GO AMIGO


 佐天涙子と天龍は走りながら、異様な雰囲気に息を詰めていた。
 隻眼を左右に振りやり見やる天龍のこめかみには、一筋の汗が垂れる。

「本当にこりゃ、一体なんなんだ……? 血潮にまみれて、枯れた……?
 塩害、ってわけでも無いだろうし、やっぱり、血としか……」

 二人が駆けてゆく森は、赤黒い錆びのようなものに染まり、一面生気を失って枯れかけていた。
 動物の気配も一切ない。
 そして辺りを埋めているのは濃厚な血臭だ。
 午前中の津波の影響かとも思えはしたが、それにしたって、この赤黒い大量の血の正体は全く掴めない。
 もし本当に生き物の血だとするなら、いったい何百の死体から流れたものなのかすら、わからなかった。
 瘴気と言っても良い不気味さと恐怖だけが、進むにつれてどんどんと濃くなってゆく。
 天龍は流石に、前を走る佐天涙子に声を掛けざるを得なかった。


「なぁおい涙子……! 本当にこんなところで飾利を連れ戻せるのか!?」
「……万全よ。初春を取り戻す準備は」


 その時佐天は、目の前に立ち枯れている木立を避けようともせず、そこに拳を叩き付けていた。
 瞬間、その木は青い炎のような光に包まれた後、砂のように粉微塵になって吹き散らされる。
 天龍は佐天のその行動を理解できず声を裏返した。


「何やってんだお前!?」
「『疲労破壊(ファティーグフェイラァ)』……、いや、『蒼黒色の波紋疾走(ダークリヴィッドオーバードライブ)』を、もっと使いこなしてみる。
 無生物……、死んでるものだけ、破壊するの。きっとできるはず」

 振り向いた佐天は、掌にわだかまった青い揺らめきを握り込む。
 彼女の前では、砂が風を組み替えてゆくようだった。
 微塵に砕けた砂が散った後、そこには一面の赤にぽつんと、緑の双葉が映えていた。
 天龍の瞠目が強まった。


「……腐った部分だけ取り除いて、生き残った芽だけ残したのか!?」
「生きてるものと死んでるものとでは、月の回り方が違うから。
 うん……。最少範囲に『第四波動』を落とし込んだ時と同じだ。よく注意さえすれば、できる」


 佐天涙子は、凶暴で蒼黒い月の牙として脳裏に描かれるその殺傷性の高い能力を、何とかコントロールしようと考えていた。

 本当はできるはずなのだ。
 佐天はここまで能力を使っても、自分の身や、デイパックを疲労破壊せずに済んでいる。
 金属のみならず、有機化合物の共有結合さえ微塵に分断するほど能力が拡張されていても、彼女の演算は、無意識に自己を守っているのだ。
 怒りと衝動に任せて演算を漏れた能力だけが、彼女の肌を荒し衣服を劣化させている。
 つまり激情を抑え、平静を保ち、集中できさえすれば、暴れ馬の如きこの能力も彼女は手懐けられるはずなのだ。
 『最少範囲・第四波動』や『凍結海岸(フローズンビーチ)』を体得した時のように。

 佐天は拳を握り、決意を固める。


「どんな機械の大軍に人質に取られてようと。私は初春を助けながら全てのロボットを砕いてやる……」
「涙子……」


 そもそも天龍は、こんな場所に本当に初春飾利が連れ去られているのかを疑って声をかけていたのだが、佐天は既にその先の戦闘のことを考えていたようだ。
 確かに、初春が居ようが居まいが、これほど大量の血が流れているならば、待ち受けているのは戦いに他ならないだろう。

 天龍もまた覚悟を決める。
 この場に、回せるような羅針盤はない。進路の指針となるのは現状、佐天涙子の嗅覚のみだ。
 鬼が出るか蛇が出るか。渦潮が出るか仕置き部屋か。
 どんな相手と戦うことになっても進退を見誤らぬよう、彼女は旗艦としての責任を固唾に飲んだ。

 だがその時、そんな天龍の耳に、今まで気にしていなかった波長がふと障る。


「ちょっと待て、ノイズかと思ったが……、誰かが電信を打ってる」
「電信?」
「くそ、信号が弱すぎる! 遠いんだ。聞きとれねぇ」

 走っていた間はただの雑音か環境音だと思っていた響きが、立ち止まっていたこの時、天龍の無線機に確かに何らかの意味のある信号として捉えられていた。
 だが、発信元の出力が低いためか距離があるためか、その電波は途切れ途切れにしか受信できない。


「天龍さんがわかる通信ってことは……、やっぱり艦娘とかいう人たちから?」
「ああ、多分……。誰だ……? 誰が打ってる……?」
「……もしかして、奇跡的に生きてた天津風さんとか! とにかく誰か、他に生きてる人がいるのよ、きっと!」


 耳を澄ませながらじりじりと移動を始めた天龍の後について、佐天が息巻く。
 膨らみかけた期待にぴょんぴょんと跳ね、彼女は眼を輝かせた。

「三角測量させてくれ。だいたいの方向は分かるはず……」
「血の臭いなら……、ここから東北東に行くにつれてどんどん濃くなってるみたいだけど」

 そんな佐天を宥めるように声を落としながら、天龍は何度か大きく進行方向を変えつつ信号の強度を測定する。
 同時に中空でクンクンと鼻をひくつかせて、佐天涙子も血臭の発生源を推測してゆく。
 そして三角測量を終えて、天龍はその結果に嘆息した。


「驚いたな、マジで涙子の嗅ぎ当てた方向と同じ……? 東北東から打たれてる信号だ!」
「……天龍さんそれ、私の言ってること信じてなかったってこと?」

 まるでそれが予想外だったかのような天龍の反応に、佐天は苦笑する。
 確かに佐天の言葉を信じ切ってはいなかった天龍は、眉を上げて振り向いた。


「んー……、いや、7割方は信じてたぞ」
「ああそう……、また妙にリアルな数字ね……」

 苦笑を重ねるしかない佐天に、天龍は肩を竦めた。


「悪いな。正直、まさか涙子の嗅覚がそんなに鋭いとは思ってなかった。大したもんだ。
 だが天津風も言ってただろ、良くて3割、悪くて10割狂ってるって。
 俺たちもこんな状態でいつ気が触れたっておかしくない。涙子も3割は用心しておけよ。いつだってな」
「……なるほど」


 確かに、佐天の鼻がこんなに利くようになったのは、いつからか。
 この島に来るまでは、いくら都市伝説などに鼻が利くからといって、それはただの山カンの域を出ない能力だったはずだ。
 それは恐らく、皇魁の体液を体に受けてから。
 学園都市でもレアな肉体変化(メタモルフォーゼ)能力者のように、体の機能が拡張されているのかも知れない。

 3割狂ってる、それくらいの自信は確かにある。
 だが3割くらいの狂気で、この島を生き抜けるなら儲けものだ。
 そのくらい狂ってる方がちょうどいい。

 異常な状態で平常心を保つための狂気。
 何が起きるかもわからないこれからの戦いでは、その平常心の狂気という武器が、必須になってくるだろうからだ。


「おい、こちら軽巡洋艦天龍! この帯域を使ってたやつは誰だ?
 こちら軽巡洋艦天龍! 応答してくれ!」
「初春……、待ってて、必ず助ける……!!」

 そんな蒼く静かな心を抱いて、二人はまた、走り始めた。


    ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


 その頃、天龍が受信した電波の発信元は、島の最北東部の崖からほぼ真西に向けて移動していた。
 その発信元が、帯域上に飛んだ自分以外の電波を拾うのは、程なくだった。


『――洋艦天龍! ――てたやつは誰だ?
 こちら軽巡洋――。――てくれ!』
「……?」

 その発信元たる少女、艦娘の扶桑は、そんな途切れ途切れの電信を受けて顔を上げる。
 同乗していた戦刃むくろが、彼女の様子に気づいて声をかけた。


「どうしたの、扶桑?」
「いえ、また電信が来て……。さっき助けて下さった方……?」


 黒木智子の肩をさすりながら問いかけられた戦刃むくろの声に、扶桑は窓から外の森を眺めやる。
 そんな後部座席の動向に、運転席で青毛のヒグマが舌打つ。


「それ本当にさっきのヤツかい!? また無差別に暴れる客は御免だよ!!」
「ちょっと待ってください……、信号、急速に強くなって来てます……」


 青毛のヒグマ、グリズリーマザーが運転するこの灰熊飯店の屋台バスは、ヒグマードとの崖際の死闘を切り抜けた後、全速力でそこから逃走している最中だった。
 黒木智子の沈鬱なすすり泣きと、その他の人員の張り詰めた吐息が埋めていた車内には、また違った緊迫感が走る。


