私の判断ミス……
あの二人の間に交わされた共通の会話が為される可能性は小さいと思っていた……
いや言葉を交わすことすらないと思っていたのに……
でも完全に失念していた……
涼宮ハルヒに確率論は通用しない……
今、思い出した……
思い出した……? どうしてこの情報が隠ぺいされていた……?
違う……これも私の意志……?
なぜ……
YUKI burst error Ⅲ
どうやらそれに気が付いたのは二人同時だったらしい。
「ハルヒ! お前、何でそんな恰好してやがる!?」
「あんたこそ、どうして、その学校の制服着てんのよ!? それってあの有名私立の進学校じゃない!」
どうしてと言われてもな。
「どうやら何かが起こったようですね」
ハルヒの後ろに執事のごとくびしっと突っ立っていた古泉が俺とハルヒを挟んだ机の横に移動してきて妙に真剣な表情で切り出した。
俺とハルヒと古泉が今の今まで完全に忘れていた元の記憶を取り戻したのだ。
んで、こいつのいつもの無意味な爽やかスマイルが消えているってことは、これはもう異常事態が発生していると見ていいだろう。
それにしてもこいつの学ランってのは似合わんな。
つか、またこれか? てことは答えは一つしかないじゃないか。
思い立った途端、俺は教室を飛び出した。
「ちょっとキョン!」「涼宮さん、僕たちも行きましょう」
状況を把握していないハルヒの声と、多少は何が起こったかは理解している古泉の声を背中に聞いて俺は廊下を駆ける。
二年五組の連中と廊下の連中が異形のものを見る目で俺たちを避けて道を開けてくれたようだが好都合だ。
「そう言えばよろしいでしょうか?」
「何だ?」
走りながら古泉が俺の隣に並び聞いてくる。気がつけばハルヒも俺の隣、古泉とは逆側に並んで唇を尖らせていた。
どうやら何かが気に入らないようだ。何がだろう?
「どうしてあなたはその恰好で?」
「知るか。気がついたらこの制服を着て、今日の昼、この学校の下校時に放り込まれてただけだ。だいたい何で俺がこの学校の生徒にされたのかも分からん」
古泉の真剣な問いに、どこか不機嫌に返す俺。
と言うか、この古泉の目を見ていると何となく後ろめたいぞ。いや後ろめたくなる理由なんかないはずだ。
ないはずなのだが、この古泉のちょっと非難している目と、なんとなく機嫌の悪いハルヒのアヒル顔を見ていると五分後に雷雨が来るのが分かっていながら傘を持たずに外出してしまった三分後のような心境だ。
…… …… ……
そうかそうか。
分かったぞ。以前にも同じ気持ちになったことがあったわけだが理由は同じだ。
だったらこう言えばいいのか? つか言わなきゃ、おそらく話はどんどん脱線していく気がムラムラする。本当は言いたくないんだが、人には時として勇気を振り絞って言わなきゃならん場合がある。
「言っとくが俺だってハルヒがお前と同じ学校に通っていることにされた設定に何とも言えん思いを抱いていないわけじゃないんだぞ」
「それもそうですね。すみませんでした」
俺のジト目の反撃に古泉の非難めいた表情が苦笑に変わる。
ん? ちょっと待て。今の俺の表現は何か微妙じゃなかったか?
ううむ。横目にハルヒの一瞬、素っ頓狂に驚いた表情を捉えたが、これ以上深みに嵌る前に話を元に戻した方が良さそうだぞ。
つか、この話を続けるとハルヒに何を言われるか。
おそらくはあの悪巧み全開300ワット増しの輝く笑顔でネチネチずけずけと尋問されること間違いなしだ。そうなっては俺が言葉に詰まるのを待って罰ゲームに等しい何か無理難題を吹っ掛けてくることだろう。
それだけは是が非でも避けたいし、今はそれどころではない。
「あと分かるのは、また長門が世界改変をやらかしたってことくらいで、しかも今度は俺の記憶も書き換えやがったってことだな」
「どういうこと?」
今度はハルヒが訊いてきた。しかし困惑は隠しきれないようだ。表情にそれが思いっきり出ているのである。いつのもの勝ち気で得意満面の笑みが消え、不安が如実に表われている。
「古泉、話してもいいよな?」
「まあ仕方ありません。もう隠し通す方が無理です」
一応、古泉の承諾を得て、
「キョ……涼宮さん! キョンくん! 古泉くん!」
ちょうど旧館へと向かう渡り廊下で、とっても光栄なことに真っ先に俺に呼びかけようとして、ハルヒが隣にいることに気が付いたが為に言い直した朝比奈さんと出くわした。
「良かったですぅ。もし前の時みたいに今度はあたしだけが元の記憶を持たされたまま、なんて怖い考えが頭に浮かんだんです。だってこの学校に涼宮さん、キョンくん、古泉くんがいませんでしたし二年九組もありませんでしたから」
朝比奈さんが心底安堵した笑顔で、胸に手を当ててほっとしたため息をついておられます。
ううむ。その表情、とってもいいですよ。できればずっと見ていたいですね。
今の異常事態の真っ只中でなければ、ですが。
俺たち四人は今、立ち止まってお互いの今置かれた状況を確認し合っている。
「と言うことは朝比奈さんには元の記憶があったのですか?」
俺は思わず問いかけた。
「ええ。教室でお昼ごはんの時に、鶴屋さんとお話していて今週末の不思議パトロールの話題を始めたら、鶴屋さん、急に神妙な顔つきになって、『それ何の話? SOS団って何?』と訊かれてしまったんです。
その時に、前にキョンくんから聞いた話を思い出してそれでもしかして同じことが起こったんじゃないかと……」
なるほど。それを確かめようと文芸部室に向かっていたって訳か。
まあ俺たちがこの学校に戻ってきたのは昼休みもかなり終りが近い時間帯だったしな。二年五組の教室と二年九組がなかったことを直視してしまって朝比奈さんは思いっきりパニックになったんだと思う。
それを落ち着かせて今の時間に至ったてわけだ。
気持ちはよく分かりますよ。俺の去年の十二月十八日の時と全く同じ気持ちでしょうから。
それにしても今回はどうして朝比奈さんが元の記憶のままだったんだろう?
