「もう嫌!!」
そう叫んで沙英はひだまり荘の玄関を飛び出していった。
行く当てなんてなかった。
沙英は夕暮れの町を走った。
気づいたら駅前のデパートの屋上にいた。

きれいな夕焼けだった。
はじめてこの町に来て間もない頃、このビルの屋上に上がって夕焼けを眺めたことを思い出していた。
傍らにいたのはヒロだった。そんなことを一瞬だけ思い出した。
日は徐々に傾いていった。影は長くなり、少し肌寒くなってきた。

―そう言えば、上着も着ずに飛び出して着たんだっけ…

とてもじゃないが、ひだまり荘に戻れる気分にはなれなかった。
とはいえ、どこへ行く当てもなかった。
ポケットを探したが財布も携帯電話も何もかも部屋に置いて来たことに気づいた。

―ふぅっ…

沙英は屋上のフェンスにもたれかかり、ため息を一つついた。

―あんなときにあんな風に言うヒロが悪いんだ…

ひだまり荘を飛び出していく前、一瞬だけ見えたヒロの瞳を思い出した。
とても悲しそうな、寂しそうな瞳だった。
あんなヒロは見たことなかった。

―悪いのはヒロじゃない。すべて私だ。

非は全面的に自分にある。もちろん沙英はわかっていた。

―でも、ヒロだって…

昨日から寝不足で体調が悪かった。
編集さんからあれこれ言われて気が沈んでいた。
うまく筆が乗らなかった。
理由ならいくつでも上げられそうだった。
そんな気分の時、ヒロにあれこれ小言を言われたのでカチンときてしまったのだ。
そして勢い余って、沙英は何も考えず部屋を飛び出していった。

―どうしよう…

沙英は暮れていく町並みを眺めながら途方に暮れていた。

「あーら、沙英。今日は奥さんと一緒じゃないの?」

いきなり自分を呼ぶ声に振り向いた。

そこに立っていたのは、隣のクラスの夏目だった。
制服を着て鞄を肩から提げているところを見ると学校帰りのようだった。

沙英は何も応えず、一つため息をついた。
「ど、どうしたのよ、調子狂っちゃうじゃない…」
「…」
「な、何よ、む、無視!?」
「…けんか…したんだ…」
沙英はうつむいて、つぶやくように言った。
「め、珍しいわね、夫婦げんかなんて。犬も食わないって奴ね。」
「うん、そうだね。」
沙英はまた一つため息をついた。
「どうしたらいいかわからないんだ…」
「そんなの簡単じゃない。素直にごめんなさいって謝ればすむことじゃない。」
プイと横を向いて夏目は言った。
―なんで私が沙英とヒロの間のことを心配しないといけないのよ
夏目はそう思った。
「…うん、そうなんだけど…」
煮え切らない態度だった。
「しっかりしなさいよ!」
「ありがとう…」
「べ、別にただ元気じゃない沙英が見たくないからだけなんだからね!」
夏目は頬を赤く染めながら言った。
「ねえ、夏目…お願いがあるんだけど…」
「な、何!?」
「急で悪いんだけど、今日、夏目の家に泊めてもらえないかな…?」
「な、何よ急に!?う、家に泊まるって…」
「悪いかなぁ?いや、悪かったら良いんだ…他あたるから…」
「ちょ、ちょっと待って、い、いろいろと準備が…」
夏目は一つ深呼吸して小声で付け加えた。
「心の準備も…」
夏目は学生鞄から携帯電話を取りだし、電話をかけ始めた。
「ちょっと、待っててお母さんに聞いてみる…」
「ありがとう…」
携帯電話の呼び出し音が鳴る。
そういって再び沙英はフェンスにもたれて夕焼けの空を眺めていた。
夏目はその背中をじっと見つめていた。
その背中は寂しげだった。
今すぐ後ろから抱きしめてしまいたい、そんな衝動に駆られたが、
その一歩を踏み出すことは出来なかった。

