Rehash ◆wgC73NFT9I


 アタシの前に置かれているのは、食べ物だ。
 ご飯があって。
 お野菜があって。
 お肉もあって。
 彩りもきれいな、美味しそうなお弁当だ。

 でもそれは、アタシのために作られたものじゃない。


「……ほら、早く温めろよメルなんとか」
「……メルセレラです」
「か~ぁ、そんなんどうでもいいから。
 覚えてもらいたかったらこれぐらいさっさとしろよ」
「うう……」


 檻の扉の向こう側から、研究員の一人がそんな見下した口調で、アタシに呼びかけていた。
 アタシは、その美味しそうな食べ物を前にして、歯を噛みながら身を縮める。
 鎖と首輪で壁に繋がれた私の口は、どうやったってその食べ物に届くことはなかった。


「昨日みたいなヌルい温め方したら、電撃だからな。わかってるよな?」
「……はい」


 アタシは生まれながら、自分の周りの空気を、温めることができるチカラを持っていた。
 そのチカラに気づいたとき、アタシは自然と自分の名を思いついていた。
 ……アタシの名は、『メルセレラ』だ、と。
 その瞬間アタシは、自分がちゃんとこの世界に存在しているのだということを、感じた気がしたんだ。


 でもそのチカラは、必ずしもアタシに、良いことをもたらしはしなかった。
 研究員の中で、アタシにちょっかいを出してくる奴がいた。
 アタシのチカラを使いにくる奴。
 ……それだけなら良かったんだけれど。

 最初アタシは、自分が頼られてるのだと思って、嬉しくなった。
 でもそいつは、いつもアタシに、『ビリビリ』をやってきた。
 いつもだ。
 痛くて、怖くて、とてもイヤだった。

 他のヒグマや、研究員に言ったら、もっと『ビリビリ』をするって、アタシは言われた。
 『ビリビリ』はイヤだったから、アタシはその研究員の言うことを聞いた。


 集中する。
 今日こそは絶対にうまくいきますように。
 『ビリビリ』がきませんように。

 お弁当を見つめて、そこの空気だけを、重点的に温めるようにする。

 温めれば温めるほど、漂ってくる香りが、アタシの集中を削ぐ。
 ぺこぺこのおなかが苦しくて、いつもここでチカラが途切れてしまう。
 美味しそうな匂いに、アタシは負けてしまう。

 ダメだ。
 ダメだ。

 今日こそは。
 今日こそは上手く行きますよう。
 今日こそはビリビリが来ませんよう。
 今日こそは、ちゃんと褒めてもらえますよう――!


 アタシは、全力を振り絞って、空気を温めた。


「……やっとできたかぁ? 遅っせぇなぁ。
 本当なら、これだけで電撃モノだぜ? 俺の寛容さに感謝しろよ?」
「ちゃ、ちゃんと、温まってる、はず、です……」


 疲れて息が上がった。
 おなかもぺこぺこだった。
 その私の前から、美味しそうなお弁当は、サッと取り上げられていた。

「さぁて、んじゃ、いただきまー……」

 鉄の扉の向こうで、そいつは割り箸を持って、アタシの温めたご飯を頬張った。
 そして、目を丸くした。


「う、熱っぢゃぁあああああぁぁ――ッ!?」
「そ、そうでしょ? 今日はちゃんと温まってたでしょ?
 う、上手くやれた……」


 そいつは温かいお弁当を持ったまま、小躍りでもするみたいに、ご飯粒を吹き出して地団太踏んだ。
 アタシは、ようやくチカラを上手く使えたことに、涙を流していた。

 これで、今日は『ビリビリ』は来ない。
 今日は違う。
 今日アタシはやっと、褒めてもらえる。
 アタシはやっと、自分を認めてもらえるんだ――!


「ふざけんなクソヒグマァア!! 意趣返しのつもりかボケがぁあああ!!」


 そう思ったとき、その研究員は、大声で叫びながら、手元のスイッチを押していた。
 『ビリビリ』のスイッチだった。


「ひ、ぎゃああああああああぁぁぁぁああぁぁぁあああぁぁ――ッ!?」
「何が上手くやれただ。俺に怨みを返したつもりかよ……。
 実験動物が人間様に楯突いてただですむと思ってんのか? 身の程弁えな!!」


 鎖と首輪から、『ビリビリ』が全身を駆け回る。
 痛い。
 痛い。
 息が出来ない。
 体があたりを跳ね回る。
 心臓が破裂しそうだ。


 ――その『ビリビリ』は、いつもよりももっと、もっと強くて、長かった。


「……っと、いけねぇ。障害でも残したら上の研究員にバレちまう。このぐらいにしといてやるか」
「ガ……ッ、は、ぁ……」


 アタシはそのまま、床に崩れ落ちていた。
 体は何十人もの人間から袋叩きにあったように、痛みとだるさでチカラが入らない。
 吐き戻すようにして、噎せるような呼吸をこぼすので精いっぱいだった。


「……おい、いいか。調子に乗るんじゃねぇぞ。お前らに名前なんて必要ねぇし、人間様に歯向かえるとか思ったら大間違いだからな?」


 研究員は、それだけ吐き捨てて、私の檻の前から立ち去って行った。
 後には、せせら笑うような彼の声が、廊下の先に消えてゆくだけだった。
 アタシの目からは、涙が零れていた。
 血を吐くように、アタシは泣いていた。


「な、んで……!? どうして、アタシは褒めてもらえないの……!?
 なんで、こんな目にあうの……? 誰か。誰かアタシを、認めて……――」


 その時、アタシの檻の前には、突然誰かの大きな気配が出現した。
 今までずっとそこに隠れていたところから、わざと出てきたような、そんな影。
 そんなヒグマの姿が、そこにあった。


「……メルセレラ。案ずるな。我々『キムンカムイ』は、キミのことを心から歓迎する。
 自力で『カヌプ・イレ』を成し遂げ、そして今『プニ・イレ』を乗り越えたキミだ。
 必ずやキミの名は、世界に向けて告げられる日が来る。
 自分を信じ、カントモシリ(天上界)に坐した己のカムイ(神)の誇りを思い出すのだ。
 私がキミに、『オトゥワシ・イレ』を授けてあげよう……」
「あな、たは……?」


 アタシの名をはっきりと呼ぶそのヒグマは、アタシと同時期に作られたヒグマの一体だったはずだ。
 ヒグマなんかがうろうろしていたらすぐに研究員に気付かれてしまうだろうに、彼は落ち着いた様子で、ただ私に微笑みかけていた。


「私は、『根方の粘液に消える』――。穴持たず12『ステルス』だ。メルセレラ。
 キミの名の真の意味は、『煌めく風』――。
 その美しいヌプル(霊力)を高めることで、キミは認められ、そして万人から崇められてゆくだろう……」
「本当ね……!? 本当に、それで、アタシは、褒めてもらえるのね……!?」
「そうだとも。自分を信じ、たゆまず磨き続けなさい。その素晴らしい成果をアイヌに、キムンカムイに見せたなら、彼らの崇拝を得ることは容易い。
 我々『キムンカムイ』は、カントモシリで最も高貴なカムイなのだから……」


 ステルスさんは、そう言って、アタシを導いてくれた。
 魂の大切さ。己の名の大切さ。
 色んなことを、研究員の眼をかいくぐって、教えてくれた。

 それから先は、研究員にいくら『ビリビリ』をされても、怖くはなかった。
 もうアタシは、お前たちより素晴らしい神なんだから。
 アタシのハヨクペ(冑)をいくら痛めつけたって、アタシのラマト(魂)までは、汚せないんだから。
 アタシは奴らに隠れて、自分のチカラを磨き続けた。

 ラマッタクペ、ゴクウコロシ、ヤセイ。
 仲間だってできた。


 だから今日、いざ実験の日に臨んでも、アタシは怖くなかった。
 ただアタシは、いつもいつもアタシに『ビリビリ』をしてきた研究員のところに、お礼だけしに行った。

『あんたのお蔭で、アタシはこれだけ素晴らしくなれたわよ』

 と、そう言って、チカラを見せてやった。
 そいつは自分のハヨクペをアタシのお弁当にしてくれた。

 脳みそがあって。
 軟骨があって。
 お肉もあって。
 彩りもきれいな、アタシのために作られたお弁当だ。


 ……そう。
 アタシは、そいつよりも高貴な神なんだから。
 そのお弁当を食べて、良かったんだ。良かったはずなんだ。
 悪いのは、身の程を弁えなかった、そいつ。

 でもそいつを食べても、空腹は収まらなかった。
 そいつは相変わらず、アタシを褒めてはくれなかったから。
 本当は、空いていたのはお腹ではなくて、褒めて欲しい、アタシの心だったのかも知れない。


    ||||||||||


「……れい! なんということを……!!
 私の取り繕った意味がまるっきり無駄になったではありませんか!!」
「……あなただって、示現エネルギーの監督者なんでしょ。ヒグマや、得体の知れない機械に、奪われるわけいかないでしょう」

