その時、D-6エリアにほど近いD-5エリアの端の地下には、16頭のヒグマがいた。
 雄性生殖能力を身につけていた浅倉威の強襲を、多大なる犠牲と引き替えに辛うじて退けたばかりの穴持たずたちは、満身創痍のまましばらく呆然としていた。
 一瞬にして約140頭もの同胞を失った彼らの喪失感は、容易に拭い去れるものではなかった。

「クイーンさん……、これから、うーちゃんたちはどうすればいいぴょん……?」

 第四かんこ連隊長の卯月提督が、力なくそう呟く。
 涙を拭い、自分たちを奮い立たせねばならないのはわかっている。
 それでもそのきっかけが、艦これ勢の皆にはもう、作れない。

 呼びかけられたクイーンヒグマが、その漆黒の長毛に覆われた体を物憂げに振り向かせていた。


「……キングだったら、どうするんだろうねぇ、こんな時は……。
 チェスじゃあ、いくら女王が残ってても、王が居なかったらどうしようもないんだけどね……」


 クイーンヒグマは、自嘲的に笑って口を閉ざす。
 窒素の化合を操作する彼女の力は強大だ。
 敵を退けるだけならば、あるいは豊かな作物を育てるだけならば、そんな両極端な仕事でも彼女はこなせるだろう。
 だが彼女は強大すぎて、その両立をすることはできなかった。
 敵の排除は、そのまま味方の排除と環境の破壊につながり、自身の育てた作物たちすら汚穢に沈める行為に他ならなかった。

 シロクマならば、シーナーならば、シバならば、ツルシインならば、キングならば、そんな冷酷にも思える決断を下すこともできただろう。
 だが、クイーンヒグマは、指導者ではない。
 彼女はいくら強大でも、キングヒグマとヒグマ帝国とを守るピース・ガーディアンの一駒に過ぎないのだ。
 彼女にはもうこれ以上、愛する帝国を自分で破壊するような行為を決断する気力は、なかった。

 薄ぼんやりとした光を放つ苔の地面を叩いても、その苔の光はもう、クイーンヒグマの思いを伝えることはなかった。
 それは既に、彼女たちの盤上からキングが失われたことを示している。
 いくら兵が残っていても、それはもはや、チェックメイトに等しかった。


「た、助けてくれ、みんな……!」


 そんな時、暗がりから、痛みに呻くような声が彼女たちのもとに届く。
 額の傷を押さえ、壁づたいにふらつく足取りでやってきたのは、見覚えのあるヒグマだった。
 その姿に、にわかに艦これ勢の面々は色めき立つ。


「チ、チリヌルヲ――!? 一体、今度は何だぴょんッ!?」
「やられた……、第三かんこ連隊は、僕以外全滅した……」


 そのヒグマは、彼女たちのもとにこの惨事の元凶たる人間をおびき寄せてきた張本人、第三かんこ連隊長・チリヌルヲ提督に他ならなかった。
 近づいてくる彼を睨みつけるまなざしには、不安や緊張、憤懣といった様々な感情がない交ぜになる。

「お前……! あの人間の対処法しってたんだろ!? どうしてそんなザマに!?」

 第六かんこ連隊長・赤城提督が噛みつくように詰問をぶつける。
 しかしチリヌルヲ提督が苦しげに絞り出した言葉は、彼女たちの緊迫感をさらに張りつめさせるものだった。


「彼とは別件だ……! あんな食って増えるだけのデカブツとは比べ物にならない!
 人間の少女の姿をしていたが、見た目からは信じられない戦闘力を持っていた……!」

 彼の灰色がかった体は血塗れになっている。
 額に当てていた肉球を外せば、空母ヲ級のような帽子の下には引き裂かれた傷が真一文字に走っている。
 もう少し深ければ脳まで達していたのではないかと思える深さだった。

