主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。
 カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。
 主は言われた、

「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。
 今あなたは呪われてこの土地を離れなければなりません。この土地が口を開けて、あなたの手から弟の血を受けたからです。
 あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。

 カインは主に言った、

「わたしの罰は重くて負いきれません。あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。
 わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。

 主はカインに言われた、

「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。

 そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。


(創世記第4章より)


    ###θ=7/β=3


 ボクは言うまでもなく幸運だ。
 ボクは息をする一分一秒の分岐を、常に正確に裁断しながら歩いているのだと思う。

 ボクはクズのような幸運だ。
 ボクの最高の幸運は、ボクの死という最低の不運と共にやってくる。

 見よ、男が今、路上で果てようとしている。
 その男は、モノクマか?
 ヒグマか?
 ボクか?

 大丈夫、何も心配は要らない。
 ボクらの攻撃が、一体誰を殺すことになるのだとしても。
 その死は、必ずや幸運の分岐を辿るから。

 幸運は掴めた。
 必ずここに、『希望』はやってくる。


 さあ、死ね。


    ###θ=7/β=3


 道に、濁流を敷き詰めて始まった戦いは。
 たった一瞬で街中に、終わりを訪れさせていた。

 佐倉杏子は、嗚咽さえ間に合わなかった。

 爆発。
 閃光。
 衝撃。
 吹き飛ばされ、地に転げた杏子の前に立っていたのはただ、あの枯れ木のような、ヒグマだけだった。

 くるくると宙を飛び、杏子の目の前に落ちてきたものがある。
 湿った音を立ててアスファルトに転がったそれは、千切れたカズマの生首だった。

 悲鳴さえ、喉に張り付いて、出て来なかった。


「あ、あ……」


 痛みさえ感じるほどの動悸と共に、杏子は眼を見開く。
 眼を上げれば、視界に入るものは凄惨な赤と、黒。
 そこにはもはや原型を留めていない3つの肉塊が、目の前のヒグマを取り囲むように、血飛沫と焦げ跡を撒き散らしているだけだった。

 杏子は思い出してしまった。
 あの一瞬で、この場に何が起こったのかを。


 カズマはヒグマへ、シェルブリットを放った。
 劉鳳と白井黒子はヒグマへ、伏龍・臥龍のミサイルを放った。
 狛枝凪斗はヒグマへ、対戦車無反動砲AT-4CSを放った。
 だが、彼らの攻撃は全て、この目の前のヒグマには、向かわなかった。

 カズマの拳は、劉鳳を跡形もなく吹き飛ばした。
 絶影のミサイルは、狛枝の全身を爆裂させた。
 そして突撃していたカズマを側面から、狛枝の対戦車砲が木端微塵にしていた。
 三者の攻撃は全く同時に、お互いの命を奪ってしまっていた。


「逃げますよ、れい――!! ここにいてはなりません!!」
「何が――、何が起きてるの!? 見えなかった――、今の突風は、何!?」

 呆然とするばかりだった杏子の耳にその時、遠くからそんな叫び声が届く。
 見れば、立ち尽くすヒグマの向こうに、杏子と同じように爆風で吹き飛ばされたらしい、黒騎れいが倒れていた。
 構えていた弓矢も消え、事態を理解できず混乱している彼女の耳を、カラスが懸命に引っ張っている。

 ――そうだ。
 彼女は生きていたのだ。
 息もできず、張り裂けそうだった胸が、わずかに軽くなる。
 杏子はそれでようやく立ち上がることができた。
 その瞬間、杏子の足元でも、声が立つ。

「……死ぬのは怖くねぇ……」
「カズマ……!?」

 その声は、千切れ飛び死んでしまったと思われた、カズマの頭部から発せられていた。
 燃え立つように髪を逆立てた彼の首には、虹色の粒子が集い、彼の肉体を再構築し始めている。


「だが何の証も立てないまま、朽ち果てるのは……、死んでも御免だ……ッ!!」
「カズマ――!!」


 未だ熱さを失わない彼の眼差しに、杏子は震えた。
 まだ、やれる。
 れいとカズマだけでも無事なら、この得体の知れないヒグマ相手にも立ち向かえるはず――。
 そう思った。

 涙をにじませる杏子の心に応えるように、胸元まで復元されてきたカズマが叫ぶ。


「杏子!! 受け取――」
「よくもォ――!! よくも、劉鳳さんを、殺しましたわね――!!」


 だがその瞬間、佐倉杏子の目の前へ、影を絶つほどの速さで、何かが襲い掛かっていた。
 熟れすぎたスイカのように、カズマの頭が潰れる。
 何者かの拳は、カズマの真っ赤な脳髄を付着させたまま、腕まで再構成しかけていたカズマを執拗に殴り続けた。

 レストランのシェフが、屠殺場直送の肉で新鮮なハンバーグを捏ねているようにも見えた。
 素材厳選。
 渾身の逸品です――。
 それくらい、杏子には現実味の無い光景に見えた。


「――よくもッ!! よくもよくも、あんなひどい殺し方を――!!」
「……白井、さん……」


 呟いた先で、地面に広がったミンチ肉を叩き続けているのは、一人の少女だった。
 白い蛇のような絶影の身体を得ている白井黒子その人は、真なる絶影の双拳を以て、カズマの生命を破壊し尽した。
 カズマの体に集おうとしていた虹色の粒子は、もうとっくに消えてなくなっている。
 鬼気迫る怒りの表情で肉塊を捏ねる白井黒子を前に、佐倉杏子は呆然と立ちすくむことしか、できなかった。


「――まだ危険が理解できないのですか愚か者!! 手間をかけさせる……ッ!!」
「――杏子、本当の杏子はどこ!? あなたすら夢を見てるの――!?」
「れ、れい……、あた、あた、しは――」

 悲痛な叫びで自分を呼ぶ黒騎れいへ、杏子は震えながら走り寄ろうと、手を伸ばそうとした。
 だがその脚も、腕も、重く力が入らない。
 口の中が乾いて、声はか細く、かすれていた。

「そっちにいましたのね――!? 逃げ足の速い!!」

 その時にはもう白井黒子が、慌てふためいている黒騎れいへと腕を向けていた。
 止める間もなく、絶影の腕からは、再構成された伏龍・臥龍のミサイルが放たれてしまう。
 黒騎れいは、そのことを認識できてすら、いないようだった。
 2つの爆発が彼女の姿を呑み込む。
 土煙が晴れた時には、彼女のいた場所にはもはや何一つ、影も形も残ってはいなかった。

 信じられなかった。
 趣味の悪いホラー映画か何かを見ているようだった。
 いや、本当に、これが映画だったらどれだけ良かったか。

 だが、これは。
 目の前に飛び散る血肉の海は。
 耳に響く的外れな怒声は。
 鼻を突く焦げくさい血臭は。
 そしてただ、そこに立っているだけの黒いヒグマは。
 紛れもない、現実だった。


「……おげぇ――!? あぐっ、ぐぶっ……」


 杏子は、膝から地に崩れ落ち、胃液を吐き戻した。
 涙で視界が埋まる。
 れいからもらったビスケットが、びちゃびちゃと散乱する薄黄色い液体の上に、そのまま出てくる。
 酸鼻な光景に、また酸鼻な彩りが加わり、杏子は続けざまに嘔吐した。

 脳裏に、あの日の光景が蘇ってしまう。
 真っ暗な自宅で、血だまりに倒れた母と妹。
 天井から、ぶらぶらと吊り下がる父の脚。
 滴り落ちる、血と糞尿。

 彼女の全身が、この恐怖を受け入れることを、拒絶していた。


「……すみませんが、ヒグマの敵であろうとする方など、生かしてはおけないのですよ」


 杏子の前に立つヒグマは、そしてようやく、静かに口を開く。
 槍だけを支えに地に震える杏子を、まるで慰めているかのような口ぶりだった。

「そしてあなたも……。見過ごすには、その能力は危険すぎる」

 沈痛さを押し殺しているようにも、聞こえた。


「ただし、私は今もこれからも、あなた方ちゃんとした参加者を、殺したりはしません。
 私は本来この実験で、地上にいるべきヒグマでは、ありませんから……」


 骨と皮ばかりのようなそのヒグマは、確かにそこに立っているだけで、杏子に向けて危害を加えるような動きをしなかった。
 その代わりに、街道にさざめく墨汁のような魔力の液体が、凶暴なうねりを見せる。


「……あなた方を殺すのは常に、あなた方自身の心です」


 その動きに乗って振り向いたのは、絶影の体を持つ、白井黒子だった。
 怒りに満ちた彼女の顔もまた、涙に濡れていた。

「……まだ生きてましたの!? 許せません、許せませんわ、ヒグマ……!!」
「う、あ……、白井、さん……」

 吐瀉物に塗れた顔を上げた杏子に向けて、白井黒子は、仇を討つかのように身構える。
 その眼に見えている佐倉杏子の姿は、確かに劉鳳の、仇の姿になっていた。


    ###θ=7/β=3


「……眼を、覚ましてくれぇ! 白井さぁん!!」
「『剛なる拳』――ッ!! 『伏龍・臥龍』!!」

 杏子は、赤いポニーテールを振り立たせて叫んだ。
 しかしその声に全く応答せず、白井黒子は怒りのままに、その腕のミサイルを放った。
 涙と胃液を散らしながら、杏子は身を捩る。
 こんな状態でも体が動いてくれたのは、彼女が魔法少女として積んだ経験の賜物だった。