 怒りと戸惑いに震える黒いカラスの言葉に、黒騎れいがただそう呟いた。

 通りに面した窓ガラスが破れ、非常に風通しの良くなっているビルのロビーに、彼女たちは座っていた。
 直射日光を避けたソファーの元にも、昼の日差しに蒸された空気が流れてくる。


 有冨春樹との出会い。
 自分の故郷を取り戻してもらえるという報酬。
 光の矢を使ったヒグマの強化。
 実験および首輪のシステム。
 島のエネルギー供給を担う示現エンジン。
 そこでばったり出会った四宮ひまわりという友人。

 蒸し暑くなってくる気温の中、堰を切った大雨のように、黒騎れいは自分の来歴を一気に語りきっていた。
 カラスやその他の者が口を挟むことを許さぬ、濁流のような勢いだった。
 佐倉杏子の隣に腰かけて顔を伏せたまま、懺悔のように息を吐き尽くした彼女は、そうしてようやく顔を上にあげる。


「こんな実験に荷担して、虫の良いこと言ってるのはわかってる。
 でも、お願い……。私は、なんでもするから。彼女を、四宮ひまわりを、助けてあげて……」


 自分が、目の前にいる参加者たちをこのような殺し合いに巻き込んだ主催者の一味であり、『ジョーカー』であるのだということを、黒騎れいは洗いざらい語り尽くしていた。

 佐倉杏子は、そんな黒騎れいの背をそっとさする。
 杏子の心に掛かっていた、巴マミ、そして暁美ほむらという友人の安否は、黒騎れいが首輪のシステムを説明した際、
『その道の技術者であれば簡単に取り外しでき、その際に通信機能も途切れる』
 という言葉でフォローされていた。
 『放送で呼ばれる』ということは、必ずしも死んだことを意味するわけではなく、首輪による追跡が何らかの原因で無効となったことを意味するだけなのだ。

 杏子の記憶では、暁美ほむらは弓矢を使った魔法の他、銃火器や爆薬の扱いにも長けていたはずだ。
 この半日の間に、首輪を取り外すことに成功していたとしても不思議ではない。
 もしくは冷静な彼女のことだから、回復魔法にも秀でた巴マミとともに、わざと首輪を爆発させながら高速回復した。ということも考えられなくはない。
 事実、杏子自身も一度、首を断ち落とされたところから再生しているのだ。
 同じ魔法少女である彼女たちがそんなことをしている可能性も、考えられなくはない。


「……わかったよ、アンタの事情は。
 それと、あたしの友達のことも気にかけてくれて、ありがとう」


 圧し堪えた恐怖と、今後の顛末への不安に身を震わせるれいを抱きしめてやりながら、杏子は周囲の人物を見回した。
 一瞬れいは体を硬くしたが、暖かな杏子の抱擁に、少しずつ緊張をほどいていく。
 右隣に座るカズマ、そして向かいのソファーの狛枝凪斗、劉鳳、白井黒子という面々に向けて、杏子は真っ直ぐな眼差しで言い切った。


「……れいの言うことを信じるぞ。この子の友達を救いに、地下に乗り込む! それでいいな!」


 話を聞く限り、黒騎れいは有冨春樹ら、実験開催の主犯格によって踊らされた被害者だ。
 彼女は今となっては、杏子たち参加者と同じ立場にあると考えて差し支えないだろう。
 ほとんどの者は、その言葉に、一斉に頷いていた。


「……ちょっと待ちなよ。それはあり得ないだろ佐倉サン」

 そこに即座に異議を切り込ませたのは、狛枝凪斗だった。

「よしんば今の彼女の言葉が大部分本当だったとしても、彼女がモノクマと通じる二重スパイである可能性だって否定できない。
 ほいほい着いていったら、地下でモノクマたちに引き渡されちゃう可能性だってあるんだよ?」
「なっ……、そんな。そんなことは……」

 銀髪を振りたたせて弾丸のような言葉をぶち込んでくる狛枝に、必死の覚悟で懺悔し尽くした黒騎れいは、ただ涙をこぼしながら首を振ることしかできなかった。
 その仕草を気にもかけず、狛枝は淡々と筋道立った反論を付け加えてゆく。


「それに……、地下はもうヒグマだらけだ。既に朝から研究所はヒグマに制圧され、そして今度は内乱が勃発中。
 こんな状況で、そのエンジン管理だかしてる友達が生きてるという可能性は無きに等しいよね。
 一時の感情に動かされるべきじゃないと思うよ、みなさん?」


 茹で戻したわかめのように汗で顔に張り付いてくる長髪を吹き払い、狛枝は飄々と発言をそう締めくくった。
 人情を抜きにすれば、狛枝の謂いはまさに正論だ。
 苦々しい膠着に陥った空気の中、かろうじて白井黒子が、腕組みしたようなアルターの装束で言葉を絞った。

「……それでしたら狛枝さんは、今後どのように行動すべきだと、お考えですの……?」
「一度正体を隠してボクらを騙していた実績のある黒騎サンは、やはり信用できない。
 同行させず、ボクらはボクらで、白井サンの友達とかがいるらしい百貨店に向かうべきだと思うね」
「……ダメだ。こんなところに一人で放り出したら、ヒグマの餌になっちまうだけだ」

 初めから用意していたようにつるつると返答する狛枝へ、一層れいを抱き寄せて杏子が首を振る。
 それに対しても、狛枝の対応は素っ気なかった。


「そうなったらそれで当然の報いじゃないかな。もともとは黒騎サンの方が、ボクたち参加者を、そうしてヒグマの餌にしようとしてたんだ。
 いざ自分や友達がピンチになったからって手のひら返すなんて、身勝手過ぎると思わない?」
「おい……。もうそれ以上はやめろ!」
「そうだ……。黒騎さんは情報提供してくれただけでもありがたい。主催者処断の軽重と順番は、状況と折り合わせるべきだ」

 留まるところを知らない狛枝の弁舌に、ついにカズマと劉鳳が同時に食ってかかり始める。

「お前の言っていることは正しいかも知れねぇ。が、気にくわねぇ。
 少なくとも仲間を見捨てようとはしてねぇ時点で、この子の方がお前より信用できる!!」
「これ以上被害を大きくしないためにも、仮に黒騎さんが二重のスパイであったとしても、そばに付き添ってやった方がお互いのためではないだろうか?」
「カズマクンはまだいいよ。だけど劉サン、あなたはどの口で『これ以上被害を大きくしない』とかほざくんだ?」


 劉鳳に向けて狛枝が突き刺すのは、恨みと怒りに溢れた鋭い視線だった。

「白井サンたちに免じて言わないでおいてあげたんだけどさ。
 連絡を取る手段も、脱出する手段も、誘拐された人を救出する手段も、補給物資も何一つ持たず、ろくな情報も無しに無駄に戦いを大きくして死にに来ただけのあなたが、一番信用ならないしふざけてるんだ。
 仮にもあなた警察機構の一員なんだろ? テロの被害者を助けにきたはずが、テロ関係ないところで死にかけて、テロリストの一味と、救いに来たはずの被害者に逆に救われてるとか。
 こんな顛末のために税金払ってるんじゃないんだよボクら国民は。
 被害者は信じて助けを待ってるというのに。日本の国家権力はむしろ話をややこしくして無駄な戦火と消耗を巻き起こすだけとか。無能も無能。暴走も暴走。既に一回白井サンを死なせてる実績つきだし、笑えもしない。
 ……そんな人の提案を信用できるわけないだろ」


 立ち直りかけていた劉鳳の精神は、狛枝の発言に一発で撃沈された。
 膝から崩れて、乾いた地面に土下座のようにうずくまった彼は、嗚咽とともに謝罪を喚くだけだった。

「す、すまない、すまないぃ……。バカだった……、オレは役立たずのバカだった……!!」
「りゅ、劉鳳さん!? しっかりしてくださいまし……!!」
「な、何一つ否定できねぇが、これから変わりゃいいだろうこれからぁ!!」

 そんな劉鳳に慌てて黒子とカズマが駆け寄って声をかけ、狛枝は苦いため息をついた。
 そうして彼は、震える黒騎れいと、彼女を抱いて睨んでくる佐倉杏子の方へと向き直る。
 れいを守るように立ちふさがる杏子を、諭すようにして狛枝は語っていた。


「……とにかく。ヒグマと繋がってた黒騎サンと同行しているのは危険だ。
 どこまで信用できたかわかったものじゃない……」
「いいえ、それは大丈夫です! 彼女と同行しても危険性に大した違いはありません!!
 むしろSTUDY保有の情報が聞けて有用だと思われますよ!!」