「進行方向まっすぐ……、向こうも近づいてきてる! もうすぐ出会います!!」
「もうかい!?」
「本当に安全な相手なのですかそれは!?」

 耳を澄ませて叫んだ扶桑の報告に、グリズリーマザーとヤスミンが狼狽した。
 先だって襲い掛かって来たヒグマードにより、この一行はクリストファー・ロビン言峰綺礼を殺されているのだ。
 その戦闘に終止符を打った、水流操作を行う何者かがこの先にいるのだとしても、本当にその者が味方なのかどうか、確かめる術はない。


「帝国にも水を使う方はいらっしゃいますが、ここにいるとはほとんど考えられません!」
「弱ってる私たちを捕食しに来た、とも考えられるわけね……?」
「だからってどうしろってんだい! 方向転換するならするで早く決めてくれ!!」

 ヤスミンは先程助けてくれた者の正体として、同じくヒグマ帝国で勤務しているヒグマであるビショップをまず脳裏に思い浮かべていたが、彼女がピースガーディアンの任を離れてこんな地上に出てきているという可能性はかなり低く思えた。
 次いで憂慮を口に出したむくろの言葉に、グリズリーマザーが苛立ちながら後部へ振り返る。
 未だ彼女たちがいるのは、赤く枯れ果てた森の中だ。
 とにかく島の北東部からは出来る限り距離を取っておきたいのが現状であり、止まるわけには行かないのだ。
 方針を変えるにしても、早急に後部座席の面々で意見を纏めてもらわねば話にならない。


「止まって! そこのバス!」
「――なあっ!?」


 その時突然、バスの目の前に森の脇から少女が飛び出してきた。
 後ろを振り向いていたグリズリーマザーは、反応が遅れた。
 慌てて急ブレーキを踏むが、悪路に跳ねたバスは止まり切れずにその少女へと突っ込んでゆく。
 少女とグリズリーマザーの視線が重なり、お互いの眼が驚愕に見開かれる。
 その瞬間、目の前の少女が、拳を振り上げていた。


「はぁッ、『凍結海岸(フローズンビーチ)』!!」


 そのまま地に向けて振り降ろされた拳から、大量の蒸気が吹き上がったように見えた。
 ほとんど同時に、彼女の周囲から凄まじい速度で地面が結氷してゆく。
 その結氷空間に飲み込まれた屋台バスのタイヤも、一瞬にして回転を止めて地面に張り付けられてしまう。
 急停止した車内には恐ろしい慣性がかかり、後部座席の黒木智子たちを前方へ跳ね飛ばす。


「うぁぁ――!?」
「大丈夫ですか!?」
「ひぃ――!?」
「扶桑、これ借りる!!」


 クリストファー・ロビンを抱いたまま車内を吹っ飛んだ智子は、ヤスミンによってなんとか抱き留められる。
 そんな突然の事態に、最初に対応できたのは戦刃むくろだった。
 席に掴まって呻く扶桑の元から、彼女は鉄のフライパンをむしり取り、一気に出入口のタラップへ駆け降りていた。


「――ヒグマ!?」
「――敵なの!?」


 そしてむくろは、眼を怒らせて身構えていた少女と出入口の正面でばったりと鉢合わせていた。
 暫し荒い息で身構えたまま、二人は向かい合う。

 少女は、肩口から千切れたむくろの左腕を見た。
 むくろは、あちこちがボロボロに破れた少女の制服を見た。


「……佐天涙子。参加者よ。戦うつもり無い。あなたたちがその気でなければ」
「……い、戦刃むくろ。参加者……、そうよね、参加者……」

 佐天涙子と名乗った少女が、構えていた両手をゆっくりと上にあげる。
 反対にむくろは、振り上げていたフライパンを下におろした。
 互いの姿を見れば、お互いが大変な戦いをなんとか生き残ってきた者だということは、明らかだった。

「……その腕、大丈夫!?」
「まぁ。とりあえずはね……」
「むくろさん、大丈夫ですか!? その方は?」


 むくろの傷を佐天が心配している中、屋台バスの中から遅れて、艤装をガチャガチャと鳴らしながら扶桑が降りてくる。
 そこへ森の中から、また走ってきた少女の声がかかった。

「扶桑! 扶桑じゃねぇか!! お前も来てたのか!?」
「天龍さん!? さっき電信下さったの天龍さんですか? その怪我は!?」
「ああ俺だ! 眼は大したことねぇ。それよりそっちこそどうしたんだこの車両。何があった?」
「逃げて……、来まして……」
「逃げてきたの!? 何から!?」


 口ごもる扶桑に、天龍や佐天の注目が集まる。
 息巻いた佐天の声に返したのは、運転席から苦笑いを送る、グリズリーマザーだった。


「お客さん方、積もる話は、とりあえず中でしないかい?」
「あ……――。ありがとうございます。お邪魔させてもらいます」


 人間のような笑みを浮かべるその青毛のヒグマの姿に、佐天涙子は一瞬面食らった。
 だが彼女はグリズリーマザーの優し気な口調に、即座に居住まいを正して会釈する。
 佐天が今日一日忘れていた、普通の女子中学生らしさを取り戻させてくれるような微笑みは、明らかにヒグマ提督のような不埒なヒグマとは違う信頼感を抱かせた。


「へぇ、ヒグマ……、と、同行してるクチか、お前らも」
「え、ええ……」

 感心したような天龍の口振りに、扶桑は曖昧な頷き方で肯定の意を示していた。


    ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


「あなたたちも、何かに襲われたのね……?」


 グリズリーマザーのバスに乗り込んだ佐天と天龍は、そこで一瞬身を引いた。
 二人は即座に気づいてしまった。
 彼女たちを覆う、あまりにも無惨な死臭に。
 彼女たちの顔の、憔悴しきったその表情に。
 後部座席の少女が掻き抱いているのは、少年の遺体だった。


「手短に話すけど、アタシはグリズリーマザー。そこのマスター……、黒木智子のサーヴァントをしてる。
 ヒグマ帝国で屋台やってたこともあるけど、もうそれどころじゃなくなってね」
「はぁ、そうですよね、艦これ好きのヒグマたちが反乱したとか。
 とにかく私たちは、脱出の方法を探してるだけです」
「私は穴持たず84、ヒグマ帝国医療班のヤスミンです。そこまで把握なさってるのでしたら話は早いですね。
 我々もあなた方参加者の脱出には協力を惜しみません。帝国の奪還に協力していただけるならば」
「医療班……!? いやぁ、思慮深いヒグマさんと会えて、ホッとしました……。
 今まで会ったヒグマは、みんな戦闘バカとか艦娘バカとかばっかりだったんで……」

 そんな中で、情報交換に即座に応じられるほど気持ちの切り替えができたのは、グリズリーマザーとヤスミンというヒグマ2頭だけだった。
 戦刃むくろ、扶桑、黒木智子という残りの少女たちは、それぞれ異なった理由で口ごもっている。
 しきりに戦刃むくろの顔色をちらちらと窺っている扶桑に、天龍は何の気なしに声をかけていた。

「おかげで俺たちゃいい面の皮だ。なぁ扶桑」
「ええ……、まぁ、そうですね」
「お前ら全員参加者なんだよな? 首輪外せてるみたいだが……、お前らの誰かが外し方知ってたのか?」
「あ、あの……、それは、私が、ヒグマ提督に作られた艦娘だから、ですね」
「ああ……、龍田と那珂とビスマルクの他のあと一体ってのがお前か」
「う……、提督と会われたんですね……?」


 扶桑の言動には、屋台バスの面々から一気に視線が集中していた。
 佐天と天龍のものにはこれといって他意はないが、事情を知っているその他の者の視線は、半ば心配そうだ。
 特にむくろは、扶桑の脇で脂汗を流し始めている。

 何しろ、扶桑と戦刃むくろは参加者ではない上、ヒグマと参加者の両方の敵の一味なのだ。
 黒木智子の一行がそのことを口外せず、彼女たちを排除もしないのは、作戦でもあり甘さでもあったが、佐天涙子と天龍がそんな対応をするかどうかはわからない。
 むしろ、バレてしまえば最後、この場で戦いになる公算の方が圧倒的に高い。
 脳内でむくろは苦悶した。