何度かの会話のやりとりの内、夏目は「じゃあお願い」と言って電話を切った。
「大丈夫だって」
「良かった。」
「お父さんは単身赴任で家にいないんで、お母さんだけだから気兼ねしなくて良いわよ。」
「ありがとう。」
「べ、別に感謝されるほどのことじゃないわよ。時々友達も泊まりに来たりするから、特別なことじゃないんだからね!」
「夏目って意外と優しいんだね」
「そ、そんなことないわよ。もうすぐ快速電車が来るから早く行きましょ」
「ところで、なんで夏目はこんなところにいたの?」
「ちょっと、課題で煮詰まったからよ。ここから見る景色が好きなの。ただそれだけよ。」
「そうなんだ。私も。」
「そ、そう、奇遇ね」
お互い笑いあった。
ここで会ってからはじめてみせる笑顔だった。
夏目にはとてもまぶしく感じられた。

               ・ ・ ・

夏目の家は駅から電車で一時間近くかかった。
「夏目も毎日大変だね。」
「まあね、まださらに駅から家までさらに自転車で10分かかるから」
下車駅に着く頃にはもうラッシュアワーだった。
家路に急ぐサラリーマンらでごった返していた。
「ごめん、電車賃まで借りちゃって。」
「いいわよ、あとでちゃんと返してくれれば。」
駐輪場に向かうと夏目は自転車を引いてきた。
「さあ、行きましょ。」
「ねえ、夏目。後ろに乗って良いかな?」
「え?!後ろ?!べ、別に構わないわよ。」
沙英は夏目の自転車の荷台に横座りに座った。
「重くないかなぁ?」
沙英はちょっと照れながら言った。
「だ、大丈夫よ。ちゃんとつかまって。」
沙英が夏目の体に腕をまわした。
何気なく言ったつもりが大変なことになっていることに気づいた。
沙英の体が自分の体に密着している。
沙英のぬくもりが制服を通して直接伝わってくる。
夏目は、自分の心臓の鼓動が聞かれないか気になってしまった。
ペダルの重さと興奮で心臓を高鳴らせながら夏目は夕闇の町を自転車でこいでいった。

               ・ ・ ・

夏目の家は住宅街の一軒家だった。
「ただいま」
玄関を開けると一目で夏目の母とわかる女性がが出てきた。
「お帰り。この娘が沙英さんね。いつも家の娘がお世話になっています。
 いつも、学校から帰ると沙英さんの話ばかりなのよ。」
「お母さん、余計なこと言わないで!!」
沙英は親子の会話って良いな、と思いながらそのやりとりを聞いていた。

夕飯はクリームシチューだった。沙英が来るというので慌てて作ったと言うが、
とてもおいしかった。
食事が終わり、お茶を飲んでいると、夏目の母が言った。
「沙英さん、パジャマサイズが合うかわからないけど、お風呂はいかが?」
「あ、はい、いただきます。」
沙英は進められるままに風呂に入った。
風呂から上がると、おろしたてのパジャマと下着が用意してあった。
「明日の朝までに洗濯しておくから洗濯機に入れといてね」
夏目の母はそういった。

風呂場から出ると、夏目が待っていた。
沙英は買い置きしてあったピンクのパジャマを着ていた。
袖や裾にフリルのあるパジャマは沙英にはあまり似合わないものだった。
「私もお風呂入っちゃうから私の部屋で待ってて。」
夏目につれられて、夏目の私室に入っていった。

ドアを開け、夏目の部屋に二人は入っていった。
沙英は部屋の中を見渡した。
割と大きめの液晶ディスプレイのパソコン一式。
レーザープリンターとカラープリンタ(複合機)。
―へえ、夏目ってパソコンやるんだ。
 そういえば、選択は情報だったもんね。
「じゃあ適当に雑誌でも読んでいて。」
夏目に言われあたりを見渡すと「月刊きらら」のバックナンバーがかなり古い号まで並んでいた。
沙英は夏目が部屋を出ると雑誌とは別のものに目を向けた。
スケジュールのびっしり書き込まれたカレンダーだった。

              ・ ・ ・

夏目は着ているものを脱ぐと風呂に入った。
風呂場はほんのりと沙英の匂いがした。
夏目は思わず深呼吸してしまった。
「何やってるんだろう、私、これじゃあ変態だわ」
夏目は湯船の中で頭を抱えた。

「どうしよう、どうしよう…」
夏目は湯船の中で頭を抱えていた。
自分の家に沙英が泊まりに来るなんてシチュエーションは想像すらしたことがなかった。
―寝るのは私の部屋よね
 沙英と一緒の部屋で寝るの?!
「どうしよう、どうしよう…」
夏目は湯船の中でひたすら頭を抱えていた。

