ。 興味があるなら先生のところに来なさい、それか練習に来なさい。 それが駄目なら、先生の家に来なさい。
それじゃみんな、また月曜日にハンドボール部に来なさい。 礼」
週末恒例の岡部の熱烈ハンドボール部勧誘が終わり、アホの谷口を筆頭にみな教室から出て行く。
その群れの中に異色な白髪をまとった人物が当たり前のようにいたので、とりあえず俺は取っ捕まえる。
「なにしてやがる。 お前は俺と一緒に、文芸部室に行くんだよ」
「ちっ」
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部室のドアを、三回ノックする。
「はあ~い、ちょっと待っててくださいね」
いつ聞いても天国へ誘うような天使の声に、俺の脳は官能的に掻き混ぜられていく。 ああ、あなたの声をずっと聞き続けれるなら、俺は死んだっていいです。
っと、安易に発言したりしてはいけない。 もしかすると身近に死神という存在がいて、冗談という望んでもいない願いを聞き入れてしまうかもしれないからだ。 みんなも、気を付けるように。
「なんじゃ、直ぐには入れぬのか?
其れと、主は何と云う締まりの無い顔を為て居るんじゃ」
こいつは本物のバカだ。 昨日あれほど神々しくも弱々しい挨拶をお前にして下さった聖朝比奈のボイスを聞いてとろけないとは、どれ程までに男として、いや、一生物のオスとして終わっていることなのか分からないらしい。
まあしかし、所詮こいつは死神だから天使の魅力が解からないのも当然か。 いやいや、俺は天使の魅力がわかる生き物でよかった。 つくづく人間として生れてきたことに感謝する、ありがたやありがたや。
「なに、もうすぐ入れるさ。
お前は知らないだろうが、いま朝比奈さんはこの部屋専属のメイドになっておられるのだ。
だからもうちょっとすりゃ、その麗しい姿をお前も拝見出来るぜ」
そう言い終わったくらいに朝比奈さんから入室の許可を得、俺は無名を引き連れて部室へ入った。 いつものエンジェルスマイルで出迎えてくれ、俺もそれに応対して頭を下げると視線を移した。
いつもの窓際の席で、いつものように読書に勤しむ少女がそこにいた。 俺の視線に気付くと、顔を上げてミクロン単位の会釈をする。 やはりはたから見ればいつもの無表情だが、俺には昨日までの切迫した顔つきより若干和らいだ表情が読み取れた。
「よぉ、もう来てたんだな。
今回は朝比奈さんとおまえと、どっちが早かったんだ?」
「朝比奈みくる」
「そうか」
短くてあまり中味のない会話をする。 えっ? 昨日あんなにパニクってたのに、それだけかってか?
これでいいんだよ、こいつと俺には。 他の一切は、特別付録にでも18禁袋綴じにでも詰め込んどいてくれ。
なんで昨日よりも落ち着いているんだかは知らないが、俺には切羽詰ったこいつの顔よりこういう冷静で安心感を与えてくれる長門のほうがなじみがあるんだ。
俺はそう感じながら、いつもの席に腰掛てハルヒや古泉が来るのを待った。
「締めに入って居る様じゃが、ちょっと待てぃ。
主等、平然と無視して居るが儂には然うは行かぬぞ。
自己紹介くらい為(せ)ぃ、此方は名前すら知らぬのじゃからな」
当然の憤りを、無名は率直に語った。
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古泉・ハルヒと順番に入ってきてそれぞれに自己紹介が要求されたが、古泉も自身が超能力者であると言うことはなくハルヒも自身が神であるなどと寝言をほざくことはなかった。
両者とも全く面白みに欠ける自己紹介だったが、ドアを開けての即席自己説明ではある程度仕方の無いことではある。 いやしかし、ハルヒも古泉も丸っきりはとが豆鉄砲を食ったような顔だったのは面白かった。
「そういえば、あんたに名前言わせてそのままだったわね」
「然うじゃ。 放置プレイにも度が過ぎる。 一般なら、失礼極まり無い行為じゃ」
MDコンポを持ちながら思案顔でそこら辺を見つつ、無名は言う。 いまだに立っているところから見ると、それを置く場所にはそれなりのこだわりがあるようだ。
ああ、言わもがな、思案顔というのは長門の表情が読める俺だからこその芸当だ。 普通の人間なら、こいつも歴とした無表情族の一員だ。
「………何処を見渡しても、此の神器を置くに相応しい場所が見当たらぬ。
仕方無いのぅ、取り敢えずは此の訳の解からぬ物が置かれて居る机に置いて置くか」
そういうと、徐にそいつはハルヒの前にあるパソコンを退け始めた。 流石のハルヒも押っ魂消て、朝比奈さんの席のほぼ後ろにインスタントな台をこしらえ、その場所を提示した。
無名は不承不承といった感じではあるが、他の場所よりは良かったのかはたまたハルヒの行動に報いる為なのか、その場所に置いてコンポをセットし出した。
数分もしない内に配線を済ましてコンポをセットすると、やおら取り出したMDを入れて電源を入れた。 当然俺の耳にも聞こえてきたが、こいつが何を聞こうと俺の知ったことではないことを明記しておこう。
さて、こうしてちょっとした一騒動はあったものの、ハルヒはいつものようにパソコンをいじり、いつものように朝比奈さんにセクハラをし、いつものように伊衛門はんの入れたお茶に勝る天界の清水を飲んで終始盛り上がっていた。
そして俺達も俺達で、朝比奈さんは天使が人々に幸せを振り撒くようにお茶の支給をし時折り天女のように自身の席へと座っておいでになられ、俺と古泉は子供にこれしか遊びを与えなかったのかというほどに毎度毎度のボードゲームに励み、そして長門は…長門は、
「おい、白イガグリ。
なぜにお前は、横の席に当然のように座っている」
窓辺で本を読み、時々朝比奈さん製のお茶に口をつけているはずなんだが、それは俺の想像上でしかない。 なぜならば、俺と長門を結ぶ一直線上にこの『新入部員』がいるからだ。
「なんじゃ? 主は、到頭呆けたか?
