【Wol】光の戦士にハァハァするスレ1…フリオ×マリア
閉じた目を開ければ、あの後ろ姿が見えるような気がする。
あの世界から帰ってきてから、フリオニールには悪い癖がついた。危険な時、辛い時に一瞬だけれども目を閉じる癖が。
さらさらと流れる美しい髪のマリアは、「困ったひとね」とだけ言った。その声の響きが不思議なくらいに甘やかで、フリオニールはひそかに胸をときめかせたものだ。
「危ないからやめろ」とレオンハルトは一度だけ言った。たとえ裏切られたとしても、フリオニールは厳しい彼の物言いが好きだった。
あの人は、いつだって振り返らなかった。
まっすぐに前を見つめる揺るぎない姿にいつだって憬れていた。
振り返らないということと、振り返れないということは全く違うのだと思う。
いつ終わるともしれない戦いは圧倒的にこちらに不利で、常にぎりぎりのところで生を拾ってきた。
フリオニールたちに希望を託し倒れていった同志たちの屍の山が彼の背後にはうずたかく積み上がり、そして彼はいつだって振り返らなかった。
振り返れば、立ち止まりたくなる。駆け戻りたくなる。
けれど、戻ったところでフリオニールには彼らを助ける術がないのだ。弱いからだ。
だから、振り返れない。
あの人は違った。
いつだってその歩みは止まらず前へと向かっていたが、仲間たちを見捨てることはなかった。
寡黙で表情にも乏しかったが、仲間たちの危機には必ず駆け付け、その命を、心を救ってくれた。
自分たちはただ、その頼もしい背中を追っていけばよかった。その姿が見えるだけで、挫けることはなかった。
だから、目を閉じてしまう。
目を開ければあの人がいて、どんな危機でも変わらない端整な顔立ちで、凛とした声音で自分たちを救ってくれるのではないか。
そんな夢想をしてしまう。
皇帝を倒した後、フリオニールはフィン城が見渡せる丘の上に小さな家を立てた。
丘の上に立てば一面広がる青空を背景に美しくそびえる城が見え、澄んだ水を湛えた小さな湖もあった。
その風景はあの別れまでのほんの一時見ることが出来たあの人の世界と、美しい女神が座していたあの聖域によく似ていた。
特に夜の湖は恐ろしくなるほど神聖で静謐な雰囲気で、よく水辺にマリアと二人で肩を寄せ合いながらいつまでも青い湖面を眺めていたものだった。
夜の穏やかな光の中で見る彼女の姿は昼の快活なものとはまるで別人のようにしとやかで、そんな時の彼女に触れるのに気後れさえ覚えた。
もっとも、彼女は世間に広がる勇敢な革命の義士などという評価とは全く違う、いつまでたっても臆病で、子供じみたフリオニールをよく知っていたので、「仕方のないひと」と甘くなじって彼をその細腕で抱き締めてくれた。
彼女と過ごす時間はフリオニールに今まで得られなかった幸福と安らぎを与えてくれたが、それでも閉じた瞼の中のあの人が消えることはなかった。
それは優しく偉大な彼女にも言えないフリオニールのたったひとつの秘密だった。
『のばら』という言葉はフリオニールにとって特別なものだった。
それは夢であり戦いであり希望であり逃避であり、よすがであった。
フリオニールは二人で住む家の周りにのばらを植えた。
マリアもその白い指を棘にさされながらも手伝ってくれた。
最初はのばらをただ植えただけだったが、毎年誰かが新しい苗を持ってきてくれるものだから、フリオニールの家は毎年様々な種類の薔薇に囲まれるようになった。
薔薇に囲まれて家が見えないわとマリアは微笑み、フリオニールは花に囲まれた彼女の姿にただ見とれていた。
そんな美しい彼女はもういない。
死ぬ時はきっと二人一緒だとあの頃から漠然と思っていたが、最初の子供を出産したあたりから徐々に彼女は体調を崩していった。