いい加減のぼせそうになったので仕方なく風呂から上がった。
―万が一。万が一の時のためよ。
夏目はおろしたてのレースのかわいい薄いブルーのパンツを履いた。

              ・ ・ ・

しばらくすると、夏目は薄いブルーのパジャマ姿で戻ってきた。
沙英の着ているものと色違いでおそろいのパジャマだった。
「髪ほどいている夏目、はじめて見たよ。そっちもかわいいね。」
「が、学校じゃ、め、面倒くさいから縛っているだけよ。」
夏目は湯上がりのせいか、頬を紅潮させて答えた。
かわいいといきなり言われて夏目はうれしさで天にも舞い上がる気分になった。
「ところで、夏目、冬のコミフェスに参加するんだ。」
沙英が毎年夏と冬に開催される同人誌即売会の『コミック・フェスティバル』について唐突に訊ねた。
いきなり、知られたくない秘密を知られ夏目は急転直下、地面にたたきつけられた気分になった。
「な、何言ってるの、私がそんなオタクなイベントに参加するわけないでしょ!」
「そういう割にはよく知ってるね」
「ちょっと聞いたことあるだけよ!」
「ふふーん、そうかねチョコ山君。そんなことでは私の目はごまかせないよ。
 このカレンダーが何よりの証拠。
 ここに書かれた、『入稿日』とか『印刷所』との『打ち合わせ』とかの文字。
 そして決め手は、赤丸のつけられた『コミックフェスティバル』のスケジュール!」
いきなり証拠を突きつけられた夏目は顔を真っ赤にした。
「た、ただ中学の時からの友達のつきあいで編集みたいなことしているだけよ。」
それは本当だった。夏目は中学時代から仲間と同人活動を続けていた。
「なんだ、夏目は自分では書いたりしないの?」
夏目は耳まで真っ赤にしてうつむいて言った。
「だ、だって恥ずかしいじゃない…」
「同人誌出す時点で十分恥ずかしさは乗り越えられているんじゃないの?」
「そ、それとこれとは違うの!!」
風呂から上がったばかりなのに嫌な汗をかいていた。

夏目は何の話題を切り出そうかと思ったが、沙英の方から話を切り出した。
「『橘文研究序論』って書いた人も友達?」
「えっ?!」
夏目は自分の心臓が一瞬完全に停止したかと思った。
「勝手に読んじゃってごめん。ちょっと興味があったから。」
「べ、べ、べ、別にわ、わ、わ、私が書いたんじゃないから、ど、ど、ど、どうぞご勝手に!」
夏目は完全に動揺しきっていた。
自分では何も書いていないといっておきながら、『橘文研究序論』は夏目自身が書いたものだったから当たり前だった。
「なかなかおもしろかったよ。本が出来たらぜひ私にも分けてね。ちゃんとお金は払うから。」
「い、良いわよ、お金なんて。どうせ売れ残る本なんだから。」
「そんな風に思って本を作っちゃダメだと思うよ」
「…そうよね…うん、そうよね!」
沙英の言葉に元気づけられて夏目は一瞬のうちに明るくなった。

「沙英、ごめん、返信出さなきゃいけないメールがあると思うからからしばらく待ってて。」
そういって夏目はパソコンに向かった。
「編集さんは忙しいんだね。」
「そ、そうよ、悪かったわね。」
―私、どうしてこう、憎まれ口をたたいてしまうんだろう。
夏目はディスプレイに向かいながら思った。
「ねえ、夏目。この同人誌のバックナンバーはあるの?『Vol.6』って書いてあるから」
「あ、あるわよ。」
本棚の割と目立つ位置に置いてある冊子を何冊か取ると夏目に渡した。
「夏目はなんて名前で書いてるの?」
「編集者は黒子なの、名前はいらないの!」
キーボードをカタカタ鳴らしながら答えた。
「ふーん、そうかぁ…」
沙英は夏目の作った同人誌を読みふけっていた。
夏目は背後の沙英の様子が気になったがやることがたくさんあるので作業に集中していた。

              ・ ・ ・

気がつくともう夜も遅くなっていた。
「そろそろ寝よっか。」
沙英が言った。
「ね、寝るって?!そうね、寝ないとね。」
一瞬、とんでもない勘違いをして夏目は一人赤面した。