 彼の負傷や、そのただ事ならぬ口振りに、その場の一同は、次なる新たな敵が迫っていることをはっきりと再認識させられる。


「まさか、チリヌルヲたちほどの鍛錬を積んだ連隊が……!?
 敵勢の主力が出てくるのなら……、流石に、慎重に攻めたいところです……」
「……ヘイ、ブラザーズ、シスターズ子日。まだイリエーなサウンドで応戦はできるか?
 ブラザーチリヌルヲの言っていることは、マジだ。あいつのハートビートは嘘をついてねぇぜ……!」
「あいやヴァルテン。急ぎ戦闘体勢を立て直すにしても情報が要る。
 教えろチリヌルヲ。どうやって逃げてきた」

 加賀提督や金剛提督、マックス提督といった、各連隊の副長相当の面々が、いち早く気持ちを切り替えた。


「せや! まずもってどこの所属や、その敵の娘っちゅうんは!
 そないに地上の参加者どもはバケモン揃いになっとんのか!?」
「こんな『底辺で』敵が迫ってくるなんて……、『てぇへんでぇ』!!」
「まったくや! 面白さのカケラもあれへんでホンマに!」

 龍驤提督と伊勢提督が詰め寄ると、チリヌルヲは苦しげに言葉を絞り出す。


「僕にそれがわかれば、こんなザマになってないって……。
 ただ、機械か……、生身ではない部分があっただろうことは確かだ」
「それは……、地上の参加者では、なかったってことかい?」
「ああ……、艦娘のような外装の機械でもなかったしね……」

 正体不明の襲撃者の実体を掴むべく、彼の言葉にクイーンヒグマが推測を重ねた。

「つまり何のヒかというと……」
「非人道的改造手術の非、かなぁ……?」

 チリヌルヲ提督の情報を受けて、子日提督姉妹が首をひねる。
 思考を進めれば自然と、何者かが人間の少女に改造手術を施して、尖兵に仕立て上げたのではないかという可能性が濃厚になってくる。
 それでは一体、誰がこの島でそんな非人道的改造手術を少女に施してヒグマを襲わせているのか――。
 推論がそこまで達する前に、事態は動いていた。


    ππππππππππ


「とにかく落ち着きましょう! 残りの食糧を支給するから、敵が来るなら、とにかく補給してキラ付けを……!」
「せやせや! その間に、はよ対処法教えぇやチリヌルヲ!!」
「いや……、時間がなさそうだ……。耳を澄ませて!」

 第四かんこ連隊の間宮提督たちが、持ち出していた野菜を配り始めていた。
 だがその動きは、途中で愛宕提督の声に差し止められる。
 チリヌルヲ提督がやってきた暗がりの方からは、カッカッカッ、と、素早い足音が急速に近づいてくるようだった。
 その物音に怖気づいたかのように、チリヌルヲ提督は怯えた表情で他のヒグマたちの後ろに身を隠す。


「やつは速い……。恐ろしく速いんだ……!
 だが目か耳だ……! 目か耳をやれ! 僕もそれで逃げ切れた!」
「大丈夫ですチリヌルヲ……! 万全の補給と訓練があれば、七面鳥などとは言わせない!」


 大鳳提督が野菜を頬張りつつ、丸太を抱えて言った。
 赤城提督、加賀提督、大鳳提督といった第六かんこ連隊の残党が、めいめい前脚に丸太を掴んで先頭に立つ。

 その直後、身構えていた提督たちの視界に一筋、濃い桃色の髪が靡いた。


「鎧袖一触よ――」
「耳もらったァ――!!」


 全身を黒いボディースーツに包んだ少女。
 暗がりの通路から飛び出してきたその姿を確認するや否や、左右から同時に、赤城提督と加賀提督の丸太が彼女の頭部を挟み叩いていた。

 だが、丸太の挟み討ちを側頭部に食らっても、彼女の動きは止まらなかった。
 彼女の体はそのまま、両側から叩かれた勢いのままに半回転する。
 下からしなやかに旋回し振り上がってきた鋭い開脚足刀が、瞬時に赤城提督と加賀提督の首を切り裂いてしまっていた。


「なっ――!?」


 側頭部を叩き砕かれた衝撃などなかったかのように、そうして襲撃者の少女は、続く大鳳提督のもとに飛び掛かっていた。
 大鳳提督は咄嗟に、装甲のように目の前に丸太を翳してその一撃を防ごうとする。
 だが少女の爪は、その自慢の丸太ごと大鳳提督の身を真っ二つに引き裂いていた。


