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「君達何? 面接? 悪いけど人事がみんな会議中だから、そこに座ってパンフでも見ててよ」


 世界の真ん中に立つ塔は
 楽園に通じているという

 遥かな楽園を夢見て
 多くの者達が
 この塔の秘密に挑んで行った
 だが、彼らの運命を
 知る者はない

 そして今、また一人…


 ……俺達は苦難を乗り越えついに秘密兵器を完成させ、最後の四天王「朱雀」を倒し、楽園を夢見て塔を登ってきた……はずだ。
 だが、目の前に置かれているのは湯気を立てている人数分のコーヒー、それと茶菓子がにしか見えないし実際にそうなのだろう。
 座って待つように案内されたのはどうみてもコの字型8人掛けの応接用ソファーだし、回りを忙しそうに歩いているのはスーツ姿の
男の人やOLだ。広いフロアーには整然とデスクが並び、引っ切り無しに電話が鳴り続けている。
「なんなのこれ?」
 文句を言いながらも、自分のコーヒーにスティックシュガーを入れて混ぜるハルヒ。
「あはは……」
 とりあえず愛想笑いの朝比奈さん。
 黙々と茶菓子とコーヒーを交互に口に運ぶ長門。
「塔の中にこんな場所があるとは思いませんでしたね」
 等と言いながらも、すでにこの状態に馴染んでいる古泉。
 何故、俺達がこんな所にいるのかと言えば……だ。


 ――ハルヒが塔の中で見つけた扉を開いたら、そこはオフィスだった。


 以上、回想終わり。
 唐突にも程がある……、扉の向こうは雲の上だとか南国だとか廃墟の街だとかの方がまだ納得できるさ。
 一応、これは形としてはゲームなんだろうからな。
「いや~お待たせお待たせ……って何時の約束だったかな?予定が立て込んでて把握しきれなくてね」
 人が良さそうなおじさんが額に汗をかきながらソファーに座った。
 多分、この人が人事の人なんだろう。
 あの、ここって何の仕事をしてるんですか?
 どうみてもただのオフィスにしか見えないんですが……。
「え? 派遣会社から何も聞いてないの?あそこはいつもこれだからな……まあいいや、簡単に説明するよ」
 何か致命的な誤解があるような気がしてならないが、まあいい。
 おじさんはテーブルの上にパンフレットを一つ、俺達に見えるように広げた。
 そこには塔の概観図、そして俺達が旅してきた各世界の概略がこまごまと書かれている。
「我が社はここ、塔の18階ね。で、各世界で起きた災害復旧とか資材納入とかを請け負ってるんだよ。阿修羅があちこち破壊して
くれてとにかく人手が足りないんだ。勤務の条件や内容とか詳しい事は資料で渡すからしっかり読んでね、返事は派遣会社にして
おいてください……っと。おじさんからはこれだけ、質問があれば聞くよ?」
 手早くそれだけ言って、おじさんは手帳を開いて次の予定を確認している。
 質問っていうか……この会社はいったいなんなんですか?
 あの、阿修羅ってなんなんですか?
 朝比奈さんの質問におじさんは困った顔をした。
「さぁ……それはさっぱりわからないんだ。阿修羅が神様を封じ込めてるとか言ってる人も居るけど、神様なんているのかねぇ」
 俺達の居る応接コーナーに背広の集団が案内されてきた。
 この人達はどこから来たんだ? まさかその格好で塔を上ってきたとか言うなよ?
「ああ! お待ちしていました、第2会議室開いてる? 今から2時間程使うからよろしく」
 忙しい空気に口を挟む隙間すら見つからない。
 俺達に「のんびりしていってくれ、いい返事を待ってるからね」とだけ言って、おじさんはそのまま会議室とやらに向かって歩いて
行ってしまった。
 取り残された俺達の中で、長門の茶菓子を食べる音だけが続いている。


「なんだったんでしょうね……」
 朝比奈さん。多分、その質問にはゲームの製作者にしか答えられませんよ。
 塔に戻った俺達は、業務に追われるオフィスと石造りの塔のギャップに耐えて歩いていた。
 廃墟と化した都市世界も、元はあんな感じのオフィスがいっぱいあったのかもしれないな。
 塔の通路から19階への階段に差し掛かった時、
「待って」
 長門が急に口を開いた。
「どうしたの?」
 長門は驚くハルヒをよけて一人階段に進んで行き、じっと階段の上を見つめはじめた。
 何を見ているのかわからない、まるで天井の一角を見つめる猫のようだ。
 長門、何か見えるのか?
 動こうとしない長門の隣に立って同じように階段を見上げてみるが、俺にはただの階段にしか見えない。
「ちょっとやめてよ……そ~ゆ~怖がらせる事言うの」
 いや、そんな意味じゃなくてだな。
「次の階は危険。早く通り過ぎたほうがいい」
 階段からハルヒに視線を戻し、長門はそう続けた。
 感情の感じられない長門の声でそう言われると、心霊スポットを見つけた霊能力者みたいに見えるんだが。
「え、そうなの……?」
 演出って訳じゃないんだろうが、長門は少し間を置いてうなずいた。
 ハルヒは回りを気にしながら早足で階段へ向かって行く。
「ぼ、亡霊とかが出るんでしょうか?」
 朝比奈さんも幽霊か何か出ると思ってしまったようだな。
 大丈夫ですよ。幽霊なんて居るわけないでしょう?
 仮にも未来人の貴女が霊に脅えるなんて、ナンセンスじゃないですか?
「ううう……」
 ハルヒ以上に階段の影や手すりを気にしながら、朝比奈さんも上の階へ登っていく。
 ……まさか、未来では霊の実在が確認されてるんですか?
 ハルヒが居るから今は聞けないが、後で聞いてみることにしよう。


 階段を上り終えた俺達は、長門の指示通り19階を探索しないまま次の階段へと向かった。
 ぱっと見は他の階と違うようには見えないのに、霊が居るかも? と考えただけで不気味に見えてくるから、人間の認識という
ものは不確定な物だと再認識した。というこの認識もまた、どうでもいい出来事で認識を変えてしまう人間の……
 そんな終わらない理論について考えていると、いつのまにか20階への階段を見つけていた。
 最後には駆け足になりながら階段を上り終えると、
「待って」
 また長門が口を開く。
「な、何? またここも怪しいの?」
 ハルヒが羨ましい事に朝比奈さんを抱きつきながら長門を見つめている。
「この階は安全。でも、19階に何かの遺志が残っている」
 静かに呟く長門の声に、朝比奈さんが早くも顔を青くしていた。
 おいおい、あんまり驚かすなよ。
「有希。そ、それってどうすればいいの?」
 ハルヒも幽霊は怖いのか声が震えている。
「処理してくる」
 それだけ言って、長門は階段を戻って行ってしまった……。
「ちょ、ちょっと有希? 危ないわよ! 戻りなさい!」
 追いかけようとしたハルヒだが、階段から下へはどうしても戻る気になれないようだ。
「僕が行きましょうか?」
 この手の話題に耐性があるのか、古泉は平気そうだ。
 ハルヒはしばらく考えていたが、
「ん~……キョン、あんた行ってきてよ。有希はキョンの言うことは聞くみたいだから」
 皮肉ではなく、本当にそう思っているようだった。
 まあ、そうかもしれないな。
 わかった。長門はこの階は安全って言ってたから、待ってる間にみんなで探索しておいてくれ。
 心配そうに朝比奈さんが俺の手を掴んでくる。
「気をつけてくださいね……? 霊に取り付かれたりしないでくださいね? ね?」
 妙に深刻に朝比奈さんが俺の顔を見ている、貴女の住む未来の世界はそれが普通の事なんでしょうか……。
「さっさと有希を連れてきてね!」
 少しでも早くこの場を離れたいのだろう、ハルヒは俺の手を掴んでいる朝比奈さんを強引に引きずって先へと進んでいった。
 古泉もため息混じりに手をあげて、ハルヒの後を追いかけていく。
 取り残された俺は、じっと19階への階段を凝視してみた。
 ……幽霊……? まさかね……。


 19階の階段を降りて長門の姿を探すと、長門は階段のすぐ近くに立っていた。
 待っててくれたのか。
「そう」
 長門は俺が近づくのを見てからゆっくりと歩きはじめる。
「離れないで」
 歩く歩幅は男の俺のほうが広いのだが、俺との距離が広がらないように長門は気を使っているようだった。
 ……まさか、宇宙人のお前も幽霊が怖いのか?
 長門の意外な弱点を知ってしまったと思った俺のゆるい思考は、次の言葉を聞いた瞬間止まった。
「この階は放射能によって汚染されている」
 ………。
 えっと……。
 何も言葉にならない、とりあえず俺は長門との距離を縮める事にした。
 長門、今お前。放射能って言ったか?
「そう」
 前を見たまま答えるいつもと変わらない長門の返事が今日は怖い。
 放射能って……あれか? チェルノブイリとか菜の花とかのあれだよな?
「そう」
 菜の花は確か放射能に汚染された土壌を綺麗にしてくれる……ってそんなのどうでもいい!
 って! じゃあここに居たら危険なんじゃないのか?
 こうしている間にも被爆しまくってるんじゃないのか?
 放射能なんて物騒な物に詳しくはないが、やばい物だって事くらい俺でもわかる。
「周辺の空間は正常化させている。5人でここを通った時は通路全体を正常化させていたけれど、今は余力が無いから範囲が
狭い。あまり離れられると安全を保障できない」
 俺は急いで長門の小さな両肩にしがみついた。
 しがみつかれた長門はというと、なんだか歩きにくそうにしている。
 すまんが、耐えてくれ。
 変な意味でこんな事をしているんじゃないんだ。
 そ、それでここで何をするんだ?
 まさか放射能汚染を食い止めるとかなのか?
「無視できないイレギュラー要素がこの階の部屋から検地されている。それを処理する」
 長門はフロアーにある扉の一つに手をかけて、開いた。
 扉の向こうは下りの階段で、足元だけが照らされている。
 ここは……?
 長門に続いて俺が階段を少し降りると、長門はすぐに扉を閉めに戻った。
 閉められた扉は分厚い合金製で、厳重なロックがされている。
「シェルター、この中は大丈夫」
 長門は呟いて階段を降りていく、慌てて俺もその背中を追った。
 しばらく階段を降りていくと、やがて下に部屋が見えてきた。
 避難所の様な簡素な部屋の床に何かが見えている。
 ……おい、嘘だろ?
 ――それは、倒れたまま動かない子供だった。
 階段を駆け下りて手を触れてみると、その冷たさと痩せ細った体を見て人工呼吸といった措置が既に無意味なんだと告げていた。
 痩せ細った子供の遺体は3つ。
 これ以上見ていられなくて、遺体から俺は目を逸らした。
 ……なんなんだ。ここは何の為にあるって言うんだよ!?
 吐き気がして頭が締め付けられるように痛い。
 ふらふらとしている俺を横目に、長門は奥の部屋へと歩いて行った。
 駄目だ、歩けそうに無い……。
 俺が近くにあったソファーに座ってそのまま休んでいると、奥の部屋から長門が戻ってきた。
 奥にあったのだろうか? 長門はさっきまで何も持っていなかったのに、今は小さな手帳を持っている。
 処理ってのは終わったのか?
 うなずく長門は俺の前に手帳を差し出した。
 ――嫌な予感がする、でも見なくてはいけない。
 俺は手帳を開いた。
 几帳面な文字が書かれたページが続く、途中強く開かれた跡があるページがあった――そこには

