Let's Go Skysensor(Tune)
【呉式二号三型改一射出機】
種別:カタパルト
装備ステータス:搭載機体により変化
艦艇上から滑走路を使わずに、航空機を高速で射出するためのカタパルトです。
『呉式二号型』は前身の『呉式一号型』に比べて連続射出能力が大きく向上しています。
1930年の開発当時から逐次、戦艦・巡洋艦などに搭載され、第二次世界大戦時には標準装備となっていました。
那珂ちゃんには1941年の改造時から搭載されました。
彼女の場合、わずか17機しか生産されなかった小型飛行艇の一機である『九八式水上偵察機』を載せており、センターをこなした数々の公演ではもちろん、地方巡業でも活躍していました。
〔VHF:75.0MHz(那珂)〕
那珂ちゃんは、息を飲んでいた。
高級技官が奏でるその音楽と、軽やかに踏むそのステップに、である。
御坂美琴が起動させた『天網雅楽(スカイセンサー)』という『武装』が張り巡らせるのは、緻密に展開された電波の網であった。
電探を装備していないためにその詳細は聞こえずとも、艦娘である那珂ちゃんには、彼女が何をしているのかだけははっきりとわかる。
御坂美琴は空中に超高精度の電波探知網を張っているのだ。
敵艦の弾道を悉く予測し回避してのける的確な操舵。
その直前にも見せた無音かつ正確な射撃といい、彼女の見せている戦闘技術は、那珂ちゃんの見知った歴戦の将官に比肩して余りあるものだった。
クマーは、襲撃者の爪で顔面を割られ、腹部を裂かれ喉を抉られ、もはや動けない。
くまモンは彼を抱え起こし、美琴の方へと向かっている。
帝国のヒグマであるクックロビンを軽くあしらったこの二頭が太刀打ちできなかった相手に、御坂美琴はある種の余裕すら持って対応している。
そしてなお那珂ちゃんの心に響くのは、この襲撃者に相対しても、彼女が優美さを失っていないことだった。
決して他人に見せるために踏んでいるステップではないのに、それが理に叶った動作であるために、美琴の歩法はそのゴシックロリータの衣装と合わせ、さながらアイドルステージのダンスである。
勝てる。
間違いなく勝つ。
那珂ちゃんはそう確信した。
襲撃者の少女は、那珂ちゃんたち艦娘よりもはるかに高性能の機械で構成された、一切の感情を感じさせないロボットか何かのようであった。
美琴の姿はさながら、遙かに高性能の機関を有していた諸外国に、人間の性能で立ち向かっていたかつての那珂ちゃんたちであった。
「……アンタの『リズム』は良く聞こえる。正真正銘のロボット――。
それならもう、遠慮しないわ――」
そしてまた彼女の姿は、混戦の渦中にあっても高潔さを失わない、あるべき『アイドル』でもあった。
「相田……、マナちゃん……!?」
その時背後で、シャワールームへの扉が開いていた。
一人の少女が、お風呂上がりの肌から湯気を立ち上らせて、そこに走り出てきていた。
「――うっひぇえ!?」
那珂ちゃんの脇から、クックロビンが素っ頓狂な声を上げて放送室の中に引っ込む。
少女は、手に小さな電話機のようなものを握りこんでいるだけで、その体に一切の着衣を身につけていなかった。
湯上がりのピンク色の髪の毛を険しい表情に張り付かせて周りを見回していた彼女は、そこに那珂ちゃんの姿を認め、笑みを綻ばせる。
「――良かった! 那珂ちゃんも起きたんだね!」
そこで、彼女の正体に那珂ちゃんも気づく。
バーサーカーとの戦闘から、那珂ちゃんを助け出してくれた少女の一人だった。
彼女は、顔を覆うクックロビンには全く頓着せず、その一糸纏わぬ姿のまま、放送室のドアの陰に隠れる那珂ちゃんへ悠然と歩み寄る。
そしてその指先から青紫色の宝石のついた指輪を外して、彼女はそれを那珂ちゃんに手渡していた。
「那珂ちゃん。キリカちゃんの魂を、ちょっとの間預かってて。
私はマナちゃんの心を、取り戻してくるから!」
「心を、取り戻す……!?」
右手の中指に指輪をはめられながら、那珂ちゃんは遠くの戦闘現場と、目の前の少女を交互に見て混乱した。
魂。
心。
一体この少女が何を言っているのか、那珂ちゃんにはさっぱり掴めない。
(のぞみ! 何する気なんだよ! やめてくれよ、あの女が勝つって!!)
「……ううん」
その時、はめられた指輪から直接、頭に悲痛な叫び声が響いてくる。
のぞみ。と呼ばれた目の前の少女は、その声が聞こえているかのように、鋭く首を振った。
泣いているような脳裏の声ーーキリカというらしい少女の声も、那珂ちゃんは聞き知っていた。
「――フぅゥ――、――らァッ!!」
その瞬間、遠方で回避に徹していた御坂美琴が、ついに攻撃に転じていた。
電気を帯びた肘、肩、頭部を真っ向から襲撃者にぶつけ、彼女は見事それを吹き飛ばし、地に伏させる。
(……ほ、ほら。私の、言った通り、だろ……? だから、なぁ、のぞみ……)
「……マナちゃんは、あんな攻撃じゃ倒れないよ」
一仕事を終えたように息をつく美琴の様子に、宝石からの声はそう呟いていた。
だが、のぞみという少女は確信に満ちた低い声で言い切り、素足のまま、瓦礫のステージへ歩んでゆく。
そして彼女は、花のような笑顔で振り向いた。
那珂ちゃんにも、キリカにも、ともに向けられているような笑顔だった。
「……それに、私もね!」
のぞみが、その手の楽器を打ち鳴らす。
ピ、ピ、ピ。
と爪弾かれる、発振音の正弦波。
電話機の先から呼び出されるのは、彼女の舞台衣装だ。
「プリキュア! メタモルフォーゼ!」
蝶のような光に包まれ、顕現するのぞみのその姿。
華やかなピンクのドレスに、艶やかに伸びた彼女の髪。
一瞬にして転身した彼女の、細く、逞しい背中が、那珂ちゃんにはとても大きく見えた。
その視線の先でのぞみが見据える襲撃者も、確かにまた、地に起きあがっていた。
〔THz:3510GHz(御坂美琴)〕
――『人間』だけでも、『機械』だけでも、有り得ない。
襲撃者の少女の正体をその時、御坂美琴ははっきりと理解してしまっていた。
――この少女は、ロボットや何かではない。
間違いなく、
相田マナさんなのだ。
それが、事件の黒幕に捕らえられ、機械を埋め込まれ、肉体を改造され、操られた末の姿。
先程、隠密状態からの『超旋磁砲』を彼女が回避できたのは、決して美琴が物音を立てたからではない。
『殺気を読む』というふざけたことができたからだ。
プリキュアという何かの力が活かされているのかどうなのか知らないが、彼女自身の戦闘技能と、機械の耐久・機動力が、遺憾なく合わさった姿が、これなのだろう。
人間部分を破壊するような攻撃は機械部分に緩衝され、機械部分を破壊するような攻撃は、何らかの機構で即座に修復される。
――その『何らかの機構』とは何か。
彼女から骨の矢が放たれた時、美琴はおぼろげながら、そしてくまモンははっきりと、その修復機構の正体まで掴めていた。
クマーが『俺みたいだ』と評したその機構。
――HIGUMA細胞だ。
美琴の左手と肩を破壊した骨の矢は、合金の筒の内部に骨髄が詰まり、外部に緻密骨が覆う、生体と無機物が合一した構造になっていた。
心臓ないし肉体の深部を捉えるまで方向転換し続ける骨髄と、血液の養分を捉え自動的に骨棘を生成して内部破壊する骨細胞は、間違いなく選択的にプログラムされたHIGUMA細胞の為す業だろう。
彼女の体内を操作する電子回路は、美琴の『山爬美振弾』で確かにショートした。
だがその際に融け落ちたのは、熱伝導率の高い回路配線を覆う皮膜のみに留まる。
そのショートした皮膜を再び増殖したHIGUMA細胞が覆ってしまえば、彼女のダメージは跡形もなくリペアされてしまう。
生体部分と、機械部分を、全く同時に破壊しない限り、この襲撃者を止めることはできない――。
それが、ここまでの状況から導き出される結論であった。
――その手段は、ある。
美琴ははっきりとそう考える。
クマーのアンテナと自分が作り出す、『もう1つの武装』ならば、彼女を止められる――。
そう確信した。
だがそれは同時に、『相田マナ』である彼女を正気に戻すことなく、完全に殺害してしまうことを意味する。
そしてまた、美琴にはもはや、その『武装』を起動するだけの時間が残されていなかった。
美琴が瞬きをした時には既に、相田マナの手刀が、空中から彼女の上に振り降ろされていた。
くまモンがクマーを放り出して走り出していた。
クックロビンが放送室からドアの陰に這い出ていた。
その隣で、那珂ちゃんが息を飲んでいた。
美琴には、その全ての動きが、『天網雅楽(スカイセンサー)』の電波に乗って聞き取れている。
それはトリバネアゲハのように疾り来る、一陣の旋律についても同様だった。
美琴の目前に相田マナの爪が迫った瞬間、彼女の手首に一本の手が絡む。
「――はぁっ!!」
瞬息の間に美琴の真横まで飛来してきた少女が、ボディースーツの黒い手首を捻り上げ、相田マナの体を腕一本で放り投げていた。
美琴はその少女の姿を確認し、激しい痛みで地面に縫い止められながらも声を絞る。
「ゆ、夢原さん……!」
「……大いなる希望の力! キュアドリーム!!」
少女は名乗りと共に、衣装を振り立たせて身構えた。
夢原のぞみであって、夢原のぞみでない少女、キュアドリーム。
相田マナの変ずるキュアハートと同じプリキュアの少女は、同輩の変わり果てた姿に唇を噛む。
「……マナちゃん!! こんなことしちゃダメだよ!! 目を覚まして!!」
キュアドリームが叫んだと同時に、放り投げられた先で相田マナが口を開いていた。
次の瞬間、御坂美琴とキュアドリームのいた地面をピンク色の閃光が抉る。
キュアドリームは、矢の突き刺さったままの美琴を抱え上げ、宙に飛び上がっていた。
「夢原さん、相田さんを、止められるの……ッ!? 殺さず!?」
「わからない。でも、止めてみせる!!」
宙に浮かぶ彼女たちに、地上から相田マナが跳びかかる。
襲い来る相田マナから逃がすように、キュアドリームは美琴をくまモンの元に放り投げた。
走り寄っていたくまモンは、後方に転がりながら美琴を受け止めて、彼女の傷への衝撃をいなす。
ほとんど同時に、宙返りした相田マナの脚が、キュアドリームの正中線へ振り上がっていた。
「くっ――」
後ろへ身を反らす。
相田マナの爪先は剃刀のように、風を切り裂いてキュアドリームの顎先を掠め通った。
喰らえばプリキュアの肉体すら容易に引きちぎられていただろう蹴り上げだった。
でもこれで、マナちゃんにも隙が――!
晒される相田マナの背中にキュアドリームが攻めかかろうとした、その次の瞬間であった。
振り上がった彼女の両脚が、即座にキュアドリームの首筋に向けて振り降ろされていた。
「え――」
余りにアクロバティックに過ぎるその動きに、夢原のぞみの反応は遅れた。
そのとき既に、彼女の首には相田マナの両足首が絡み、その股下に向けて相田マナの背筋が反り返っていた。
キュアドリームの頭部に急速に加速度がかかる。
――フランケンシュタイナー。
上空から二人分の体重が、夢原のぞみの細い首一本に、捻りを伴って叩き落とされてくる。
落下した大地が、ピンク色の閃光を上げて陥没した。
「ぐっ、くぅーー~~!?」
その衝撃に弾き飛ばされるように、相田マナと夢原のぞみは地を跳ねて左右に別れる。
――プリキュア・ドリームアタック。
キュアドリームは着地の寸前に、地に向けて自身の必殺技を放つことで相田マナの投げを緩衝していた。
極められていた首筋が痛む。
そのまま抵抗できずに地面へ叩きつけられていたなら、のぞみの首はへし折れていただろう。
何の感情も見せぬ虚ろな眼差しのまま、相田マナはふらつくキュアドリームに再び襲いかかる。
篠竹を突くような手刀の雨を必死に払いながら、夢原のぞみは苦々しい記憶に奥歯を噛みしめた。
「――マナちゃんの心は、なくなってないはずでしょ!? お願い!! 戻って来て!!」
のぞみの叫びに返事はない。
――心を、取り戻す。
のぞみはかつて、そんな行為をある少女に試み、そして成功させたことがあった。
のぞみはかつて、そんな行為をある少年に試み、そして成功させたことがあった。
だからきっと今回も、操られているのだろう相田マナを正気に戻し、友達とすることができる。と、そう考えていた。
ダークドリーム――。
それが、夢原のぞみが改心させた友の名。
そしてそれは、夢原のぞみ自身をオリジナルとして敵にコピーされた、人造の少女の名だった。
彼女たちと敵味方として戦いながら、のぞみは彼女へ必死に声をかけ続けた。
そして彼女と打ち合う会話と拳の応酬の末に、のぞみはダークドリームの心中に去来する寂しさや友情の感情を呼び覚まさせ、その心を改めさせていた。
そしてまた、小々田コージ――。
夢原のぞみの相棒であり、恋人と言っても過言ではない彼もまた、彼女は改心させていた。
必死に呼び続け、彼の思いを信じ続け、そして自身の口づけで、操られていた彼の心を取り戻させていた。
だがこの相田マナは、その時の彼女とは明らかに違う。
その迷いのない戦闘行動は、一切の感情もない殺戮機械のそれだ。
先だって戦った狂戦士・ランスロットですら、その挙動には明らかな悲哀が感じられたというのに、だ。
果たして、自分の声が届くのか――。
その確証がとれないのぞみが今一度苦々しく思いを噛むのは、自分の持つ必殺技の性質についてだ。
――プリキュア5が持つ技は、後進のプリキュアたちと違い、その全てが『物理攻撃技』だ。
相田マナが変身するキュアハートなどを初めとして、のぞみたちの後を追うように存在が明らかになったプリキュアたちは、ほとんどが『浄化技』とされる性質の必殺技を有していた。
キュアハートを例にするならば、彼女の技は全て、相手のプシュケーと呼ばれる精神の核を浄化し、あるべき姿に還すための技である。
いかにマイスイートハートが極大口径のビームで敵を消し飛ばしているように見えても。
いかにプリキュアハートシュートが敵をハート型の高濃度エネルギー弾で射殺しているように見えても。
いかにハートダイナマイトが敵をハート型の巨大引力で圧縮し、まとめて爆殺しているように見えても。
それは単にプシュケーを浄化しているだけで、本来なんの殺傷力も持ってはいない技のはずなのだ。
だが、キュアドリームたちの場合、この状況は大きく異なる。
彼女が有する技の性質は、相対してきた敵の特性もあってか、その全てが物理的な破壊力で行使されるものだ。
言葉に依らぬ相手の『浄化』という行為は、のぞみにとって恐ろしく不慣れなものだった。
――でもきっと、絶対、マナちゃんの心はどこかに残っているはず! それを、呼び覚ます!!
