1944年1月16日。
 駆逐艦天津風はヒ31船団の護衛任務を行っていた。
 その日南シナ海上で、アメリカ潜水艦「レッドフィン」を発見した彼女は、砲撃を加えつつ単艦で接近したものの、あと少しの所で日が暮れ、見失ってしまう。
 船団が襲われる可能性を考え、攻撃を打ち切って舵を切った瞬間、天津風は自艦に4本の魚雷が迫っていることに気付いた。

 躱すこともできずに命中。大破、航行不能となった彼女の船体は、荒れた海の上で真っ二つにねじ切れてしまっていた。
 体の半分の沈没は避けられず、古川文次第十六駆逐隊司令以下76名が戦死。僚艦は船団に残る唯一の護衛艦だったため救援に来る事も出来ず、天津風は漂流する事になった。
 かろうじて移動できたのは艦長、田中正雄中佐を始めとする30名程度に過ぎず、指揮系統もほぼ壊滅状態だった。

 艦橋もろとも海図や六分儀等を喪失していたため正確な遭難位置さえわからず、雑誌付録の地図から無理矢理推定して救援を求めたが、案の定被雷位置が100海里もずれており、発見されなかった。
 千切れ飛び行動不能となった体半分で何日も漂流していた彼女はもちろん、食料も乗員の体力も、生き残る希望さえ尽き果てようとしていた時だった。

 田中艦長が、一人何かを作っていることに彼女は気づく。

「……艦長、こんな時に、一体何を……?」
「『銛』だ」
「銛……?」
「そろそろ夕食の時間だろう? 魚焼く感じでいいよな?」
「……まさか、艦長!? この海には、フカがいるのよ!?」

 彼は即席の銛のみで海に臨み、尽きる食糧を補うために魚を獲って来ようというのだ。
 人食いのサメが犇めく南シナ海の洋上で、である。
 海に飛び込んだ古川司令たちが次々と波間に消えていったあの日のことを思い出し、天津風は震えた。

 だが艦長は、天津風に向けて笑っていた。


「なぁ天津風、覚えているか、つい2か月前の鉄底海峡」
「……忘れるわけないじゃない、あんな大怪我……」


 1943年11月12日、第三次ソロモン沖海戦。
 探照灯を照射して砲撃を開始していた天津風は敵艦の目標とされ、大破孔32箇所、小破孔・弾痕無数、第二缶室に被弾・浸水して左舷に14度傾斜するという満身創痍の損傷を受けた。
 天龍に「お前はお前であの距離で殴り合って、その上で『あの状態』で生還してきたんだからすげぇよ」と言わしめた、『あの状態』である。

 戦死者45名、負傷者31名の大打撃、おまけに舵が故障するという絶望的なその状況で、彼女はなんと、応急『人力操舵』によって鉄底海峡を脱出、部隊と合流することに成功していた。
 その時の艦長もまた、この田中正雄中佐だったのである。

 本来この1月には、艦長は彼から新任の少佐に変わっているはずだった。
 しかしその変わるべき少佐は、1月14日、駆逐艦漣艦上で戦死し、未着任だった。
 だからこの時の彼女を操る艦長は未だ、田中正雄中佐に他ならなかった。
 数奇なめぐり合わせだった。


「行くべき道を決めるのは、魂の構えだ。あの時できて、今回できないわけがない。
 断じて為せば鬼神もこれを避く。支那海上、天気晴朗。……いい風じゃないか、天津風」
「……艦長」


 田中艦長は、胴体が真っ二つになって風通しが良くなってしまった天津風の上に、銛を持って佇んでいた。
 張り裂けたはずの缶室が、熱くなったような気がした。


「そもそもお前は、始めから色々と伝説の多い艦だっただろう。思い出せばいいさ、あの時のことを」
「……そうね。爾後そうするわ、艦長」


 漂流一週間後、田中艦長は無線波を各通信隊に方位測定してもらうことを決断する。
 敵潜をおびき寄せて航行不能の彼女を的に晒しかねない危険な賭けに、田中艦長と天津風は勝った。
 電信の空でまたたく星に、応答の声が届いた。
 航路を急ぎ、船は来た。
 駆逐艦朝顔の差し出してくれたおにぎりに、天津風は涙した。

 はぐれた声を、捨てられてたもの全てを連れ戻す回収船――。
 そんな根源の、模写になろうと、その時彼女は心に決めた。

 焼き魚は、艦娘となった今でも天津風の得意料理である。


    ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎


『こ、コンナ所で大和は沈みマせん! 次は直撃サセマス!!』
『――島風!? おい、どうして……!!』
『海、ゆかば……。水漬く屍……?』
『う、う、島風くん……!? わ、わしが、見えて、おらんかったのか……!?』

 百貨店屋上の音声が、初春飾利の耳元に響いていた。
 全身をテグスで縛られ、地に押し倒された彼女に、否応なくその悲痛な絶望は聞こえてきてしまう。
 佐天涙子と彼女が作り上げた氷の街並みを過ぎた場所、湿ったアスファルト道路の礫が、彼女の柔肌に食い込む。
 彼女の周りを取り囲む数十体にものぼる小熊型ロボット・モノクマが、下卑た笑いと共に彼女に囁きかける。

「ほ~れ、よく聞こえるねぇ初春ちゃん。じわじわじわじわ、塩田に迷い込んだナメクジみたいにやつらが絶望に堕ちていく様がさぁ……」
「……江ノ島さん、絶望的なのはあなたの比喩のセンスです」
「うるせェ!! 調、子に、のる、なっ!!」
「――ぁが!? がっ、ぐっ、ぐふっ……!?」


