北高卒業式は、午前十時からでした。
 鶴屋家専属メイキャッパーのかたが手伝ってくれたおかげで、お化粧や身だしなみもばっちりです。登校も、今日は車で送ってもらえたので、らくちんでした。
 もっとも、最後にあの坂道をのぼらなかったのは、ちょっともったいなかったかもしれません。いえ、疲れるのが好きというわけでもないのですけど、感慨という意味で。
 いまは、クラスの子たちとともに、体育館の入り口付近で待機しているところです。ほかのみんなはわりとリラックスしている様子でしたが、わたしだけはちがいました。
 なにしろ、未来では学校の形態そのものが異なっているため、卒業式というセレモニー自体がはじめての経験なのです。もちろん、クラスメイトたちといっしょにリハーサルはしていますが、それでも緊張するのはいなめませんでした。
「卒業生一同、入場」
 合図とともに、吹奏楽部が演奏を開始しました。
 音楽ともに、卒業生が体育館に流れこんでいきました。整列する在校生たちのあいだを通りぬけ、自分たちの席へとむかいました。
 列は背の高さ順なので、わたしはクラスの最後尾になります。当然ですが、鶴屋さんよりもうしろでした。昨年までは、体育などでは最前列付近があたりまえだったのですが、背が高くなったので、そういうところもかわっていました。
 歩きながら、わたしは在校生たちを横目に見やりました。
 SOS団のみんなの姿を探したかったのですが、むりでした。さすがに、この状況でキョロキョロとあたりを見回すわけにもいきません。それでは挙動不審すぎます。
 やがて、自分の椅子のところまできました。全員が入場するのをまって、音楽がやみました。それから、着席の声がかかりました。
 祝電披露から、来賓、校長先生の挨拶など、式は淡々とすすんでいきました。
 全体の流れは把握していたつもりでしたが、思っていたよりもずっと退屈でした。節目の重要なセレモニーだと聞いていたのに、こんなものなのでしょうか。これでは、長いだけで、始業式や終業式と大差ありません。
 そういえば、三年前の入学式はどうだったかしらなどと記憶をたどっているうちに、卒業証書授与式がはじまりました。といっても、証書を受けとるのはクラスの代表者のみで、あとの卒業生はその場で起立し、一礼するだけです。
 わたしたちのクラスの代表は、鶴屋さんでした。
 みんなのぶんの卒業証書を受けとったあと、彼女はすぐに振りかえって、全校生徒にそれを見せつけるようにしました。堂々と胸を張り、誇らしげな様子でした。
 真剣な表情と端正な面差しは、凛々しいとすら思えました。なんとなく、ひとまえに立つべき人間の顔だと思いました。
 各クラスの代表が卒業証書を受けとりおえると、つぎは在校生の送辞と、卒業生の答辞でした。在校生代表は今年の、卒業生代表は昨年の生徒会長です。
 今年の生徒会長は、よくしりません。昨年度の彼は、なにかとSOS団にかかわってきたものでしたが、任期をおえたら見かけることもなくなりました。もともとクラスもちがっていたので、接点があまりなかったのです。
 この送辞と答辞がおわれば、あとは国歌・校歌斉唱だけです。わたしの三年におよぶ高校生活も、おわりをつげることになります。
「以上をもって、在校生一同からの送辞とさせていただきます。平成……」
 結びの言葉をのべ、在校生代表がさがりました。それをうけ、元生徒会長の彼がまえにでてきました。卒業生答辞です。
 マイクの高さを調整し、原稿をかまえ、そしていまにも声をだそうというふうに、彼が息をすいこんだ瞬間でした。
 突然、体育館の電気が消えました。あたりが真っ暗になりました。
「えっ」
「なに、なんなの」
「おい、どうしたんだ」
 騒ぎというほどではありませんが、そこかしこからささやき声が聞こえていました。でも、わたしはおどろいてはいませんでした。
