ベルリン → ドレスデン → プラハ
5:15起床。支度を済ませ、半チェックアウト。Haupt bhanhofへ向かう。今日はPragueへ向かう。その途中Dresdenに寄る予定だ。
Heckescher Marketまで歩く途中でまた切符売りの男に捕まった。体を捕まれてプラットホームにまでしつこく付いてきた。仕方なく2ユーロでチケットを買った。今度は買う前にチケットをよく調べたが、前回のように押されたスタンプを削り取った跡は見られなかった。どうやら新品のようであった。
駅への途中で、列車の中で食べる用のサンドウィッチを買っておいたのだが、さっきの切符売りの男と揉み合っている間にすっかり潰れてしまっていた。なので、Haupt bhanhofへ到着してすぐ食べてしまった。一口食べて、感激!美味しすぎる。パンでこれだけ感動したことがあっただろうかと考えた。朝の駅は割と賑やかである。列車内で食べる用のパンを買いなおして列車に乗った。
列車から見えたのは広大な平野だ。関東平野ですら遠くに山々が見えるのに、ここははるか遠くまで平らである。一面の麦畑があったり、畜舎があったり、そこの動物たちによって定期的に食べられているだろう背の低い牧草地が広がっていたりする。また、所々に木々が密集していたり、並木道の等間隔に並んだ木々が見える。木々はかなり規則的な形をしており、垂直に伸びた幹に、葉が球状に茂っている。かなり背の高い木でもそうである。森のように密生している所でも、背の低い草や蔦が生えておらず、地面は土か、または雑草が疎らに生えている。とても歩きやすそうだ。
日本の森林(神社にあるような)のように、分け入るのが憚られるような、鬱々とした雰囲気は無く、木々が人間の支配下にあるような印象である。または、鉱物と同じような、静的で規則的なものであるように思われた。日本ではたちまち雑草に埋め尽くされてしまうだろうから、湿気の無さ等の気候が与える影響はとてつもないものがあると思った。
9時ドレスデン着。ドレスデンは古都のイメージだったが、想像していたよりも都会でまた現代的だった。駅前から旧市街までは1kmほど離れており、色々の最先端の店や複合施設が建ち並び、その外側をマンションが囲むように建っている。
旧市街へやってきた。Scholoss PlatzからCathedrak、Schlossを眺める。おくにはSemperoperが見える。後ろ手に流れるElbe川に橋が架かっている。雄大な景色だ。まさに、中世と聞いてイメージする町並みだ。何百年も前から、壮大な石造りの建造物があったのかと考えると途方もない。
エルベ川を渡ってさらに進む。メインストリートから一本それたKonig Straseは近代の西洋風のアパートが立ち並んでおり、また道脇には樹など無く、部屋同士がピッタリくっついていて、道も石敷きだから、まるで石の箱の中に入ったように感じる。上には青空が覗いている。アパートは、それぞれ異なった色をしていて、割と種類が多そうであるが、それでも不思議と統一感を感じた。それはの理由は、建築様式が似通っており、一階部分の扉や窓は上辺が半円形、二階以上は長方形であることかもしれない。また、どの建物もせいぜい2、3色を組み合わせており、シンプルで規則的な塗装法であることかもしれない。また、アパート同士が連結していることにより、隣との連続性を感じることかもしれない。
Japanishes Palaisに入った。名前から日本と関係があるのではと思ったが、展示はまるで関係が無かった。ロの字の構造になっており、中央が中庭になっている。中庭は静かで、水槽に注がれる水音が聞こえるだけである。柱には、二階を支える人物像が彫ってある。この像ををよく見ると、顔は大粒で、目は釣り上がり、髭は左右と下に生えている。チンギスハーンを連想させた。やはりアジアと関係がある所なのかもしれない。
二階はシリア周辺の展示をしていた。ペルシャ絨毯や、トルコのハンカチ等があった。中でも、ダマスカスの部屋の一部の移築があり、刺激的だった。四方の壁は窓や戸棚になっていて、それらが柱を境にして配置されている。戸棚、窓の無い面はない。この窓や戸棚の形は、上辺が雲形に、ふくよかなカーブを描いており、ロマネスク建築の屋根のようだった。