自身の技を、『浄化技』へと、この場で昇華させて見せる――。
それが出来れば、上書きされ、塗り潰された相田マナの心を、取り戻せるかも知れない。
それが、キュアドリームがのぞみを託す賭けだった。
突き出される手刀を左手で掴む。
空いた右手を、渾身の力で突き出した。
思い描く技のイメージは、一つ。
燐光を帯びた掌を、その胸に添わせるように――。
「『プリキュア』――」
だがその掌底には、相田マナの左の手刀が合わせられていた。
その爪は、のぞみの手に真っ向から突き刺さった。
掌の骨が、砕けた。
「~~ッ!?」
純粋な力で、打ち負けた――。
そう理解した瞬間、のぞみの右手が逆に、貫通した相田マナの手に掴まれていた。
そして、その口が開く。
「――離れて夢原さん!!」
美琴の叫びが聞こえた。
あのビームが放たれる――。
そうのぞみも察知した。
だが、掴まれた右手は、振りほどけなかった。
次の瞬間、相田マナの口腔から放たれる血の色のピンクに、のぞみの視界は埋まった。
真っ直ぐに伸びた閃光は、遥か先の1stステージのスコアボードにまで届き、衝撃に轟音を響かせていた。
〔VHF:75.0MHz(那珂)〕
「――キリカさん!! お願い、那珂ちゃんに力を貸して!!」
『城』の陰で、那珂ちゃんが叫んでいた。
変身して飛び去ったのぞみに、クックロビンが覆っていた顔をようやく放した時だった。
そのクックロビンにさえ、那珂ちゃんの言葉で、中指に嵌められた指輪が明らかに狼狽しているように見受けられた。
「高級技官殿も、のぞみさんも、あんなに頑張ってるんだよ!? この那珂ちゃんたちが舞台に立たないでどうするの!?」
(……さっきから何を言ってるんだいキミは……! あのロボット女と、戦う気かッ!?)
那珂ちゃんの言葉の勢いに、思わずソウルジェムだけのキリカもテレパシーを返してしまっていた。
彼女たちの視線の先では、立ち上がった相田マナが骨の矢を放ち、御坂美琴が倒されている。
キリカは自分の予想が覆されたことで、心中臍を噛んでいた。
そしてまさに今、すんでのタイミングで間に合った夢原のぞみが、相田マナを弾き飛ばしている。
それにしたって、のぞみがこのまま勝つのではないか――。
操られたのぞみの知り合いだったとしても、彼女なら元に戻せるのではないか――。
と、キリカにはその時そう思えた。
だが、何度も外れた自分の予想は、もはやキリカには信じることができなかった。
那珂ちゃんはキリカとクックロビンに向けて、首を横に振る。
「ううん……。違う。那珂ちゃんたちの歌を、聞いてもらう! ダンスを見てもらう!
みんなの声が届くような『お膳立て』は、那珂ちゃんみたいな新米の役割だよ!!」
(――!?)
「お願い。那珂ちゃんは何でもする! キリカさん、あの時みたいに、私の体を操舵して!!
あの子を夢中にできるようなステップを、教えて――!!」
その真っ直ぐな言葉に、キリカの心は震えた。
『アイドル』の歌を聞かせるために自分が必要だと思っていた仕事を、那珂ちゃんは、自ら進んで行おうとしていた。
クックロビンには、『何でもする』とか『操舵』とか『夢中』とかいう言葉が、那珂ちゃんがアイドルであるという点も含めてアレな意味にしか聞こえなかったが、流石に彼女の真剣な表情からそれはないと思い至る。
(……今、何でもする、って言ったよな?)
「……うん」
眼を閉じた那珂ちゃんの脳裏に、しら、と歯を覗かせる、少女の横顔がよぎっていた。
「……いいんだな? 覚悟してろよ?」
その少女の低く鋭い声は、那珂ちゃん自身の口から発せられていた。
目の前には、『執務室』と書かれた扉がある。
以前に一度、通ったことのある扉だった。
廊下に立ち尽くす私の背後を、二頭身にデフォルメされた様々な姿の少女たちが、私に会釈しながら何人もあくせくと通り過ぎてゆく。
妖精さん。とでも呼べばいいのか。
今の私からすると、彼女たちの身長はちびとはとても言えないほど大きめなので、そのつぶらな顔面の圧迫感は半端ではない。
特に正面に猫を吊るしたセーラー服の妖精さんが、無言のドヤ顔のままに私の背中を押してくるので、いい加減逡巡するのはやめて中に入ることにした。
「おはようございます! ありがとうキリカさん! 来てくれたんだね!!」
「……相変わらずすごい内装だね。キミの精神構造は」
執務室に入ると、そこはコンサートホールだった。
舞台袖の出入り口になっていたドアを閉めれば、そのステージの上で待っていた、例の那珂という女が私に駆け寄ってくる。
ここは、彼女の精神の中。
魂の中と言っても良いかも知れない。
私たち魔法少女からすれば、恐らく魔女化した時に結界として顕現するのがこの空間だ。
外から見るより圧倒的に巨大なコンサートホールと、その外部を覆う軍艦と乗務員という、あまりにかけ離れたもの同士が融合した歪な空間。
それがこの、那珂という女が形成する結界だ。
果たして私が自分の結界を見ることができたら、私の方こそどれほど歪んでいるかわかったものではないけど。
たぶんここは、私が魂だけの存在となり、そして同時に、元からこの女の肉体と魂の係留が弱く、さらにこの女が魂への侵入を許諾したからこそ来訪できた空間だ。
「改めまして! 第4水雷戦隊のセンターも務めた、艦隊のアイドル、那珂ちゃんだよ!
あの時は、気絶した那珂ちゃんを操舵してくれてありがとー! キリカさん、よろしくお願いしまーす!!」
「声が大きいよ! そんな感謝することじゃないだろあれは!」
那珂は満面の笑みで私の手を取り、千切れそうな勢いで握手してくる。
調子が狂う。
私はこいつの体内に無断で侵入し、いいように操っただけだ。
頭も踏みつけたし。
織莉子との愛の前には些末なことだが、何にしても当の那珂から感謝される謂れはない。
だがこいつはぶんぶんと首を横に振る。
「キリカさんは、あの人の気を惹くために、一緒に演舞してくれたんでしょ!?
那珂ちゃんだけの実力不足は痛感したもん! キリカさんにまた教えてもらいたいの!!」
「……あのバーサーカーねぇ……」
今はがらんどうの観客席には、つい数十分前かそこらまでは、私の体をズタズタのサイコロステーキにしやがったあの狂戦士が着座していたはずだ。
私とほぼ入れ替わりに那珂の中から出ていったそいつの気配は、当たり前ながら何も残っていない。
その真剣な自省を聞くに、この那珂という女は遅まきながら、ようやく私の指摘を受け入れていたという訳だ。
私は那珂の手を振りほどき、静かに、あの時の問いを繰り返す。
この女の覚悟は、一体如何なるものなのかと。
「……『ハートの視線』じゃなくて、『ハードな死線』しか、見つめてくれるものなんてないぞ?
それでもキミはまた、歌って、踊るつもりか?」
那珂は即答した。
「うん!! 見つめてくれる限り、夢中にさせるのが、アイドルだから!!」
「ふっ……」
バカだ。
やっぱりこの女は、どうしようもない歌バカだ。
襲われて、死にかけて、操られて、それでも路線変更しないなんて。
どんだけ愚かで、素敵なバカなんだ。
どうしようもない内気バカで、路線変更し続ける愚かな私とは、正反対だよ。ほんと。
笑っちゃうね。
こんな環境下で私の口に笑みを浮ばせるなんて、本当にすごい才能だ。
のぞみとは比べ物にならない方角で、同レベルに天才だよ。
……脱帽だ。
背水の陣っていうのかなんというか。
そりゃ心が船なら世界は大海だ。
立身の重心はその見据える帆にのみあるわけだ。
愛のために邁進してきた私の知らない進み方が、こんなヒグマの島のあちこちで示されるなんて。
のぞみにしろ。
布束にしろ。
那珂にしろ。
私ももっと、視野を水平線に広げろって、そういうことなのかい、のぞみ?
私は織莉子のことなら喜んで勉強するんだけど。
この迂回路も織莉子のためだと、そう思えってわけかい?
まぁいいさ。たまには。
愛のためなら。
私個人のつまらん観念なんか、ささいだ。
意を決して手を、差し出した。
真剣な彼女の眼差しに笑いを落として。
私は低い声音でねめ上げる。
「……私は、くれ。呉キリカだ。……私の指導は、ちょっとばかし厳しいからな」
「呉!?」
釈然としないプライドの残滓をすり潰した私の声の上に、いきなり明るくなった那珂の叫びが重なった。
両手を取られて、一気に引き寄せられる。
「そうかぁ! キリカさんは呉なんだ! 那珂ちゃんは横浜生まれだけど、呉の装備もあったんだよ!!」
「はぁ?」
鼻先が引っ付きそうな距離で、那珂は満面の笑みを浮かべて意味不明なことを言ってくる。
私が言ったのは名字なんだが、なんか勘違いしているらしい。
「そうだ、キリカさんも見てみて、那珂ちゃんの装備!」
「まぁそれは……、名目はどうあれ戦うわけだから武装の確認は要るけど……」
「こっちこっち!」
「うわっ!?」
ずんずんと引っ張られ、私は元来た舞台袖の扉から、コンサートホールの外へと連れ出されていた。
「これが軽巡洋艦の、那珂ちゃんだよ!」
そして開け放たれた先は、日差しの降り注ぐ大きな甲板だった。
入った時と構造が違う。
本物の軍艦のような船体が浮かぶ海は、薄く柔らかな赤い色をしていた。
湯上りの肌のような、織莉子の唇のような、どこか温もりを持ち、空間に溶け込むような、漠然とした色だった。
水平線は空と夕焼けのように融け合って、境が見えない。
使い魔みたいな妖精さんがデッキ掃除に何人も従事していたりして、本当に魔女の結界みたいだ。
那珂は大海に浮かぶ自身の魂の船を見回し、私を連れて歩きながら方々の砲台を指さしてゆく。
「この目の前のが『50口径14cm単装砲』だよ! 7門もあるんだ~!」
「へぇ、流石に軍艦サイズだ。こんな大きさの弾が当たったらヒグマなんか一撃で吹っ飛ぶんじゃないか?」
「今の那珂ちゃんの『体』には装備されてないけどね!!」
「無いのかよ!?」
私の狼狽に苦笑で返し、那珂は後ろの方に歩き始める。
「で、あれは、『八九式12.7cm連装高角砲』!!」
「……砲台なんかないぞ?」
「……が、後々の改造で装備されるところ!!」
「なんだそれ!?」
流石に混乱の度合いも高まってくる。
「『61cm4連装魚雷発射管』」
「今は装備されてないんだろ?」
「『21号対空電探』」
「が、後々改造でつくところだな?」
「『小発動艇』」
「戦闘用じゃないよね?」
「それに今は装備してない」
「……」
「でも『煙突』は4本!! これは今の那珂ちゃんも装備してる!!」
「えんと……、煙突じゃないか!!」
私は憤慨した。
「いい加減にしろ!! ロクな装備ないじゃないか!!」
「わっ、わっ、叫ばないで~!? 呉工廠の装備は艦尾なんだよ~」
那珂は私の手を掴んだまま驚きに跳ねた。
やっぱり私の名字を地名と勘違いしてやがる。
なんだよ工廠って。戦後数十年でボケてるんじゃあないのかこいつは。
やはりこのバカ女の言葉に乗るのは間違いだったのではないかと思い始めていた、その時だった。
憮然としたまま連れられていた私の上に、その装備が聳えていた。
そこには那珂の妖精たちが今の今まで、大勢で寄り集まっていた。
建造したてのその装備は、真っ白なキャンバスに覆われ、その内部の武骨な骨組みを隠していた。
能ある鷹の、爪。
芸ある花の、秘。
「これが、『呉式――』」
私は那珂の語るその装備の詳細を聞き、覚えず笑みを浮かべていた。
なるほど、これは確かに『呉』の装備だ。
「……面白いじゃないか」
「そうでしょ? これは、呉の装備だから。キリカさんに、『すごく似てる』」
「ああ……、確かに私が操縦するのに、ぴったりだ」
前言撤回。
こいつはボケてなんかいなかった。
確かに戦時中の日本で戦っていた精神を有する、尊敬すべき婦人だった。
この連想力。
この演繹力。
この改修力。
貧すれば鈍するとはよく言うが。
足らぬ足らぬは工夫が足らぬ、というのも、日本人が掲げた訓戒だろう。
少数の力で最大の成果を上げる。
菊と刀。
雪に撓る竹の心が、そこには息づいていた。
那珂は頷いて、私の手を握り締める。
「使って……。那珂ちゃんの、手取り、足取り……!!」
「……いいんだな? 覚悟してろよ?」
私はその装備のキャンバスを剥ぎながら、酷薄な笑顔で那珂に振り向いていた。
〔MF:0.33MHz(夢原のぞみ)〕
「プ、『プリキュア・クリスタルシュート』……」
1stステージのスコアボード。
火花を散らし陥没したその電光掲示板に、キュアドリームが呻いていた。
その左手には、ドリームトーチと呼ばれるアイテムが握られている。
相田マナからの砲撃が放たれる寸前、彼女を掴んでいた左手を放し、キュアドリームは自身の必殺技でその閃光を迎撃・緩衝していた。
だがそれでも、その体は200メートル近く吹き飛ばされ、煤と衝突に喘いでいる。
その光線の威力を相殺しきれなかったことは、誰の眼にも明らかだった。
貫かれた右手からは肉がめくれ血が滴っている。
呻きながら見やる眼下には、早くも黒ヒョウのような相田マナの身が走り寄っている。
電光掲示板の衝突面から滑り落ちながら、キュアドリームは跳び上がってくる相田マナの爪を振り払う。
「――お願い! お願いだよマナちゃん! もうやめて!!」
虚ろな目から返る言葉はない。
その昏い色の奥を覗き込み、キュアドリームは、必死にその先に望みを探した。
何も、見つからなかった。
「どこなの……!? マナちゃんの心は、魂は、どこに行っちゃったの――!?」
絶望的に叫んだその瞬間、両腕だけで落下しながら打ち合っていた間隙に、相田マナが左の膝を放っていた。
その膝蓋が抉ったのは、包帯の巻かれた、のぞみの右脚の傷だった。
「がッ――!?」
童子斬りに穿たれていた大腿の傷口が開く。
のぞみは、激痛に身を捩った。
晒されたその首筋に相田マナが、その白々とした牙を、振り下ろそうとした。
「『超旋磁砲(コイルガン)』――!!」
その牙とのぞみの首の間の空を、一本の釘が切り裂いて走る。
回避に顔を退いた相田マナはキュアドリームを仕留め損なった。
即座に、両者は同体となって地に落ちる。
のぞみは、その精確な援護射撃を放ってくれた少女の方を見やった。
「美琴ちゃん――!」
「相田さん止めるんでしょ!! もうチャンスないわよ!?」
――西の天草。
美琴は骨の矢が深々と刺さったままのその半身をくまモンに支えられつつ、激痛を堪えて叫ぶ。
その彼女に向け、相田マナが直ちに首を捻じる。
ピンク色の閃光が、地表を抉りながら走った。
――『前島橋』!!
