プロローグ


 Illustration:どこここ


 
 ハルヒと古泉、そして俺の三人は北口駅の南側にあるバスターミナルでじっと並んで待っていた。ハルヒはガラにもなくフリルのついた白い日傘なんぞ差しおって、後姿だけ見たらなんとなくいいところのお嬢さんみたいじゃないか。着てる服までがお嬢様のそれっぽくなったのは、古泉と付き合いだしてからなのは気のせいではあるまい。
 
 傘の柄を肩に当ててチラリと後ろを振り返ってシナを作ってみせるのは誰かに見せ付けてんのか。ホワイトフォーカスでもかかってるようなお嬢様はニコっと笑うどころか歯をむき出しにして俺に言った。
「なによジロジロ見て。なんか文句あんの?」
「いや別になにも。その日傘、高かったろう」
値段なんか知ったこっちゃないんだが、ハルヒが少し淑女らしくなったなぁなんてセリフを口にした日にゃ炎天下で頭がどうかしちまったんじゃないかと疑われそうだからな。
「古泉くんがプレゼントしてくれたのよ」
通りで。最近のハルヒのファッションセンスがこれなのは古泉の趣味か、こいつも変わってんな。
「お似合いですよ、涼宮さん」
爽やかに古泉の口調をまねして言ってやったらハルヒに足を踏まれた。古泉は苦笑していた。
 
 いやまあ、それはどうでもいいんですがという感じて古泉が何度も腕時計を確かめている。
「有希さん遅いですね」
「もしかしたら途中で事故にあったんじゃないかしら」
「そんなこたぁないだろ」
「だってほら、こないだ交差点で曲がり損ねて、直進してきたダンプと衝突とかあったじゃない」
「大丈夫だろ。あいつが事故なんか起こすわけない」
「なに言ってんの、最近じゃ無関係に事故に巻き込まれることが多いんだから」
長門に限ってそんなことはないと思うが、ハルヒがあんまり心配するので俺はロータリーの先に伸びる道路のはるか向こうを眺めた。俺はくるりと振り向いて、
「大丈夫だ。あいつに限ってそんな目に遭うはずがない」
「なんで一緒に行かなかったのよ」
「しょうがないだろ、あいつの希望なんだから」
「いくら本人の希望でも初運転をひとりで乗せるなんて考えられないわよ」
「そんなこと言ったってなあ、いやそれも……そうかな」少し不安になってきた。
「はじめて道路に出るときは誰だってナーバスになるものよ。あんたにだって覚えがあるでしょ」
まあ、そういうこともあったかもしれんが、あんときは頭の中が真っ白になっちまってどこをどう走ったのかほとんど覚えてない。
 
 ハルヒはため息をついた。
「まったく、しっかりしなさいよね。かりそめにもひとりの女の子の旦那様なんだからね」
「お前に言われなくても分かってるさ」
分かってるんだが、なんというかこう、いまいち実感がないというか。いつもの俺の悪い癖だが、身の回りで起こってることに現実味がないっていうか、ありとあらゆる事象がいつでも他人事のようで頭以外の五感でそれを認識できないというか。一歩か二歩下がって客観的に見てるんだといえば聞こえはいいかもしれないが、ゲームのキャラクタを後方四十五度の俯瞰から見てるプレイヤーの位置にいるとでもいおうか。
 
 ハルヒはまた深いため息をついた。これで三度目だ。
「あんたを見てると先が思いやられるわね」
「お前にそう言われるとプレッシャーで気が重くなる」
「だってほんとのことでしょ。まったく、こんな男のどこがよかったのかしらね……」
「まあまあ涼宮さん、二人のことは二人に任せましょう。案外そのへんがうまくバランス取れているのかもしれませんよ」
「そうね。昔の人はいいこと言ったわ、割れ鍋に閉じ蓋ってね」
ハルヒ、お前はなにげにきついことを言う。当たってるだけに言い返せないのが悔しい。
 
 まだ夏の名残をいっぱいに含んだ太陽の光がさんさんと降り注ぐ九月の、とある週末だった。車の免許を取ったばかりの長門に、買ったばかりの車を取りにたったひとりで行かせたのだ。予約していたディーラーの店頭まで俺が乗せていってやると何度も言ったのだが、どうしても鍵は自分で受け取ると言い張ったので、俺はただ帰ってくるのを待つことにした。あいつに限って事故ったりなんかするはずがないし、そういう場面に遭遇しても自力でなんとか回避するはずだ。そういえば前に一度だけハンドルを握る長門の助手席に乗ったことがあったっけな。力学的にやたら正確な運転だった覚えがあるんだが、いつだったかは忘れちまった。
 