夏目の母がやってきて来客用の布団を部屋の床に敷いた。
「じゃあ、お休みなさいね。」
夏目の母はそういって出て行った。

夏目は自分のベッドに、沙英はフロアに敷いた来客用の布団で寝ることになった。
「電気消すわよ」
そういって夏目が電気を消すとしばらくの間沈黙が流れた。
夏目は自分の鼓動が沙英に聞かれるんじゃないかと気が気でなかった。

「夏目、そっち行っていい?」
突然沙英が言った。
初め、沙英が何を行っているか理解できなかった。
しかし、すぐに事態を理解すると慌てて答えた。
「ベ、ベッドの方が良いのかしら?じゃあ変わるわ」
「夏目、そうじゃなくて…」
沙英は布団から立ち上がると、夏目の寝ているベッドに潜り込んだ。
「…ちょ、ちょっと、沙英…」
突然の積極的な行動に夏目は動揺する。
「夏目、暖かい」
夏目は沙英に抱きすくめられる。
沙英の手が、ゆっくりと夏目の体をなで回す。
そして、夏目の形の良い乳房をまさぐる。
もう片方一方の手を両足の間の太ももに忍び込ませる。
「さ、沙英、お願い…」
「どうしたの、夏目?」
「わ、私、こういうのはじめてなの…だから」
「わかったよ、夏目。」
沙英は夏目の両頬に手を添えると口づけをした。
唇を交えるだけでなく沙英は舌を忍び込ませていった。
夏目は最初戸惑ったが、沙英にすべてゆだねることにした。
はじめて味わう甘美な感触だった。
―これが本当のキス…
身も心もとろけていきそうだった。
「これでいい?」
沙英が訊ねる。
夏目はこくりとうなずく。
「沙英こそ、こんなことして良いの?」
「知ってるよ、夏目、私のことずっと見ていたってこと…
 本当はもっと早くこうしたかった…」
「沙英!私、沙英のこと好き!」
「私もだよ。」
それを合図に遠慮がちだった沙英の手が、積極的に動き出す。
夏目の胸のボタンを片手で一つずつ外していく。
ブラジャーをしていない夏目の乳房に直接触れてくる。
もう一方の手はパジャマのズボンのゴムを越えてパンツに触れる。
「だ、だめ…パンツ汚れちゃう…」
「もう?」
「だ、だって…」
「わかったよ」
そういって、沙英は夏目のパジャマを脱がしはじめた。
パジャマを脱がすと、パンツのゴムに手を掛ける。
「待って、お願い、沙英も脱いで…」
「わかったよ、じゃあ待って」
沙英はあっという間にパンツだけはいた姿になった。
「これでいい?」
夏目はこくりとうなずく。
まず、沙英は夏目の形の良い乳房を責め立てた。
片方の乳首を口に含み舌で転がし、甘噛みした。
もう片方の乳房を手で揉みしだき、
夏目は大きな声を上げないように口を押さえている。
もう片方の手はシーツのはしををきつく握りしめている。
そんな夏目をじらすように、さいなむように沙英は愛撫を重ねていく。
はじめて他人に肌を許す夏目にとって、ただ沙英のなすがままに身をゆだねるしかなかった。

沙英の唇が乳首を離れ、ゆっくりと下へ降りていく。
みぞおちを通り、へそをくすぐり、夏目の柔らかな茂みの部分にまで達する。

「さ、沙英、そんなところ汚いわよ…」
「夏目に汚い部分なんてないよ。大丈夫、足を広げて。」
夏目は恥ずかしさのあまり、両手で顔を覆いながらも、沙英に命じられるままゆっくりと足を開いていく。
「夏目のここ、もうこんなあふれている…」
沙英は夏目の秘部に直接口をつけていった。
夏目の敏感な部分を直接舐め、流す愛液をすすり、飲み込んでいった。
「…だめ…沙英…だめ…いっちゃう…いっちゃう!!」
沙英の方をつかんでいた夏目の手の力が一瞬強くなると、次の瞬間、脱力していった。
夏目は体のすべての力が抜けたようにベッドに横たわっていた。
時折、太ももの内側がけいれんを起こしたようにしばし震えていた。