 反駁した彼女の頭を、モノクマは即座に掴み上げて、何度も何度も地面に叩き付けた。
 顔の真ん中でぐちゃりと嫌な音がした。
 ぬるぬると生暖かいものが口元まで垂れて来て、苦い。血の味がする。
 鼻が折れていた。

 モノクマは気を失いかける初春の前に、小型のスピーカーを突き付ける。
 百貨店の6階フロアに、モノクマたちが仕掛けていた盗聴器による音声だった。

 そこからは島風の、天龍の、ウィルソン・フィリップスの、戦艦ヒ級の、絶望的な狂騒が休符なく聞こえてきてしまう。
 それはどうやっても覆せそうにない、展望のない終末に聞こえた。
 初春の眼は、潤んだ。


『――見捨てるの、か……』

 スピーカーからは、魂が抜けたように呆然とした、天龍の呟きが聞こえていた。

「……私が泣けば、満足なんですか……?」
「そうだねぇ~、素直に初春ちゃんも絶望してくれるなら、私様も割と満足よ~。
 みんな死んじゃったら寂しくないように、最初で最後の女の悦びで涙を流している姿をネット上に流してあげるからね~」

 初春は、その言葉で、泣いた。
 モノクマという絶望の山に取り押さえられながら、さめざめと泣いた。
 そして泣きながら、考えた。


 ――江ノ島さんは一体、何が目的なんだ……?

 血と涙と泥に塗れ崩れた顔の裏で、初春は静かに思考を廻らせる。

 あの屋上からわざわざ私だけを攫い出したのには、絶対に何らかの意味があるはずだ。
 個人的な怨みとはいうけれど、江ノ島さんは基本的に、手抜かりこそあれ非常に周到で頭のいい人だ。
 こんなロボットたちを使役して反乱を成功させ、あの北岡さんにクソガキ認定されるくらいなんだから間違いない。

 恐らく、江ノ島さんはあのまま私を屋上で、天龍さんのご友人に殺させるわけにはいかなかったのだ。
 最終的に殺すにしろ、その前に何か――、例えば、私に確認を取っておかねばまずい何かが、存在しているはず……。


「お、初春ちゃんイイモン持ってんじゃ~ん」

 その時、モノクマたちの一部が、初春のデイパックを物色していた。
 中から大ぶりのサバイバルナイフを取り出し、モノクマはそれをピタピタと初春の頬に当ててみせる。
 アニラが彼女に渡していた、8寸もある長大な山刀だ。

「そんでパソコンもはっけーん! いや~、これが私様が乗っ取り損ねたアレだよ~。見つかって良かった良かった」

 続いてモノクマは、デイパックからノートパソコンを取り出し、それを起ち上げ始めた。


「な、何が……、良かったんですか……」
「いやぁ、だってさ~、自分の赤裸々な姿が見られるのは恥ずかしいじゃん?
 初春ちゃんはネット上に自分の恥ずかしい姿が出たら嬉しいかも知れないけど、私様はデリカシーあるし。だからデータ削除しとこうと思ってさ~」


 涙と共に問うた初春の言葉に、なんでもないことのように、モノクマは答えた。
 だがその瞬間、初春は察した。

 ――この人は、自分の記録が流出することを、恐れている!!

 それは記録映像のことかもしれない。
 もしくはモノクマロボットの内部構造のことかもしれない。
 もしくは既に、初春が『対江ノ島盾子用駆除プログラム』を作成していることすら想定しているのかも知れない。
 とにかく江ノ島盾子という少女は、それらの全てをこの場で消滅させるべく動いているのに違いない。
 それはつまり裏を返せば、それらの要素こそが、この黒幕の少女の弱点を突ける数少ない切り札だということを示しているのに他ならなかった。

 パソコンの起動音が鳴る。
 モノクマの指がキーボードに掛かろうとする。

 ――消されてしまう。

 そう思った時、初春は笑っていた。
 口の端を吊り上げて、三日月のように歪んだ笑みで、笑った。


「……残念ですけど、それはもう、コピーしちゃいました……」


 瞬間、モノクマの態度が一変した。
 表情の変わらぬロボットから、明らかな狼狽の感情が、溢れた。

「なっ、にっ――!? どこだ!? どこにコピーしたってんだ!? どこまで解析しやがった!?」

 当たりだ――!!

 初春はボロボロの体で、精一杯虚勢を張って作り笑う。
 歯ぎしりが聞こえそうなモノクマを、初春は、煽った。
 それは危険な賭け。
 彼女にできる、精一杯の時間稼ぎだった。


「く、ククッ、うぷぷぷぷ……、言うわけないじゃないですか、おっかしい……。
 いい気味ですねぇ江ノ島さん、絶望に染まるのはあなたの方ですよ……」
「……ハッタリだな。ハッタリに決まってる。百貨店から一歩も出てないてめぇが外部に連絡できるわけない。
 リムーバブルメディアにコピーしてたとしても、あとで百貨店を爆破でもすりゃ終いだ……!」
「へー、案外おつむが足りませんねぇ、江ノ島さん? 電磁波浴びすぎて脳ミソが味噌汁になっちゃいましたか?」
「――……もういいや。とりあえず死ねよ」


 駄目――!?