 ミサイルを回避し転げたすぐ傍で、着弾地点に爆発が起きる。
 その爆風に吹き飛ばされながら、杏子は強張った体に喝を入れた。
 唇を噛み、赤い装束を翻し、後方転身して地に降り立つ。


「ちょこざいですわね――!」
「頼む、お願いだよ――、白井さん!!」
「『柔らかなる拳・烈迅』!!」


 杏子の声は届かない。
 代わりに、白井黒子のツインテールのように伸びる二本の触鞭が、凄まじいしなりを伴って杏子に襲い掛かった。
 槍を振り回し、ステップを踏んで飛び退るも、杏子の衣装と体はたちまち斬り立てられてゆく。
 手数と速度を売りにしている杏子の機動を、絶影は更に上回っていた。

「終わりですわ――!!」
「くッ、そっ――」

 杏子は歯噛みする。
 トドメを刺すように首筋へ突き出された触鞭へ向け、杏子はその時、自分の手を差し出していた。

 槍ごと、右の掌を触鞭が貫通する。
 肉を抉られる痛みに耐えながらも、杏子はそれを、さらに左の手で捕まえていた。


「『あたしの話を、聞いてくれ』ッ!!」


 叫んだ瞬間、体から魔力が迸ったように感じた。
 同時に、触鞭を捕まれていた白井黒子の体がビクンと跳ねる。
 彼女の眼から、耳から、鼻から、真っ黒な液体が弾き出され、空中に霧となって消えた。

「ほう……」

 その様子を見て、枯れ木のような黒いヒグマが眉を上げる。
 白井黒子は、一度瞬きをして、目の前の状況に驚愕する。
 自分が佐倉杏子を攻撃してしまっていたという事実に気付き、彼女は慌てて杏子から触鞭を離そうとした。

「さ、佐倉さん!? 今、一緒に戦っていましたのに……!?
 ど、どうして、どうしてこんなことになってますの!?」
「こ、このままあたしを離さないでくれ!!
 あいつが……、あのヒグマが、あたしたちに幻覚を見せてたんだ!!」

 辺りを埋める毒水のような黒いうねりに、黒子は初めて気が付いて身を竦める。
 振り向いた彼女の眼には、杏子の見ているものと同じ、この場の現実が映っていた。
 彼女の視線は、ただ立っているだけの黒いヒグマよりも先に、その周囲に散乱するものへと吸い込まれる。


「うっ――……!?」


 思わず喉元までこみ上げた不快感に、黒子は絶影の手で口を押えた。
 もし生身のままだったなら、彼女もまた杏子と同様に、吐き戻してしまっていたに違いない。

 鼻を突く異臭。
 耳を痛ませる静けさ。
 眼に飛び込んでくる、血と焼死体の極彩色。
 そんな現実が、白井黒子の感覚へ、一気に襲い掛かってきていた。

 黒いヒグマは、そんな少女たちの様子を見やりながら、杏子へ声を掛けた。


「直接ならば認識を上書きできる程度の技量は、既にあるわけですか。
 ……ですが逆に、未だその程度とも言えます。
 発動の遅さから見るに、あなた、普段この能力を死蔵していましたね?」
「うるせぇ――!! どうだろうがアンタにゃ関係ねぇだろぉ!!」


 掌を貫く触鞭を掴んだまま杏子は叫ぶ。
 心を怒りで塗り潰さなければ、目の前の惨状に魂が砕けそうだった。

 目の前のヒグマは、その正体も目的も何もかも、わからない。
 ただ確かなことは、彼がこの真っ黒な液体のような魔力をカズマたちに流し込み、幻覚を見せて同士討ちさせたのだろうということだけ。
 対抗できたのは、同じような幻惑の魔法を使える、佐倉杏子のみ。

 掌から、血が滴る。
 貫かれたままの右手を、杏子は握り締める。

 恐らく、ここで白井黒子の触鞭を離せば、周りに溢れている黒い魔力が再び彼女を幻覚の中に落としてしまうだろうということは、容易に想像できた。
 ――利き腕を、塞がれた。

 黒子が、震えているのがわかった。

「……さ、佐倉、さん……」

 睨み合う杏子とヒグマの間を、彼女の呟きが割った。
 黒子は眼を見開き、自分の両手に視線を落としている。


「私は……、一体、『何を』、殴っておりましたの……?」


 彼女の手と、その手がさっきまで押さえていた彼女の口には、真っ赤な血肉がべっとりと付着している。
 杏子は彼女を見て、地面に散らばる肉塊を見た。
 カズマの茶色い髪の毛がくっついている、挽肉だった。
 咽喉が、引き攣った。


「――~~ッ、考えるなぁ!! そんなことより、こいつだ!!
 このヒグマを、目の前のヒグマを、倒すことだけ考えるんだよ!!」
「う、う……、あ、あぁぁ……」


 杏子の声は、裏返った。
 黒子の震えが、触鞭をはっきりと伝わってくる。
 心を壊してしまいそうな疑問を必死で思考の隅へ押しやり、怒りという刃だけを支えに立ち直ろうとしている震えが、はっきりと伝わっていた。

 そんな少女2人を前に、黒いヒグマはただ、うなだれるだけだった。
 頭を下げて、謝っているようにも見える姿勢だった。


「……わかってはおりました、ええ。
 かように無残な同胞の死を見せつけられれば、さしものあなたでも殺意を抱くだろうことは。
 ……私でも抱きますから。このような手段しか採れず、申し訳ありません」
「ならその、報いを受けろォ――!!」
「ご、『剛なる拳』――ッ!! 『伏龍・臥龍』!!」


 黒子のミサイルと共に、杏子は左手に巨大な槍を生成し、勢いよく投げつけた。
 『最後の審判』と彼女が呼ぶ、高速の投槍。
 ヒグマまでの距離は10メートルも離れていない。
 相手は避けるそぶりすらない。
 2人の攻撃で倒せる――。杏子はそう思った。

「『弾道上に空く、虚無に消えよ』」

 しかし同時に、ヒグマはそう呟いていた。

「――は?」
「え――?」

 そして、呟いただけにも関わらず、2人の放った飛び道具は、空中で突如消えた。
 ヒグマに届く寸前で、空間を切断され、飲み込まれていくかのようにして、『伏龍・臥龍』と『最後の審判』は、2人の視界から不自然に消滅していた。


「……第三部『視覚』、第五章『見る働きに関する諸説の相違と謬説そのものにおける謬説の論破』。
 ……『治癒の書(キターブ・アッシファー)』の『概説』は読みこなせても、『章』は、読めないようですね、サクラ、キョウコさん。
 一介の人間には当然でしょうが……、むしろ、残念な気持ちも先立ちますね」


 ヒグマは、ゆっくりと顔を上げながら、そう呟いた。

「ま、さか――」

 杏子の歯が鳴る。
 彼女はその言葉で察知した。
 自分がこのヒグマの幻覚を、完全に防げている訳ではないということを。
 そして、視界を埋めている黒い靄のような水のような魔力は、単なる『薄められたもの』に過ぎないということを。

 この魔力は、濃くなれば濃くなるほど、『見えなくなる』のに違いない。
 杏子の眼に捉えられているのは、ヒグマの魔力の内、全体攻撃用に薄められているものだけだ。
 本当の魔力は、杏子にすら見えぬほど濃い透明になって、空間を漂っている。

 ヒグマは、自分たちの放った槍やミサイルを掻き消した訳ではない。
 それらに高濃度の魔力を浸透させ、自分たち二人に感知できなくさせただけに違いない。
 槍とミサイルは、自分たちに見えない盲点で着弾し、自分たちに聞こえない音で爆発したのだろう。
 そして本当のヒグマは、既にその位置には、いない――。


「し、白井さん!! 周囲全体を攻撃してくれ!! そこにいるヒグマは、残像だ!!」
「や、『柔らかなる拳、列迅』ッ!?」


 杏子の声に呼応して、絶影の触鞭が振るわれる。
 空気を引き裂き、かき乱すような黒子の鞭の動きに、杏子は自分の魔力を同時に流し込む。
 景色が蜃気楼のように揺らぎ、その狭間に、わずかに黒い毛並みが覗いた。