「ひえぇぇ――!? 丸太が割れ――!?」
「ブラザーッ!!」
「金剛お兄様、ダメです――」


 一帯は一瞬にして恐慌に陥った。
 苔の僅かな光では追いきれない俊敏な動きで、暗がりに濃い桃色と血臭が閃く。
 比叡提督の断末魔が聞こえ、そこに慌てて金剛提督が駆け寄ろうとする。
 そうして榛名提督の声が中途半端に途切れた直後、辺りには噴水のような大量の水音と鉄の臭いが振り撒かれ、闇には暗い桃色の彩りが一面に広がった。


「い、今のは何のヒ――!?」
「悲鳴のヒィィィイィイィィ――!?」

 子日提督姉妹が恐怖に叫ぶ。
 直後に風切り音が聞こえ、ふたつの重い球体が地面に転げ落ちる音がした。

 姉妹の生首が断ち落された音だと霧島提督が気付くのには、わずかに1秒もかからなかった。


「あああ――、お姉様方の仇ィッ――!!」


 霧島提督が振り向きざまに拳を揮う。
 隣で立っていた子日提督らの立ち位置、そして音の発生位置から、霧島提督は襲撃者が飛び掛かってくる軌道を完全に予測していた。

 少女の爪に、カウンターでヒグマの爪がぶつかる。
 だがその少女の手刀は、霧島提督の前脚を、バターのように切り裂いていた。
 カウンターの勢いで、霧島提督はそのまま自分の心臓まで深々と手刀を斬り込まれていた。


    ππππππππππ


 その間、クイーンヒグマたちはバタバタと襲撃地点から撤退を始めていた。
 既に9頭のヒグマを殺されてなお、襲撃者からは十分な距離を離せていない。
 余りにも攻撃の手が早すぎるのだ。
 クイーンヒグマが牙を噛んで、その黒い長毛を振り立たせた。


「私が、食い止める……!」
「アカンでクイーンさん! クイーンさんには生き残ってもらわなアカン!! さがっとき!」
「右舷砲戦、行くぜ!」
「目……、顔面ッ……!! ぱんぱかぱぁぁぁぁぁぁんッッ!!」


 振り返り身構えたクイーンヒグマを差し止め、走り来る襲撃者の前に龍驤提督・伊勢提督・愛宕提督が身を乗り出していた。
 そして彼らはありったけの装備を抱えて、その砲塔と銃口から一斉に弾丸を放っていた。

 めくらめっぽうに火薬の音が爆ぜる。
 彼ら3頭の弾幕は、確かにその襲撃者の顔面にいくつも命中し、その体を後ろにのけぞらせた。
 確かに彼らは、ピンク色の髪が暗がりの奥へ吹き飛ばされていく様を見ていた。


「やった――!」

 彼らが快哉を上げた時、ふと彼らの方に宙を飛んでくる小さな物体があった。
 ピンク色の可愛らしいその物体は、吹き飛んだ少女の足先から飛んできたもののように見えた。


「ハート……?」


 それは掌大ほどのピンク色のハートだった。
 3頭が呆然と見上げていたその瞬間、ハートは巨大な投網のように、突然空中で広がり彼らを包み込む。
 直後、ハート型だった物体は3頭のヒグマごと一帯に爆発を起こしていた。


「なぁ……!? なぁッ――!! い、一体、何が――」


 クイーンヒグマ含む残り4頭は、その爆風で吹き飛ばされる。
 めらめらと燃え盛る龍驤提督たちの焼死体に、クイーンヒグマは咽喉を引き攣らせた。

 慌てて立ち上がった彼女の周りの空気が、濁った赤に変色してゆく。
 もはや能力を出し惜しみしている場合ではなかった。
 何としてでもこの襲撃を退けねば、何もかもが絶望に墜ちる――。
 そんな事実を、クイーンヒグマがはっきりと理解した、その瞬間だった。

 3頭の死骸に燃える炎の奥で一瞬、桃色の光が輝いたように見えた。


「避けろ、卯月提督ッ!!」
「ぴょ――!?」


 その瞬間、動けたのはチリヌルヲ提督だけだった。
 彼はそばにいた卯月提督へ体当たりするようにして、横に跳ねた。
 直後、彼らのいた場所を、巨大なピンク色の光線が轟音を立てて舐めた。