 いつもなら、こういうとき、おろおろとおびえてパニックを起こしてしまうところですが、今日のわたしは思考規制がとけています。一味ちがう大人の朝比奈みくるなのです。
 この昼日中に、電気が消えたぐらいで真っ暗になるというのは、ふつうのことではありません。たぶん、カーテンを全部しめてしまったのでしょうが、秒単位の短時間で、そんなことをやってのけることができる人間、いえ、存在はそういないでしょう。
 さらに、状況が卒業式、つまり目立つ式典のさなかとなれば、答えは出たも同然でした。SOS団が、なにかサプライズを用意していたのです。
 ふいに、スポットライトが演壇の中央を照らしました。その光のなかで、まるで自分が世界の中心であることを誇示するかのように、ひとりの少女が凝然としてたたずんでいました。
 涼宮さんです。ギターをかかえ、不敵な表情をうかべています。セーラー服に、トレードマークの黄色いカチューシャがよく映えていました。
 つづいて、さらなるライトで、みっつの人影が同時に浮かびあがりました。
 むかって左手にギターの長門さん、右手にたぶんベースギターをかまえたキョンくん。そして涼宮さんのうしろ、いつのまにはこびこんだのか、ドラムセットのむこうには古泉くんの笑顔も見えました。
 体育館は、歓声ともどよめきともつかない声につつまれていました。元生徒会長の彼は、すでに自分の席にもどったのか、どこにも見あたりません。先生がたも、止める様子はありませんでした。事前に、根回しでもしておいたのでしょうか。
 おそらくは、場の全員の視線が集中しているだろうなか、涼宮さんが口をひらきました。
 彼女の演説、いえ、宣言は、じつに単純明快なものでした。
「答辞を受けるまえに、われわれSOS団からも送辞にかえて、歌を贈ります。二曲、ぜひ聞いてください」
 かつかつと、古泉くんがドラムのスティックを打ち鳴らしました。それを合図に、わたしを抜いたSOS団の演奏がはじまりました。
 イントロはなく、歌と同時に伴奏もはじまるタイプの曲のようでした。これは、オリジナル曲でしょうか。
 アップテンポで、早口に歌詞をたたきつけるような感じの曲でした。言葉がはやすぎて、こまかいところが聞きとりにくかったのですが、サビの部分だけは耳にのこりました。
『あなたが望むとおりに生きて。あなたのなりたいものになって。かならず、それは未来につながっていくから』
 そんな内容の歌詞でした。
 間奏にはいると、長門さんがまえにでてきました。ギターソロです。いつものように無表情のまま、彼女は風変わりな演奏をはじめました。
 ギターのことはよくしりませんが、長門さんがやっていることが特殊なテクニックであることは理解できました。
 ふつう、ギターというのは、左手の指で細い部分を押さえ、右手にもったピック……でしたっけ、あれで弦をはじくものだと思います。でも、長門さんは細い部分に両手をよせていました。
 それでどうなっているのかわかりませんが、テロテロと、なめらかでこまかい音が鳴っていました。
 彼女の演奏が一段落ついたところで、つぎに涼宮さんもギターソロをはじめました。キョンくんに背中をあずけて、ぎゅわんぎゅわんとワイルドに弦をかき鳴らしています。
 太陽を思わせる笑みを浮かべ、涼宮さんはなにか口をうごかしているようでした。もしかしたら、キョンくんに話かけていたのかもしれません。
 古泉くんが、笑顔のままでドラムを叩いています。キョンくんは、こちらに背中をむけていることもあり、顔がほとんど見えませんでした。ただ、ときどき涼宮さんと視線をあわせているらしい気配がありました。
 ふたたび歌パートにもどったあと、サビのくりかえしをへて、ラストはシンプルなアウトロでしめくくられました。曲がおわるのと同時に、体育館はわれんばかりの拍手につつまれました。
 生徒は卒業生・在校生とわず、すでに総立ち状態でした。わたしも、立ち上がって手を叩いていました。
 降りしきる雨のような拍手を浴びながら、SOS団が二曲めの演奏をはじめました。