 モノクマの口調はそして、やはり唐突に醒めた。
 暗いツンドラのような冷淡さで、モノクマは初春の山刀を振り上げていた。
 初春の言葉がハッタリだと見破られたわけではない。
 それでも直ちに、江ノ島盾子はこれ以上初春飾利に付き合う行為が時間の無駄だと、はっきり断じていた。
 物よりも先に、その全容を脳内に入れているだろう初春を殺害することが肝心だと、江ノ島は冷徹に断じたのである。


『フルルルルルルルル……』


 だが初春が死を覚悟して目を閉じた瞬間、耳元ではっきりと、とてつもない近さで獣の吐息が鳴った。
 それは月に昇っていく透き通った剣のような声。
 昔、確かに聞いたような、狩りの心を呼び起こすような歌だった。
 モノクマの動きが驚愕に止まる。初春は目を見開いた。


「――なにィ!?」
「皇さん――!?」
『……勝つのは我々であります、初春女史。迎えは、行きました』


 静かな笛のようなアニラの囁きの後、耳をつんざくような破壊音が響いた。
 それを最後に、初春に突き付けられていたスピーカーは、一切の音を奏でなくなった。
 百貨店の盗聴器が発見され、破壊されたのだ。

「んなぁ――!?」

 モノクマたちは一斉に東の百貨店の方角を見上げた。
 聳え立つ百貨店の壁面を、黒い竜が高速で走り抜けていた。
 そして、彼が屋上の南側に戦艦ヒ級の巨体を引き倒す様が、遥か下の地面からでも微かに見て取れた。


「……ええ、きっと勝鬨を送るわ、皇さん」


 そして次の瞬間、百貨店を見上げていたモノクマたちが数体、飛来した槍のような金属柱に、背後から串刺しとされていた。
 凛とした少女の声が、アスファルト道路の上に響く。


「ヒトゴーマルマル!! さあ、『鱶狩り』の時間よ――!!」


    ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎


『あ、天津風さん――!? 本当に、こんな状態で、あのロボットたちに勝てるんですか!?』
『勝てるか勝てないかじゃない。勝つのよ。そして私たちの勝利は何も、奴らの殲滅じゃないわ、パッチールさん!』

 駆逐艦天津風は、氷上を走っていた。
 背に乗せたパッチールと唸り合いながら高速で駆ける彼女は、下半身が胴体から捩じ切れて、なくなってしまっている。
 彼女は腰から下に、艦首を備えた連装砲くんをベルトで繋いで体の支えとし、手だけを使ってスノーモービルのように、凍った津波の上を滑走していた。


『……私は、さんざん流れた時の道に独りで、展望もわからずにはぐれたわ。
 あの時迎えに来てくれた回収船に、今度は私たちが、なる番。……準備はいいわね?』
『作戦は頭に、入れてます……。で、でも……、こんなボクで、できるか……』
『ふふ、船とは乗るものよ? 私という大船に乗ってるんだから、敵が強大に見えても、どっしり構えておけばいいの』

 自分の首筋にしがみつき震える小さな船員に、天津風は微笑んだ。


『……ねぇ、私が以前、とてつもなく巨大な相手を目の前にした時に下された命令、教えてあげましょうか?』
『……何ですか?』
『――「飛び越えろ」よ!!』


 そう叫んだ天津風は、氷上を力強く踏み切っていた。
 崖のようになった氷の斜面から高く空中に舞い上がった彼女の眼下に、建物の隙間に覗くアスファルト道路の上で、黒山のようになっているロボットの群れと、その中心で縛り上げられている少女の姿が映る。

「――なにィ!?」
「皇さん――!?」
『……勝つのは我々であります、初春女史。迎えは、行きました』


 聞こえる声は、百貨店の6階から、走る自分たちを見下ろしていた、僚艦の伝令だった。


「……ええ、きっと勝鬨を送るわ、皇さん」


 首筋にしっかりとパッチールが掴まっていることを確認して、天津風は優雅に上空で宙返りをする。
 同時に背中からぞろりと抜き放たれたのは、屋上のフェンスの支柱を折り取って作り出した、何本もの即席の『銛』だった。
 凄まじい膂力で上空から放たれたその銛は、山となるモノクマを何体も一度に貫いて突き刺さる。


「ヒトゴーマルマル!! さあ、『鱶狩り』の時間よ――!!」


 モノクマたちの瞠目を一身に受けて、天津風はアスファルト道路に降り立つ。
 人を食うロボットが犇めく前線で、彼女は猟奇的な笑みと共に銛を持って佇んでいた。

 田中艦長を始めとする天津風の乗組員は、一週間に及ぶ漂流中、食糧が底を尽きる中、寄ってくる人食いのフカを、即席の銛で突き、焼いて食べた。

 焼き魚は、艦娘となった今でも天津風の得意料理である。
 特に、サメ料理が、得意である。


    ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎


「天津風さん――!?」
「な、なんでオマエ、ガァ――!?」

 モノクマたちは、疑問の声を発する前に薙ぎ払われた。
 次々と銛に突き刺され、串団子のようにされたモノクマたちの山は片っ端から天津風の怪力で叩き壊されてゆく。
 明らかに絶命していたようにしか見えなかった天津風の奇襲は、彼らを数秒間うろたえさせるには十分であり、その場のモノクマの優に半数を彼女が破壊するのにも十分であった。


「ク、クソ、死ね、初春――」
『「ばかぢから」っ!!』
「ぬあ!?」

 天津風との戦闘より先に初春の殺害に走ろうとしたモノクマの一部を、その時既に一段階こうげきが上昇していたパッチールの拳が抉る。
 彼は天津風の着地と同時に、ただ初春を目指して一直線に走っていた。
 モノクマはたたらを踏むも、ボディをへこまされることすらなく居直り、パッチールに拳を振り下ろす。