「グぅッ……!!」
あらかじめ構えていたくまモンが、その遠距離砲撃を、身を沈めた高速移動で躱す。
片手に美琴、もう片手に打ち捨てていたクマーを拾っての回避動作だ。
最大限加減してもその加速度は、骨棘に抉られる美琴の傷を拡げるものだった。
引き千切られる筋、神経、骨、血管の痛みに、美琴は卒倒し、がくりと首を落とす。
だが彼女が身を挺して作り出したチャンスを、キュアドリームは確かに物としていた。
馬乗りになっていた相田マナを、その右腕側からキュアドリームが跳ね上げた。
その右下腕は、橈骨を失い支えが弱まっていた。
桃色の燐光を帯びたのぞみの掌が、相田マナの胸に添えられる。
「……ワンインチ」
――その動作はかつてのぞみが、鏡の国に堕ちた己という友から受けた技と、同一だった。
「『プリキュア・シューティングスター』ァァァ――ッ!!」
その動作に、キュアドリームは自身の希望の力を最大限に乗せ、噴出させていた。
爆炎のように、その光は球状に広がった。
殺傷力を求めるのではなく、ひたすらに相田マナの浄化を祈って。
自他の心に響き渡るように紡いだ想いの光だった。
その技で上空高くへと、ボディースーツを纏った相田マナは、紙のように吹き飛ばされていた。
「マナちゃん――ッ!!」
地上で立ち上がったのぞみの眼に、彼女の胸から零れ落ちてくる、小さなハートのようなものが映った。
ピンク色をした掌大のハート。
プシュケー。
キュアハートらドキドキ!プリキュアが浄化する、心の核に違いない――。
と、のぞみはそう思った。
――私は、マナちゃんを浄化できたんだ――!!
泣き笑いのようになって、キュアドリームは、落下してくる相田マナを抱き留めようと走った。
遠くで、御坂美琴がうわ言のように呟いた声は、のぞみには聞こえなかった。
「……ち、が、う……ッ!!」
「――え?」
のぞみが、頭上で起こった出来事に目を瞬かせたのは、それと同時だった。
突如空中で体勢を立て直した相田マナが、宙返りのようにして、そのハート形をした物体を真下のキュアドリームに蹴り落としていた。
その瞬間、そのハートは内側から張り裂ける。
ぱふぁッ、と。
風を孕むようにして四方に広がったそれは、肉色の投網だった。
「あ――」
半径およそ5メートルのハート形の網は、そのまま立ち尽くすキュアドリームの上に降り注いだ。
地面まで広く覆うようにして着弾したその網は直径10メートルの空間を逃さず包む。
直後、その網は、爆発した。
キュアドリームのいたマウンドにクレーターを穿つ、大爆発だった。
肉の色のピンクのハートは、心ではなく、爆薬でできていた。
〔FM:ダブルスーパーヘテロダイン(周波数変調)〕
【九八式水上偵察機(夜偵)】☆☆☆Sホロ
種別:水上偵察機
装備ステータス:対潜+1、索敵+3、命中+1
水雷戦隊旗艦用に開発された水上夜間偵察機です。
長時間の滞空性能を持つ黒く塗装された機体に、夜間索敵能力に優れた搭乗員が乗り込みます
(条件が整えば夜戦を支援する「夜間触接」が発生する可能性があります)。
昼間の「偵察・触接」にも使用可能です。
昼間戦闘において"完全に"制空権を失っている場合は運用できません。
比較的旧式機なので性能自体はあまり高くはありません。
しかし「夜間触接」は地味に艦隊の夜戦能力を底上げ可能です。
【熟練見張員】☆☆☆Sホロ
種別:水上艦要員
装備ステータス:対空+1、索敵+2、命中+2、回避+3
水上戦闘艦に配備可能な熟練見張員です。
その鍛え抜かれた肉眼視力による偵察力・索敵力は状況によっては大きな威力を発揮し、
敵艦隊のレーダー兵装が充実するまでは、特に夜戦などで水上艦隊の攻撃力を支えました。
追加効果として夜戦において特殊攻撃の発動率が若干上昇します。
同効果発生の艦娘には夜戦時に発動微細エフェクトが追加されます。
〔IF:75.1MHz(那珂)〕
――夢原のぞみが爆殺された。
2ndステージで瞠目するくまモンやクマーには、一瞬そう見えた。
猫のような五点接地で着地した相田マナはしかし、その眼を再び空中に走らせていた。
その視線の先には、烏のような漆黒の衣を纏って滞空する、一人の少女がいた。
その腕の中には、爆薬の網に捉えられたかと見えたキュアドリームが、しっかりと抱えられている。
「ふふふ……、こんな状況は、二度目だね」
「キリカちゃん!?」
眼帯をつけ、不敵に笑うその少女の腕で、救出されたのぞみは思わず友の名を呼んでいた。
那珂ちゃんに預け、置き去った彼女。
それがまた那珂ちゃんの体を操り、走って来たというのか――!?
そんな驚きの声に少女は、笑いながら眼帯を外し、のぞみに向けてウィンクした。
「残念! 那珂ちゃんでした!!」
「那珂ちゃん――!?」
もう一度、更に大きく、のぞみは驚いた。
夜のように黒く塗装された燕尾服の機体を纏い、那珂ちゃんは空を踏む。
追いすがる相田マナの速度を凌駕する、高速の飛行だった。
衣装の脚の一歩ごとに、速度低下の陣が明滅している。
(のぞみ、まだ飛べるか? この女は私たちが引き受ける。キミはこいつらと自分の安全を確保しろ!!)
「や、やっぱりキリカちゃんもいるんだね!? 一体どうして!?」
頭に響くテレパシーに、のぞみは困惑する。
夢原のぞみは、彼女を望まぬ危険にさらすまいとして置いてきたのだ。
しかも元々キリカは、この一行になじむことを躊躇っていた。
那珂ちゃんのことを、バカ呼ばわりさえしていた。
それがなぜ今、那珂ちゃんの魂と共にここに来ているのか。
那珂ちゃんの顔が、しら、と酷薄な笑みを浮かべて、即答した。
「――恩人を助けないなんて道には、絶対路線変更できないからね!!」
その言葉が、一体どちらの魂から発せられたのか、のぞみにはわからなかった。
「今ッ! 離れて!!」
「わっ――、つぅ――!?」
地上の相田マナの口が開いて閃光が狙い撃たれるタイミングを見計らい、那珂ちゃんはキュアドリームを放り投げた。
空中で左右に別れた少女たちの間を抜けて、ピンク色のビームは空に消える。
1stステージの空中に佇み、那珂ちゃんは向かい来る相田マナに対して構えた。
――その四肢を動かしているのは、呉キリカだ。
那珂ちゃんの魂に構築された軽巡洋艦の甲板で、キリカは那珂ちゃんの手を取っていた。
〔IF:74.9MHz(呉キリカ)〕
「――いいか!! 私の戦闘法はとにかく素早さだ!! 遅れるんじゃないぞ!!」
「はいッ!!」
赤い海の船の上で、二人の少女が踊る。
その船である那珂ちゃんの背に立ち、後ろから彼女の両手を取ってリードするのが、呉キリカだ。
周囲で固唾を飲んで応援する妖精さんの環視の中で、その魂が全霊を以て那珂ちゃんにダンスを教授する。
自分の眼という望遠鏡の画像からは、自分たちに走り寄る相田マナの姿が見える。
「いくぞッ!! 当たるかどうかは気にするな!! どうせ省エネモードだ!!」
現実の肉体で、那珂ちゃんはその両手に、瓦礫から拾っていた鉄片をぞろりと取り出だす。
万全のキリカならば魔力の爪を用いる攻撃の、代替手段。
それを総身の捻りを用い、空中を移動しながら連続して投射する。
「――『ステッピングファング』ッ!!」
「『舞踏する牙(ステッピングファング)』――!?」
――英語に直されているが、つまりこれは舞踏。ダンスの流派ということだ。
舞踏と共に、内燃機関を用いた白兵戦にも技術転用することを主眼として形成された流派に違いない。
だから『牙』なんて名前を付けているんだ――。
と、那珂ちゃんは伝授される技能に自問し、そして自己解決した。
『呉式牙号型舞踏術』――。
対バーサーカー戦の時から、薄々那珂ちゃんはキリカのことを只者ではないとは感じていた。
だがこんな流派の伝承者だということがわかった今、やはり彼女は呉出身の軍楽隊の将校だったのだということが、那珂ちゃんの中で確定した。
「接近されても――、強者の心はいつも速い」
高速で投擲される鉄の雨を、左右に跳びながら躱し来る相田マナに、那珂ちゃんは再びキリカに構えさせられる。
その両手に残るのは、爪代わりの鋼鉄の短槍2本。
キリカは那珂ちゃんの中で叫んだ。
「敵の及ばぬ隙を突き、考え至らぬ策を取り、警戒達さぬ内に斬る!! 手足を交互に出せ!! 交互だ!!」
「はいっ、キリカ先生!!」
「……せんせぇ?」
キリカは那珂ちゃんの返事に疑問を覚えたが、更に心中で会話を重ねることはできなかった。
飛び掛かる相田マナの爪を槍で受け、足刀を膝で払い、逆に穂先を突き出し爪先で薙ぐ。
那珂ちゃんの動きと息を合わせ、シンクロナイズするようなリズムで、キリカの踏むステップは時を経るごとに軽妙に加速してゆく。
二つの異なる周波数が、モアレを成し、うなりを成し、共鳴し増幅して響く。
そのハーモニーが生み出すのが、那珂ちゃんの機関を、装備を駆動させて照応するスペクターノイズの機動だ。
「私は例えば双頭の蛇!! 手を攻められたら即座に脚で蹴る!! 脚を攻められたら即座に手で殴る!!