 二曲めは、いくぶんミディアムテンポよりの歌でした。メロディラインのうつくしい曲でした。
 伴奏もシンプルで、歌いあげるようなタイプの曲でした。
 陰になり、日向になって、いつも自分たちを助けてくれた先輩に、感謝の気持ちをのべるという内容の歌詞でした。生意気な後輩だったことを詫びる言葉や、ずっとおなじ目線で接してくれてありがとうというような言葉もありました。
 歌がおわると、またしても長門さんがまえにでてきました。二曲めのアウトロは、ギターソロのようです。
 このアウトロは、一曲めのそれよりもかなり長いものでした。そして、とても情感ゆたかなギターソロでした。
 無表情な長門さんが弾いているとは思えないほど、むせび泣くと形容するのがふさわしい演奏でした。
 詞の内容とあわせ、後輩が、先輩との別れを惜しんでいる情景が目にうかぶような、そんなギターでした。
 演奏がおわったとき、体育館はしんと静まりかえっていました。時間が止まったかと錯覚しそうなほどでした。
 まえに出ていた長門さんが定位置にもどり、涼宮さんが頭をさげたところで、だれかが拍手をはじめました。
 ひとり、またひとりと拍手は増えはじめ、いつしか体育館は手をたたく音でみたされていました。
 一曲めがおわったときよりも大きく、そして長い拍手がつづきました。口笛の音も聞こえました。
 たっぷり数分ちかく、そんな状態だったでしょうか。いつしか、拍手は一定のリズムを刻みはじめていました。
 バンドに、アンコールを催促するリズムでした。
「みくるっ」
 ふいに、よこから声をかけられました。
 そちらに顔をむけると、いつのまにか鶴屋さんがきていました。それに、なぜかキョンくんのお友だち、谷口くんと国木田くんもいっしょでした。
「にっひっひー。ほい、これ」
 そういって、差しだされたのは、タンバリンでした。わけもわからず受けとると、鶴屋さんは上機嫌そうな笑みをうかべました。見ると、彼女はマラカスをふたつかかえていました。
「朝比奈さん」
 ずいと、谷口くんがまえにでてきました。
「ふぇ? 」
 真剣な表情で、谷口くんがわたしを見つめています。なにか決意を胸にひめた男の子の顔でした。
 おもむろに、谷口くんが口を開きました。
「俺、ずっとまえから、あなたのことが好きでひヴぁ? 」
「谷口ぃ、冗談もときと場合を考えなよ。だからカノジョに捨てられるんだって。……ええと、朝比奈さん。キョンからの伝言をあずかってきました。アンコールがはじまるまえに、鶴屋さんといっしょにきてほしいと」
 国木田くんにネクタイをつかまれ、谷口くんが悶えています。
「は、はなせ、国木田。首、しまる。息、いき」
「はいはい。ほら、席にもどるよ」
 そのまま、国木田くんは谷口くんを引きずるようにして、去っていってしまいました
 つかのま、その様子をぼんやり見送っていると、鶴屋さんに手をつかまれました。
「さ、あたしらはステージにいくよっ」
「ひゃあ、ひ、ひっぱらないでくださいよう」
 ステージにあがると、涼宮さんがつかつかと近寄ってきました。壇上で動きがあったためか、さきほどからさかんに聞こえていた拍手の音が、ちいさくなっていました。
「あなたたち卒業生を送るためのライブだったけど、アンコールはべつよ。SOS団名誉顧問ならびに副々団長として、最後に参加してもらうわ! 」
 そういって、涼宮さんはぱちりと片目をとじました。
「まかせるっさぁ! 」
 いうがはやいか、鶴屋さんはステージの反対側、キョンくんのむこうまで、走り去りました。スキップとともに宙返りでもしそうないきおいでした。
「や、やりますぅ」
 できるかぎり気合をこめて、わたしも答えました。
「よろしい! 」
 すっと手をかざされ、無意識に、わたしは自分の手をそこに合わせていました。
 ハイ・タッチでした。
 くるりとこちらに背をむけ、涼宮さんがステージ中央にもどりました。