 ‥‥なんとかこのシェルターに逃げ込めた。
 限られた水と食料を長持ちさせる為、私は殆ど手をつけずに子供達に与えてきた。
 だがもう限界だ‥‥ケン、ユキ。
 お前達を置いていく父さんを許しておくれ。
 アキラ2人の事を頼むぞ。
 神よ、私の命と引き換えにこの子達をお守り下さい!
 私‥は‥‥

 そこから先のページはどれだけめくっても白紙だった。
 なんだよ……なんなんだよこれは。
 俺はそっと手帳を長門に返し、奥の部屋へ行ってみることにした。
 暗い通路の先、シェルターの一室。そこには、横たわる無残な程に痩せ衰えた大人の遺体が一つ。
 その傍には、何故か見覚えのある乾パンが置かれていた。
 これは……都市世界で長門が食べてた乾パンだよな。
 俺が子供達が倒れていた部屋に戻ると、長門が子供達のそばにしゃがんで乾パンを並べている所だった。
 3人の子供の遺体の前にそれぞれ均等になるように乾パンを並べ終えると、そっと長門は立ち上がった。
「終わった」
 誰に言うのでもなく長門は呟く。
 もしかして、みんなにこんな状態を見せないように先に行かせたのだろうか。
 静かに子供の遺体を見つめる長門は、いつもと同じ無表情でいる。
 ――錯覚だろうか。
 俺には、そんな長門が泣いているように見えたんだ。


「あ、お疲れ様です」
 20階に俺と長門が戻ると、古泉が一人で待っていた。
 その顔にいつもの笑顔は無く、なんだか難しい顔をしている。
 俺と長門も似たような感じだろうな。
 長門はいつも通りにしか見えないかもしれないが。
 ハルヒと朝比奈さんはどうしたんだ?
 古泉はフロアーの途中にある部屋を指差して、
「この先の資料室に居るんですが、ちょっと意外な物を見つけたんです」
 とだけ行って歩き始めた。
 意外な物ってのはなんだ?
 資料室、そう看板が下げられた部屋はそこそこの大きさの書庫だった。
 いくつかあるテーブルでは、朝比奈さんとハルヒが書類を山積みにして読み漁っている。
「それが、わからないんです」
 わからないって……どーゆー事だよ?
「そのままの意味です。本当にそれが何を意味しているのかわからない……いや、わかりたくないと言った方が正確なのかも
しれません」
 古泉が差し出してきた書類に目を通してみると、そこには……。


 アーサー‥‥11階 19-3-21
 くろう ‥‥13階 50-2-18
 ハーン ‥‥19階 72-6-14
 ジーク ‥‥ 6階 24-2-12
 リズ  ‥‥12階 80-1-28


 なんの記録かはわからない、名前と意味不明の数字の羅列が広がっている。
 なんだこの記録は?いったい誰が……
 次のページを見た時、俺は目を疑った。


 ――涼宮ハルヒ‥20階 生存


 なんでハルヒの名前がここに書いてあるんだよ? それに生存って……。
 まさか、これはこの塔に挑んだ人達の記録だとでもいうのか?
「だめ……他に生存してる人がいないか見たけど、これだけ探しても一人も出てこないわ……」
 ハルヒが書類の山に読んでいた資料を叩きつけて埃を舞い上がらせる。
 埃の向こうに見えるハルヒはあきらかに苛立っていた。
 そりゃそうだ。
 ゲームの中の誰かに、自分がゲームのキャラのように観察されているなんて気持ち悪いとしか思えない。
 その時、俺は誰かが俺の事を見ているような気がして思わず振り返った。
 しかしそこには壁があるだけで、誰の姿も見えない。
 それでも、嫌な感覚は止まらなかった。
 ……いったいなんなんだ?
 不機嫌オーラを全開にしているハルヒが資料室を出て行き、俺達も無言のままそれに続いた。


 21階で俺達はまた扉を見つけた。
 長門、ここはどうだ?
 ここはシェルターみたいな事になっていないか?俺はそう暗に長門に聞いてみた。
 何も言わないまま長門は首を横に振る。それはどんな意味だったんだろう。
「開けるわよ」
 ハルヒが躊躇いがちに扉を開けると、隙間から明るい日差しと暖かな風。そして花の匂いが広がってくる。
「わぁ……!」
 明るく声をあげる朝比奈さんの心理状態をそのまま具現化したかのような、そんな明るい花畑がそこには広がっていた。
 思わず駆け出す朝比奈さんを追いかけて俺達もその部屋、というか花畑に入った。
 色や種類ごとに綺麗に区画分けされた花畑の横には小川が流れ、遠くからは鳥の声も聞こえてくる気がする。
「素敵なところですね」
 嬉しそうに微笑む朝比奈さんを見るのは、なんだか久しぶりな気がするな。
「さっきまでと全然違うのね……」
 ハルヒはこの空間に不自然さを感じているのか、素直に気を許せないようだ。
 正直、俺も気を許せないでいる。
 ここも、あのシェルターを塔に繋いだ奴が準備したかと思うと何か裏がある気がしてならない。
「あ、あそこに家があるわ」
 花畑の中央、草花に埋もれるようにその家は建っていた。


 近づいてみると、家の窓からベットの上で寝ている老人の姿が見えた。
「……お休みのようですね」
 別に無理に起こす用事もないからな。
 邪魔しないように戻るか。
 俺達が静かにその場を去ろうとすると、
「おお、もしやあなた方は‥‥塔から来られたのか?」
 掠れた老人の声が家の中から聞こえてきた。
 しまった、起こしてしまったか。
 仕方なく家の中に入ると、老人は俺達を見て大きく目を見開いて返事を待っていた。
「ええ、そうです。起こしてしまってすみません」
 頭を下げるハルヒを見て、老人は嬉しそうに微笑む。
「おお! やはりそうでしたか……どうぞこちらへ、お渡ししなければならない物があります」
 老人はベットの上で態勢を起こし、年輪のような深い皺の刻まれた腕で手招きしている。
 初対面の俺達に渡さなくてはいけない物?
 勧められるままハルヒがベットの隣にくると、
「これを受け取ってください」
 老人はベットの隣にある細長い棚を開け、一振りの剣を取り出した。
 丁寧な装飾が施された鞘に収められた剣は、素人目にも高価な物に見える。
 老人は両手で剣を持ち、ゆっくりとした動作でハルヒに剣を渡した。
「塔から現れる者に渡せと神から授かって以来50年。ついにその日が来ました」
 満足げにうなずく老人を前に、ハルヒはさっそく鞘から剣を抜いてみた。
 鍔元が鞘から金属音を立てて外れ、白銀の長剣が静かに姿を現す。抜き身になったその剣は、過度な装飾の無い実践向きな
長剣だった。
 見た目は重そうに見えるが、ハルヒは木の枝でも振るうように片手で剣を振っている。
 どうやら本当に信じられないほどに軽いらしい、振っているハルヒも驚いている。
「凄い……。おじいさん、この剣本当に頂いていいんですか?」
 ハルヒが剣から老人に視線を移すと、老人はすでにベットに横になっていた。
「……おじいさん?」
 老人の瞼は殆ど閉じかけていたが、なんとかハルヒに視線を向けて、
「これで安らかに眠れる‥‥ありが‥と‥‥」
 そう言い残し、穏やかな表情を浮かべたまま老人は瞼を閉じた。
 シーツの胸の部分が大きく膨らみ、そして下がって止まる。
 ――それっきり、老人は動かなくなった。
 俺達は誰も動けなかった。
 苦しそうな素振りが少しでもあれば、心臓マッサージや人工呼吸をしたり19階まで走ってオフィスにAEDを置いてが無いか
聞いてくるとか考えられたと思う。
 でも、老人の顔はまるで家の周りの花畑の一部なのかと思えるほど安らかだった。
 ようやく古泉が動き出し、念の為老人の顔の上に頬を寄せ首筋にそっと手を添える。
 しばらくそのままじっとしていたが、起き上がり俺達を見て首を左右に振った。
 まじかよ……。
「みんな。ちょっと先に行ってて」
 ハルヒが搾り出すように呟く。
 その言葉に従うようにまず古泉が、続いて俺の顔を見ながら朝比奈さんが家を出て行く。最後に長門も家を出て行った。
 俺はなんとなく出て行く気になれなくて、近くにあった椅子に座る。
 剣を鞘にしまって、ハルヒはそれをテーブルの上に置いた。
 テーブルの上の剣に視線を向けながら、ハルヒが小さな声で呟いた。
「これって私のせい? 私がここに来たからお爺さんは死んでしまったの?」
 それは俺への質問ではないのだろう。
 多分、自分に対して問いかけているんだと思う。
 ……なんでこんなイベントが終盤に準備されているんだ?
 破壊の裏にある経済活動、シェルターの悲劇、何者かの監視、そして出会うことで息絶える老人……。
 こんなイベントで俺達に何を感じろって言うんだよ?
 テーブルに置いた剣を再び手に取り、ハルヒは鞘の革紐を解いて自分の腰に巻いて止めた。
 柄を握り、抜剣に支障がないか確かめるとそのまま家を出て行く。
 阿修羅が居るって話の23階まで残り2階……。
 これ以上何も起こらないように祈りながら、俺も老人の家を出た。