(どういうこと、どういうこと? 佐天涙子って、盾子ちゃんからの報告では百貨店にいたはず……!
 それに同行者は、元自衛官の皇魁、弁護士の北岡秀一、上院議員のウィルソン・フィリップス、学生の初春飾利だったはず!
 しかも能力が大幅にパワーアップしてる……! モノクマに指を折られる程度の力じゃなかったの!? なんでここ一面凍ってるの!?
 何かしら大きな異変があったことは間違いない。実力と思考が読めない。敵に回しちゃ、ダメだ……!)
「大丈夫、戦刃さん? その傷やっぱり痛むんじゃないの?」
「はぃ!?」


 そんな必死の思案に明け暮れていたむくろの目の前に、覗き込んでくる佐天の顔があった。
 片腕を失った状態で顔面を歪めて脂汗を流している戦刃むくろの様子は、幸いにも、傷の痛みに耐えているように見えていた。

「私がヒグマ細胞を用いて処置をしましたので、塞がってはいるはずですが……」
「いいから戦刃さん、とりあえず見せて」
「う、うん……」


 ヤスミンがおずおずと指摘するが、佐天はそれに構わず、戦刃むくろのちぎれた左腕を取り、彼女を抱きしめていた。
 むくろの前に、佐天涙子の顔が近づく。
 長いそのまつげが、はっきりと見えた。


「ひゃ……」
「ヤスミンさん。失ったものは、痛むのよ。物理的にどうとか関係なく……」


 コオォォォォォォォォォォォ……。
 佐天の呼吸が、深く、高く、あたりに響き渡っていた。

 会陰。
 脾臓。
 臍。
 心臓。
 咽喉。
 眉間。
 頭頂。

 佐天の脳裏に描かれる月が、回りながら彼女の脊柱を行きつ戻る。
 傍から見た彼女の体は、うっすらと金色に輝いているようにも見えた。
 その輝きと温もりが、抱きしめられたむくろの体にも流れ込んでくる。

「『山吹色の第四波動』……」

 佐天の呼吸から生まれた熱が、細胞の一つ一つに吐息を回す。
 解糖系、クエン酸回路、電子伝達系――。
 輝きとエネルギーが、むくろの体の中に直接流れ込んでくる。
 会陰から貫き、頭頂を突いては戻る恍惚感。
 初めて味わうその感覚が、陶然とした甘い幸福感でむくろの全身を満たす。

「は、ぁ……、あぅ、ん……」

 そのあまりの心地良さに、むくろは全身をぴくぴくと痙攣させていた。
 佐天はそんな彼女を慈しむように微笑みかける。


「一緒に脱出する仲間でしょ、戦刃さん。一人で抱え込まないで、何でも言って?」
「仲、間……」

 まるで生命のエネルギーを直接受け取ったかのように、むくろの全身には活力が漲っていた。
 疲労も消え、痛みなど全くなくなっている。
 むくろの鼓動が高鳴り頬が上気しているのは、そんなエネルギーのせいなのか、それとも別の理由なのか。
 視線を落とし、むくろはもじもじとした所作で佐天にお礼を言っていた。


「あ、ありがとう、涙子さん……。あなた、いい人、だね……」
「気にしないで! それより、逃げてきたって言ってたわよね? あなたたちにこんな被害を与えたのは、一体何者?」


 まだ恍惚感の余韻が抜けきっていないむくろを措いて、佐天は車内の一同に問いかける。
 そんな明朗かつ毅然とした様子を傍から見て、天龍は少しばかりでなく感心していた。


(そうか……、なるほどな。この出会いは、間違いなく涙子にとって吉事だ)

 自分が慌てている時に、隣に自分よりも慌てている人がいた時、ふとその人を見ると、冷静にならないだろうか。
 自分より辛そうな境遇に陥っている人を見ると、自分の辛さよりも気にかけたくはならないだろうか。
 客観の視点を持つことで、自分一人のことで手一杯になっていた思考から、一歩引くことができる。
 自分と同じような他人を慮ることで、狭まっていた自分の視点が広がり、余裕を持つことができる。
 今の佐天涙子の状態がそれだ。

 自責の念や強迫観念に駆られるのではなく、面倒見と気風の良さを最大限に活かす気の持ち方。
 この出会いによって取り戻したこの性格が、恐らく佐天涙子の本来の持ち味なのだろう。
 そこに彼女が開花させた能力が加わっている今、天龍は彼女が、ただの僚艦に思えぬ信頼感と安定感を持った存在にも感じられた。


「ヒグマ帝国でも把握していない、見たことも無い強大なヒグマでした。
 人語を話していましたが、無差別に我々を襲おうとして。食い止めていたロビンさんは、あのように、返り討ちにされてしまいました」
「それでマスターは、あんなになっちまって……。アタシたちゃそいつから逃げて来てたのさ」
「マスター……、黒木さん、だっけ」


 ヤスミンの元に抱きかかえられている小柄な少女は、彼女よりもさらに幼い少年の死体を抱えて震えていた。

 近寄りながら、クンクンと佐天は彼女の匂いを嗅ぐ。
 青いツナギの作業着は、抱きかかえた少年の血で赤く染まっていた。
 ロビンというその少年の死に顔は安らかだったが、その胸には、一見して致命傷とわかる大穴が開き、血が溢れている。
 乱れた長髪から覗く隈だらけの眼が、死んだ魚のように佐天涙子の乾いた瞳を見上げている。
 彼女の口元は、涙と血で汚れていた。


「その男の子のこと、好き、だったんだね……」
「あ……?」


 黒木智子の表情は、訝しげに歪んだ。
 心ここにあらずだった彼女の表情は、徐々に佐天に向けて不信感と嫌悪感を顕わにしてゆく。
 佐天涙子の手が、涙に塗れた彼女の顔に伸びようとする。


「でも、だったら、それだからこそ、いつまでも泣いてちゃダメだよ。黒木さん」
「……な、な、何なんだよ、お前は!!」

 そして続く佐天の言葉に、智子の感情は爆発した。
 思わず振り払った手が、佐天の肩にかかっていたデイパックの一つを弾き飛ばす。

 初対面の女子に、何をしたり顔で説教されなければならないのか。
 なぜロビンのことに口出しをされなければならないのか。
 訳の分からなさに、怒りが湧きだして来ていた。


「……お、お前にッ、私の、何がわかるんだよ!!
 ロビンの何がわかるんだよ!! 何だよポッと出てきて訳知り顔に!!」
「わかるよ。私も、同じだから」


 佐天は狂ったような形相で叫ぶ智子に相対して、ひたすらに穏やかだった。

 視線を落とせば、転がったデイパックのチャックが開き、そこから覗いているものがある。
 それは血の気の失せ、干乾びたような老人の死体だった。
 彼の片腕は千切れ、下半身と内臓がごっそりと失われている。
 それに気づくと、一行の多くは思わず身を退いた。
 ウィルソン・フィリップスの、あまりにも無惨な死体だった。

 智子も、その死体に暫く目を落として、微かに呟く。
 湧き上がっていた怒りが、しぼんでゆくのを感じた。

「……まさか、それ……」
「そう。こっちのデイパックも。そして天龍さんのも……。
 私たちも、大切な人たちを、戦いで失った。
 でも弔わなきゃ。死んだ人はもう、帰ってこない……」

 3つのデイパックのもう一つ――、皇魁の死体が入ったものを掲げ、そして佐天は後ろの天龍の方を指さす。
 屈んでデイパックを拾い上げた彼女は、ウィルソンの遺骸をその中にそっと仕舞い直した。


「この人たちが生きていた証を、少しでも私たちは抱えて持ち帰らなきゃならない。
 でもそうであっても、この人たちが眠れるように、私たちは弔わなきゃいけない」


 止まっていたと思った涙が、また智子の目からぼろぼろと零れ落ちていた。
 微笑みかけてくる佐天に、顔を向けられない。
 それは智子が、考えていても踏み出せなかった思いだった。

 佐天はただ訥々と、智子に語り掛けてくる。

「だから、先に進もうよ、ね……?」
「そんなこと……、言っだっで……ッ!」

 智子に残っていたのは、ただ無力感と悔しさだけだった。
 自分はあの敵の正体をわかっていたはずなのに。
 好きだった男を助けることができなかった。

 せめて自分の中に生き続けて欲しいと、そう願いもする。
 だが同時にそんな願いは、ただの空虚な妄想であることも理解している。
 どうすればいいのか解決策の見えない心の中から、黒木智子は動き出すことができないでいた。


「あなた、ちゃんとパンツ履いてる?」


 その時突然、佐天涙子がごく自然な動作で、智子の着ていたツナギのジッパーを上から下まで一気に引き下ろしていた。
 あまりの早業に、智子は抵抗も理解も追いつかない。
 血塗れになった布地にできた裂け目から覗く自分の素肌に、たっぷり三拍ほども遅れて彼女は裏返った叫びを上げていた。


