景色は祭り。
喧騒は歓喜。
地底湖近くのヒグママンションの前庭は、溢れるヒグマで満漢全席。
熊の、熊による、熊のための祭りだ。
「ほら、遠慮なく喰ってくれ! 俺たちの感謝の気持ちだ」
そこに、着ぐるみで擬装しているとはいえ人間である私たちが入ってきている――。
確かに、それは大きな問題の一つではある。
でもそれは、決して私とロビンが、愕然とした表情でここに正座している直接の理由にはならない。
「……え、えと、あの、アアアアノ……」
「ああ、ちょっと量が少ないかな? もうちょっと採って来ようか!
おい、お前ら、マイケルさんたちのために行って来い!」
「おう!」
私が呟きかけた言葉は、周囲に群がる大きなヒグマたちに遮られていた。
人垣ならぬヒグマ垣の中から何頭かが立ち去っていくが、広場の一角で圧迫されている私たちへのプレッシャーは一向に弱まらない。
再び私は、目の前に置かれた、料理という名の何かに、眼を落すこととなる。
――虫だ。
何か、白くて太い、もぞもぞと蠢く親指大の芋虫が、何匹も器に盛られている。
その隣には、苔だ。
何か、濃い緑の藻かヒトデのような奇怪な植物が、何房も器に盛られている。
さらに向こうには、木の根だ。
何か、薄茶色い芋のようなごつごつした木の根が、何本も器に盛られている。
屋台で見た激辛の麻婆熊汁という何かも相当料理として問題があった気がするが、これらはその比じゃない。
本当に、ヒグマはいつもこんなものを喰っているのか?
このヒグマたちができる最大級のもてなしは、こんな粗末でわずかな動植物の盛り合わせなのか?
「……いただこう」
「ロ……、マ、マイケル、本気かよ……」
「郷に入れば郷に従うものだ。彼らの好意を無下にするわけにもいくまい。それに、王となるには庶民の嗜好も知っておかねば」
隣で、私と同じく固まっていたロビンが、おもむろに芋虫に向けて手を伸ばした。
艦娘に相対していたあのヒグマたちが、不安と期待の入り混じった眼でロビンを見る。
そしてロビンはその白い芋虫をプチッと噛み潰し、しっかりと咀嚼して飲み込みやがった。もう見てるだけで吐きそうだ。
「へぇ……。意外とあっさりしてるね。ゆるめのオムレツみたいで、なかなか美味しい」
「……な、長野県民かよお前……」
「いやー、お口にあったようでなにより! ささ、あなたもどうぞ!」
「うぇ、うぇ、わ、わた、わたしは……ち、ち、ちちち、ちょまっ、ちょまっ……!!」
「ちょーっと待った! あんたたち、アタシを忘れてはいないかい?」
あわや大量の虫に喉尺される寸前だった私の元に、救いの声がかかる。
私の召喚した青毛のヒグマ――
グリズリーマザーが、マンションの前庭まで自分の屋台を全速力で乗り付けてきたところだった。
「ああ、女将さん!
灰色熊さんとこの女将さんならもっとうまく料理してくれるか!」
「はいはい、マイケルさんたちにたかってないで、みなさん座った座った!」
『灰熊飯店 Grizzly Fan Dian』と朱書されたその屋台は、小型のバスのような乗り物でできていた。
サイドのスライドドアが開くと、魔法のように周囲の空間がテラス席のごとく地面からせり上がり、タラップから小じゃれた椅子とテーブルが展開されてゆく。
車体横の大きな窓を開け放って庇を張りださせ、調理台からグリズリーマザーが大きな声で私たちに呼びかけていた。
「ほら、マイケルさんたちは主賓なんだから、テラスじゃなくて屋台の中へ来なさいよ!」
言いながら手招きする顔は、必死の形相だった。
私たちが祭り上げられている間、一体どこに消えたのかと思ったけれど、グリズリーマザーは私たちを脱出させるためにこの屋台をわざわざ持ってきてくれたらしい。
そりゃそうだ。
こんな大事になっちまったら、正体バレなんか時間の問題だ。
現に、私なんかマジでバレちゃう5秒前だったんだから。
ロビンみたく悠長に虫喰ってる場合じゃない。さっさと逃げないと私がいつ喰われるかわかったもんじゃないって!!
「ほ、ほらー、お、オカミサンも言ってるし、ナカデタベタイナー……」
「あ、待ってベルモンド。こっちの木の根の方が甘くて美味しいかも……」
「ザッケンナコラー!! こんなとこでメシ喰ってられるかよぉ!! 私は屋台に行くぞ!!」
着ぐるみの中でブチギレながら、私はロビンを引っ張り、垣根の切れたヒグマたちの間を漕いで、なんとか屋台の中へ上がり込んでいた。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
「やはり……、このヒグマ帝国の構造……、ただならぬものがあるな……」
帝国の中を徘徊していた一頭のヒグマが、ぽつりと呟く。
そのヒグマは暫く前から、元々研究所だった構造や、新たに地底を掘り抜いて作られた空間をアトランダムに行き来しているようだった。
捉えられていた研究所の保護室から脱走し、オーバーボディを手に入れた彼は、屋台で出会った少女とそのサーヴァントを一旦別れた後に探しつつ、潜伏を続行して今に至る。
彼が道中で新たに生まれたヒグマたちに紛れて収集した情報には、驚くべきものが多かった。
まず、新たなヒグマたちの出生についてである。
注意深く観察を続けてわかったことだが、新規の穴持たずは、どこからともなくこの世界に出現するのだ。
綺礼が後ろを振り向いたらいつの間にかいた。という空恐ろしい例も存在する。
そして生まれたばかりの彼らは、少なくとも自らの『穴持たず』としての通し番号、ヒグマ帝国のこと、ある程度の一般知識などを既に携えていた。
知能を刷り込まれた状態で、彼らはこの世界にどこからか送り込まれている。
――何者かが、固有結界か異界の中に工房を作成し、そこでヒグマたちを新たに生成しているのだ。
その者が、STUDYを欺きヒグマを叛乱させ、気付かれないようにヒグマ達を影から操り、誘導し、扇動した主犯格だろうか?
いや。そうとは思いづらい。
STUDYを欺くという点では、その者はシーナーと同時に行動して攪乱の役に立っていた可能性は高い。しかし、その者がヒグマに刷り込む知識は余りにも基本的なもので、『いくつかの例外』は存在するが、彼らの精神に憎しみや怒りなどの色を付けて誘導している様子が見受けられない。
それに、これだけの数のヒグマと、それに知識を植え込む技術があるのならば、すぐにでも地上の参加者を屠り尽くし、島外に進出することができてしまうだろうに、シーナーらはそれをあえてせず、彼らの自由意志に任せているようにすら見える。
言峰綺礼には、彼らの目的が見えなかった。
第二に、『いくつかの例外』として挙げられる、職能を有したヒグマの存在だ。
このヒグマ帝国の建設は、『穴持たずカーペンターズ』と呼ばれる土木技術を持ったヒグマたちによってなされたらしく、実際、帝国の散策中に何頭か下水道周辺の工事にあたっている者を見かけた。
彼らはだいたいが、通し番号2ケタか100番台の、比較的帝国の発足初期に作られたと思われる者だった。
そして彼らを指導し統率しているヒグマの名は、『ツルシイン』という者であるらしい。
――ここには土木班や食糧班など、実効的な支配者たちを長とした、トップダウンの組織構造が作られている。
彼らの有する技能は、恐らく布束博士とやらの作った装置に組み込まれていたものだろう。
その知識はヒグマの身体能力を以て、人間が行う以上に精密に再現されていた。
実際に、洞窟を掘り抜いただけにしては、この帝国の空間設計は余りにも理に適っている。
容易に崩落はしないだろうし、ヨーロッパかどこかの古い地下建築だと言ってもわからないかもしれない。
もはや、彼ら『ヒグマ』を、動物としての『羆』と同列に考えてはいけないだろう。
そもそもが、彼らは細胞からして作り物の実験動物なのだ。
単に形態が似ているだけで、その習性も、機能も、全く『羆』とは別のものでおかしくはない。むしろ別である方が当然なのだ。
同族意識と、社会性。
それが、果たしてヒグマ帝国に刷り込まれた要素なのか、それとも元から彼らに備わっていたその要素がヒグマ帝国を自然発生させたのか。
現実に存在する『羆』と同じに考えてよい、という前提が崩壊した以上、言峰綺礼にはもうその判断はつかなかった。
第三に、この帝国が有しているだろう自給自足の機構。
これに関しては、当然存在しているものと綺礼は考えていた。
しかし、水耕栽培や畑の耕作に従事しているヒグマに尋ねても、食料を自動生産しているらしい工場は存在しないようだった。
一時期は、無尽蔵に何の物資も要らずにクッキーを生産できる工場などという魔法めいた代物が研究所にあったらしいが、それは『艦これ』というゲームに嵌った多数のヒグマの声により、数時間前に工廠に改築されてしまったらしい。
そんなアホな、と思ったが、どうやら本当のことらしい。
――自分たちの食糧を賄う場を娯楽施設に変えてしまうとか、頭がおかしいのではなかろうか。
農耕にあたっていたヒグマたちは、綺礼の意見に全面的に同意した。
そのアホみたいなことが実現してしまったのは、彼らの頭数が実際、馬鹿にならないものであったからのようだ。
『灰色熊』や『キング』という名の指導者が、食糧生産の指揮をとっていたようだが、彼らは当時相当に困惑したらしい。当然である。
『防衛に使えるから~』などと