 真正面からその光線を受けて飲み込まれたクイーンヒグマは、何が起きたかを理解することもなく塵と化した。
 仰向けに倒れた顔面に吹きかかる血飛沫に、卯月提督が悲鳴をあげる。


「……ひ、ひ、ひやぁぁぁぁ――!?」
「何か撃ってくるんだよねぇ……、あの子。ナガラビームみたいなのをさ……!
 こりゃまだ向かってくるなぁ……」


 彼女の体を押し倒したような恰好のまま、チリヌルヲ提督は口の端を吊り上げて苦笑する。
 先の襲撃の際に一度この光線を目撃していたチリヌルヲ提督だけが、この一連の事態を理解できた。
 襲撃者の少女は、銃弾を喰らって吹き飛ばされながら火薬の網を蹴り飛ばし、そうして、倒れた場所から首だけ起こして、巨大光線を吐いていたのだ。
 彼女が体勢を立て直して追ってくるのは、すぐだ。

 身を起こすチリヌルヲ提督たちの前に、もう一頭のヒグマがふらつきながら近寄る。

「……負傷ないか、卯月提督」
「マ、マ、マックス提督……」

 卯月提督を助け起こしたのは、同じ第四かんこ連隊のマックス提督であった。
 しかしその姿を見て、卯月提督は息を呑む。


「腕が……! 腕が、なくなってるぴょん……!!」
「……心配無用だ。我が身は既にアイゼン! ……卯月提督のことは任せた、チリヌルヲ」


 マックス提督には、左前脚が無かった。
 先程の襲撃者が放った光線を躱し切れず、彼は吹き飛ばされたのだ。
 卯月提督たちに降りかかった血飛沫は彼のものだった。

 しかし彼は、自分の筋肉に力を込めて噴き出す血を止め、その場に眼を光らせたまま立っている。
 チリヌルヲ提督と視線を見交わし、そして両者は、強く頷きあった。


「……わかったよマックス提督。第三かんこ連隊で鍛えた技術にかけて、生き残って見せるとも」
「かたじけない、チリヌルヲ。俺が時間を稼いでる間に、早く行け」


 そんな短い会話だけを交わして、マックス提督はチリヌルヲ提督の脇を通り過ぎていった。
 チリヌルヲ提督は、卯月提督の前脚を引いて駆け出す。
 それに抵抗するように、卯月提督は叫んでいた。


「マックス提督! 行かないでぴょん!! マックス提督――ッ!!」
「……こっちだ、小娘。寄らば、シュナイデン――!」


 必死に手を伸ばしても、引き摺られていくような格好の彼女の手は、決してマックス提督に届くことはなかった。
 それっきり、マックス提督の声は、聞こえなくなった。


    ππππππππππ


「ううう……、うああ……。みんな……、みんな、死んだ……。
 死んじゃったんだぴょん……、龍驤提督も、比叡提督も、みんなぁぁ……」

 暫くの間抵抗していた卯月提督は、もうチリヌルヲ提督に引かれるがままになっていた。
 血まみれの全身が、気持ち悪い。
 倒れた時に捻ってしまった後ろ足が、痛む。
 それにも増して、背中から追ってくる悲しみが、次から次へと彼女を苛んで止まない。

「うう、ううう……」

 そんな時、彼女はチリヌルヲ提督の手もまた、細かく震えていることに気がついた。
 必死に何かを堪えているような声。
 引き結ばれた口元。
 それはまるで、彼もまた、卯月提督と同じく同胞を失った悲しみに暮れているかのような姿だった。


「チリヌルヲ――」
「……うふふははは!! いいよね! いいよねこの血の色、はははははッ!!
 見た目にとっても美しいから、お嬢さんでも振り向くぜ!!」


 だが、彼に卯月提督が声を掛けようとした瞬間、チリヌルヲ提督は爆発するかのように笑いを吹き出していた。
 吹きかかったマックス提督の血液を舐め、彼はあまりに朗らかで残忍な笑みを浮かべている。