何処を如何見渡そうと、此の場以外に儂が坐せる場所は在るまい」
「何か、文句あんのか」、みたいないつでも殺すぞ的な無表情で俺を見る。
ああ…、いや、お前の言い分は至極尤もだ。 尤もなんだが…、最近日常化して来た俺の長門観賞…ではなく長門縦観に非常に支障を来すわけで。 偶に気に掛けてやらんといかん長門が見えなくなるわけだから、それが無意味になってしまうわけで…。
決して長門を見たいとか言うわけじゃなく、見ないと俺の精神が落ち着かないという訳でもないんだが…
無名にそう言われて全く返す言葉が見付からずにいると、その当の本人が首を傾けながら腕を組みをして肩を竦めると、
「済まぬが、長門嬢。
主と儂の踞(きょ)する場所を代えては呉れぬか?」
目を瞑ったまま、そう宣言した。
時間が止まった。 いや、空気が死んだという方が相応しいように思う。 朝比奈さんと古泉は目を丸くして茫然とし、そしてさっきから動きをビタッととめたハルヒはというと、ものすごい勢いで俺を睨んでいる。
「ちょっと、キョン! あんた、無名になに言ってんのよ!!」
「仕方の無い事じゃろうの。
此奴が或る特殊な癖(へき)の持ち主で在れば別じゃが、儂とて野郎の横と云うのは気に食わぬ。
此の古泉と云う奴の隣にも此の様な一般的に麗しき部類に入る女子(おなご)が居るんじゃ、此奴の傍らが儂の様な野郎ではちと較差(かくさ)が在り過ぎる」
ハルヒは無名の男ならではのものすごく正論な意見に、焼き獅子唐を口に入れたような苦々しい顔で口の先を尖らせていたが、
「だめよ、そんなの!! あんたはその席に―」
「儂とて野郎の横は気に入らぬと云った筈じゃ。
其れにのぅ、此のキョンと云う者に先の様に云われては尚の事儂は隣に座りたくは無い」
まるで全面的に俺が悪いみたいな言い訳をする。 いや、実際には悪いんだけど。
無名のこの当然のことを当然のように語る口調に、頗る付き渋面だったハルヒも徐々に了承を得た顔になっていった。
「はあ~、もうわかったわよ! 好きにしなさい!!
だけど、キョン! あんた、有希が横だからって変なことするんじゃないわよ!!」
するかよ、アホ。
俺のほうにキッと顔を向けると、眉を吊り上げながら大声でそう怒鳴った。
一体こいつは、俺をどこまでの節操なしだと思っているのだろうか。 誰も居ない公園で朝比奈さんに膝枕をしてもらっても襲えなかったほどの、意気地なし…じゃなくて貞潔主義者だぞ、俺は。
と、声を出さずに内心でひどく猛抗議をかもしており、自身をとても誇らしく讃えて賛辞を浴びせていたが、やはり口には出さなかった。
「不要な問答は聞くに堪える、さっさと済まそうぞ。
長門嬢、主は其のパイプ製の椅子を持って此処へ。 朝比奈嬢は、儂が坐る此の窓側へスピーカーを向けては呉れぬか」
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放課後の部活、いま俺達はその最中にある。 ハルヒは普段通りパソコンでネット・サーフィンをし、朝比奈さんにセクハラをし、俺から羨望の眼差しを受けている。
朝比奈さんは、みなのお茶のお世話をし、ハルヒからセクハラされ、俺に視姦され、もとい視線を浴びたりしている。 俺と古泉は特筆すべきことも無く、オセロや将棋にチェスなどをして方や黒星を方や白星のみを重ねてゆく。
そして、窓辺には白い髪をしたトゲトゲ頭の部員が、時折り人影から見るに手袋をした片手で文庫本を開いて、俺からすれば容易く見抜けるしかめっ面で読書をしていた。 さて、この人影というのは誰だろうね。
新しく入った新入部員とやらのおかげで、今までに無く部室での非日常が進行した。 はてさて、明日の不思議探索パトロールや一週間後の日常はどうなっているんだろうか。
今日俺のお隣に引っ越してきた無口の少女に、そこらへんを詳しく聞いてみる。
「……………」
「……………」
どうやら、大丈夫なようだ。 いや、『どうにかする』と言った方が正しいだろう。
遠目で見ていた瞳よりも、幾分も、いや随分も堅い決意を秘めた黒曜石が俺の目に映し出された。
出来ればおまえには静かに本を読んでいてほしい、そう思いながら、自分の非力さを憎みながら、部活が終わるまで古泉との勝負に時間を潰した。
時々、こいつを横目で気に掛けながら。
- To be continued -