胴を攻められたら手足で挟み討つ!! 隙を与えるな!! 攻め続ければ勝つのはこっちだ!!」
爆竹のように打ち出され途切れることのない四肢の連撃は、ついに相田マナの手数を上回り、彼女を地に叩き落としていた。
「『ゆえに善く兵を用うる者は、手を携さうること一人を使うがごとし』……!!」
鮮やかなキリカの手並みに、那珂ちゃんは孫子の言葉を呟きながら息を飲む。
だがその瞬間、背中のキリカは、烈火のような勢いで那珂ちゃんを咎めた。
「バカ!! 慢心するんじゃない!!」
「え――?」
那珂ちゃんの肉体がキリカとの齟齬に停止していた瞬間、地に叩き付けられるはずだった相田マナは回転受け身をとり、ハンドスプリングのように、腕の力だけでノータイムに再度跳び掛かってくる。
「くっ――!?」
振り上がった彼女の爪先に、シャツの裾を裂かれながら那珂ちゃんは身を退く。
だがこれでは、先程キュアドリームがやられた状況の再現だ。
振り抜かれた脚が、今度は上から舞い戻ってくる――!!
そう、那珂ちゃんとキリカは、相田マナの足先を見上げていた。
だがその脚は、今度は振り下ろされなかった。
代わりに捻り上がった相田マナの上半身が、さらに下方から捩じ上げるように、その左手の手刀を突き上げていた。
「ぐっ、あ――!?」
継続している速度低下の猶予が有ってなお、意表を突かれたその攻撃に那珂ちゃんとキリカの反応は間に合い切らなかった。
引ききれなかった左脚の内股を裂かれ、那珂ちゃんはバランスを崩して地に落ちる。
『ぬっ、ぉお!?』
キリカは、魔法少女衣装の背中に付いている自分のソウルジェムをとっさに守ろうと、那珂ちゃんの意志を無視して無理矢理体を動かした。
意志の統一と疎通が一気に乱れた那珂ちゃんの体は、むしろ不自然な挙動をとり、顔面から地に落ちた。
現実界の口から呻きが漏れる。
『ぎゃあっ!? か、顔は、やめてぇ……!!』
「す、すまない! 立て!! 急げ!!」
那珂ちゃんの精神を助け起こそうとしたキリカには、その時早くも、相田マナが那珂ちゃんに襲い掛かっているのが感じ取れた。
『くっ、ちゃァッ――!!』
キリカは那珂ちゃんの精神を放り出し、自分一人で那珂ちゃんの手足を一気に跳ね起させた。
そして辛くも、相田マナの初撃は躱し得た。
だが、その肉体はキリカのものではなく、ましてや今回は那珂ちゃんの意志が起きた状態である。
統一できていない肉体の挙動は、先程の機敏な動作の足元にも及ばなかった。
見る間に手刀に斬り立てられ、衣装の方々に鮮血が散る。
「キリカ先生――!!」
「うわっ!?」
そして今度は、魂の甲板の上で那珂ちゃんがキリカを跳ね飛ばし、無理矢理体の主導権を握った。
肩先を抉り飛ばされながら、攻め来る相手との相対速度を利用して、昔のプロデューサーから伝授されたステップを踏む。
急点火する全速力で、敵の側面から後方へ、くるくるとスピンするように回り込む。
『どっかぁーん――!!』
今和泉式高速転舵の踵が、相田マナのうなじを捉えて蹴り飛ばした。
ボキン、と、余りにも簡単に彼女の首は折れ、相田マナは地面に転がってゆく。
そして再び音を立ててその首は元に戻り、立ち上がる。
つまり、全く効いていなかった。
「えぇ!? なんでこたえないの……!?」
「もう歌とかアイドルとか前座とか言ってる場合じゃないぞ!! 勝算は……!? 勝算はあるのか、これに!?」
方々に右往左往し狼狽する那珂ちゃんとキリカの魂は、またも攻め来る相田マナを前にして、体を立ち尽くさせることしかできなかった。
リズムも、ハーモニーも、不協和音の彼方に飛び去って凪いでいた、その時だった。
〔IF:3510GHz(御坂美琴)〕
「――勝算は、あるわ」
突如那珂ちゃんの魂の空間に、ピシリと音響の網が張り巡らされる。
広漠な大洋の360度を詳細に描き出すような音の帯が、自然と那珂ちゃんの体が立つべき舞台の位置をバミっていた。
一歩だけ、身じろぎのようにして那珂ちゃんの体がよろける。
それだけで、斬り下ろされた相田マナの手刀は地を抉った。
30センチだけ、力の抜けたように那珂ちゃんの膝が曲がる。
それだけで、首を刎ね飛ばす軌道の薙ぎ払いは空を切った。
そのまま、伸びをするように那珂ちゃんの右腕が振り上がる。
それだけで、カウンターのように顎を打ち抜かれた相田マナは、もんどりうって地に転げていた。
「……踊り辛そうなお二人さんに、DJミコトがイケてる伴奏をチョイスしました、っと」
「――!?」
刻まれるビートがメトロノームのように、乱れていた那珂ちゃんとキリカの呼吸を一瞬にして合わせていた。
魂の世界で驚きに艦首側へ振り返った二人の視線の先は、後の改造で『21号対空電探』が装備される――、と、歴史上されていた場所だった。
煙突を越した先、艦橋の上で、一人の少女のビジョンが、そこに仁王立ちしている。
「御坂美琴……!?」
「み、御坂高級技官殿――!? 一体どうして!?」
「軍艦だったら艦橋に『天網雅楽(スカイセンサー)』受信できるくらいの無線機は常備してるでしょ。電波を中継してるのよ。私からアンタにね!」
御坂美琴は言うや否や下部の通信室に、ヘッドセットを携えたまま、熟練の通信士のように悠然と、ゴシックロリータの衣装をはためかせて着座していた。
「そうじゃない!! ここは魂の中の結界みたいなとこだぞ!? なんで魔法少女でもないキミが入って来れるんだ!?
それに勝算って何だ!? のぞみの浄化も私らの攻撃も効かず、歌も言葉も聞く気のないあいつにどうやって勝てると!?」
「アンタが例の呉さんね。ふぅん……。本当に魂とやらだけで生きてるとは……。こりゃビックリだわ」
「質問に答えろよ!?」
一足飛びに通信室の美琴の隣まで精神を移動させたキリカは、驚愕に焦って捲し立てた。
キリカの魂の姿をじっくりと眺めまわした美琴は、座席を正して、『天網雅楽』の調律にいそしむ。
そこに映し出される電波は、既に立ち上がった相田マナを捉えている。
「……脳の思考ってのも、結局は微弱な電気信号のやり取りよ。意識ってのは、そうして形成された波の形。
だから、地磁気の強いところに行くと幻覚を見たりするし。『念話能力(テレパス)』にだってその性質を使ってるヤツはいるし。
つまり、適切な発信機構と受信機構さえ備えれば、私たちの精神は本来、自在に共鳴し、干渉し合うことができるんじゃないかしら。ね?」
アンテナの宝具を我が物とした電波の高級技官は、静かにそう言って、笑った。
キリカはその言説に、息を飲んだ。
「……まぁ、今さっき考えた憶測なんだけど」
「憶測かよ!?」
「『かしら』。って付けたじゃないちゃんと」
叫ぶキリカの背後から、那珂ちゃんの意識が通信室に上がり込んでくる。
「それにしても勝算って!? もしかして、この電探であの子の心にも直接歌を届けるとか!?」
「それが出来たら一番だったんだけど、相田さんの意識はそもそも、死んでるみたいにがらんどうよ。一体何があったのか……。
……ただ、勝つだけなら、『もう1つの武装』を使えば、できる。『天網雅楽』を展開しながらでも、もうすぐ電力は、貯まる」
「じゃあ、それまで凌ぎきれば良いんだな!?」
「……そうね」
興奮気味に叫ぶキリカの横で、美琴は描写される相田マナの動きを真っ直ぐに見つめ、歯を噛んでいた。
相田マナは、その左腕の機構を展開していた。
同時に右の手首が折れ、小指側の白い骨――、尺骨が迫り出してくる。
那珂ちゃんもキリカも確かに見たそれは、御坂美琴に一撃で重傷を負わせた、追尾する骨の矢だった。
「……あれを、凌げたら、ね」
〔AM:1197kHz(熊本放送)〕
那珂ちゃんに放り投げられた先で、2ndステージのくまモンたちの傍に着地したのぞみは、脚の痛みにふらついて、右膝を地についていた。
捩じ開けられた大腿の傷口は右脚から力を抜けさせ、包帯をじわじわと血に染めている。
満足に歩けもしないこの状態で、あれ以上あの相田マナの猛攻を凌ぐことは、厳しかっただろう。
そしてあのタイミングで、もし那珂ちゃんたちが助けに来なかったなら、自分は死んでいた――。
その事実に背筋を冷やした時、そのスカートが後ろから掴まれる。
くまモンに抱えられ、朦朧とした状態の、御坂美琴だった。
向こうの空中では、鉄片を投擲した那珂ちゃんが、跳び上がった相田マナと猛烈に打ち合っているところだった。
「最後のチャンス……、ダメだったのね?」
「それは……」
「……ならもう、殺すしか、相田さんを止める方法は、無い」
うわ言のようでありながら、美琴の言葉は、冷然としていた。
掌と肩を矢に穿たれて曲がったままの肘から、綺麗なゴスロリの左半分を血に染めて、美琴は淡々と言う。
もはや美琴には、それ以外の選択肢が浮かばなかった。
完膚無きまでに改造されてしまっていた時点で、どうせ殺さずに彼女を救うのは無理――。
そう、初めから決めてかかっていた。
最後にただ一つ、夢原のぞみに残した、『浄化』という希望の道。
越えられはしないだろうと思いつつも、淡い期待を寄せて設置した、ハードル。
それが閉ざされてしまったのだろう今、『もう1つの武装』を起動させ、決着をつけるしかないのだ。
「でも、それでもまず……。この、矢を、何とかしなきゃ、いけない……。
お願い、夢原さん、考えて……。何か、方法を……」
美琴が呟いていた時、那珂ちゃんは相田マナを叩き落としていた。
だがその直後、高速で跳ね返った相田マナの爪に切られ、那珂ちゃんは地に落ちる。
「ぬっ、ぉお!? ――ぎゃあっ!? か、顔は、やめてぇ……!!」
悲痛な呻き声が聞こえた。
キュアドリームがまごつく間にも、那珂ちゃんの戦況はどんどんと致命的な劣勢になっていくようだった。
呉キリカのような低い声と、那珂ちゃんの素のような抜けた声が交互に聞こえてくる時点で、彼女たちの混乱ぶりは推して知るべきであった。
「くっ、ちゃァッ――!! どっかぁーん――!!」
「ダメだ……。私が、支援に行かないと……」
辛くも回し蹴りで退けられた相田マナが、何事も無かったかのように再び立ち上がる時、美琴はそんなうわ言を呟いて、完全に意識を失っていた。
同時に、美琴とクマーを抱えていたくまモンが、驚いたように身じろぐ。
瞠目して頷く彼は、毛皮と血肉の塊と化しているクマーから、声なき声のようなものを聴いているらしい。
ヒグマでもゆるキャラでもないのぞみには、その内容はわからなかった。
「クマー……、さん……?」
くまモンが、大量のケチャップを拭き掃除した後のボロ雑巾のようになっているクマーを地に横たえる。
すると彼の前脚の爪が、切り裂かれた自分の体から流れ出る血液を使って、のぞみに向けて地面に文字を書き始めた。
『オレのハートをつかえ』
「え……!?」
のぞみの驚愕をよそに、文字は続く。
クマーは、自分の心臓を抉り取り、矢に向けて投げろ。と、そう言っていた。
『ハートをいぬくまで止らないなら、ハートで止めればいい』
「そんなの……!? クマーさんが、死んじゃうんじゃないの!?」
『大丈夫オレはペドだから』
血文字を書き終えてクマーの左手は、グッと親指を立ててみせるのみだった。
喘ぐように1stステージ側を振り仰いだのぞみの眼には、今まさに、相田マナの筋肉の弓に番えられた骨の矢が、那珂ちゃんに向けて撃ち出されようとしているのが映る。
その時突如、意識を失っているようにしか見えなかった美琴が、眼を閉じたまま叫んでいた。
「――夢原さん!! そっちも狙われてるッ!!」
相田マナの構えは、奇妙な姿勢になっていた。
展開した左腕で形成した弓に骨の矢を右手で番えながら、不必要に体を右側に傾斜させて、左脚を斜め後ろに振り上げている。
そして、矢を放った直後、ピボットターンのように右脚で回り、相田マナはその漆黒の左を振り抜いた。
くまモンに向けられかけた、あの攻撃だった。
「速度低下、『天網雅楽(スカイセンサー)』――ッ!!」
那珂ちゃんが、キリカと美琴と地声の混ざったような声音で叫んでいた。
射出された矢を機敏な動きで躱し、空中を飛び回りながら、彼女は手に持った槍でその骨の矢を打ち落そうとする。
しかし、ハエかコウモリか何かのように、その高速の矢は骨髄を噴射してその槍を避け続け、鋭い方向転換で心臓を狙い続ける。
一刻の猶予もない――。
そう思ったキュアドリームの眼に、相田マナの左脚から放たれたと思しき、何か小さな飛来物のきらめきが映った。
フリスビーのようにくるくると旋回しながら飛んでくる、手のひらサイズの可愛らしいハートだった。
初めて見る人なら、おもちゃかお菓子かと思って思わず手に取ってしまいそうな。
肉のような、血のような、プシュケーのような、ピンク色のハートだった。
「あ、あの、投網ダイナマイト……!!」
キュアドリームは、自分を殺しかけたそのハート形の爆発物を見て、声を絞った。
一塊になっており、なおかつ、くまモン以外は全員がまともに動けないこの一群を、まとめて皆殺しにするための攻撃だった。
「く、くまモン……!! 那珂ちゃんたちを、お願いッ!!」
――わかったモン……ッ!!