「ひぃ――」

 親愛の情を覚えかけていた卯月提督の感情は、一瞬にして恐怖に変わった。
 繋いでいた手を振りほどき、怖気づいた表情で彼女はチリヌルヲ提督から身を退く。


「な、なんで……! なんで平気でそんなこと言うぴょん!? 元はと言えば全部チリヌルヲのせいぴょん!!
 みんな、チリヌルヲの言う通り狙ったのに……! なんでぴょん!! なんでこんなことになったぴょん!!」
「……ん? 俺はやつの目と耳が弱点だとは一言も言ってないよ?
 目と耳を潰して、さらにそれ以上に何重にも策を弄さなきゃ、僕だって逃げきれなかったからね」

 溢れ出る激情を言葉に乗せて、卯月提督は全力でそれをチリヌルヲ提督にぶつけた。
 だが当の彼は、そんな激しい語気をあっさりと流して、いけしゃあしゃあとそんな申し開きを述べるのみだ。
 信じがたいチリヌルヲ提督の反応に、卯月提督は全身を震わせた。


「お前は……、お前には、仲間を思う心はないのかぴょん!?」


 怒り狂って、激怒にふるえて、目が血走っている。
 チリヌルヲ提督は、彼女のそんな姿を見つめたまま微笑んでいるのみだ。
 しびれを切らして、卯月提督は彼に背中を向けた。


「もう……、もういいぴょん!! 一瞬でもチリヌルヲを信じたうーちゃんがアホだったぴょん!
 うーちゃん独りで……、独りで、やってやるぴょん……!!」


 そうして駆け出そうとした瞬間、卯月提督は脚に痛みを感じてへたり込む。
 捻った後ろ足が、どんどん腫れてきているのだ。

「いツッ……」
「卯月提督、そんな強がり言って……、犬死する気かい? そんなの、させないよ……」


 そんな彼女に、チリヌルヲ提督が手を差し伸べていた。
 引き起こされた卯月提督の前脚に、照明弾の発射筒が手渡される。


「僕の最高火力の照明弾だ。ここを押して撃てばその炎でヒグマの2、3匹くらい軽く焼却できる。よく狙えよ……!」
「チリヌルヲ……!?」

 そうして向かい合った彼女の前にあったのは、チリヌルヲ提督の、今までにないほど真剣な眼差しだった。


「小生だって、こんなところで卯月提督に死んでほしくない……!
 そんなことになったら、オレは悲しくてやりきれないんだよ……!」
「何言ってるぴょん……! どうせまた心にもないこと言ってるに決まってるぴょん!」


 卯月提督がもがこうとしても、チリヌルヲ提督は強く彼女を抱き寄せて、離さなかった。
 それでも彼の手を振り払おうとする卯月提督に、彼は堰を切ったように、言葉を溢れさせていた。


「俺は卯月提督に嘘はつかない! つけるもんか!!
 この空母ヲ級ちゃんの被り物に誓って、私は真実しか話さない!!」


 吐き捨てるように紡がれたその声は、泣きそうな震えを帯びていた。
 卯月提督の抵抗が、止まった。

「チリヌルヲ……?」
「生まれてから僕は、卯月提督のことをずっと見てたんだ……」

 そして彼は静かに、彼女への想いを訥々と吐露していく。


「言いたいことも沢山あった……。でも、体面とか、外聞とか……。
 そんなことが気になって、ずっと躊躇ってた……」
「チリヌルヲ、それって……!」


 チリヌルヲ提督の声は切なく、そして苦悩に溢れていた。
 真剣な彼の表情に、卯月提督の胸は、いつの間にか高鳴り始めていた。
 息を呑んだ彼女の口元に爪を当てて、チリヌルヲ提督は決意を言葉に込める。


「でも、今はそれどころじゃない。ここを切り抜けよう。切り抜けたら、絶対に言うから……!」
「……わかったぴょん」


 今まで胡散臭かった彼と、初めて心が通ったように感じて、卯月提督はいつの間にか頷いていた。

 ――そうだ。チリヌルヲだって、うーちゃんたちと同じコスプレ勢だぴょん。
 コスプレが好きなやつに、悪いやつはいないはずだぴょん。
 なんでもっと早く、そのことに気づけなかったんだぴょん――。