艦これ勢はのたまったらしいが、そんな機能も不明で同族でもない輩を増やしたところで戦力になるわけがなかろう。
内部抗争と反逆の種になるだけである。
――内部抗争。
その単語に不安を覚えて、綺礼はつい先ほど、
黒木智子および
クリストファー・ロビンと出会った屋台の前に戻ってきていた。
だが、存在したはずの『灰熊飯店』はそこに影も形もなかった。
オーバーボディの毛皮の下で、綺礼の首筋に汗が伝う。
「本当にどうなっているのだ……、この帝国の構造は……!」
「……あなたこそそんなところで何をやっているのですか」
立ち尽くす綺礼の元に、横から声がかかった。
熊の牙から紡がれるしゃがれた擦過音ではない。はっきりと女のものと認識できる声だった。
引かれた電灯と苔の薄明かりに、その姿が照らされている。
「グリズリーマザーさんならば連絡を受けて私より一足先に地底湖へ向かっていると思われますが」
「あなたは……、一体何者だ」
彼女は洗いざらした白い布地に身を包み、帯に包帯やテープと思しき幾つもの環を通している。
綺礼の発言に訝しげに傾けたその顔は、ヒグマの毛皮に覆われていた。
頭身の高い、細身のその女は、長い毛足に覆われた脚で綺礼の元へ歩み寄ってくる。
「……新たに生まれたばかりですか? あなたこそ名乗ってください」
「あ、ああ、私は
穴持たず1000のキレイだ」
「1000……、また無能な者が増えたのですか。瞬く間に物資が枯渇してきてるというのに……」
綺礼が適当に言い放った番号に、女は溜息をついた。
彼女は、毛皮と鉤爪が生えている以外はヒトと変わらぬ形態をした手で綺礼の胸倉をつかみ、そのままずるずると彼を引っ張ってゆく。
「私は穴持たず84、医療班のヤスミンです。こんなところで油を売っていないで、少しは他者を援助して下さい。緊急事態なのですよ?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ――! いったいどういうことだ!?」
医療班――つまりはシーナーの部下ということになるのだろう。
ほとんど人間と同じ骨格をしたそのヤスミンというヒグマは、綺礼の体を引っ張り続けながら、眼だけを彼に向けて苦々しく答える。
「――つい先ほど、地底湖近辺で
穴持たず678番が『艦娘』とかいう得体の知れない生命体に同胞を攻撃させたそうです。負傷者がかなり出ている模様です」
「……ああ、例の工場の……。やはりか」
「やはり、と思うでしょう? ツルシインさんはなんであんなものを容認なさったのか……」
溜息をつきながらも、ヤスミンと綺礼は足早に地底湖の方へと歩みを進めていった。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
「――キングさんたちが農耕を始めたって言っても、こんなところまではなかなか十分に食糧が来てないみたいだねぇ」
「いやはや面目ありません女将さん。マイケルさんをもてなす側だったというのに、大してご馳走も用意できませんで……」
「謝ることじゃあないですよ。でも、このマンションにはハニーちゃんがいたんじゃないの? 彼女は?」
「ああ……、ハニーさんはですねぇ……」
屋台バスの中のカウンターに就いたら、いくらかヒグマ垣の圧迫感は取れた。
それでも、屋台の中にはあの宴席を開いていたヒグマのうち一体が上がり込んできていて、調理をしているグリズリーマザーとなんやかんや話し込んでいる。
このヒグマは、どうやら例のシバとシロクマとかいう支配者階級のやつらを湖に呼んできた、穴持たず543番というやつらしい。
正直、こいつの話も宴席も放り出して逃げたいところだったが、ロビンは話に耳を欹てていて動こうとしないし、グリズリーマザーも体面があるのか、この場からすぐに逃げ出すことは出来ないみたいだった。
「はい! 『ミズゴケの天ぷら』ですよ! 調理一つで、見違えるくらい美味しくなるんですから!」
グリズリーマザーは、543番との話もそこそこに、あの器に盛られていた得体の知れない苔を、料亭に出てきそうな天ぷらにして出してくれていた。
これなら、私も食べられるかもしれない。
さっきからスナック感覚で芋虫をつまんでいる隣のクソガキはおいておく。
「へぇ……なるほど。でもこれ、我々が食べるには油っ濃すぎないですか? まるで人間のたべも……」
「まあまあまあまあ、たまには豪華な料理がいいでしょうお客さんたちも!! ねーっ、そうでしょー!?」
「おおーッ!!」
グリズリーマザーは543番の突っ込みを強引にテラスのヒグマに振って流し、芋虫の佃煮やら木の根のポタージュやら(なお全て薄味の模様)をやけくそ気味に振る舞って、私の浮いた感じを払拭してくれていた。
「さあ、どうぞ冷めないうちに!」
「ですね、じゃあどうぞ召し上がって下さいベルモンドさん」
グリズリーマザーと543番が、そう言って私に天ぷらを勧めてくる。
その裏表ない笑顔を見て、私の胸はふと、ちくりと疼いた。
――私は、なんでこんなに、ヒグマから好意を受けているんだろうか?
高校に入ってから、男にモテるどころか、クラスメイトとほとんど会話もない生活だった。
それが、この島に来て、余りにも極限状態の連続だったから気にも止めていなかったけれど、私は何人ものビッチと話したし、ガキとはいえ、ロビンという男ともかなり普通に会話している。
感謝されて、もてなされることなんて、それこそ一度もなかった生活だったのに。
どうしてだろう?
今の私は、艶やかな黒髪も白磁の肌も隠れて見えない、着ぐるみの状態だというのに。
なんで私は、こんなにも他人から『モテ』ているんだろう――。
「――ベルモンド、どうしたの、食べないのかい?」
「あ、い、いや、い、いただき、ます……」
ロビンの声で我に返った私は、慌てて取り繕うようにその天ぷらを掴み、口に放り込む。
味も何もわかったもんではないだろう――。
焦りで停止した思考のままに、私はその天ぷらを咀嚼する。
瞬間、口の中で、天使の羽がほどけた。
「――!?」
ふうわりと、今までの緊張感の全てを包み込み、拭い去ってしまうような柔らかな風味が舌の上を撫でていった。
何の主張もせず、自他の境界を簡単に溶かしてしまいそうな味わい。
ふわふわと、綿菓子のような軽い歯触りが、衣と塩の微かなアクセントだけを輪郭に纏って、私に微笑みかけていた。
変に着飾ることなんて全くしない。
すっぴんの、丸裸の、女なら絶対にさらしたくないようなあられもない姿のはずなのに。
純白の羽の天使や、羽衣だけを身に着けた天女のように、この天ぷらは何にも傾かない、神々しいほどのありのままの姿で、私の胸に溶け込んでいた。
「……う、めぇ……。なんだこれ……」
「なるほど……、全く癖がない。透き通る清流を食べているかのような、ただただ優しい味だ」
「やっぱりこの島は水がいいですからね。苔にも臭みが全然ないですよね」
両隣では、ロビンと543番が同じようにミズゴケの天ぷらを口にしていた。
屋台の外からも、口々にヒグマの賞賛の声が聞こえてくる。
タラップの入り口で私が食べるのを今か今かと待っていた実に余計なヒグマ垣の残りたちも、満足げな笑顔でテラス席の方へ帰っていく。
私は、なんだか不思議な高揚感と安心感に包まれてぼんやりとしたまま、カウンターの座席についていた。
このまま暫く平和に宴会が続くのか――。と、漠然とそう思っていた時。
「――どういうことですか、この呑気な様相は」
険を含んだ女の鋭い声が、前庭の一帯に響き渡っていた。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
窓の外を見やれば、そこにはスラリとした背の高い、女性のシルエットがあった。
洗い晒した真っ白なナース服を身に纏い、その口から毅然とした言葉が紡がれる。
「応召しまして直ちに往診。穴持たず84、医療班のヤスミンです。
砲撃よる負傷者多数とお聞きしましたが、どなたか状況説明を」
「ああ、こっちです! 怪我した奴はみんなマンションの中に集めてます」
私の隣から543番がその女の方に向けて慌てて屋台を出てゆく。
見やれば、その女の隣にはあのダンディな声の愉悦部員らしきヒグマもいた。
女の視線が、私たちの方に向く。
「……あら、グリズリーマザーさん。そちらで食事をしている方々は」
「ええと……、マイケルにベルモンドっていう新参のヒグマでね。アタシと一緒に帝国の中を見て回っていたんだけど。
その途中で、艦娘とかいうのが暴れてる現場に出会って、鎮圧を手伝ったら歓待を受けてるという具合なのさ」
グリズリーマザーの言葉で私たちに歩み寄ってきた女の視線は、冷徹なものだった。
テラス席で固まっているヒグマたちを目で舐めて、尻を叩くように声を投げる。
「そんな宴席は後回しにしてください。仮にもヒグマ帝国で暮らしている身なのですから、互助の精神を忘れてもらっては困ります。
席を設けたあなたがたもですよ。まずは全員の治療を終えてからにしましょう」
「はっ、はい……!」
女の言葉に、今まで私たちをもてなしていた543番を始めとしたヒグマたちが恐縮して頭を下げる。
ずんずんとマンションの方へ進むそのヤスミンというヒグマに、私たちは否応なくついてゆく羽目になった。愉悦部員扮する例のヒグマは、私たちの方を気にしながらも、なぜかそいつの隣を歩いていた。