 その時突如遠方から、聞きなれぬ男の声がかかっていた。
 一斉に北側の道へ顔を振り向けた彼らが見たのは、こちらへ平然と歩んでくる、3頭のヒグマの姿だった。


    ||||||||||


 突然現れた3頭ものヒグマに、ロビーでは全員が一斉に立ち上がっていた。
 声を掛けられて気付くまでのうちに、既にビルまでかなり接近されている。
 窓も扉も、『向こう側』から現れた左天という男がモノクマロボットごと吹き飛ばしてしまっていたので、ほとんど互いの状況は筒抜けだ。


「ラマッタクペ……?」


 カズマや白井黒子といった面々が進んで前に立って警戒する中、その3頭の先頭に立って、目を細めて微笑むようにしながら近づいてくるヒグマを、黒騎れいは訝しみながら見つめる。
 研究所で聞いたヒグマたちの情報を思い返す彼女を、ラマッタクペは二足歩行で余った前脚を広げるようにしながら紹介する。


「そちらは最近有冨さんに勧誘された黒騎れいさんですよね。
 彼女は美味しい味噌ラーメンと、故郷の世界を取り戻してもらえるという口約束に乗せられただけの被害者ですので、有冨さんの亡くなった今、もうあなた方参加者とほとんど違いはありません!」


 黒騎れいは困惑した。

 有冨との出会いをこのヒグマが知っているのはまあいい。どうせ彼が吹聴して回ったのだろう。
 しかしヒグマの聴覚は人間より優れているとはいえ、一体彼らはいつから私たちの話を聞いていたのか。
 そしてなぜ、ラマッタクペはわざわざ私を弁護するようなことを言っているのか。
 そんなことをして一体、彼らに何の得がある――?

 いきなり現れては趣旨の見えない言動をしつつ歩み寄ってくるヒグマに、身構えていた一同はめいめい首を捻る。
 彼らを恫喝したのは、佐倉杏子だった。


「おい、そこで止まれ!! アンタら、一体何が目的だ!!」
「アハハ、簡単なことです。僕は、あなた方に道を説こうと思っているだけですよ。早い話が布教です。
 れいさん、宜しければ僕らを紹介していただけませんか?」
「布教……?」


 ビルの窓辺から20メートルほど離れた位置で、にこやかに微笑みながら立ち止まったヒグマの言葉に、杏子は眉を顰めた。
 教会の娘である彼女には、ラマッタクペのその発言は妙に引っかかるものだった。

 黒騎れいは、衆目に促されるまま、やってきた3頭のヒグマを説明し始める。


「先頭の……、今喋っていた糸目のヒグマが、ラマッタクペ。アイヌ語で『魂を呼ぶ者』という意味で、生物の魂の所在を認知できる能力を持っている、とか……。
 それで、キムンカムイ教とかいう、ヒグマ自身を尊ぶ宗教の一員。らしいわ……」
「ええ、そう記録されていると思います。みなさんこんにちは。
 キムンカムイ教現教主のラマッタクペです。よろしくどうぞ」

 ラマッタクペは、黒騎れいの不安げな説明を、妙に含みのある言い方で肯定した。
 このやりとりを見ていた者のうち狛枝凪斗は、この瞬間に、このヒグマを信用してはならないと確信していた。

 ――このヒグマは、黒騎サンに自分たちの紹介をさせている訳では決してない。
 これは黒騎サンがどの程度まで情報を把握しているかを、確かめるための促しだ。
 慇懃に見える物腰に反して、明らかに腹中に謀略を呑んでいる。


「そして、その隣が、メルセレラ……。『煌めく風』とかいう意味の名前で、空気を温められるんだとか。
 ……同行してるということは、キムンカムイ教徒ということ、なのかしら……」
「今はそうね。ハァイ、私を崇めなさいよ、アイヌ(人間)」

 橙色に近い明るい毛並みのヒグマは、片脚を軽く上げて黒騎れいたちに挨拶した。
 その言葉になんと反応すればいいのか、人間一同は対応に窮した。
 結局、黒騎れいはメルセレラを無視して、その陰に隠れるようにしている、毒々しい紫色のヒグマを指さすことにした。


「最後に、あのヒグマは、穴持たず57ね……。
 あの色彩に即して、全身からトリカブトみたいな致死毒を分泌しているらしいので、絶対に触れないようにして……!」
「メルセレラ様から、ケレプノエ(触れた者を捻じる)というお名前をいただきましたー。
 皆様、よろしくおねがいいたしますー」
「うん、よくできたわねケレプノエ。えらいわ」
「えへへー」

 ケレプノエと呼ばれたヒグマは、二足歩行になってぺこりとお辞儀をする。
 そしてその彼女の頭を、隣のメルセレラが何の躊躇もなく肉球で撫でていた。

 ――触れてるじゃん。

 と、その時、黒騎れいを含めた人間全員が心中でそう思った。


「ほら、いかがです? 黒騎れいさんはよく情報をご存じですよ?
 同行していると役に立つと僕は思いますね!」

 ラマッタクペはその人間たちの狼狽に頓着せず、ニコニコとした表情を変えぬままだった。

 喋るヒグマがいるという話は聞いた。
 人間に理解のある、理性や知性のようなものがあるヒグマのことも聞いた。
 しかし、この場の人間には、それを話した黒騎れいも含めて、彼らの目的がさっぱりわからなかった。


「……それで、その新興宗教の教主サマ直々に、なんなんだよ。布教って」
「あ、そうですね。本題に入らせていただきましょう。
 我々は本日皆様に、自分たちが唯一無二のカムイ(神)であることを自覚していただきたくやってきたわけなのです」

 杏子が意味不明な状況にしびれを切らす。
 その発言を受けてラマッタクペが語り始めたのは、やはり理解困難な言葉だった。
 だが、直後発せられた情報に、杏子たちの間にはすぐさま緊張感が走る。


「皆様も、自分の近辺を嗅ぎ回っている、白と黒に塗り分けられた機械に困っていたことでしょう。
 地下のヒグマをも操り、島内はおろかゆくゆくは地上すべてを絶望に陥れようとしている黒幕がそれです。
 なので僕らもそれにどう対抗していくべきか腐心しているのですよねぇ……」


 その緊張感はすぐさま、静かな興奮に変わっていく。

 ――『モノクマ』という存在に気づき、畏れたヒグマたちは、参加者と協力しようとしているのか……!?

 と、その場の全員が、首を捻るラマッタクペの姿を見ながら、大なり小なりそう考えていた。

「その機械の勢力は着実に支配を広げていまして、地下のヒグマコタンの主だった方々も次々に各個撃破されようとしているところです。
 なので、そうアイヌ同士でいがみ合っていたらその隙を付け狙われるだけですよ?」
「……ど、どうすればいい!? どうすればその悪を倒し、皆を助け出せる!?」


 ラマッタクペが軽い口調で宣う言葉に大きく反応したのは、涙に満ち、開ききった瞳でうずくまる劉鳳だった。
 その叫びに満足そうに頷き、ラマッタクペは言葉を続ける。


「そこで皆様にお伝えしたいのが、僕らキムンカムイの教えです。
 カムイであるご自分の名前、そのラマト(魂)の本質を理解すれば、自ずとあなた方は更なるヌプル(霊力)を手に入れられます!
 自分自身を信じ、敵に立ち向かう力を得るのですよ!」
「……現世利益で、にわかに怪しさが増したぞオイ。ろくでもない宗派なら間に合ってるよ」


 敬虔なキリスト教徒でもある佐倉杏子は、気味の悪い多神教の教義がかいまみえ始めたところで、生理的嫌悪とともにそう吐き捨てていた。
 その彼女へ、ラマッタクペはにこやかに指を振りながら語りかける。


「そういうあなた……。佐倉杏子さんは、もう既に『カヌプ・イレ(己の名を知ること)』を成し遂げているではありませんか。立派に僕らの教義を実践してらっしゃる」
「はぁ!?」
「『プニ・イレ(己の名を上げること)』も、そしてつい先程、死地からの生還で『オトゥワシ・イレ(己の名を信じること)』も体得されましたか。
 ……なるほど、なかなか強いヌプルをお持ちでいらっしゃる。ですが惜しいですね。
 『プンキネ・イレ』まで身につけられていたら僕らともそこそこ戦えたでしょうに」
「意味わかんねぇ言葉で喚くんじゃねぇよ!!」


 アイヌ語で形作った用語を並べ立てるラマッタクペの笑いは、杏子の鼻について仕方がない。
 何を判別されているかも定かではないが、魂の奥まで見透かされているような得体の知れないねめつけに気分が悪くなる。
 黒騎れいを庇いながら片手で槍を構えて威嚇する杏子をしかし、ラマッタクペはもはや眼中に入れていなかった。
 品定めでもするかのように前脚の指を動かしながら、ラマッタクペの視線は首輪の名前を確かめつつ、人間たちの中をさまよった。


