時の始まりと暦について

<クリストファー氏の解説>
 ここで父は"これはクエンナール・オノティモの記述からの引用である"と書いており、アマンの年代記との矛盾が生じているが、後述の『時の始まりと暦について』と題されたテキストの内容には合致している(だがアマン年代記全体がクエンナール・オノティモの著だとする冒頭の序文には矛盾する)。『暦のこと』という章は、父が遺したものの中で最も複雑で難解なテキストだろう。これについて今触れるべきことは何もないが、この『アマン年代記』や『時の始まりと暦について』とほとんど同じ内容で良く整った2つの関連原稿が、主な出来事の年表と共に『代々の物語』の冒頭に収められている。


これはクエンナール・オノティモの著作の写しである⑤。
§5
 時は正にエアの誕生と同じくして始まり、その黎明にヴァラールはこの世界にやって来た。だがヴァリノールでテルペリオンの最初の花が開くより前にヴァラールが彼等の住居で作った暦は、いかなるイルーヴァタールの子等にも知られてはいない。テルぺリオンの開花以降ヴァラールはヴァリノールの暦で年を数え、その100年分がヴァラールの暦での1年に当たる。とはいえヴァリノールの1年でも太陽暦の約9年に相当する長さだった⑥。

§6
 さて、二つの木の開花で数えるとヴァリノールの1日は12時間あり、それら1000日をヴァラールは彼等の王国における1年と定めた。伝承家の間では「ヴァラールはこの暦における100年がヴァラールの1年に相当するように、1時間をこのように定めたのだと言われている⑦」。(かの暦はヴァリノールが形作られる以前に彼等の住まった所(イルマレン?)のものなので⑧)確かなことを知る者はいない。

§7
 二つの木の暦と後の太陽暦についてであるが、二つの木の1年は今の9年より長かったようだ。なぜなら二つの木の1年は12000時間あり、その1時間は
日の出と日の入りによって昼夜が等しく分かたれる日(訳注:春分、秋分)の中つ国における7時間に当たるからだ。従ってヴァリノールの1日は私達の時間で
84時間あり、その1年は84000時間、即ち3500日余、9.5年に相当する。

§8
 伝承家達の記録によると、ヴァラールが定めて命じた通りに太陽と月は動いてはいないという。というのもヴァラールは当初、太陽暦の10年が過不足なく二つの木の1年と同じ長さになって、日の出日の入りが12時間置きに計700回あり、1時間が2つの木の1時間の1/7となるように予定していたのだが、太陽と月の運動はここに示されるように⑬乱れがちでヴァラールの予想よりも遅かったので、太陽暦の10年は二つの木の1年よりも少々長くなってしまった。

§9
 太陽暦の1年が以前の暦のものより短く定められたのは、二つの木の枯死後には全ての変化がずっと速やかに進むことが分かったからであった。
 かの凶事の後はヴァラールも太陽暦でアルダでの時を数えているのである。そして世界が変わりアマンが隠された後でさえそうしているのだが、太陽暦の10年を
1年⑮、1000年を1世紀として数えてもいる⑯。これはクエンナールのYenonotiёに記されていることで、ペンロゴズが

§10
 伝承家達によるとヴァラールがアルダの王国、即ち地球に来たのはヴァリノールの暦で最初の月の出から数えて5000年前(太陽年で47901年)のことだという。
これに従うと二つの木の開花までに3500年(太陽年で33530年)が過ぎたことになる。始原の時(the Days before days)である。木々の光は1495年間(太陽年で14322年)ヴァリノールを照らしていた。浄福の時である。この時代の1050年までにエルフ達はクイヴィエーネンで目覚め、イルーヴァタールの子等の第一紀が始まった⑰。


  • 注釈はまだです...ヴァリノール(二つの木)の1年=9.5年余 -- とうやま (2014-08-23 18:03:15)
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最終更新:2014年08月25日 17:21