「うぜえんだよザコがぁー!!」
「『人力機銃掃射』ァ!!」

 だがその瞬間、猛烈な銃弾のフルオートが一帯を襲い、モノクマの山を再び大きく潰滅させる。
 銛を投げ尽した天津風が、今度はその腕に、アニラから受け取っていたMG34機関銃を構えて掃射していた。


『「ばかぢから」!! 「ばかぢから」!! 「ばかぢから」ッ!!』
「ぐ、ぬ、お、あ、あ、ぁ――!?」


 走りながらモノクマを殴りつけ道を切り拓いてゆくパッチールの拳は、一打ごとに威力を増していった。
 そして直後、完全破壊に至らなかったモノクマたちは、天津風の高精度の銃撃が悉く一掃していく。
 敵の交替に合わせて全く隙のない布陣で前後衛を敷くダブルバトルが、その場に展開されていた。

 ドラムマガジンに予備弾薬を給弾しながら天津風は叫ぶ。


「今よ! 行きなさいパッチールさん!!」
『「ばかぢから」ァ――!!』

 パッチールのアッパーは、初春の前に立ちふさがる最後のモノクマの首を、ついに一撃で跳ね飛ばしていた。
 初春は、血と泥に汚れた顔に、涙を流した。
 今度は、感動と喜びの、涙だった。


「パ、パッチールさん……、助けに来てくれたんですね……」
『はい……、これでボクは、あなたの……』

 そして倒れていた初春へ、パッチールがその手を伸ばそうとした、その時だった。


「させるかぁ――!!」
『ぱあ――!?』

 突然、周囲の街の建物の陰から、一斉に何十体ものモノクマが飛び掛かっていた。
 それらは初春に向かっていたパッチールに一気にのしかかり、その物量を以て一息にパッチールを地面に押さえつけた。

「――ッ、増援!?」
「そうだよオラあぁぁぁ!!」


 即座に再び機関銃を構えた天津風に、モノクマたちの一部は散らかされた同型機の残骸を障壁として巻き上げ、その銃撃の到達を封じる。
 その間に、取り押さえられたパッチールはモノクマに両腕を踏み砕かれてしまっていた。

『ぱぁ~!? ぱ、ぱあ、ぁがぁ……っ!?』
「調子こきやがってこのクソカスがぁ~!! 魚河岸の腐った魚で作ったナルトよりも使えねぇ生ごみの分際でよぉ~!!」
「パッチールさん!?」

 パッチールはそのまま手出しもできず、周りのモノクマたちから次々と足蹴にされ、雑巾のように跳ね飛ばされた。
 防御力が上がってなおそのローキックの連続は耐え難く、身動きもできない程に痛めつけられた上で、パッチールはよりによって初春の顔面に向けて蹴り飛ばされた。

「――あぐぅ!?」
『ぱ、あ……』
「ちっ、させないッ――!!」

 遠間の惨事に弾丸を届けられず天津風は舌打つ。
 残骸を巻き上げつつ攪乱してくるモノクマたちを、彼女は機関銃の二脚を掴み、セミオートに切り替えて1体ずつ確実に仕留め始めた。
 アモイに漂着した際に彼女が寄り来る賊を撃退し続けた、人力機銃掃射の真骨頂である。


「厦門港の匪賊撃ちを、舐めないでよ!!」
「舐めてねえよバァァァァァァ――カ!!」


 高速かつ精密な水平射撃で、天津風は増援の最後のモノクマの脳天にも銃弾を撃ちこんだ。
 しかし、そのモノクマは倒れなかった。
 最後のモノクマは、天津風の方を向いたまま、初春とパッチールの元へ、後ろ向きに走り出していた。
 背中に、もう一体のモノクマが、ぴったりと張り付けられていた。


「――ッ、盾!? 逃がさないわ!!」
「遅せぇんだよテストベッドォォ!!」


 天津風は走り行くモノクマの背に銃弾を撃ちこみ続けるが、ぴったり背に張り付けられた同型機を完全貫通するに至らない。
 地に落ちていた山刀が拾い上げられ、初春の上に振り上げられる。
 初春はもはや、呻くことしかできなかった。


「う、く……」
「死ねぇぇ――!!」
「初春さん――!!」


 モノクマの、天津風の叫びが、初春の耳に届いた。
 そして彼女の頬に、何かがそっと、触れる。


『受け取って、下さい……』

 それはフラフラと、痛めつけられた体を地に横たえていた。

『これがボクの……、心……』


 両腕を砕かれ、ボロボロにされた体で唇を寄せた彼は、パッチールに他ならない。
 彼へ最後に残されたもの。
 彼が最後に残していけるもの。

 そんな『バトンタッチ』の口付けは、彼女へと確かに、触れていた。


    ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎


 モノクマが振り下ろした山刀は、途中で止まっていた。
 どれだけモノクマが力を込めても、それ以上、下にさがらなかった。
 モノクマの腕は、本当に華奢な少女の腕に、掴まれていた。


「パッチール……、さん……!!」


 初春飾利が、血塗れの顔に燃えるような瞳を怒らせて、身を起こしていた。
 彼女の体を縛っていたテグスが、ぶちぶちと引き千切られてゆく。
 モノクマはもがこうとした。
 だが、掴まれた腕はびくともしなかった。

 初春の体からは、溢れ出さんばかりの気力が漲っているようだった。
 こうげき6段階。
 ぼうぎょ6段階。
 最大限に高められた想いが、確かに彼女に繋がったことの、証だった。


