ポールスターⅡ lesson4
Living with Movies -Toda natsuko
①
みなさんは洋画を見るとき字幕と吹き替えのどちらが好きですか?映画を見ながら字幕を読むのは簡単ではないでしょう。声を吹き替える利点は字幕を読む必要がないことです。ですが洋画を原語で見る興奮は何にも変えがたいと私は思います。
たとえばトルコ映画を字幕で見たら映画を楽しむだけでなくトルコの言葉がどう聞こえるのかが分かります。そればかりでなく、役者が演じているときの実際の声を聞くことができます。役者の声というのは演技の重要な一部です。この理由のため字幕を好む人が多いという事実を忘れてはいけません。
② 大学を卒業したあと、私は映画の台本の翻訳者になりたいと思いました。英語への愛と映画への愛を結び付けたいと思ったのです。そんな仕事を見つけるのにどう取り掛かっていいかまったく分からなかったのですが、きっとなんとしてもそんな仕事に就きたいと思っていたのでしょう。有名な字幕翻訳者の清水俊二さんに手紙を出しましたから。不運にも彼は私を助けることができませんでした。当時、そんな日本で必要とされる人は10人ほどしかいませんでしたが、これは今でもまだそうだと思います。この分野で身を立てるのは大変なことになるぞとおそらく知っておくべきでした。けれど私はあきらめませんでした。私はチャンスを待ちながらバイトで本の訳を続けました。
1969年になってやっと字幕の仕事を始めたのですが、定期的に映画の台本の訳を依頼されるようになったのは、1980年の『地獄の黙示録』以降でした。20年以上もかかったわけです。私は出遅れましたが後悔はしていません。自分の仕事が好きだからです。
③ 仕事をする際に、私は役者のせりふをそのまま一語一語訳すことはしません。日本人は1秒間に平均3文字しか読めないので、使える文字数には制限があります。その結果、私は字幕を役者が実際にしゃべっているせりふより短くする方法を見つけなければなりません。
せりふをまるきり変えなければならないこともあります。文化や背景となる知識を必要とするせりふがあるからです。その知識がないと、見ている人は役者の言わんとすることが理解できません。時々、せりふにはしゃれのように、原語でしか通じないものが含まれています。これらのせりふも変えなければなりません。字幕は見ている人が一回さっと読んだだけで何が起こっているか理解できるくらい十分短く、十分明快にしなくてはなりません。
④ 私が1本の映画をこなすのに通常約1週間かかります。それぞれの映画を3回試写して仕上げます。1回目の試写で原語の台本をスラッシュで字幕単位に分けます。そのとき映画の声を録音して家でせりふを日本語に訳します。
それを終えると、試写室でまた映画を見ます。今度は日本語が映画のシーンに実際当てはまるかチェックします。たとえば“this book”とあればたぶん“この本”と訳すでしょう。しかしもし役者がかなり離れた所にある本を指しているのであれば“あの本”と変えなければなりません。
3回目の試写で実際に字幕をつけて映画の最終チェックをします。これで仕事は完了です。
⑤ 日本人の翻訳者が英語をよく知っているのは当然のことです。もし訳す際に問題が生じたなら、それらの問題は通常日本語に関するものです。これは言葉は変化するというのが1つの理由で、映画には普通最新の言葉が含まれています。だから私は電車で若い子たちの話し方を注意して聞いたり、時には雑誌からインスピレーション得たりします。
そのうえ映画にはさまざまな種類があります。科学技術、スポーツ、音楽、本当にいろんな種類。そういうわけで言葉であれ文化であれどんな知識でも翻訳者にとって役に立つのです。
私は仕事にストレスを感じません。楽しみだけです。訳しているとき、私は映画の世界に入り込み、頭の中でそれぞれの役者の役を演じます。確かに私は1年365日パソコンの前に座りっ放しですが、毎週違う世界を体験しているのです。ある週はファンタジーの世界に生きているだろうし、その次の週は戦争の世界に生きているでしょう。ある週は笑っているだろうし、その次の週は恐怖の世界にいるでしょう。退屈する暇は全然ありません。