「――はひゅぅぅ!?」
「わ、だめだよ、パンツ履かないと!! 女の子なんだから! お腹冷えちゃう!」
「え、智子さん、ノーパンなの……!?」

 まじまじとその素肌を観察した佐天が、そんな論点のずれた内容を本気で心配する。
 驚愕に目を見開く後ろの一同の中で、戦刃むくろがショックで思わず口を押える。

 事情を知っているグリズリーマザーとヤスミンは頭を抱えたが、知らない天龍と扶桑は続けざまに懸念を重ねた。


「戦場で下腹部剥き出しは……、ヤバイぞ!」
「そ、そ、そうですよ! あんなことやこんなことや、何されるかわかりませんよ!」
「ぬ、ぬ、濡れちまって乾いてねぇんだよ!!」


 死にそうなほどの恥ずかしさに、智子はロビンを抱えていた腕で自分のツナギを押え、顔を真っ赤にして叫ぶ。
 つい一瞬前までシリアスな話をしていたはずなのに、なぜ突然自分の服を脱がされかけ、その下腹部を衆目に凝視されなければならないのか。
 全く意味がわからない。
 周囲に女性しかいないのがせめてもの救いだったが、だからといって何かの助けになるわけでは全くない。
 膝の上のロビンの体重に得体の知れぬ羞恥心を加速させながら、智子はもがくように自分のデイパックを開いた。


「濡れてるなら……、ちょっと貸して」
「え?」


 洗ってバスタオルに挟んでいた制服と下着の一式を取り出すや否や、佐天の手がそれを掴んでいた。
 畳まれた服の束を上下に挟んだ彼女の両手に、蒼い光が灯る。

「ほっ」

 一瞬、その服に霜が降りたと見えた瞬間、佐天が手を離すと、挟まれていた制服とタオルは、ほかほかと暖かな湯気を上げながら膨らんでいた。


「はいどうぞ」
「へ……!?」

 智子がそれを受け取ると、制服とタオルは夏のお日様の下で干されていたかのように、柔らかく暖かな手触りで乾いている。
 もちろんパンツもだ。
 目の前で手品のように見せつけられた一瞬の現象に、智子は唖然とした。

 それは佐天がまた見つけた、殺す以外の能力の使い方だった。


「おまっ……、これ、どうして……?」
「凍結乾燥(フリーズドライ)と同じよ。水分を凍らせて、蒸発させたの。
 ……黒木さんの涙も、ちょっとは乾いた?」
「あ……」


 ひび割れた唇で笑う佐天の言葉に、智子はハッとする。
 突然のパンツと強制わいせつからの高速ふんわり乾燥という怒涛のような事態の連続に、智子の意識は完全に持って行かれていた。

 膝の上のロビンは、心地よい疲れに眠ってしまった勝利投手のように、安らかな表情で死んでいる。
 その姿を見ても、もう智子の心は哀しみに塗り潰されはしなかった。
 なんだか、落ち込んでいたのが馬鹿らしいような恥ずかしいような、現実味のない感覚ばかりが頭を上滑りするのだ。

 ロビンは死んだ。
 黒木智子が好きになってしまった少年は死んだ。
 それはもう、覆しようのない現実だ。

 だが、それは単にそれだけの事実。
 智子の心を暗澹に引きずり込むような重石では、決してない。
 ロビンも決して、そんなことを望んではいないだろう。


 彼はロビン王朝(ダイナスティ)を建てた。
 あの夕日の崖に。
 智子の心の中に。

 My head is the apple without e'er a core(私の頭は 芯の無いリンゴ),
 My mind is the house without e'er a door(私の気持ちは ドアのない家).
 My heart is the palace wherein he may be(私の心は 彼の住む城),
 And he may unlock it without any key(彼が開けるのに鍵はいらない).

 彼は鍵もなく智子の心の中に入り、そこに住んだ。
 智子が生きている限り、そこに居続ける。

 智子は王たる彼を見届けた。勝利投手たる彼を。
 彼だけのオリジナルコールを送ったお妃さまとして。
 王が死を以て勝ち取った、4対3という揺るぎないホームランダービーの試合結果を、伝説として語り継げるのは、智子の他にいない。
 妃の他に、いるはずがない。
 王亡き王朝を継げる者は、彼女の他にいないのだ。

 いつまでも濡れそぼり、挟まれ腐っているわけにはいかない。
 いつまでも悲嘆に暮れているわけには、いかない――。

 智子はそんな決心を、安物の白パンツの温もりに重ねた。

 佐天涙子の行動は、過程がどうあれ、智子の心を軽くしたのは確かだった。


「……と、と、に、かく……。ありがとう、ございます……」


 乾いた服を受け取って押し黙っていた智子は、そう吃りながら、佐天へ深々と頭を下げていた。
 非常識にも思える彼女の行動を、批判する気にもなれなかった。


「いいっていいって敬語なんて! 同い年くらいでしょ?」
「ん……?」

 へろへろと手を打ち振って磊落に笑う佐天の言葉に、智子が違和感を覚えたのは、その時だった。

 肌荒れや戦いの跡であちこち薄汚れて制服も破れてはいるが、佐天涙子は顔立ちもよく背の高い、長い黒髪の美人だ。
 智子より確実に背が高いし、髪も長いし手入れされている。
 あと胸もある。

 その風格といい信念といい、智子のゴミムシのような人格が足元にも及ばないことは確実だろう。
 その上あんな能力と説得を見せられては、平身低頭しないことなどできないくらいだ。
 あと胸もある。

 だがそれでも、智子は問わざるを得なかった。


「お前、高校何年生……?」
「え……?」

 佐天はその時、深く考えもせずに即答してしまった。


「柵川中学、一年生だけど」
「――ちゅ、中坊……!?」

 智子は思わず、背後のヤスミンの方に崩れ落ちた。


「わ、私より、三歳以上も年下……?」
「あ……!?」

 呆然とした智子の呟きに、佐天はようやく彼女の疑問の意図を理解してしまった。


「ご、ごめん……、なさい。え、高校生、なんです、よね……? すみません……」
「やめろォ!! これ以上みじめにさせるなァァァ!!」

 今までかなり上から目線で応対してきた相手が、かなりの先輩だったと知り、佐天は慌てて言葉遣いを修正する。
 しかしそれは、抉られた智子の傷口をさらに広げて塩を塗り込む行為に他ならない。
 遥かに自分より年下で、なおかつ太刀打ちできない程優れている相手にこんな風に絡まれるなど、智子にはクリストファー・ロビンの再来にしか思えなかった。
 あのクソ生意気で、クソ優秀なクソガキに、また気遣ってもらえたこと。

 それはとてつもなく腹立たしく、そしてむず痒いほどに嬉しかった。

(なんなんだよなんなんだよ、この無駄に発育の良い朗らかパンツビッチは!
 このボディで中学生とかふざけてんのかよ男ならマジ勃起もんだろ既にその破れ制服と合わせて公然わいせつ物陳列罪だろ!
 もうちょっと防御力に気を遣った格好と言動をしろよ!
 そもそもさっきの戦刃のといい私のといい、攻撃力高すぎんだよ、ジゴロかよこのビッチ!)

 智子は座席のヤスミンの胸に倒れ掛かったまま脳内で毒づき、彼女を指さして叫んでいた。


「敬語やめろよ! おかしいだろ! お前がJCなんて! おかしいだろ!」
「うん、中学生に見えない肝の据わり方……。普通に話そう、仲間だし……」
「あ、ありがとう……。二人がそう言うならそうするけど……」

 ほんの少し前まではランドセルを背負っていた人間だとは思えない佐天涙子のインパクトに、黒木智子だけでなく、同じ高校生である戦刃むくろも舌を巻いていた。
 佐天が超中学級の何かであることはほぼ間違いない。これが成長して高校生になったら一体どうなるのか、むくろには末恐ろしさしかなかった。


(一歩引いて冷静になるどころじゃねぇ……。一瞬で心の壁を溶かしてこいつらを友達にしやがった。
 これが……、涙子の本当の力……?)

