土方リバン(どかたりばん)は、日本淫主主義国の岡山北方に存在した土方族過激派組織

土方リバン
土方族暴動事件
国防爆破テロ
岡山北方紛争に参加
(画像)
活動期間 2021年4月〜10月頃
活動目的 土方主義
糞遊び原理主義
岡山県北独立主義
反淫主主義
反オカヤマ-ケンケイ族
(詳細は土方族過激派組織)
氏族・部族 土方族
最高指導者 ムハンアッード・オォンマル
活動地域 岡山北方など
上位組織 岡山民族同盟軍
関連勢力 あぁ^〜ルカイダ
オカヤマ民族解放戦線(9月20日〜)
クソ・ハラム
岡山北社会主義人民共和国
シモキタ-ホモシェヴィキ
陸軍第19軍第19機甲師団
敵対勢力 オカヤマ-ケンケイ族
オカヤマ民族解放戦線(〜9月20日)
日本淫主主義国

 岡山北方で数々の暴動を起こし、岡山北方紛争の原因ともなった。紛争初期は県庁占拠などにより優勢となったが、日淫国防軍の本格投入により劣勢となる。
 岡山北社会主義人民共和国に参加し再起を図るが、シモキタ-ホモシェヴィキの撤退により共和国が瓦解し、指導者オォンマルは逮捕。その後残党はあぁ^〜ルカイダなどに合流し消滅した。

歴史

- 歴史

前期

結成

 2021年初頭、岡山北方で古来より対立してきた土方族オカヤマ-ケンケイ族の抗争が激化し、各地に自警団などが乱立した。オカヤマ-ケンケイ族は県庁など公的機関に取り入り、優勢となっていた。
 自警団指導者の1人であったムハンアッード・オォンマルは、それに対抗するため周辺の土方族自警団をまとめあげ、土方リバンを結成した。

暴動

 土方リバンは遠方の土方族組織も吸収していき、勢力を拡大した。日淫各地の土方族とも繋がり、一大ネットワークを形成した。
 彼らは岡山北方で度々暴動を起こすようになり(土方族暴動事件)、最盛期の8月には岡山北県庁や県警の襲撃も繰り返すようになっていた。本拠地の突渦山(つうずるやま)には厳重な防衛網が築かれ、もはや県や国の統治すら及ばなくなっていった。
 8月30日には大規模な暴動も起こり、中心街は血と糞に包まれた。

爆破テロ

 2021年9月3日17時31分、国防省庁舎が爆破され、さらに17時50分、国防民主同盟党舎が爆破された。これにより官僚、軍上層部の多数が犠牲となり、当時の国防大臣兼官房長官兼統合参謀本部長であった山本五✝六も一時行方不明となった(負傷するも、2時間後に救出された)。
 19時頃、「神聖なる糞遊びを妨げる者、糞に代わり我々が鉄槌を下す。神聖なる県北を穢し得る者、糞に代わり我々が聖戦により滅ぼす。」と声明を発表した。
 当時のアドルFoo↑・冷エテラー首相は、この声明を受けて「どこまでも追いつめて代償を払わせる」と土方族過激派殲滅を宣言した。

岡山北方紛争

紛争前夜

 冷エテラー首相による殲滅宣言を受け、殲滅前に先制攻撃をして戦闘を有利に進めようとの考えが広まり、オォンマルも了承した。
 9月4日未明、邪淫隊が本拠地の突渦山を強襲、その時土方族の会合が行われており、大小合わせ7の土方族過激派組織の指導者、幹部が逮捕若しくは射殺された。オォンマルたちは視察をおこなっていたため強襲を免れた(オォンマルはめったに視察をおこなわなかったため、事前に強襲を知っていたのではないかという説もある)。
 7つの組織の残党は土方リバンに吸収され、名実共にオォンマルは土方族の長となった。

県北占拠

 9月4日午前、岡山北県庁、岡山県警本部、岡山北県議会、県北市役所を包囲した。また、岡山北の国会議員糞生太郎の事務所も襲撃され、16時頃、糞生が拘束される。岡山県警、邪淫隊(一部)、国防軍駐留部隊が出動し応戦するも、兵力差は圧倒的であり陥落した。
 深夜になり日淫国防軍が到着、戦闘が始まる。緒戦での疲弊や実戦経験の差もあり、5日12時頃には前線の突破を許してしまう。13時には岡山北県庁が奪還され、劣勢となっていった。