「……黒騎れいさんはカヌプ・イレしたばかり。そちらの女性もプニ・イレの途中ですね。
 狛枝凪斗さんは安定してオトゥワシ・イレしてらっしゃるので、『プンキネ・イレ』もすぐでしょう。
 ですがそちらの方は『プンキネ・イレ』に失敗して『レサク(名無し)』に逆戻りですか。そこまで見事に名前を失うと、カヌプ・イレし直すのは非常に難しいですよ。残念です。
 それにつけて一番『怖い』ヌプルをしているのは……、ははあ」
「あの『カズマ』ってアイヌね!!」

 ラマッタクペの言葉の最後を奪い、宣戦布告をするように前脚を突き出して、メルセレラが叫んでいた。
 その様子にラマッタクペは、指をさしかけていた脚をゆっくりと戻す。
 彼が指そうとしていたのは、カズマではなく、黒騎れいの肩――。その上にとまる、一羽のカラスだった。
 しかしそれでも何事もなかったかのように、彼は微笑み続けたままメルセレラに応えた。


「ええ、あのカズマさんは『プンキネ・イレ』までは至っていますね。ここのアイヌの中では一番シヌプル(霊力が強い)ですよ」
「良いわね。すごく良いわね。そんなアイヌに崇めてもらえれば、アタシの素晴らしさも証明されるってものよね」
「なんだ……? 何を言ってやがるてめぇら……」


 シェルブリットの金色の拳を構成して戦闘に備えているカズマが、まったく理解の追いつかないヒグマたちの会話に、眉を顰めながら尋ねた。
 その言葉に、ラマッタクペは肩をすくめる。


「結局ですね。僕らとあなた方で、協力して黒幕を倒しませんか、と、お誘いをしているわけです」
「……それならまだわかる」
「で、僕らキムンカムイと協力したいなら、あなた方自身もカムイであることに気付き、その上で、僕らキムンカムイがその中でも最も『高貴な』カムイであることを認めていただきたい。ということなのです」
「……それがわからん」

 低く声を絞り出したカズマに、メルセレラが嬉々とした表情で前へと進み出ながら叫んだ。


「要するに、どちらが上か下か、身の程を弁えてもらうってことよ! 良いわね!」
「……なんだ。要するに、ケンカか。ご丁寧に俺をご指名でよ……」


 強さを競い合う。
 そして、敗者が勝者の下について、全面的に従う。
 黒幕に挑む『群れ』を作るための『序列』を、それで最初からはっきりさせておきたいのだろう。
 と、カズマたちはこのヒグマたちの意向をそう捉えていた。

 そう理解した瞬間、カズマは窓枠を飛び越えて、ビルの外のヒグマたちの方へ歩み寄り始めた。


「ちょっ、ちょっと待てカズマ! お前、一人であんな危なげなヒグマたちとやり合うつもりか!?」
「心配すんな杏子。強弱ハッキリ示すためのケンカだ。誘いに乗って、叩き潰してやりゃ済む。
 どっちが群れのボスになるべきなのか教えてやるさ。目的は俺なんだろ?」
「そうね。あんたがここじゃ一番強いんだろうから、あんたとの代表戦で、アタシが崇められるべきことが、自ずとわかるでしょうよ!」


 杏子には、単身で挑みに行くカズマの行動が不安でならなかった。
 大筋で、カズマの解釈は正しいものなのだろうが、ラマッタクペとメルセレラが語っている言葉との間には、依然として若干のズレが存在しているように感じられる。

 狛枝凪斗が語っていた、ヒグマと同行する巴マミの例もある。
 研究所で様々なヒグマを見てきた黒騎れいの例もある。
 杏子としては、物分りがあるのなら、そういうヒグマと行動するのが別段嫌なわけではない。
 人間にだって人殺しはいるし、ヒグマにだって人間を襲わない者はいるだろう。
 誰が集団の指揮権を持つのかを実力で決めることに対しても、反論があるわけではない。

 しかし、果たしてこれは、本当にそんな『試合』のような代表戦なのか。
 果たしてこれは、本当にそんな『強弱』を確かめるための行為なのか。
 それがわからなかった。


 杏子は、抱き寄せている黒騎れいと顔を見合わせると、彼女をロビーに残してカズマの後を追う。
 続けて、白井黒子、劉鳳もビル外に出てくる。

 衆人環視の中央で、一人の人間と一頭のヒグマが、笑顔で睨み合っていた。


    ||||||||||


「黒騎サン……。『キムンカムイ教』って言ったよね……。彼らの真の目的は何にあると思う?
 もう少し情報を教えてくれないかな……?」

 通りで戦闘を始めようとしているカズマたちの動向に息を飲んでいた黒騎れいに、すぐ背後から低い声で狛枝凪斗が囁きかけていた。
 恐怖と驚きで一瞬飛び上がりかけたのを抑えて、れいは彼に囁き返す。


「……情報と言っても……。私は信用できないんじゃなかったの、狛枝凪斗……」
「そうだよ。同行できるような信頼をキミには置けない。そしてヒグマと同行するなんてなおのこと有り得ない。
 普通に考えれば、それはヒグマ側にとっても同じだ。薄気味悪い宗旨を持ち出してくるような輩が、人間の下につく可能性のある行動なんてとらないだろう。
 『黒幕を倒すために協力』という概念はあり得るにしても、異種族異文化の集団同士で同一行動なんてどだい無理だということは、ちょっと頭が良ければわかるはず。良くて情報交換までだ」
「人間の下につく可能性……」


 黒騎れいが思い返すに、ヒグマは確かに、ほとんどが誇り高い生き物であった。
 自らを地上最強の生物であると信じて疑わない者や、堂々たる決闘を求めてやまない者もいた。
 実際、先程ラマッタクペも、『僕らキムンカムイがその中でも最も「高貴な」カムイである』と発言している。


「そもそもが、『絶対に人間などには負けない』という自信か根拠があるんじゃないかしら……」
「そうなんだろう。事実、あのメルセレラというヒグマは、致死毒のあるらしいヒグマに触れても無事だった」
「わ……、私の情報は間違っていないはずよ……!?」
「そうだ。黒騎サンの情報の信憑性は、あのラマッタクペというヒグマ自身が保証した。
 『研究所の人間には』、そういう認識をされていたんだろう。
 つまり、このキムンカムイ教徒は、今までずっと研究所の人間を騙し通してきたか、もしくは人間が把握して以降に自分の性質を大幅に変異させた、という実力を持っているんだ」


 狛枝凪斗の考察には驚きこそすれ、それは決して有り得ないものとは黒騎れいには思えなかった。
 だがそうであったにせよ、果たして、自分を襲った羽根ヒグマの男などを、ビル街の大破壊とともに倒したらしいカズマを名指しして、あの自信はなんだというのだろうか。

「……キムンカムイ教には、独自の強さの判断基準があるようだね。
 下から順に、『レサク』、『カヌプ・イレ』、『プニ・イレ』、『オトゥワシ・イレ』、そして『プンキネ・イレ』……。
 魂の所在を認識する能力とかいうが……、かなり正確に実力を把握されていた感じはするね」
「……そうなのかしら……」

 ラマッタクペの口走っていた用語を、強さの尺度として並べた場合、カズマを指してその最上位に持ってきたのはわかる。
 しかし、その次に値する者に、佐倉杏子とともにこの狛枝凪斗が入っているというのはどういうことなのか。
 狛枝凪斗は明らかに一般人だ。特殊な魔法や技能があるようには見えない。
 単純な力で言えば、彼が上位に存在することなどは有り得ないだろう。
 だとすればこれは、一体何の尺度なのか。


「……メルセレラも、本当に、空気を数度温める程度の特殊能力しかないと聞いたわ。
 『性質を大幅に変異させた』としても、どうやって。どんな形に……?」
「今から、その知りたくもない理由と結果が明かされるんだろう……。もはやカズマクンが返り討ちにしてくれるのを祈るのみだよ……」


 狛枝凪斗は、黒騎れいの背後から、来た時と同じように静かに引き下がり、ヒグマたちから何時でも逃げられるようにデイパックを抱えなおしていた。


「じゃあ準備は良いわね! カズマ、アタシのチカラがわかったら崇めなさいよ!!」
「悪ぃがその前にぶっ潰す!!」

 ビルの内外から見守られる中で、メルセレラが心底嬉しそうに叫んでいた。
 それに呼応するように、カズマが右手の甲のシャッターを開き、その中に空気を取り込むようにしてエネルギーを溜め始める。

 肌に突き刺さるような彼の気迫を受けて、メルセレラは朗らかに笑った。


「わかったわ! じゃあ遠慮なく行くわね!!」


 その言葉が辺りに響いた瞬間だった。


「輝け――」


 そう言いながらシェルブリットを起動させようとしていたカズマの体が、爆発した。
 両肺の内側から、肋骨をポップコーンのように弾けさせて、心臓と共に花火のように肉塊が辺りに飛び散った。
 気管を伝ったらしい爆風が、彼の首を後ろにのけぞらせ、口から火を噴くようにして、真っ赤な血飛沫を吹き上げていた。