 卯月提督は、ふわふわとした脳裏でそんなことを考える。
 繋ぎ直した手が、とても暖かく感じた。

 再び遠くから聞こえてきた軽快な足音に、チリヌルヲ提督は卯月提督の手を引いて駆け出した。


「走るんだ!!」
「うん――!」
「降れ、疑団の牡牛――!!」


 卯月提督を引っ張りながら、チリヌルヲ提督は背後に向けていくつも、落下傘付きの照明弾の幕を展開していた。
 電波や熱や光による探知を妨害する、フレア・チャフの機雷。
 先の戦闘では、チリヌルヲ提督はこれで襲撃者の追撃を振り切っていた。
 しかし今回は、逃げる彼らに向けて、足音がぴったりと迫り続けている。
 浮遊する照明弾の間を、ステップを踏んで抜けてきているのだ。


「……チッ、一回全身の皮膚を焼いてやらなきゃ感覚を妨害しきれないか……。
 後一歩なのにね……ッ!!」
「あうっ」

 迫り寄る足音に、チリヌルヲ提督は逃げ足を早めようとした。
 だがその瞬間、引っ張られてバランスを崩した卯月提督が地面に倒れてしまう。


「卯月提督――!?」
「大丈夫だぴょん……ッ! チリヌルヲのくれた、照明弾があるぴょん……ッ!!」


 焦って振り向いたチリヌルヲ提督の声に強く応え、卯月提督は上半身を起こす。
 痛めた脚では、逃げ続けるのにも限界がある。
 それならばこの場で、相手が弱っているうちに仕留める――。
 そう彼女は考えていた。

 地面から身を起こし、背後の闇へと発射筒を向ける。
 そして卯月提督は狙いを澄ませた。
 闇にピンク色の髪が閃いた瞬間、彼女はその少女が襲い掛かってくるよりも遥かに早く、その引き金を引いていた。

 卯月提督の目の前は、真っ白になった。


    ππππππππππ


 チリヌルヲ提督の最大火力の照明弾は、過たずその威力を発揮した。
 それは卯月提督の手元で、発射筒ごと大爆発を起こし、爆風で襲撃者もろとも地下の通路や壁を破壊し、真っ白な劫火に包み込む。
 その光景は、遠目には猛獣か巨鳥が大口を開けて一帯を飲み込んだかのようにも見えていた。


「そう――、これこそ僕の最大火力! 巨嘴鳥の星弾――!!」


 チリヌルヲ提督は、かなり離れた位置の天井に逃げて爪で捕まったまま、その白い爆発の様子を朗らかな笑顔で見守っていた。
 卯月提督と襲撃者を飲み込んだその炎は地下の天井を崩して落盤を起こす。
 そして更にそこから温泉の水が、滝のように落盤の上へと降り注いだ。


「よくやった卯月提督ちゃん……! 『ヒグマの2、3匹くらい軽く焼却できる』。言ったとおりだったろう?
 貴様には何も嘘はつかなかった……。私って本当に仲間思いだよね!」


 D-5エリアの地上は、温泉になっている。
 地盤の薄そうなところまで卯月提督を引き回し、そこで襲撃者ごと自爆してもらうことで、火葬・土葬・水葬の三重葬にて相手を葬り去ることが、チリヌルヲ提督が今回企てていた作戦だった。
 光線を回避した際にわざと卯月提督の脚を下敷きにして痛めさせたところからして、何もかもが彼の策のうちだった。
 彼はそのまま天井を四足歩行しつつ、会心の笑みを浮かべる。


「あそこで貴様に死なれたら、彼女から逃げきれる可能性がグンと低くなったからね……。
 貴様が生き残ってくれてて本当に嬉しかった……!! 心から感謝するよ……!」

 地上から降り注ぎ、温泉水は見る間に地下のD-5エリアを埋め尽くしていく。
 もはや襲撃者の姿も卯月提督の姿も、水と落盤の下に埋まってしまってわからない。
 しかし彼は、そんな光景に心を痛めることなく、むしろこの上ないほど上機嫌なだけだった。