包囲

 9月5日16時、各組織に連絡しクルルァ敷に集結し、戦況の立て直しを図ろうとする。しかし、配置が整う前に国防軍が到着したことにより包囲を受け、20時には完全封鎖された。
 包囲されたことで士気は低下し、兵士の中には降伏や逃亡をする者も出始めた。
 9月5日にいつものおっさん(60歳)、先日知り合った土方族のにいちゃん(45歳)、わし(53歳)の3人で県北にある川の土手の下で語りあったぜ。
 滅多に人が来ない所なんで、そこでしこたま酒を飲んでからやりはじめたんや。3人で手当しながら地下足袋だけになり持って来たレーションを3本ずつ食べた。
 しばらくしたら、傷口がひくひくして来るし、血が出口を求めて包帯の中をぐるぐるしている。3人で戦友を手で掬いながら最期を看取ったり、糞まみれの亡骸を処理したりした。ああ、たまらねえぜ…。
 クルルァ敷の市街地に政府軍の砲弾が突うずるっ込まれると、街中が糞と血でずるずるして気持ちが悪い。にいちゃんもおっさんの蛸壺(一人用塹壕)に頭突っ込んで腰を飛ばされている。血まみれのおっさんの体を担ぎながら、思い切り逃亡したんや。
 それからは、もうめちゃくちゃにおっさんとにいちゃんのドッグタグを抱え、土方リバンから逃げ出し、二回も銃撃が起きた。もうやりたくないぜ。

     ー 土方リバン元兵士(著書「殺ったぜ。〜投降者、変態糞土方〜」)より
 オォンマルは逃亡を図った兵を吊し上げて処刑し、なんとか組織を維持していた。

包囲突破

 9月6日未明、オォンマルたち土方リバン幹部は包囲突破のための全軍突撃を決定する。元土方リバン幹部のムハンアッード・あぁ^〜ンスールは手記「嘘まみれで。」にて
 例の指導者の親父(オォンマル)と川原の土手でひさしぶりに会ったんや。高架の下で敵軍からは見えないとこなんで、数人で集まり糞遊びをしあってからわしが持って来た、いちぢく浣腸を神へ捧げたんや。
 しばらくしたら、おっさん(オォンマル)がぐるぐると思考を巡らせ始め、お互いに作戦を練っていたんだが、皆も我慢の限界が近づいているみたいで、指揮系統がひくひくして来たんや。
 おっさんがわしの地図を眺めながらああ^~もう反吐が出るう~~と言うまもなく、わしにどば~っと愚痴が流れこんできた、それと同時にわしもおっさんに不満を思い切りひりだしてやったよ。
 翌日おっさんは群衆を集めると、「もう敵中に嘘まみれや(降伏勧告に対し)。お互いに戦いあいながら糞を体中にぬってからわしが敵軍のけつに一発打撃を加えて、糞まみれの勢力で押し込みながら全軍を使い敵を多数ですくいとり、本部の中に押し込むと勝てるんや。
 3人や4人でも糞まみれで殺りたいぜ。おっさんも戦が好きみたいじゃ。わしは、12時(方角)、他は、3時(方角)や。一緒に聖人になりたいやつ連絡くれよ。岡山北部や。まあ~岡山ならいけるで(地の利があるため)。
 はよう血まみれになろうぜ。」と鼓舞した。
 皆が従ったんや。従うしかなかったんや。
と記している。
 本来なら無謀であったはずだが、5日夜に最高司令官である山本が倒れ、指揮系統の混乱があった。それにより対応が遅れ、オォンマルら土方リバンは6日12時には包囲を突破した。

山アッー!上

 今回の紛争をふまえ、次の反乱が起きたときに、抵抗及び鎮圧をする拠点が必要だという意見が出た。政府はそれを了承、鏡野獣町の山アッー!上を要塞化することを決定し、建設が進められていた。
 山アッー!上は古来より山岳信仰の対象とされ、土方族の聖地でもあった。オォンマルは「聖地を壊す奴はNGだ」と言い、そこを襲撃することにした。
 6日の午後、少数のみであった山アッー!上は早々に壊滅、17時には山頂に土方リバンの旗が翻った。


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最終更新:2023年06月26日 01:55