「……なんだあいつ……本当にヒグマなのかよ……」
「智子さんもそう思ったかい。体毛も顔も確かにヒグマだが、プロポーションがあまりにも人間的だ」
その女の背を見ながら呟いた言葉に、ロビンが返してくる。
ヤスミンという女は、真っ白なナース服の帯に、包帯やテープなど大量の道具を通していた。
しかもそれは、脇の開いた貫頭衣みたいな簡便なデザインで、露出している腋や腰元が、誘ってんのかコノヤロウという状況になっている。
シルエットだけ見れば、雑誌のモデルに出てるクソビッチのような体躯をしているにも関わらず、よくよく見ればそいつは確かにヒグマだった。
全身は濃い毛皮に覆われている。
よく見れば乳のふくらみが胸だけじゃなくて、合わせて6つもある。
手は人間と全く同じように長い指を持っていたが、その爪は鋭いヒグマのものだ。
足もはだしで鉤爪が顕わになっている。
顔を見れば、牙も目立たず顎も出てないものの一発で熊であるし。
「……ヤスミンちゃんは、あの、シーナーさんってヒグマの下で働いているお医者さんなのさ。
前にマスターたちも見た通り、シーナーさんは方々飛び回ってて忙しいから、大体、いつも医療班にいるのは彼女みたいだよ。
アタシも、旦那に連れられて面通ししたのは、ヤスミンちゃんだった」
「……ふぅん、あのヒグマ直属の部下……。そりゃぁ、同じくらい危険な相手と見て良さそうだな」
「厳格さでは似たり寄ったりかねぇ……。あぁ、彼女に会う前にマスターを連れ出したかったところだけど……」
「先程から、私のことをダシにこそこそと推測でお話しするのはやめていただけませんか」
聞こえていた。
グリズリーマザーとロビンが、振り向いた女の無表情な視線に射すくめられる。
彼女はツカツカとこちらに歩み寄り、二人に向けて鋭く言葉を飛ばした。
「私は『自分の骨格を変形させる能力』を有しています。この体形は上肢を有効活用し発語を明瞭にする上で最も有効なのです。
穴持たず1、デビルさんに通ずる由緒ある能力です。私は決して人間ではありませんのでご安心を。
あと、シーナーさんも私も厳格ではありませんよ。ちゃんとユーモアを解し、患者さんに親身に接することくらいできます。ご安心を」
セリフが長い。
一個一個、先程の会話の全てに訂正事項を加えてくるその性格が厳格じゃなくてなんだというのか。
彼女は二人の激しい頷きで踵を返し、目的の部屋へ入ってゆく。
「医療班のヤスミンです。負傷者は何名ですか?」
「は、はい、ええと、12頭です――!」
「痛ぇー! 痛ぇよぉ! 俺を早く手当てしてくれぇ!!」
ヒグママンションの大きな一室に、さっきの
ビスマルクとかいう女の攻撃で怪我をしたヒグマが押し込められていた。
呻き声を上げるヒグマたちの中から、一頭がヤスミンの姿を見つけるや否や飛びついてくる。
一方の彼女は涼しい顔で、そのヒグマの動きを半ば無視しながら、通りすがるヒグマに次々と色テープを貼っていく。
「歩ける方――、緑。緑。緑。緑。あなたも緑。全員裂傷か挫創ですね? 出血も止まりかけ。創面を洗って、開かないように押さえて待機しておいて下さい」
「おい、俺から手当てしてくれよ! 頭切れてるんだよぉ! 超痛ぇんだっての!!」
「静かにしてください。他の方の心音や呼吸音が聞き取れません」
「まだ血が出てんだよふざけんなっ!! 寝てる奴らなんか後回しにしろよっ!!」
ヤスミンに纏わりついていたヒグマが、ついに彼女の襟元を掴んで揺さぶり始めた。
確かに、そのヒグマは額を怪我している。
だがどう見ても、痛がって騒いでいられるだけ、大した怪我ではない。
体格差で圧倒的に劣るヤスミンを振り回していい気になっていたそのヒグマの声は、しかし次の瞬間ぷつりと途切れる。
「――静かにしてくださいと、言ったはずですが」
ヤスミンの長い左脚が、信じられない動きで伸びていた。
その足の指先が腰元の包帯を掴み、彼女の体を掴むヒグマの首筋を一回りする。
そのまま彼女の脚はその首の横に絡み、ぎりぎりと包帯でそのヒグマの首を絞めている。
「シーナー先生もおりませんし、麻酔は持ってきておりません。
……鬱血しても出血は増えませんね。もう止まりかけですから。暫く安静にしていてください」
淡々と言って、彼女はそいつの額の傷口に緑のテープを貼って止めた。
脚を首から外されたそのヒグマは、白目を剥いて地に落ちていた。
「骨折――。黄色です。あとで整復しますので少々お待ちください。黄色、黄色――」
「ヤ、ヤスミン先生、こっちのやつら、まともに砲撃食らっちまって、黒こげなんだよ――、どうにかしてやってくれ!!」
黄色いテープを貼られたヒグマが指さす部屋の片隅には、爆発か何かで焼けただれたかのような、真っ黒な肉塊が4体、床に寝かされていた。
私の鼻にも、肉と皮の焼けた嫌な臭いが届いてくる。ヒグマの鼻にならばなおのこときついものだろう。
「――心音、呼吸音。瞳孔反射は――。……ありませんね。黒、黒、黒――。
この方だけ、息があります。赤。キレイさん、この場で処置を始めますので助手をお願いします。
治癒魔術の能力をお持ちなのですよね? アテにさせていただきますよ」
「ああ……。承知した」
ヤスミンと、キレイと呼ばれた例のヒグマは、黒こげになったヒグマの内3体を、死体と見て脇に移し、まだ生きているらしい残りの一体の治療に取り掛かっていた。
「Ⅲ度熱傷が18%、Ⅱ度熱傷27%。重症熱傷。気道内熱傷はありません。キレイさんは呼吸管理と補液を願います。魔術で状態維持をしてくださっている間に処置を行ないます」
「了解した」
「――セクティオ(切開)!」
ヤスミンはてきぱきと愉悦部員に指示を出し、即座に、焼け焦げたヒグマの背中や太腿を鉤爪で引き裂いていた。
中から、張れて真っ赤になった組織が溢れるように盛り上がってくる。
「減張切開からデブリドマンを行ないます。炭化部のみの最小範囲にて行ない、『ヒグマ体毛包帯』で被覆します」
言いながら、ヤスミンはその爪で見る間に焦げた毛皮を全て削ぎ落とし、白かったり赤かったりする皮下の組織を、まとめて茶色い繊維でできた包帯で巻き始めた。
余りに速い処置スピードに、キレイという愉悦部員は目を白黒させている。
「処置終了です。キレイさんは引き続き体液管理をお願いいたします」
「Ⅲ度熱傷なら――、もっと壊死組織はちゃんと除去して、植皮をすべきではないのか?」
「完全にデブリドマンしてしまうと、生存していた皮膚細胞までもを取り除き、却って感染と状態悪化を惹起しかねません。
また、『ヒグマ体毛包帯』は、我々ヒグマの体毛で織られたもので、HIGUMA細胞を含んでいるため植皮の代わりにもなります。
乾燥したミズゴケを吸水剤として浸出液をドレナージするよう、二重に巻いておりますので、ご安心を」
ヤスミンはそのセリフを、他の怪我したヒグマの方に向かいながら喋っていた。
そして、黄色いテープを貼った骨折のヒグマたちをすぐさま診察し、その折れた骨を元通りに繋ぎ始めている。
「大腿骨骨幹部骨折。髄内釘でもいいのですが、徒手整復から創外固定を行ないます」
「グワーッ!?」
「モンテッジア脱臼骨折。脱臼橈骨頭の整復と、尺骨骨幹部の整復固定を行ないます」
「グワーッ!?」
「脛骨及び腓骨開放骨折。血管縫合を行なったのち、骨折部の牽引整復を行ないます」
「グワーッ!?」
瞬く間に治療は完了してゆく。患者であるヒグマたちの苦痛もほとんど一瞬だった。
いわんや、ただの切り傷やなんかだった緑色のテープのヒグマたちの治療など、ほとんど私が意識する間もなく終了していた。
部屋の入り口まで押しかけていた地底湖にいたヒグマたちが、やんやの喝采をヤスミンに送る。
しかし、彼女の表情は険しいものだった。
「……あなたがた。よくもまあ、こんな重傷者を捨て置いて、平気で宴席などを設けていられましたね。
私が来る前から、あなたがたがこの方々の火傷を冷やしてやるなり水を飲ませてやるなりしておけば、3名もの死者がでることはなかったのかもしれないのですよ!?
……ご遺体のお名前か番号を、どなたかご存知ですか」
「え、えと……、穴持たず229と、361と、あと……、誰だっけ、あれ……?」
部屋の前でうろたえるヒグマたちを叱責していたヤスミンは、その肩を震わせて溜息をつく。
碌に仲間のことも把握していない同胞に、呆れを通り越して失望してしまったかのようだった。
「……そもそも『艦これ』とかいう得体の知れないものにあなたがたが現を抜かしているからこのような事態が起きたのです。
猛省しなさい。ビスマルクとかいう娘ではなく、あなたがたが彼らを殺したのだと弁えなさい、馬鹿者!!」
「え、そ、そんなぁ。そんなわけないじゃないですかヤスミン先生」
「そうだよ」
「そうだよ、俺たちの責任じゃないよ」
「つーか、先生が来るの遅かったからじゃね?」
部屋の前にたむろしていたヒグマたちはしかし、ヤスミンの言葉に反省するどころか、むしろ今にもヤスミンを批難しようとしかねない雰囲気になっていた。
ヤスミンの瞼が怒りにひくつく。
部屋の空気が緊張に張り裂けそうになった瞬間、両者の間に立ちはだかったグリズリーマザーが場を制するように声を上げていた。
「まーまーまーまー!! こんだけの仲間が助かったのは素晴らしいことじゃないか! ヤスミン先生の腕は本当に確かさ!!