「そういえば貴様には結局、言えずじまいだったね……」

 鎮火した爆発地点の近くまで天井を渡り、チリヌルヲ提督は水面下に呼びかけるようにして笑う。


「被り物っていうのは、自分が補食したり征服したりした相手の力を奪い、誇示するものだと思うんだよね……。そして時にはその外見を逆手に取ったりする一つの戦術なんだ。
 だから、ただキャラクターを猿真似して楽しむだけのコスプレなんて、間違ってると思うんだ、卯月提督。
 貴様は軽蔑するほどの甘ちゃんだ。俺とは、生まれた当初から相容れないと思ってた」


 殉死した卯月提督に彼が告白したのは、そんな常軌を逸した罵倒だった。

 駆逐艦卯月も、本来はぴょんぴょん言っているだけではなく、戦争において数多の血を流したものものしい存在だったはずだ。
 それを、見た目にとってもカワイらしいからといって、上辺だけを真似て粋がっているのはただのアホだろう。
 そんなことを思いながら、チリヌルヲ提督は笑うのだ。


「流石に彼女も死んだかな……。いや、死んでないだろうねぇ……?
 僕もムラクモ提督に倣って地上に出よう。夜戦になれば、地上でもオレの本領が発揮できるしね……。
 十分すぎるほどヒグマ帝国は叩いた。
 ……たぶんもうそろそろ、次の段階に向けて動かなきゃいけない頃だ」


 温泉水の流れが落ち着いた部分を見計らって、彼は崩落した天井の穴から地上へと這い上がっていく。
 ほとんど不死身に思えるほどの襲撃者の執拗な追撃を体験している彼は、ここまでしても安心することなどできなかった。
 さらなる予防線を張りながら、チリヌルヲ提督は思考を巡らす。


「非人道的改造手術を施された、機械の少女……。
 ゴーヤイムヤのセンスとも違うし……。ならば、彼女を作ったのは、誰だ……?」


 素体となった人間は、まだ年端もいかぬ10代の少女だろう。
 参加者だったのか、それともこの島の住人だったのか、それとも外部の者か、それはわからない。
 だが彼女は少なくともこの島で、明かな敵意を持った何者かに改造手術を施され、そして一切の感情も見えない強靭な殺人機械と化したのだ。
 それも、無意味かつ無秩序に、目に映る者全てを殺戮するかのような理不尽に過ぎる行動パターンで。

 チリヌルヲ提督がそこまで考えると、嫌疑の掛かってくる容疑者のイメージが、彼の思考の中で形を持ってくる。
 無意味かつ理不尽に、何のためらいもなくそんな残虐行為を行なえてしまうだろう、自分と似通った存在――。


「……ふむ。モノクマさん、かな?」


 今まで自分たち艦これ勢の支援者を装っていた、白と黒の両面を有したクマ。
 ニヤリとほくそ笑んだチリヌルヲ提督の記憶に浮かび上がってくる容疑者は、その機械のクマ、ただひとりだった。


【卯月提督@ヒグマ帝国 死亡】
【愛宕提督@ヒグマ帝国 死亡】
【マックス提督@ヒグマ帝国 死亡】
【比叡提督@ヒグマ帝国 死亡】
【龍驤提督@ヒグマ帝国 死亡】
【間宮提督@ヒグマ帝国 死亡】
【伊勢提督@ヒグマ帝国 死亡】
【子日提督姉@ヒグマ帝国 死亡】
【子日提督妹@ヒグマ帝国 死亡】
【金剛提督@ヒグマ帝国 死亡】
【霧島提督姉@ヒグマ帝国 死亡】
【榛名提督姉@ヒグマ帝国 死亡】
【赤城提督@ヒグマ帝国 死亡】
【加賀提督@ヒグマ帝国 死亡】
【大鳳提督@ヒグマ帝国 死亡】
【穴持たず205(クイーンヒグマ)ヒグマ帝国 死亡】


※第四・第五・第六かんこ連隊は全滅しました。


    ππππππππππ


 未だ滴り落ちてくる温泉水の下に、気泡が上がった。
 次の瞬間、沈んでいた岩塊が勢いよく水面上に吹き上がる。
 水を滴らせながら、濃いピンク色の髪の毛が落盤と温水の下から流麗に振り上がる。