吠えるようにしてキュアドリームは、右脚を引き摺ったまま立ち上がった。
飛来するハートに向けて無事な左手を構え、そこに灯る燐光の上に、涙を零しながら叫んだ。
その隣ではくまモンが美琴を横たえ、歯を食いしばり、クマーの胸から、拍動する心臓を引き千切っていた。
「ゆ、夢見る乙女と……ッ、ヒグマさんの底力!! 受けてみなさい――!!」
掌の裂けた右手を左に重ね、キュアドリームは目の前に迫る、おもちゃのようなハートに両手を突き出した。
くまモンが投げ槍のように、背後に大きく、掴んだ心臓を振りかぶった。
ぱふぁっ、と。
急激に張り裂けたハートからその時、直径10メートルほどの巨大な投網が迫り来る。
くまモンがその網の届く前に、上空へ心臓を投擲した。
キュアドリームがその網に向けて、渾身の閃光を迸らせた。
「『プリキュア・シューティングスター』――ッ!!」
その投網がクマーや美琴やのぞみたちを捕える前に、朱華色の光線がその網を穿っていた。
人命を守る迎え火のようなその勢いは、爆轟する肉色の投網と、しっかり相殺し合っていた。
〔IF:3510GHz(御坂美琴)〕
『速度低下、「天網雅楽(スカイセンサー)」――ッ!!』
呉キリカの固有魔法と、御坂美琴の超能力の同時行使。
これが、那珂ちゃんの船体に乗り込む人員にできる、骨の矢に対する最大限の対応策だった。
弾道を予測しつつ、矢を相対的に速度低下させ、避けながらその矢を叩き壊す――。
そう考えてのものだった。
しかしそうして振り抜いた鋼鉄の槍は、容易く矢に回避されていた。
「はぁ!? 速度低下かけてるんだぞ!? 那珂!! お前の腕の振り遅すぎるんじゃないのか!?」
「えぇ!? なにその決めつけ!! 那珂ちゃんじゃなくてキリカ先生の効果がしょぼいんじゃないの!?」
「良いからさっさと避けなさい!!」
繰り返し迫り来る矢に回避動作と迎撃動作を重ねながら、キリカ、那珂ちゃん、美琴の三者は意識下で叫び合う。
「……私のコイルガンは亜音速でも回避されたわ! 最低でも音速を超えなきゃ、この矢の反応は上回れない!!」
「万全の私が一切の身動きを取らずに全身全霊の速度低下を使えば、60倍速まではイケる自信あるんだがね!!」
「現実的じゃないよね!?」
「ああそうさ!! 魔力も足りんし、そもそも動かなきゃこの矢は叩けない!!」
「回避に集中して!!」
「はいぃ――、取り舵ぃ!!」
船頭多くして船、山に登る――。
という状況になりかねない精神バランスを、美琴の『天網雅楽(スカイセンサー)』のリズムがかろうじて意思統一しつつ、那珂ちゃんの肉体は骨の矢を避けて飛び続けた。
熟練の見張り員のごとき美琴の采配で、飛鳥か航空機のようなキリカの動作が、那珂ちゃんにギリギリのラインで死線とのダンスを踊り抜かせる。
そのさなか、美琴の誇る鍛え抜かれた偵察力が、自身に垂らされた生存のルートを捕捉していた。
「やった――! ありがとう、夢原さん、くまモン、クマー!! あと5秒躱せば、この矢は止まるわ!!」
「どういうこと――!?」
「のぞみか!? のぞみは無事なんだな!?」
夢原のぞみたちに向けて放たれたハートの網が迎撃され爆発する直前に、那珂ちゃんに向けて、クマーの心臓が投擲されていた。
直前に美琴がわずかに注意喚起することしかできなかったのだが、夢原のぞみたちはなんとか、この状態を切り抜ける方策を見つけ出していたわけである。
そしてきっかり5秒後、那珂ちゃんの目の前まで放物線を描いてきた心臓に、矢が目標方向を変えて突き刺さった。
そのまま、矢は血を吸って大量の骨棘を突き出し、心筋を突き破り、真っ赤なハリセンボンのような様相となって地面に落ちていた。
「あ、ありがとー……!! これで、あとは技官殿の武装を……!!」
「起動させるだけ……ッ!!」
魂の甲板で那珂ちゃんとキリカが、息を荒げて通信室を見やる。
だがその時、御坂美琴の精神はヘッドセットを押さえ、わなわなと震えていた。
「――しまった……ッ!!」
電波を用いた情報伝達手段の中でも、FM変調方式には『弱肉強食特性』という性質がある。
同一搬送波周波数の電波が複数あった場合、強度の高いもののみが聞こえ、弱い電波がほぼ完全に聞こえなくなってしまう性質だ。
目の前の矢への対処に余りに集中して、三者の意識下にマスクされてしまっていたことがある。
矢の動作演算に電波を強め過ぎた美琴の認識に埋もれてしまっていた事態とは――。
――相田マナ本人の動向である。
〔MF:0.33MHz(夢原のぞみ)〕
「――夢原さん!! 来る!!」
キュアドリームが爆発する投網を、自身の必殺技で退けたその直後だった。
地面に横たわった美琴が、眼を閉じたままに叫んだ。
「え――」
のぞみは背後の美琴に一瞬だけ視線を動かし、正面に立つ爆炎に戻す。
その瞬間、十数メートル先で燃え上がっていたその炎が、割れた。
必殺技同士がぶつかりあう派手な爆発に紛れ、走り込んでいたその者。
漆黒のボディーにマゼンタの髪を振り乱して、ハヤブサのように相田マナが飛び掛かっていた。
「う、わぁあ~~――ッ!?」
左脚の踏み切りだけで、キュアドリームは転ぶように後ろへ跳ねていた。
御坂美琴を守るように倒れ込んだ背中を、相田マナの左手刀が深々と切り裂いていく。
そしてそれは、心臓を投げた先を見送っていてさらに反応の遅れたくまモンにも同様だった。
回避が間に合わずに胸板を右手刀で叩かれ、彼は地に転げる。
鶴翼のように両腕を広げた通りすがりざまの勢いをそのままに、相田マナは地面のクマーに噛みつき、その頭を引き千切っていた。
2ndステージと3rdステージの境界近くまで一気に滑り込んだ彼女は、その肉と骨を、バリバリと音を立てて喰らってゆく。
彼女のその行為が意味する事実を、キュアドリームとくまモンは、呻きを上げながら見守ることしかできなかった。
「あ、そ、そんな――」
――い、いかんモン……!!
つい先ほどまで、下腕の骨2本を両方とも消費した相田マナの右腕は、ボディースーツ下にもその体積を失ったことで、危なっかしいほどに細って見えた。
その彼女の腕が、内部で音を立てて体積を復元してゆく。
クマーの骨肉を捕食し、その橈尺骨を、補填している――。
「マナちゃん……!! お願いだよ……!! 戻って、戻って来て……!!」
「夢原さん……!! もう、遅い……。やるしか、ないのよ……!!」
涙を零すキュアドリームの下で、美琴はきつく目を閉じながら声を絞る。
相田マナからの返事は、ない。
矢弾を再装填しながらに、再び相田マナは、その両腕の機構を展開していた。
狙いは、未だ1stステージに滞空している、那珂ちゃんの方向。
そして同時に顔を振り向けたのは、地に倒れる、夢原のぞみたちの一帯だ。
「のぞみぃぃいいぃいぃいぃ――!!」
――おおおぉッ、西の、天草……ッ!!
那珂ちゃんが鋭い声を上げて、黒く塗装された衣装で急速にこちらへ飛来していた。
受けたのが支えの弱い右手の攻撃だった分傷の浅かったくまモンが、ふらふらと立ち上がる。
だが夢原のぞみには、そうして見え、聞こえてくる事態の一つ一つが、ヒリヒリと痛かった。
――皆が、夢に向かって、必死に進もうとしている。
それを、自分も応援しようとしていた。
絶対に夢は叶うのだと。
その命題を証明しようと、彼女は今さっきまでも奮戦していた。
呼びかける先の相田マナも、1時間前、1分前、1秒前の彼女から、必ずや変わってくれるだろうと信じて。
だが既に、キリカは体を喪い、クマーは死に、くまモンも美琴も那珂ちゃんも自身も、傷だらけだった。
相田マナを救うどころか、誰一人として、自分は助けられない――。
その厳然たる事実に、もうのぞみ一人にはこれ以上、どうすれば良いのかの方策が、見つからなかった。
のぞみの涙が、御坂美琴の瞼に落ちる。
その時スッと、架空の天網を見ていた彼女が、眼を開いていた。
「……自分一人にこもってちゃ、見えないわよ」
「え……?」
呟く美琴の顔の横に視線を落として、のぞみは初めて、そこに今まで見えていなかったものが存在していることに気付く。
それは真っ赤な文字。
血液の成分が、まるでその血球一つ一つに意志があるかのように蠢いて、その下に赤く線を曳いていた。
『幼女が生きる限り そこに幸せはくる
キミがすすむ限り そこに希望はくる
その声とえがおが オレの存在意義だ』
その最後の濁点が曳かれると、その血は日差しに照らされ、乾いていた。
クマーの細胞が記した、のぞみへのメッセージだった。
キュアドリームは吸い込まれるようにそれを見つめ、美琴の胸に頭を落とした。
彼女の傷をいたわるように抱きしめ、そして啜り上げるように呟く。
身を振る方策が、見えていた。
「――お願い美琴ちゃん……。マナちゃんを、救ってあげて……!」
「……了解よ」
美琴が頷きながら、キュアドリームを抱き返す。
――『前島橋』!!
「指向性、速度低下ァ!!」
ピンク色の閃光がその場を過ぎ去っていた。
〔FM:ダブルスーパーヘテロダイン(周波数変調)〕
相田マナの口から放たれた光線に地表が焼かれる寸前、くまモンがその場を高速の踏み込みで横断していた。
両手で抱え上げたのは、抱き合っているような夢原のぞみと、御坂美琴だった。
同じように地に倒れていたボロボロのクマーの半身をも抱えていくには、彼にはそのための腕も、余裕も、なかった。
そこに横たわっていたクマーの残りの体は、その光線に屠られ、跡形もなく消し飛んでいた。
――クマー……!!
くまモンは今まで共に行動してきた、丈夫さだけがとりえの同胞の絶対的な死を感じて牙を噛んだ。
その彼の元に、何の躊躇も逡巡も無く相田マナが躍りかかる。
両腕が塞がり、応戦の手のない彼の前にその時、上空から短槍が投げられて目前に突き立っていた。
「――お前の相手は、この、私だぁあぁぁあああぁ!!」
呉キリカの鋭い声で、那珂ちゃんがくまモンたちの元へ急降下してくる。
飛来する矢に、当たらぬのを承知でもう一方の槍を投げ放ち、彼女は相田マナだけを目掛けて飛び込んで来ていた。
投槍を避けて高高度へ鋭く迂回した骨の矢は、キリカの速度低下の範囲外に脱出し、骨髄を噴射して更なる高速度で落下する。
――このままでは直撃だモン!? 自殺行為……!!