「くっ……!?」

 引き裂かれた空間に、狼狽するヒグマの姿が、見えた。
 杏子たちは色めき立つ。
 何かを詠唱し始めようとしているヒグマへ、させるまいと、2人の攻撃が走った。

「『汝の紡錘はその意図を紡がない』――」
「もらった――!」
「劉鳳さんの仇!」


 常人には対応できぬほどの高速で、変幻自在の機動を描き、挟み討ちのようにして、絶影の触鞭と、杏子の多節槍がヒグマへと向かう。
 しかしその瞬間、さらに変幻自在の機動を描き、信じられない程に長い舌が、ヒグマの口からは伸びていた。
 触鞭と槍は両方とも、ヒグマの首に突き立つ直前で、その舌に絡め取られた。

「『転べ』」
「うお――!?」
「きゃぁっ!?」

 そしてヒグマはほんのちょっと、その舌を振るっただけだった。
 杏子たちは一様に、自分の体が宙に浮いたように感じた。
 体から一切の触覚が消え去り、自分の脚が、手が、どこにあるのかわからなくなった。
 平衡感覚が掴めない。
 視界が傾く。
 体勢を立て直そうとして、その視界は逆方向に急激に回転した。

「ぐっは――」
「あだっ――」

 杏子と黒子は、空気投げを喰らったかのように吹き飛び、見事に一回転して背中から地面に倒れていた。
 傍から見ればそれは、二人揃って全力でオーバーヘッドキックに失敗したかのような、非常に間抜けな絵面に見えただろう。

 直後、杏子の体には瞬間的に感覚が戻る。
 しかし慌てて立ち上がった時には、槍は手から離れ、掌に刺さっていた触鞭も抜け落ち、黒子とは距離が開いていた。
 同じく立ち上がろうとしている黒子に走り寄りながら、杏子は叫ぶ。

「し、白井さん! 早くあたしの手を――!!」
「わかりましたわ――!!」

 力強く応じた黒子はそして、杏子とは逆方向に、走り出していた。


「は――」
「はい、これで良いですわよね!? 危うくまた幻覚に呑み込まれるところでしたわ!」
「そうですね。私と手を繋いでいればもう、安心ですよ」


 絶影の飛ぶような機動が走った先で、黒子はヒグマの手を掴み、にっこりとしていた。
 その眼からは、鼻からは、耳からは、既に黒い液体が滴っている。
 杏子の手が離れたその一瞬に、再び彼女の感覚の主導権は、奪われてしまっていたのだ。

「て、め、えぇぇぇぇぇ――!!」

 杏子は身を震わせた。
 あまりにも、悔しかった。

「同じ手は喰いませんわヒグマ!! 『剛なる拳』――!!」
「うおぉぉ、『縛鎖結界』ッ!!」

 杏子の叫びを掻き消すようにして、黒子からは2発のミサイルが放たれる。
 地面に手を突いた杏子は、何とかそこから赤い鎖状の防壁を生み出してその攻撃を受け止めた。
 防壁の向こうからでもその強烈な爆発は、杏子の全身に吹き付ける。
 エイジャの赤石と共鳴したことによる強化がなければ、この防壁も砕け散っていたに違いないと感じるほどの威力だった。


「し、白井さん、今度こそ――」

 爆風に耐え、杏子は顔を上げる。
 どうにかもう一度、白井黒子を正気に戻す。と、そう決意した。


「あ、あ――。お、お姉様……!?」


 その眼に映った黒子の様子は、おかしかった。
 彼女はヒグマに手を繋がれたまま、杏子の目の前にまで、やってきていた。
 そして、ちょうど杏子の防壁が張っていた辺りで屈み込み、何もない空中を掴む。


「う、嘘ですわ……。私が、私が、お姉様を攻撃してしまっていたなんて……!!
 私たちを、助けに来て下さったのに……!! 眼を開けてくださいまし!! お姉様、お姉様!!」
「あ、あ、あ、あ、アンタ――!! 白井さんに、何を見せてるんだッ――!?」


 黒子は、何かを抱え上げるようにして、嗚咽を漏らす。
 引き裂かれるような泣き声と涙が、アルターの肉体から溢れ出る。
 得体の知れない目の前の友の様子に、杏子は震えながら、ヒグマに叫んだ。
 ヒグマは保護者のように白井黒子の片手を握ったまま、静かに言った。


「……彼女が一番、恐れていたことです」
「い、嫌……。嫌ですわ……!! 私が、私が皆様を……!? 劉鳳さんも、カズマさんも、お姉様も……!?
 私は、ジャッジメントですのに……!! この島へ、正義を為しに来たはずですのに……!!」


 黒子は頭を抱え、地面に崩れ落ちた。
 彼女の見ているものは、自分の最愛の相手を自らの手で殺めたという、恐怖そのものだった。


「ち、違う――!! 目を覚ませ!! 目を覚ましてくれ、白井さぁん――!!!」
「みんな、私が、殺した……!? わ、わた、私がぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――!!!」


 杏子は、黒子の片腕を掴んだ。
 だがその手は、信じられない力で振り払われた。
 黒子はそのまま、ヒグマの腕すら振り払い、真っ黒な涙を零しながら、猛り狂うようにして宙に踊った。
 ぐねぐねと悶絶していた白い蛇のようなその体は、その顔面を真っ黒な液体に濡らして慟哭する。
 鐘の割れるようなその叫びは、彼女自身のアルターの肉体にひびを入れた。

 彼女は生きたまま油で揚げられる海老のようにもがき続け、次第にその体を虹色の粒子に砕け散らせて行く。
 風に虹が吹き払われた後には、その場には、もう何も残っていなかった。
 白井黒子は、自分の存在を否定した。


    ###θ=7/β=3


エネ テレケ エネ ホプニ アンコトゥライヌ イキ コロカ、(私は跳ねることも、飛ぶこともままならないまま、)
トゥ ユプケ タムクル レ ユプケ タムクル アネテレケカラ コロ、(二つの激しい太刀、三つの激しい太刀を振りかざしましたが、)


ル カニ ラムラム。(『溶ける黒金の毒水』が滴るのです。)


ラムラム カ タ、アムテムシ チラピソネ。(毒水が滴るうろこに、刀は滑って逸れてしまいます。)


イノテハイタ、(刀は当たりもせず、)
アンペンラム カ タ アンミ ハヨクペ ル ワ パイェ、(私が胸の上に着ている冑は溶けて、)
チク ワ パイェ。(ポタポタと流れ落ちていきました。)


(砂澤クラ『ポイヤウンペとルロアイカムイの戦い』より抜粋。拙訳)


    ###θ=7/β=3


 膝崩れになったまま佐倉杏子は、白井黒子が消えてしまったあたりを見つめ、暫く呆然としていた。
 もう何もかもが、信じられなかった。
 自分の感覚さえ、どこまでが現実で、どこまでが幻覚なのか、信じられない。
 むしろ全てが、幻覚であって欲しいとすら思う。

 周りにはもう、隣にヒグマが立っているだけだ。
 風があまりに、冷たく静かだった。


「……なぁ、教えてくれよ。なんで白井さんは、死んじまったんだ……?」
「……自分の意志の力で肉体を作っているにも関わらず、その生きる意志を、失ったからです。
 魔力で形作った肉体は、現世の肉体よりとても強いですが、同時にとても弱い……」

 ヒグマは杏子の呟きに、理科の実験説明をするかのように、淡々と答える。
 どうしようもなく現実感が希薄で、同時にどうしようもなく、杏子の心を逆撫でする言い方だった。

 杏子はその言葉のお蔭で、立ち上がることができた。
 彼女の心を動かす動力はもはや、怒りをおいて、他になかった。
 顔の筋肉が痙攣している。
 ぼたぼたと涙を零す顔は、泣いているのか、笑っているのか、怒っているのか、杏子自身にもわからなかった。

「……つまり結局は、アンタが殺したってことだよね」

 落ちている槍を掴みながら、杏子は呟く。
 ヒグマはその言葉に、静かに首を振った。

「私が殺したわけではありません。彼女の心が、生きることを拒絶したのです」
「そう仕向けたのは、アンタだろうがぁぁぁ――!!」

 杏子は振り向きざまに、手の槍を揮った。
 のけぞって穂先を躱しながら、ヒグマは悲しげに言葉を繋げる。

「……私が直接あなた方を殺せれば、もっと安らかに眠らせてあげられるのですが。
 ……致し方ないのです。これが、決まり事ですから」
「なら殺してやるッ!! あたしが代わりに、テメェをなぁッ!!」
「『閉ざせ』」


 槍の節が外れ、鎖で繋がった多節槍となってヒグマへ走る。
 『鉄砕鞭』の勢いが、ヒグマの影を叩く。
 一言呟いたヒグマの姿は、その衝撃で掻き消える。
 既に高濃度の幻覚を張り、その存在を隠蔽していたものらしい。
 物音も気配も感じられぬ茫漠たる空間へ、杏子は歯を噛んで叫んだ。


「何処にいようが関係ねぇ……!! これでも喰らいなッ!!」


 杏子はその槍を、地面に呑み込ませた。
 直後、周囲の大地からは、一斉に竹林が生じたかのように数百にものぼる槍衾が伸びる。
 ――『断罪の磔柱』。
 逃れる場所のない異端審問の杭に、敵は確実に貫かれているはずだった。

