CE_day9

ウィーン ~ Vienna ~ 2日目

9時起床。シャワーを浴び、準備をし、10時出発。今日は月曜日。オーストリアでは殆どの店が月休業するらしいと、昨晩Mさんに教えてもらったのだが、なるほど確かに店は閉まっており、大通りも閑散としていた。開いているスーパーがあったので、スーパーで丸生地のサンドイッチを買い、公園で食べた。

10時半オペラ座着。当日券は、朝の9時~12時に、向かいのチケットセンターで買うことができる。しかし、ブースで尋ねると、最低でも100ユーロのチケットしかないことが分かった。これではとても高くて買えない。立見席はないのか聞くと「開演の一時間二十分前から販売になり、オペラ座一階で買うことができる」と親切なおばさんの店員が教えてくれた。そこで、今日はまずNaschmarktを散歩し、Belvedereを観て、それからチケット争奪戦に臨むことにした。

Naschmarktは、オペラ座からLinke Wienzeil通りを10分ほど下ったところにある。直訳すると「食いしん坊市場」。二つの通りに挟まれる形で広場が1kmほど続いていて、そこに小屋のような、簡易的な背の低い店が連なっている。ところが今日は日曜日。ほぼ全ての店舗が休業であった。大変残念だった。Naschmarktのメインストリートを、様々なお店を眺めながら歩いてオペラ座まで引き返した。

Belvedereへ向かう。乗馬した銅像があるシュヴァイツェンベルグ広場を通り、噴水前を通り、下宮から庭に入った。下宮から庭園を散策しつつ上宮へとやってきた。まず、宮殿内のカフェでお昼ご飯の代わりにメランジェを飲んだ。カフェは入り口から左手に折れて進む。途中に昨日は気付かなかった部屋を見つけた。そこにあったJoseph Dobrouskyがとてもよかった。簡素で粗く、精密ではないが、そこに思いがひしひしと伝わってくるような感じがした。簡単かつピンポイントに表現しているのは巨匠の技だと思った。

折角なので15ユーロで図録を買った。それぞれの時代の絵画の特徴を比較しながら見て周りたいと思ったからだ。
  • 中世
  • バロック
  • 古典主義
  • ロマン主義
  • 印象派
  • ウィーン世紀末

16時半。オペラ座へ向かう。通路には既に立見席のチケットを入手しようとする人の行列ができていた。僕の前はスーツを着た紳士であり、常連に見えたので、「オペラの立ち見はよくされるんですか?」と聞いた。「そうさ、立ち見はよくするよ。立ち見はブース席と違って安いし、それで結構良い席なんだ。なぜって、音楽は良く聞こえるし、舞台も見渡せるからね。」
おじさんは色々と教えてくれた:
  • 立見席は最後列が特に音響、視認性がよいこと
  • これくらいの行列は普通であり、最後列の真正面の席が確保できるだろうこと
  • チケットを買ってから開演まで40分あるので、外でお茶をする人が多いこと
  • その際、席の手すりにスカーフを結び、自分の場所だというサインにすること
そう言いながら、おじさんはハンカチを見せてひらひらと動かした。

さあ弱った。今日は身軽な格好で来たので、ハンカチ代わりに使えるものなど何も持っていなかったからだ…。開園まで居座わろうとも考えたが、オペラの4時間を思うと何か食べておきたかった。ごそごそと鞄を漁ると、ポケットティッシュがあったので、それを丁寧に破き紐にして、手すりに結び付けた。

お粗末ながら一仕事終えて、ホールを出ようとすると、係員に呼び止められた。「自分の場所の目印はつけたのか?」。僕は手すりに結びつけたティッシュを見せ、「ちゃんと付けた」と言った。すると、「これではサインにならない」と言って、係員は持っていたパンフレットをビロビロと広げ、手すりに被せた。「これで大丈夫だ」と彼は言った。多分、僕がティッシュを結び付けているのを見ていて、親切でやってくれたのだろう。大変ありがたかった。

オペラ座前のSUBWAYで腹ごなし。そしてオペラが始まった。演目はドン・カルロ。主人公のカルロよりも、友人のロドリーゴの方が活躍しており、歌の見せ場も多いし、目立っていた。

手前にオーケストラがいて、奥に幕があり、その内側は遠近が出るようにすぼまった舞台となっている。左右、奥の床が自在に上下し、傾斜を作り出し、様々な効果を出す。

オペラで驚いたのが、観客のマナー。一切雑音をたててはいけないのは勿論だが、誰かが携帯の電源を切り忘れ、ときたま着信音が鳴ると、ホールの観客全員からブーイングが湧き上がる。チッという舌打ちが鳴り響く。

オペラは終わった。最後に役者が舞台に並び、皆で手を繋ぎ挨拶をした。それにしても、4時間の長さにも関わらず、全く飽きずにみ続けられた。足は相当疲れたが…。チケット売り場の行列で一緒だった紳士は、何も疲れた様子を見せなかった。

さて、ウィーンの夜もこれが最後だ。Demelに行くも休業していたので、適当なカフェでチーズトルテとダブルエスプレッソを飲食しながら、先生宛のポストカードを仕上げた。

ホステルに戻る。ドイツ人の院生が起きていたので、文化や歴史について話した。グローバル化が進むにつれて、文化が混ざり合い、均一化されてきている。しかし、まだ旅に出てみないと分からないこともたくさんある。例えば食事。その男は、中国へ行ったときに食べた料理を食べたが、それがドイツで食べられている中華料理と大きく違っていたと言っていた。僕もまた、この旅行でパンの美味しさを初めて感じたことを話した。ドイツの中華料理も、日本のパンも、少なからずその地域に住む人の好みに合わせた味へと改変させられているし、また材料も全く同じというわけにはいかないので、こういうことが起こるのだと考えられる。

しかし、もしかしたら200年後には、全世界の文化が全く混じってしまって、均一になっているかもしれない。これは想像すると、悲しくもあり、また面白くもある。

それから、その男にウィーン市街が見渡せる丘への行き方を教えてもらった。明日は昼の便で発つが、早起きして行ってみようと思う。

このホステルに来たときには、僕とアンドレアだけだったのが、日が経つにつれて賑やかになってきた。ドイツの院生、ブダペストから来た少年、そして今夜は僕のベッドの上で大鼾で寝ている男が増えた。また、カザフスタン出身で、ローマからヴェネチアを経由してウィーンまで、友人と一緒に運転で来た男が増えた。
最終更新:2015年09月13日 14:05