「こ、の、ク、ソがぁ……ッ!!」
「江ノ島さん……、このロボットを私がどこまで解析したか……知りたがってましたよね」


 初春が呟いたと同時に、モノクマの腕は、軋んだ金属音を立ててひしゃげた。
 初春の握力が、それを握り潰していた。
 彼女はもう片手で、落ちた山刀を掴み上げる。

 アニラから託されたその守り刀を静かに眺め、彼女は意を決したように、叫ぶ。


「――教えてあげます! 今すぐに!!」


 その刃先は、迷いなくモノクマの首筋に突き立ち、その頭部を分断していた。
 そしてそのまま返す刀で、初春は露出したモノクマの基盤に、そのナイフを深々と突き立てていた。
 甲高い悲鳴のような機械音を発して、そのロボットは完全に、機能を停止していた。


「や、やった……!! パッチールさん、初春さん……、とにかく良くやったわ!!」
「あ、天津風さん……、そんな、テケテケになっちゃったんですか……!?」
「……? さっきのは死んだふりよ? 上半身があるだけ前世よりマシだわ」


 天津風は荒い息を吐く初春の元に、連装砲くんの艦首を引き摺り、上半身だけの身をにじり寄らせた。
 常人では死んでいておかしくない重傷のまま行動している彼女に初春の顔は蒼褪めるが、当の天津風は平然としている。

「私より、一番の功労艦は、彼よ……。良く頑張ったわ……!!」
『ぱ、あ……』
「パッチールさん……!」

 屈み込んだ初春に抱え上げられ、パッチールはボロボロになりながらも微笑む。
 その姿を、初春は強く、優しく、温かく抱きしめていた。


「ありがとう……。ありがとうございます、パッチールさん……!!
 あなたが、私を救ってくれました……。本当に皆さん……、ありがとうございます……!!」
「……いいシーンだ。感動的だな。……だが無意味なんだよォ!!」


 瞬間、天津風たちの上にふと影が差した。
 彼女たちが見上げた視界には、上空のほぼ一面を埋め尽くすかのように飛び掛かってくる、数百体にものぼる大量のモノクマの群れが映っていた。
 街一帯に広げていたロボット部隊のほとんどを掻き集めてきたに違いない、圧倒的な物量だった。


「アバズレどもがァ!! そんなに絶望的に死にてえかァ――!?」
「……う、そでしょ……!?」


 天津風たちは、立ち尽くすことしかできなかった。
 それは天津風たち日本軍が直面した、覆しようのない物量差に感じられた。


    ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎


 映画やゲームやテレビドラマなどでは、裁判でよく証人尋問の際、弁護士が「異議あり!」などと叫ぶ姿を見かけるかもしれない。
 だが現実の裁判では、あまり異議申し立ては行なわれていない。
 誤解されがちなことだが、異議は証人が証言している最中に申し立てるものではなく、証拠調べにおける尋問の適不適に対して申し立てるものである。
 さらに異議を申し立てる際には、個々の質問ごとに、簡潔にその理由を示して、直ちにしなければならないとされる。
 これらが、現実の裁判で異議申し立てが行われない主因であると考えられる。

 平たく言えば現実の弁護士は、どのような場面で異議を申し立てればよいのかわかっていない上に、矢継ぎ早に放たれる質問へ即座に理由をつけて異議を申し立てられるほど刑事訴訟法や刑事訴訟規則の条文を頭に入れて反応速度を鍛えていないことが多い可能性があるわけだ。

 ただし勿論、優秀な弁護士であれば話は別だ。
 ある弁護士などはたった今、別件の裁判に意見書を提出しながら異議申し立てを行なおうとしている。
 その理由も簡潔だ。


Q:アバズレどもがァ!! そんなに絶望的に死にてえかァ――!?
A:異議あり。威嚇的又は侮辱的な尋問(刑事訴訟規則199条の13第2項1号)です。


 以上。
 その尋問は棄却される。


    ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎


 その異議申し立ては、弾丸でできていた。
 ミサイルや砲弾、エネルギー弾やレーザー光線まであった。
 街道の西側から申し立てられた異議の束は、襲い掛かっていたモノクマロボットの雲霞を根こそぎ叩き壊し、砕けた金属片や塵芥を風に吹き散らして行った。


「な……!?」
『ぱ……!?』


 天津風たちは、突然の事態に硬直していた。
 そして数度瞬きをして、街道の西を見た。
 こんな攻撃をできる人物など彼女たちには、ただ一人しか思い浮かべられなかった。

 遠くの街並みには。
 一頭の緑色のバッファローが立っているように見えた。


「――、き、北岡さん……!?」
「う、初春さん、乗って!!」


 亡くなっているとしか思っていなかったその人物の影に、初春たちは色めき立った。
 散乱したデイパックの中身を纏めさせるや、天津風はその背に初春を跨らせ、連装砲くんの艦首を猫車のように曳く形でその緑色の巨体の元へ走り寄る。
 そこへ彼女たちが辿り着く直前に、バッファローの姿は、空中に溶けるようにして消えていた。
 その場に残っていたのは、左腕の千切れたスーツ姿の男性と、真っ赤な血だまりだけだった。


「北岡さん――!! しっかりして下さい!!」


 初春は、地面に倒れ伏しているその弁護士――、北岡秀一の元に駆け寄る。
 パッチールを天津風に預け、初春はうつ伏せに倒れている彼を必死に抱え上げた。
 上を向いた顔は、血の気も失せて真っ白になっており、眼からはもう、光が消えていた。