「ああ、お待ちしていました」
 懐かしい声が通路に響く。
 俺達の姿を見て話しかけてきたのは、案内係の人だった。
 22階はフロアーそのものが狭く、探すまでもなく23階への階段が見えている。
 階段の前に立つ案内係の人は、優しい笑顔で俺達を眺めていた。
「この上に阿修羅が住んでいます。気をつけて!」
 その言葉はとても温かいものだったのだが、ハルヒは案内係の人を完全に無視して23階への階段を上っていった。
 お、おいハルヒ!
 お前が今不安定なのはわかるが、いくらなんでもその態度は失礼だろ?
「私のことはどうぞお気になさらず。きっと阿修羅との戦いの前に気が高ぶっているのでしょう」
 案内係の人は困った顔をしながらも、腹を立ててはいないようだ。
 阿修羅が居るって場所に一人で行かせるわけにもいかず、俺達も案内係の人に会釈をしながら階段を駆け上った。
 23階は緩やかな階段が続く通路で出来ていて、その先には扉が見えている。
 そして扉の前に立つ、大きなシルエット。
 あれが阿修羅か……。
 階段の先で待っていたハルヒは、俺達の姿を確認すると何かを確かめるようにうなずいた。
「……みんな、行くわよ」
 落ち着き払った声でハルヒはそう言うと、ゆっくりと通路を進んで行く。
 まあいい、今はとにかく阿修羅を倒す事に専念しよう。
 まっすぐ伸びている通路を進んで行き、シルエットが巨大な人の形に見えて来た。
「あんたが阿修羅?」
 ハルヒが大きな声で問いかけた。
 人の形に見えていたそれは、腹の位置らしい場所から何かが生えているように見える。
「そうだ。よくここまで来たな」
 阿修羅は面白そうに返事を返してきた。
 俺達が脅威の対象ではないのか、その声は余裕だ。
「どうだ、1つ取引をしないか?」
「取引?」
 近づいて、ようやく阿修羅がどんな姿をしているのかがわかった。
 頭には正面と左右に合わせて3つの顔があり、腕は左右に3本づつ。
 なるほど、確かに阿修羅だな……。
 しかも身長は白虎よりも遥かに高く、天井近くまで達している。ここまでくると遊園地の着ぐるみにしか見えなくて、恐怖感がないな。
「四天王に代わってお前達がそれぞれ世界を支配するのだ。いい話だろう?」
 にやにやと醜悪な顔を歪めながら阿修羅は俺達を見回している。
 本気で俺達がそんな話を受けるとでも思っているのか?
「あんたが全ての黒幕なの?」
 ハルヒの言葉に阿修羅が顔をしかめる。
「黒幕……とはどんな意味だ?」
「あんたを影で操ってる人は居ないの?って聞いてるの」
 ハルヒの言葉を鼻で笑い、
「ふっ、そんな奴はおらん」
 阿修羅は首を振る。
「あっそ」
 ――俺の目には光が走ったようにしか見えなかった。
 その一瞬でハルヒは踏み込みながら剣を抜き、そのまま目の前の阿修羅の足を切り払う。
 直径でハルヒの肩幅程はありそうな阿修羅の足首は、あっさりと胴体から切断されていた。
「な?」
 目の前の出来事が信じられないのか、阿修羅は反撃もできないまま階段に倒れる。
 無理も無い。阿修羅から見れば子供サイズのハルヒが、いきなり自分の足首を切り落としやがったんだ。
 俺も目の前で見ていて信じられないんだからな。
 そのまま階段を上り、まだ自分の置かれた状態を把握できない阿修羅を見下ろしながら、
「あんたのせいで苦しんだ人達の仇。取らせてもらうわ」
 ハルヒの剣がまっすぐ阿修羅の胸に突き刺さった。
 おいおい……たった一人で阿修羅を倒しちまいやがった……。
 俺達は何も出来ないまま呆然とその場で立ち尽くしている。
「何故……エクスカリバーをお前が……」
 阿修羅は、自分の胸に深く突き刺さった剣を見て驚いている。
 胸を刺された事よりも、むしろ刺さっている剣そのものを見て驚いているようだ。
「神よ……貴方は私を選んだのではなかったのですか……?」
「え? それっていったい……
 阿修羅の意識が途絶え、体から力が抜けると俺達の体は浮遊感に包まれ落下を始めた。
 なんの抵抗もできなかった、なんせ床が突然なくなってしまったのだ。
 落とし穴だ!
 そんな事がわかっても仕方ないが、暗闇の中を落下しながら俺は叫んでいた。
 どこまで落ちることになるかわからないが、なんとかしないとみんな死んでしまうぞ?!
 必死に長門の姿を目で追うが、みんなの姿はどこにも見えなかった。
 遠くから声がする‥‥。


「もう一度上って来れるかー?」


 ――誰かが優しく俺を揺さぶっている。
「……ョン君、起きてください?」
 その優しい声を間違えるはずが無い、この声は。
 朝比奈さん?
 そう呟いた俺の前にあったのは、期待した通りの朝比奈さんの顔だった。
「残念でした。ミレイユです」
 が、違った。
 嬉しそうな顔で俺を膝枕してくれているのは、空中世界で朝比奈さんと入れ替わったりと色々あったミレイユさんらしい。
 改めて見てみると、ここは薄暗い塔の中ではなかった。
 視界に入るのは広い高原、俺を見下ろすミレイユさんの笑顔。
 すぐ近くにある石造りの町、この町はもしかして……。
「大丈夫ですか?」
 辺りを見回す俺を、ミレイユさんが心配そうに見つめている。
 ここはどこですか?
「ここは塔の1階、大陸世界です」
 1階だって?
 じゃあ俺達は20階以上の高さからここに落ちてきたのか?
 それにしては体には怪我の一つも無い、っていうか普通死ぬだろ?
 みんなの姿が見えないが無事なんだろうか。
 長門が無事なら多分、全員助かってると思うんだが。
 あの、長門を知りませんか? 俺達と一緒に居た無口な女の子です。
 すぐに思い当たったらしい、
「ほら。向こうに居ますよ」
 ミレイユさんが指差す先では、長門が恰幅のいい男の人と一匹のスライムと会話していた。


 長門、何をやってるんだ?
 俺が長門に近づくと、長門の前に居た男の人は嬉しそうに俺の手を取り、
「鎧を手放して初めて本当に大切な物に気づいたよ。ありがとう」
 嬉しそうに話しかけてきた。
 ……えっと、この会話が成立しない人には覚えがあるぞ。
 確か鎧の王様だったか?
 えっと、気になさらないでください。
 俺は適当に答えて、鎧の王様の手を振り払った。
「私、幸せよ。あの人の子供がお腹の中に居るの」
 今度の声は下から聞こえてきた。
 ……そこには、うようよと動くスライムが一匹。
 ああ思い出した、声は綺麗な村一番の美スライムさんか。
 それより今、なんて言った? あの人の子供がお腹の中に居るだって?
 改めて見てみたが、そこに居るのはスライムだった。
 まさか、お腹の中に子供を入れて消化中って事じゃ……ないよな?
 ……まあいいか、長門ちょっときてくれ
 これ以上深く考えるのは止めよう。
 俺は長門の手を引いて、とりあえずその2人? から離れた。

 落とし穴に落ちた俺達を助けてくれたのはお前か?
 まあお前しかこんな事はできないよな。
 俺の問いかけに長門はしばらく不思議そうな顔をしていた。
 なんだ、お前じゃなかったのか? まさか古泉?
「私達は落とし穴に落ちていない」
 長門の返答は俺の質問そのものを否定するものだった。
 え? でもハルヒが阿修羅を倒したら急に床が無くなって……」
「床と通路を含めた全ての情報が書き換えられ、私達の位置が変わった様に見えているだけ」
 すまん、さっぱりわからん。
 頭を押さえる俺を見て、意味が通じなかった事を察したのか長門は続ける。
「何者かによって私達が居た周辺の情報が書き換えられた。ここは塔の23階であり、1階でもある」
 さらにわからなくなった……とりあえずだ。
 みんなは無事なんだな?
 俺の質問に今度はうなずき、長門は町の一角を指差した。
 そこにはハルヒに朝比奈さん、ついでに古泉の姿が見える。
 よかったとにかくみんなの所へ行こう、状況の把握はそれからだ。

「あ、目を覚ましたんですね!」
「よかった、キョン君だけ目が覚めなくて心配したんですよ?」
 町の中に来た俺と長門を出迎えてくれたのは、2人の朝比奈さんだった。
 え~っと、ちょっと待ってくださいね。
 まずは消去法でいこう。
 さっき町の外に居たのはミレイユさん、ということはここに居るのはジャンヌさんと朝比奈さんだ。
 服はどうだ? ……だめだ、今は2人とも同じ服を着ているからわからない。
「あ~私がどっちかわからないんですか?」
「え~ショックです」
 2人はからかうように戸惑う俺を見て笑っている。
 町にはジャンヌさんだけではなく、これまでお世話になった人達が集まっていた。さっきの鎧の王様に村一番の美スライムさん、
海洋世界の老人に、朝比奈さんのそっくりさん姉妹、さらにさやかさんの姿もあった。俺達との出来事で話題が尽きないのか、
塔の前は賑わっている。
 やれやれ阿修羅戦までのあの緊張感はどこへやら、だな。
「何にやけてんのよ」
 ハルヒがいつの間にか俺の後ろに立ち、腕を組んで睨んでいた。
 まあそう言うなよ、やっとゲームも終わりなんだ。エンディングくらい笑っててもいいだろ?
 俺の言葉にハルヒは顔を曇らせる。
「本当にこれで終わりなの?……なんかあっけなさすぎて信じられない。もしかしてあの阿修羅は偽物とか、幻だったんじゃない?」
 それはお前が強すぎただけだろ? 今更だが、俺達は長門のおかげでドーピングがしてあるんだ。
 ……と、俺は思いたいんだけどな。
 最後に阿修羅が言った言葉、あれはいったい。
 俺が顔を上げると、海洋世界であった老人が俺の顔をじっと見つめていた。
「お前等の倒した阿修羅はただの幻だったのか‥それとも‥‥」
 まるで俺の心を読んでいるかのように、老人は独り言を言っている。
 お爺さん、それってどういう意味ですか?
「‥‥‥」
 お爺さんは何かを考えるように俯いて、それっきり口を開かなかった。
「この世界から出てっても私達の事、忘れないでね」
 聞き覚えのある声に振り向くと、ライダースーツの女の子がハルヒに抱きついていた。
 赤い鉢巻でポニーテールを結わえたさやかさんはもう涙目になっている。
「ばっかね~さやかちゃんを忘れるわけないじゃない」
 さやかさんの頭を優しく撫でるハルヒも、なんだか寂しそうだった。
 ――これで終わりかな。
 阿修羅の言葉はすっきりしないが……まあこれで終わりってのもありだろう。
 町の中央に見える大きな塔は、はじめてこの町に来た時と同じように天高くそびえ建っている。
 塔の入口の扉に以前は無かった4つ丸い窪みが見える、あそこにクリスタルを入れて扉を開けるって事なんだろうな。
 扉の向こうはもしかして現実世界なんだろうか?
「あの扉の向こうに楽園への真の道があります」
 その声は騒がしい町の中だというのに、不自然な程にはっきりと俺の耳に聞こえてきた。
 別れを惜しむように盛り上がる輪から外れた場所に、あの案内係さんが一人で立っている。
 あなたはいったい……?
 俺の質問には答えないまま、案内係さんは塔の扉へと俺を促す。
 示されるまま扉へと近づくと、自然に扉は開いていった。
 扉の向こうには、残念ながら現実世界ではなく上へ登っていく階段が見える。
「あ! キョンあんた何勝手に一人で先に行ってるのよ!」
 怒った顔のハルヒ、困った顔の古泉。名残惜しげに大きく手を振る朝比奈さんと、それに付き合うように手を軽くあげたまま
歩く長門。
 全員が塔の前に揃った所で、ハルヒは町を振り返った。
「みんな! ありがとう! 元気でね~!」
 楽しそうなハルヒの声をバックに、俺達は塔の中へと歩き始めた。