 そして感嘆していたのは、彼女たちだけでもなかった。
 グリズリーマザーとヤスミン、扶桑といった面々も、彼女の精神的能力的な強さに感心していたが、中でも今まで同行していた天龍の感嘆は並ではなかった。

 今までの天龍には、佐天は諍いと戦いで思い詰めていたような印象ばかりが残っていた。
 ヒグマ提督の砲撃を砕き。
 江ノ島盾子の画面を砕き。
 北岡秀一のボトルを砕き。
 戦艦大和の命を砕いた。

 だがそんな、苦しさの中でもがくように揮われた彼女の力よりも、今ここで見せた朗らかな言動の力はどうだ。
 青く獰猛な月の輝きではない。
 まるで暖かい夏至の日のような輝きを放っている。


(涙子、やっぱりお前の力には、先があるよ。人殺しなんかじゃない、方向にもな)


 月の輝きの奥にある太陽の輝きを、天龍は静かに確信していた。


    ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


「……話、戻すけど」

 叫んだことで少し落ち着いた黒木智子が、ツナギのジッパーを再び上げながら呟いた。
 下着と制服は乾いたが、流石に今ここですぐにツナギを全部脱いで、衆目に貧相な裸体を晒しながら着替える気にはならない。
 そして何よりも今は、着替えよりも遥かに切羽詰まった事態に彼女たちは迫られているのだ。


「私たちは、逃げてたんだよ……、ヒグマから。こうして話してる間も、本当は逃げたい……!」
「あ……、ごめんなさい、凍らせちゃったから……! すぐ溶かしに……」
「いや、とりあえずまず知っといてくれ、どんな相手だったのか。そんで危機感を抱いとくれ!」


 智子たちはヒグマードから逃げていたのだ。
 佐天たちは知らず知らずとはいえ、その足止めをしてしまった形になる。
 タイヤが凍結してさえいなければ移動したいところだったが、今後の対応のためにも、まずは佐天と天龍に状況の危うさをはっきり認識してもらうことが先決だった。

 初めに事態のあらましを掻い摘んで説明し始めたのは、超高校級の軍人でもある戦刃むくろだ。
 こういう時の情報共有の大切さは、彼女が一番よく分かっている。


「……この赤い森の先、北東の端の崖で、私たちはそのヒグマに出会った。
 そこのロビンくんが気を惹いて、そいつを食い止め、大打撃を与えてくれはした。
 それに私たちの他に、言峰綺礼という拳法家の神父さんもいたわ。でも、生き残れなかった……」
「キレイさんは、ロビンさんが亡くなった後もただ一人その場に残って、ヒグマを撃退しようとしていました」
「バックミラーで確認した限りじゃ、少なくとも彼は2回、あのヒグマを殴り殺してたはずさ。
 でも、そいつは死ななかったのさ。何度でも再生して復活するようだった。結局、あの神父は喰われちまった」
「そんな絶望的な瞬間、突然、私の電信を聞きつけてくれた方らしい誰かが、上から大量の水を降らせて崖を崩し、そのヒグマを海に突き落としたんです。
 てっきり、それが天龍さんだったのかと……」
「おいおいおい……。そんな崖崩すような大量の水扱えるかよ、俺に……」

 ヤスミン、グリズリーマザー、扶桑と続けて、今までの出来事が説明されてゆく。
 苦い表情で頬を掻く天龍の返答に、扶桑は頷かざるを得ない。
 確かに天龍はそんな能力を有してはいないし、何よりやってきた方角が違いすぎる。
 だがその謎の助っ人がどうあれ、智子たちの抱く結論は一つだった。


「でもいくら粉微塵にして海に突き落としても、そんなんじゃただの時間稼ぎだ……。
 近くにいたらあいつは絶対にまた追ってくる……。逃げなきゃ……!」


 智子は、ロビンを抱えて震えた。
 今一度思い出してしまえば、またあの時の恐怖が背筋に襲い掛かってくる。
 陶然たる赤い死しか見えない、あの異形のヒグマの姿を思い描き、一様に屋台バスの一行の表情は硬くなった。

 その様子に、佐天と天龍は顔を見合わせる。


「……そんなに強力なヒグマなら……。やっぱり、江ノ島盾子の差し金?」
「ああ……、あの女かもな」
「――!?」
「エノシマジュンコ……、だと……?」

 聞き覚えのあるその名前に、車内の一同の眼が見開かれる。
 中でも見るからに動揺した戦刃むくろや、呟きを漏らしてしまった黒木智子の反応は特に大きかった。
 その呟きに、佐天は言葉を繋ぐ。


「江ノ島盾子という女に、友達が連れ去られたの。強力なヒグマを差し向けられて、その隙に。
 あなたたちの状況と、似てると思わない……?」
「マジか……」
(そうだ、まずい……! 涙子さんはあの子のことを知ってたんだ……!
 しかもかなり濃厚に! あああ、なんで生き残ってて、よりによって私のところに来るの!?
 こんなに強くて優しい子だなんて聞いてないよ……!!)

 智子が言葉を濁す横で、むくろは頭を抱えた。
 佐天の説明を捕捉する形で、天龍が扶桑に語り掛ける。


「そのヒグマ、大和だったんだよ、扶桑。
 大和を改造して、ヒグマ提督の恐怖と自責を最大限に煽りながら、俺たちを手玉にとって蹂躙しやがったんだ、その江ノ島ってやつは。
 島風も、あと恐らく天津風も、撃沈されちまった……」
「そん、な……。そう、だったんですか……」
(ヒグマ謹製艦娘2体を撃沈してる盾子ちゃんの手先を、どうやって倒したのこの2人は!?)

 語りながら天龍が掲げたデイパックの中身は、蜂の巣にされた島風の遺骸だった。
 自分たちの上に立つ江ノ島盾子の暴虐を耳にして、扶桑は内臓が絞られるようだったし、むくろは佐天と天龍がそこを切り抜けてきたという事実を信じられなかった。


 一時期の扶桑は、幸せな艦娘など、絶望に沈んでしまえばいいと思っていた。
 だが、怒りと悔しさに震える天龍を見ながら、沈んでしまったという二隻の駆逐艦のことを思うと、扶桑にはただただ、寒々しい空虚感が襲いかかってくる。
 他人の不幸は、蜜の味などしなかった。
 むしろ他人の不幸は、自分の不幸よりも重苦しく彼女の肩に乗しかかった。

 そして、むくろの全身には再び大粒の汗が浮いている。
 車内のぎこちない反応に、佐天は一度辺りを見回し、身を乗り出して智子に尋ねた。


「……黒木さん、何か知ってるの? 江ノ島盾子のこと……」
「ああ、その女なら、たぶんこいつの妹……」
「うわー!! うわぁ~~~~――!!」

 むくろが唐突に叫び声を上げていた。
 絶叫しながら手を打ち振り、黒木智子が思わず漏らしてしまった情報をかき消そうとしているかのように慌てた。
 そして彼女は叫びながら、周りが向けている驚愕の視線に気づき、さらに動揺した。

「あ――!? あー、あー……」

 そして動揺しきった彼女は、硬直した空気の中で、唐突に腕を振ってリズムを取り始める。
 朗々と声を張り上げて、むくろは戦時中の童謡に逃げた。


「――ぁあーさだ夜明けだ潮の息吹き♪
 うんと吸い込むあかがね色の♪
 胸に若さの漲る誇り――♪」


 扶桑と天龍が顔を見合わせた。
 それは彼女たちにとっても馴染み深い、軍歌のフレーズだった。
 状況は理解できないものの、友軍が歌っているのだから歌うべきであろうという妙な連帯感が、そこには発生してしまう。

「――海の男の、艦隊勤務♪」
「「「月月火水木金金♪」」」

 困惑しながらも、扶桑と天龍はむくろの歌に声を重ねた。
 最終的に3人の合唱になったその歌を、むくろは大きく手を広げて締めくくる。

 完璧に誤魔化せた――。

 そんな達成感が、彼女の心を満たす。
 しばしの沈黙の後、切り出したのは佐天涙子だった。


「……何を歌ってるの、いきなり」
「急に歌いたくなった! 頑張らなきゃいけないときの『月月火水木金金』、最高!」
「あはは、そっかぁ」

 息巻いて答える戦刃むくろの勢いに、佐天は軽く笑ってしまう。


「で、あなたは江ノ島盾子のお姉さんなの? 戦刃さん」


 それはそれとして、佐天涙子は全く誤魔化されてなどいなかった。
 むくろは硬直した。
 その硬直は、誰がどう見ても、肯定の表現に他ならなかった。


「……ねぇ、初春はどこ? あなたたちは初春をどこに掠ったの?」
「え、掠っ……!? なにそれ、それは知らない……! 知らないわ……!」
「戦刃さんは、あの女の、何なの? その名前は偽名?」