 そして彼は、胸の中身をがらんどうに開け放したまま、よろよろと数歩ふらつき、仰向けに倒れた。
 暫くの間、誰も今起きたことを理解はできなかった。
 その場を沈黙が支配した時間は、数十秒にも、数時間にも感じられた。

 次に聞かれた音は、愕然とした表情で呟いた、メルセレラの声だった。


「えっ――。うそ。これで終わり……?」


 彼女の声に続いて、佐倉杏子と劉鳳の絶叫が辺りを埋める。

「か、カズマァァァァァァァァァァァァ!?」
「う、うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「嘘でしょラマッタクペ!? あれくらいで終わりなんて!! これじゃあアタシは崇めてもらえないじゃない!!」

 慌てふためくメルセレラに向けて、杏子が瞬時に巨大な槍を生成し、突き殺さんとして走りかかっていた。


「てめぇえ!! よくもカズマをォッ!!」
「ねぇラマッタクペ! 本当に『プンキネ・イレ』ならあれくらい防げるでしょ!?」


 しかしその瞬間、槍を掴んでいた彼女の右腕は、ほとんど何の前触れもなく爆発して吹き飛んでいた。
 大口径の拳銃を押し当てられた状態でぶっ放されたような、そんな衝撃だった。

「ぐ、あ、あっ……!?」

 メルセレラは、一瞬杏子へ視線を振り向けただけだった。
 焦げた骨肉を露出させて血を滴らせる自分の下腕を押さえ、杏子は道路に膝崩れとなる。
 一連の様子を瞠目して見つめていたその他の人間は、もはや動くこともできなかった。


「……まぁ大丈夫ですよメルセレラ。まだカズマさんはカントモシリ(天上界)に行っていません」
「……て、め、え……、きょ、う、子に、手、出しやがった、な……!!」


 笑顔を保ったままのラマッタクペが、もったいぶった調子でメルセレラに答えた。
 それと同時に、後ろを向いていたメルセレラの背後で、声が立つ。

 カズマが、全身に虹色の粒子を纏わせつつ、立ち上がっていた。
 口内に残った煤と血を吐き捨てて、構えを取り直した彼の肉体は、金色の獅子のような鎧に覆われていた。
 肺と心臓を始めとする胸部臓器を、アルター化して再々構成したのだった。
 それを見たメルセレラの顔が、一気に明るくなる。


「わっ、カッコイイ! なんだ。復元できるなんて便利なハヨクペ(冑)じゃない!
 それで、どうだった? アタシの素晴らしさはわかったでしょ!?」
「ふざけんじゃねぇっ!! ぶっ殺してやらぁぁあああああぁっ!!」


 先導者を決めるための勝負だと考えていたカズマにとって、メルセレラの一連の行為は明らかに殺人目的の裏切りと奇襲にしか思えなかった。
 事実、エイジャの赤石と共鳴してアルター能力が増幅されていた彼でなかったならば、一瞬で心臓と肺を同時に破壊するメルセレラの攻撃から生還することなど到底できなかっただろう。
 もはやヒグマは、協力し合えるような話の通じる存在ではない。
 明確に、彼にとっての、敵であった。


「佐倉さん!! 危ないですわ!!」


 一帯に輝きと爆風を撒き散らし、カズマは怒り狂ったようにそのヒグマへ突撃していた。
 その攻撃と同時に、危険を察知した白井黒子がその髪の触鞭で劉鳳と杏子を捕え、ビルのロビーまで瞬時にテレポートする。
 広範囲を巻き込むようなシェルブリットの爆風は、標的となっていたメルセレラにも、ラマッタクペにも、上空に急速に移動されることで回避されていた。
 ビルのロビーで伏せる人間も、その突撃でダメージを受けることはない。

 唯一そのカズマの攻撃の影響を喰らったのは、避ける手段を持たずにまごついていたケレプノエただ一人だった。


「き、ぁ……」
「ケレプノエ――っ!?」


 爆風の煽りを受けて遠くのビルの壁に叩き付けられた彼女は、気を失って地に崩れていた。
 その様子に、上空に浮遊したままメルセレラが悲鳴を上げる。
 メルセレラはそのまま、隣で哄笑を上げて浮いているラマッタクペに対して叫びをぶつけていた。


「ラマッタクペ!! こんなの、『プンキネ・イレ』を会得したアイヌのやることじゃないでしょ!? どういうことなのよ!!」
「アハハハハハハハッ!! そうですねぇ!! たった今、メルちゃんのおかげで、彼がようやく足を掛けていた『プンキネ・イレ』は崩れました!!
 もともと彼の到達は、佐倉さんの助けがあって成し遂げられていたものですしねぇ!!
 あなたこそ、加減していたとはいえちょっと軽率に過ぎましたね!!」
「あんた――!! 最初からこれを狙って声を掛けさせたのね!?」
「さぁ? 僕は今のところ常に正しいことしか言ってませんけれど、少なくとも、メルちゃんは僕を信じるべきではなかったんですよ?
 僕らは常に自分を信じなきゃ。自分の信じたものこそが、正しい道ですよ、メルちゃん」
「――略すなぁァァッ!!」


 内輪の者にしか理解できないだろう、それでいて、非常に切実な内容だと思われる会話の応酬を、彼ら2頭は空中で交わし合った。
 そしてすぐさまメルセレラは、地上に急降下してケレプノエに駆け寄る。
 そこへ、突撃から折り返してきたカズマが、再び大量の光を身に纏って拳を振りかぶってくる。


「――卑怯者がぁぁああああっ!! 砕けろォォォォッ!!」
「どっちがウェンペ(悪人)よ!! ケレプノエを、巻き込むなぁぁぁぁ!!」


 メルセレラは自ら、カズマの突進に真正面から突っ込んでいった。
 突撃するカズマの近傍に、何度も小爆発が発生する。
 金色の鎧が吹き飛び、骨肉が崩れ、勢いが弱まる。
 それでも、カズマの眼光は、握り拳は、緩まなかった。


「真ん前から打ち砕く!! 俺の自慢の、拳でぇぇッ!!」
「このっ――、エパタイ(馬鹿者)――ッ!!」


 メルセレラの吹き出す猛烈な熱風を裂いて、カズマの拳が突き出される。
 その金色の拳は、メルセレラの腹部にめり込み、彼女の巨体を後方に吹き飛ばしていた。

「ガッ、ハァ――」

 ビルの壁に叩き付けられ、彼女もまた、地に伏した。
 そして殴りつけた拳の先から、カズマのアルターの鎧にはピシピシとひびが入り、瞬く間に崩落する。
 力尽きたように、肩で息をしながら、カズマもまた道路に膝をついていた。


「はあっ……、クソ、無事か、杏子……!?」
「あ、あたしは、大丈夫だ……。回復魔法を使う……!」
「ケ、ケレプノエ……。行きましょう……。もう、こんな奴らと、いられない……」


 塵埃の吹き込んだビルのロビーから佐倉杏子が身を起こした時、壁に叩き付けられていたメルセレラも身を起こし、すぐ傍に転がっていたケレプノエを抱きかかえ、走り去ろうとしていた。
 カズマのシェルブリットの勢いは、大部分が彼女の風によって相殺され、メルセレラに明確なダメージを与えるまでに至ってはいなかった。
 そのヒグマの行動に気付いてすぐさま、カズマは彼女の後を追おうとした。


「こ、この、待ちやがれヒグマ……ッ! 叩き殺してやる……ッ!!」
「は~い、そこまでですねぇ~」
「――ごあっ!?」


 そうしてカズマが立ち上がった瞬間、重力のようなものが暴力的な勢いで、彼の頭を道路のアスファルトに叩き付けていた。
 その現象は、ビルの中で立ち上がり始めていた全ての人間にも等しく引き起こされる。


「ぐはっ!?」
「な、なんだい、これは――!?」
「う、動けませんの……!!」
「か、カズマ! 大丈夫か――!?」
「れい、胸をどかしなさい!! 潰れてしまいます!!」
「そ、そんなこと、言われても――」


 カズマ、劉鳳、狛枝凪斗、白井黒子、佐倉杏子、カラス、黒騎れいの全員が、五体を押さえつけてくる謎の力に、床に這いつくばるを得なくなっていた。
 それは、微笑み続けるラマッタクペが引き起こしている現象である。
 彼は悠然と空中から降りて、必死に見上げてくるカズマの前に立っていた。


「いやはや、ご協力ありがとうございますアイヌの皆様方。ですが、ここでメルセレラたちを追うのはやめた方が良い。耳と耳の間に坐ることになりますから。
 まぁ、このままでは遅かれ早かれそれは同じだと思いますけどね。アハハハハ」
「て、めぇ……!! 何がしたかったんだ!! 何が『協力』だ!?
 てめぇらにも俺たちにもまるっきり損しかねぇケンカを吹っかけて、何が目的だったんだ!?」
「え? 勝手にケンカにしてしまったのはあなたじゃないですか、カズマさん。
 僕らが遠慮してなかったら、そもそも『プンキネ・イレ』に片脚を突っ込んだ程度のアイヌさんが、『ピルマ・イレ』に至ったキムンカムイと対等な勝負になるわけないんですから――」


