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長門の気配が消えた。
振り返ってみた。
やっと帰ったか。
机につっぷした。
「つ、疲れた…。」
作戦終了だ。
成功か失敗かは知らんが。
「おつかれさま。」
店長さんから初めてやさしい言葉をかけられた。
「ソフトランディングですよ。」
「確かにね。あれならコップの水もこぼれないわ。」
「お説教なら覚悟してますよ。
いくらなんでもおまえは捨石だとか言うべきじゃなかったかもしれません。」
顔を上げて話を聞いた。
「だけどハルヒちゃんとずいぶんやり方が違うわね。」
「ハルヒには理屈は通用しません。
長門には感情は通用しません。
それだけのことです。」
佐々木と中学時代によく話していたのが役に立った。
デカルトだのパスカルだのシェークスピアだの予定説だの空の理論だの、全てあいつの受け売りだ。
あの説明好きのウザイ野郎との会話も役に立ったのかもしれん。
「そんなことないわよ。
やっぱり女は感情的な生き物なのよ。
さっきの『返事は』っていうのを聞いた時、ここにいたみんな全身の毛が逆立ったわ。
ゾクッときたわよ。
もちろん直撃を受けた長門さんがいちばんね。
嬉しいのを必死で隠してたじゃないの。
あなたには通用しなかったけど。」
「ハルヒの時にはみなさんバカにしてたじゃないですか。」
「あれも感動したわ。」
「バカだって言ってましたね。」
「あなたのバカさに感動したのよ。」
最後までよくわからないことを言う人だ。
「嘘をつくなら本気でだませ、か。
確かにあなたは、長門さんに最後まで嘘をつき通したわね。
たいしたものだわ。」
「嘘じゃありませんよ。
親に殺されかけたなんていつまでも信じさせてはいけないと思っていました。
あいつが親に愛されているっていう解釈が出来ることはずっと考えてました。
そう信じさせることについては…、勝算がありました。
誰でも親に愛されていないなんて信じたくはないです。」
幼い頃親に暴力を受けた子は、暴力こそが親の愛だと信じる。
そうでなければ、自分が愛されていないということになってしまうから。
現実を変えられない以上、解釈を変えるしかない。
だから成長して自分の子を愛すれば愛するほど暴力を加えざるを得ない。
解釈を変えれば自分が愛されていなかったということになるから。
それが虐待の連鎖を生む。
だけどあいつは決してそんな風に扱われてはいない。
あの雪山で親との連絡が断たれた時のあいつの様子を見ればわかる。
「あいつが愛されていると信じたならば、おれもそう信じます。
あいつはまぎれもなく親に愛されているんです。」
そしてもう一つ。
ただの人間になろうなどと思わなくていいということ。
今のままでいいということ。
無理矢理自分を変えようとしなくても、ゆっくりと変わっているということ。
「やさしいわね…。
ところで…、谷口君ってどういう人?」
「なんですか、いきなり。」
「さっきの古泉君との話に出てきたでしょう?」
学校中の女子をランク付けしているバカ。
いくら失敗してもナンパし続けている根性だけはある奴。
ハルヒに呆れられ、バカにされている奴。
あいつも気の毒だな、ずっとハルヒと同じクラスとは。
だけど映画撮影の時、それでもハルヒたちと遊びたかったんだろうか。
あの時のハルヒは全く遊びのつもりなんかない、真剣そのものだったんだが。
「ハルヒは、自分の外見に食いついてきた奴をバカにする傾向があります。」
おれも初対面のころはそうだったな。
声をかけたきっかけもそれだったし。
「えーと、谷口君の話なんだけど。」
谷口がその典型だからですよ。
「だけどハルヒは、あの容姿を手に入れるのにどんな努力をしたんでしょうか。」
谷口は自分がハルヒに全く相手にされていないことをよく知っている。
それでもあいつは映画撮影の現場にやってきた。
それでもあいつはハルヒと一緒にいたかったんじゃないだろうか。
「ハルヒはナンパしてきた奴をことごとく撃墜しています。
だけどそいつらは、滅多にいないような美少女を見て少しでも近づきたいと声をかけてきました。
少なくともそいつらは一か八かでも知らない人に声をかけるという努力をしているんです。
谷口だって同じです。
相手にされないとわかっていても、好きな人と一緒にいたいと我慢しているんです。
他のことならともかく、これに関してだけはハルヒに谷口を馬鹿にする資格なんかない。」
できもしないくせに母親が作ってくれた料理に文句をつけるのと同じだ。
 