 しかし、手応えが無い。
 360度の視界全てに林立する槍のどこにも、ヒグマの姿はない。
 姿を消していたとしても、杏子の魔力の槍はその幻覚を斬っているはずだ。
 確実にヒグマは、杏子の必殺の攻撃から、どこかに逃れている。

「なっ……、一体……、どこへ……?」

 辺りを見回しても、影も、形もない。
 物音も、匂いも、気配もない。
 杏子は寒気を覚えた。

 ヒグマのいる位置は、ある一箇所しか考えられなかった。


「背中――!?」
「遅いですね」


 振り向きながら後方へ肘打ちを食らわせようとした杏子の顔が、ヒグマの肉球に掴まれる。
 ヒグマは、杏子の背中にぴったりと張り付くようにして佇んでいた。
 もがく杏子の腕は胴体にヒグマの舌で縛りつけられ、身動きが取れなくなる。
 林立する槍衾が消えてゆく。

 ばたばたと脚で蹴りつけても、ヒグマはびくともしなかった。
 こんな痩せたヒグマでも、穴持たずと言われるだけはある。

「くっ……、そっ……!! は、な、せぇぇ――!!」
「さて……。佐倉……、杏子さんとおっしゃるのですか。
 その能力と胸の宝石……、あなたも魔法少女という人種だとお見受けしますが」
「な、んで、知ってやがる……!!」

 顔面を掴まれたまま、杏子は苦痛に身を捩る。
 魔法少女である杏子と、そのヒグマと、筋力はほとんど拮抗していた。
 既に極められている状態では抜けようがない。

 ヒグマは杏子の首輪と胸元を眺めながら嘆息した。

「腕とそのソウルジェムとかいう宝石だけになっても生きていたらしい参加者の話を耳にしましたのでね。
 ……どう殺して差し上げれば良いのでしょうか……」
「腕……!?」


 杏子は驚きと共に思考を巡らせる。
 腕だけになっても魔法少女が生きられる、というのが驚きだった。
 だが今まででも、杏子は首を切断されたり下半身をもがれたりした状態からでも生き返っている。
 確かに不思議ではない。
 脳も心臓も無くした状態でも、魂と覚悟さえあれば、魔法少女の命は永らえるものらしい。

 そして、そんな覚悟ある魂(ソウル)を腕に宿す少女など、杏子はただ一人しか知らない。
 暁美ほむらだ。

 彼女は、自分の身が崩れる死の谷の底でも、決して諦めなかったのだ。
 そしてその決意は、杏子があの時、カズマに誓った祈りに他ならない。
 彼女にできて、自分にできない、わけがない。


 ――たとえ『死』の陰の谷を歩むとも、あたしは『絶望』を恐れない。


「うおおおおおおおおおおおおおお――!!」


 杏子は渾身の力を振り絞って叫んだ。
 同時に、彼女の真っ赤なポニーテールを成す髪が、蔓草のように翻り伸びる。
 杏子を掴むヒグマの前脚を、首筋を、逆に締め付けるようにして絡んだ。


「『赤い幽霊(ロッソ・ファンタズマ)』ァ!!」


 そして地面から、佐倉杏子自身と全く同じ姿をした少女が12人、手に手に槍を掴んで現れる。
 ヒグマに向けて、彼女たちは一斉に槍を突き込んだ。
 あの羽根ヒグマの男――、究極“羆”生命体カーズを完全に封殺した切り札。
 佐倉杏子の根源の魔法が、欠片も漏らさずヒグマに叩き込まれていた。

 ヒグマは、全身に槍を突き刺されながら、ぽつりと呟く。


「……幻視の質が低いですよ」
「なっ――」

 ヒグマの声と共に、彼の体に突き込まれていた槍は、どろどろと黒い水になって溶けてしまった。
 驚きに震える杏子と12体の分身に向け、ヒグマは滔々と語る。


「自分の姿を取らせているにも関わらず演出のツメが甘いのです。
 この程度の幻覚では、初見の相手にならまだしも、私のような心得のある者に通じるわけがありません。
 幻覚とはすなわち、相手にそう『思い込ませること』です。
 単なる魔力、単なる気迫のみで、相手を呑めると思ってはいけません、佐倉杏子さん」

 杏子がこのヒグマの幻覚を破ったのと同じだ。
 相手と拮抗する魔力を流して幻覚を破る――。
 ただその実力が、杏子の場合は全体攻撃の無効化にとどまり、このヒグマの場合は切り札まで無効化できるほどに強いという、ただそれだけのことだった。

「武術と同じく、幻覚にも『力』だけでなく、『技』が必要なのです。
 これで直接肉体に損害を与えたいなら、もっと相手の恐怖と苦痛に共感しなくてはいけません。
 相手を思いやるからこそ、相手を地獄へ突き落とすことができるのです。
 ――これ以上、お手本が必要ですか?」
「何なんだよアンタはァ――!! 学校の先生かよぉッ!!」

 杏子の分身は、必死にヒグマへ掴みかかり、殴りつけようとした。
 しかしその実体ある幻覚も、ヒグマに触れた瞬間に溶けて崩れてゆく。
 ヒグマは杏子の叫びに、寂しそうな顔をして、言った。


「……そうですね。もし出会い方が違えば、私は今生でも……。
 ……新たな弟子を手に入れられていたのかも、知れません」


 そして彼は佐倉杏子の姿を、一喝した。


「『剥がれよ』!!」
「ぐあ――!?」


 瞬間、掴まれていた杏子の顔面に、凄まじい異臭が叩きつけられた。
 衝撃で彼女は背後に吹き飛び、ロッソ・ファンタズマの分身も掻き消えてしまう。

 その異臭は、父親の死体の臭いだった。
 母親の血だまりの臭いだった。
 妹の臓物の臭いだった。

「おっ、げぇぇぇぇ――!?」

 杏子の爛れた鼻と口から、再び胃液が噴き出す。
 恐怖と悲哀と絶望が、彼女の胃を突き上げて止まない。
 吐瀉物の黄色い噴水が、地面とその顔を汚した。
 倒れたまま痙攣しもがく杏子のもとに、ヒグマはゆっくりと歩み寄る。


「……存在には、『不可能なもの』『可能なもの』『必然的なもの』の三種があります。
 如何に幻覚といえど、相手が望まぬ『不可能なもの』を見せてしまっては心身を支配下に置けるはずがありません。
 相手が実際に感じてきた『必然』を見つめ、その相手一人一人に合わせる細やかな調整が必要なのです」


 その細やかな調整こそが、記憶を抉るえげつない幻覚だというのか――。
 杏子は震えた。
 許せなかった。

 杏子は、同じ幻覚を使う者としても、このヒグマを許すことはできなかった。
 彼女は決してこの幻覚の力を、他人を悲しませるために使おうとはしなかった。
 この力は、ただ話を真剣に聞いてもらうために。
 他人を幸せにするために、あるはずのものだった。

 通じない。
 何もかも通じない。
 その圧倒的な実力差の中で、ただ一つ、この信念だけは、杏子が唯一勝ると確信する、彼女の根源だった。

 杏子は立ち上がった。
 決意した。

 ――原点に帰ろう。
 マミさんと出会うよりも前から、あたしが最も練習していた、あの状態で戦うしかない!!


「「――『あたしが二人』ッ!!」」
「……ぬぅ!?」


 口を拭い、燃える瞳で叫ぶ。
 その隣には、全く同じ動きで、全く同じ表情でヒグマを睨みつける、もう一人の杏子の姿があった。
 ヒグマは初めて、その眉を顰める。
 どちらが幻覚で、どちらが本物なのか、見分けがつかなかった。


「「どっちが本物か、当ててみやがれェ――!!」」


 二人の佐倉杏子は、共に槍を生成し、二手に分かれて走った。
 幻覚が無効化される以上、実体を持たせていても、分身の攻撃が相手にダメージを与えることは期待できない。

 それでも、二択で十分――。
 上下、左右、表裏。
 高速の機動と、鞭のような多節槍の展開で、杏子はヒグマの周りを踊るように翻弄する。

 未だ洗練される前のその『赤い幽霊(ロッソ・ファンタズマ)』は、いわば単なる『二重奏(ドゥーオ)』の状態に過ぎない。
 だがそれは、彼女が全ての魔力と神経をたった一体の分身に集約させる、渾身のクオリティの演奏だった。

 うろたえるヒグマを、前後から挟む。
 牽制のように舌が分身へ繰り出される。
 実体を消せばすり抜けられるが、避ける。
 最後の最後まで、どちらが本物か、絶対に見破らせない。

「「喰らえぇぇぇぇ――!!」」

 決して話を、聞き流させたりはしない。
 それはただ一言の、説教を突き込むためだけの力だった。


『…………ならば試してみよう。
 お前の言うことが正しいかどうか その目で見ていなさい』


    ###θ=7/β=3


『皆さん、聞いてほしい!
 私は、私の言葉を訂正するつもりだ!
 絶望が憎むべき悪などというのは まったくの嘘だ!
 希望など持って生きても無駄なのだ!
 既にこの世は生き地獄なのだから!
 そうだ!
 希望などという気休めなど捨てて 欲望のままに生きなさい!
 この世に神などいない!
 絶望こそが、我らを導いてくれる 唯一の道しるべだ!』

(どうしてそんなデタラメを!
 そんな話、誰も聞いてくれるわけない!
 そうでしょ父さん?)