「みんな、卒業生だけど、みくるちゃんと鶴屋さんがSOS団として演奏に参加してくれることになったわ! 」
 客席から、おたけびにも似た声があがりました。わたしや鶴屋さんの名前をよぶ声も聞こえました。
「アンコールをやるまえに、SOS団全員のメンバー紹介をするわね! まずは終身名誉顧問、鶴屋さん! 」
「にょろろーん! 」
 紹介をうけて、鶴屋さんがしゃかしゃかしゃっしゃ、しゃかしゃっしゃとマラカスをふっています。バレリーナがやるように、その場でくるくる回転していました。
「つぎ、頼れる副団長、古泉くん! 」
 どっどんどかどん、しゃんしゃんどこどこと、古泉くんがドラムをたたきました。
「副々団長兼書記、みんなのアイドル、みくるちゃん! 」
「ひゃいい」
 ちゃんちゃかちゃかちゃかちゃか、ちゃんちゃかちゃかちゃかちゃかと、タンバリンを打ち鳴らしてみました。い、いまさらですけど、ぶっつけ本番なんですよね。だいじょうぶでしょうか。
「あたしたちSOS団のほこる万能選手、団員その二、有希! 」
 きゅいきゅい、きゅいいーんと、長門さんがワンフレーズをかなでました。
「永遠の雑用係こと団員その一、キョン! 」
 ボボンボボンボン、ボンボボンボボボと、キョンくんがベースをひびかせました。
「そしてあたし、悠久不滅のSOS団団長、涼宮ハルヒ! 」
 テテレテレテレテ、テテレテレテレテと涼宮さんがギターを弾きはじめました。
 あれ? このフレーズ……。
 考えるひまもなく、キョンくんが、古泉くんが、そして長門さんが演奏に加わっていきました。
 ……ちょ、ちょっとまってくださいよ? もしかして、もう曲がはじまってるんですかぁ?
 余裕な顔で、鶴屋さんがマラカスをふっていました。わたしも、あわててタンバリンをたたきました。
 さっきのフレーズというかイントロは、しっています。たしか、洋楽ロックのスタンダードナンバーだったはずです。アンコールなので、だれでもしっている曲を選んだのかもしれません。
 タイトルは、そう、ジョニー・B・グッドです。
「ごっごー! ごーじょにごうっ! ごうっ! ごーじょにごごうごうっ! 」
 器用にギターをかき鳴らしながら、涼宮さんがノリノリでシャウトしていました。観客のみんなも、いっしょになって歌っていました。
 会場全体と、一体になった感覚がありました。リズムは心臓の鼓動、声援は地鳴りでした。
 途中から、演奏はほとんど涼宮さんと長門さんによるギター合戦という様相を呈してきました。
 たとえば、涼宮さんが華麗な早弾きを披露すれば、長門さんが叙情的なメロディをかなでるというぐあいです。
 また、長門さんが歯で弦をはじけば――キスしているみたいで、かなりドキドキしました――涼宮さんがギターを持ちあげて、頭のうしろで複雑なフレーズを弾いてのけるといった感じでした。
 ほんとうに、胸のすくような演奏でした。そして、ステージのしたから見ていたときとはちがい、彼女たちといっしょに壇上で参加させてもらっているというのも、おどろくべきことだと思いました。
 あらためて、わたしはSOS団の一員だったのです。このすてきな、すばらしいひとたちの仲間だったのです。
 キョンくんと古泉くんが、バンドの土台をささえています。涼宮さんと長門さんがまえに出て、会場を盛りあげています。わたしや、もちろん鶴屋さんも、そこに華を添えられていたはずだと、自信をもっていえます。
 会場のみんなが手を打ち、足を踏み鳴らし、声をだしていました。曲がおわるまでたった数分間で、わたしは汗まみれになってしまいました。熱気と興奮で、夢を見ているような気分でした。

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最終更新:2020年03月15日 16:34
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