照明を消した暗い部屋の中、テーブルの上に並ぶ蝋燭の明かりに照らされた大人達が、息を殺
して何かを待ちわびている。
 私は1人テーブルの前に座らされ、そんな光景をじっと見ていた。
 この人達は何を待っているのだろう。
 何故、私を見ているのだろう。
 浮かんだ疑問の答えを考えていると
「さ、園生。お願い」
 誰よりも楽しそうな顔で、ママは私に何かを促すのだった。
 ママの言葉には、主語に該当する言葉が無い事が多い。
 それはつまり、私がどれだけ成長しているかを常に試しているのだろう。
 暗い部屋、見守る大人達、テーブルの上の蝋燭――その下にあるケーキ。
 この状況において連想される、私が取るべきであろう行動――ご飯の時は電気をつけて、明る
い場所で食べなさい――私は立ち上がり、頭上にあった照明のコードを引いた。


 未来の過去の話 3話 


「違ーう! 園! そうじゃないでしょっ!」
 明るくなった部屋で、第一声を上げたのはいつもの様にママだった。
 どうやら私は間違えてしまったらしい。
 叱られてなお正解がわからない私は、ただ静かに目を伏せると
「お、おい園? 落ち込まなくていいぞ? 3歳児としてはそれが普通なんだ」
 追い討ちを掛けるようなパパのフォローに苛立ちつつ、私は明るくなった部屋の中でママの望
む答えを探してみた。
 最初に目に入るのは期待した目で私を見ているママ、そしてその隣に居るパパ。今日は他にお
客様が2人来ている。一人は古泉で、もう一人は長門さん。
 4人は私を見ているけれど、残念ながらそこから何かを読み取る事はできない。
 その他にいつもと違う場所といえば、テーブルの上に置かれているママの大好きな――私は少
し苦手な――生クリームのケーキ。
 ちなみに作ったのはパパ、リクエストしたのは私。
 白いクリームで覆われたその洋菓子には、火がついた3本の蝋燭が立っている。
 ……このケーキをどうにかすればいいのだろうか?
 私はテーブルの前に座りなおし、そっとケーキの傍に体を近づけて――横に置いてあったケー
キ用のプラスチック製ナイフで、ケーキを人数分に切り分け始めた。
 5等分か……難しい。パパの分を抜いて4人分にしては駄目なのだろうか?
「違ーうっ! ……でもこれはあたしの予想以上の結果だわ! 園、それでいいの。人に期待さ
れた事をやってるだけじゃ、大物にはなれないんだからね」
 ママに揺さぶられながら、ナイフがママに当たらない様に気をつけつつ私は頷いた。
 よく覚えておく。
「言ってる事は間違ってないと思うんだが、お前が言うと素直に納得できないのは何故なんだろ
うな……」
 ――今日は、私の3歳の誕生日らしい。
 数日前からママは落ち着かない様子で、今日という日をとても楽しみにしている様だった。
 しかし、私には誕生日という日を祝う理由がよくわからない。
 ただの一般人でしかない私の誕生日を、わざわざ準備してまで祝う理由とはいったい何なのだ
ろうか?
 ママによれば、それは記念日らしい。
 ――女性は記念日を重視する生き物という見解は、正しいのかもしれない。
 パパによれば、それは子供が何をやっても許される日らしい。
 ――では、その日はママと2人で過ごしたいと言ったら泣かれてしまった。
 長門さんによれば、それは自分が生きてきた年数を確認する日らしい。
 ――彼女の見解はここまでで一番私の意見に近い内容だった。けれど、それは身分を証明する
書類にはだいたい書いてあるので、別に忘れてしまっても特に問題はないと思う。
「なるほど、それで僕の意見も聞きたいというわけですね」
 そう。古泉の意見も教えて欲しい。
 ソファーに座ってのんびりと紅茶を飲んでいた古泉は、私の質問にゆっくりと頷いた。
「わかりました。僕にとって誕生日とは感謝の日です」
 感謝?
「はい、そうです。ここに居る人は皆、貴女を祝福する為にやってきました。僕達は園生さんが
3歳まで生きられた事に感謝し、これから先も幸せであって欲しいと願っているんです」
 なるほど……よくわかった。
 感謝し、感謝される。そうやってお互いを思いやる事で、互いの精神を補完しあう事は有意義。
 納得のいく答えに何度も頷く私を、古泉は優しい目で見ていた。
「……古泉、頼むから園にこれ以上難しい話を教えないでくれ」