ねぇ、これでようやく後腐れなく宴会の続きを開けるってもんさ! そうだろ!?」
「うおおおおおお、やったぁ宴会だぁ!!」
「っしゃ、先生も誘って快癒会だぁ!!」
グリズリーマザーの言葉で、ヒグマたちの大部分は再び活気を取り戻し、先程まで部屋にいた軽傷のヒグマたちを引き連れてマンションの外へ飛び出していった。
彼らを背後にして、グリズリーマザーは焦ったような笑みでヤスミンに語り掛ける。
「……ヤスミンちゃん、いくらなんでもアレはキツ過ぎるよ……。艦これ勢の対応が悪かったのは確かだけどさ。
モノには言いようってもんがあるじゃない? 言葉一つで他者の対応なんてすぐに変わっちまうよ」
「……あなたみたいに甘やかしていては、彼らの頭のおかしさは一向に改善しません。
このマンションにも、建国当初から身を削って尽くしてきた者がいるというのに、どうして近隣の方々があのようになったのやら……」
囁くように苦い言葉を吐き合った彼女たちの元に、ばたばたと足音を立てて、さっきの穴持たず543番が駆け込んでくる。
「グ、グリズリーマザーさぁん! あいつら、宴会のご馳走用にハニーさん駆り出そうってしてるんですけど、いいんですかね……、これ!?」
「えぇ!? ハニーちゃん、今ふせってるんだろ!?」
「駄目に決まっています!! 彼女の能力の破綻は、私たち医療班でも処置できなかったというのに!!」
「元からヒグマ提督の一派の価値観って何かおかしいんですよ色々もぉ!!!」
543番に連れられて、グリズリーマザーとヤスミンは、私やロビンのことを放って、脇目も振らずに駆け出して行った。
一体何が起こったというのだろうか。
「少年、少女よ……。無事だったようで何よりだ」
「どぅおぅ!?」
「あのときのおじさんですよね。あなたこそ、人食いを強制されていたのに何事もなかったようで」
完全に意識の外から、ダンディな男の声が耳元に吹き付けた。
色気もへったくれもない叫びを上げて私は驚きに転げる。対してロビンは最初から分かっていたかのように、その愉悦部員の言葉ににこやかに応じていた。
ヒグマへの治療を切り上げたその男は、尻餅までついてしまった私に手を差し伸べて助け起こし、間近で私を見つめて語り掛けてくる。
「単刀直入に言うぞ。少女よ、あのサーヴァントを連れてここから共に逃げよう。私はこの数時間で十分にこの帝国の中を見聞した。
ここにいては危険すぎる。まずは少年ともども地上で残りの参加者を集め、早急に脱出のための策を練ろう」
「え、サ、サーヴァ……ント?」
「ちょっと待っておじさん。僕は少年じゃなくてクリストファー・ロビン。そっちのお嬢さんは黒木智子さんです。
僕もだいたい中は見れたと思うから戻るのはいいんですけど。今急に出ていくのは不自然すぎやしません?」
「うむ……、そうだな。とりあえず、サーヴァントの後を追おう。行くぞ!」
「えっ、ちょっ、まっ……!」
おじさんとロビンは、私を蚊帳の外にして話を進めるや、私の手をそれぞれが掴んで走り始めていた。
両手に華だ。ヒグマの格好だけれど。
男の人に手を繋いでエスコートしてもらうなんて初めての事じゃないだろうか。
そんな考えにぽやぽやと浸りながら、私は廊下の先を走る、青い毛の大きな背中を見つめていた。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
「ハニーちゃんかい……! 話にゃ聞いてたけどあんた、大丈夫なのかい……!?」
「いえ……あまり。えへへ、もう体がぶっ壊れてまして。蜜も、これで最後ですよ」
グリズリーマザーの声に、ガリガリにやせ細った一頭のヒグマがかすれた声で答えていた。
マンションの地階でフロアの隅に腰掛けるそのヒグマの腹はしかし、その手足とは対照的にぱんぱんに膨らんでいる。
風船のように膨らんだそれは、金色の液体を中に透かして光っていた。
――腹の中に、大量の糖蜜を蓄えているんだ。
その蜜のヒグマを取り囲んでいる艦これ勢の一体が、動けないそいつに向けて、やってきた私達のことを紹介している。
「こちらは、一帯の同胞を守ってくれた、マイケルさんに、ベルモンドさん。あと、灰熊飯店のグリズリーマザーさんだ。
そのお礼にもてなしてやろうと思ってな。あんたに頼るのは自重してたが、いいか?」
「では灰色熊さんの夢は、ついに叶ったのですね……。もちろん、構いません。
キングさんと灰色熊さんと、なんとか仲間の食を守ってきましたけど、ようやく、私もこのお仕事から解放されるのですね……」
膨らみすぎた腹に胸が圧迫されているのか、ハニーというヒグマの声は、とても苦しそうだった。
だがそいつの表情は『灰熊飯店』という単語を聞いた瞬間にパッと明るくなった。
そこへ、ヒグマたちが次々と壷や容器を運び込んでくる。
「……一体、何をするつもりなんだきみたちは」
「見て分かるだろ? ハニーから蜜を貰うんだ」
「……ええ。もういいですよ直接採ってもらって……。私はもう用済みですから」
突然の事態にいぶかしむロビンの疑問をよそに、ヒグマたちは、ハニーの張り詰めた腹を、次々とその爪で突き破り始める。
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
「――ああ」
勢い良く、毛皮に開いた穴から金色の蜜が溢れ出て、壷の中に次々と移し替えられてゆく。
グリズリーマザーが、私の元に飛んできて、私を守るように掻き抱いていた。
ロビンとおじさん、それに543番のヒグマは、その光景を呆然と見つめている。
84番のヤスミンは、ただただ牙を噛み締めて俯いているだけだった。
穴持たず82、ハニーは、食べたもののエネルギーを蜜にして体内に蓄える能力を持っていた。
次々と生まれてくる同胞達を養うために、彼女はこの地で、同胞の餌を供給する機械としてこの場所に存在していた。
穴持たず204、キングが生まれ、食糧生産がかろうじて軌道に乗った以降でも、増え続ける同胞の数は彼女の身に降りかかる負担を減らしはしなかった。
そしてつい最近、とうとう彼女の機能は壊れた。
もう、食餌は機能の廃絶された消化管に届かず、蜜に変換されることもない――。
そう、私のそばで、半分が白くて半分が黒いヒグマが説明する。
存在意義の終わった彼女は、粛々と最後の蜜を搾り出し、枯れ枝のようになってしまった体で私達の元へ這ってきた。
そしてグリズリーマザーを見上げて、彼女は目を輝かせて言う。
「――さぁ、女将さん。あとは私をシメて、料理にしてこの方々に振舞ってあげてください」
「はぁ!? あんた、何を言ってるんだいハニーちゃん!!」
「私の生きた意味とお仕事は、これで完結です。グリズリーマザーさん。あとは、皆さんのお食事を、よろしくお願いしますね」
「ハニー!! あなた……ッ!!」
「ヤスミンちゃん、今までありがとうね。こんな素晴らしい方たちが生まれたなら、帝国はもう、安泰だもの……。後は、任せたよ」
ハニーというヒグマは、グリズリーマザーたちが何か答える暇も与えず、即座に自分の腹を傷口から真横に掻っ捌いていた。
黄金の蜜ではなく、赤黒い内臓が、どろどろと彼女の腹から零れ落ちる。
彼女は崩れ落ちながら、グリズリーマザーに縋り付く。
「ほら……、早く、止めを刺してください……。美味しく、なくなっちゃいますよ……」
「くぅっ……!! 『活締めする母の爪』……!!」
グリズリーマザーの爪が、一瞬煌めいたように見えた。
そしてその爪がハニーの首筋を撫でた次の瞬間には、ふっと火が消えるように、そのヒグマの命は消え去っていた。
【穴持たず82(ハニー) 死亡】
私は、目の前で繰り広げられた想像を絶する光景に、暫く動けないでいた。
体が震えているのがわかる。
それは、私を抱えるグリズリーマザーの震えだった。
その私たちの耳に、乱痴気に陥ったかのようなヒグマたちの歓声が響いてくる。
「やあぁったぜ! 久々の肉だ肉! 女将さん、ちゃっちゃと料理してくれよ!!」
「ヒャッハー!! 蜜と肉だー! 浴びるほどあるぜー!!」
「これでこそ宴会だよなぁ!! ぜかましの進水式でももっと喰っときゃ良かったぜぇ!!」
「おいぃ、どうせ肉喰うなら解体場漁って来ようぜぇ!! 200体解体した余りどうせまだあんだろ!?」
「あ、あのビスマルクに殺されたやつらも持って来ようぜ!!」
目先の事しか考えていないらしい、モヒカンか蛮族のような、頭の悪そうな叫び声がフロアを飛び交う。
実際に壺の蜜を頭から浴びるバカもいた。
その仲間を舐めて齧り始めるアホもいた。
うちのクラスにいるバカ男子どもと比べてどちらがより頭が悪いだろうか?
比べることすら頭悪いように思える、馬鹿馬鹿しい問題だ。
眠るように死んでいる、ハニーという痩せこけたヒグマが目に映る。
今ある食料はいずれは消える。
それを、毎日毎日新たに増やしていけるように、このヒグマは尽力していたのかも知れない。
『今日よりも明日なんじゃ』と、そんなセリフが聞こえてきそうな死に顔だった。
「――おい、キミたちは、自分たちのことを想ってその身を捧げてくれた森の仲間に、感謝も弔いもないのか……?」
ふとその時、私のすぐ傍から、低く押し殺した黒煙のような声が辺りを押し包んでいた。
声と共にゆっくりとヒグマたちのもとに歩み出たのは、ピンクの着ぐるみ姿のロビンだった。
「この帝国の技術は素晴らしかった。建築も、設備も、食物も、医療も、指導者たちが心血を注いで培ってきた賜物なのだろう。
――だがどうだ。それを享受するばかりのキミたちは、礼節はおろか一生物としての節度も情念も持ち合わせていないのか――ッ!!」
少しの間とはいえ一緒にいた私が聞いたこともないような、ロビンの怒りの声だった。
爆発するようなその言葉に、艦これ勢のヒグマたちの大部分はたじろぐ。
だがしかし、そんな中からも、へらへらした笑いを浮かべたままロビンに近づいてくるヤツがいる。
「まぁまぁマイケルさん、そんな怒んなくていいじゃないですか。力のあるやつが評価されて、役立たずはその踏み台になる。当然の事でしょう?」
「キミたちは、そんな振る舞いをする自分たちが高い評価をされていると思っているのか!?
――離せ!! その薄汚い手を離せ!!」
そのヒグマに掴まれた腕を、ロビンは無理矢理振りほどいていた。
ビリッ――。
と、なんだかとても嫌な予感のする音が鳴っていた。
「この僕が教導してやる!! キミたちのような愚かな民衆は、やはり僕が王として導いてやらねば済まないようだな!!」
「――人間?」
ロビンが高々と振りあげた腕に、その時、その場にいたヒグマたち全ての視線が集まっていた。
そこには、細くとも逞しい筋肉に包まれた、人間の少年の腕がある。
ロビンの着ぐるみは、破れていた。
千切れたピンクの袖を掴むヒグマが、ロビンを指して叫んでくる。
「人間だぁッ!! 俺たちを騙して、ヒグマ帝国を滅ぼそうとしていたんだぁッ!!」
「なっ――!? それは違う!!」
「ボクたちの食べものを食い尽くして、飢え死にさせようとしてたに違いないよぉっ!!」
「マジか!」
「マジだ!」
「そうに違いねぇ!!」
反駁するロビンの声を喰うように、私たちにハニーの解説をしていた、半分が黒くて半分が白い変なヒグマが叫ぶ。
それにつられるように、ヒグマたちの間に次々と殺気が連鎖していく。
私はそこでふと場違いに、奇妙な違和感に気付いた。
私は普段からアニメも漫画もラノベもたっぷり読んでるし、キャラの見分けやCV当てなんてお手の物だ。
その私の鍛え抜いた目と耳が、私の意識に関係なく語っている。
――この艦これ勢と呼ばれるヒグマたちが集団的にアホな行動に走る時は、必ずこの二体のヒグマが、真っ先にアクションを起こしていた。
『ほら、遠慮なく喰ってくれ! 俺たちの感謝の気持ちだ』
『つーか、先生が来るの遅かったからじゃね?』
『こちらは、一帯の同胞を守ってくれた、マイケルさんに、ベルモンドさん。あと、灰熊飯店のグリズリーマザーさんだ。
そのお礼にもてなしてやろうと思ってな。あんたに頼るのは自重してたが、いいか?』
『やあぁったぜ! 久々の肉だ肉! 女将さん、ちゃっちゃと料理してくれよ!!』
このセリフを言っていたのは全て、今目の前でロビンの袖をちぎり、うろたえた『演技』をしているヒグマの声だ。
そして、それに合わせるように不気味な笑みで追従する小さな白黒のヒグマは、一度聞いたら忘れられない程に耳に残る、大御所声優の大山○ぶ代さん似の声をしている。
――私たちは、嵌められていた!? いつから!?