 塔の中は、何故か階段ではなくエスカレーターが設置されていた。
「最初からエスカレータにしてくれればよかったのに」
 エスカレーターの手すりを逆方向へ引っ張ると言う無意味な抵抗をしながら、ハルヒが誰に言うでもなく不満を言った。
 それだと味気ないからじゃないか?
「やれやれ、これでクリアですね」
 古泉が嬉しそうに息をつく。
 お前、前にも同じことを言わなかったか?
「そうだったかもしれません」
 俺に指摘されて古泉は小さく笑う。
 これでまた海洋世界が待ってたら笑えないけどな。
 敵が現れる事も無く、俺達はのんびりとエスカレーターに乗っていたのだが、
「先に行ってるわ!」
 ハルヒは飽きたようだ。
 おい! あんまり一人で先に行くなよ?
「わかってる~」
 エスカレーターを2段飛ばしでハルヒは上っていってしまった。
 まてよ? 本当にこれで終わりなのか?
 長門、もう敵は出ないんだよな?
 あっさりと長門はうなずく。
 そうか、ならほっといてもいいか……。
 ほっとした俺に長門の追加説明が入った。
「大丈夫、エンカウント率は0のままにしている。本当はこのエスカレーターには復活した四天王が配置されていた」
 マジか?! ……じゃあまだエンディングじゃないんだな。
 やっぱりラスボスは別に居るって事か。
「このままエンディング」
 終わりなのかよ?!
「復活した四天王以外にボスのような敵の情報は存在しない」
 なんだそりゃ?
 ゲーム的に考えたら、復活した四天王って展開の後に待ってるのは真のラスボスの登場なんだが。
「変わった趣向ですね。このゲームの製作者の意図はよくわかりません、エンディングではどんなイベントが待っているんでしょう?」
 こうして塔は救われた……塔を救った勇者達は元の世界に戻り、変な空間に閉じ込められる事も無くなって平和に暮らしましたとさ。
 これじゃだめか?
「パレードとかあるんでしょうか?」
 それは、どうでしょうね。あるかもしれませんよ?
 来春公開の映画の内容を予想するようなのんびりとした時間を過ごしていると、
「遅いじゃない!」
 エスカレーターはいつの間にか俺達を最上階まで運んでくれていた。
 お前が勝手に先に行ったんだ。
 エスカレーターの終わり、ハルヒの立つ後ろには大きな扉が見える。
 今度こそ現実に戻れるんだろうか?
 期待する俺の顔を見てうなずいてから、ハルヒは扉をゆっくりと開くとそこには……。


「これが楽園なの?……殺風景なところね」
 白かった。
 むやみに広く白い空間、足元はコンクリートなのか石なのかわからない不思議な質感の床がありどこまでも広がっている。
 見上げる空には雲ひとつなく、というか太陽がなかった。
 それなのに、不自然なほどに明るい。
 地平線が見えないほどに広がったその空間には、所々適当に家具が置かれていた。木が生えている所もあるのだが、それは
何の法則があるのかわからないような疎らな生え方で、自然の状態には見えない。
 風も無く、何の音もしない。
 まるで最初に俺達が来た、あの白い部屋みたいだ。
「す、涼宮さん」
 朝比奈さんの驚いた声に振り向くと、さっき俺達が通ったはずの扉はそこには無かった。
 代わりにとでも言うのか、小さな泉が扉があったであろう場所の地面から沸いている。
 閉じ込められちまったってことか?
「向こうに川が見えますね」
 古泉が指差す方に、一直線に伸びる川が見えている。
 他に目標になるような物もなかったから、とりあえず俺達は川の方へと行ってみた。
 川は側溝を広くした程度のもので、またごうと思えばまたげてしまえるのだが川の上流に小さな橋が見えている。
 橋があるって事は、その先に何かあるんだろうか?


 異様な雰囲気にその後は誰も口を開かないままで橋へと歩いていくと、視界に見覚えのある姿の男性が見えてきた。
 男性は木製の椅子に座り、テーブルに置かれたいくつかの水晶をじっと見つめているようだ。
「まずい事になりました」
 古泉が小声で話しかけてくる、いつものにやけ顔はそこにはなく真面目な顔でこちらを見ている。
 何がだ。
「手短に言います、涼宮さんと同じ力をあの男性から感じるんです」
 周囲の環境を自分の思うがままに操る力、だったか?
 ……おい、まさか。
 古泉はうなずく。
「今回の出来事を企てたのが誰なのか、それはまだわかりません。ですが、実行したのは恐らく……」
 俺達が橋を渡り終えた時にはそれが誰なのかはっきりとわかった。
 いつか聞いた古泉の言葉をふと思い出す。「その様な力を持つ存在を人は神と定義します」
 顔がはっきりと見えるほどに近づいた所で、その人はようやく椅子から立ち上がる。
  ――シルクハットをかぶり黒いスーツに身を包んだその人は、大陸世界の町で俺達を見送ったはずの案内係さんだった。


「やっと来ましたね。おめでとう。このゲームを勝ち抜いたのは君達が初めてです」
 拍手をしながら案内係さんは近寄ってくる。
 穏やかな笑顔はいつもと変わらないが、それはいつもの案内係さんではなかった。
「ゲーム?」
 ハルヒが眉間に皺を寄せて聞き返す。
 すると説明したくてたまらなかったのか、嬉しそうに
「私が作った壮大なストーリーのゲームです!」
 両手を広げて案内係さんは明るく答えた。
「ど、どういうことなんですか?」
 状況がわからないのか、朝比奈さんは脅えている。
「私は平和な世界に飽き飽きしていました。そこで阿修羅を呼び出したのです」
 何考えてんだ!
 俺の声に耳を貸す様子も無く、案内係さんは微笑んでいる。
「阿修羅は世界を乱し、面白くしてくれました」
 その時の事を思い出しているのか、案内係さんは嬉しそうにテーブルに置かれた水晶を撫で回した。
 水晶には破壊される町や繰り返される抗争が映っては消えていく……。
 ふっと案内係さんの顔から表情が消え、水晶に映された映像も同時に途絶える。
「だがそれも束の間の事、彼にも退屈してきました」
 ……なんてやろうだ……。
 こいつ一人の娯楽の為に、都市世界の犠牲やあのシェルターの悲劇はあったっていうのかよ?
「そこでゲーム……ですか?」
 怒りを隠そうともせずに古泉が呟くと、
「そう! その通り!! 私は悪魔を打ち倒すヒーローが欲しかったのです!」
 嬉しそうに案内係さんは古泉を指差した。
「何もかも、貴方が書いた筋書きだった訳ですね」
 古泉が睨みつけても、案内係さんからは笑顔が消えなかった。
「中々理解が早い。多くの者がヒーローになれずに消えていきました。死すべき運命を背負ったちっぽけな存在が必死に生きていく
姿は私さえも感動させるものがありました。私はこの感動を与えてくれた君達にお礼がしたい! どんな望みでも叶えてあげましょう」
 本気でそう思っているのだろう、案内係さんの言葉は本当に感謝に満ちている。
 もういい、黙れ。
 聞くに堪えない。
 俺が一発ぶん殴ってやろうと近寄ろうとすると、ハルヒが俺の前に出た。
「あんたの為にここまできたんじゃないわ! よくも私達を、みんなをおもちゃにしてくれたわね!」
 我慢しきれず、ハルヒが老人の剣を抜いた。
 剣先を自分に向けられても、案内係さんからは……いや、もうさん付けで呼ぶまでもない。
 案内係は笑みを絶やさないでいる。
「それがどうかしましたか? 全ては私が創った物なのです」
 黙って聞いていればさっきからこいつは……。
 俺達は物じゃない!
 俺は都市世界でハルヒに押し付けられた銃を案内係に向けた。
 後ろでは朝比奈さんがこわごわとバルカン砲を構え、古泉も赤い玉を手に浮かべている。長門は何故かじっとしたまま動かないで
いた。
「神に喧嘩を売るとは‥‥どこまでも楽しい人達だ!」
 高らかに笑いながら案内係、いや神は俺達からゆっくりと離れていく。
 ……逃げるつもりなのか?
 隣に立つ古泉が神から視線を話さず呟く。
「涼宮さんがあの男を毛嫌いしていた理由が今ならわかる気がします。きっと、あの笑顔の下にあった邪悪さを無意識に感じ取って
いたんでしょうね」
 ああ、今となっては素直にあいつを頼りにしていた自分が恥ずかしいぜ。
 古泉、一応聞くがあれはハルヒのお仲間みたいなもんなんだろう? お前らの機関としては倒しちまってもいいのか?
 神から目を離さないまま、隣に立つ古泉に呟く。
「全く構いません。機関の考えはともかく、僕にも神を選ぶ権利はあると思いますから」
 同感だ。
 たとえ暴君で我侭だとしても、同じ神なら俺はハルヒを選ぶさ。
 神はある程度離れた所で振り向いた。
 そして俺達の顔を順番に眺めてから、何故かため息をついた。
「どうしてもやるつもりですね。これも生き物の欲望(サガ)か‥‥」
 神の顔から、ついに微笑みが消える。
「よろしい。死ぬ前に神の力、とくと目に焼き付けておけ!!」
 それまでの落ち着いた雰囲気を捨て、神は怒鳴りながら俺達に無防備に近寄ってきた!