 疲れた顔で愚痴るパパの意見には同意できない。私は古泉と話をする事を、ママと話す事の次
に楽しいと思っているのだから。
「お誕生日おめでとう」
 小さな箱を手に私の元へやってきたのは、パパとママの同僚、長門有希さんだった。彼女はと
ても綺麗な女性で、普段は人形の様に表情が変化しない人。
 でも今日は、優しく微笑んでいるように見える。
 ありがとうございます。
 差し出されたプレゼントを両手で受け取ると、彼女の手がゆっくりと私の頭に伸びてきた。陶
器の様に白い彼女の手が、私の髪を撫でていく。
 理由はわからない、けれど、彼女が私を見る――この優しくて悲しい目には何か深い感情が込
められている気がした。
「ねえ園。何で有希の事は長門さんって呼んで、古泉君は古泉って呼び捨てで呼ぶの? いっち
ゃんって呼んでもいいのよ?」
「そういえば、園が呼び捨てで呼ぶのって古泉だけだな」
 それには理由がある。
「どんな?」
 私はパパを指差しつつ、
「パパが古泉と呼んでいたから」
「キョーン。あんたのせいよ」
「俺の……せいだな。すまん」
 変えた方がいい?
 当事者である古泉にそう聞いてみると、
「今のままで構いませんよ? その呼ばれ方は僕にとって悪い物ではありませんから」
 彼はそう言って何故かパパの方を見るのだった。
「おい、何でここで俺を見るんだ」
「何となくです」
 パパと古泉の関係は私にはよくわからない。
 古泉は不思議な事に何故かパパの事が好きみたい、でもパパは古泉に冷たい。
『おたんじょうびおめでとう』と平仮名で書かれた――漢字にすれば文字数が少なくて書きやす
いのに――チョコのプレートを噛み砕きながら2人の関係を考えていると、誰よりも早く自分の
分のケーキを食べ終えたママが私の前にやってきた。
「あのね? 園。お誕生日にはプレゼントが貰えるものなの。それで、ママは園が欲しがってる
物がなんなのかずーっと考えてたんだけど……ごめんね、結局今でもわからないのよ」
 欲しいもの?
「そう! 園は何か欲しい物ってないの? おもちゃとか……服とか! な~んにも遠慮しなく
ていいのよ」
 ママの買ってくれた服で私は満足している、おもちゃもあれだけあれば困らない。
 これ以上欲しい物と言われても、特に思い当たらない。
「そ、そう」
 それは私の正直な感想だったのだけれど、ママは何故か困った顔をしてしまった。
 どうやら、誕生日とは何かを欲しがらなければならないという日でもあるらしい。
 困り果てた私が部屋の中に何かヒントが無いか探していると、一人静かにケーキを食べている
長門さんの姿が目に入った。
 どうしたんだろう?
 彼女はフォークを動かしながら、視線の端で誰にも気づかれない様に気を使いながらパパを見
ていた。
 その視線は、ママがパパを見ている目にとてもよく似ている気がする。
 ……ママ、欲しい物って何でもいいの?
「もちろんよ! おもちゃでも妹でも宇宙人でもお兄ちゃんでも園が好きな物を頼んでいいんだ
からね!」
「お兄ちゃんは無理だろ」
 何故か長門さんを見ながらパパは溜息をついた。
 でも、これは欲しがっていい物なのだろうか? 長門さんも我慢しているみたいなのに。
 疑問を残しながらも、私は自分の欲求を告げてみる事にした。
 私が欲しいと思ったのは、物でも服でも妹でも宇宙人でもお兄ちゃんでもなく――
 ママ、私は古泉が欲しい。
 私に指差された古泉とパパが、突然動きを止めた。
「えっと……あはははは……は」
 場を取り繕う様な古泉の乾いた笑いが虚しく響く。
 やはり、誰かを欲しいという気持ちはそう簡単に口にしてはいけなかったようだ。
 何故か溜息をつきながらパパは私の前に来て、膝をついて視線を合わせてから諭すように口を
開く。
「園生……冗談を言う時は形だけでもいいから笑いなさい。じゃないと相手は、お前が本気で言
ってると思ってしまうんだよ?」
 わかった、今度からはそうする。
 大人しく私が頷く事で、ようやく部屋の空気は元に戻ったのを感じた。
「変なパパ。3歳の女の子相手に本気になっちゃって面白いね。パパはね~園を古泉君に取られ
るかもってやきもちやいてるのよ」
 そうなの?
「んなわけあるかよ」
 そう言いながらも、パパは照れるように視線を逸らしていた。
 もう手遅れ、とは言いにくい……。