「あなたがた、少しは落ち着きなさい!! 先程まではあれほど祭り上げていたのでしょう!!
敵愾心を抱くのはマイケルさんの話を聞いてからにしなさい!!」
「あのヤスミンもグルなんだ!! わざと遅く来て俺たちの仲間を見殺しにしたんだ!!」
「はぁ――!?」
「うおおおっ!! そうだっ、こいつらはヒグマの敵だっ!!」
「やっちまえっ!!」
ヤスミンの制止を聞かないどころか、彼女までをも敵に認定して、ヒグマたちはフロアの隅の私たちに向けて襲い掛かっていた。
「ひっ――」
恐怖に身がすくむ。
ヒグマ帝国への階段は、広いフロアの遥か先だ。
その視界を埋めるように、怒涛のようなヒグマの爪だけがスローモーションで降ってくる。
その時、私を抱えていた暖かなグリズリーマザーの体が、するりと前に動いていた。
「――大丈夫さマスター。サーヴァントのアタシを信じな」
青く大きな背中の片隅で、その爪が微かに煌めいた。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
「『活締めする母の爪(キリング・フレッシュ・フレッシュリィ)』!!」
怒号と共に、地下の空間を幾筋もの光芒が切り裂いていた。
目に焼き付くようなその煌めきは、グリズリーマザーが縦横に振り抜いた爪の軌跡だった。
私たちに向けて襲い掛かっていた十数頭のヒグマは、それで次々と地に倒れ伏し、白目を剥いて動かなくなる。
死んでいた。
グリズリーマザーは、フロアの奥にまだまだわんさかいるヒグマたちに向けて爪を構えながら啖呵を切る。
「――さぁ。下拵えされたいやつはかかってきな。身の程も弁えずにマスターを傷つけようとするなら、アタシだって容赦はしない!!」
「……ゲームボーイ版のテキストか、その能力――」
2000年に発売されたゲームボーイカラー専用ソフトの遊戯王にも、グリズリーマザーは登場していた。
懐かしのクソゲー扱いされていたそのソフトでは、グリズリーマザーを始め多くの効果モンスターの効果を再現できなかったらしく、グリズリーマザーも単なる通常モンスターの一体という扱いだった。
しかしその代わり、彼女のテキスト欄には、この上なく妄想を掻き立てる一文が書かれていた。
『かぎづめで相手の喉元を攻撃する 命は5秒も持たない』
今のグリズリーマザーの攻撃は、まさにそれだった。
彼女の鉤爪に触れたヒグマたちは、ほとんど傷もついていないのに、瞬く間に絶命する。
テキストの文が昇華され形を持ったような、呪いのような能力だった。
「――それがサーヴァントの『宝具』だよ、マスター黒木智子。きみはこのヒグマの島における聖杯戦争に選ばれたのだ」
語ったのは、あのダンディな声の愉悦部員のヒグマだった。
サーヴァント、マスター、聖杯戦争。
あるアニメで聞き覚えのある単語が、ぐるぐると頭で渦を巻く。
そう。
そんなこと言ったら、私はあんたの声だって実際聞き覚えあるんだよ――!
「やっぱりあいつらは帝国の、ヒグマの敵だぁ!! 女将も、マイケルも、ヤスミンも、あいつら纏めてやっちまええっ!!」
「愚か者たちめ!! 僕の投球の腕を忘れたのか!! 『オウルボール』!!」
叫ぶヒグマたちに向けて、ロビンは手榴弾をデイパックから取り出し、その剛腕で勢いよく投げつける。
蛇のように左右へ振れるその異様な投球は弾道上のヒグマたちを薙ぎ倒し、フロアの奥で大爆発を起こしていた。
「さぁ、今だ智子さん! バレてしまった以上、ここは一旦地上に逃げるしかない!!」
「黒木智子のサーヴァントよ。あの移動屋台を使わせてもらうぞ!!」
「えぇえぇ、もうそうするしかないでしょうよ……! ヤスミンちゃん、あんたも来なさい!!」
「は、わた、私はこの状況をどうにか収拾しなくては……!!」
「こんな酔狂なヒグマ何百体もヤスミンちゃんだけで纏められるもんかい!!」
そんな調子で、私たち5人、もとい3人と2頭は手を取り合い、崩れたヒグマたちの群れを全速力で掻き分け、マンション前の広場まで出てきていた。
未だその場に残るグリズリーマザーの屋台バスに急いで乗り込み、そのドアを閉める。
「アタシの工房までくればまずは安心だ! マスター、それにあんたたち、すぐに首をこっちに出して! この際だから首輪を『シメ』ておくよ!」
「私は参加者ではないのでその必要は無用だ。ロビンくんと智子くんだけでいい」
「あいよ!」
グリズリーマザーは言うや否や宝具の真名を解放し、私とロビンの首輪を着ぐるみごと切り裂いていた。
即死の呪いを受けた首輪は、容易く砕けて地に落ちる。
そのままグリズリーマザーは屋台のエンジンをかけ、マンションから這い出てくるヒグマたちを振り切るようにヒグマ帝国の道なき道を爆走し始めた。
「帝国の散策中に、カーペンターズの面々から津波が来たらしい地上の水位が低い位置を教えてもらっておいた。
北方に向かってくれ。製材工場の地下を、先程のロビンの爆弾で崩して上がろう」
ダンディな声の男は、そう語りながら悠然とヒグマの着ぐるみを脱いでいた。
そこから現れる襟足の長い黒髪。
漆黒のカソック。十字架の付いたネックレス。
神父の出で立ちをしたその男の名を、私は知っていた。
「――や、やっぱり、言峰綺礼~~ッ!!」
「……何? 私を知っているのか、黒木智子」
「し、知ってるも何も、あんたアニメのキャラじゃ……しかも全盛期の4次峰……!」
初めて出会った時も、『あれ? 慢心王かな?』とか『あれ? 真ヒロインかな?』とか薄々近くのキャラに思うところはあったのだ。
しかし、何しろ思考のぐちゃぐちゃしていた時だったし、幻覚を使うヒグマが出てきたりして有耶無耶になっていたのだ。
だが、面と向かって見てしまってはもう間違いない。
こいつは優秀な教会の代行者でありマジカル☆八極拳使いの、感性と味覚が破綻した正真正銘の愉悦部所属の求道者だ。
言峰は私の言動に溜息をついて、私の肩を叩く。
「……まぁ、どうやら私たちは異なる世界から連れられてきている例もあるようなのでね。
もしかすると私がアニメに出ていたり、ラーメン屋を営んでいたりする世界もあるのだろう。何にせよそれは些末なことだ。むしろ第4次聖杯戦争のことを知っているなら話が早い」
「それに、もう着いたみたいだよ智子さん。綺礼さんと言いましたっけ? ここで良いんですね!?」
「ああ、頼む!」
「『バウンドボール』!!」
まだ増築途中らしい、人気のないヒグマ帝国の端の洞穴に、屋台の窓からロビンが手榴弾を投げつけていた。
一度バウンドした際にピンの外れた爆弾は、天上に着弾した時にどんぴしゃりと爆発する。
がらがらと崩落して地上への穴ができてしまったその様子に、先程から愕然としっぱなしのヤスミンがいよいよ絶望的な表情で口を開いていた。
「ああ……ヤエサワたちが慎重に掘っていた区画なのに……」
「ヤスミンちゃん、しんみりしてる場合じゃないよ。屋台を引き上げるから、その包帯、外の森に掛けておくれよ」
「ちょっと待って下さい先程から! あなたは参加者たちと繋がっていたのですか!?
元々外様ですからある程度仕方のないことだとは思いますが、誤解をといてあの一帯のヒグマに釈明をしなくてはいけませんよグリズリーマザーさん!! 正当防衛とはいえ多数の同胞を殺害してしまったのも事実なのですから!!
あなたがたもです! ヒグマ帝国の上層部は、そこまで無条件に人間を見敵必殺するような組織ではありません。今からでも遅くありませんから、事情を説明しに戻りましょう!!」
ヤスミンが訴えた言葉に返るのは、一様に眉を顰めて押し黙る、2人と1頭の視線だけだった。
ロビンや言峰が、うろたえる彼女を口々に諭しにかかる。
「きみは、さっきのヒグマたちの様子を見ても、まだ弁明ができると思っているのかい?
僕たちのみならず、きみも排斥するように仕向けられていたじゃないか」
「……やはり、内部抗争の種が何者かに仕掛けられていたのかも知れない。
帝国の上層部は、きみのように少しは話の通じる連中もいるのかも知れないが、統治の行き届かない民衆など、あんなものなのだろう。すぐに踊らされる」
「くぅ……。地上の実験にはなるべく干渉しないよう、イソマ様に言われていますのに……」
口元に手を当てて俯くヤスミンも、頭ではロビンたちの言うことを解ってはいるようだった。
歯噛みして顔を上げた彼女は、今度は私たちに周りを囲まれていることも無視するような強い口調で詰問してくる。
「わかりました。グリズリーマザー、マイケル・ロビン、言峰キレイ、黒木ベルモンド智子。
あなたがたの真の目的は一体何なのですか? 私も、今が非常事態だということくらい解っています。
回答によっては協力もしますし、この場であなたがた4名を殺害もします。ただし、協力する場合も、私は対価としてヒグマ帝国の保護を要請します」
「アタシはマスターを守ることさ。勿論ヒグマ帝国も、第二の故郷として放っておけないよ」
「クリストファー・ロビンだ。僕は王として、あの哀れな衆愚制に陥った民衆を守り導いてやろうと思う」
「私は脱出できるなら何でもしよう。ここにあるはずの聖杯を確保できるならば、それに越したことはないが」
私以外の3名は、その質問に淀みなく答えていた。
全員の視線が、残る私に注がれる。
私は、急に現実感をもって突き付けられたその質問に、あいまいに引き攣った笑みを浮かべて震えることしかできなかった。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
――ここからの脱出?