 助からない――。

 その事実が、初春の両腕に、重く抱えられた。
 眼からいくつも、大粒の涙が零れた。

 この弁護士は。
 この黒を白に変えるスーパー弁護士は。
 自分の命が尽きる寸前まで、自分たちの『弁護』という仕事を全うしてくれた本当の仕事人だったのだ。
 そう、初春は確かに理解していた。


「わ……、私は、私は何も、お礼できないのに……!! みんなこんなに、こんなになってまで護ってくれるなんて……!!
 どうすればいいんですか!? どうすれば、どうすれば……!!
 ありがとうしか、ありがとうしか、言えないじゃないですかぁ――!!」


 初春は、冷たくなった彼の体をきつく抱きしめた。
 涙の粒がいくつも、北岡の頬に落ちた。
 彼の口がふと、唇の端を上げ、笑った。


「まぁでも……、たまにはこんな謝礼も、アリかな……」
「ぁ――」


 震える初春の耳元で、北岡は確かに、そう囁いた。
 そして彼女は、彼の体から、魂の重みが抜けるのを感じた。


    ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎


「……行きましょう、初春さん」

 震える初春の肩を、天津風は目を閉じ、静かに叩いた。

「で、でも、北岡さんが……」
「……こんな風を、あの女も読んでくれてれば良かったんだけれどね」


 歯噛みする天津風の背後からは、アスファルト道路のあちらこちらから、また白黒のモノが、何体も何体も姿を見せ始めていた。
 走り寄ってくるそのモノクマというロボットの軍勢は、本当に無尽蔵であるかのようだった。
 天津風はただ粛々と、眼を見開く初春の腕に、死体の代わりにパッチールを抱えさせた。


「……よっぽどあの女は初春さんを殺したいらしいわね。新型爆弾の設計図でも持ってるのあなた?」
「――オ、マ、エ、ラぁぁああぁあぁぁ!! この江ノ島盾子、容赦せん!!」
「……乗って、初春さん。逃げ切れなくなる」
「う、あ、あ、あ、あ――」


 初春は慟哭しながら、天津風の背に跨った。
 駆逐艦天津風は、千切れた半身に強化型艦本式缶を滾らせ、全速力でその腕を地に走らせた。


「待てェェ――!! 逃がさァァァん!!」
「――連装砲くん! 撃ち方、始めて!!」


 追いすがってくるモノクマの群れに向け、天津風の下半身にあたる位置を代替している連装砲くんが火を噴いた。
 天津風に走行を続けさせたまま、後方迎撃用の自律砲台となった連装砲は飛び掛かってくるモノクマを次々と撃墜してゆく。

「ひぃ、くっ――!?」

 至近距離で連続する爆風に、初春は身を竦める。
 天津風はそれを慮る余裕すらない。
 応急で連装砲くんの載る艦首を装着し、腕だけで走らざるを得ない彼女の体では、水上でもせいぜい20ノットを出すのが限界だった。
 なおかつここは接地抵抗の大きい路面。
 時間を追うごとに数が増えてさえいくロボットたちとの距離は、次第に縮まってくる。

 その先に展望は、見えない。
 唇を噛む天津風の額には、脂汗が浮いていた。


『「決死」の覚悟で、「必死」の絶望を、吹き飛ばす……』
「パッチールさん……?」


 その天津風の背、初春飾利の腕の中で、一頭の小動物が、微かに身を捩った。
 初春には理解できない、ヒグマの唸り声で、彼は呟いていた。
 天津風だけが、その口振りに、眼を振り向けた。


『ボクの願いは、この程度の痛みで諦められるものじゃ、ありませんから……』
「……」
「何を、言いたいんですか、パッチールさん……!?」
『乙女の姿……、留めてくださいね……』
「……」


 押し黙る天津風に向けて、パッチールは語った。
 天津風は、近くなってくる後方の音に、眼を閉じ、そして唸った。


『パッチールさん。武運長久を祈るわ』
『はは……、ありがとうございます』


 そして即座に、彼は初春の腕の中を、飛び出していた。


「あ――、パッチールさん!? パッチールさんッ!!」
「止めるな初春さん!! あれが彼の、魂の航路よ!!」


 走り去る天津風から転落して、パッチールはごろごろとアスファルトにすりおろされた。
 そして、急速に寄ってくるモノクマの群れの目の前に、彼はフラフラと立ち上がった。

 全身が傷だらけの彼はもう、まともに立つことすらできなかった。
 砕けた腕を振り、あちらにもつれ、こちらに傾き、何度も彼は足を踏み替えた。


「邪魔だどけぇぇ――!!」
「――ぱっぱっぱ……♪ ……ぱぱっちぱ♪」


 そして、彼の前に殺到したモノクマの群れは。

 ――一斉に体勢を崩し、アスファルト道路の上に倒れ転げていた。


「き、貴様ァあぁあぁ――!! この、ゴミナルトがぁぁ――!!」
「ぱっぱっぱ……♪ ぱぱっちぱぁ――♪」


 呻くモノクマたちの真ん中で、パッチールは笑った。
 フラフラと笑っていた。
 最後の力を振り絞って、魂を込めて、笑った。

 それは初めから彼の、得意技だった。


「お、のりゃぁあぁ――!!」


 満身創痍の彼と同じようにフラフラと立ち上がったモノクマの拳は、隣の同型機を叩き壊した。
 モノクマの拳の一部は、自分の首を吹き飛ばした。
 モノクマの拳の一部は、パッチールの体を殴りつけた。