 佐天が立ち上がっていた。
 空気が乾燥してゆく。

 体が錆びてゆくような威圧感。
 月の海鳴りだ。

 月の海鳴りから響いてくる佐天涙子の声は、まるで骨を直接舐めて溶かすかのように真っ青な色を以て感じられた。

 むくろは思わず、自分の背に手を回していた。
 黒木智子から返され隠し持っていた銃を、手に取ろうとした。


「――そこに銃があるの? 火薬の臭いがするんだけど。線香花火ってわけでもないでしょ?」


 しかしその挙動は、佐天涙子の一声に差し止められていた。

 クン、クンクン。
 佐天が、小刻みにあたりの空気を鼻に吸い込んでいる。
 汗の一滴から、焦りの一呼吸から、むくろの感情さえ読み取っているかのような確信が、その声には含まれていた。

「あ……、う……」
「……無駄よ、あなたの抜き撃ちがどれだけ早いか知らないけれど。
 どうしてもってなら、受けて立つよ私は。負けるのは戦刃さんだから」

 左手は顔の前を守るように広げられ、右手は下から何かを掬い上げるような位置で構えられている。
 一体どんな攻撃が仕掛けられるのか、わからない。
 つい昨日までは無能力者で、つい昼前まではモノクマに指を折られる程度だった中学生の少女が醸し出していい威圧感ではない。
 そしてついさっきまで仲間だと言っていた少女が、垂れ流していい殺意でもない。

 殺される――。
 もしくは殺されるよりも酷い何かで、絶対に自白させられる――。

 超高校級の軍人である戦刃むくろをして、そう感じさせる恐ろしさが、その少女にはあった。


「知られるわけには、いかない――!」


 むくろは、勢いよくその拳銃を抜き放つ。
 そして発砲したのは、自分に向けてだった。


    ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


「『疲労破壊(ファティーグフェイラァ)』……」


 そして佐天涙子の挙動は、むくろの動きを先読みしていたかのように素早かった。
 佐天の手が、むくろのこめかみと銃口との間に割って入っている。
 その掌から微塵に砕けた銃弾が、サラサラと砂のようになって風に散る。

 自害しようとしていたむくろは、理解不能の恐怖に震えた。


「あ……、あ……!?」


 真っ青な、夜空に光る星の色が、佐天の手には灯っていた。
 そんなブルーの星をむくろの眼に焼き付け、佐天涙子は動けなくなった彼女の前に仁王立つ。
 そして彼女の腕が、振り上がった。


「バカなこと、してんじゃないわよ!」


 突風が巻き起こる。
 戦刃むくろの制服が巻き上がり、黒いスカートが風に大きくはためく。
 上着の裾は胸まで跳ね上がり、スカートのプリーツは弛緩しきって、その内奥に秘めていた彼女の下着を衆目に顕わとさせる。

 たっぷり3秒ほども風にたゆたっていたスカートが落ち始めるころ、ようやく戦刃むくろは状況に反応することができた。


「ひゃぁぁぁぁぁ――!?」


 羞恥心に赤面し、スカートを押え、彼女は席から滑り落ちて床にへたり込む。
 わけもわからぬまま心臓は動悸を打ち、混乱した頭からは全ての思考が吹き飛ぶ。
 それは思春期の少年少女に絶大な威力を発揮する佐天涙子の能力、『下着御手(スカートアッパー)』であった。


「黒のスポーツショーツ……? いやー、地味だねぇー」
「――な、な、何を!? 何をいきなり!?」

 むくろには、吟味されるかのように下されたコメントの意味も分からないし、この突然の事態の因果関係もわからない。
 顔を真っ赤にして困惑するむくろへ、佐天はどこぞの批評家のように勿体ぶった仕草で言葉を掛ける。


「機能的なのは良いけどー、やっぱりパンツから心の余裕を持った方がいいんじゃない? 戦刃さんは」
「う、うるさい! これは抗刃・抗弾繊維で編まれてるの!
 涙子さんにとやかく言われる筋合いない!」

 なぜ突然スカートをめくられた上に下着のチョイスにダメ出しをされなければならないのか。
 あまりに理不尽かつ破廉恥かつ意味不明なこの事態に、むくろは半泣きになりながら叫ぶことしかできない。

 そんなむくろの反応に、佐天はパンッと手を打ち合わせた。
 得意げなウィンクが、むくろに向けて投げられる。


「よし、バカな考えは吹っ飛んだね? どうよ?」
「あ……」


 そう言葉がかけられた瞬間、むくろは自分が拳銃を取り落としていたことに気づく。
 さっきまで頭の中を占めていた『自害』という考えは、とっくにどこかへ吹き飛んでしまっている。
 それが佐天涙子の狙いだったのだとむくろが気付けたのは、さらに暫く呆然としてからだった。


「パンツを見ると、落ち着くのよね……。
 ああ、日常に戻ってきたなぁ、って。天龍さんもそう思わない?」
「ごめん、その感覚はよくわからん」

 むくろの様子を見て満足げに頷きながら、佐天は天龍に同意を求めたが、あいにく天龍にはひくついた苦笑を零すのみだ。
 反応に困っている車内の全員に向け、佐天はそこで立ち上がり、堂々と主張する。


「めくるスカートがあること。スカートをめくる相手がいること。そしてパンツを履けること。
 これがどれだけ幸せなことかわからない?
 たった一枚の布だけれど、それだけで取り戻せる日常と感情が、私たちにはあるの。
 現にほら、空気はもう、こんなに和んでる」
「まぁ……、確かに」


 スカートとパンツを履いた女の子がいるという状況がなければ、スカートめくりなどできない。
 むさい男ばかりの戦場だったり、切羽詰まった危険な状況では、一体誰がスカートとパンツを履いていて、なおかつそれをまた誰かがめくろうという発想になるだろうか。

 スカートめくりとはつまり、平穏で幸福な学生生活の象徴とも言える行為なのだ。

 どんな非日常の辛い状況であっても、そこにめくれるスカートとパンツがありさえすれば、そこには日常を取り戻せる。
 乾いた心に、羞恥心という名ではあっても、ひとしずくの感情と潤いを取り戻せる。
 スカートめくりにかけた並々ならぬ佐天涙子の信念は、ある種の納得感を周囲にもたらすに足りていた。


「無理に聞き出すつもりはないわ。そんなことをしたらきっと、あのヒグマたちと、同じ……。
 一緒に戦ってもらえるなら、それだけで、十分すぎるくらい」

 異形と化してしまった大和という艦娘。
 異様な信念で殺戮に身を投じようとするかんこ連隊のヒグマたち。
 誰かの意向を無理矢理押しつけてしまえば、きっとそこには歪みが生じる。
 捻じ曲がり歪んでしまった、そんな者たちの轍を、もう佐天涙子は踏みたくなかった。

 だから佐天が抜き放つのは、人を殺すピストルではなく、スカートをめくる一陣の風だけだった。


「なんだよお前……、パンツマイスターかよ……」


 智子が呆れ半分、驚愕半分に、そんな呟きを口から零す。
 そんな職業や資格があるはずなどないのだが、どうしても佐天の挙動には、そうした一種の職人芸の凄まじさを感じずにはいられなかった。

 スカートめくりで作る、出会いと友情。

 言葉にする以前からろくでもない響きしか感じないが、こんな緊急事態では、これほど高速に初対面の相手との距離を縮められる方法はなかなか他にないだろう。
 互いの恥を一瞬で共有できる上に相手の素の感情を引き出せて、非道徳的でありながらギリギリお互いが女性であることで許せなくもない絶妙なラインのスキンシップ。
 特に佐天涙子の場合は、そこにすかさず的確なフォローとアフターケアを入れてくる点で隙がない。
 ここが素人の男子学生と、昇華された職人芸との違いなのだと言えよう。


「……これだけは、言える」


 スカートを押えたまま、俯いたむくろは語る。
 めくられて冷静になった頭で考えてみれば、江ノ島盾子からの使命を果たせておらず連絡もとれていない以上、むくろはこの場で死ぬわけにもいかないのだ。
 相手に無理強いをする気がないのなら、うまく核心から話題を逸らしつつ、生き延びる算段を考えなくてはならない。

 なぜだかはわからないが、彼女が江ノ島盾子の姉であり仲間であることは、黒木智子を始めこの場の全員に知られてしまっていたのだ。
 この一行に同行し、ヒグマを撃退しながら、なんとか江ノ島盾子の意向にも出来るだけ沿いたい以上、言えるだけの情報は言うべきだった。
 なにしろ、こういう時の情報共有の大切さは、彼女が一番よく分かっている。