『おお。何て素晴らしいんだ……』

(……えッ?)

『彼の言葉には真実がある。
 この世に神などいないのだ!』

(そんなバカな……)

『この世に神などいない!
 絶望こそが、我らを導いてくれる 唯一の存在だ!』

(なぜ……なぜなの……)

『そうだ! この世に神などいない!
 絶望こそが、我らを導いてくれる 唯一の存在だ!』

『なんということだ……。
 こ、これでは……私の 意のままではないか……。
 恐ろしい…… なんて恐ろしい……』

『この世に神などいないのだ!
 欲望のおもむくままに生きよう!
 絶望を道しるべとして!』

『や、やめろ!
 私が今言ったことは まったくの嘘だ!
 嘘をついていたんだ!』

『そうだ 嘘をついていた!!』

『あああ! なんてことだ!
 これでは私自身が 悪魔のようではないか……』

「あたしは、そんなつもりじゃ……
 ただ、父さんのためを思って……」

『私を思ってだと!?
 ふざけるな!』

「きゃっ……! 痛い……。
 父さん、なんで殴るの……?」

『私は騙されていた……!
 お前こそ魔女だ! この……魔女!
 人心を惑わす魔女め!』

「や……やめて……」

『魔女! 魔女! 魔女!
 魔女! 魔女! 魔女!
 魔女! 魔女! 魔女!
 お前こそ魔女だ!
 お前こそ魔女だ!
 お前こそ魔女だ!』

「やめてぇええええ―――!
 ……ぅ……ぅう……ぅああああ――!」


    ###θ=7/β=3


「『暴れ駒駆ければ鐙は落ちる』。『唸れ』」
「がぁ――」

 杏子が意識を取り戻した時、彼女は路上に倒れ伏していた。
 耳が、聞くことを拒絶してしまったかのように、ひどい頭痛をもたらしながら沈黙している。

 杏子は思い出した。
 自分が分身と共にヒグマを前後から挟み込み、今にも突き殺さんとした時、上空から大量の魔力が、滝のように降り注いだことを。
 上下も左右も表裏も、ちゃちな二択を両対応で圧し潰す圧倒的な魔力。
 その魔力は、杏子もその分身もいっぺんに押し潰し、脳髄に気の狂うような大音響を叩きつけていた。

 父親とその信者とが、自分を糾弾する罵声。

 それは、杏子の信念を粉微塵に砕く声だった。
 彼女は決してこの幻覚の力を、他人を悲しませるために使おうとはしなかった。
 だがその力は、杏子が意図するにせよしないにせよ、確かにその肉親と彼女自身を、不幸の底に叩き落とすものだった。

 自分の力が、不幸をもたらすことを自覚して用いる者と、眼を背けて用いる者。
 果たしてどちらが、より邪悪なのだろうか――?


「……なるほど。確かに、今の幻覚の質感には、息を呑むものがありました。
 あなたがもし、日々怠らずにその能力を磨いてきていたのならば、あるいは私の敗北も有り得たのかもしれません……」


 頭上から、ヒグマの声が響く。
 機能を失いかけた杏子の耳に、その声は妙に遠く、くぐもった音で聞こえた。


「……ですが、足りない。足りないのですよ。佐倉杏子さん……!!」


 身を起こそうとしたが、できなかった。
 腕にはもう、力が入らなかった。
 右手には、白井黒子に刻まれた風穴が、墨刑のように未だ血を流していた。

 杏子の体は、ヒグマに助け起こされる。
 黒く、痩せた毛並みが、柔らかかった。


「う、あ、あ……。ああああ――……」


 ヒグマの前に座り込んだまま、杏子は、赤子のように泣いた。
 友も、魔法も、信念も。
 何もかもが、完膚なきまでに打ちのめされた。
 拭っても拭っても、涙が溢れて、止まらなかった。
 胸の宝石が、真っ黒に濁っていた。

 目の前のヒグマは、そんな杏子の様子を真っ黒な瞳で、ただ静かに、見つめているだけだった。
 彼と戦う意味も、理由も、もはや杏子には思い出せなかった。

 ただ彼女に残っていたのは、それでもこのヒグマを倒さなくてはならないという、怒りだけだった。
 死んでしまった友の仇を取る、復讐の念だけだった。

 にじんだ視界の端に、自分の槍が映る。
 杏子は、掌から血を流しながら、それを掴んだ。
 そしてそれを、目の前に座るヒグマの心臓へ、突き出していた。


「死ねぇえぇぇぇぇぇぇ――!!」


 すさまじい衝撃があった。
 槍は深々と肉を抉り、心臓を破り、その背中までを貫通した。


「――ご、はぁ……!?」


 血を吐いたのは、杏子だった。
 瞬きした杏子の視界に、『現実』が見えた。

「……マ、ジ、か……」

 槍は、杏子自身の胸に突き刺さり、そのソウルジェムを掠めながら、自身を串刺しにしていた。
 槍の穂先は、相手ではなく、自分の方を向いていた。
 杏子が刺そうとしたのは、鏡のような金属質の、ビルの壁だった。
 勢い良く突き出した槍は、壁に石突きを当てて止まり、血に濡れた掌を滑って、杏子自身の身に跳ね返っていた。
 彼女はその時既に、自分の視覚すら完全に奪われてしまうほどに、魔法を失っていたのだった。


「……あなたの力ではまだ、私の宝具の、足元にも及ばない。……自明の事柄でした。
 今のあなたにとってこの結果は、『必然的なもの』だったのです。愛すべき、未来あった、若者よ……」

 倒れ込もうとする彼女の体を、後ろからヒグマが、抱き留めていた。
 彼の震えが、杏子にはっきりと伝わってくる。
 心を壊してしまいそうな感情を必死で思考の隅へ押しやり、それでも自責に苛まれながら耐えている震えが、はっきりと伝わっていた。

 幻覚を使うには、相手の恐怖と苦痛に共感しなくてはいけない――。
 相手を思いやるからこそ、相手を地獄へ突き落とせる――。

 それがどれだけ辛いことなのか、ようやく杏子にはわかった。
 杏子の感じた痛みは、全て、このヒグマ自身が感じた痛みでもあったのだ。

 死にゆく自分の体を抱きしめるこのヒグマは、本当に『優しい』ヤツだったんだな、と、ふとそう思う。
 どんどんと冷たく、重くなっていく体に、彼の毛並みが温かかった。
 杏子は泣きながら、笑った。


「……言って、くれる、よ。あたしが、魔法、使えなかったワケ……、わかった、だろ……」
「あなたの辛さを癒してあげたいのは山々です……。ですが私にも、時間がありませんので……」


 杏子の胸を貫いていた槍は、魔力を失い、消え去った。
 同時に、栓の抜かれた貫通創から、鮮血が溢れる。
 この土地が口を開けて、彼女の血を受けるかのようだった。
 ヒグマは静かに、彼女の体を横たえた。
 杏子の胸の上にあるソウルジェムは真っ黒になり、槍の掠めたヒビから、その中身が溶けて、ポタポタと流れ落ちていく。

 いかな魔法少女とはいえ、生き返れまい――。
 その様子を確かめ、ヒグマはゆっくりと踵を返す。


「……お別れです、佐倉杏子さん。あなたを生かし、殺したのは、あなた自身の心です。
 ……『ティスバヒ・アラヘール(あなたの晨は安らかであれ)』(おやすみなさい)」


 その声が終わると共に、彼の存在は、突風のコミューターに乗ったかのように掻き消えた。

 自らの運命のかがり火で、佐倉杏子の命は焼き焦がされた。
 道端で。
 終わりは、訪れた。


【F-5 市街地/午後】


穴持たず47(シーナー)】
状態:ダメージ(大)、疲労(大)
装備:『固有結界:治癒の書(キターブ・アッシファー)』
道具:相田マナのラブリーコミューン
[思考・状況]
基本思考:ヒグマ帝国と同胞の安寧のため、危険分子を監視・排除する。
0:ヒグマに仇なす者は、殺滅します
1:まだ休めるわけないでしょう、指導者である私が。
2:莫迦な人間の指導者に成り代わり、やはり人間は我々が管理してやる必要がありますね!!
3:モノクマさん……あなたは、殺滅します。
4:懸案が多すぎる……。
5:デビルさんは、我々の目的を知ったとしても賛同して下さいますでしょうか……。
6:相田マナさん……、私なりの『愛』で良ければ、あなたの思いに応えましょう。
7:佐倉杏子さん……、惜しい若者でした……。もしも出会い方が違えば……。
[備考]
※『治癒の書(キターブ・アッシファー)』とは、シーナーが体内に展開する固有結界。シーナーが五感を用いて認識した対象の、対応する五感を支配する。
※シーナーの五感の認識外に対象が出た場合、支配は解除される。しかし対象の五感全てを同時に支配した場合、対象は『空中人間』となりその魂をこの結界に捕食される。
※『空中人間』となった魂は結界の中で暫くは、シーナーの描いた幻を認識しつつ思考するが、次第にこの結界に消化されて、結界を維持するための魔力と化す。
※例えばシーナーが見た者は、シーナーの任意の幻視を目の当たりにすることになり、シーナーが触れた者は、位置覚や痛覚をも操られてしまうことになる。
※普段シーナーはこの能力を、隠密行動およびヒグマの治療・手術の際の麻酔として使用しています。