 俺や朝比奈さんが構える銃口を前にしても怯む様子は全く無い。
 く、撃てないと思ってるのかよ?
 撃つ自信はないが、このまま撃たないでいられる自信はもっとないぞ!
「こ、来ないでください!」
 朝比奈さんが悲鳴混じりに叫んで引き金を引いた、朱雀をあっさり葬りさった銃弾は神に向かって真っ直ぐ飛んでいったのだが、
どれだけ撃っても何故か神には当たらずにすり抜けていってしまった。
 長門がデータをいじってくれてるのに当たらないだと?
 朝比奈さんは引き金を引いたまま、弾切れになった事にも気づかずに呆然としている。
 俺も神の足を狙って引き金を引いてみた、が弾は虚しく地面にめり込んで止まる。
 どうなってるんだ?
 銃では倒せないと考えたのか、ハルヒが神に向かって走り出す。
 あっという間に剣の間合いに入ったが、神は構えようとも避けようともしないでいた。
「懺悔なさい!」
 ハルヒが老人の剣を高く振りかざし、神の肩から一直線に振り下ろした――
「何をしているのですか?」
 神の顔には笑顔が戻っていた。
 そしてわざとらしく、ゆっくりとハルヒに問いかける。
 ――神は何もしなかった。
 阿修羅をもあっさり倒した老人の剣は確かに神の体を切りつけ、
「うそ……」
 柄を残して消滅してしまっていた。
「まさか……私が創った武器で私が傷つけられるとでも思っていたのですか?」
 動揺するハルヒに向かって無防備に腕を広げながら、神は笑っている。
「さあどうぞ攻撃なさってください。無残に散った人達の仇を討つのでしょう?」
「涼宮さんよけてください!」
 ハルヒの背後に近寄っていた古泉が神に向かって赤い玉を投げつける。
 玉は体をひねってかわすハルヒの目の前を通過して神に直撃する。
 やったか?
 爆炎が巻き起こり神の姿が見えなくなる、その間にハルヒは距離をとった。
 炎が収まると、神は無傷のままそこに居た。
「私の創造物ではない存在だと……?」
 神の顔からは笑顔が完全に消えている。
 それに反比例するかのように、
「って事はとりゃー!」
 ハルヒの明らかに顔を狙った上段蹴りが神を襲う、なんとか両腕で防いだものの
「ちいっ!」
 神の表情に余裕は無い。
「素手なら殴れるって事ね! だったらいけるわ!」
 さっきのうろたえた表情が嘘だったかのように、ハルヒは嬉々として神に接近していく。
 顔を狙ったパンチを防ごうと神が腕を上げたところを掴んで下腹部に膝を入れ、さらに後頭部を両手で叩き落す。
 無様に地面に崩れた神が起き上がろうとすると、今度は古泉の赤い玉が襲い掛かる。
 2人の連続攻撃の前に反撃できず、神は防戦一方だ。
 こうなるともう俺の出番はないな、朝比奈さんも何も出来ずにおろおろと戦闘を見守っている。
 いいんですよそれで、ハルヒが神をノックダウンしたらタオルでも投げてやってください。
 もう一人の傍観者、長門はハルヒではなく神の様子をじっと見ていた。
 どうした長門? まだ何かあるのか?
 俺が近づいても、長門の視線は神の動きに釘付けになっている。
 長門?
「いけない」
 神を見つめたまま、長門は答えた。
 何がいけないんだ?
 暴力か? そりゃまあ暴力はいい事じゃないが、あいつに同情はいらないぞ。
「彼を倒してはいけない」
 神が動くのに合わせて、長門の瞳が細かく動く。
 どうしてなんだ?
 まさか、あいつが居なくなったらこの世界が無くなるとかなのか?
「規模と力は限定されているものの、彼には涼宮ハルヒと同様の力があると考えられる。統合思念体は彼を新たな観察対象として
認定した」
 ……その、認定されるとどうなるんだ?
「当該対象を観察し、情報を集める。また、当該対象に致命的な危害を加えようとする存在が現れた場合はそれを排除する。私の
担当は涼宮ハルヒ、遠からず統合思念体は彼を担当するインターフェースをこの場所に送り込む」
 それってお前や朝倉みたいなのがここに来るって事なのか?
 光の中に消えていったクラス委員の顔が記憶に蘇る。
 長門はうなずき、そして続けた。
「新たなインターフェースの到着まで、私が彼を担当する」
 ……それって。
「今よ古泉君!」
 ハルヒのでかい声に振り向くと、とび膝蹴りが側頭部に決まり神が膝から崩れ落ちる所だった。間髪居れずに倒れこんだ神に
向かって飛んでいく赤い玉。
 俺の隣で長門が何かを呟くと、赤い玉は急に進路を変えて地面に落ちてしまった。
「こら、ちゃんと狙って!」
 起き上がる神に追撃しながらハルヒが古泉を指差して怒る、
「す、すみません」
 頭をかきながら愛想笑いを浮かべる古泉は、そっと長門の方へ視線を送った。
 古泉の顔に焦りが浮かんでいる、俺の顔にも浮かんでいるだろうな。


 この世で最も敵に回してはいけない存在、長門が敵に回ってしまったのだ。


「この愚民どもめ……悔い改めよ!」
 神は両手を広げて空に向かって何かを叫んだ。
 見えない風圧のような何かが神から広がっていく、すぐ近くに居たハルヒは怯んだだけだったが
「きゃあ!」
「くぅっ!」
 長門の傍に居た俺は影響を受けずにすんだが、朝比奈さんと古泉はその場に倒れてしまった。
「え、ちょっとみくるちゃん?古泉君?」
 神に追撃してくる様子がないのを見て、ハルヒが倒れた朝比奈さんを抱き起こしに向かった。
 となると俺は古泉か……。なんて残念がってる場合じゃない。
 倒れたまま動かない古泉の元へ走り、背中に手を当ててゆさぶってみる。
 おい古泉起きろ! 目を覚ませ!
 俺が声をかけると古泉は目を開けてゆっくりと俺の手を掴んできた。
 立てるか?
 俺が引き起こそうと力を篭めると、逆に強い力でひっぱられて俺まで古泉の上に倒れてしまった。
 って、何しやがる!
 古泉は何故か俺の手を掴んだまま離そうとしない。
「意外ですね、貴方がこんなに積極的になるなんて」
 妙に甘い声で古泉が囁く、っていうか囁くな気持ち悪い。
 おい大丈夫なのか?
「ええ、僕はいつでもいいですよ?」
 嬉しそうに古泉は俺を見つめている。
 まて、これってまさか……。
「ちょっとみくるちゃん止めなさい!こら!そんなとこひっぱらないの!」
 向こうでは朝比奈さんがハルヒの上に馬乗りになっていた。
「えへへ~抵抗しちゃだめですよぉ。さあ脱ぎ脱ぎしましょうね~」
 とろ~んとした目つきで朝比奈さんはハルヒの服を脱がそうとしている。
「こらバカ! こんな事してる場合じゃないでしょ?! ちょっとみくるちゃん!」
 2人とも混乱してるってのか?
「さあ、僕等も楽しみましょう?」
 古泉の言葉の意味がやっとわかり、俺が本能的な恐怖を感じた時。
 白く細い腕が古泉の額に触れて、そのまま古泉は意識を失って再び倒れる。俺の色んな意味での危機を救ってくれたのは、
無表情のまま俺達を見下ろす長門だった。
「わからない」
 とにかく立ち上がり、まだ目を覚まさない古泉から俺は少し離れた。
 何がわからないんだ?
 古泉の今の言動の意味か? 頼むからそれは俺に聞かないでくれ。思い出したくも無い。
 神の様子を確認してみると、ぶつぶつと何かを呟きながら自分の体についた砂や埃を念入りに落としているところだった。
「統合思念体との連結は依然限定的、指令は神と自称する男と涼宮ハルヒの情報収集、そして脅威の排除」
 お前がわからない事を俺がわかるとは思えないが、それ以前に質問からわからんぞ。
 つまりどうしろって言ってるんだ?
「涼宮ハルヒと神を自称する男、2人に対して危害を加える存在を排除する」
 ハルヒに危害を加えるってのは神の事だろうが、神に危害を加えるってのはハルヒと……。
 それって……俺達を……か?
 長門は肯定しなかった、しかし否定もしなかった。
「その行動は涼宮ハルヒに極めて重大な影響を与えてしまうと考えられる。情報収集をする上でそれは避けなければならない。
でも、他に指令を遂行する方法が見つからない」