夏目はぐったりと体をベッドに横たえて快楽の余韻に浸っていた。
目には歓喜の涙があふれていた。
沙英はそっと夏目の瞳にくちづけると涙をすすっていった。

「夏目、今度は四つん這いになって。」
「沙英、だめ、まだ足腰がいうこと聞かないの…」
「早く!」
沙英に急かされ、まだ力の入らない足腰で四つん這いになった。
ともすると崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。
沙英が、夏目の下ろした髪をかき分け耳を露わにする。
耳たぶを甘噛みして、ささやくように言う。
「夏目、かわいいよ」
沙英の舌がゆっくりと首筋を這う。
「あっ…」
思わず声を上げてしまい、慌てて口をふさぐ。
片手と、まだ力の入らない両足で体を支えなければならないので苦しい体勢だった。
沙英はそれには構わず、むしろその様子を楽しむように愛撫を加えていく。
唇が、首筋から背筋に掛けてなでていく。
そのたび、夏目の体に緊張が走るのがわかる。
そして、少女らしい丸みを帯びたヒップを通り、再び秘部へと唇を進める。
突然、沙英の動きが止まる。
「夏目、私のもして」
そういって、四つん這いの体勢の夏目の体の下に、自分の体を滑り込ませ、
シックスナインの体勢に持って行った。
夏目の目前には沙英の秘部があった。
柔らかな茂みに覆われたそこはじっとりと濡れそぼっていた。
「夏目、私にもして…」
夏目は答えの代わりに沙英の秘部に唇をよせていった。
そして、お互いが絶頂に達するまで時間はかからなかった。

それから、何度も体位を変えお互いを愛撫しあった。
何度も絶頂を迎えた。
最初はぎこちなかった夏目の動きも徐々に慣れたものになっていった。
やがて、何度目かの絶頂で、夏目は沙英の腕の中で意識を失っていった。

              ・ ・ ・

夏目が目を覚ましたのはちょうど夜明け前だった。
朝を告げる鳥の声と、新聞配達のバイクの音と、隣で寝ている沙英の安らかな寝息だけが聞こえた。
登り始めた太陽が夏目の顔を照らす。
夏目は昨夜のことを思い出して顔を赤面させる。
―本当にあったことなのだろうか?
 夢ではなかったのだろうか?
夏目は一瞬不安になった。
でも、沙英の暖かさ、柔らかい感触、熱い指先、甘い吐息。
すべてが夢だったとはとても思えなかった。
あちこちで筋肉痛がする。相当無理したのだから仕方がない。
思い出しただけで、体の奥がうずく。

―私と沙英はこの先どうなるんだろう…?
考えても無駄のような気がした。
ただ、この先も変わらないだろうという予感だけがした。
―まあ、それも良いかな
夏目は微笑むと、まだ眠っている沙英の頬に軽く口づけをした。
すると沙英はゆっくりと目を覚ました。
夏目の顔を見ると、頬にキスとして言った。
「おはよう、夏目。体、大丈夫」
「大丈夫なわけないでしょ!あちこち痛いわよ!
 それより、今日はちゃんと学校に行ってみんなに謝りなさいよ!」
「はいはい」
適当に相づちを打ったが、まだ夏目が何か言いたそうなのでその唇を
自らの唇でふさいだ。

     ~ ~ ~ エピローグ ~ ~ ~

「ふぅ…」
沙英はキーボードから手を離しため息をつく。
執筆中の連載小説がどうにも煮詰まっていた。
気分を変えようと、机の一番見やすい位置に置いてある写真立てを取って見つめる。
やまぶき高校を卒業したときにひだまり荘の前で撮った写真だった。
自分とヒロ、一年下のゆのに宮子のコンビと二年下の乃莉となずなのコンビのやまぶき荘の住人6人、
そして大家さん、なぜか吉野屋先生と夏目が写っている。
「あれから10年経ったんだ…」
沙英はつぶやいてみる。
沙英は大学を出ると小説の執筆に専念することになった。
最近はそれなり売れてきて、読み切りの短編だけでなく連載小説も持つようになった。
その連載小説の人気が出てコミック化され、最近になってアニメ化の話まで出て、
あれよあれよという間に人気作家になってしまった。
そうしたわけで、最近執筆活動以外の仕事の時間が増えてきており、沙英は慢性的に寝不足になっていた。