『と、思うわよね』
くまモンがそう思考した瞬間、その耳に御坂美琴の声が響いた。
彼の意識はいつの間にか、薄赤い大洋に浮かぶ一隻の船の甲板の上に立っていた。
そしてそこから、彼は自分の眼という双眼鏡で、襲撃者の少女が実際に動いている挙動を、非常にゆっくりとした映像で見ていることに気付く。
『……でも大丈夫よ。世の中には、目に見えない希望への道が山のように存在してる』
舳先に立っていたくまモンが声のする方を振り返ってみれば、その艦橋の窓に、ゴシックロリータの衣装を纏った御坂美琴が笑っていた。
『美琴……!? これは一体……!?』
『那珂ちゃんの、心の中、だね……?』
喋ってもいない自分の声が響き、そしてそこに、隣から言葉が返ってくる。
くまモンの隣には、キュアドリームの変身を解いて驚いた表情をしている、夢原のぞみの姿があった。
そしてさらに、艦尾の方から、もう二人の少女が顔を覗かせてくる。
ダンスの手ほどきを受けているように、もう一人の娘に手を取られた那珂ちゃん。
そしてクマーの写真でその姿を見た、呉キリカという少女だった。
『あ、二人も来たんだね!! 軽巡洋艦・那珂ちゃんにようこそ!!』
『驚いたね……。こいつらまで魂の中に入ってくるとは』
『木山先生止めた時にも似たようなことあったから、私は今更不思議でもないけどね』
隣接するコイルの片方に電流を流すと、発生する磁束を媒介して隣接したもう片方に起電力が発生する。
電磁誘導だ。
またコイルとコンデンサで共振する二つの共振器の間には、共鳴場の結合が発生する。
振動エネルギーのしみ出し(エバネッセント・テール)だ。
『天網雅楽(スカイセンサー)』を全開にしている美琴のAIM拡散力場は、いわば巨大な発振器だった。
『ちょうど良かったよ!! こっち来て、来て! 装備は艦尾にあるの!!』
『……まぁいいや。那珂の一番の見せ場だ。とくと御覧じてやってくれ』
語る彼女たちの後に付き、くまモンとのぞみは那珂ちゃんの魂を艦尾に辿っていった。
現実の空間ではその時、足元に突き刺さった短槍に急停止し、相田マナが上空の那珂ちゃんを振り仰いでいた。
くまモンに向かっていた脚を踏み込んで、上空に跳ぶ。
そしてみたびの、サマーソルトキックのような鋭い蹴り上げが、迫り来る那珂ちゃんに向けて奔った。
『さてそもそも――、防御においても迅速は第一だ』
呉キリカの独白と同時に、急降下する那珂ちゃんの踵が、蹴り上がってくる相田マナの両膝を砕いた。
『インパクトの前の根元なら、その威力は無きに等しい』
敢えてこれまでのように避けるのではなく、自分からその攻撃に突っ込むことで、キリカは相田マナのその攻撃を防いでいた。
だが当然のように、相田マナの攻撃はそれで止まりはしない。
彼女は折られた膝を支点にするようにして、ぐるりと腹筋で上半身を振り上げた。
前方に半回転した勢いで、両手の手刀が、那珂ちゃんの両側頸部に振り下ろされてくる。
『そうして相手の先に先を取れば、相手の行動は封殺される!』
スカイセンサーに描き出される譜面に沿って、キリカは振り下ろされる彼女の両手首を、那珂ちゃんの両手に掴んでいた。
粘りつくようなクリンチとなって、那珂ちゃんの体は相田マナと共に落ちてゆく。
くまモンとのぞみは、その光景に慌てた。
『だけど――、これでどうするモン!!』
『ダメっ、離れなきゃ――!!』
那珂ちゃんの背後から、その心臓を目掛けて矢が落ちてきていた。
恐らく、相田マナ自身を貫くのを避けて止まるなどという甘い現象は起こらない。
さらに、捕えられた相田マナは、その口に白々と牙を覗かせて、那珂ちゃんの首筋にそれを突き立てんとさえしていた。
『さて本当の牙は誰のものか――。心臓に突き立つ杭は誰のものか――』
キリカは甲板の上で、那珂ちゃんの体に重なるように、構えを取っていた。
『私はその答えを得るために、この武装を演繹している』
その視線が見ているのは、軽巡洋艦・那珂の艦尾に聳え立つ、巨大な鉄の骨組みだった。
1941年の改造時から那珂ちゃんに搭載され、熟練の飛行士が搭乗する漆黒の機体『九八式水上偵察機』を載せていた呉の装備。
『呉式二号三型改一射出機』――。
艦載機へ一瞬にして離陸速度を与える、カタパルトである。
キリカと那珂ちゃんは、相田マナの両手をそれぞれに掴み、その両脚を左の踵で押さえていた。
そしてその胸に――、自身の右脚を上げ、構えていた。
『昏く、静かに、初めは処女の如く誘い、そしてその隙に、一気に牙を突き立てる!!』
『そう、那珂ちゃん自身が、飛び発つ牙になる!! それが「呉式牙号型――」』
那珂ちゃんの機関が高速で回転する。
高まる蒸気圧が、精神世界の船体をも、4本の煙突を噴かせて湧く。
「矢が――!!」
――間に合わんモン!!
落下する矢は、もはや避けられる位置でも速度でもない。
のぞみとくまモンは上空で一塊となる相田マナと那珂ちゃんを見上げ、思わず喉を絞った。
その瞬間だった。
『――大丈夫っつったでしょ?』
御坂美琴の声と共に空中を、一条のレーザーが走り抜けていた。
緑色の、美琴にとってはある意味親しみ深いその光線はもちろん、現世の何者よりも速い、光の速度であった。
その光芒に呑み込まれた骨の矢は、跡形もなく蒸発する。
それはこの場の誰もが戦闘中立ち入らなかった、Finalステージの瓦礫の中から放たれていた。
ただのスクラップにしか見えない乗り物の残骸の中で。
ただのバカヤロウにしか思えない生き物のクズが、滂沱の涙と共に、放っていたものだった。
「……殺すのは、俺だ……! 俺が自分で、終止符を打つんだ――!!」
そのヒグマは言った。
「『クックロビン』という名に――!!」
地に唸った彼の慟哭は、滴り落ちていく澄んだ涙に絡んで、日差しの中に舞い上がっていた。
〔VHF:96MHz(蔵人)〕
そのヒグマ、クックロビンはその時、突如人格が変わったように声質を変化させた那珂ちゃんの様子に驚愕していた。
「……いいんだな? 覚悟してろよ?」
表情までもが、先程の朗らかなものから、殺人鬼のような薄く鋭い笑みに変貌していた。
そして立ち上がった那珂ちゃんの服装は見る間に、オレンジ色をしたドレスが黒く塗装されてゆき、燕尾服にショートパンツを合わせたような独特の衣装に変わってしまった。
その右眼には凶悪そうな眼帯まで嵌っている。
クックロビンは身を退いてどもった。
「だっ、だっ、誰だッ!! お前――!!」
「あぁん? 誰だと思う?」
「あっ、あっ、その、それだ!! その指輪の、魔神かなんかだろッ!!」
ガラの悪い不良のような口調で詰問を返してくる那珂ちゃんにビビりながら、クックロビンは先程まで指輪の嵌っていた那珂ちゃんの手を指す。
今はそこに指輪はなく、青紫の宝石に変化して彼女の衣装の背中にあった。
どう考えても、それしかこんな異変の原因は思い付かない。
那珂ちゃんはそれを鼻で笑った。
「ハッ、想像力豊かなことで。でも残念! 那珂ちゃんは那珂ちゃんだよー!」
「えっ!? うえぇっ!?」
「これもレッスンだもの! 絶対に良い舞台に、してみせるから!! よっろしくぅ~!!」
セリフの後半で、那珂ちゃんの口調は急激にいつも通りの明るいものに戻る。
バシバシとクックロビンの肩を叩いて笑う彼女の様子に、はっとクックロビンは思い至った。
――アイドルや俳優の、表現訓練だ。
自分と全く異なる複数のキャラクターに瞬時になりきり、入れ替わる『スイッチプレイ』。
感情表現訓練や模倣訓練のある種の極点に存在するといえる演劇技能を、那珂ちゃんは今まさに実践しているのだ。
だがその間にも進行していた襲撃者との戦いは、悲痛なものになってきていた。
始めこそ、なんとか退けられるのではと思えた襲撃者は、いつまで経っても倒れなかった。
その機械化されたと思しき襲撃者は、のぞみという少女の知人であるらしく、必死に声を掛けながらの戦いは、ただいたぶられているだけといっても過言ではない程だった。
クックロビンと共に舞台を見ていたクマーは、何度も切り裂かれ、屠られた。
那珂ちゃんの舞台を設定し、伴奏まで行なった御坂美琴は、凶悪な軌道を描く矢に貫かれ倒れている。
襲撃者を正気に戻そうとし続けていたのぞみという少女などは、殺人的な威力を持つ光線を浴びて一気に2ndステージから1stステージの電光掲示板まで吹き飛ばされていた。
「……おい、アイドルファンだか何だか知らないが、これだけ見て自分だけすっこんでようとか思わないよな?」
「ひぃっ!? ど、どういうことだよぉ――!?」
そして突如、クックロビンの肩を叩いていた那珂ちゃんの手は毛皮に喰い込み、その声音が冷え切った低音に落ち込んでいた。
鋭い視線でクックロビンをねめ上げ、那珂ちゃんは彼の体を突き放しながら言い捨てた。
「……愛のために必要な判断基準さえ理解できず、一人でこもって自己満足してていいのか、ってことだよ」
「え……、え……!?」
「……私はごめんだ。だから置いていかれたなら、それより速く、追うさ」
踵を返した那珂ちゃんが、夢原のぞみが戦っているステージの方に高速で駆け出すのだけが、辛うじてクックロビンには見えていた。
直後、1stステージでは、襲撃者に蹴り落とされた投網のようなものに捕えられ、のぞみという少女が爆殺されたように、彼には見えた。
「ひぃ――ッ!?」
巻き起こる爆炎がクックロビンに、焼け落ちるテーマパークと同胞たちの姿を思い起こさせた。
思わず逃げ出そうと、体が2歩、3歩と後ずさりしていた。
体が退いた後は、心まで一緒になってくじけた。
放送室前から転がるようにして、彼は崖側に逃げようとばたついた。
――あんな、ヒグマさえものともしない相手に順繰りに挑みかかっていくとか、正気じゃない。
どうあったって死ぬのに。
早く逃げないと――。
そう思って走り出してすぐに、彼は何かにすべって盛大にこけた。
走っていく勢いだけはそのままに、彼は北西側の瓦礫の中にがらがらと頭から突っ込んでいた。
そして呻きながら、彼は気づく。
――そうだ。でも俺は既に、腐って死んだも同然じゃないか。
自分のせいで同胞は死に、仕事は滅茶苦茶になり、好きだったはずのアイドルの名声は、影も形もない。
これでは自分の生きる意味は、一体どこにあるというのか。
あの襲撃者は、海食洞から来たらしい。
そうなると、もう崖から海食洞に降りたところで、ヤエサワたちはいない可能性が高い。
いないか、もしくはあの襲撃者に殺されたかのどちらかだ。
同輩で生きている可能性がある残りはクレイとモモイの2頭だが、彼らの持ち場は島のほぼ正反対。
今から会いに行ける気力なんてとてもない。
爪も折られ、牙も砕かれ、くまモンという鉄面皮の先輩には半殺しにされていた。
ここにいても、生殺しになるだけだ。
那珂ちゃんは『今から一緒に頑張ろ』と言ってくれた、が。
『道具無くてもカラダ一つでできることあるって』と言ってくれた、が――。
「何ができるっていうんだ……? 俺に一体、何ができるって――」
顔を覆おうとしたその時、クックロビンは自分の掌に、大量の赤い液体がべっとりと付着しているのに気付いた。
血だ。
それが何故か、意志を持つように蠢いて、肉球の上に、文字を成していた。
『応援くらいできるだろ ファンなら』
クックロビンが振り向けばシャワールームの前に、半分乾いた大きな血だまりが残っている。
彼はそこの生乾きの血に滑って転倒していたのだ。
その臭いは、クマーというあのヒグマのものと同一だった。
クマーが、御坂美琴の全裸を覗いて蹴り飛ばされた時に盛大に吐き戻していた血液――。
それがクックロビンの掌に文字を残して、乾ききっていた。
視線を戻せば、彼のいる瓦礫は、いくつもの乗り物や、道路のアスファルトのようなもので埋まっていた。
自転車、竹馬、ホッピング、スケートボード、サーフボード……。
統一感のない、ガラクタのようなスクラップの中にただ一つ、異彩を放つものがあった。
「これ……。擬似メルトダウナー……」
飛行船と同じく、そもそも電気機器の少なかったヒグマ帝国で見かける、ほとんど唯一といってもいい大型の機械がそれだった。
示現エンジンからのエネルギーで動くようにチューンされたそれは、停電が起こっているらしい今は、モノを知らない者が見れば、解体もままならないただのゴミだ。
だがクックロビンは知っている。
不遜にも飛行船をほとんど自分専用の凛ちゃんカスタムに塗り替えるような不届き者だったからこそ。
そして仕事には打ち込まなかったくせに、たった一人でその飛行船の操舵をやりこなしてしまえるような技能ばかり磨いていた趣味人だったからこそ。
その中には、『原子崩し(メルトダウナー)』の光線を一発は撃てるだけの予備燃料が蓄えられていることを、知っている。
「……動く……。多分これ、動くぞ……!?」
急いで周辺を点検し、損傷をチェックした。
機関部の瓦礫の有無、へこみの位置、塗装の剥げ方――。
アイドルだの装飾品だのばかりにこだわる輩だったからこそ判断できる基準で、彼はその機械の動作保証を確信した。
瓦礫を外し、コックピットを開ける。
その時遠くから、ひときわ大きな叫び声が聞こえた。
「速度低下、『天網雅楽(スカイセンサー)』――ッ!!」
声のした1stステージを見やれば、真っ黒な舞台衣装に身を包んだ那珂ちゃんが、あの追尾し続ける骨の矢を振り切ろうと、必死に空中をステップしている。
クックロビンと、この島の『アイドル』を守ってくれた彼女が、あの凶悪な兵器に狙われていた。
「あ、あれを――!! あれだけは、どうにかしなきゃ――!!」
慌ててクックロビンはコックピットに乗り込み、予備燃料でエンジンをかける。
倒れ、傾いた操縦席のモニターに、急ぎその矢へ照準を合わせようとしていたその時、その画面上に小さな赤い塊が過ぎた。
光学ズームのレンズに捉えられたのは、ヒグマの心臓だった。