 県道から駅前に入る交差点から、黄色い、小さくて丸っこい車が静かなエンジン音を響かせてやってきた。ボンネットに貼られた若葉マークがひときわ眩しく見える。なかなか前に進まないように見えるのは制限速度ぴったりで走っているからに違いない。って長門、後ろが五台くらいつかえてるぞ。
「ニュービートルLZにしたんですね、二リッターですか」
車を見ただけで車種と排気量が分かるらしい古泉が言った。
「かわいいじゃないの。キョンが選んだの?」
「ああそうさ」
「ふーん。あんたにしちゃいいセンスだわ」
車の種類なんて軽と普通車の違いしか見分けることができない俺なのだが、いつも路上で出会うVとWのロゴが入ったこの丸っこい車を見るたびに、なぜか長門が運転しているところを妄想してしまうのだった。意表をついてJEEPとかRVでもよかったんだが、まあ最初の一台だしマンションの駐車場もそんなに広いとはいえないし、好きな虫の名前がついた車というのが選択の理由だったかもしれない。考えてみりゃ安易だな。
 
 チカチカとウィンカーを点滅させ、丁寧に左に寄せて車がスゥと止まった。助手席のパワーウィンドウがジーと音を立てて開き長門が顔を見せた。
「……お待たせした」
「おう、どうだ乗り心地は」
「……快適」
そいつはよかった。内装もシンプルでゴテゴテしたアクセサリもない。スピードメーターも丸っこいのがひとつ、エアコンの送風口もラジオのつまみもすべてが丸っこくて自己主張しない控えめなデザインだ。その割にはなぜかハンドルの脇に一輪挿しなんかがあるんだが。
 
「いい車じゃないの有希。あんたに似合ってるわ」
「オートマでも六速まで実装してるんですね。いい車です」
「……そう」
「さあっ、これからみんなでドライブよ。二人ともさっさと乗んなさい」
ハルヒが助手席の背もたれを倒して後ろに乗れと促した。
「お前は後ろだろ」
「だめよ、初運転は上司であるあたしがしっかりと見守るんだから」
「こういうときは旦那が横に座るもんだろう」
「ちゃんと道案内できる人じゃないとだめよ」
「俺にだって道くらい分かるさ」
っていうかハルヒ、お前は見晴らしのいい助手席に座りたいだけだろうが。俺もだが。
「……早く乗って。四十五秒後にバスが到着する」
「ご、ごめん」
ひとつしかないシートを取り合いして親に怒られた姉と弟を演じているような気分になり、二人はぽっと顔を赤くした。しょうがないのでジャンケンで決めることにし、俺が勝つとハルヒはブーブー言いつつ後ろのシートに座った。頭に血が上るとハルヒは決まってグーを出すのだが、気が付いてないらしい。
「……左右後方確認。発進」
長門はゆっくりとアクセルを踏み、キビキビとミラーを確認しながら駅前ロータリーから車を出した。なんだか懐かしいなそのフレーズ。
 
 長門の運転はテストドライバーも顔負けの正確さで、どっちかというと機械的というかロジック的というか、もしかしたら長門独自の能力で、遠くの信号が変わるタイミングをあらかじめ把握してるような、予定ルートの混雑状況を検知しているような、あるいは車から周囲百メートルくらいの情報を収集しながら走っているような気さえする。
 
 標識が制限速度四十キロでも見通しがよければもう少しスピードを出しても大丈夫だし、交差点の手前で信号が青から黄色になっても少しくらいは余裕があるんだが、ピタリと止まるのはまあこれが長門のスタイルだ。年中フルスロットルなハルヒも、ふつうに丁寧な運転をする古泉もなにか言いたそうにしていたが、俺が黙っているのでなにも言わなかった。
 
 後ろからハルヒの手が伸びてきた。
「ちょっとキョン、これかけて」
「なんだこの無印CDは」
「あたしがわざわざ選曲したのよ、感謝しなさい」
殊勝なことにドライブ用のBGMまで用意してきたらしい。気が利くというか、曲によっちゃメロディが気になって運転の邪魔になったりリラックスさせすぎて眠くなったりするんだが。
「ええと、これどうやって再生すりゃいいんだ」
「もー、機械に弱いんだからあんたは」
お前に言われたかねーのだが、CDの挿入口が分からない。
「カーステレオに押し込めばいいだけでしょ」
「どこに押し込めばいいんだ?」
「だから助手席に座らせなさいって言ったのよ。んーっと、これHDカーナビだっけ?CDはチェンジャーなの?」
ハルヒがシートの間から身を乗り出してあれこれリモコンをいじっているがうんともすんとも言わない。最近のカーナビは高機能すぎてどうやってスイッチを入れるのかすら分からん。っていうかテレビのリモコン以上のもんは俺には無理だ。前方に全神経を集中させてる長門に聞くのもすまないんだが、
「長門、これどうやってやるんだ?」
「……前面のオープンを押すとパネルが開く。パネルにメニューが出る」
「全部パネルからやるのか、なるほど」
カーナビの液晶パネルが出てきたな。ぽち。
 
 じゃあ、話を始めようか。
 


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最終更新:2008年10月08日 04:54