 誕生日が過ぎてからの数週間、ママはとても活き活きとしていた。
 普段から活き活きしているママが、さらに活気付いていた理由。それは――
「お久しぶりなのね!」
「おお、元気そうだな阪中」
「ぶっぶ~ざ~んねん。あたしはもう阪中じゃないのね」
「おいマジかよ! いつの間に?」
「うぃ~す」
「あ、なんで谷口がここに居るのよ」
「なんでって……招待されたからに決まってんだろ」
「あんたまで招待するなんて新郎新婦は本当に心が広いわね~。い~い、今日は大人しくしてい
なさいよ」
「なあキョン……こんな場所でなんだがお前に心底同情するぜ」
「何がだ」
「こんなのと一緒に暮らしてたら、気苦労であっという間にハゲちま――ぬわっ!」
「ち、避けたわね」
「避けるに決まってるだろうが! 結婚式開始前に花瓶の花を投げる奴があるか?」
「大丈夫よ。投げた花はリサイクルでちゃんとあんたの仏前に供えてあげるから」
 真っ赤な絨毯が敷き詰められたロビーでは、大勢の人が楽しそうに談笑して待ち時間を過ごし
ていた。
 久しぶりに友達とあったママがお喋りに忙しいのは仕方の無い事――パパはどうでもいい。
 私は退屈な時間を消化する為、初めて訪れた結婚式場を探検すべく静かにロビーから抜け出す
事にした。
 幸い、式場の中には私以外の子供も大勢歩いていたので――子供は大人の都合を関知しない事
を、親はもっと自覚するべき――従業員に呼び止められる事も無い。
 しばらく廊下を歩いていくと、新郎や新婦の控え室と書かれた部屋が並ぶ場所に辿り着いた。
 この部屋の中に、今日の主役が居るらしい。
 ドアに貼られた名前を順番に読んでいくと、招待状に書かれていたのと同じ名前が見つかった。
『――ご案内を申し上げます。国木田家、佐々木家の挙式の準備が整いました。お待ちの皆様は、
1階のホールまでお集まり下さい――繰り返します』
 廊下に響く案内放送を聞いていると、控え室の扉が1つ開き、黒いスーツの女性が付き添われ
て、純白のドレスに包まれた綺麗な女性が部屋から出てきた。
 彼女はたまたま部屋の前に居た私の顔を見て、
「……おや、もしかして君は園生さんかな?」
 すぐにそう聞いてきた。
 おかしい、今日の私はママの選んでくれたドレス――動きにくい――を着ていて、名札なんて
つけていないのに。
 どうして私の名前を?
「警戒しなくてもいいよ。僕が君の名前を知っているのは、君のお父さんと僕が友達だからだよ。
……うん、それにしても君はご両親によく似ていているね」
 彼女の笑顔を見て、私は警戒を解いた。
 私の前にしゃがんで、花嫁はじっと私の顔を見つめている。
「本当、よく似ている……」
 優しくて悲しい花嫁の視線――この視線を、私はすでに知っていた。
 前に、長門さんも同じ目で私を見ていたから。