 彼らの声が次第に遠くなっていく中、メルセレラは、ケレプノエを抱えて、必死に街中を逃げ去っていた。
 彼女の目に湧き出してくるのは、涙だった。


 ――今日は違う。
 ――今日アタシはやっと、褒めてもらえる。
 ――アタシはやっと、自分を認めてもらえる。
 そう、思っていた。


「それが……。それが、どうしてこうなるの……? アタシがいくら『己の名を守っ』ても、誰も……。
 誰もアタシを、崇めてはくれない……。これじゃあアタシは、『己の名を告げ』たり、できないわよ……」


 メルセレラの脳裏には、かつて浴びせられた数々の罵声が、滲んでゆく視界に流れてゆくだけだった。
 まだ聞かされずにいる、ただ自分の名を認めてくれる声を求めて、彼女は走り続けた。


【F-6 市街地/午後】


【メルセレラ@二期ヒグマ】
状態:疲労(中)
装備:『メルセレラ・ヌプル(煌めく風の霊力)』
道具:無し
基本思考:このメルセレラ様を崇め奉りなさい!
0:手近なところから、アイヌや他のキムンカムイを見つけて自分を崇めさせる。
1:ヌプル(霊力)のぶつけ合いをしても、褒めてもらえなかった……。どうすればいいの?
2:アタシをちゃんと崇める者には、恩寵くらいあげてもいいわよ?
3:でも態度のでかいエパタイ(馬鹿者)は、肺の中から爆発させてやってもいいのよ?
4:ヒグマンはヒグマンで勝手にすれば?
[備考]
※場の空気を温める能力を持っています。
※島内に充満する地脈の魔力を吸収することで、その加温速度は、急激な空気の膨張で爆発を起こせるまでになっています。


【ケレプノエ(穴持たず57)】
状態:気絶
装備:『ケレプノエ・ヌプル(触れた者を捻じる霊力)』
道具:無し
基本思考:キムンカムイの皆様をお助けしたいのですー。
0:メルセレラ様のお手伝いをいたしますー。
1:ラマッタクペ様はカッコいいですー。
2:ヒグマン様は何をおっしゃっていたのでしょうかー?
3:お手伝いすることは他にありますかー?
[備考]
※全身の細胞から猛毒のアルカロイドを分泌する能力を持っています。
※島内に充満する地脈の魔力を吸収することで、その濃度は体外の液体に容易に溶け出すまでになっています。
※自分の能力の危険性について、ほとんど自覚がありません。


    ||||||||||


「――シサム(和人)のアイヌさんにもわかりやすいように、日本語で説明してあげましょうか」

 カヌプ・イレとは、己の名を知ること。
 プニ・イレとは、己の名を上げること。
 オトゥワシ・イレとは、己の名を信じること。

「大部分のアイヌさんはですね、オトゥワシ・イレに至った段階で、自分は高みに上り詰めたと、思い込んでしまうんですよね。まぁ実際、大抵のことならそれで十分切り抜けられるんですが。
 その盲目さの原因は、プンキネ・イレが、あまりに地味で目立たないくせに大変な労力のかかることだからだと僕は思ってます。その成果も目に見えづらいですしね。
 オトゥワシ・イレの先の信心を見出したアイヌさんも、大抵見据えるのは、プンキネ・イレをすっ飛ばしたピルマ・イレの段階です。
 ですが、プンキネ・イレをおろそかにしたその歩みは、確実に失敗します」


 ニコニコとした笑みを崩さず、這いつくばるカズマの上に身を屈めて、ラマッタクペは滔々と説明をしていた。
 ギリギリと歯噛みをして立ち上がろうとするも、カズマの肉体は、指先一本までが巨石に押さえつけられたかのようになっており、動かなかった。


「プンキネ・イレとは、『己の名を守ること』です。
 ここの過程が、恐らく、初めてカヌプ・イレする時と同じかそれ以上に難しい。メルちゃんもたいそう難儀してますよこれに。
 なので彼女とお手合わせ頂き、ご協力ありがとうございました」
「初めから……、俺たち全員を、戦って、殺すつもりだったのか……!?」
「え? 何を言ってるんですか? お手合わせはお手合わせなだけです。
 僕が殺すつもりならとっくにイヨマンテしてます。
 初めから言ってるじゃないですか。黒幕に対抗する方策なんだって。
 カズマさんたちもせいぜい頑張って下さいね。陰ながら応援しておきますよ」


 ラマッタクペの笑い声に、カズマは身を震わせながら立ち上がろうとする。
 その右肩に、金色のプロペラを作り、その右腕に、金色の拳を握り、カズマは吠える。


「わけわかんねぇこと言いやがって……!! 要するに、てめぇらをぶっ倒せるくらい、俺にも強くなれって、そう言ってるってことか……!?」
「6割がた正解だと言っておきましょう! そう解釈してもらっても一向に構いません!
 カズマさんもご自身を信じてくださいね!!」
「よしわかった!! ぶっ潰す!! 今すぐに、落とし前、つけさしてやらぁああああっ!!」


 カズマは叫びながら、そのシェルブリットの拳で大地を叩いていた。
 反動で飛び上がりながら、カズマはその背のプロペラを高速で回旋させてゆく。


「輝け――! もっと、もっとだ!! もっと、輝けぇぇぇ――ッ!!」


 緑色のアルター粒子の風を纏い、カズマは一気に急降下し、地上のラマッタクペに向けてその拳を叩き込もうとしていた。
 しかし、彼の高度は、一向に下がらなかった。
 今度は地上の重力から完全に切り離されてしまったかのように、むしろ天に向けて引っ張られているかのように、彼の体はどんどん加速しながら上昇を続けていた。


「なっ――!? なんだ、なんだよ、これは――!?」
「アハァ、ハヨクペを着たままカントモシリ(天上界)に旅するというのも乙なことじゃありませんかねぇ~。
 カズマさんはゴクウコロシとの戦い含めて天上は2度目ですか。まぁ、僕はゴクウコロシと違って片道切符しかあげませんので。降りるんなら自分で降りてくださいね~」
「カ、カズマアァァァァ――!?」


 雲を突き破って空の高みに消え去ってゆくカズマの姿を仰ぎながら、ラマッタクペは朗らかに笑っていた。
 その光景に、佐倉杏子の絶叫が重なる。
 必死に地を這いながら、彼の救出に向かおうともがく杏子の左手に、ふと誰かの髪の毛が触れた。


「……さ、佐倉さん! 槍、出せますわよね……!! カズマさんに気を取られている隙に、私があなたと一緒にテレポートしますの!!
 その時に、後ろから、あのヒグマを……!!」
「あ、ああ――!!」


 囁きかけてきたのは、絶影の体で触鞭を伸ばす、白井黒子だった。
 その微かな言葉に、杏子は頷きながら、無事な左手に大槍を作り出していた。

 そして次の瞬間彼女たち二人は、ビルの外の空中、明後日の方向を見上げるラマッタクペの背後を落下していた。
 その重力の加速、そして自分たちの体重全てを槍の穂先に乗せ、杏子と黒子はそのヒグマの背を、音もなく切り裂こうとした。


「……残念ですが、作戦が丸聞こえなんですよね~。僕、これでもキムンカムイなので」


 しかし、槍が彼を貫こうとした瞬間、杏子と黒子はその体に、二方向から強烈な引力を感じていた。
 上半身は、天上に引っ張られるように。
 下半身は、地下に吸い込まれるように。
 抗いようもない強烈な力が、彼女たちの身体を捩じ切った。


「『ウエコホピケゥ(離れ離れになる体)』……」


 ラマッタクペは振り向くことさえなく、微笑んだままそう呟くのみだった。
 その背後で、ドサドサッ、と、2つずつに別れた2人の肉塊が地に落ちる。


「ガッ……、ぐ、あァ……!?」
「うっ……、くぅううっ……」
「わかりましたか、佐倉杏子さん? オトゥワシ・イレ程度では、僕らが少しヌプルを強めたらこうなってしまうんですからね?
 今後あなた方が戦う相手は、これくらいの相手になってくるのですから、自分を信じ、アイヌ同士でいがみ合わないようにしておきましょう。
 幸いお二方とも、ハヨクペの修復ができるヌプルをお持ちのようなので、こちらは授業料として遠慮なく頂いておきますね。
 お疲れ様でした~」


 ラマッタクペは、上下半身が引き千切られて悶え苦しむ彼女たちに歩み寄り、佐倉杏子の、赤いスカートを纏った下半身を抱え上げて、にこやかにそこから立ち去って行った。

 暫くして、ビル内に残っていた黒騎れい、劉鳳、狛枝凪斗が謎の重力から開放されて起き上がったのとほぼ同時に、カズマが上空から道路に落下して気を失っていた。
 気を抜けば宇宙の彼方まで吹き飛ばされていたかもしれない斥力に、シェルブリットのアルター粒子噴射で抗い続けていた彼の気力は、もはやほとんど底を突いていた。