    ###θ=7/β=3


「――っペッ」
「いたっ!?」

 私が意識を取り戻したのは、どこかわからない墓場の前だった。
 吐き出されたように地面に転がった身を起こすと、目の前には、カラスが明かな苛立ちと共に佇んでいた。
 傍の土には、作られたばかりらしい墓碑が並んでいる。
 『西山正一の墓』と、『ニンジャの墓』と読めた。


「……れい。私があと一瞬でも遅かったら、あなたは死んでいたのですからね?」
「――きょ、杏子は!? 他の人たちは!?」
「死んでいない方がおかしいですね。この私までもが、五感のうち三つまでに干渉されるとは、信じられません。
 一体何なのですあの現象は……! 私の理解を逸しています!」

 狼狽する私の前で、普段めったに感情を見せないカラスが、稀に見る憤りと悔しがり方を見せていた。

「い、一体、何が起こったの……!?」
「知りません。幻覚か何かを見せられていたのは確かです。その間に、私たちは何らかの爆発物で殺されそうになりました。
 あなたがいつまでたっても動かないものですから、仕方なく私が体内に飲み込み、逃走しようとしたその直後、爆弾が直撃し、吹き飛びました。
 この『始まりと終わりの狭間に存在するもの』の代弁者である私がそのまま爆風に紛れて逃げていなければ、あなたは死んでいたところです」

 そっぽを向いたカラスの背中から尻尾にかけて、羽がごっそりと焼け焦げてハゲになっている。
 ああ、カラスって羽は黒いけど肌は白いのか。
 こんな場所で私はどうでもいい知識を得てしまった。


「……そう、あなたが助けてくれたの。……一応、ありがとう」
「感謝している暇があったら少しくらい役に立つ働きをしなさい、れい。ただの手駒だという身分を弁えることです」
「……ああ、そうか。そういう陰険な言葉もツンデレだったのね、カラス」
「うるさい!! ツンデレなどという下等な行動パターンではありません、手駒の分際で!!」


 羽がむしれた後の肌がやたら白くて目立つカラスは、怒りと共に眼を光らせた。
 首のあざが激痛を発する。
 いつもなら、何もできず悶絶してしまうほどの痛み。私を戒める軛だ。
 でも今回の私は、逆にカラスを、掴み返していた。

「な、何をするのですか、れい! 離しなさい!!」
「……そんな御大層に『始まりと終わりの狭間に存在するもの』の代弁者を名乗るなら、なんで私だけしか助けられなかったのよ!!
 私の上に立つことを証明したいなら、いつもいつもこうしてアザを痛ませる以外にやり方あるでしょ!?
 ツンデレじゃなかったら何よ!? 弱虫! 意気地なし!
 わけわかんない現象に直面したからって、私だけ攫って逃げてきたんじゃない!!」
「は、な、し、な、さ、いぃぃ!! もっと痛みを強くしますよ!?」
「ええやってみなさい!! あまりの痛さにあなたの首を圧し折っちゃうかもね!!」

 私は両手でカラスの首を絞めながら叫んだ。
 まるで野犬のケンカのような、主導権の奪い合い。

 それでも杏子が、カズマたちが受けただろう痛みに比べれば、こんな首のアザなんて、カスみたいなものだった。
 彼らはきっと、何もわからぬままに殺されたのだろう。
 そして私も、あの場面については、何一つわかりようがなかった。
 手も足も出なかった自分自身が、悔しくてならなかった。

 それなのに、『私を飲み込んで守る』などという芸当のできたカラスが、そこで諦めてしまったことが、許せなかった。
 出し惜しみなんて許されない。総力を挙げるべき場だったに、違いないのに――。

 ――コトッ。

 その時、私のショートパンツの裾から、何かが零れ落ちた。


「――拳銃……?」
「くっ、くふっ……! いつの間にか握力つけやがりましたね、れい……!!」


 カラスの首を放して、それを拾い上げる。首の痛みはとっくに止められていた。
 咳き込むカラスを無視しながら眺めたそれは、見覚えのあるものだった。
 彼の、人を小馬鹿にしたような声が脳裏に蘇る。


『逃げるんだよ』


 ――狛枝凪斗が、私に突き付けていた拳銃。
 それがなぜか、まるっきり綺麗なままで、私のショートパンツに挟まっていたのだ。
 弾薬も入ったままだし、動作にも違和感はない。
 あの時の爆風。
 私が夢か幻覚の中で吹き飛ばされたあの爆発で、一緒に吹き飛んできたのだろうか。

 余りに信じがたいことだが、可能性としてそれしか考えられない。
 この拳銃が吹き飛んでいるということは、あの爆発で狛枝凪斗は確実に爆死している。
 だがその時に、千切れたデイパックから、このリボルバーは誘爆もせずに吹き飛び、私の尻に挟まったのだ。
 このロクに隙間もない制服のホットパンツに、見事に銃身を喰い込ませて引っかかり止まったのだ。
 有り得ないと言いたい現象だが、それしかない。

 記憶の中の狛枝が、笑った。


『……ボクは、「希望を守る」ためならなんだってするよ。「希望」こそがボクの根源にあるモノ。
 それこそがボクの、「プンキネ・イレ(己の名を守ること)」だろうからね……』


 自らを『超高校級の幸運』と豪語する、その自惚れ屋にも似た少年の笑みが、眼に浮かぶ。

「くっ……」
「どこか痛めましたか、れい? だとしたら本当に使えない子ですね」

 私は、その拳銃を握り締めたまま、涙を零していた。
 このリボルバーは、彼が私に託したのだ。
 その『超高校級の幸運』とかいう信念が、とてつもなく低い確率の分岐を的確に選び抜き、私にこの拳銃を届けたのに違いない。

 出会った時、ビルの屋上で、彼は眼を輝かせて笑っていた。

『素晴らしいよ! もしかしたら、君が希望なのかもしれないね!』

 カズマに向けられていたその発言は、つい先ほど、彼自身の口から、ぽつりと補足されていた。

『……カズマクンだけじゃなくて、あの時は佐倉サンも黒騎サンも居たからなァ……』

 カズマは気づかなかったらしい。
 杏子も、その言葉を気に留めてはいなかったかもしれない。
 だが、直前まで狛枝と会話していた私には、わかった。
 その言葉は、彼が信じ抜き、守ろうとする『希望』が、カズマと同行していた私や杏子の中にも見出されていた可能性を示している。

 彼が自己陶酔に浸る、薄気味の悪い少年だったことは間違いない。
 まるで自分の姿に恋をして水仙になってしまったナルキッソスのような。
 美しい姿に、毒と呪いとを満たした花のような。
 決して自分では叶えられぬ『希望』を、まっすぐに信じ抜き、追い求めた狂人だった。

 だがその狂人は、確かにその『希望』を、守ったのだろう。
 ――私は、狛枝の『幸運』に、生かされたのだ。


「なんでよ……、なんで、私なんかを生かしたのよ……。他に、もっと、『希望』に相応しい子は、いたじゃない……」
「あなただけがそのエネルギーで矢を放てるからに決まっているでしょう。本当に馬鹿ですね、れいは」
「カラスには聞いてない……ッ!!」
「何に対して愚痴をこぼしているのか知りませんが、早く地下に降りなさい。またあの幻覚に遭遇したらたまったものではありません」

 拳銃を握り締め、私は嗚咽を漏らした。
 カラスの言葉を聞く気はない。

 私はようやく、友達を助けたいという『己の名を、知った』ばかりだ。
 それでもたった今、友達を助けて『名を上げる』ことは、できなかった。
 そして、そんな自分自身を、私が『信じ抜ける』ようになるのは、一体いつになるだろうか。
 彼のように、その信念を『守れる』ようになるのは、一体――?
 私なんかが、『希望』になれるなんて、おかしいと思わないのか――?