それはまさに、那珂ちゃんの身代わりになるかのように自身に矢を受け、ズタズタに引き裂かれて地に落ちていた。
そんなことができて、なおかつやってのけるヒグマの存在など、クックロビンは一頭しか知らない。
「クマー……、さん……!?」
クックロビン自身さえ持っていない凛ちゃんの生写真を持ち、アイドルファンの風上にもおけぬ自分を叱咤し、そしてさっき、血文字を使ってまで激励してくれたその先輩。
彼が、クックロビンの間に合わなかった『応援』の手本を、身を以て示してくれたような、そんな現象だった。
「ああ……」
クックロビンは、傾いた背もたれに、どっかりと身を預けた。
血文字の刻まれた左手を見やり、クックロビンは顔を覆う。
「今やっと気づいたよ、コシミズさん、クマーさん……。
アイドルは、ファンが一緒に作って、守っていかなきゃいけないもんなんだって……。
自分にそれができなくなるなら、それを自覚してきっぱり『ファンやめます』って言えるくらい、『好い』てなきゃいけないんだって……」
クックロビンは身を起こし、括目した瞳に涙を浮かべて、コンソールに食い入った。
「俺はそんな自覚もできなかった、バカだった……。
でもさ、ライブの作法についてだけは、必死に前予習したからさ……。
確かめてくれよ……。俺が新米ファンとして、もう一度やり直せるかをさ……」
クックロビンは静かに、自動照準とロックオンスイッチに手を置き、モニターの隅を食い入るように見つめる。
「あの襲撃者の……、マナちゃんっていうアイドルの『持ち歌』は、3曲……。
桃色スイート光線、白骨ハートアロー、投網ダイナマイトだ……。
中でも白骨ハートアローは、歌えば観客卒倒必至のヒット曲と見た。ならライブでは、最後の最後に必ずアンコールが入る……!」
識別のための適当な仮称を襲撃者の攻撃に命名しながら、クックロビンは鼻を啜って呟いた。
そして口元を歪ませ、笑う。
「……特に今はさ、俺はサイリウム1本しか持ってないから。綺麗な緑色のサイリウムだけど。
振るタイミング間違えたら、恥ずかしいよなぁ……、クマーさん!」
モニター上の視界に、空中に放たれる骨の矢と、上空から急降下しだす那珂ちゃんの姿が映った。
クックロビンは奥歯を噛み締めて、唸りながら照準を合わせた。
「オタ芸だってタイミングよくなきゃ、アイドルに申し訳もたたねぇ――ッ!!」
叫びながら、彼は自分の慟哭を載せて、そのサイリウムを、振った。
空に一条の美しい緑のライトが通り過ぎた時、彼の応援に、出演者からの返信が返っていた。
――GOOD JOB : DJミコトより
モニターのチャット画面には、そんな文字が一行だけ書き込まれていた。
〔LF:1000hHz(H)〕
今の那珂ちゃんには、武器といえる武器は、何も装備されていなかった。
本来なら建造時に自動的に持っているはずの14cm単装砲もなく、平常時の写真でも当たり前のようにつけている魚雷発射管もなかった。
だが彼女の艤装には、その内燃機関の動力を、唯一活用できる装備が残っていた。
それが、『煙突』である。
彼女の両脚を覆うブーツの側面に、軍艦時代を再現するように4本ずつ突き立っているその煙突が、今静かに白煙を上げていた。
那珂ちゃんは、軽巡洋艦である。
もし彼女が空母であったりしたのなら、例え山ほどの武装を積んでいたとしても、単なる『武器を運ぶもの』という自己認識に終始していただろう。
しかし、軽巡洋艦は火砲を主兵装とし、軽度な舷側装甲を施した比較的小型の『軍艦』である。
軍艦とは戦闘力を持つ艦艇のことであり、非武装であっても補給艦や輸送艦などを含む。
彼女は例え丸腰でも、その身一つで、『武器』なのだ。
その点こそ、ランスロットが那珂の心を立ち去る間際に残した木戸賃。
その点こそ、呉キリカが自身の技を重ねて演繹した必殺の舞踏。
そしてその点こそ、那珂ちゃんが無い無い尽くしの自身の中に建造しえた装備だ。
そのステップの名は『呉式牙号型(くれしきガごうがた)』――。
「『鬼瞰砲(きかんほう)』――!!」
カタパルトがその上に載せた艦載機を一瞬で飛び立たせるように、那珂ちゃんの右脚の煙突が、高圧の蒸気を吹いて急加速した。
呉キリカが自身の生成する魔力の爪を、多数連結させて放つ『ヴァンパイアファング』という技――。
その名称を持つ必殺技の用法のうち、高速生成した爪で相手の隙を真っ直ぐに刺突する動作を、那珂ちゃんは模倣していた。
――カタパルトの勢いを有した零距離ケンカキック。
その加速度は、クリンチの位置に密着していた相田マナの胸郭を、胸骨から背骨まで砕いていた。
ボディースーツの胸に靴底の形が刻まれる。
全ての肋骨が、圧力に耐えかねて外向きに折れる。
縦隔を押しつぶし、胸椎まで浸透したその生脚という砲撃で、相田マナの体は遥かな上空の高みまで弾き飛ばされていた。
「美琴ちゃん……!! あれでもマナちゃんは、倒れないよ――!?」
その光景を見上げていたキュアドリームが、くまモンの腕の中で叫んでいた。
くまモンたちが見上げる中で、相田マナの体は、それだけの大破壊を受けてなお、その最高点に到達する時には、その骨格の修復を完了させてしまっていた。
そこに、反動で地面に着地し転がっていた那珂ちゃんが声を投げる。
「んなことは百も承知さ! 私はヤツを、逃げられないようにしただけ!!
那珂ちゃんは、前座だからね!!」
キュアドリームに抱きしめられている御坂美琴は、その声にうっすらと眼を開けた。
「――そうね。でももう『只管楽砲(チューブラ・ヘルツ)』は、命中した。
……ごめんね、相田さん」
美琴はただ静かにそう呟くのみだった。
離れていたクックロビンには当然、そして夢原のぞみやくまモン、さらには那珂ちゃんや呉キリカにさえも、その瞬間何が起きていたのか、全くわからなかった。
最初に見えたのは、落下してくる相田マナの眼球が弾け飛んだところだった。
内側から破裂するように、両方の目が吹き飛んだのだ。
そして次に、顔や手に覗く皮膚がちりめんのように縮れて真っ白になり、そこから、そしてボディースーツの下からも、ひびが入った水道管のように破裂した血管から鮮血が噴き出していた。
空中でのけぞった口から、茶褐色の吐血が踊り、全身から湯気を噴きながら、彼女は力が抜けたようになって崖のふちへと落ちる。
ごろごろと槍衾の置かれた際まで、受身もとることのない肉塊のように転がり、ピクリとも動くことなく、止まっていた。
一切の音も無く終演したその楽曲に、暫くの間、誰も言葉を発することができなかった。
――管状の周波数(チューブラ・ヘルツ)。
そんな名称の必殺の音楽が、御坂美琴が『八木・宇田アンテナ』という宝具を用いて作成していた『もう1つの武装』だった。
その正体は、『城』のアンテナから発射される、高密度に収束したマイクロ波の砲撃である。
指向性エネルギー兵器というものに分類されるこの『只管楽砲(チューブラ・ヘルツ)』は、目標に投射した電波にわざと『誘電損失』というエネルギー損失を発生させて、対象を急速過熱・破壊するものだった。
卑近な例では電子レンジ。
そして、人体に対する非殺傷兵器アクティブ・ディナイアル・システムなどという応用が成されているこの技術は、強めれば気づかれぬままに生体を殺傷することも可能な、兵器である。
また異なる応用として、ボフォースHPMブラックアウトという電子機器破壊兵器にも、このマイクロ波は利用されていた。
全身の肉を焼き、総体の回路を溶かすその攻撃は、有効射程200メートル超。
銃のような砲身も無く、引き鉄を引く指の動きもない。
攻撃が発生するまで知覚不能。
発生から着弾までに、生物の認識できる時間は存在しない。
光速で標的に命中するため回避不能。
その砲弾は五感に捉えられず、類似した電波は空中のあちこちにある。
凶器を特定できる弾痕も残らず検証不能。
そんな特性を持つ必殺の楽器が、『只管楽砲(チューブラ・ヘルツ)』である。
美琴は眉を、顰めていた。
この楽器を実際に戦闘に使ったミュージシャンはいるらしい。
だが美琴としては、できればアンコールはしたくない――。
そんな武装だった。
「ま、マナちゃん……」
くまモンの腕から、ふらふらとキュアドリームが地に降り立っていた。
死んでしまったように血溜まりに倒れ伏すボディースーツの相田マナに、脚を引きながら、よろめいて歩み寄っていく。
風の吹き抜ける崖の際で、ぼろぼろになった彼女の元に、キュアドリームは膝をついていた。
「マナちゃんは、『みなぎる愛』でしょ……? みんな、信じてるんだよ、あなたを……。
あなたなら、戻ってこれるって……。だから、諦めないで……!
私はみんなの……、あなたの笑顔が、欲しい……!!
一人ぼっちじゃないんだよ!! 思い出して……!! ねぇ、マナちゃん……」
訥々とのぞみは、彼女の体に言葉をかけ続けていた。
するとその時、相田マナの指先が、ぴくりと痙攣のように、動く。
見つめるキュアドリームの前に、ふらふらと、助けを求めるように、その手が伸びてゆく。
息を飲み手を差し出そうとしたのぞみに向け、相田マナの手元には、ボディースーツの袖口から、何かが手渡されるようにせり出してくる。
それは、とても可愛らしい、掌サイズのハートだった。
彼女の心のような、血の色のピンクをした、ハートだった。
それを見て、夢原のぞみはぼろぼろと涙を零していた。
震える手を引き、そして、ただゆっくりと首を横に振る。
「ごめんね……、そのハートは受け取れない。そのハートは、愛じゃないよ、マナちゃん……!!」
キュアドリームが声を絞り出した時、相田マナの手から、ハートが零れ落ちていた。
踵を返して、キュアドリームは内陸側に跳ね飛ぶ。
そのハートは地面に落ちた瞬間、今度は投網を展開することなく、そのまま爆発した。
崖の縁を槍衾ごと削り落とすようなその爆発で、相田マナは崖の下に転落していく。
瓦礫の土にうつぶせになったキュアドリームは、そのまま顔を伏せて、すすり上げていた。
くまモンの腕の中に、美琴は無事な右手で、涙の零れる顔を覆っていた。
「あんな……、あんな……。壊れていく相田さんの姿を見たら……。
殺しきるまで撃ち続けられるわけ、ないじゃない……ッ!!」
どうせ殺さずに彼女を救うのは無理――。
そう、初めから決めてかかっていたくせに、最後の最後で、美琴は甘さを断ち切れなかった。
『只管楽砲(チューブラ・ヘルツ)』を最後まで撃ち続けることを、躊躇した。
その不甲斐ない自分への悔しさと、どんな方法でも救えなかった相田マナへの遣る瀬無さで、美琴は泣いた。
彼女たちの第一回目のライブは、こんなエンディングで、幕を下ろしていた。
〔VHF:96MHz(蔵人)〕
ライブの後片付けは、壮絶なものだった。
「ぐぅ、ぎぃ――……」
痛みでぼろぼろと涙を零す御坂美琴は、舌を噛まないようつけた猿轡を噛みながらもがく。
左手から肩までを貫いた矢の骨棘を一本一本折り取り、傷を広げないよう引き抜く作業に、くまモンと那珂ちゃんが当たっていた。
彼ら自身も、くまモンは胸部に晒しのように布を巻き、那珂ちゃんも全身の浅い切り傷を包帯の圧迫で押さえている。
「クリスタルフルーレ……、希望の光……ッ!!」
そう唱えて熱線で形成された自身の剣を召喚し、那珂ちゃんに貸し出しているのは、椅子に腰かけて今まさにクックロビンから胸背部に布を巻いてもらっている夢原のぞみだ。
彼らはHIGUMAアスレチック内のシャワールームの更衣室で、野戦病院のような手術手技を敢行していた。
豊富な熱湯と、シャツの布の物量だけを頼みにした、クリスタルフルーレの刃先で止血しつつの摘出手術だ。
数十本に及ぶ骨の棘を掌と肩関節から取り出し、なんとか骨の矢を引き抜き、那珂ちゃんはそれを風呂桶の中に落とした。
創口を灼き、大量の湯で洗い、きつく布を巻いて砕かれた肩を固定する。
「那珂ちゃんに乗ってた医官さんの見様見真似だったけど、うろ覚えで……。
ごめんね、痛かったよね御坂さん……」
「……いい。ありがと……」
美琴は荒い呼吸で眼を閉じたまま、右手で自分の猿轡を外して、そう呟いた。
激痛でとっくに吹っ飛んでいる意識を、自分の能力で無理矢理脳内に電気信号を発生させて、彼女は体を動かしていた。
――どこかでちゃんと整復治療を受けないと、今後もう一度左腕を動かすのは厳しいと思うモン。
「那珂ちゃんも肩の回復は難しいと思う……。すまないな、私の魔力も肉体修復に回せるほど余裕はない」
くまモンに頷いて、那珂ちゃんはキリカの口調で言葉を落とした。
場を占めているのは、余りにも沈鬱な空気だった。
「……マナちゃんは、生きて、絶対に『戻ってくる』。プリキュアだもの」
「そうね……。その時は、今度こそ絶対に、『救ってやる』わ」
その中で呟かれたのぞみと美琴の言葉は、互いに大きな含みを持っていた。
相田マナとのこんな形での再開は、彼女たちにとって大きな衝撃だった。
特に、はぐれていた本土からの救援部隊の一人があんな姿になっていたという事実は、その他に残ったメンバーへの不安を大きく募らせるものだった。
実際に、
白井黒子との電話も通じなかった。
生存は絶望的なのかもしれない――。
そんな思考が去来して、美琴とのぞみはこのことについて考えるのを一時放棄した。
クマーは、喪われた。
彼の細胞の一片でも生き残ってはいないかと、くまモンはそこらじゅうを探した。
だが破られた心臓や、流れ落ちた血痕なども全て、彼の細胞はこの真昼の日差しを受けて干からびていた。
ただクックロビンの掌に、『応援くらいできるだろ ファンなら』という血文字だけが残っている。
その手を握り締めて、クックロビンは立ち上がった。
「なぁ――。休んでるヒマ、ないんだろ? みんなに聞かせる、コンサート、するんだろ……?
クマーさんの分まで、やりきらなきゃ……。なぁ、やろうぜ、なぁ……!!