「あいつは、好きな人と一緒にいるために努力したことなんか一度でもあるんでしょうか。」
 
男は女に比べて積極的に異性に働きかける。
谷口の場合はそれが極端すぎるが、結局おれだって同じ、というよりどんな男でも同じだ。
女どもはそれをバカにする。
だけどそれは男が動物的で女が理性的であることを意味しない。
女が男に働きかけるのははしたないっていう常識がある。
常識っていうことは文化的なものだと言えるが、どんな文化にも自然の裏付けがある。
男が女を求めるのは遺伝子の命令であるように、
女が男を警戒するのも遺伝子の命令でしかない。
女は努力して男を求めずにいられるようになったわけじゃない。
だからハルヒが谷口をバカにするのには、同じ男として心苦しいものがある。
 
「えーと、君はここに女物の洋服を買いにきたのかしら。」
「違います。」
「だったら君はなんでここにいるわけ?」
「あいつに呼び出されたからですね。」
「それが何を意味するかわかる?」
「買い物に付き合えという命令に従っているわけですが。」
「あの子がそう言った理由は?」
「命令に理由を尋ねたりはしません。」
従えばいいだけのことだ。
「質問を変えるわ。
君はあの子と一緒にいるために、どんな努力をした?」
「ありとあらゆる雑用をしています。
お茶代を全員分出してます。
あいつの思いつきにすべてつきあってます。」
こまごましたことを言えばきりがないな。
「そういうことじゃなくて、あの子を呼び出したことがある?」
「あるわけないじゃないですか。」
「どうして?」
「来るわけがないからです。」
「じゃああの子がもうすぐここに来るのはなぜ?」
「言ったじゃないですか……、あいつはここに買い物に来るんですよ。」
「君が長門さんにそんな風に言い続けたのは、優しい嘘じゃなかったの?」
「信頼関係を保つっていうのは、絶対に嘘をつかないことです。」
おれがハルヒにならともかく長門に嘘をつくはずがない。
ここで客扱いされていないっていうのはこの人には方便だと言ったが半ば以上本音だ。
「あの子が君に会いたいからここに来るって考えられないの?」
「あいつがさっき電話を切る前に何て言ったか聞いていましたか?」
「『もし逃げたら、絶対に許さないわよ、たとえあんたでもね。』って言ってたわ。」
「あなたはあいつの言葉をそのまま受け取ってはいけないと言ってましたね。」
 
この言葉の意味するものをずっと考えていた。
例えおれであってもこの場からいなくなっても許さないということは、つまり、おれ以上にこの場からいなくなったら許されない者がいるということだ。
実際にこの場にいる人という意味ではないだろう。
これはそのまま受け取るところじゃない。
おれ以上にこの場にいてほしい誰かがいるということ。
おれよりもブティックの試着室の前にいてほしい人がいる。
彼氏の役割をしてほしい人がいる。
おれ程度の存在であっても許されないということは、あいつにとってもっと重要な存在があるということだ。
ここから出る答えははっきりしている。
あいつには恋愛対象としてのおれは必要ない。
論理的だ。破綻していない。飛躍もない。完璧だ。
ならばあいつに必要なのは誰だろうか。
わかっている。
古泉だ。
創造神、つまり予定説の神は人間の自由意志までも決定することができる。
神はサイコロを振らない。
そのことをカマドウマ事件で認識させられた。
自分に対する恋愛感情を持たせたのには理由があるはずだ。
古泉に恋愛感情を持たせたのは彼氏にするため。
(そう考えると、朝比奈さんはおれに対しておびえという感情を秘めていることになる。
今までどおり付き合うのはまずいな。なれなれしくしないようにせねば。)
ハルヒがおれに恋愛感情を持たせたのは鍵という役割をさせるためでしかない。
そう考えると全てつじつまが合う。
今のおれに必要なものは何だろうか。
それもわかっている。
「割り切り」だ。
それでもおれにはあいつが必要なんだ。
たとえ神の道具としての役割しか与えられなくても、あいつのそばにいられるならいいじゃないか。
あの十二月を思い出せ。
あの時、おれはただハルヒに会いたかった。
だったらそれでいいじゃないか。
だけど人柱は………おれか。
 