「……あの子は、絶望を望んでる。あの子が人を殺すなら、必ずそれで絶望を感じられるようにする。
 あなたの知らないところでその友達が死んでも、あなたは絶望しないでしょう。
 ……だったら、まだ殺してない。あの子は希望を抱かせるだけ抱かせて、涙子さんを絶望に叩き落とすだろうから」

 声を聞かせて、泣き叫び助けを求める姿を見せ、そして佐天を走らせる。
 そして助けが来た感動に震える友を、希望を抱きに抱かせた目の前で惨殺する――。
 恐らくそれが、佐天を最も深い絶望の底に落とせる行為だろう。

(タイプは違うけど、この決して折れない感じ、苗木くんみたいだ。
 盾子ちゃんは、この涙子さんを相当危険視してるんだね。だから友達を掠うなんて布石を打ったんだ。
 わかるよ。たった一日たらずでこれだもの。この精神力も能力も、未だ恐ろしい成長性を秘めてる。
 この島の絶望を払う者がいるとしたら、それは恐らく、この涙子さんだ……)

 だからこそ江ノ島盾子は、佐天を完膚無きまでに叩き潰そうとするだろう。
 そうなっていない以上、佐天の友人が殺されていないことはほぼ確実だと思えた。
 そして恐らく、この場でのむくろの役目は、あの苗木誠たちに紛れていた時のような、スパイ行為になるのだろう。


「……ありがとう。十分だわ。きっとあなたがこう言ってくれることも、あの女の作戦なんでしょうけど。
 それならそれで、望むところよ」
「うん……」
「話は纏まったみてぇだな」


 むくろが黒幕のスパイであろうことを察していながら、佐天や天龍は彼女を受け入れた。
 それは決して、甘さや性善説から来たものではない。
 ここで諍いを起こすことより、遥かに重要なことが、ここには迫ってきている。


「改めて俺は軽巡洋艦、天龍型一番艦の天龍だ。俺たちは殺し合いを止め、命あるものを全て救う心構えでいる。
 さあ、協力しようぜ。元からお前らはしてたみてぇだけどよ。
 まずはお前たちが逃げてきたっていう、その強大なヒグマとやらをどうにかするところからだ」

 天龍たちが合流する以前から、この一行は参加者とヒグマと黒幕の一味という、信じられない組み合わせで行動してきているのだ。
 追ってきているというその強大なヒグマは、この相容れないはずの3勢力が協力しなければならないほどの相手であったことは、今までの話からも想像に難くない。
 黒幕である江ノ島盾子の差し金でも、ヒグマ帝国の者でもない全くのイレギュラーでそれというのは、あまりにも危険に感じられた。

 天龍から振られた議題を、むくろが智子に振る。
 黒木智子は、あの崖の戦いで、唯一その敵性存在の正体を認知していた者だった。


「智子さんは、あのヒグマの正体を察していたんだよね?」
「……ああ。あいつは、吸血鬼アーカードだ。ロビンと同じイギリス出身であの言動……。
 本にも載ってるんだ。間違いない……!」
「吸血鬼?」

 佐天は智子から出た、この場に似つかわしくない単語に首を傾げる。


「ああ、吸血鬼の真祖、ノーライフ・キング……、よ、呼び方はなんだっていい。
 と、とにかくあいつには、姿形など無意味だ。私の知ってる限りで、あいつには342万4867の命がある……。
 生も死も全てペテンのあいつを殺せる訳ない……」
「……それヒグマなの? ヒグマじゃないわよね……?」

 智子は、言いながら自分の言葉の恐ろしさに身を震わせた。
 『HELLSING』という書物に描かれているアーカードの暴虐は非常にえげつなく、映像媒体で見ればその恐怖は更に増加する。
 なおかつ智子は、その実物を目の前で見て、親しい者を殺されてしまったのだ。
 それはある意味、言峰神父の言っていたように、外宇宙かどこかの神を目の当たりにしてしまった状態に近い。

 佐天の疑問を聞きながら、我ながらよく狂気に陥らずに済んでいたな、と、智子は自分の精神防御力に感心した。


「……ああ、あいつはただ遊びでヒグマの格好をしてるだけだ。
 赤黒くて、目も脚もとっちらかった異形の……。そもそも毛が全部血管なんだ。もうヒグマに似せる気があるのか無いのかもわからねぇ……」


 ロビンの死体を抱き寄せ、智子は浅い息で必死に言葉を絞る。
 描写されてゆくそのヒグマを思い浮かべて、天龍と佐天はハッとした。
 それは今日、彼女たちも見たあるヒグマの姿に、酷似していた。

「それは……! まさか……! あの赤黒いヒグマ!?」
「天龍さんも心当たりがあるの!?」


 驚きと共に、天龍と佐天は顔を見合わせる。
 お互いにとって、それはあまりにも予想外のことだった。


「ああ……、あれはまだ夜中だった。
 あいつは突然現れて俺たちに襲いかかり、俺にこの球を託したカツラって奴を引きちぎり、殺した……。俺は逃げることしかできなかった。
 だがその後現れた、天をつくような馬鹿でかいヒグマ……、お前たちも見ただろ?
 あいつはあのヒグマにバラバラにされて吹き飛んだんだ。死んだとばかり思ってた……」
「……私も。あれは午前中、津波に紛れてやってきて、ウィルソンさんを水中に引きずり込んで食べようとしてた。
 私は初春や北岡さん、皇さんと一緒に、あれを『W(ダブル)第四波動』で焼き尽くした。殺した、はずだった……」

 智子の話を受けて、二人の中で全ての話が繋がった。
 彼女たちが見たヒグマードの死は、数百万ある彼の命が、一つ減った場面に過ぎなかった。
 佐天は自分の両手を見つめて、震えた。


「そん、な……。あの時、私はこの手で、トドメを刺したはずなのに……」


 両手の指の間に見える先には、黒木智子が、クリストファー・ロビンの死を抱えている。
 佐天が先程、偉そうに上から説教を垂れた、死だ。
 何のことはない。
 クリストファー・ロビンの死は、佐天がその吸血ヒグマを仕留め損なわなければ、有り得なかったことなのだ。

 骨折が治った右手の人差し指と中指は、鱗のように皮膚がざらつき、変形している。
 それが彼女には、中途半端に人と獣の間を揺れ動いた結果の、醜い罰の一部に見えていた。


 ――あいつは、清算しきれなかった、私の罪の一部……。
 あいつは、死んでたはず。殺したはず。
 私があの海鳴りの上で殺し切っていれば、黒木さんの恋人は死んでいなかったはずだ。
 彼女にこんな悲しい思いをさせたのは、私の責任だ。

 ――ああ、なんて未熟なんだ、バケモノになり切れない無力な小娘の私は!!


「私は――、責任を取る! 罪を、償うわ……!!」


 佐天は、頭を抱える代わりに、慟哭した。
 天龍が真隣で、びくりと身を竦ませる。


「どうする気だよ!? あいつには数百万もの命があるってんだぞ!?」
「簡単な話よ……。百万なら百万、一千万なら一千万、甦る端から殺してやる……!!
 ……ええ、殺してやる。絶対に殺してやるわ……!!」


 億兆京那由他阿僧祇の月が佐天に回る。
 ブルーの星と夏至の日を両手に握り込んで、佐天は今一度、自分の踏み越えてきた道の岐路に慟哭する。
 月の日没から、二度も呼んだあの道は、何のためにあったのか。
 今、佐天の目には、何が見えているのか。