【F-4 市街地/午後】


【ラマッタクペ@二期ヒグマ】
状態:健康
装備:『ラマッタクペ・ヌプル(魂を呼ぶ者の霊力)』
道具:無し
基本思考:??????????
0:メルちゃんはせいぜいヌプルを高めてください!
1:佐倉さんとカズマさんは気づきますかねぇ。そこでキムンカムイを怨むと、死にますよ?
2:キムンカムイ(ヒグマ)を崇めさせる
3:各4勢力の潰し合いを煽る
4:お亡くなりになった方々もお元気で!
5:ヒグマンさんもどうぞご自由に自分を信じて行動なさってください!
[備考]
※生物の魂を認識し、干渉する能力を持っています。
※島内に充満する地脈の魔力を吸収することで、魂の認識可能範囲は島全体に及んでいます。
※当初は研究所で、死者計上の補助をする予定でしたが、それが反乱で反故になったことに関してなんとも思っていません


    ||||||||||


「大丈夫……、佐倉杏子……!?」
「まぁな……。魔女呼ばわりも我ながら納得だわ……、腹から下全部持っていかれてよく生きてるよなあたし……」
「それを言ったらアルターの再生能力も半端じゃありませんの……」

 ロビーのソファーに身を起こした杏子の隣で、黒騎れいが不安そうな顔を向けていた。
 反対のソファーでは白井黒子が、修復されきった自分の肉体をしげしげと眺め回している。

 佐倉杏子の肉体は、ソウルジェムの大幅な濁りと引き換えに、赤い魔法少女衣装ごと完全に元通りとなっていた。
 彼女が立ち上がり見下ろすのは、ローテーブルに横たえられた一人の男。
 表立った傷はアルター能力で修復されていても、連戦に次ぐ連戦の疲労困憊でついに気絶してしまった、カズマだ。
 劉鳳と狛枝凪斗が、タオルで彼の汗を拭ってやったりして世話してはいるが、彼の本質的な憔悴はどうしようもないだろう。


「カズマは大丈夫だろうか……」
「……何か冷たい飲み物でも給湯室から探してくるよ。黒騎さん、手伝って」
「え、ええ……」

 ヒグマに大敗北を喫したライバルの姿に歯を噛む劉鳳へタオルを預け、狛枝は黒騎れいと連れ立ってロビーを後にした。
 残された劉鳳に、黒子がそっと寄り添う。


「……今までずっと奮戦されてきたんですもの……。仕方ありませんわ……」
「そうだ。本来なら俺も、こいつの代りに戦って、人々を救ってやらなくてはならなかったのに……。
 クソッ……。地球温暖化のせいかと同情しかけてやっていたのに……。ヒグマめ……」
「……地球温暖化?」

 黒子の疑問を流して、彼は大きな声で叫んだ。


「頼む、白井黒子……! 俺は多分、あのヒグマが言ったように、大きく弱体化した。
 俺の体術だけではとても、あんなヒグマたちに敵いはしない。必ず、奴らを倒し、勝ってくれ……!!
 絶影の技術は全て伝授する……!!」
「劉鳳さん……、わかりましたわ。お聞きしますの」

 黒子は、劉鳳の頼みを聞くというよりもむしろ、度重なる精神的ショックで崩壊しかかっている彼の心を落ち着けるために、慈しむような傾聴の態度に入っていた。
 そんな彼らの姿を見ながら、佐倉杏子はふと考える。


 ――果たして、彼らヒグマを倒すことに、勝つことに、何の意味があるのだろうか。


 彼らは、『布教』をしに来たと言った。
 もし、『捕食』や『殺し合い』をしにきたのならば、自分たちはあの場で全員殺されていたはずだ。
 それを、ラマッタクペというヒグマは、全員を、痛めつけながらも確実に死なないようにして返した。

 自分たちの実力を正確に把握し、それ以外の情報も大量に保有しているようなヒグマだ。
 彼の言うとおり、黒幕である例のロボットの一群に対抗するための考えがあることは確かだろう。
 しかし同時に彼は、『僕は今のところ常に正しいことしか言ってませんけれど、少なくとも、メルちゃんは僕を信じるべきではなかったんですよ?』とも発言している。

 正しいのに、信じるべきではない。
 というのは一見、矛盾した言葉だ。


 ――だが、正しさなんて、人によって、容易に変わる。


 自らの父が、その『正しい』教義を世に広めようとして、世の『正しい』教義に叩きのめされた経験を持つ杏子にとっては、苦々しい記憶と共に身に染みるものだった。
 真っ向からその巨大な存在に立ち向かったら、簡単に敗北する。
 勝ったとしても、カズマが切り開いたような、捨て身の辛勝になることは間違いない。
 その後の津波に、布教に、宇宙旅行に、とてもじゃないが次々と対処はし切れなくなっていくだろう。


 ――正しさを決めるのは、あくまで自分。情報は、自分で取捨選択しなくてはならないんだ……。


 自らを『悪』だと嘆く、かつては『正義』の塊だった目の前の男を見ながら、杏子の心にかかるのは、ある一点だった。


 ――彼らは、狛枝凪斗を、あたしと同格か、それよりもむしろ上位の実力者だと判断した。
 ――その基準は、一体、なんだったんだろうか……。


 脱出のため。
 主催者打倒のため。
 その本来の目的への標を求めて、杏子は自分の名の奥深くに、耳を澄ませた。


【F-5 市街地/午後】


【カズマ@スクライド】
状態:気絶、石と意思と杏子との共鳴による究極のアルター、ダメージ(大)(簡易的な手当てはしてあります)、疲労(大)
装備:なし
道具:基本支給品、ランダム支給品×0~1、エイジャの赤石@ジョジョの奇妙な冒険
基本思考:主催者(のヒグマ?)をボコって劉鳳と決着を。
0:ヒグマたちには絶対落とし前をつけさせてやる!!
1:『死』ぬのは怖くねぇ。だが、それが突破すべき壁なら、迷わず突き進む。
2:今度熊を見つけたら必ずボコす!!
3:主催者共の本拠地に乗り込んで、黒幕の熊をボコしてやる。
4:狛枝は信用できねえ。
5:劉鳳の様子がおかしい。
[備考]
※参戦時期は最終回で夢を見ている時期


【佐倉杏子@魔法少女まどか☆マギカ】
状態:石と意思の共鳴による究極の魔法少女
装備:ソウルジェム(濁り:大)
道具:基本支給品、ランダム支給品×0~1
基本思考:元の場所へ帰る――主催者(のヒグマ?)をボコってから。
0:これからの戦いに必要な心構えは、結局なんなんだ?
1:たとえ『死』の陰の谷を歩むとも、あたしは『絶望』を恐れない。
2:カズマと共に怪しい奴をボコす。
3:あたしは父さんのためにも、もう一度『希望』の道で『進化』していくよ。
4:狛枝はあまり信用したくない。けれど、否定する理由もない。
5:マミがこの島にいるのか? いるなら騙されてるのか? 今どうしてる?
[備考]
※参戦時期は本編世界改変後以降。もしかしたら叛逆の可能性も……?
※幻惑魔法の使用を解禁しました。
※この調子でもっと人数を増やせば、ロッソ・ファンタズマは無敵の魔法技になるわ!


【劉鳳@スクライド】
状態:進化、アルターの主導権を乗っ取られている、疲労(中)
装備:なし
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:参加者を助け、主催者(ヒグマ含む)を断罪する。
1:ヒグマ……、許せん……。
2:白井黒子に絶影の操作を教える。
[備考]
※空間移動を会得しました
※ヒグマロワと津波を地球温暖化によるものだと思っています
※進化の影響で白井黒子の残留思念が一時的に復活し、アルターを乗っ取られた様です


【白井黒子@とある科学の超電磁砲】
状態:絶影と同化、アルターの主導権を握っている、疲労(中)
装備:なし
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:参加者を助け、主催者(ヒグマ含む)を断罪する。
0:島の状況と生存者の情報収集。
1:御坂美琴、初春飾利、佐天涙子を見つけ保護する。
2:劉鳳さんをサポートし、一刻も早く参加者を助け出す。
[備考]
※進化の影響で白井黒子の残留思念が一時的に復活し、劉鳳のアルターと同化した様です


    ||||||||||


「……電気が、落ちてる。いつの間に……」

 狛枝凪斗が、給湯室の冷蔵庫の中を開けてそう呟いていた。
 庫内ライトがつくはずの冷蔵庫は、開けても真っ暗なままだった。

 昼間だからと電灯をつけてはいなかったが、室内の照明をつけようとスイッチをいじっても、光はつかなかった。


「本当ね……。元からここのブレーカーが落ちてたとか、そういうわけでも、ないかしら?」
「いや……、中の飲料はまだ冷えている。切れたのはついさっきだ」
「ついさっきからの……、停電!?」