「……よくも、よくも万能の神であるこの我を地に這わせてくれたな……」
 シルクハットを脱ぎ、髪型を整えてもう一度かぶりなおすと神はようやく落ち着きを取り戻したようだ。
 くそっ! こっちは問題が山積みで忙しいんだ! もっとのんびり身なりでも整えてろよ!
「絶望という物を教えてやる……光、あれ!」
 神が再び空に向かって何か叫ぶと、今度は視界が全て真っ白に覆われた。
 目潰し?
 とにかく目を閉じてみた。
 嘘だろ? それでも視界は真っ白なままだと?
「何よこれ? 何も見えないじゃない!」
 ハルヒの声が聞こえるが、どこに居るのかすらわからない。
 となると、俺達の中にはまともに動ける奴は一人も居ないって事じゃないか!
「せめてもの情けだ、何もわからぬままに殺してやろう」
 神が何をしようとしているのか知らないがこのままじゃやられちまう!
 焦る俺の手を冷たい誰かの手が握りしめる。
 途端に俺の目に視力が戻り、目の前にはじっと俺を見つめる長門の顔があった。
 ……助けてくれた……って感じじゃないな。
 長門は俺の顔を見つめたまま、しばらくその場で立っていた。
 そしておもむろに俺の腰に巻かれているホルスターから銃を取り出して、長門はそのまま銃口を俺へと向ける。
 デジャブって奴か? かつて俺を殺そうとした同級生の言葉が思い出された。
『気をつけてね? いつか長門さんの雇い主が心変わりをするかもしれない』
 朝倉の言葉は皮肉にも現実になっちまったわけか。
 大人の朝比奈さんといい、長門といい、ハルヒの回りの人間が気をつけろって言ったら確実に危険が訪れるってのかよ。
 長門は、いざとなれば俺がハルヒに「俺がジョン…スミスだ」と言う事を知っている。
 そうなれば不確定要素のバーゲンセールだ、誰にも予想のできない未知の世界がくるんだろう。
 だからこそ、長門にとって最大の不安要素は俺って事なんだよな。
 無骨なマグナムは長門の細腕一本で支えられ、銃口は正確に俺の眉間を狙ったまま微動だにしない。
 朝倉の時と違って動けないわけじゃないが、逃げようとか抵抗しようなんて考えは浮かばなかった。
 それが無駄な事だってわかっていたし、これが俺の人生の最後だというのなら無表情な長門の顔を最後まで見ていたい。
 長門の無機質な瞳に俺が映り、揺らいでいる。
 ……揺らいでいる?
 冷静で私情を挟まないというか、私情そのものが存在しないはずの長門はいつまで経っても引き金を引かないでいた。
 俺をはじめて呼び出したあの日、長門は俺に自分の事を「この銀河を統括する統合思念体によって創られた、対有機生命体
コンタクト用インターフェース」だと説明した。
 でも今、俺を見つめているのは誰だ?
 たとえ真実がどうであれ、俺には長門は大事な仲間だとしか思えない。
 いや、俺にとって長門はそれだけの存在ではなく……。
 俺の思考がまとまる前に、長門の目は閉じられ。


 ――引き金は引かれた。


 至近距離から自分に向かって発射された銃弾を見ることが出来る、そんな人間はこの世に居ないだろう。
 万一居たとしても、高確率で死亡するだろうからやはりこの世には殆ど居ない事になる。
 だが、俺の目の前で空中に静止しているのはどうみてもマグナム弾で、それはそのまま動こうとしない。
「通信情報連結。解除」
 目を閉じたまま動かない長門が呟くと、マグナム弾は重力に従ってその場に落ちて乾いた金属音を立てた。
 その音が合図だったかのように、長門の手に握られたマグナムが光に包まれて姿を変えていく。
 数秒後、光は縦に伸びて一本の剣が長門の手に握られていた。
 剣の刃は透明なガラスの様なもので出来ていて、刃の向こうには目を閉じたままの長門の顔が見える。
 長門。
 俺に名前を呼ばれて長門は目を開き剣を下ろすと、俺の手を取り剣を渡した。
 この行動はさっきまでの長門の話からすれば、多分命令違反とかになるだろう。
 いいんだな?
 長門は俺の顔を見つめたままうなずく。
 俺は空いている手で長門の頭を撫でてやった。
 少しうつむいて、不思議そうな顔で長門はされるがままになっている。
 いつもすまないな。
 俺に撫でられながらも長門は横に首を振る。
 しばらくの間、俺は長門の柔らかな髪を撫でていた。


 覚悟を決めた俺が向き直ると、神は両手を空にかざしていて、その真上には巨大な赤い玉が出来上がっていた。
 かなり上空に浮いているはずなのに、多少熱を感じる気がする。
 太陽でも作ってるのか? あんなもんぶつけられたら即死だな。
 そう思いながらも俺は何故か冷静になっていた。
 おい!
 俺は神に向かって怒鳴った。
 その声に神に届いたようだが、意にも介さずにそのまま赤い玉を巨大化させていく。
 やるしかない、俺は長門にもらった剣を握り神に向かって走り出した。
「ガラスの剣か……私が創った武器の中では最強の物だ」
 視線だけを俺に向けながら神が呟く、
「だが、私が創った武器では私を傷つけることはできない……それくらい学習したらどうかね?」
 知るかそんな事。
 これで駄目なら全滅だろうが……俺にできるのは長門を信じる事だけだ!
「無駄なことを……」
 加速した勢いそのままに飛び上がり、真正面から剣を振り下ろす。神はその様子を冷めた目で見つめていた。
 その時、離れた場所で長門は呟いていた。
「アイテムコード、ガラスの剣のデータを置換」
 俺の手に握られた剣が、再び光に包まれる。
「な………」
 姿を変え、騒音を撒き散らしながら俺の手に握られていたのは、
「データ修正完了」
 それは武器だと言うのもおこがましい大工道具、チェーンソーだった。
 振り下ろそうとしていた動きはそのまま止まらず、驚いた顔のまま固まっている神にチェーンソーは振り下ろされる。
 回転するチェーンが神に触れた瞬間。
 まるで霧に突風が吹き込んだかのように神の体は四散していき……
 
 ――かみは バラバラになった


 たった数秒の対峙で、世界をもてあそんできた神は何の痕跡も残さず消え去ってしまった。
 やっちまったぜ……。
 俺は振動を続けるチェーンソーを地面に落ろし、自分もその場に腰を下ろした。
 今度こそ終わり、だよな。
 もう戦闘なんてこりごりだ。
 チェーンソーのエンジンも止まり、神が消えた空間は何の音もせず静寂に満ちている。
 ――こんな場所で一人で居たらおかしくなるのもわかる気がするぜ。
 俺は、ここまでじゃないにしろ殺風景な場所に住んでいる同級生へと視線を向けた。
「‥‥」
 視線の先に居る長門はじっと俺を見つめ返してくる。
 終わったぜ、長門。
「これからどうするんでしょうか?」
 朝比奈さんがハルヒに肩を貸しながら俺のそばへとやってきた、どうやら正気に戻っているらしい。
 ……そうですね、どうしましょうか。
 俺は答えられないまま、とりあえず立ち上がった。
 ハルヒは朝比奈さんにつかまって立っているが、まだ目が見えないのか視点が定まっていない。
「ねえキョン、そこに居るの? 神は?」
 これは長門に頼んだ方がよさそうだな。
 ああ。神は俺が倒したよ。
「あんたが?」
 何で不満そうなんだよ。
 俺は長門を呼んでハルヒの事を頼み、神の座っていたテーブルへと歩いていった。


 テーブルの上には透明の水晶がいくつも並んでいる。
 その表面には何も映ってはいない。
 ……こんな小さな画面に映る世界を見るだけがあんたの楽しみだったのか。
 神が作った世界は全てが神の思い通りになるんだとしたら、神にとってそれは退屈な世界でしかなかったんだろうな。
 だからわざと壊したり、自分の意のままにならない存在を望んだりしたのか。
 戦闘中は気づかなかったがテーブルの向こう側には真っ白な壁があり、そこには扉が見える。
 テーブルに近づく足音に振り返ると、古泉だった。
 ……見た感じ正気に戻っているようだが安心はできない。
 身構える俺の隣に立ち、
「この向こうにも別の世界があるんでしょうか?」
 壁の扉を指差して古泉が聞いてきた。
 さあ、どうだろうな? もしかして楽園ってのがあるのかもしれないぞ? 試しに行ってみたらどうだ?
「僕はどちらでもかまいませんよ。万一この世界から出られないのであれば最低限の生活環境は確保しなくてはいけませんしね」
 本気か冗談なのかわからない、いつもの口調で古泉は答えた。
 そうかもな。でも、新しい世界を探さなくてもここも結構いいとこになったんじゃないか?
 世界中のどこを探しても、朝比奈さんのそっくりさんが2人も居る場所なんて無い。
「そうですよね。悪い人はみんなやっつけちゃいましたから」
 元気になったハルヒと長門を連れて、朝比奈さんもテーブルまでやってきた。
 神に阿修羅に四天王。
 この世界を支配していた存在は全部倒してしまった事になる。
 ようやく目が元に戻ったのだろう、長門と一緒にハルヒが歩いてくる。
「ねえキョン、あんたはこのゲーム面白かった?」
 水晶の一つを手に取り、覗き込みながらハルヒが聞いてきた。水晶の中で反転したハルヒの顔を見ながら答える。
 それなりに、な。でもまあ所詮ゲームだ。
 いつも巻き込まれてる不思議な出来事に比べればどうってことない。
「ふ~ん」
 水晶をテーブルに戻し、ハルヒは俺達の前を通り過ぎて扉へと向かって歩いていく。
 扉の前に立ったハルヒは、俺達を振り返った。
「行きましょう」
 ハルヒの顔には迷いは無い、聞いても無駄だが一応聞いてやろう。
「何処へでしょうか?」
「何処へですか?」
 何処へだ。
 俺達の声が重なる。
 我らの女神はいつものように胸を張り、満面の笑顔で宣言した。
「私達の世界へ!!」
 そしてハルヒが扉を開き、隙間から溢れ出した光がその顔を照らす……。

 

 


 


「おい!誰か中に居るのか?」
 乱暴にドアを叩き続ける音が狭い室内に反響する。
 突然暗闇が視界を覆い、それが自分がヘルメットをかぶっているからだと気づくのにしばらく時間がかかった。
 その間も苛立たしげなノックはエンドレスで続いていて、俺は慌ててヘルメットをテーブルに置いてソファーから飛び起きると
ドアの鍵を外した。
 扉を開けると、狭いブースの通路に知らないおじさんが立っている。
「あんた、いったいどこから入ったんだ?」
 作業服に身を包んだおじさんは、俺の顔を見て不審そうな顔をしている。
 えっと、入口の自動ドアからなんですが……。
「ああ、だから入口が開いてたのか。誰だ鍵を開けたままにしたのは……すまんがオープンは来週の日曜だ、また出直してきてくれ」
 おじさんは俺を部屋の外へ追い出すと、部屋の中に色んな工具を運び込み始めた。
 ……改めて自分の姿を確認してみる。
 朝比奈さんに貸したはずの上着はちゃんと着ているし、ハルヒの力に負けて飛んでいったはずのボタンも全部付いている。
 腰にはホルスターも当然銃もない。まあ、あったらあったで困るが。
 ……ちゃんと現実に戻ってこれたって事か?それとも全部夢だったのか……?
 俺ははっきりしない頭を振りながら、みんなを起こすために順番にドアを叩いていった。
 全員が揃ってブースから出てみると、ゲームセンターの中には作業服に身を包んだ人が大勢溢れていて配線や機械の設定の
最中だった。
 どうみても今日オープンって感じではないぞ、これは。
「なんで? オープンって今日じゃないの?……あれ? チケットって誰が持ってたっけ?」
 ポケットを探すハルヒに長門が5枚のチケットを差し出した。
 ハルヒはそれを受け取り、日付を確認してみる。
 ……あの世界はやっぱり現実だったのか。
 ハルヒが持つチケットの裏には、大陸世界で別行動する時に書いたマークが残されたままだった。
「来週じゃないのこれ!」
 怒りにまかせてチケットを押し付けられた俺は、ハルヒがマークに気づかないようにそっと自分の上着にそれをしまった。
 間違えた俺達が悪いんだ。とりあえずここを出よう、仕事の邪魔になってる。
 俺の言葉を待っていたかのように、ブースの前に立つ俺達を押しのけるように大きな看板が運び込まれてきた。
 看板には大きく「魔界塔士SaGa」と書かれている。
「ふ~ん……」
 ハルヒは看板をしばらく見ていたが、やがて興味を無くしたのか出口へと歩いていった。