そりゃあ、ヒグマなんて恐ろしいやつらに、もうこれ以上直面したくはない。
それでも、またあのつまらなく、モテない、それどころか他人とまともに会話すら出来ない日常に戻るのかと思うと、背筋が凍る。
――じゃあ、死ぬか……?
もう、何にもできない、将来も見えない自分にはほとほと嫌気がさす。
でも、目の前で人が実際に喰われて死ぬ、あんな現場を見てしまったら、死ぬのも嫌だ。
チビ星人や島田にクラスが襲われればいいなんて軽薄に思ってしまった自分を呪い殺したい。
でも呪い殺されるのも嫌だ。
こんな風に堂々巡りの思考に陥って、結局何にも行動できない自分が嫌だ。
私には、私には何の、目的も、価値もない――。
「……マスター。あんたは、掛け替えのない人間なんだ。いつまでも卑屈になって、うわべを取り繕って他人に合わせようなんて考えなくて良いんだよ」
その時ふと、青くて柔らかな暖かい毛並みが、私の体を包み込んでいた。
グリズリーマザーが、本当に母親のように愛おしそうな声で、私を抱いて、頭を撫でてくれていた。
私の母さんがこんな風にやってくれたのは、一体どれほど昔のことだっただろうか。
そう。
小学校時代の、何にも飾らず、飾る方法も知らなかった当時の私は、誰とも普通に接せていたはずなんだ――。
「僕も、智子さんには居てもらわないと困ります」
「――え?」
「ロビン王朝を打ち建てるにあたって、それを見届けてくれる方がいなくては話になりませんから。
特に、今いる中では、智子さんは僕と最も長く一緒にいてくれている人ですし」
「い、い、一緒って、そんな――」
私に麻婆をぶつけてきたクソガキの口から、そんな天然ジゴロを思わせるセリフが平然と出てきやがった。
グリズリーマザーの毛皮に赤面を隠そうとした私の手が、そこでガシリと掴まれる。
「――それに。私にとっても、きみは大切な人間なのだ」
「た、た、大切な!?」
「よく自分の手を見てみろ。聖杯戦争を知っているなら、わかるはずだ。
そこにいる大自然の英霊をサーヴァントとして従え、このヒグマの島の聖杯戦争を勝ち抜くよう、きみは選ばれたのだ――」
「はえ?」
ダンディな愉悦神父が、真っ直ぐな眼差しで私の右手を取っていた。
その手の甲には、黒く染めつけられたかのように、3画の文様が描かれている。
大地を思わせる水平線から、天地に向けて樹木の枝や根のように張り出した大きな1画。
そしてその左右に果実のように下がる、小さな円をかたどった2画。
パッと見、漢字の『喪』のようにも見えなくない。
「これ、『令呪』――」
「そうだ。これこそ、黒木智子という少女が、正式なマスターとして聖杯に選ばれた証に他ならない。
さぁ、意識を集中して自分のサーヴァントを見てみろ。きみは恵まれている。
なかなか他に類を見ない、実にハイレベルなサーヴァントだ!」
言峰神父とグリズリーマザーが微笑む。
グリズリーマザーの笑顔を真っ直ぐに見つめ返した瞬間、私の脳裏に、手に取るように彼女の情報が流れ込んできていた。
【クラス名】キャスター 【真名】グリズリーマザー 【マスター】黒木智子
【性別】女性 【属性】中立・善
【パラメーター】
筋力:B 耐久:B 敏捷:C 魔力:B 幸運:A 宝具:B+
【保持スキル】
陣地作成:B 道具作成:B 怪力:A 戦闘続行:A
「きゃ、キャスター!? このステータスでキャスター(魔術師)なの!?」
「元々、羆だという性質が活かされてのものだろう。……工房たるこの屋台を見るに、クラスとの適正を逸さないままにこれなのだから、凄まじい」
グリズリーマザーは言峰神父の言葉と同時に一歩身を引き、私にその大きな体をどっしりと見せつけて笑いかけた。
「……急なことの連続で、ちゃんとした挨拶がまだだったね。
この度はキャスターのサーヴァントして現界した、遊戯王カード界の優秀なリクルーターが一人、グリズリーマザーさ。
……あんたが、私のマスター。だろ、智子ちゃん?」
「あ、うあ……」
ぞくぞくと背筋が興奮に震えていた。
本当だ。
本当に私は、Fateという架空世界のものだと思っていた聖杯の導きに、選ばれていたのだ。
もうこの瞬間だけでも、私にとっては聖杯の奇跡に等しかった。
アニメで、ゲームで、ノベルで見た、あのマスターたちのように、サーヴァントと触れ合い、二人で成長していけるのなら。
こんなにも、ありのままの私が、何にも取り繕っていない私が認めてもらえるのなら。
ヒグマに汚染された聖杯なんてどうでもいい。
こうしてすごしていく過程で、私はあのアニメのキャラたちのように、モテるようになる私が欲しい――!
「やる! 私、グリズリーマザーと一緒に戦う! 絶対勝ち抜く! 生き残って、もっとモテる、私になるから!!」
声が喉を突き抜けた。
今までの人生を浴びて痙攣していたような声帯に、潤いとハリが戻ったように思った。
私はグリズリーマザーの大きな手を取って、両手で強く握りしめていた。
「脱出、教導、生き残る――。良いでしょう。そもそも人間と我々が理由もなく対立するいわれはありませんから。
彼ら艦これ勢を堕落せしめた黒幕の正体を掴み、ヒグマ帝国を護るまでの間、穴持たず84ヤスミン、あなたがたに同行いたします」
外輪で私の反応を待っていたヤスミンは、その長台詞を吐きながらも即座に、腰元に携えた茶色い包帯を手に取っていた。
「ロビンさん、助手席側からの投擲をお願いいたします。投球技術には秀でているのですよね? アテにさせていただきますよ」
「子供だからと、なめないでもらおうか。さっきの穴から木に掛ければいいんだろう? 朝飯前だね」
ヒグマの毛皮でできた長い包帯が、屋台の前方から2人の手で過たず地上に投げられ、森の木々に巻き付いて固定される。
その手ごたえを両手で確かめながら、屋台のフロントガラスに踏ん張るヤスミンがこちらに顔を振り向けた。
「これで良いんでしょうグリズリーマザーさん! 引き上げてください!!」
「あいよ! ……それじゃあマスター。あとはあんたの出番だ。あんたはアタシに命令してくれさえすれば良い」
「自分のは温存して、私の預託令呪を使え。さぁ、きみにはもうわかっているだろう?」
言峰神父が、私の手に右手を重ねた。
グリズリーマザーが、力強く笑う。
手の甲の文様が、赤く光る。
魔術回路が励起するという、ちりちりとした初めての痛みを、私は恋しく享受した。
言葉が出る。
今まで憧れでしかなかったこんなセリフを、私は今、堂々と、高らかに叫べるのだ!!
「黒木智子の名の下に、令呪を以て私のキャスターに命ずる! 私たちを連れて、地上へ脱出せよ!!」
「ご注文、承りましたよマスター!!」
グリズリーマザーから迸る魔力が屋台バスの全体を駆け巡り、排気筒から爆炎となって噴射される。
猛スピードで回転する四駆の巨大なタイヤがウィリーのように屋台を傾がせ、一気に地上への10メートル近い高度を、包帯のガイドに沿って飛び立たせていた。
真昼の地上を照らす太陽が、私たちを歓迎している。
雄大な森林の前に聳える製材工場すら、私の門出を祝って敷地中に丸太を撒き散らしている。
波に洗われたのか、大地は漂流物だったり汚泥だったり塩の結晶だったりで満ち溢れているけれど。
達成感に満ちた今の私は、世界の全てに祝福されているようだった。
これからは、自信を持って生きよう。
人生、楽しいな――!
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
グリズリーマザーと黒木智子が、着地した屋台の前方で手を取り合って喜びに跳ねまわっている最中、静かに彼女たちを見守るヤスミンを置いて、クリストファー・ロビンが言峰綺礼にひっそりと近寄っていた。
そして彼は、何気ない調子で言峰に言葉を投げかける。
「――ずいぶんと人を乗せるのが上手いみたいですね、神父さん」
「……何を言っているのだ、ロビン少年」
「軽々しく『選ばれた』なんて言っちゃって。智子さんの手の模様、あなたがつけたんでしょう?