「て、て、店長…。この男ぶん殴ってもいいですか?
いくら悪気がないといってもバカすぎます。
このバカは犯罪です!」
「わたしがやるわよ!」
ボカッ!
い、いてえ。
何するんですか。
おれは今失恋の痛みに…。
「謝りなさい!
世界中の本当に失恋して傷ついている全ての男と女に謝りなさい!」
おれも本当に失恋したんですが。
始まってもいないのに終わってしまった。
「終わったって、何のこと?」
この人はまた誰かを思い出させる。
「この弓状列島の住民が千年以上かけて作った言葉で言えば…、『物語』ですかね。」
「じゃあ君にキスされてあの子が世界を捨てるのをやめたっていうのは?」
「だから、腹が減ったんですよ。」
「三日間君の病室を片時も離れなかったっていうのは?」
きっとあいつは寝袋で寝るのが趣味で……
そう言ったら殴られるというより殺されそうな気がした。
死ぬのはいやだ。
「団員の心配をするのは団長の務めなんだそうです。本人が言ってました。」
古泉に対しても同じことをするっていうことだ。
「さっきの電話の、こっちが聞いていて恥ずかしくなるようなバカップルの痴話喧嘩は?」
「バカップルとか痴話喧嘩とか何の話なのかわかりませんが、
戦況は一瞬一瞬に変化します。
一時間以上前の情報なんて情報じゃありません。
情報はいちばん新しいものじゃなければ意味がない。
おれにとってあいつのいちばん新しい情報は、『おれ程度の男でもこの場を去ることは許されない』っていうことです。」
店長さんが肩で息をしながらはあはあ言っている。
「ちょっとお互いに落ち着こうじゃないの。」
おれはずっと落ち着いてますけど。
「あのさ、君はあの子の『たとえあんたでも』っていう言葉を『おれ程度の男でさえも』っていう意味に取ることを前提にしているみたいだけど、そういう前提から入ったらそういう結論しか出ないんじゃないの?」
「おれ程度の男」に決まってるじゃないですか。
何せ失恋したんだから。
ん?
あいつにとって「おれ程度の男」だからおれは失恋した。
おれは失恋したからあいつにとって「おれ程度の男」だ。
またトートロジーか?
いや、どこかおかしい。
「同義反復って言えばそうですけどね。
おれは失恋したんです。」
おれがそう感じていることは疑いない。
どうも長門と話をした後は理屈っぽくなっていかんな。
「わかるんですよ。
わかってしまうのだからしかたがない。」
「事務所でもそんなことを言ってたけど、その『わかってしまうんだから仕方がない』っていうのは何なのよ!」
これは信じてもらえないだろうな。
だけど言ってみるか。
「店でもそう言いましたね。
あなたになぜあいつを追いかけないかと聞かれて、おれが追いかけるべきではないと答えた時に。」
「そんなことを言ってたわね。」
「あいつが泣き顔をおれに見せたくないだとか、あいつがおれに迷惑をかけないようにしてくれただの言いましたが、そんなのは人前でカッコつけたにすぎません。
もっとカッコ悪いことだとおれは知っていたんですよ。
わかってしまうからしかたがないっていうのはそういうことです。」
もちろんカッコ悪いのはおれだ。
「あいつのあの携帯での無言電話…。」
バカァ、とは言ってたが。
「その無言にはあるメッセージが乗せられていました。」
ボールペンを机に転がそうとして他人の物だと気がついた。
丁寧に置いた。
椅子からゆっくり立ち上がった。
「その内容はたぶん……」
たぶん、としか言えない。だけど間違ってはいないと思う。
息を吸ってから叫んだ。
 
「わたしは、ここにいる!」
 
「ここ」というのがどこかはすぐわかった。
ハルヒが突然訪ねてすぐに上げてもらえるような所は多くないだろう。
朝比奈さんは…、朝比奈さんはすぐに上げてくれるだろうが、上級生をちゃんづけで呼んでるんだ。
あいつは朝比奈さんの前ではカッコつけたがるはずだ。
学校……というのもなさそうだ。誰が泣き顔でいちばん知り合いに会いそうな所に行くか。
古泉の家は無理だろう。
自宅というのもないだろう。休日のあの時間でも誰もいないかもしれない。
あいつの親に対する気持ちを考えると、誰かいたほうがかえっていやかもしれない。
あいつが行きそうなところは一つしかない。
 
「わたしはここにいる…。」
店長さんがブツブツ言いながら目を見張っている。
ほかの店員、客どもが明らかにヒいている。
そりゃそうだろう。
全員信じられないものを見たような顔をしている。
無言電話にそんな意味があるなんて言われても信じないよな。
納得できるわけがない。
電波人間の一丁上がりだ。
おれはこういうのには慣れているんだ。
全員知り合いじゃないからあの時よりずっとマシだ。
店長さんがパクパク口を開けた。
救急車を呼ばれるんだろうか。
「わたしはここにいるって……、それはどう考えてもあの子から君への……」
 
「SOSじゃないの!」
 
「君、救難信号を受け取っていながら何もしなかったわけ?
それって犯罪だって知ってる?
それを知っていながらのんきに片思いだの髪形変えさせただけだのくっだらないことを話してたわけ?
女の子が救助要請をしているのをカッコ悪いだなんて、何考えてるのよ!」
そう解釈したか。
 
「そう考えている人が多いんですが、『わたしはここにいる』っていうのは、『だから会いに来て』っていう意味では『ない』んですよ。」

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最終更新:2020年03月07日 01:28