 朝比奈さんが着替えを終え、俺達がゲームセンターから出た時にはすでに夕方を過ぎていた。
「……すみません、バイトが入ってしまいました」
 外に出た途端、古泉がそう切り出した。
 見るからにハルヒは不機嫌だからな、まあがんばれ。
「え~? ……古泉君はバイトだしもうこんな時間だし今日は疲れたし……今日はもう解散ね」
 携帯電話を見ながらハルヒが愚痴った。
 お前でも疲れるって事があるんだな。
 解散と言って駅まではどうせみんな一緒に行くことになる。ハルヒについて長門と朝比奈さんが歩いていき、俺もそれについて
行こうとすると、
「よかったらご一緒しませんか? 今回のバイト先へ行く途中で貴方の家の傍を通りますので」
 わざわざ俺だけを誘うって事は何か意味があるって事か。
 俺は長門に古泉と一緒に帰る事を伝え、むかつくほど都合よくやってきた黒いタクシーへと乗り込んだ。


「今回は誰の仕業だったんだ?怒らないから言ってみろ」
 俺の不機嫌な視線を受けながら古泉はいつもの笑顔で前を見ている。
「僕は最初、機関のメンバーの暴走。そう考えていました」
 考えていました。って事は違うのか?
「ええ、残念ながら。確認してみましたがそのような事実はありませんでした」
 いつ、どこで確認したっていうんだ? ……それはいいとして、
 残念ながらってのはどーゆー意味だ?
 まさかお前、神になりたいなんて思ってるのか?
「今回のような力を持つ者が我々の機関に居れば、万一の時の切り札になるでしょう?我々には貴方のような切り札はありません
ので」
 何の事だ?
 古泉の想像している切り札と、俺の持つ切り札は違うだろうがわざわざ教えてやる義理はない。
「ご想像にお任せします。さて犯人について、ですが」
 知ってる事は全部話せ、知っていても何もできんかもしれんが心の準備はできる。
 ついでに言えば、逃げ出す事もできなくもないかもしれんからな。
「長門さんでも朝比奈さんでもなく、涼宮さんも直接の原因ではなかったようです」
 ……じゃあ誰だよ。
 新たな人物の登場か?
 できれば常識のある人でお願いしたい。
「僕が以前、神の定義についてお話したのは覚えておいでですか?」
 ああ、前にタクシーで聞かされたあれか。
 残念ながら覚えておいでだ。
 自らの意のままに世界を作り変えるような存在、などという妄想のことだよな。
「ではお聞きします。貴方も見たあの男性、彼は神と呼ぶべき存在だったでしょうか?」
 シルクハットをかぶり、俺達を欺いてきたあの笑顔を思い出す。
 いいや。
 あんな奴が神様でたまるかよ。
 面白半分に世界を壊すなんてのはテレビゲームの中だけにしておけってんだ。
「そうでしょうね。人間は神には自分達を庇護する親のような存在であって欲しいと願っているのでしょうから」
 まるでお前が人間じゃないみたいな言い方だな。
 天使なら朝比奈さんだけで十分だ。
「僕から見ても彼は神と呼ぶには身勝手過ぎました。涼宮さんが力を自覚したとしても、ああはならないでしょうね」
 まだハルヒが神様だとでも言いたいのか?
「話が逸れました、ここから先は僕も聞いた話なので直接本人からお聞きになるといいでしょう。さあ、着きました」
 俺の家まで送るとか言っておいてどこに運んでいるかと思えば……。
 タクシーの窓から見える見覚えのある建物、それは長門の住むマンションだった。
 まあいい、長門には色々聞いておきたい事がある。
 俺は料金を支払う事無くタクシーを降りた。メーターが動いてすらいなかったからだけどな。
 運転手も何も言わないでいる所を見ると機関とやらの一員なんだろう。
 どうみても普通のドライバーにしか見えないが、閉鎖空間では赤い光に包まれて神人相手に戦っているのかもしれないな。
 ……ゲームの世界よりも、むしろ現実世界の方が現実離れしてる気がしてならないのは俺の気のせいなのか?
「ではまた、部室で」
 後部座席の窓を下げ、古泉は笑顔で手を振っているが……。
 おい古泉。
 一つ確認しておきたい事がある。
「なんでしょうか?」
 ゲームの世界で、神の力でお前が混乱した時の事なんだが。あの時の事は覚えているのか?
 意味深な笑みを浮かべながら、
「忘れられそうにありませんね」
 寒気のするウインクを残して窓を閉めると、古泉を乗せた謎のタクシーは走り去った。
 犯人は長門でも朝比奈さんでもなくハルヒでもない……まさか、俺だとか言うなよ?
 まあいい、ともかく長門に話を聞こう。
 俺がマンションの入口に向かうと、暗証番号のパネルの前に立つ無表情な女子高生の姿があった。
 こちらに無機質な視線を向けているのは、言うまでも無く長門有希。
 どうやってタクシーよりも早くマンションまで戻ったのか?
 なんて事は聞いても無駄だろう。長門がその気になれば、距離も時間も関係無いんだろうし。
 話を聞かせてくれるんだよな?
 俺の言葉にうなずき、長門は暗証番号を入力してマンションの扉を開いた。


 長門のマンションに入るのはこれで何度目になるんだろう?
 一人暮らしの女の子の部屋を夜に何度も訪ねる俺の姿は、監視カメラの向こうではどんな風に見えているんだろうな。
 恋人? 友達? それとも近所に住んでいる家族とか。
 まあ、宇宙人に怪奇現象の発生理由を聞きに行ってるとか、過去に閉じ込められたので未来に帰る為の方法を聞きに行っている
とか、暴走女を監視している事を打ち明けられに行っている等と想像できるような奴が居たなら即、SOS団に勧誘だ。
 そんな妄想を広げながら現在の階数を表示するパネルを見ていると、目的の階に到達しエレベーターは停まった。


 長門の部屋は以前見た時と同じで殺風景だった。
 家具らしい家具は以前とかわらずコタツくらいしかない。
 ある意味清清しいとも言える。
 エアコンがついてるから暖房は大丈夫か、カーテンがないから非効率だな。
 冬を目前に控えた宇宙人の暖房対策を確認していると、台所から長門がポットと茶器セットを持って戻ってきた。
 電源コードの無いポットか、懐かしい物を持ってるんだな。
 長門がお茶を準備し始めるのを見て、俺もコタツを挟んだ向側に座った。
 俺の視線を気にする事無く、長門は黙々と急須にお湯を注いでいる。
 古泉には先に犯人を教えたんだってな?
 俺の質問には答えず、長門は湯飲みにお茶を注いで俺の前に置くとそのまま固まってしまった。
 そのまま無言の時間が経過する。
 ……お茶を飲むまでは質問には答えないつもりか?
 宇宙人にはどんなルールが存在するのか知らないが、とりあえず俺は湯気を立てている湯飲みを手に取りそっとお茶をすすり
飲んだ。
 もしかしたら、飲み干したらお代わりを注ぐのが長門の流儀なのかもしれない。
 お茶を飲みながらそう考えた俺は、半分ほど飲んだところで湯飲みをコタツの上に戻した。
 ……よし、お代わりは来ない。
 俺が湯飲みから手を離すと、それに連動したかのように長門の手が急須に伸びた。
 待て、お代わりが欲しいんじゃないんだ。
 あまりここでのんびりしてると帰る方法がなくなる。今日は自転車で来ていないんだ。
 犯人はいったい誰だったんだ?
 頼む、俺を指差したりするなよ?
「犯人という言葉に該当する者は居ない」
 ……自然現象だったって事か?
「その表現でも間違いではない」
 なるべく簡単に説明してもらえるか?
 そしてできれば手短に頼む。
「涼宮ハルヒは神の存在を認めていない、しかし神という存在が持つであろう力は想像している。その力は自らの思うがままに
世界を作り変える力。彼女の力は神という存在にそんな力を与えた」
 与えたって……。
 神様なんていないんじゃないのか?
「確認されてはいない」
 まあ、そうだけどさ。
 悪魔の証明みたいなもんで、居るという証明ができなければ存在しないって事にはならないのか?
「殆どの人間はそう考え、同時に存在していて欲しいとも願っている」
 確かに……。
「そんな不確定な筈の存在でしかない神を、大勢の人間が一つのイメージで認識するゲームが存在した。そのゲームは100万人
以上の人間がプレイし、結果多くの人の認識の中で神は一つの形になった。それが、彼。三年前のあの日、惑星レベルの
情報フレアの中で涼宮ハルヒの認識に従い、多くの人間の中で「神」と認識されていた彼もそれなりの力を手に入れた。ゲームの中
の彼は退屈していた、自分の想像するストーリーを超えるような冒険者がいつまで経っても現れなかったから。彼は自分を心から
楽しませるような存在が現れる事を願った」
 ……でも、それは所詮ゲームの中の神様なんだろ? それがなんであんな事になったんだ?
 ゲームの世界に引き込まれるなんて事が起きたら、普通は失踪事件とかになるだろ。
「統合思念体は彼とコンタクトする事を望んだ。しかしゲームという制約の中の彼からは有益な情報は得られなかった。急進派は
彼に暫定的に現実世界に対して干渉できる力を与えた」
 ……って事は何か? お前の上司の誰かが、ゲームの中の神様に余計な力を与えたって事か?
 俺の質問に長門はうなずいた。
 ……もしかして、その急進派ってのは朝倉を送ってきた奴と同じ奴か?
 それなら一発殴ってやらないと気がすまない。
「力を得た彼は自分が望むような存在が現れるのをじっと待った。その条件に適合したのは、涼宮ハルヒ」
 あいつは予想の斜め上を行くのが基本だからな、製作者としては見ていて飽きないだろうよ。
 じゃあ、お前があのゲームに興味を引かれたってのは
「ゲームから涼宮ハルヒの力に近い何かを感じた」
 ……やれやれ、意思があるだけハルヒの描いた絵よりも性質が悪いぞ。
 それであいつはどうなったんだ? またこんな事が起きたりするのか?
 長門は首を横に振る、神のその後については長門は答えようとしなかった。
 まあ、同じような事が起きないならそれでいいさ。
 なあ、ここからは秘密の話なんだが。
 まて、秘密の話をするにしても、だ。
 ……俺がここで話す言葉ってのは統合なんとかってのにも聞こえてるのか?
「手に入れた情報は統合思念体に全て報告している」
 そうなるとまずいな……。
 それってなんとかなるか? 内緒話というか秘密の話をしたいんだが。
 俺の言葉を聞かれても、長門は何故かすぐには答えてくれなかった。
 まずい事をいったのか? と俺が思い出した頃になって、
「秘密にする」
 長門はそう呟いた。
 俺はコタツの向かいに座る長門の目を見ながら話し始める。
 ……俺を殺さなくて大丈夫だったのか?
 俺の言葉に長門は何も反応を示さなかった。
 お前の上司は、あの場所に居たハルヒと神以外の存在を消せって言ってたんだろ? それなのに俺の手助けをしちまったら
色々大変なんじゃないのか?
 今度は返事があった。
「大丈夫」
 本当か?
 どう考えてもまずいと思うんだが……。
「あの時、情報連結は不安定な状況だった。貴方を殺害する為に発砲した直後に「連結は完全に途切れてしまった」事にした。
神が貴方によって消去された事は統合思念体に報告していない。ゲームセンターに戻った後、ゲームの世界に入る前の状態まで
情報を改竄。情報連結を復元して、涼宮ハルヒは現実に戻り神は消滅した。と事後報告した」
 よくわからんが……つまり誤魔化したって事か?
 長門はあっさりとうなずいた。
 それってばれたりしないのか?
 まあ、お前が本気で誤魔化そうとすれば普通は誰も見破れないと思う。
 でも相手はお前の上司なんだろ?
 色んな可能性を考えているのか、しばらく沈黙した後に
「貴方が、秘密にしている限り」
 長門は、そう付け加えた。
 何故かはわからないが、長門は聞かれるまで黙っている事はあっても俺に嘘をつかないと信じている。
 だからこの時も俺は長門の言葉をそのまま信じる事にした。
 じゃあ2人だけの秘密だな。
 俺はテーブルの上に右手の小指を差し出した。
 長門は指の先を見てじっとしている。
 ああ、知らないのか。
 長門、右手の小指を出せ。
 言われるままに差し出された長門の細く小さな小指に、俺の小指を絡ませた。
 軽く手を上下してみたが、長門はじっとされるがままになっている。
 これは、約束を守る時にする御呪いみたいなもんだ。
 万能元文芸部員は不思議そうな顔で、俺と絡ませている自分の小指をいつまでも見つめていた。