僕たちが地下に降りた時にはありませんでしたもの」
「……」
薄い微笑みを湛えて見上げてくるロビンの視線に、言峰綺礼は冷たい無表情で応じるだけだった。
ロビンはその対応に不興を得るでもなく、つらつらと言葉を続けてゆく。
「あの地下で僕たちを嵌めたヤツらと同じ手口じゃないですか。今回はいい方向に動かしたとはいえ、僕はそういう、何もわからぬ子羊を煽動するようなやり方は好かないんですよ」
「……蛇の道を知るならば、その蛇を討つのは容易かろう。それに、私の目的を果たすためには、彼女にマスターとして覚醒してもらわねばならなかったのでな。多少強引な手もやむをえん」
「何言ってんですか。智子さんをいじった反応を見て、愉しんでたんでしょう? まぁ、智子さんは可愛いですから無理もないことだとは思いますけれどね」
「きみは私に喧嘩を売っているのかな?」
おちょくるようなロビンの言動に、言峰綺礼はますます石のように固くなった口調を叩き付ける。
氷のようなその語気も、ロビンは飄々と笑みで捌くのみである。
「いいえ別に。僕だって事を構えるべき優先順位は弁えているつもりです。あのヤスミンさんというヒグマも含めて、腰を据えて試合(ゲーム)進行の戦略を立てねばなりませんものね」
ロビンはそのまま、カウンターの上でおもむろにデイパックの荷物を整理し始める。
言峰綺礼はその中に新たに仕舞い込まれた物品を見て驚愕した。
「――貴様、それは、あのハニーとかいうヒグマの、蜜ではないか」
「ええ。どさくさに紛れて、壺一つ確保しておきました。なにせヒグマの蜜ですからね。栄養価も薬効も相当なものではないかと思いますよ。
僕は森の仲間が命を賭して残してくれたものを無下に扱うことはしません。きちんと感謝と哀悼の念を以て頂きますとも」
オーバーボディの下に隠していたらしいその小ぶりな壺は、金色に透き通る蜜で満たされている。
微笑むその少年の余りのしたたかさに、言峰綺礼はじわりとこめかみに汗を浮かせていた。
「その年にして、実に末恐ろしい才覚と理念だな。だがそれは、度が過ぎるときみの生命ごと潰されかねんものだと、年長者として忠告しておこう」
「ありがとうございます言峰さん。伊達に100エーカーの森に君臨してたわけじゃありません。
僕は、あなたのような趣味と実益を両立できる技量を持った方と同行出来て本当にラッキーですよ」
腹の内を探り合うような笑みが、互いの視線の間に取り交わされる。
彼らや黒木智子の様子を静観しながら、穴持たず84ヤスミンは、ひたすらヒグマ帝国の行く末を案ずるのみであった。
【F-3 街/製材工場の北端 昼】
【クリストファー・ロビン@プーさんのホームランダービー】
状態:右手に軽度の痺れ、全身打撲、悟り、《ユウジョウ》INPUT、魔球修得(まだ名付けていない)
装備:手榴弾×1、砲丸、野球ボール×1 ベア・クロー@キン肉マン、ロビンマスクの鎧@キン肉マン、ヒグマッキー(穴持たずドリーマー)
道具:基本
支給品×2、不明支給品0~1、穴持たず82の糖蜜
[思考・状況]
基本思考:成長しプーや穴持たず9を打ち倒し、ロビン王朝を打ち立てる
0:智子さん、麻婆おじさん、ヒグマたちと情報交換し、真の敵を打倒する作戦を練る。
1:投手はボールを投げて勝利を導く。
2:苦しんでいるクマさん達はこの魔球にて救済してやりたい
3:穴持たず9にリベンジし決着をつける
4:その立会人として、智子さんを連れて行く
5:後々はあの女研究員を含め、ヒグマ帝国の全てをも導く
[備考]
※プニキにホームランされた手榴弾がどっかに飛んでいきました
※プーさんのホームランダービーでプーさんに敗北した後からの出典であり、その敗北により原作の性格からやや捻じ曲がってしまいました
※ロビンはまだ魔球を修得する可能性もあります
※マイケルのオーバーボディを脱がないと本来の力を発揮できません
※ヒグマ帝国の一部のヒグマ達の信頼を得た気がしましたが別にそんなことはなかったぜ。
【黒木智子@私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!】
状態:気分高揚、膝に擦り傷
装備:令呪(残り3画/ウェイバー、綺礼から委託)
道具:基本支給品、石ころ×96@モンスターハンター、グリズリーマザーのカード@遊戯王
[思考・状況]
基本思考:モテないし、生きる
0:グリズリーマザーと共に戦い、モテない私から成長する。
1:ロビンと言峰神父に同行。
2:ビッチ妖怪は死んだ。ヒグマはチートだった。おじさんは愉悦部員だった。最悪だ。
3:どうすればいいんだよヒグマ帝国とか!?
※魔術回路が開きました。
※グリズリーマザーのマスターです。
【グリズリーマザー@遊戯王】
状態:健康
装備:『灰熊飯店』
道具:『活締めする母の爪』、真名未解放の宝具×1
[思考・状況]
基本思考:旦那(灰色熊)や田所さんとの生活と、マスター(黒木智子)の事を守る
0:マスター! アタシはあんたを守り抜いてみせるよ!
1:あの帝国のみんなの乱れようじゃ、旦那やシーナーさんとも協力しなきゃまずいかねぇ……。
2:とりあえずは地上に残ってる人やヒグマを探すことになるかしら。
[備考]
※黒木智子の召喚により現界したキャスタークラスのサーヴァントです。
※宝具『灰熊飯店(グリズリー・ファンディエン)』
ランク:B 種別:結界宝具 レンジ:4~20 最大捕捉:200人
グリズリーマザーの作成した魔術工房でもある、小型バスとして設えられた屋台。調理環境と最低限の食材を整えている。
移動力もあり、“テラス”としてその店の領域を外部に拡大することもできる。
料理に魔術効果を付加することや、調理時に発生する香気などで拠点防衛・士気上昇を行なうことが可能。
※宝具『活締めする母の爪(キリング・フレッシュ・フレッシュリィ)』
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:1~2 最大捕捉:1~2人
爪による攻撃が対象に傷を与えた場合、与えた損傷の大きさに関わらず、対象を即死させる呪い。
対象はグリズリーマザーが認識できるものであれば、生物に限らず、機械や概念にまで拡大される。
【言峰綺礼@Fate/zero】
状態:健康
装備:令呪(残り9画)
道具:ヒグマになれるパーカー
[思考・状況]
基本思考:聖杯を確保し、脱出する。
1:黒木智子およびクリストファー・ロビンに現状を教え、協力体制を作り、少女をこの島での聖杯戦争に優勝させる。
2:布束と再び接触し、脱出の方法を探る。
3:『固有結界』を有するシーナーなるヒグマの存在には、万全の警戒をする。
4:あまりに都合の良い展開が出現した時は、真っ先に幻覚を疑う。
5:ヒグマ帝国の有する戦力を見極める。
6:ヒグマ帝国を操る者の正体を探る。
※この島で『聖杯戦争』が行われていると確信しています。
※ヒグマ帝国の影に、非ヒグマの『実効支配者』が一人は存在すると考えています。
※地道な聞き込みと散策により、農耕を行なっているヒグマとカーペンターズの一部から帝国に関する情報をかなり仕入れています。
【穴持たず84(ヤスミン)@ヒグマ帝国】
状態:健康
装備:ヒグマ体毛包帯(10m×10巻)
道具:乾燥ミズゴケ、サージカルテープ、カラーテープ、ヒグマのカットグット縫合糸
[思考・状況]
基本思考:ヒグマ帝国と同胞の安寧のため傷病者を治療し、危険分子がいれば排除する。
0:帝国の臣民を煽動する者の正体を突き止めなければ……。
1:エビデンスに基づいた戦略を立てなければ……。
2:シーナーさん、帝国の皆さん、どうかご無事で……。
3:ヒグマも人間も、無能な者は無能なのですし、有能な者は有能なのです。信賞必罰。
※『自分の骨格を変形させる能力』を持ち、人間の女性とほとんど同じ体型となっています。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
「ちくしょう……! なんて凶悪なヤツらだったんだ……!」
「マイケルは鎮圧を助けてくれた功労者だと俺たちに思わせておいて、その実、もしかするとあのビスマルクちゃんを轟沈させようとしてたのかも知れないぞ!!」
「うわ、それ絶対そうだよ」
「シャイセ!! ビスマルクちゃん轟沈狙いとか、マジそれシュテルベンなんだけど!!」
「あんな侵入者を許すとか、シバさんたちの警備ザルじゃねぇか!」
「やっぱだめなんだよ艦娘じゃないと!」
ロビンたちが灰熊飯店の屋台で走り去ったあと、地底湖近くの街は、怒り狂ったヒグマたちで溢れ返っていた。
島風が出撃した際にも歓喜をもって送り出していた彼ら地底湖付近の住民は、大多数が『艦隊これくしょん』のファン、いうなれば艦これ勢である。
実際に艦娘を製作しようと思い立って実行してしまったのが、たまたま穴持たず678のヒグマ提督であったというだけで、遅かれ早かれ、同じことを考える者が彼らの内から他にも出ていたかもしれない。
「そもそも、俺たちに十分な資材も食糧もこねぇのがいけねぇんだよ!! 赤城に喰わせてやるボーキもねぇとか、この国終わってるって!!」
「そうだそうだ!!」
「そうだよ!! 大本営の指導者のやつらは、前線である俺たちに物資も送らず、内地でのうのうと私腹を肥やしてるに違いない!!」
「それ鑑みるに、ヒグマ提督の判断はマジ英断。頭いいあいつのことだから、シバさんとかシロクマさんが真の傾国の悪人であることを見抜いて、転進したのかも」
「うわ、それ絶対そうだよ」
「そうだよ! シバさん、やっぱり人間の姿してるし、あいつも外から紛れ込んだ敵で、実はヒグマを滅ぼそうとしてるんだ!!」
「じゃあビスマルクちゃんを鹵獲したのは、彼女の行き過ぎた教育を戒めるフリをして、彼女を洗脳するためだったのか……!」
「うあー!! 悪堕ちかよー!!」
ヒグマ提督は、実のところ、彼ら艦これ勢の間では一躍時の人だった。
先のロビンのように、祭り上げられて好い気になっていたのが、彼の得体の知れない増上慢の一因になっていたのかも知れない。
「噂じゃ、シバさんって、あのヒグマ提督の工廠を奪い取って、深海棲艦を作ってるらしいぜ……!」
「はぁ!? なんで艦娘の敵である深海棲艦なんか作ってんの!?」
「ヲ級ちゃんとか、可愛げのある子も確かにいるが、彼女たちは所詮オレたちの敵に過ぎない……。やはりシバ、貴様はクロだったか……!」
「忘れぬぞ深海棲艦……! 貴様らは私に娘たちの轟沈ボイスを聞かせた絶対悪だ!!」
地底湖周りを埋める、数百体のヒグマたちに、次々と憎悪が伝染してゆく。
取り立てて艦これ勢ではない通りすがりの普通のヒグマも、彼らの語る話を聞くうちに、だんだんと今の帝国上層部は、実はやはり悪人だったのではないかという不安感が首をもたげてくる。
「食糧班は、俺たちに満足な食糧も届けねぇ! 医療班は、死者が出るまで怪我人を放っておく!
事務班は俺たち全員が艦これ出来る設備も入れねぇし、建築班は入渠用のドックさえ作らねぇ!