 忘るるなかれ。今ここには、共に行ける友がいる。


【F―2 枯れた森 夕方】


【佐天涙子@とある科学の超電磁砲】
状態:深仙脈疾走受領、アニラの脳漿を目に受けている、右手示指・中指が変形し激しい鱗屑が生じている、衣服がボロボロ
装備:raveとBraveのガブリカリバー
道具:百貨店のデイパック(『行動方針メモ』、基本支給品、発煙筒×1本、携帯食糧、ペットボトル飲料(500ml)×3本、缶詰・僅かな生鮮食品、簡易工具セット、メモ帳、ボールペン)、アニラのデイパック(アニラの遺体)、カツラのデイパック(ウィルソンの遺体)
[思考・状況]
基本思考:対ヒグマ、会場から脱出する
0:殺す、殺してやる……。あの死を。私の罪を……!
1:人を殺してしまった罪、自分の歪みを償うためにも、生きて初春を守り、人々を助けたい。のに……。
2:もらい物の能力じゃなくて、きちんと自分自身の能力として『第四波動』を身に着ける。
3:その一環として自分の能力の名前を考える。
4:『下着御手(スカートアッパー)』……。
5:本当の独覚だったのは、私……?
6:ごめんなさい皇さん、ごめんなさいウィルソンさん、ごめんなさい北岡さん、ごめんなさい黒木さん……。ごめんなさい……。
[備考]
※第四波動とかアルターとか取得しました。
※左天のガントレットをアルターとして再々構成する技術が掴めていないため、自分に吸収できる熱量上限が低下しています。
※異空間にエカテリーナ2世号改の上半身と左天@NEEDLESSが放置されています。
※初春と協力することで、本家・左天なみの第四波動を撃つことができるようになりました。
※熱量を収束させることで、僅かな熱でも炎を起こせるようになりました。
※波紋が練れるようになってしまいました。
※あらゆる素材を一瞬で疲労破壊させるコツを、覚えてしまいました。
※アニラのファンデルワールス力による走法を、模倣できるようになりました。
※“辰”の独覚兵アニラの脳漿などが体内に入り、独覚ウイルスに感染しました。
※殺意を帯びた波紋は非常に高い周波数を有し、蒼黒く発光しながらあらゆる物体の結合を破壊してしまいます。
※高速で熱量の発散方向を変えることで、現状でも本家なみの広範囲冷却を可能としました。
※ヒグマードの血文字の刻まれたガブリカリバーに、なにかアーカードの特性が加わったのかは、後続の方にお任せします。


【天龍@艦隊これくしょん】
状態:小破、キラキラ、左眼から頬にかけて焼けた切創
装備:日本刀型固定兵装、投擲ボウイナイフ『クッカバラ』、61cm四連装魚雷、島風の強化型艦本式缶、13号対空電探
道具:基本支給品×2、ポイントアップ、ピーピーリカバー、マスターボール(サーファーヒグマ入り)@ポケットモンスターSPECIAL、サーフボード、島風のデイパック(島風の遺体)
基本思考:殺し合いを止め、命あるもの全てを救う。
0:落ち着けよ涙子……? 戦いを挑むにしても、無茶だけは絶対にするな……!
1:扶桑、お前たちも難儀してたみてぇだな……。
2:迅速に那珂や龍田、他の艦娘と合流し人を集める。
3:金剛、後は任せてくれ。俺が、旗艦になる。
4:ごめんな……銀……、島風、大和、天津風、北岡……。
5:あのヒグマたちには、一体、何があったんだ……。
[備考]
※艦娘なので地上だとさすがに機動力は落ちてるかも
※ヒグマードは死んだと思っています
※ヒグマ製ではないため、ヒグマ製強化型艦本式缶の性能を使いこなしきれてはいません。


【黒木智子@私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!】
状態:血塗れ、ネクタイで上げたポニーテール、膝に擦り傷
装備:令呪(残り2画/ウェイバー、綺礼から委託)、製材工場のツナギ
道具:基本支給品、制服の上着、パンツとスカート(タオルに挟んである)、グリズリーマザーのカード@遊戯王、レインボーロックス・オリジナルサウンドトラック@マイリトルポニー、ロビンのデイパック(手榴弾×1、砲丸、野球ボール×1、石ころ×69@モンスターハンター、基本支給品×2、ベア・クロー@キン肉マン )、ロビンの遺体
[思考・状況]
基本思考:モテないし、生きる
0:ロビン……、お前を、私はどうすればいい……?
1:グリズリーマザーと共に戦い、モテない私から成長する。
2:グリズリーマザー、ヤスミンに同行。
3:アーカードは……、あんな攻撃じゃ、死なない……。
4:超高校級の絶望……、一体、何ジュンコなんだ……。
5:即堕ちナチュラルボーンくっ殺とか……、本当にいるんだなそういう残念な奴……。
6:お前もだいぶ精神にキてないか? 素敵なパンツマイスターさんよ……。
※魔術回路が開きました。
※グリズリーマザーのマスターです。


【穴持たず696】
状態:左腕切断(処置済み)、波紋注入
装備:コルトM1911拳銃(残弾3/8)
道具:超小型通信機
基本思考:盾子ちゃんの為に動く。
0:あのヒグマを百万回以上殺すとか、正気……!?
1:こんな苗木くんみたいに強くて優しい涙子さんと仲間になれたなんて……。
2:智子さんは、すごく良い友達なんだから……! 絶対に守ってあげる……!
3:言峰さんとロビンくんの殉職は、無駄にしてはいけない……!
4:良かった……。扶桑は奮起してくれた!
5:盾子ちゃんのことは絶対に話さないわ!
6:盾子ちゃん……。もしかして私は、盾子ちゃんを裏切ったりした方が盾子ちゃんの為になる?
※戦刃むくろ@ダンガンロンパを模した穴持たずです。あくまで模倣であり、本人ではありません。
※超高校級の軍人としての能力を全て持っています。


【扶桑改(ヒグマ帝国医療班式)@艦隊これくしょん】
状態:ところどころに包帯巻き、キラキラ、出血(小)
装備:鉄フライパン
道具:なし
基本思考:『絶望』。
0:天龍さん、一体何があなたを、こんなに強くさせたんですか?
1:この、電信を返して下さった方は……?
2:ああ、何か……、絶望から浮上してくるのって、気持ちいいですね……!
3:他の艦むすと出会ったら絶望させる。
4:絶望したら、引き上げてあげる。


【グリズリーマザー@遊戯王】
状態:健康
装備:『灰熊飯店』
道具:『活締めする母の爪』、『閼伽を募る我が死』、穴持たず82の糖蜜(中身約2/3)
[思考・状況]
基本思考:旦那(灰色熊)や田所さんとの生活と、マスター(黒木智子)の事を守る
0:またあのヒグマが襲い来るとか冗談じゃないよ……!
1:マスター! アタシはあんたを守り抜いてみせるよ!
2:あの帝国のみんなの乱れようじゃ、旦那やシーナーさんとも協力しなきゃまずいかねぇ……。
3:とりあえずは地上に残ってる人やヒグマを探すことになるかしら。
4:むくろちゃんも扶桑ちゃんも難儀だねぇ……。
5:実の姉を捨て駒にするとか、黒幕の子はどんだけ性格が歪んでるんだい……?
[備考]
※黒木智子の召喚により現界したキャスタークラスのサーヴァントです。
※宝具『灰熊飯店(グリズリー・ファンディエン)』
 ランク:B 種別:結界宝具 レンジ:4~20 最大捕捉:200人
 グリズリーマザーの作成した魔術工房でもある、小型バスとして設えられた屋台。調理環境と最低限の食材を整えている。
 移動力もあり、“テラス”としてその店の領域を外部に拡大することもできる。
 料理に魔術効果を付加することや、調理時に発生する香気などで拠点防衛・士気上昇を行なうことが可能。
※宝具『活締めする母の爪(キリング・フレッシュ・フレッシュリィ)』
 ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:1~2 最大捕捉:1~2人
 爪による攻撃が対象に傷を与えた場合、与えた損傷の大きさに関わらず、対象を即死させる呪い。
 対象はグリズリーマザーが認識できるものであれば、生物に限らず、機械や概念にまで拡大される。
※宝具『閼伽を募る我が死(アクア・リクルート)』
 ランク:B+ 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人
 自身が攻撃を受けて死亡した場合、マスターが令呪一画を消費することで、自身を即座に再召喚できる。
 または、自身が攻撃を受けて死亡した場合、マスターが令呪一画を消費することで、Bランク以下の水属性のサーヴァント1体を即座に召喚できる。


【穴持たず84(ヤスミン)@ヒグマ帝国】
状態:健康
装備:ヒグマ体毛包帯(10m×8巻)
道具:乾燥ミズゴケ、サージカルテープ、カラーテープ、ヒグマのカットグット縫合糸、ヒグマッキー(穴持たずドリーマー・残り1/3)、基本支給品×3(浅倉威夢原のぞみ呉キリカ)、35.6cm連装砲
[思考・状況]
基本思考:ヒグマ帝国と同胞の安寧のため傷病者を治療し、危険分子がいれば排除する。
0:全員を生還させる手立てを考えなければ……。
1:帝国の臣民を煽動する『盾子』なる者の正体を突き止めなければ……。
2:エビデンスに基づいた戦略を立てなければ……。
3:シーナーさん、帝国の皆さん、どうかご無事で……。
4:ヒグマも人間も、無能な者は無能なのですし、有能な者は有能なのです。信賞必罰。
※『自分の骨格を変形させる能力』を持ち、人間の女性とほとんど同じ体型となっています。

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最終更新:2016年10月09日 22:41