それから、驚いたことは、壁一面が花の模様で埋め尽くされていること。同じ絵柄が延々と続いている。天井にも、花や蔓の木彫りが施されている。それでは床はどうかというと、目が眩むような、細かい模様の、鮮やかな色の絨毯が敷き詰められている。室内の全てが草花で埋め尽くされている!この様子は、耳無し芳一の体中に書き込まれたお経のようで、狂気を感じる。シリアという、草花に縁遠そうな場所という点が、余計に狂気を増幅した。
Markt Hallでパンを買い、メインストリートのベンチで食べる。バケットのサンドイッチ、サラダ、ソーセージを買ったが、中でもバケットには生肉と玉ねぎが挟んであり、肉は塩、胡椒、スパイスで味付けられていた。大変美味しかった。隣のベンチではお爺さんが鼻歌を歌っている。ノスタルジーを感じさせる曲だった。一時間もベンチで地図を眺めたり、考え事をしながら、歌を楽しんだ。休日かと思うほど街はとてもゆったりとしている。
再びエルベを渡り、Schloss Platz周辺を散策する。Augustus straseの壁画を眺め、Fravenkirche教会でパイプオルガンを聴いた。ここら一帯が昔の姿(戦火で破壊され再建されたものもあるが)であり、建物は洗練され、どっしりとしていて、また装飾や彫像は精緻である。このような優れた作品を前にして、僕がどんなに努力しても達することのできない領域だと感じて、自分が人類にとって何もプラスにならない存在だと自己嫌悪した。
それからオペラ座広場、ツウィンガーと散策し、News Marketにやってきた。広場に屋台がたくさん出ていて、日用雑貨から、野菜、ソーセージ、バケット、革製品、花、土産物、…、となんでも揃っていそうだった。日本との違いを最も感じたのが屋台の装飾だ。例えば花屋であれば、店の屋根が綺麗に花で飾られている。また、模型を配してジオラマのようにしている店も有った。日本の縁日の、ケバケバしい外観とは大違いだ。発電機のうるさい音も聞こえない。列車の中で食べる鮭のバケットサンドウィッチを買った。
ドレスデン駅に戻ってきた。タオルをベルリンの宿に忘れてきたことに気付いたので、売店で買った。レジで僕の二人前の韓国人のカップルが、カード払いをしようとしてできず、列が進まず苛立つ。僕の前の地元のおばさんが手助けをしてくれて、漸く原因が分かり、皆で笑いあった。僕は列車が5分後に出てしまうので、作った笑顔が引きつった。皆とてもゆったりと構えていると感じた。
列車では、アメリカからやってきたという中年夫婦と同室だった。夫婦もプラハに行くという。プラハの街や旅程について話し合った。列車に乗ってすぐに豪雨。チェコの国境は険峻な山々が聳えている。ドレスデンに来るまでの平野とはよほど様子が異なっており、急な雨天も山の影響かと思った。山の山頂に城が建っているのが見えた。
列車はプラハに着いた。中年夫婦と一緒に下車する。しかし何かがおかしい。殺風景である。どうやら一つ手前の駅で降りてしまったらしい。サヨナラをしたばかりの夫婦と合流し、地下鉄に乗ってプラハまで行くことにした。夫婦も勝手が分からないので、言葉の通じる現地の女学生を捕まえて、プラハまで一緒に行くことになった。僕はまだチェコの通貨は持っておらず、両替も閉まっていたのでどうしようかと思ったが、夫婦が僕の分の切符を買ってくれた。ユーロでお返しをしようとしたら、ありえないという顔で断られた。「私たちが、『プラハに着いたから降りましょう』と言ったのが原因だったんですから」と言う。なんて親切だと思った。
そして無事にプラハに着いた。先ほどの殺風景とは全然異なる。とても賑やかだ。両替をして、宿は旧市街広場の近くで直ぐに見つかった。プラハの夜は、燃える火のような、黄色い光に輝いている。そして空は群青色。カロル橋まで散歩をして、帰り道に缶ビールを勝って旧市街広場で飲んだ。なんて素敵な夜だろうと思った。
最終更新:2015年09月14日 00:56