俺たちの艦むすが帰ってきた時に、こんなイカレた国じゃ駄目だろぉ!!」
「そうだそうだ!!」
「帝国が今まで守られてきたのは、誰のお蔭だと思ってるんだあいつら……!」
「なんで今まで俺たちはこんな住みづらい国に平気で居たんだろうか……!」
「今こそ奮起する時だ!! 国を駄目にする帝国の上層のやつらを、みんなでぶっ倒すぞ!!」
「革命だ!!」
「うおおっ、燃えて来たぁ!!」
食糧に関しては、一切働きもせずにただ食いをしている艦これ勢の方がおかしいのであり、ビスマルクの砲撃で死者が出たのは、彼らが医療班を呼ぶのが遅かった上に宴会にかこつけて碌な手当てもしていなかったからである。
事務班が彼らに対して艦これ用のパソコンを入れないのは実に当たり前のことであるし、建築班に工廠だけでも建ててもらえただけ感謝するべきなのが当然であろう。
また、帝国が今まで守られてきたのは、シーナーやシバを始めとする帝国上層部のお蔭であり、まかり間違っても『艦隊これくしょん』のお蔭ではない。艦これは寸毫も帝国の安全には関与していない。
だが、この場にそんな冷静な突っ込みを言い出せる者はいなかった。
いたとしても、その者はすぐさま悪辣な敵であるとみなされて袋叩きに合い、たちまち殺されていたであろう。
「待て、今すぐに動くのは不味い! ヤツらは敵だが、なめてかかるとオレたち正義の艦隊の方が全滅しかねないぞ!」
「……放送だな。正午ちょうどに、あいつらは地上に向けて放送を流す予定のはずだ。その隙を突く!」
「時報とともに出撃だ!」
「おう!」
「俺たちの艦これのために!」
「艦むすのために!」
「やぁあってやるぜぇ!!」
艦これ勢は、今までの生活で最大の興奮とやる気を以て盛り上がる。
熱気の渦巻く地底湖の片隅で、その実にバイデジタルな狂乱の喧騒を、震えながら見つめる一頭のヒグマがいた。
「どうしよう……、本当にどうしようこれ……。ヒグマ提督の一派がここまで狂ってるなんて……」
物陰に隠れて息を潜めるヒグマ。彼はシバとシロクマにビスマルクの暴挙を伝えた穴持たず543番である。
実のところ、ヤスミンに患者の存在を伝えたのも彼であり、彼がいなければこの地底湖付近を襲った事態はさらに悪化していたことだろう。
「屋台の女将さんも逃げてしまったし……、あいつらより早く、誰かにこのことを知らせなきゃ、本当にこの国は終わってしまう……!
だめだこれ……、早く何とかしないと……!」
彼は、眼に涙を浮かべながらふらふらと立ち上がり、脳内に帝国の地図を思い描く。
動けそうな実効支配者や職能をもつヒグマたちに最短距離で最大数出会えるルートを模索しながら、彼は走り出した。
「シーナーさん……! ツルシインさん……! 誰でもいいです、お願いします!
この、渾沌に満ちたバグどもを、どうにか鎮圧して下さい――!」
【ヒグマ帝国 地底湖近くの街 昼】
【穴持たず543@ヒグマ帝国】
状態:健康、焦り
装備:なし
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:危機を逸早く誰かに知らせる
0:誰か、誰か、あのヒグマ提督の一派を止めて下さい!!
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
「うおぉ天龍どのー!! 夜戦だぁあああ!!」
「龍田さーん!! 天龍ちゃんより上手でしょぉおお!!」
「
クマー!!」
「タマー!!」
「キソー!!」
「北上さぁぁぁぁぁああああん!!」
「貴様がスーパー北上様なら、俺はさしずめズーパーマックスきゅんというところだ」
「雷は私の母になってくれたかもしれない女性だ!!」
「電ちゃんの漏電をprprなのです!!」
「今日は何の日ー!?」
「ねぇのっひーだぁいょおお!!」
「っぽい! っぽい! っぽいぽい!!」
「ぴょんぴょんぴょんぴょんぷっぷくぷぅ~!!」
「でち! でち! わぉ! わぉ!」
「ほ☆い☆さっ☆さー!!」
興奮に沸き上がるヒグマたちは、そうした呪詛のような言葉を次々と口走り、己の士気を高めていた。
穴持たず543が、黒魔術の儀式めいたその光景に戦慄を覚えて立ち去るのと同じ頃、彼らの片隅で密やかに近づき合う2体のヒグマがいた。
片方は、さして特徴もない一般的なヒグマの様相だったが、もう一体は、半分が白く、半分が黒く塗り分けられたかのような小型の熊であった。
「うぷぷぷぷ……。医療班と食糧班の主力を纏めて排除できるなんてねぇ。
ねえ677番くん。こういう光景を見ていると、やっぱりみんなアホだなぁと思わない?」
「踊る阿呆に見る阿呆。同じアホなら、みんな踊りたいのさ、
モノクマさん。なにせ、どっぷりとぬるま湯につかるばかりで体を動かしてないからな」
小型の熊は、江ノ島盾子に操作され、帝国の中にも無数に存在するモノクマロボットの一体であった。
穴持たず677番のヒグマは、その者の言葉にうっすらと笑う。
彼の声は、黒木智子が気付いた、艦これ勢の行動を真っ先に煽動していたあの声である。
ヒグマ提督と付き合いのあった彼の元にも江ノ島盾子は接触し、近隣のヒグマに艦これを布教する尖兵として利用していたのだった。
江ノ島盾子の蒔いた艦これという毒は、麻薬のように、しっかりとヒグマ帝国の住民を汚染している。
気付かれないうちにしっとりと油を染み込ませられた住居は、微かな火をつければあとは瞬く間に燃え落ちるのだ。
「キミは一緒に踊らなくていいのかい? きっと絶望的に楽しい革命になると思うよ、うぷぷぷぷ……」
「実のところ、私はヒグマ提督や他の奴等ほど、生身の艦娘には興味ないのさ」
「へぇ? そうなの?」
モノクマの言葉に、穴持たず677は地面に何かの肉をひきずりながら語る。
「生きた体など、ただの非常食にしかならん。折角ゲームの中で安らかに楽しんでいる彼女たちの魂を、現世に降ろしてきて再び戦禍に放り込むなど、真に艦娘を愛する者の行為ではないだろう。
そう言った意味では、私は先輩たちの提唱するキムンカムイ教の教えには大いに感ずるものがある」
彼の手には、マンションの地下で死んだ、穴持たず82の肉体があった。
その肉と皮を千切り、小分けにして整然と保管し始める彼に向けて、モノクマは笑う。
「キミの手腕にはボクとしてもなかなか驚きだよ。どうせヒグマ提督クンと同じような馬鹿だとおもっていたんだけどね」
「『ヒグマ提督より少しはマシな馬鹿』だと思ってくれてどうもありがとう。着実に、ヒグマ帝国の上層部は切り崩していってるものな。
あんたがこの帝国を支配するまで、もう少しだよ」
「うぷぷぷぷ……。あとは実効支配者の連中から、新規ヒグマの出生の謎を聞き出せれば、生まれる前にヒグマを洗脳して万事うまく行けるんだけどねぇ。
シロクマちゃんは、あれでなかなか口が堅いんだから~」
「そのシロクマやシバを含めて絶望に突き落とすために、私たちを煽って来たのだろう? そう急く必要もないさ」
穴持たず50・イソマの存在と、ヒグマ帝国の実の中核である四元数空間のことは、江ノ島盾子と繋がっているシロクマ――もとい
司波深雪も頑なに口を閉ざしていた。
互いが互いを裏切ろうとしている存在なのだから、重要なカードを切らないのは当然である。
そして彼女にとってのイソマの存在が秘匿する切り札であるのと同様に、江ノ島盾子にとっては、蔓延させた『艦これ』という偶像の存在が切り札であった。
「ところで、ボクは前にも話した通り、この島やこの世界をヒグマで絶望に陥れるつもりだけれど、キミは何が欲しいんだい? 好きな艦娘を求めもせず、禁欲僧のような生活をするのかな?」
「いや、魂の悦びは魂の悦びでゲームの中で、艦娘とは触れ合えればいい。
そして肉体の悦びとしては――、そうだな。島の外に出たら、秋葉原で間宮さんの甘味処にでも行ってみたい。
……那珂ちゃんセットとか、旨そうなんだよな、実に」
穴持たず82の死肉を喰らいながら、穴持たず677は恍惚とした表情で舌なめずりをする。
モノクマはその背後で、艦これ勢たちの狂ったような歌声に聞き惚れながら笑うのだった。
「見上げた欲の無さだねぇ~。素晴らしいよキミは。折角だから名前を付けてあげようか。677番だから『ロッチナ』とか」
「欲が無い訳ではない。小市民に過ぎない私は、自分の力を知っている。艦娘のためなら、私は暗躍でも演技でもなんでもしてやるさ。
彼女たちは戦後六十年の歴史が生み出した美徳の花だ。私は、この先も彼女たちを見届けたい」
かりそめの平和を引き剥いて、擬装の都市にヒグマたちの声が猛る。
幻想と欺瞞の肉体を浸すのは浮世の毒。
その陰に笑う電子のセトのみがこの地の現。
先人の築いた繁栄と秩序とを踏みにじり、臣民は今、烏合の兵団と化した。
帝国の行く末は如何に。
放送後もヒグマと、地獄に付き合ってもらう。
【ヒグマ帝国 地底湖近くの街 昼】
【穴持たず677(ロッチナ)@ヒグマ帝国】
状態:健康
装備:なし
道具:穴持たず82の死肉
[思考・状況]
基本思考:艦娘のために、ヒグマ帝国を乗っ取り、ゆくゆくは秋葉原を巡礼する
0:他のヒグマの間に紛れて潜伏し、一般ヒグマの反乱を煽る。
1:艦隊これくしょんと艦娘の素晴らしさを布教する。
2:邪魔な初期ナンバーのヒグマや実効支配者を、一体一体切り崩してゆく。
3:暫くの間はモノクマに同調する。
※『ヒグマ提督と話していたヒグマ』が彼です。
※ゲームの中の艦娘こそ本物であり、生身の艦娘は非常食だとしか思っていません。
※『艦これ勢』と括られるであろう数百体のヒグマが、第二回放送後、ヒグマ帝国の上層部の連中を皆殺しにする気になってしまいました。
※反乱の気運は、ことによると他の一般ヒグマにも伝染してさらに大規模なものになりかねません。
最終更新:2014年08月06日 13:59