【ロコふるーちぇ(三戦暦006年~?)】☆乱世の覇者☆
一介の詩人から戦国の覇者にまで上り詰めた英傑。
「ロコ」は詩人時代の芸名であり、「ふるーちぇ」が本名と言われているが
異説もある。
■書生時代■
生まれは中流豪族で論語、孟子などを学んでいたが、彼の感性とは相容れず
やがて独学でラテン語を習得し洋書を読みふけるようになる。 この時期、
ロコふるはロマン主義的な文学に傾倒していた。やがてその影響を受けて
詩人を志すようになる。
■学徒への仕官■
当時、新時代の英傑として頭角を現しつつあった学徒出陣の前で詩を披露した
ことがきっかけとなり両者の交流が始まった。
学徒はロコふるの教養に心酔し臣下に迎えようとしたが、ロコふるに出世への
野心は乏しくこれを断り続けた。
しかし学徒出陣みずから6回も陳留にいたロコふるを訪ね、この情熱に心を打たれた
ロコふるは学徒へ仕えることとなった。
これが世に言う「6個ふる陳の礼(ろこふるちんのれい)」である。
■最大派閥・ロコ家の結成■
学徒の新党軍では自らの派閥の形成は大変重要であった。何故なら、派閥の勢力こそが
発言力に直結するからである。ロコふるは政務や軍務と共に自らの派閥、ロコ家の育成
に全力を注いだ。
詩人としての名声と任務を確実に達成する誠実さで確実にロコふるーちぇは
同志を増やしていった。ついには新党軍筆頭派閥となる。しかしこのことが
第二派閥のクマッタの嫉みを買ってしまったのである。
■ロコふるーちぇの厨国大返し■
①ロコふる関西遠征中に学徒出陣は重臣クマッタによって討たれた。
調子に乗って三戦皇帝を名乗ったクマッタに対しロコふるは電撃的に兵を
引き返し天王山の戦いで謀反人、クマッタを討ち取り新党の主導権を得る。
②小牧・長久手の戦いで、ひょーりみを盟主にしていた(実質的指導者は斯波民部)
反ロコ家勢力を一掃。
③ロコ家のメンバーを中心とした新党・ロコ朝が創設される。
■赤壁の戦い■
江南の金家に遠征するがまさかの大敗。本国に逃げ帰る。
■第2次関西遠征■
函谷関を突破し関西に侵入、中心都市の大阪、長安、京都を制圧。
■北方平定■
独眼龍・馬鹿トンとの死闘。
■秋風星落五丈原■
宿敵、南朝・金家を討つべく宿将達を率いて再び長江へ向かったロコふるで
あったが、日々の激務によってロコふるの体力は消耗していた・・・
最終更新:2009年01月17日 00:08