「沙英、編集さんから電話よ」
相変わらずの甘い声が響いてきた。ヒロだった。
電話の子機を持って、隣の部屋からやってきた。
高校を卒業すると二人はアパートを借りて同棲するようになり、今では沙英の原稿料で買ったマンションで二人、暮らしている。
そこでヒロは「橘文」の専属アシスタントとして働いている。
電話は、執筆の邪魔にならないように隣の部屋でヒロが出ることになっている。
「午後には書き上がるって言っておいて」
沙英はぶっきらぼうに答えた。
原稿の締め切りは昨日の夕方だった。しかし、締め切りのあとにはまだ本当の締め切りがある。
まだそれには十分間に合う計算だった。
―なんで今頃電話してきたんだろう?
「それがね、ダメなの。」
ヒロが答える。
「どうして?まだ間に合うでしょ?」
「もう、マンションの玄関まで来てるって言うの。」
「ええっ!?」
「じゃあ、ヒロ、ごめん、コーヒー淹れておいて。」
「はいはい。」
そう答えるとヒロはキッチンに向かった。
しばらくすると玄関のチャイムが鳴った。
ヒロは玄関に向かった。
「いらっしゃい。原稿はもうすぐ出来るからコーヒーでも飲んで待っていてください。」
ヒロが編集者の応対をしていると沙英が執筆に使っている部屋から出てきた。
玄関に立っているのは、沙英にとっては高校からの腐れ縁となっている夏目だった。
高校時代、隣のクラスで何かと突っかかってくるので気にはなっていた。
それが、ちょっとしたきっかけで自分のことを好きだと言うことがわかって、ヒロに隠れてつきあったりしたことがあった。
むろんそのたびにヒロにばれてはひどい目にあったが。
夏目は大学卒業後、「月刊きらら」の出版社に入り、とうとう橘文こと沙英の担当者となっていたのだった。
「夏目、どうしたの?まだ、締め切り何とかなるでしょ?」
「わ、わかってるわよ、べ、別に原稿の催促のためだけにわざわざ来たわけじゃないのよ。
 ちょっと良いニュースがあって…」
「何々?」
「はい、編集さん」
「ありがとう」
そういってヒロはテーブルに座った夏目にコーヒーを出す。
ヒロは夏目のことを決して名前で呼ばない。あくまで沙英の担当の編集者としての態度しか取ろうとしない。
あくまでも仕事上のつきあいといった態度を装っている。
むろん、それは嫉妬に他ならない。
沙英とヒロの間にしか通じない部分があるように、沙英と夏目の間にしか通じない部分があることを、
理解はしていないが、感覚的にわかっているのだった。それは女の感ともいえる。
これには沙英も困惑している。
まあ、その責任は二人を両天秤にかけたまま放置してきた自分にあるのはわかりきっているのだが。

夏目はアニメ版の主題歌が沙英の好きなバンドの「エレウォン」に決まったこと、ヴォーカルの上野が
橘文のファンでぜひ会いたいといっている、といったことを報告した。
ヒロを放って置いて二人で話に夢中になっている二人、その間にヒロは入り込めなかった。
目を輝かせて喜んでいる沙英に対し、少し複雑な気持ちのヒロは少し頬をふくらませて見せた。
仕事での結びつきでは、残念ながら夏目にはかなわないのだ。

「それより先生、原稿の方はどうなんですか?」
夏目は思い出したように言った。
「もうちょっと待ってよ今日の夕方には上がるから」
「さもないと、旅館に缶詰よ。昔から締め切り前の作家と編集者は旅館に缶詰って決まってるんだからね!」
「だめーっ!!そんなの絶対だめーっ!!」
ヒロが割ってはいる。
「私に言ったってしょうがないでしょ。橘先生にお願いしてよ。」
「沙英、絶対に終わらせてね。じゃないと夕飯抜きだからね!」
十年前よりも一回り、いろんな意味で強くなったヒロはそういって沙英を急かすのだった。
「私からもお願いしますよ、先生。私としては沙英と旅館が良いんだけどね。」
にらみあったヒロと夏目の間には今にも火花が飛び散りそうだった。
「やれやれ」
沙英はとぼけて見せた。

この関係は当分続きそうだった。


 ~ ~ ~ おしまい ~ ~ ~

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最終更新:2013年02月05日 02:33