「ぱっ……、ぱっ、ぱ……♪」
「やめろォォ!! 今すぐそのふしぎなおどりを止めやがれぇぇ!!」


 混乱しているモノクマたちの拳は、全てではなくともやはりパッチールの体を叩き、痛めつけた。
 一打ごとに、骨が軋み、肉が抉れた。
 それでもパッチールは笑った。
 踊りを、やめなかった。

 命令なんていらない。

 この踊りは。
 マスターと初めて出会った時から覚えていたこの踊りは。
 彼女を笑顔にさせたこの『フラフラダンス』は、パッチールが自分の意志で、捧げるものだ。

 戦いになんて出してもらえなくていい。

 こんな小さな体では力が出せないし、早く走ることも出来ない。
 進化したくても、いくら望んでもそう簡単に叶うものじゃない。

 でも、マスターのそばにいられるなら、それだけで十分だった。


「パッチールさぁぁぁぁぁぁぁーー――ん……!!」


 遠くから、彼女の呼ぶ声が聞こえた。
 遠い幼い日の、淡い色の夢のように。
 あんなに大好きだったはずのマスター。
 日差しの中に隠された、あの時のマスターの声。

 古ぼけてにじんだ絵のような、思い出せないマスターの顔。
 もう景色は遠すぎて、彼女の姿は見えないはずなのに。
 それでも何故かその姿は、はっきりと彼の目の前に見えていた。

 伸ばした手を、彼女の指先がそっと掴んだ。
 パッチールの手は、もう砕けてなんて、いなかった。


 ――私が、あなたの『守護動物(パワーアニマル)』になってあげます。あなたも、私の『守護動物(パワーアニマル)』になって下さい。
 ――みんなで、一緒に踊りましょう……? みんなで、力を合わせて、答えを、出しましょう……?


 フラフラと踊り続ける彼の手を引いて、彼女は緑の森の中を、ゆっくりと歩いて行った。
 手を取り合い踊り、どこまでも続く木漏れ日の森を、パッチールと彼女は、ステップを踏んで歩き続ける。


 ――ああ、ボクは。


 パッチールは笑いながら、そっと口を開く。
 彼女の胸は、彼の魂を、柔らかに抱きしめる。


 ――あなたの守護動物に、なれましたか?


 大好きだったその顔は、日差しの中で花のように、優しく、温かく、パッチールへと微笑んでいた。


    ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎


「引き返して――! パッチールさんのところへ戻ってください!! 天津風さん!!」

 走り続ける天津風の背で、初春は叫んでいた。
 どんどんと遠ざかり見えなくなる白黒の山と、その中にいたはずのあの小さな子の姿を望もうと、初春は後ろに身を反らし続けている。
 天津風は眼を怒らせる。


「しっかり掴まりなさい初春さん!! 彼の魂を迷わせる気なの!? このまま、追撃を振り切るのよ!!」
「でもあっちには――!! 佐天さんも皇さんもウィルソンさんも、天龍さんも島風さんもいるんですよ――!!」
「ええそうよ!! それに大和だっているわ!! 彼女達なら絶対、全員目的地に辿り着けるはず!!」

 頭では初春も、向こうに戻ることなど到底できないだろうことは解っている。
 モノクマで封鎖された道路に突っ込んでいくことなど、もはや自殺行為に他ならない。
 しんがりを務めてくれたパッチールの意志を無にする行為だということも解っている。
 それでも初春は、この道に進む自分達の行動を、許せなかった。


「みんなを――、見捨てる気なんですか――!?」
「違うッ!!」


 悲痛な叫びを上げる初春に、天津風は走り続けながら、首を横に振る。
 初春を見上げた彼女の瞳は、底が見えないほど深かった。


「――ある船は東に進み、また他の船は、同じ風で西に進むわ。西に進んだ船はみな、私たちと共にある」
「意味が……ッ、わかりません……!!」
「……私たちの中に、彼らは、彼女らは寄港した。だから私たちが、そのみんなを送り届けるのよ」


 死者の魂を、心を背負って生きていくのが生者の務め――。そう言っているのだと、初春には聞こえた。
 嗚咽が漏れた。
 今はその言葉が、ただの逃げにしか、聞こえなかった。


「~~ッ、そんなの……ッ、傲慢です!! 思い込みです!! エゴです!!」
「ええそうよ!! 私の竜骨(エゴ)が強くなかったら、一体どうして、ここまで沈まずにいられたというの!?
 70年以上前から私に乗ってきた幾百幾千の御魂を送り届けることなんて、絶対にできなかったわ!!」


 天津風の叫びは、燃え盛る石炭のように熱かった。
 背に跨る初春は、眼を落として固唾を呑んだ。

 下半身の千切れた天津風の胴体は、耳を澄ませば走るたびに、ぐちゃぐちゃとはらわたの乱れる音がした。
 動くたびに激痛が、動かずとも気を失いそうな苦痛が、彼女を苛んでいるに違いなかった。
 こんなになってまで、気の遠くなるような昔から人々を護り続けてくれた本当の仕事人は、彼女に他ならない。
 そう、初春は確かに理解していた。


「――あなたもよ初春さん!! あなただって見捨ててない!! 彼らの魂を救い上げたのは、紛れもなくあなたでしょう!?
 絶対に放しちゃダメ!! あなたが、あなたこそが彼らの勝利――! 彼らの、目的地だったんだから――!!」