 庫内からアイスティーのペットボトルなどを取り出していた狛枝の言葉に、れいの脳裏には背筋の冷えるような予感が掠めていた。

「ま、まさか、示現エンジンに何か――!?」
「そうに違いありません!! すぐに様子を見に行かねば……!!」
「させないよ」


 黒騎れいの狼狽に、慌ててその肩からカラスが飛び立とうとした。
 その瞬間、カラスの両脚を蛇のように狛枝凪斗の左手が捉え、地面に叩きつけた。
 押さえ込んだその頭部に、右手で拳銃の銃口が突きつけられる。
 一瞬の出来事に呆然とするれいへ、狛枝は暴れるカラスを抑えながら低い声で尋ねた。


「は、離しなさい!! 何をするのですかあなたは!!」
「ねぇ……、もう少し情報を教えてよ黒騎サン……。さっきこいつが喋った『パレキュア』とかいう嘘設定も、あながち全部が嘘ではないんじゃない……?」
「え……!?」
「ラマッタクペは、一番『怖い』ヌプルを持った相手として、カズマクンではなくこのカラスを指そうとしていた。
 彼の洞察力は確かなものだと見ていい。こいつはともすればモノクマと同格の絶望の根源かもしれない。
 こいつは一体、どんな生物なんだ? 黒騎サンも、こいつに踊らされていたわけじゃないのかい?」


 狛枝凪斗は、こうしてカラスを捕らえる機会を窺うために、黒騎れいを連れて離れた場所まで来ていた。
 彼の記憶に蓄積された島での会話・行動の数々は、超高校級の超高校級マニアでもある彼の観察力をして、比較的正確な予測を描かせていた。


「……ラマッタクペは、ボクらにアイヌ同士でいがみ合うのをよせ。と言った。ボクたちの中で人間ではない、敵となりうる存在はこのカラスだけだ。ヒグマと同じくらい、得体の知れぬ生物。
 黒騎サンさえ良ければ、殺しておいたほうが後顧の憂いがなくなると思うんだけどね」
「や、やめなさい……! ただでは済みませんよあなた!!」
「そ、そうよ……、彼女は、示現エネルギーを司る高位の存在からの使者みたいなもので……。殺すと色々まずい、かも……」
「やっぱり一部は本当か……。タチが悪い。モノクマと一緒だ……。さっさと消えてほしいな……」


 舌打ちとともに抑圧を放した狛枝の手から、カラスは慌ててれいの肩に戻る。
 狛枝はそのまま、黒騎れいの胸に拳銃を突きつけて、淡々と言った。


「……このカラスと共にいるのなら、やはりキミはボクたちと一緒にいるべきではないよ。
 人が複数集まれば当然なんだけど、諍いと絶望の種がどんどん増えていくから。
 敵は異種族であるヒグマ。そして、この異世界のカラス。わかりやすく区切るのが一番まとまりを作れるし、実際ボクのこの予測は大きく間違ってはいないはずだ。
 お互いのために言う。黒騎サン。ここから立ち去ってくれ」
「私のれいに何を言うのですか! その汚らわしい銃口をどかしなさい!」


 黒騎れいは、自分に突きつけられた銃口を見つめ、たじろいだ。
 にじるように後ろに下がり、壁に背をぶつけたところで、唇を噛む。
 自分のしてきた所業。
 杏子の温もり。
 示現エンジンの管理をしていたはずの四宮ひまわりの安否。
 どうするべきか考えても、答えは出なかった。


「ご、ごめんなさい……。少しだけ、少しだけ……、待って。お願い……」
「ふぅ……。そうか。あんまり残された時間は多くないと思うんだけどね。なら少しだけ決断を先延ばしにしてあげるよ」

 狛枝は溜め息をついて、拳銃を指にクルクルと遊ばせた。

「……ちなみに、ボク、撃鉄上げてなかったんだぜ? こんな場所でキミを本当に撃つ訳ないだろ。
 下手に怖がる前によく状況を見ようね? さ、運ぶの手伝ってくれ」
「……ええ!?」


 何事もなかったかのように飄々と、狛枝は笑顔でそう言ってのけた。
 清涼飲料のペットボトルを抱え、彼は先にロビーの方へと戻っていってしまう。

「……ちょっとまって!? 私を追い出したかったんじゃ、なかったの!?」
「……言わなきゃわからない? キミは自分の友達が心配なんだろう? そしてそのエンジンも今や止まり、いよいよ安否が不安になってきた。
 しかしこの状況で情報もないまま地下へ軽々に潜ることは善い手だとは思えない。
 だが、キミだけなら、勝手知ったる研究所には戸惑いなく潜入・隠密できるだろうし、少なくともそのカラスも潜り込める。
 互いに迷惑をかけず、互いの目的に最短で行けるだろう、その方が」

 つらつらと語られた狛枝の考えに、ペットボトルを握ったまま、れいは絶句した。
 一応、自分のことまで狛枝が考えてくれてそう言っていたことなど、まったく推察できなかった。

 そこで彼女は、狛枝が佐倉杏子と同格以上の扱いをラマッタクペにされていたことを思い出す。


「……もしかして、あなたなら……。さっきのメルセレラとの戦いにも、対処する方法が、あったの?」
「そうだね。ボクなら、カズマクンや佐倉サンみたいな被害は受けずに済んだだろう。実際済んでるし」
「一体、どうやって……」


 れいのその疑問に、狛枝は薄く笑いながら振り返った。


「逃げるんだよ」
「え……?」
「適当なやつを囮にして逃げて、相手の目的と実力がはっきりするまで待ち、一番効果的に相手を潰せる武器や人間を選んでぶつけ、死角からひっそりと殺し尽くす。
 その場でバカ正直に戦いを受ける必要も、意味もないからね」


 唖然とするような答えだった。
 参加者の誰かを捨て駒にして逃げると、彼はそう言っているのだ。


「そんな、囮なんて……!」
「戦いに卑怯もクソもない。効率があるだけさ。それにつけて、今回のカズマクンの怒りはピンボケだ」


 灰色の瞳で笑う狛枝凪斗の表情は、黒騎れいの背筋に、薄ら寒い毛羽を立たせる。


「……ボクは、『希望を守る』ためならなんだってするよ。『希望』こそがボクの根源にあるモノ。
 それこそがボクの、『プンキネ・イレ(己の名を守ること)』だろうからね……」


 彼がキムンカムイ教教主に評価された理由を、れいは固い唾液とともに、腑に落としていた。


【F-5 市街地/午後】


【黒騎れい@ビビッドレッド・オペレーション】
状態:軽度の出血(止血済)、制服がかなり破れている
装備:光の矢(5/8)、カラス@ビビッドレッド・オペレーション
道具:基本支給品、ワイヤーアンカー@ビビッドレッド・オペレーション、ランダム支給品0~1 、HIGUMA特異的吸収性麻酔針×1本
基本思考:ゲームを成立させて元の世界を取り戻す……?
0:私は、どうすれば……。
1:四宮ひまわりは……、一体どうなっちゃったの……?
2:他の人を犠牲にして、私一人が望みを叶えて、本当にいいの?
3:ヒグマを陰でサポートして、人を殺させて、いいの?
[備考]
※アローンを強化する光の矢をヒグマに当てると野生化させたり魔改造したり出来るようです
※ジョーカーですが、有富が死んだことをようやく知りました。


【カラス@ビビッドレッド・オペレーション】
状態:正常、ヒグマの力を吸収
装備:なし
道具:なし
基本思考:示現エンジンを破壊する
0:示現エンジンは破壊されたのか!? 確かめなくては!!
1:れいにヒグマをサポートさせ、人間と示現エンジンを破壊させる。
[備考]
※黒騎れいの所有物です。
※ヒグマールの力を吸収しました


【狛枝凪斗@スーパーダンガンロンパ2 さよなら絶望学園】
[状態]:右肩に掠り傷
[装備]:リボルバー拳銃(4/6)@スーパーダンガンロンパ2 さよなら絶望学園
[道具]:基本支給品、ランダム支給品0~1、RPG-7(0/1)、研究所への経路を記載した便箋、HIGUMA特異的吸収性麻酔針×2本
[思考・状況]
基本行動方針:『希望』
0:情報は信じるけど、ヒグマは信じないよボクは。
1:黒騎サンさぁ……、主催者側の情報、あるんなら教えてよ……。
2:アルミホイルかオーバーボディを探してから島の地下に降りる。
3:出会った人間にマミ達に関する悪評をばら撒き、打倒する為の協力者を作る……けど、今後はもうちょっと別の言い方にしないとな。
4:球磨川は必ず殺す。放送で呼ばれたけど絶対死んでないねあの男は。
5:モノクマも必ず倒す。
6:カラスも必ず倒す。

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最終更新:2015年03月01日 11:47