 

 涼宮ハルヒの欲望 Ⅴ ~終わり~

 

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 ~後日談~

 

 

 週明け、これからはじまる一週間を考えていつもなら軽く憂鬱になるはずの登校中、俺はそれなりに機嫌が良かった。
平凡な日常に戻れたという事実、それだけで幸せを感じられる程に昨日の出来事は非日常過ぎたからな。
「おい~っす、なんか機嫌いいな?」
 俺の肩を叩く谷口にも笑顔を返してやれるほどに俺は寛大な気持ちになっている。
 たまにはのんびりした日常もいいもんだって思ってな。
「あ? 何言ってるんだお前。変な物でも食ったんじゃねえのか?」
 気にすんな。
 もしかしたら、こうして俺がのんびり歩いている間にも東京は朱雀に襲われているのかもしれない。
 でもまあその時はその時だ。
 昨日の俺達がいずれなんとかしてくれるだろうさ。
「……おい、本当に大丈夫か?」
 薄く曇った灰色の空を見上げて微笑む俺を、谷口は不審そうな顔で見ていた。


 いつもの教室、いつもの机。
「おはよう」
 いつもの俺の後ろの席。ハルヒがそこに居た。
 今日はちょっと変な顔をしている。
 何か言いたそうな、言ったらばかにされそうな、でもいいから聞きなさいよと言いたげな……とまあそんな顔だ。
 どんな顔だそれは、と言われれば迷わず俺を見上げるハルヒの顔を指差してやろう。
 おはよう、今日も早いな。
 月曜の朝にそんなに早く登校できる理由を教えて欲しいね。
 席に座った俺にハルヒが詰め寄ってくる。
「あのさ、昨日のあれだけど……あれって本当にゲームだったの?」
 ……。
 ゲームをクリアして現実に戻れたらこいつをどうやって誤魔化そうか、阿修羅と戦うまでの俺はそればかり考えていた。
 しかし、エンディングかと思ったら製作者が登場して戦闘になり古泉と朝比奈さんは混乱して、長門は寝返るしお前は
目潰しくらっちまうという状況で……言い訳はよそう、忘れていた。
「なんか釈然としないのよね……リアル過ぎたっていうか。説明できない事ばっかりだったもの」
 さ、最近のゲームは凄いからな。
 あまり余計な事は言わないほうがよさそうだ。
「……」
 当然ながら俺の苦しい言い訳では納得できないらしい。
 ハルヒ。
 あれがゲームかどうかはおいといて、だ。
「何?」
 俺が気になってるのはそこじゃなくて、お前の考え方なんだよ。
 お前、誰かに決められたストーリーのゲームと、誰にも予測ができない現実ではどっちが面白いと思う?
 ハルヒの顔が当たり前でしょ?と言いたげな顔に変わる。
「そんなの、現実に決まってるじゃない」
 そうかい、それならいいんだ。
 俺は安堵しながら視線を黒板へと戻した。
「なによそれ」
 お前が「ゲームの世界のほうが面白い」なんて認識になってないか不安だったんだよ。


 放課後、掃除当番を終えた俺は朝比奈さんにも今回の事情を話しておかないといけないな~等と考えながら部室へと向かった。
 別に長門に直接話してもらってもいいが、朝比奈さんは長門と2人っきりになるのはまだ怖いみたいだから俺が行くしかないので
あろう。無論、せっかく朝比奈さんと2人っきりでお話できるチャンスを古泉にくれてやる気など欠片もない。
「ど~ぞ~」
 元文芸部の扉をノックするとハルヒの声が返ってきた。
 扉を開くと、部室にはPCの前に座るハルヒとその後ろに立つメイド姿の朝比奈さんが居た。
 古泉が居ないのはよくある事だが、長門が居ないってのは珍しいな。コンピ研にでも遊びに行ってるんだろうか?
「ねえキョン、昨日転送したはずのみくるちゃんのコスプレ画像が届いてないのよ。あんた知らない?」
 ハルヒが睨みつけるモニターを見てみると、メールの受信箱に未開封のメールは無く、既読にもそれらしいメールは無かった。
 お前が送信先アドレスを間違えたんじゃないのか?
「そんなはずないんだけど……おかしいわね」
 リロード繰り返したりごみ箱を確認したりしているハルヒの後ろで、朝比奈さんは苦笑いを浮かべている。
 まさか、朝比奈さんがお昼休みに部室に来てこっそり削除しておいたとか。
 俺の思考を読んだのか、朝比奈さんが慌てて口元に人差し指を立てる。
 あらら、正解ですか……そうですか……。
 俺は落胆する本音を隠しつつ、ハルヒにはばれないように朝比奈さんを真似て口元に指を当てた。
 後でコンピ研の部長氏の所に行ってみよう、削除されてしまったデータの復元方法を知っているかもしれない。
 小さな音を立てて扉が開き、無言のまま部室に入ってきたのは長門だった。
 いつものようにハードカバーの並んだ本棚から迷う事無く読みかけの本を取り出し、定位置の窓際の椅子へと歩いていく。
「お茶、入れますね」
 朝比奈さんが茶器セットへと向かい、長門はしおりを挟んだページから読書を再開する。
 ハルヒはまだPCと格闘中だ。壊すなよ?
 その内古泉の奴も来るだろう――俺はいつもの日常が完全に戻った事を実感しながら自分の席へと戻った。
 パイプ椅子に座り、朝比奈さんのお茶を待つこの時間こそが幸せってもんさ。
 モニターを睨んでいたハルヒの視線が俺の方を向いている事に気づいてしまったが、気づかない振りをしておく。
 ……どうせすぐに非日常になるんだろうけどな、それまではこののんびりとした時間を楽しませてくれよ。
「はい、お待たせしました」
 優しく微笑みながら朝比奈さんが、いつものようにお茶を持ってきてくれた。
 やはり朝比奈さんに一番似合う服装はメイド服だと確信せざるをえない。
 お茶配ったのは俺が最後だったので、空になったお盆を持ったまま朝比奈さんは感想を待っている。
「ありがとうございます。美味しいですよ」
 俺のありきたりな言葉に嬉しそうに微笑みながら、朝比奈さんは茶器セットを片付けて俺の向かいに座った。
 どうかこんな幸せな日常が少しでも長く続きますように……。
 神様はバラバラにしてしまったので、俺は代わりに目の前に居る可愛い天使にそう祈った。
「あ、キョン君。ちょっと見て欲しい物があるんです」
 そう言って朝比奈さんがいそいそと鞄の中から取り出したのは、小さな半透明のケースに入った灰色のゲームソフトだった。
「懐かしいですね、ゲームボーイのソフトじゃないですか」
「え?なんですかそれ」
 そうですか、ゲームボーイを知らない年代ですか……って貴女は俺より年上なんですけどね。
「昨日、家に帰ったら鞄の中にそれが入ってたんです」
 どうやら箱と取扱い説明書は無いらしい。
 タイトルを見ようとソフトを手に取ると、俺の肩越しに顔を出したハルヒがそのまま持ち去っていく。
「SaGa2秘宝伝説……。キョン、これってもしかして昨日のゲームの続編?」
 ハルヒは俺の肩を掴んで揺さぶっていたが、俺は中々振り返る気になれないでいた。

 

 涼宮ハルヒの欲望2 へ?

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最終更新:2008年09月14日 23:25