彼女のためにフィンは名医を寄越してくれたが、戦いの中で磨り減らした命を補充することは神ならぬ身には無理なことだった。
孫の顔を見るまでは死なないと言った彼女は、初孫を抱いた年の冬に静かに眠りについた。
「目を閉じないで」と、少し寂しそうに彼女は笑った。
きっと、今目を閉じることは、彼女への裏切りになるのだろうとわかっていたけれども、すっかり痩せてしまった彼女が最後の細い息を吐いた瞬間にフリオニールは目を閉じてしまった。
条件反射のようにあの人の姿を思い浮かべながらフリオニールは泣いた。
最初に植えたのばらの根元に彼女を埋めた日も、フリオニールは丘の上に立つのをやめなかった。
ここに住み始めた時からの習慣を、やめることが出来なかった。
振り返ることなく歩き始めた勇者の背中。
よく似たこの場所に立てば、あの日の続きのようにあの背中が見えるのではないか。
自分があの人に抱いていた想いをなんと呼べばいいのか、何十年と経つのにフリオニールにはまだわからない。
『フリオニール』
冷厳とした、だが優しさを秘めた声。
『無事か』
肩越しの視線。
冷たい、目尻の切れ上がった瞳がそうやって流されれば、本人は意図していないだろうがぞくりとするような凄絶な色香を放つ。
癖のある銀の髪が鎧に流れるさらさらと澄んだ音。
儀礼用かと思うような赤い房飾りのついた優美な剣から繰り出される舞うようなけれど剛毅な剣技。
彼のすべてに憬れていた。
あの人のように強く、揺らがぬ人間になりたいと。
あの時、あの別れの時に、彼に言うべきことがあったはずなのに、フリオニールはその感情をうまく言葉という形にすることが出来なかった。
口下手なのも鈍感なのも不器用なのも自覚している。だから。
最近、めっきり身体の自由がきかなくなってきた。
家からほんの少し離れた湖のほとりに行くのでさえ難儀している。
子供や孫たちは、フリオニールを心配して医者を呼んでくれた。
自分の身体の事はわかっているが、子供らの気持ちに感謝して彼は診察を受けた。
特に悪いところはどこにもないが、強いていえばどこもよくない。マリアと同じだった。
なるべく体力を消耗しないようにするしかないと。
子供たちは一緒に暮らそうと言ってくれた。老いたフリオニールがひとりで暮らすにはこの家は不便だったが、彼は断った。
人並み以上に生きた。
マリアと共にのばらに囲まれて朽ちるのなら、それでいい。
そしてなによりも、この場所にいればいつかあの人に逢えるのではないかという夢想を捨て切れなかった。
何年たっても、自分の夢は幼稚なものなのだなと、フリオニールは庭に咲くのばらを見ながら笑った。
いつものように湖のほとりに行こうとして、身体が動かなかった。
ああ、もう終わりなのだと悟ったが、恐怖はなかった。
ただ気になるのは、彼がいなくなった後、薔薇たちはどうなるのだろうかと言う事だった。
「…あなたに…伝えたいことがあったのに」
どうしようもなく口下手で不器用で鈍感だから、想いのすべては花に託した。
一株一株、口に出せない気持ちをこめて、いつかあなたに見て貰おうと。
美しい、良い夢だといってくれた、こんなささやかな夢の形を。
「フリオニール」
淡々とした、だが底に暖かいものを秘めた声。
重い瞼をこじ開ければ、先ほどまで霞んでいたはずの視界が不思議なくらいにはっきりとしていた。
「…行こう…君の夢を、君の世界をわたしに見せてくれるのだろう?」
さらさらと、銀の髪が揺れる。長い睫毛が影を落とす白皙、冷たい水のような空のような瞳。
ほんの僅か、よく気をつけていないと気付かないくらい微かに薄いくちびるが弧をつくる。
「…ああ…あなたに伝えたい事が、あなたに見せたいものがたくさんあるんだ」
フリオニールはただ笑って、無心に憬れ続けた光に手を伸ばした。
最終更新:2009年09月05日 23:01