 天津風は走り続け、吠えるように叫んでいた。
 噛み締められた唇からは、真っ赤な血が流れていた。

 その背中と、初春の胸との間には、確かについさっきまで、彼がいたはずだった。


『……まぁ。確かにマグナギガは雄牛だろうけども。それが何? 「守護動物(パワーアニマル)」って?』
『「ハイヤーセルフ(高次元の自己)」だよ。「アルターエゴ(もう一人の自我)」と言ってもいい。
 自分の生命力の源だ。恐らく、アメリカにおける仙道のクンダリニー(進化力)の概念だと、わしは思っておる。
 よくよく演繹してみれば、アニラくんの有様もわしらの有様も、恐らく近いものだ』


 北岡秀一と、ウィルソン・フィリップス上院議員の声が聞こえた。
 エゴ。アルターエゴ。高次元の自己。生命力。

 ああ、強いはずだ。と、初春は思った。
 自分が跨る、この小さくて大きな背中を持つ少女は、既に何人も、何千人もの人々の力に支えられて、今を動いているのだ。
 自分はまだ、どうしようもなく弱かった。

 残してきたみんなが、強く生き延びるだろうという可能性も、信じられなかった。
 死んでしまったみんなが、満足しているだろうという可能性も、信じられなかった。
 自分が誰かの役に立ち、誰かを守れるという自信も、なかった。

 それでもポケットには、ジャッジメントの腕章。
 デイパックには、生き延びるためのナイフ。
 耳には、あの微かな感謝の囁き。
 腕にはまだ、かき抱いていたあの子の温もりが、残っていた。

 自分が生き残らなければ、永遠に消えてしまうだろう、温もりたちだった。

「パッチール……、さん……っ」

 その温もりをずっと『定温保存』するかのように、初春は天津風の背に顔を埋めた。


「わ、私は……、あなたの『守護動物』に、なれたんです、か……?」
「ええ……。私が、保証する。船とは、乗るものよ。特に私には、大船に乗ったつもりで、いいから……」


 初春がすすり上げるにつれ、背中が熱く濡れるのを、天津風は感じた。
 次第にそのすすり泣きは、大きな号泣に変わって行った。
 それで良かった。

 こんな少女には、一人の重みだって重過ぎる。
 天津風や天龍が、70年以上も前に、何度も崩れ落ちそうになった重みだ。

 もう本当なら二度と、浮世の人々にそんな務めを負わせることは起きて欲しくなかった。

 だからせめて受け止められるだけ、その重みは天津風が受け止めたかった。

 涙は、明日まで取っておく。
 一人でも多くの生存者を、味方根拠地へと送り届けられるまで。
 一人でも多くの犠牲者を、魂の目的地へと導いて行けるまで。

 はぐれた声を、捨てられてたもの全てを連れ戻す回収船――。
 そんな根源の、模写になろうと、あの時彼女は心に決めたのだから。
 彼女はただ、人には解らぬ言葉で唸る。


『……戦友(とも)よ安らかに眠り給え』


 ――『風』は、チベットのような西方に連なって行動している。


【パッチール@穴持たず 死亡】


【B-4 街/午後】


【天津風・改(自己改造)@艦隊これくしょん】
状態:下半身轢断(自分の服とガーターベルトで留めている)、キラキラ
装備:連装砲くん、強化型艦本式缶
道具:百貨店のデイパック(発煙筒×1本、携帯食糧、ペットボトル飲料(500ml)×3本、救急セット、タオル、血糊、41cm連装砲×2、九一式徹甲弾、零式水上観測機、MG34機関銃(ドラムマガジンに50/50発)、予備弾薬の箱(50発×2))
[思考・状況]
基本思考:ヒグマ提督を守る
0:まずは西側で初春さんへの追跡を振り切る……!!
1:ヒグマ提督は、きっとこれで、矯正される……。
2:風を吹かせてやるわよ……金剛……。
3:佐天さん、皇さん……、みんなきちんと目的地に辿り着きなさい……!!
4:大和、あんたに一体何が……!? 地下も思った以上にやばくなってそうね……。
5:あの女が初春さんをこれだけ危険視する理由は何だ……?
[備考]
※ヒグマ帝国が建造した艦娘です
※生産資材にヒグマを使った為、耐久・装甲・最大消費量(燃費)が大きく向上しているようです。
※史実通り、胴体が半分に捻じ切れたままでも一週間以上は問題なく活動可能です。


【初春飾利@とある科学の超電磁砲】
状態:鼻軟骨骨折、血塗れ、こうげき6段階上昇、ぼうぎょ6段階上昇
装備:叉鬼山刀『フクロナガサ8寸』
道具:基本支給品、研究所職員のノートパソコン
[思考・状況]
基本思考:できる限り参加者を助け、思いを継ぎ、江ノ島盾子を消却し尽した上で会場から脱出する
0:……必ず。こんなひどい戦争は、終わらせてやります。江ノ島盾子さん……!!
1:ヒグマという存在は、私たちと同質のものではないの……?
2:佐天さんの辛さは、全部受け止めますから、一緒にいてください。
3:パッチールさん……、みんな、どうか……。
4:皇さんについていき、その姿勢を見習いたい。
5:有冨さん、ご冥福をお祈りいたします。
6:布束さんとどうにか連絡をとりたいなぁ……。
[備考]
※佐天に『定温保存(サーマルハンド)』を用いることで、佐天の熱量吸収上限を引き上げることができます。
※ノートパソコンに、『行動方針メモ』、『とあるモノクマの記録映像』、『対江ノ島盾子用駆除プログラム』が保存されています。

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最終更新:2015年08月18日 01:00