公園を一周して、さきほどのベンチに、もどってきました。
「茶番劇に巻きこんでしまって、すみませんでした」
 ベンチに腰をおろしてから、最初に古泉くんがいったのが、それでした。ふだんとはちがい、自嘲のような笑みをうかべていました。
「さっきの男のひとは、古泉くんのお父さんなんですね? 」
「はい。……風変わりなひとだったでしょう? スポーツ観戦とミステリーが大好きで、その話題が出ていると、知らない相手でも気軽に話しかけたりすることがあったんです。だから、ああすればきっとコンタクトがとれると思いまして」
 話しかけたりすることがあった。古泉くんは、過去形でそういいました。
「それにしても、うごいている姿を見たのはひさしぶりでしたが、すっかり老けていましたね。あれで四十まえには、まったく見えないですよ」
 肩をすくめて、やはり古泉くんは皮肉っぽい笑みをうかべました。
「お父さんは、その」
「死にましたよ、癌でね。僕の体感では五年前、この『時間平面』ですか。ここからで考えると、だいたい三ヶ月ごぐらいになります」
 ひと呼吸おいて、古泉くんはつづけました。
「当時の僕はしりませんでしたが、父はすこしまえから体調が悪く、吐血したこともあったようなんです。たしか、この時点ですでに自宅療養にはいっていましたので、医者からはもう余命の宣告もされていたはずです」
 なんといったらいいのかわからず、ついわたしは目をふせてしまいました。
「かすかに、おぼえていたんです。この日、いっしょに散歩にでかけたこと。公園で、偶然みかけたクラスメイトたちとともに、三人バスケをしたこと。父が、それを観戦しながら、ちかくにいた高校生ぐらいのカップルと談笑していたこと。そして、帰りしなに『おまえもはやく彼女をつくれ』とせっつかれたことなどをね。今回の協力依頼の話をきいて、きっとこうするのが規定事項だったんじゃないかと、そう思ったんです」
 饒舌な口調でした。古泉くんがそういう話しかたをするのは、いつものことです。でも、わたしには、なぜか彼が、自分のほんとうの気持ちをかくすためにそうしているかのように感じられました。
「会いたかったんですね、お父さんに」
 顔をあげて、古泉くんのほうにむきなおりました。
「うーん、どうでしょうね。父が死んで、もう五年ですし、それほどのことは」
 そこまでいったところで、こんどは、彼のほうが目をそらせました。
「いや……。やっぱり、ごまかすのはやめにしましょうか。あなたには、こうしてここに連れてきていただいた恩があります。正直にいいましょう」
 どうやら、古泉くんは、視線を空にうつしたようでした。
「もう二ヶ月、診察がはやければと、父はいわれていました」
「二ヶ月、ですか」
 こちらも、おなじように空をながめてみました。
「ええ。この時間平面にくるとき、十二月にしてもらえないかといったでしょう? あれ、その時期に病院につれていけたら、父が死なずにすんだかもと思ったからなんです」
 空には、なにもありませんでした。雲さえもありません。むなしさを感じるほどに、よく晴れわたっていました。
「つまりね、僕ははじめ、朝比奈さんの任務を、自分のために利用しようとしたんですよ。しかも、あなたとちがい、後輩への贈り物といったようなことはなにもありません。そちらの好意につけこんで、かってに過去を改変しようとしていたんです」
 早口にそういって、古泉くんはうつむきました。
「時間断層のせいで、改変がむりだとわかっても、未練たらしくこの時代にやってきて、あまつさえ、あなたに恋人ごっこを強要するなんて……。どうせ父に会っても名乗りあえるわけでもあるまいに、ぶざまなものですよ。ふふ、見苦しいといったらないですね」
 横目にうかがった彼の表情は、やはり笑顔でした。それも、見るにたえないような苦しそうなものでした。
「自虐にも、ほどがありますよ、古泉くん」
「え……あっ」
 ぐいと、わたしは古泉くんの腕をひっぱりました。
 いきなりのことに面食らったのか、彼はバランスをくずし、なすすべもなくわたしのがわに倒れこみました。
 胸に、顔を埋めるような体勢になりました。
「あの、朝比奈さん?  」
「すこしのあいだ、そのままで聞いてください、古泉くん」
 呼吸をととのえ、つかのまわたしは、話すべきことを頭のなかで整理しました。
「わたしたちの組織にとって、かってに過去を改変されるのは、たしかにこまった行為です。だから、もし涼宮さんの時間断層がなくとも、そうとしったら、あなたをとめようとしたでしょう」
 古泉くんは、身じろぎひとつしませんでした。わたしのいうことに、耳をかたむけてくれているようでした。
「堤防をつくるために、かえって洪水をおこすようなことは避けなければならないというのが、わたしの組織の根本にある思想です。個人による恣意的な改変は、どんな事情があっても、容認できないの」
 だれもが、かってに過去を改変しだしたら、収拾がつかなくなります。かならずひずみが生まれ、もっと悪い未来にかわってしまう可能性がたかくなります。みんながすこしずつ我慢することで、いまあるものを守れるなら、そちらをえらぶべきなのです。
 だけど、それだけではないのもまた、人間という生きものでした。
「でもね、古泉くん。未来人のなかにも、過去を自分たちのためにかえてもいいのではないかと考えるひとたちは、たしかに存在しているんです。わたしたちは、彼らの行動を認めることはできませんが、気持ちは理解し、共感もしています。おなじ人間ですから」
 いいながら、わたしはあの藤原くんの顔を思い浮かべていました。
 藤原くんとは、去年の春の事件以降、なんどかかかわったことがあります。彼の組織が、わたしたちとはちがい、自分たちのために過去をかえていいという考えをもっているといことも、情報としてしっていました。
「悲しい過去をかえたい、しあわせな未来がほしいと願うのは、ひととしてあたりまえのことだと思います。心のなかだけのことなら、その気持ちを否定することは、だれにもできません」
 ぴくりと、古泉くんの肩がゆれました。
「もちろん、わたしだって、心のなかに、そういう願いのひとつやふたつはもっているの。そして、似たような気持ちがあるからこそ、あなたをいま、慰めてあげたいと思っています」
「朝比奈さん」
 ふいに、古泉くんがわたしの背中に腕をまわしてきました。
「……僕が中学に入学した直後に、父の容態は急変しました」
 かすれるような声でした。わたしは、ゆっくりと、古泉くんの頭をなでてあげました。
「ちょうどおなじころ、僕は超能力に目覚めました。涼宮さんが、閉鎖空間のなかで神人を暴れさせはじめたんです」
 そういって、古泉くんは、わたしをきつく抱きしめてきました。痛みを感じるほどの、強い力でした。
 鼻をすする音がきこえました。彼の体が、震えていました。
「父さんが、病気で苦しんでいるときに、僕はひとりで、部屋に閉じこもっていたんです。神人への恐怖で、まわりのことが考えられなくて……し、死に目にすら、あうことができなくて」
 いつしか、言葉に嗚咽の声がまじりはじめました。だまって、わたしはそれを受けとめつづけました。
 わたしにしてあげられるのは、ただそれだけでした。

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最終更新:2020年03月15日 16:50