8:30起床。天候は曇りだが、午前中には晴れ、気温は27℃程になるようだ。今日はまずアトリエでデッサンをして、その後、自宅で荷造りの最終チェックを行い、成田へ向かう。
自転車でアトリエへ向かう。旅行に行くと暫くこの日常風景を見られなくなるという論理が、視線を周りの景色へと向かわせようとするが、出発を実感させるだけの想像力がないため、じっくりと眺めるに足りる集中力が湧かない。唯一、晩夏のカラッとした暑さの中、死を予感しているような蝉の足掻き声だけが頭に残った。戻ってくる頃にはきっと既に秋である。
デッサンは、小学校などで給食に使われる、
アルミの大バケツを描いた。今回で3回目である。全体の調子を整えながら、細部に手を入れ始めた。本作の一番のポイントは、バケツと蓋の間にある空間をしっかりと描くことだと思う。手を差し込めるように描けたら魅力的だと思う。それから、アルミの冷たい、軽々とした質感、しかし膨大なボリュームを、絵を見た人がピンと来るように描くこと。
ティータイムは、先生、梶原君、林さんと四方山話をした。ヨーロッパの人は傘をあまり差さないという話題があり、もしかしたら気候と関係があるかもしれないと思った。つまり、日本においては、夏には台風が発生し、また年間を通じて激しい雨が降るために、傘は必要となるが、ヨーロッパのように乾燥しており、驟雨があまり発生せず、また
イギリスのように雨というよりは霧や小雨が頻繁に発生するような気候では、傘が無くてもそれほど困らないという背景があるのかもしれない。また、話しついでだが、よくイギリスの飯は不味いと言われることも、もしかしたら気候の影響があるかもしれない。例えば、イギリスは曇天が多いということから、育てることができる作物が乏しいのかもしれない。
また、ヨーロッパには、人物像が街中至るところにあるという話題があった。思い返してみると、日本ではあまり人物像を見た記憶が無い。京都だと、蹴上げにある田辺朔郎、三条の土下座像、東京だと上野公園の西郷隆盛、野口英世等が思い当たるが、明治より前の時代となると仏像くらいしか思いつかない。なぜだろう。
13時にアトリエをおいとました。荷造りを終え、皿洗いを完済して、ガス栓を確実に閉めて、いよいよ出発である。今回の旅行から新しく詰めたのが、マウンテンパーカーと、マンハッタンポルテージの肩掛け鞄で、どちらも折り畳むとかなりコンパクトになるのが良い。それから、今回はガイドブックは(ドイツ、オーストリア、ウィーンの三ヶ国分になるため)嵩張るので持って行かず、地図のページなど、最低限必要な箇所のコピーで済まることにした。感動的な軽さである。このため、荷物の滞積は今までで一番少ないかもしれない。25リットルのザックに1/4ほどの隙間があった。
今回の旅行はドイツ、チェコ、オーストリアである。当該国に決めるに至った経緯を書き留めておく。これには大きく2つある:
①後進国を見てきた反動
私が日本にいて感じることは、サービス過多であること、そして雑多な物が多いこと。様々な分野で生産と消費に尽力した結果、お客様に優しく、欲しいものは何でも手に入り、全国どこでも均質なサービスが受けられる、とても便利な世の中になった。その一方で、人々の中には生産・消費のやるせなさや、生きる意味を見出し辛いと感じている者もいる。これだけ物質的に恵まれながら、絶望して命を絶つ人もいる。幸せとは単純に物質的な豊かさには因らないのだ。
そこで、今までの私の興味は後進国にあり、タイ、
ベトナム、
インド、台湾と旅行をしたが、そこでは日本よりも貧窮した生活を送りつつも、人々は笑顔と生命力に溢れているようであり、ますます不思議になった。
さて、これらの「何も無い国々」の対極にあるのが、ヨーロッパ、エジプト、中国等、歴史の深い国々だが、これらの国と日本との違いは何か?それが気になりだした。そうして、今春頃には中国、
イタリア、トルコ等が旅行先の候補だった。
②ドイツ・オーストリアの文化に惹かれて
アトリエの近くに“ヘンゼルとグレーテル”というカフェーが開店した。建物の規模は通常の一戸建てと同程度だが、内装が凝っていることは勿論のこと、洋風の外観と、門から扉までの間に、小さいが落ち着いた庭があり、色とりどりの季節の植物がきちんと手入れをされて植えられている。それが住宅街に突然あるのだから、開店前から興味津々であった。
お店は女主人と、その娘さんで経営しているが、利益はあまり見込んでいない。女主人は浮世離れした人である。ドイツとオーストリアで暮らしていたことがあり、そこの文化に感銘を受け、日本に持っている敷地にドイツとオーストリアの生活文化館を完成させた。このプロジェクトの間に癌との闘病生活もあったが、強念願を達成された強い意識を持った方である。
最終更新:2014年11月02日 00:44