「あ、園おかえり」
 ただいま。
 私がロビーに戻った時、ちょうどパパとママはホールへと移動する所だった。
 他の人はもう移動をしてしまったようで、この場にはパパとママしか居ない。
「どこに行ってたんだ? 迷子にならなかったか?」
「馬鹿ね~あんたじゃあるまいし、園が迷子になるわけないでしょ」
「なあハルヒ、しっかりしてるって言っても園はまだ3歳なんだぞ?」
 パパは心配性で困る。
 大丈夫、新婦に挨拶をしてきただけだから。
 私がそう答えると、何故かパパだけ固まってしまった。
「……そ、そうか」
「ほ~らね。やっぱりあたしの子よ!」
「いや、今のはそれだけじゃ納得できないだろ……」
 ――施設の案内板に誘導されるまま歩いていくと、やがて教会の様な造りの挙式場に辿り着い
た。中央に設置された円形の祭壇を囲むように人が並んで座り、主役の登場を今かと息を飲んで
待ちわびている。
「いいか園、挙式の間は静かにしてるんだぞ?」
 わかった。パパ、携帯電話の電源は切った?
 言って良かったかもしれない。
 その言葉の直後、パパを含めた私の周りの人達は一斉に自分の携帯電話を確認しはじめた。
 やがてその動きも収まり、
「――それでは新郎新婦のご入場です。皆様、盛大な拍手でお迎え下さい」
 進行の人の声に合わせて演奏が始まり、ホールの扉は開かれた。
 パイプオルガンの音色が反響する中、一歩一歩踏みしめるようにゆっくりと新郎新婦はホール
の中へと進んでくる。
 黒いタキシードに身を包んだ優しい顔の男性と、その隣を歩くウェディングドレスを着た美し
い女性。
 2人は割れるような拍手の雨を受けながら、ゆっくりと祭壇へと進んでいった。
「あ~……やっぱりいいなぁ……ねえ、もう一回着たら駄目かしら?」
「自宅でならいいぞ」
 小声でそんなやりとりをしていたパパとママに見守れる中、2人はやがて祭壇へと辿り着いて
台の上に登った。
 雨が引くように拍手が収まり、演奏の音もそれに合わせて小さくなる。
 周りが静かになった所で、祭壇で二人の前に立つ神父らしき老人が口を開いた。
「……今日この日、一組の男女が夫婦の誓いを交わします」
 その場を支配する様な、神父の言葉が始まる――


 こちらは古泉。A班からD班まで、配置よいか? 送れ。
 ――その瞬間、結婚式場に居た黒服の従業員達は一斉に無線の小型マイクに手を触れた。
 僕が無線に向かって指示を飛ばして6秒後、
「――全班、配置完了」
 ミッションリーダーであるA班の班長から返答が返ってきました。
 悪くない反応速度です。しかし、それだけで万全とも言えません。
 作戦開始を前にいつも訪れる胸の不快感を無視しながら、僕は再び無線を開いた。
 それでは作戦の概要をもう一度説明する。これから話す内容はブリーフィングで説明した内容
と重複しているが、各人心して聞いてくれ。
 それは、僕が自分自身に言い聞かせる為の説明でもありました。
 ……現在時11:47。今から約12分後の11:59に過去最大規模の閉鎖空間が発生する。
場所は現在地を中心に半径37キロ、神人の発生数は未知数。この情報は協力者によってもたら
された物で、これまでに協力者の情報が外れた事は無い。協力者によってもたらされた情報はも
う1つ、それはこれから先の未来に、閉鎖空間が発生したという歴史は存在しないという事。し
かしそれは、この閉鎖空間を我々が処理できなかった為に世界が破滅を迎えてしまったという可
能性でもある。各人は閉鎖空間発生後、速やかに内部に侵入。各個に神人を撃破する事。以上、
何か質問は――。
 何一つ返答がない無線から、僕は『この作戦は本当に成功する可能性はあるのか?』と聞かれ
ている様な気がしました。
 そして僕は、その問いに対する答えを持っていない。
 では、作戦の成功を祈る。
 無線の先と、自分へ向けた言葉で僕は通信を終了した。
 ――これまでに観測された最大の閉鎖空間は、彼と涼宮さんがこの世界から消えていた時の物
でしたが、それでも最大時の広さで半径13キロでした。協力者の情報が最大時の広さなのか、
それとも初期状態での広さなのかわかりませんが……どちらにしろ、絶望的な数字です。
 それでも……やらなくてはなりません。
 概観を花屋のワンボックスに仕立てた指揮車から降りた僕の目に、結婚式場の屋根に取り付け
られた子供の天使が微笑んでいる。
 願わくば、世界に祝福を。
 祈るべき神が居ない事を知りながらも、胸で十字を切ってから僕も戦場となる場所へと向かっ
て歩き始めた。