「もしこんな拳銃届けただけで『超高校級の幸運』を言い張るのなら、あの世で笑ってやるわよ、狛枝凪斗……!!
 『希望』を守るっていうなら、この程度のことで満足しないでよ……!!」


 確かにカラスの言う通り、今からあの場所に戻るという選択肢は、有り得ない。
 折角、彼が選んでくれた幸運の分岐を、逆戻りすることになる。
 きっともう既に、どんな結末になったにしろ、あの市街地の戦いは、終わってしまっているから。

 あつらえたように、私が今いる街道は、さっきの市街地の東だった。
 狛枝が提唱した、『何もない東側に退いてから、地下か大回りのルートで百貨店を目指す』という、その軌道にぴったりと乗っていた。
 彼の『超高校級の幸運』は、信じざるを得なかった。

 そしてそれに、縋らざるを、得なかった。
 杏子、カズマ、劉さん、白井さん。
 脳裏に浮かぶ彼らの姿に、その『幸運』の加護があるように。
 私は祈るように、銃を持つ両手を合わせる。


「どうか、どうか……、みんなを、助けてあげていて……!!」


 ――適当なやつを囮にして逃げて、相手の目的と実力がはっきりするまで待ち、一番効果的に相手を潰せる武器や人間を選んでぶつけ、死角からひっそりと殺し尽くす。
 ――その場でバカ正直に戦いを受ける必要も、意味もないからね。


 記憶の中で狛枝は、そう言って不敵に笑う。
 握った銃が、胸の『鍵』に触れた。
 首から提げて服の中に仕舞っていたのが、爆発の時に外に飛び出してしまっていたらしい。

 それは私の帰るべき、『家の鍵』だ。
 狛枝凪斗が、服の上から銃口を突き付けていた、私の大切なもの。

 ……そう。
 私なんかそもそも、『友達を助ける』ような『希望』になんて、なれっこない。
 私の行動原理は結局全て、この『鍵』に。家に帰るためだけに、あるのだから。

 私も狂人だ。
 毒と呪いに満ちた、水仙の花だ。
 自分可愛さと、友達を救いたい欲求の狭間で永遠に苦悩する、救われぬ呪いの花――。

 それでも私は、『鍵』を今一度マフラーと制服の下に仕舞い、首輪の銀紙を確かめ、歩き出した。


「戦いに卑怯もクソもない……。効率があるだけ……。ええ、そうなのよね、狛枝……。
 戦い抜いてやるわ、どんなえげつない手を使ってでも……。
 自分も、友達も、救って見せる……。あの世であなたに、笑われないように……」


 独善に咲いていた花が、利己と利他へ同時に根を張ろうと、とてつもない欲望で、もがき始める。
 涙の零れる胸に、水仙のマシンを携えて。


【G-5とH-5の境 墓地/夕方】


【黒騎れい@ビビッドレッド・オペレーション】
状態:軽度の出血(止血済)、制服がかなり破れている、首輪に銀紙を巻いている
装備:光の矢(5/8)、カラス@ビビッドレッド・オペレーション
道具:基本支給品、ワイヤーアンカー@ビビッドレッド・オペレーション、『家の鍵』 、HIGUMA特異的吸収性麻酔針×1本、リボルバー拳銃(4/6)@スーパーダンガンロンパ2 さよなら絶望学園
[思考・状況]
基本思考:ゲームを成立させて元の世界を取り戻す……?
0:杏子、カズマ、劉さん、白井さん、どうか、無事で――。
1:私を助けたくらいで、お願いだから『幸運』だなんて言わないで、狛枝……!!
2:四宮ひまわりは……、私が探しに行かなきゃ……!
3:私一人の望みのために、これ以上他の人を犠牲にしたり、できない……!
4:どんな卑怯な手を使ってでも、自分と他の人を、救う……!
[備考]
※アローンを強化する光の矢をヒグマに当てると野生化させたり魔改造したり出来るようです
※ジョーカーですが、有富が死んだことをようやく知りました。


【カラス@ビビッドレッド・オペレーション】
状態:背中の羽毛がハゲている、ヒグマの力を吸収
装備:なし
道具:なし
基本思考:示現エンジンを破壊する
0:……れいの反抗が、目に余るようになってきましたね。
1:あのままれいを飲み込んでいても良かったかもしれませんね?
2:示現エンジンは破壊されたのか!? 確かめなくては!!
3:れいにヒグマをサポートさせ、人間と示現エンジンを破壊させる。
[備考]
※黒騎れいの所有物です。
※ヒグマールの力を吸収しました


    ###θ=7/β=3


 全ては、想像を絶する低い確率で起こり得る複数の出来事が、正確な順番で成就した結果だった。

 おい、まだ死ぬな。もう少しだ。


(平沢進「Phantom Notes『ナーシサス次元から来た人』」より)


    ###θ=7/β=3


『前に話したね、杏子。
 よい行いをしていれば神様が見ていてくれる。だから、どんな時も「希望」を失っちゃ駄目だ。と』


 あたしを抱いていたヒグマが、立ち去った。
 あたしはかろうじて、それだけはわかった。
 だけど、そんなあたしの耳に、なぜか聞こえるはずのない、父さんの声が聞こえた。

 あたしを罵る声じゃない。
 温かく力強い、優しい声だった。

 霞んでゆく視界に、次第に光が差してくる。
 柔らかなピンク色の光だ。
 どこかで見たような、懐かしさを覚える光。

 ああ――、これが、神様なのかな?


『よく頑張ったね、杏子ちゃん。もう、苦しまなくていいよ。
 さ、私の手を取って。一緒に行こう――?』


 神様は、あたしとそう年恰好の変わらない、女の子の姿をしていた。
 マミさんから聞いたことがある。
 『円環の理』だ。
 疲れ果てた魔法少女の元に、古の掟を遂げに来る女神。
 さやかを連れて行った神様の微笑みが、そこにあった。

『ごめんね杏子ちゃん。この島、世界の線がめちゃくちゃになってて、来るのが遅くなっちゃった。
 もう少し早く来れてたら、杏子ちゃんにこんな辛いこと、させないで済んだのに……』

 女神さまは、まるであたしが古くからの友達であるかのように、そうおっしゃる。
 確かに不思議と、あたしはこの子を、ずっと前に知っていたような気がする。
 だけどね、やっぱりおかしいよ。
 神様と人間が知り合いだなんて、もうずっとずっと昔の、創世記のころにしか有り得なかったんだから。

『そんなことないよ! ほら、早く来て? もう大丈夫だから――』

 女神さまは、本当に朗らかな、『希望』の塊のような笑顔で微笑んでいらっしゃった。
 桃色の髪と、純白のドレスが、後光の中で宙に踊っていた。
 あたしは、女神さまの差し出す、手を取った。

 身を起こすと、本当に体が、宙に浮きあがっていくようだった。

『あれ――』

 だがその瞬間、浮かび上がっていこうとした女神さまの手が、下に落ちていた。
 見ると、あたしの右手から、血が溢れている。
 掌に空いた穴から、真っ赤な血液がしたたり、女神さまの純白の袖を汚しながら大地に落ちてゆく。


『きょ、杏子ちゃん、一体何をしたの!? 杏子ちゃんの血の声が、土の中から私に叫んでる――。
 ……なんて重み!? 杏子ちゃんは、自分自身で、この血に呪いをかけてる――!!』


 手から眼を上げると、そこにはあたし自身の顔があった。
 鏡のようなビルの壁に、ひびの入ったあたしの顔が、映っている。
 そのあたしは、あたしに向かって言っていた。


『死ねぇえぇぇぇぇぇぇ――!!』


 怒りと復讐に満ちたその槍で、あたしは、あたし自身の心臓を貫いた。
 それは神様でも、決して解くことのできない、復讐の呪い。
 決して救われることを許さぬ、楽園を追放させる呪いだ。
 ああ――、『創世記第4章』、そのままだ。

 ……なぁ、女神さま。
 やっぱりあたしは、あんたと一緒に、行くことはできないよ。

『どうして――!? 何をしたの、杏子ちゃん!?』

 救うなら、あたし以外のヤツのところに行ってくれ。
 あたし以上に頑張っていて、腕だけになっても諦めなかったヤツが、この島には居る。
 あいつにできて、あたしにできない訳がないんだ。
 あともう少しだけ、諦める方向に進まないことは。

 あたし自身以外にも、もっともっと、沢山の血が、この土地には染み込んでいる。
 あたしには聞こえる。
 あたしに報復を求める声が。
 何人もの友達の血の声が、土の中からあたしに叫んでいる。
 この土地が口を開けて、あたしの手から、みんなの血を受けたからだ。

『い、一体杏子ちゃんは、何をするつもり――』

 あたしは、汚してしまった神様の袖を引き千切った。
 そうして女神さまの手からあたしの血を拭い去ると、女神さまは重石を取られた風船のように、天空へふわふわと飛んで行ってしまう。

『きょ、杏子ちゃぁぁ――ん!!』

 女神さまは見えなくなるまで、あたしに向けて手を差し伸べようとしていた。
 本当に、『優しい』神様だ。
 でもあたしはもう、そんな優しさに救われなくて、いい。

 血まみれになった女神さまの袖を、あたしは胸にぽっかりと空いた心臓の穴に、詰めた。
 あたしは地面を這いずった。

 魂(ソウルジェム)が、流れ落ちていくのがわかる。
 もはや絶望の濁りなんていう生易しいものですらない。
 救われなかったあたしは、刻一刻と、その魂の存在すら、失ってゆく。