アイドルのために、一緒にやらせてくれよ、なぁ!!」
「はっ、わかってるのよ……、あんたみたいなポッと出のヒグマに言われなくてもさ……」
三角巾のようにして左腕を吊られた美琴は、意識のないままクックロビンの言葉に苦笑し、夢遊病者のようにふらふらと立ち上がる。
ただ意思の熱気だけで言葉を紡いでいたクックロビンはそこで彼女に、手に持っていた布地を手渡す。
「――これ、さっき作った、旗だ。ありあわせのシャツの布にマジックで描いただけだけど……。
俺の心を改めてくれた、ここのみんなの希望を叶えるために、どうか、使ってくれ……」
「旗……」
それを広げた美琴は、うっすらと眼を開けた。
そしてそこに描かれているものを見て、微笑む。
「……似てる。ほんとそっくり。こういうのは、センスあるのね、あんた」
「こういうことしか……、上辺の飾りしか、やれねぇ。けど、それでも、どうかやらせて欲しい」
「いいわ……。あんたがその気なら、もちろんね」
近寄ってきたのぞみと那珂ちゃん、くまモンも、それを見て、笑った。
「――そうだよ。いつでも、必ず希望はあるから……!!」
「うん!! みんなに絶対に届けよう!! 那珂ちゃんの歌も、キリカ先生のダンスも……。
……いや、私はのぞみの応援でいいよ織莉子がいないんだし……」
――クマーへの、手向けにするモン。
「みんなで、掲げましょう――」
放送室の上、崩れた城の跡に、くまモンたちの助けを借りて、美琴は登る。
彼女たちの一夜の城の天守に立つのは、かつてアナログ放送を守り戦ったというヒグマのシンボルのような、一本のアンテナだ。
その上に取り付けられた、小さな旗が海風にたなびく。
『八木・宇田アンテナ』というその宝具を掴み、美琴たちは傾き行く日差しを見上げる。
そしてその方角は、相田マナが立ち去った、崖の一角だ。
――必ず来る。マナちゃんは戻ってくる。
その思いを胸に、夢原のぞみは日差しに向けて囁いた。
「クマーさん……、私、進み続けるよ。みんなにもマナちゃんにも絶対、笑顔を取り戻してみせる……。
愛をなくした彼女のハートにも、きっと、ドキドキを取り戻して見せるよ――!
私、す~っごく、諦めが悪いんだ!!」
――いつの世も、放送ってのは、命がけなのよね。
対する美琴は、そんな感慨とともに日差しに眼を細める。
そして息を吸い、気炎を上げて吼えた。
「――さぁ、DJミコトの放送局、ついに幕開けよ。弔いライブだって暗くするもんか!!
身を挺してでも救い出す、そのための放送よ!! 変態であっても貫き通したこいつの想い、無駄になんてさせない――ッ」
旗竿のアンテナの前に踏み出し、涙を零しながら、吼えた。
遥か彼方の、がらんどうの心にまで届くように、吼えた。
「私たちの名は『HHH』――、『ヒグマ島希望放送(HIGUMA-island Hope Headline)』!!
人間に殺意を持ったヒグマは、迎撃する用意もあります――!!
返り討ちにしてやるからそう思っとけ――ッ!!」
遍く広がる必殺の楽器を、必殺の楽曲を、必殺の舞踏を携え、傷だらけの放送局が落成する。
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| | ノ ヽ ( i ))) ヒグマ島希望放送 |
| / ● ● | / / HIGUMA-island |
| | ( _●_) |ノ / Hope |
| 彡、 |∪| / Headline |
| / ヽノ /´ |
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風の中に大きく、その理念の偶像(アイドル)となったゆるキャラが、刻まれている。
【クマー@ゆるキャラ 死亡】
【A-5 滝の近く(『HIGUMA:中央部の城跡』)/午後】
【くまモン@ゆるキャラ、穴持たず】
状態:疲労(中)、頬に傷、胸に裂傷(布で巻いている)
装備:なし
道具:基本
支給品、ランダム支給品0~1、スレッジハンマー@現実
基本思考:この会場にいる自分以外の全ての『ヒグマ』、特に『穴持たず』を全て殺す
0:クマー……、キミの死を無駄にはしないモン。
1:他の生きている参加者と合流したいモン。
2:
メロン熊……、キミの真意を、理解したいモン……。
3:ニンゲンを殺している者は、とりあえず発見し次第殺す
4:会場のニンゲン、引いてはこの国に、生き残ってほしい。
5:なぜか自分にも参加者と同じく支給品が渡されたので、参加者に紛れてみる
6:ボクも結局『ヒグマ』ではあるんだモンなぁ……。どぎゃんしよう……。
7:あの少女、
黒木智子ちゃんは無事かな……。放送で呼ばれてたけど。
8:敵の機械の性能は半端ではないモン……。
[備考]
※ヒグマです。
※左の頬に、ヒグマ細胞破壊プログラムの爪で癒えない傷をつけられました。
【御坂美琴@とある科学の超電磁砲】
状態:能力低下(小)、ダメージ(中)、疲労(大)、左手掌開放骨折・左肩関節部開放骨折(布で巻いている)
装備:ゴシックロリータの衣装、伊知郎のスマホ、宝具『八木・宇田アンテナ』
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:友達を救出する
0:島内放送のジャック、及び生存者の誘導を試みる
1:完全武装の放送局、発足よ……! 絶対にみんなを救い出す……!!
2:佐天さんと初春さんは無事かな……?
3:相田さん……、今度は躊躇わないわよ。絶対に、『救ってあげる』。
4:黒子……無事でいなさいよね。
5:布束さんも何とかして救出しなきゃ。
[備考]
※超出力のレールガン、大気圏突入、津波内での生存、そこからの脱出で、疲労により演算能力が低下していましたが、かなり回復してきました。
※『超旋磁砲(コイルガン)』、『天網雅楽(スカイセンサー)』、『只管楽砲(チューブラ・ヘルツ)』、『山爬美振弾』などの能力運用方法を開発しています。
※『天網雅楽(スカイセンサー)』と『只管楽砲(チューブラ・ヘルツ)』の起動には、宝具『八木・宇田アンテナ』と、放送室の機材が必要です。
※『只管楽砲(チューブラ・ヘルツ)』は、美琴が起動した際の電力量と、相手への照射時間によって殺傷力が変動します。数秒分の蓄電では、相手の皮膚表面に激しい熱感を与える程度に留まりますが、『天網雅楽(スカイセンサー)』を発動している状態であっても、数分間の蓄電量を数秒間相手に照射しきれば、生体の細胞・回路の基盤などは破壊しつくされるでしょう。
【夢原のぞみ@Yes! プリキュア5 GoGo!】
状態:ダメージ(中)、疲労(中)、右脚に童子斬りの貫通創・右掌に刺突創・背部に裂傷(布で巻いている)
装備:キュアモ@Yes! プリキュア5 GoGo!
道具:ドライバーセット、キリカのソウルジェム@呉キリカ、キリカのぬいぐるみ@魔法少女おりこ☆マギカ、首輪の設計図
基本思考:殺し合いを止めて元の世界に帰る。
0:みんなに事実を知らせて、集めて、夢中にして、絶対に帰るんだ……! けって~い!
1:参加者の人たちを探して首輪を外し、ヒグマ帝国のことを教えて協力してもらう。
2:ヒグマさんの中にも、いい人たちはいるもん! わかりあえるよ!
3:マナちゃんの心、絶対諦めないよ!!
[備考]
※プリキュアオールスターズDX3 終了後からの参戦です。(New Stageシリーズの出来事も経験しているかもしれません)
【呉キリカ@魔法少女おりこ☆マギカ】
状態:ソウルジェムのみ
装備:ソウルジェム(濁り:大)@魔法少女おりこ☆マギカ
道具:なし
基本思考:今は恩人である夢原のぞみに恩返しをする。
0:のぞみ……、キミの言っていたことは、これでいいのかい?
1:この那珂ちゃんって女含め、ここらへんのヤツはみんな素晴らしくバカだな。思わず見習いたくなるよ。
2:恩返しをする為にものぞみと一緒に戦い、ちびクマ達ともども参加者を確保する。
3:ただし、もしも織莉子がこの殺し合いの場にいたら織莉子の為だけに戦う。
4:戦力が揃わないことにはヒグマ帝国に向かうのは自殺行為だな……。
5:ヒグマの上位連中や敵の黒幕は、魔女か化け物かなんかだろ!?
[備考]
※参戦時期は不明です。
【那珂・改(自己改造)@艦隊これくしょん】
状態:自己改造、額に裂傷、全身に細かな切り傷、左の内股に裂傷(布で巻いている)、呉式牙号型舞踏術研修中
装備:呉キリカのソウルジェム
道具:探照灯マイク(鏡像)@那珂・改二、白い貝殻の小さなイヤリング@ヒグマ帝国、白い貝殻の小さなイヤリング(鏡像)@ヒグマ帝国
基本思考:アイドルであり、アイドルとなる
0:キリカ先生、御坂高級技官殿、のぞみさん! ご教授よろしくお願いします!!
1:艦隊のアイドル、那珂ちゃんだよ!
2:お仕事がないなら、自分で取ってくるもの!
3:ヒグマ提督やイソマちゃんやクマーさんたちが信じてくれた私の『アイドル』に、応えるんだ!
[備考]
※白い貝殻の小さなイヤリング@ヒグマ帝国は、ただの貝殻で作られていますが、あまりに完全なフラクタル構造を成しているため、黄金・無限の回転を簡単に発生させることができます。
※生産資材にヒグマを使ってるためかどうか定かではありませんが、『運』が途轍もない値になっているようです。
※新たなダンスステップ:『呉式牙号型鬼瞰砲』を習得しました。
※呉キリカの精神が乗艦している際は、通常の装備ステータスとは別に『九八式水上偵察機(夜偵)』相当のステータス補正を得るようです。
※御坂美琴の精神が乗艦している際は、通常の装備ステータスとは別に『熟練見張員』相当のステータス補正を得るようです。
【クックロビン(穴持たず96)@穴持たず】
状態:四肢全ての爪を折られている、牙をへし折られている
装備:なし
道具:なし
基本思考:アイドルのファンになる
0:アイドルを応援する。
1:御坂美琴主催の放送局を支援し、その時ついでにできたらシバさん達に状況報告する。
2:凛ちゃんに、面と向かって会えるような自分になった上で、会いたい。
3:クマーさん、コシミズさん、見ていてくれ……。
4:くまモンさんの拷問コワイ。実際コワイ。
[備考]
※穴持たずカーペンターズの最後の一匹です
※B-8に新築されていた、
星空凛を題材にしたテーマパーク「星空スタジオ・イン・ヒグマアイランド」は
バーサーカーから伸びた童子斬りの根によって開園する前に崩壊しました。
〔LF:1000hHz(H)〕
ありあわせで地上に発足した放送局から呼びかけられていた当の相田マナはその時、海食洞から続く通路の中にいた。
「けぷ」
食事を終えて、一緒に飲み込まれていた空気が、彼女の喉から漏れた。
閉じていた瞼を開くと、そこにはぱっちりとした虚ろな瞳孔が覗く。
先程まで、肉が裂け眼球が破れ血が吹き出していたぼろぼろの彼女は、今やすっかり元通りの肉体になっていた。
海食洞から地上に出る前に殺害していたヤエサワ、ハチロウガタ、クリコというヒグマのうち、彼女はヤエサワの死体をしっかりとそこに残しておいていた。
転落しながら、かろうじて動く腕だけで彼女は容易く崖を降り、残っていた聴覚で海食洞の位置を聞き、その天井を伝って手早く彼女はそこに戻っていた。
ぺろりとヒグマの肉体を平らげて自身の組織を修復した彼女は、猫のように座り込み、新陳代謝で剥がれた自分の古皮を足先でぽりぽりと掻く。
深紅のポニーテールの房をそのまま脚で毛づくろいし、お尻を上げて柔軟に地面に伸びをした。
流石に機能維持が危なくなるかもしれない攻撃を受けたので逃走したが、それまでに地上で邂逅した生命体には全てに損害を与えられたので、彼女は一連の自身の行為を『善し』とする。
そうして彼女は何の感慨もなく、再び命令を遂行すべく、地下の通路を軽快に走り始めた。
地上といわず島中を攪乱し、最大多数に最大損害を与えなくてはならないので、彼女は忙しいのである。
【B-5の地下 ヒグマ帝国・海食洞への通路/午後】
【『H』(相田マナ)@ドキドキ!プリキュア、
ヒグマ・ロワイアル】
状態:半機械化、洗脳
装備:ボディースーツ、オートヒグマータの技術
道具:なし
[思考・状況]
基本行動方針:江ノ島盾子の命令に従う
0:江ノ島盾子受肉までの時間を稼ぐ。
1:弱っている者から優先的に殺害し、島中を攪乱する。
2:自分の身が危うくなる場合は直ちに逃走し、最大多数に最大損害を与える。
[備考]
※相田マナの死体が江ノ島盾子に蘇生・改造されてしまいました。
※恐らく、最低でも通常のプリキュア程度から、死亡寸前のヒグマ状態だったあの程度までの身体機能を有していると思われます。
※緩衝作用に優れた金属骨格を持っています。
※体内のHIGUMA細胞と、基幹となっている電子回路を同時に完全に破壊しない限り、相互に体内で損傷の修復が行なわれ続けます。
※マイスイートハートのようなビーム吐き、プリキュアハートシュートのような骨の矢、ハートダイナマイトのような爆発性の投網、といった武装を有しているようです。
最終更新:2015年03月16日 19:49