ちょっと東方関連で。
日本の歴史4:征夷大将軍坂上田村麻呂の章より
第一次蝦夷攻伐で徴発された「香取・鹿島の奴」について。
本文47ページ「政府は討伐軍の主力となるべき大兵力を ~ 弓馬にたえる裕福な農民であった」
<香取・鹿島神宮>祭神:経津主神・武甕槌神
要石について、及びその祭神は言うまでもない。
鹿島神宮は藤原家の氏神の源流になっており、春日大社の鹿は元々鹿島神宮から連れてこられたものだ。
これに連なり、諏訪大社の鹿食免は、藤原家を呪うためのものであったという説がある。
また日本の歴史4巻によると、彼ら「香取・鹿島の奴」というのは捕虜としてつれてきた蝦夷の後裔らしいという説が挙がっている。
<大甕倭文神社(茨城県日立市大甕)>祭神:建葉槌命
『日本書紀』神代下にあるいはいう。経津主神・武甕槌神の二神は邪神や草木・石に至るまで皆平げられた。従わないのは、星の神香香背男だけとなった。そこで建葉槌命を遣わして服させた。
『日本書紀』神代下の一書に「天神が経津主神・武甕槌神を遣わされて、葦原中国を平定させられた。ときに二柱の神がいわれるのに。「天に悪い神がいます。名を天津甕星といいます。またの名は天香香背男です。どうかまずこの神を除いて、それから降って、葦原中国を平げさせて頂きたい」と。このとき甕星を征する斎主をする主を斎の大人といった。この神はいま東国の 取(香取)の地においでになる。」とある。
天津甕星の荒魂を封じ込めた宿魂石の上に建葉槌神を祀る奥宮が鎮座しているのが当社。
東方三月精2巻登場、明けの明星「天香香背男命」別名天津甕星命
彼は経津主神・武甕槌神(朝廷)により差し向けられた建葉槌命(あめはづちのみこと)により滅ぼされ、建葉槌命も同時に朝廷により現在の大甕山に封じられた。これが大甕倭文神社である。
「案山子」というものがあるが、これは物言わぬ神にされたミシャグジの一種であり、「香香背男」から来ているという説がある。
忘れないうちに書きとめておきます。後で纏め直します。
(NINN)
最終更新:2009年11月03日 02:04