 でも死ぬ前に、あたしはしなければいけないことがあった。
 あと一歩だけ、前のめりに倒れること。

 ――そこがカズマの、血が流れた場所。

 カズマだった肉塊の上に、あたしは倒れ込んでいた。


「……なぁ、カズマ。あんたなら、こうするだろ……?
 こんなところで、甘えられるか……。意地があるんだ、女の子にはよ……」

 あたしは、最期の最後まで、決して諦めなかった、カズマの瞳を、思い出す。
 神様の救いを蹴ってでも、あたしはまだ、この穢土を離れられない。

『杏子!! 受け取――』

 そう言った彼の強い言葉を、思い出す。
 彼は最後に、あたしに何かを、渡そうとしていたのだ。
 それを受け取るまでは、死んでも、死にきれない。

「……ないなら、見つけてやる。なくても、見つけ出す……」

 血の滴る腕で、あたしはカズマの中に入ってゆく。
 死んでしまったカズマの血肉の中に、あたしは確かに、熱い脈動を感じていた。
 あたしの、溶け落ちてゆく魂にも呼応する、真っ赤な力。

 それがあたしの、手に触れた。

 カズマの右手。
 最後までシェルブリットの装甲で守っていたらしいその手の中に握られていたのは。

 ――まるであたしのソウルジェムのような、真紅に輝く宝石。

 深夜に、火山を爆発させた煌めきが、そこには宿っていた。
 狛枝の砲撃が引き裂いたデイパックから、吹き飛び再生したカズマの手の中に飛び込んだ、『赤石』。
 全ては、想像を絶する低い確率で起こり得る複数の出来事が、正確な順番で成就した結果だった。

 爆裂した劉さんと狛枝の姿。
 あたしに叫びかけたカズマの姿。
 宙に悶える、白井さんの姿。

 それらの全てが、ぴったりとあたしの脳裏に嵌った。
 あたしを生かし、殺すのは、あたし自身の心――。


『さあ、行こーぜえっ!? 杏子ぉお!!』

 カズマの、声が聞こえた。

「う、おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ――!!」

 そこにあたしの、声が重なった。
 あたしの右手の傷から溢れる血が、赤石に滴る。
 その瞬間に、凄まじい輝きが、爆発のようにあたりへ溢れた。


「あんたはあたしの敵の前で、あたしの前に宴を設け、あたしのこうべに油をそそいでくれる。
 あたしの杯はあふれるんだ――!!」

 総身をカズマの血と脂肪に濡らしながら、あたしは中空に叫んだ。
 カズマの血肉が、辺りに散らばる友の血肉が、虹色の粒子になって風に舞った。

「あんたがあたしと共にいてくれる。
 あんたの鞭、あんたの杖、それがあたしを力づける――!!」

 あたし自身の体が、崩れかけていた魂(ソウルジェム)が、虹色に包まれて砕けてゆく。
 あたしの魔力を増幅していた赤い石までもが、虹色の中に溶け込む。
 血に濡れた女神さまの袖が、宙に広がって虹色の嵐を巻き込んだ。

「たとい『死の陰の谷』を歩むとも、あたしは災いを、恐れない――!!」

 嵐に紛れてゆくあたしは、最後に残った口で、そう叫んだ。


「……そう思うだろ? あんたも」


 『旧約聖書』詩篇23篇。
 それが、あたしの誓い。
 呪いと罪を受けながら、決して恐れず、諦めぬ歩み。


『「希望」を失わなければ、どんなに辛い状況の中でも、「死の陰の谷」を行く時でも、正しい道を進むことができる。
 その手段こそ、「進化」だ。
 今日、杏子が学んだ新しい知識だって、杏子が「希望」さえ持っていれば、杏子の新しい力を「進化」させてくれ、より杏子を神様に近づけてくれたはずだ――』


 夕日の輝きに、父さんの笑顔が見えた。 


    ###θ=7/β=3


 虹色の嵐が収まったその場所に、真紅の衣装を纏った少女が忽然と現れていた。
 突風に乗ってたった今やって来たような。
 それともずっと昔からこの土地にいたような。
 どちらともつかぬ佇まいで、少女はそこに膝をついていた。

 手を組んで瞑目する彼女は、炎のような髪をしていた。
 ポニーテールに結った真っ赤な髪が、実際に途中から炎に変わって宙に燃えている。
 その真紅の衣は、丈の長い修道服だ。
 彼女の右手には、大きな傷があった。
 十字に生々しい傷跡を残して癒着したその貫通創は、聖痕のようにも、墨刑のようにも見えた。
 祈る彼女のその手から、血が一滴、その地に注がれた。


「カズマ、白井さん、劉さん、狛枝、れい……。あたしにあんたたちの『名前を、守らせて』くれ……」


 その少女――、佐倉杏子は、そう呟いて立ち上がる。
 その動作だけで、一帯の空気がゆらめく。
 彼女から溢れ出す魔力が、蜃気楼のように視界を歪めているのだ。
 見る者が見ればそれは、彼女の全身から、真っ赤に燃える炎の水が溢れているように見えただろう。


「神様、お許しください。あたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません……。
 あたしは友の傷のために、敵を殺し、友の打ち傷のために、あたしは仇を殺します……」


 神を愛するがゆえに、呪われた彼女は、その救いを拒絶した。
 彼女はただ創世記の言葉を、自らの怒りで赫く染めるのみ。
 神の救いを捨てて佐倉杏子は、この死の陰の谷で、復讐という古の掟を遂げるためだけに、進化した。

 彼女を呼ぶ友の血の声のために。
 自分自身を殺した、殺意の報いのために。
 そして彼らを殺滅させた、あの黒きヒグマへ復讐するために。

 もう、優しさは要らない。
 彼女はその手に真っ赤な槍を取り出し、『円環の袖』で作ったその五体に気焔を巻き上げ、宣言する。


「『カインのための復讐が七倍ならば、我が友のための復讐は、七十七倍』――!!」


 突風のワゴン車で、今この世に着いた。
 あの復讐の。
 あの復讐の、ああ――。

 ――女神を見たか?


【狛枝凪斗@スーパーダンガンロンパ2 さよなら絶望学園 死亡】
【カズマ@スクライド 死亡】
【劉鳳@スクライド 死亡】
【白井黒子@とある科学の超電磁砲 消滅】


【F-5 市街地/夕方】


【佐倉杏子@魔法少女まどか☆マギカ】
状態:石と意思の共鳴による究極のアルター結晶化魔法少女(『円環の袖』)
装備:ソウルジェム化エイジャの赤石(濁り:必要なし)
道具:必要なし
基本思考:元の場所へ帰る――主催者(のヒグマ?)をボコってから。
0:カズマ、白井さん、劉さん、狛枝、れい……。あんたたちの血に、あたしは必ずや報いる。
1:神様、自分を殺してしまったあたしは、その殺戮の罪に、身を染めます。
2:たとい『死の陰の谷』を歩むとも、あたしは『災い』を恐れない。
3:あたしの友を殺した報いを、必ず受け差してやる……。
4:これがあたしの進化の形だよ。父さん、カズマ……。
5:ほむら……、あんたに、神のご加護が、あらんことを。
6:マミがこの島にいるのか? いるなら騙されてるのか? 今どうしてる?
[備考]
※参戦時期は本編世界改変後以降。もしかしたら叛逆の可能性も……?
※幻惑魔法の使用を解禁しました。
※自らの魂とエイジャの赤石をアルター化して再々構成し、新たなソウルジェムとしました。
※自身とカズマと劉鳳と狛枝凪斗の肉体と『円環の袖』をアルター化して再々構成し、新たな肉体としました。
※骨格:一度アルター粒子まで分解した後、魔法少女衣装や武器を含む全身を再々構成可能。
※魔力:測定不能
※知能:年齢相応
※幻覚:あらゆる感覚器官への妨害を半減できる実力になった。
※筋肉:どんな傷も短時間で再々構成できる。つまり、短時間で魔法少女に変身可能。
※好物:甘いもの。(飲まず食わずでも1年は活動可能だが、切ない)
※睡眠:必要ないが、寂しい。
※SEX:必要なし。復讐に子孫や仲間は巻き込めない。罪業を背負うのはひとりで十分。
※アルター能力:後続の方にお任せします。


    ###θ=7/β=3


イルカイ ネ コロ、アンモンテク カ タ、(しばらくして、腕の上には、)
カムイ イペタム チラナランケ。(神の名刀が降りてきました。)

アンテクサイェカラ、アンクッポケチウレ。(私はそれをさっと掴み取り、帯にさしました。)

アンテクポ コンナ、ウ チャラコサヌ、(そして刀の柄に手をかけて、さっと刀を抜き放つと、)


アノタク シウニン イメル、(刃の片側には青い雷光が、)
アノタク フレ イメル、(刃の片側には赤い雷光が、)
ウ マクナタラ。(煌々と輝いていました。)


(砂澤クラ『ポイヤウンペとルロアイカムイの戦い』より抜粋。拙訳)

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最終更新:2015年11月01日 21:46