という疑問が本当に氷解したのは、この状況がさらに輪をかけて悪化していた時だったのである。
しかもそれを俺が知ったのは――
俺たちは互いの情報交換を終えた後、四人で文芸部室のドアの前に立っていた。
むろんドアは閉まっている。しかもハルヒが『SOS団』と書かれた紙を貼り付けておいたはずの表札が古びた『文芸部室』というもののみになっていた。
「キョン、さっき言ったこと、本当なの? あたしはまだ信じられないんだけど」
「仕方ないさ。俺だってお前の立場だったらとても信じられん話だ。しかしまあ俺たちが元の記憶を取り戻す前の記憶も今回はちゃんとあるんだ。しかもご丁寧に今の俺たちの恰好は嘘っぱちの記憶を持たされたときの恰好だ」
「まあね」
俺の隣にいる光陽園学院の制服に身を包んだポニーテールのハルヒが不承不承に首肯する。
ちなみに俺と古泉と朝比奈さんはハルヒに、長門が宇宙人で、この記憶操作を敢行したことを伝えたのである。後々、混乱を招いてしまったのだが詳細は省き日も言わずに去年の十二月に同じことがあったとだけ教えて。
そして俺はドアを開け――
部屋の中から光が差し込んでくると同時に、俺たちの目には泰然自若に佇んでいる長門有希の姿が飛び込んできた。
「長門、お前どうしてまた……」
去年の年末の正しい記憶を持っている俺がまずは問いかける。
「……」
が、長門は何も答えない。いつもの三点リーダ沈黙で突っ立っているだけだ。
しばし沈黙。
しかしまあいつまでも黙りこんでいる訳にもいかず、
「こんなことをやらかした? もしかしてまたバグエラーが積もり積もったのか?」
本来であれば、俺が『どうしてまた……』で言葉を切ったとしてもその続きを理解してくれて答えてくれたであろう長門であるにも関わらず、彼女は黙ったままでいた。
と言う訳で俺はわざわざ続けたわけだが。
「違う。わたしは正常で自分の意に従い自律行動している。異常はこのインターフェイス内に見つからない」
淡々と、しかしどこか寒気がするほどの無感動に、今度は長門が答えてくれた。
「そうなの?
だったら、今すぐこの世界を元に戻してくれない? この世界だと都合悪いし。んで、その後、有希のことを聞かせて。キョンたちが言うには有希、あんた宇宙人って言うじゃない?」
おいハルヒ。お前、長門の異様な雰囲気に気づいていないのか? んな気軽な笑顔で催促するなよ。
何かやばい気がするぜ。少なくとも俺はな。
と言うか、古泉と朝比奈さんの表情が強張ったままなんだから変に思えっての。
「この世界を元に戻す? それはできない」
「え? 何言ってんの?」
前髪の影を濃くして瞳を隠しながら呟く長門に虚をつかれた声を漏らすハルヒ。ひょっとしてまだ事態が呑み込めていないのか?
「あなたがこの世界を否定するのなら――」
――!!
長門がすっと小さな手をハルヒへと翳す。何やら呪文のようなものを早口で呟いて、
「まずいハルヒ! 危ない!」
脊椎反射的に俺はハルヒを突き飛ばした!
そして――
俺が最後に見たものは視界いっぱいに広がった目がくらむほどの、そして世界のすべてを呑み込んでしまったかのような熱く白い輝きを放つ光だった――