 挙式は淡々と進められ時間が正午に近づいた頃、天井付近に取り付けられたステンドグラスか
ら鮮やかな光が差し込んできた。
「綺麗……」
 溜息の様な呟きが誰からともなく漏れだす。
 深い緑や、淡い赤色の光に照らされた新郎新婦は、幻想的な雰囲気に包まれている。
「それでは……誓いの指輪の交換を行います。まず、新郎から」
 神父が指輪が二つ置かれた銀色の台を取り出し、2人の前へと差し出した。
 新郎は静かにその指輪をしばらく見ていたが、やがて視線を花嫁へと移しそのまま動かないで
いる。
 彼の意外な行動に神父も何も言えないでいると、新郎は周りにも聞こえるはっきりとした声で
話し始めた。
「神父様。予定を無視して急にこんな事を言い出してごめんなさい。1つ、お願いがあるんです」
「お願いですか?」
「はい」
 神父に向かって、新郎――国木田はゆっくりと頷く。
「僕達の指に、指輪を嵌めて欲しい人が居るんです」
「……お互いに、ではなく。その人にお願いしたいという事ですか?」
「はい」
 突然の出来事に、これもイベントの1つなのだろうと見守る参列者の中で、私は不思議な感覚
に戸惑っていた。
 ……なんだろう、何かがおかしい気がする。
 温度? いや、会場内は平均的な温度。熱いのはライトに照らされた新郎新婦だけのはず。
 湿度? それも問題のあるレベルではない。一生に一度の晴れ舞台で化粧が崩れてしまっては
訴訟問題にもなりえるだけあって、完璧に調整されている。
 気圧? 違う、こんな広い部屋の中で気圧を変化させようとすれば大掛かりな器材が必要。
 では、何が?
 理解できないこの感覚に、私は言いようの無い不安を覚えていた。
「園。どうかした?」
 ……大丈夫、なんでもない。
 心配そうな顔のママに、私は生まれて始めて嘘をついてしまった。
 何故、嘘をついたのかは自分でもよくわからない。
 ただ……理解できないはずのその感覚に、私はママの存在を確かに感じていた。
「わかりました。では、貴方が依頼したい方をここへお呼びください」
 長年の職務の中で同じ様な事が過去にもあったのか、神父には動揺した様子もない。
「ありがとうございます。――……その顔は、自分が呼ばれるってわかってる顔だよね?」
 新郎が振り向いた先で目を閉じ、額に手をあてて溜息をついていたのは――
「……何かやるにしても、披露宴だろうと思って油断してたぜ」
 困った顔で微笑む、パパだった。


 神父の隣にパパが立ち、気まずそうな顔で新郎の指輪を受け取った時、隣の椅子に座っていた
ママが私の手を掴んできた。
 無意識にそうしているらしく、ママの視線は私ではなく祭壇の上に立つ4人……違う、花嫁だ
けに注がれている。
「ではまず、新郎の指に誓いの指輪をお願いします」
「はい」
 何で俺が? と言いたげな顔でパパは指輪を台から取ると、差し出された新郎の手を取ってそ
の薬指に指輪を嵌めた。
「……国木田、後で理由を聞かせてもらうからな」
「ごめんごめん、キョンにしか頼めない事だったからさ」
「俺が神父様より適任だってのか? 見る目が無いにも程があるぞ」
 パパの素の返答に、周囲から小さく笑いが零れる。
 そんな中、パパは残された花嫁の指輪を台から取りあげた。
 ――急に、私の手を握っているママの手に力が入る。
 ママ、痛い……。
 私の言葉が聞こえていないのか、ママは力を緩めてはくれなかった。
 それだけではなく、痛みと一緒にママの手から不安や怒りといった黒い感情が流れ込んでくる。
 長門さんが私を見ていた時の視線。
 花嫁が私を見ていた時の視線。
 そして今、ママがパパを見ている視線。
 その三つが重なる中、パパは垂れ下がったままだった花嫁の手を取った。
「佐々木……っと、もう佐々木じゃないんだよな」
 照れながら言うパパに、花嫁は微笑む。
「いや、君は僕を佐々木と呼んでくれて構わないよ。これは新郎の意見でもある。彼曰く、僕の
事を旧姓である佐々木と呼ぶ権利を君に差し出す代わりに、僕の事を名前では呼ばないで欲しい
んだそうだ」
「キョン、この取引きは不服かな?」
 新郎に――その目が真剣だという事に気づいた様子もなく――尋ねられたパパは、
「別に、お前達がそうしたいならそれでいいさ。結婚式くらいは新郎新婦の我侭を聞くべきだろ
うからな」
 苦笑いを浮かべて、花嫁の薬指に指輪を――
 ドクン
 花嫁の頬を流れる涙――ママの手から感じられていた痛みが急に消える。
 ドクン
 パパは照れながら指輪を花嫁の指へ嵌めていく――次の瞬間、座っていたはずの椅子の感触が
消えた。
 ドクン
 パパの目が……優しくて悲しい目に変わった――目の前にあった鮮やかな景色が急に色褪せた
かと思うと――誰も居ない、全ての色が灰色に染められた挙式会場に私は居た。



 未来の過去の話 3話 ~終わり~


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最終更新:2009年01月16日 21:33