「……にょむにょむ。……けぷ」


 肌に張り付く髪を掻き上げて、その少女は光の消えた眼で落盤の上を見上げる。
 隣で爆死していた卯月提督の肉体を喰らって損傷を復元させた彼女――『H』は、そうしてチリヌルヲ提督が逃走した天井の穴から、地上に跳び出そうとした。

 その瞬間、跳ね上がった彼女の体が、何か細い糸に引っかかる。
 ピンッ。
 と、天井の穴に張り渡されていた毛の先で、何かがその勢いで外れる音がした。


「……おっと」


 その時チリヌルヲ提督は、背後で響いた轟音に振り向いていた。
 見やれば、先程彼が出て来た温泉の底の大穴から、再び真っ白な爆炎が噴き出して空を焼いている。
 その炎は先程の爆発でかろうじて耐えていた周辺の地盤すら揺るがし、更なる落盤と温泉水を地下へと降り注がせていた。

 チリヌルヲ提督は立ち去る足を止めぬまま、その炎の先にいたのだろう少女に向けて微笑む。


「……流石に復活が早いね貴様。トラップにまた『巨嘴鳥』を仕掛けておいて良かった。
 ま、これでボクの追撃は諦めて欲しいな。美味しい相手なら他にもいるぜ? くはははは……」


 再び劫火と瓦礫と濁流に飲み込まれた『H』が、再び復帰するまでにはもうしばらくかかるだろう。
 チリヌルヲ提督はその間に悠々と、傾いた日差しの陰にその灰色の体を掻き消していた。


【D-5 湯の抜けた温泉 午後】


【チリヌルヲ提督@ヒグマ帝国】
状態:『第三かんこ連隊』連隊長(加虐勢)、額に切り傷、血塗れ
装備:空母ヲ級の帽子、探照灯、照明弾多数
道具:隠密技術、えげつなさ、心理的優位性の保持
[思考・状況]
基本思考:ヒグマ帝国を乗っ取る傍ら、密かに可愛い娘たちをいたぶる
0:そうかぁ……、モノクマさんかぁ……。貴様の『チリヌル』時の表情は、一体どんなだい……?
1:ロッチナの下で隠れて可愛い子を嬲り、表に出ても嬲る。
2:艦娘や深海棲艦をいたぶって楽しむことの素晴らしさを布教する。
3:邪魔なヒグマや人間も嬲り殺す。
4:シロクマさん、熊コスの子、ボディースーツの子、みんないたぶってあげるからねぇ~。
5:くくく、クイーンさんと卯月提督……、次はあなたたちに、加虐の礎になってもらおうか……?
※艦娘や深海棲艦を痛めつけて嬲り殺したいとしか思っていません。
※『第三かんこ連隊』の残り人員はチリヌルヲ提督のみです。


【D-5の地下 崩落して水没した瓦礫の下 午後】


【『H』(相田マナ)@ドキドキ!プリキュア、ヒグマ・ロワイアル
状態:半機械化、洗脳、生き埋め
装備:ボディースーツ、オートヒグマータの技術
道具:なし
[思考・状況]
基本行動方針:江ノ島盾子の命令に従う
0:江ノ島盾子受肉までの時間を稼ぐ。
1:弱っている者から優先的に殺害し、島中を攪乱する。
2:自分の身が危うくなる場合は直ちに逃走し、最大多数に最大損害を与える。
[備考]
※相田マナの死体が江ノ島盾子に蘇生・改造されてしまいました。
※恐らく、最低でも通常のプリキュア程度から、死亡寸前のヒグマ状態だったあの程度までの身体機能を有していると思われます。
※緩衝作用に優れた金属骨格を持っています。
※体内のHIGUMA細胞と、基幹となっている電子回路を同時に完全に破壊しない限り、相互に体内で損傷の修復が行なわれ続けます。
※マイスイートハートのようなビーム吐き、プリキュアハートシュートのような骨の矢、ハートダイナマイトのような爆発性の投網、といった武装を有しているようです。

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最終更新:2016年07月08日 12:04