【七不思議(3F女子トイレ)】
鏡にまつわる怪談は、珍しくはない。そして、私たちの紫ヶ沼高校七不思議にも、ちゃんと鏡が登場する。
私たちが「未来の鏡」と呼ぶそれは、第二校舎3階の女子トイレにある。
曰く、その鏡を覗き込んでいると、時たま、鏡の中の自分の顔が少し変わっている。それは、近い将来の自分の姿なのだそうだ。
クラスメイトが言うには、「友達の友達」がその鏡を見てみたら、顔が腫れていたらしい。そしてその日の帰り道、そのこの顔に、飛んできたサッカーボールがぶつかったそうだ。
翌朝、自宅の洗面所の鏡には、昨日見たのと同じ、腫れた顔が映っていたとか……
その鏡の前に立って、映った自分を写メで撮ってくる、というのが、今回私に課せられた課題だ。しかも、日付も変わってしまったこんな時間に。
本当は、この肝試しには、あまり乗り気じゃなかった。怖いとか言うのではなく、めんどくさいからだ。
でも、親友の那由子に泣いて頼まれてはかなわない。私も結局、人数合わせのために、肝試しの7人の一人となった。
私はトイレの鏡だけれど、那由子は保健室。他のメンバーも、美術室やら理科室やら、七不思議のスポットへ一人で向かっている。
さて、私はさっきから、この「未来の鏡」に向かい、鏡の中の自分を睨みつけている。さすがに、少し怖かったけれど、もう慣れた。
トイレ自体は何年か前に改装されてきれいだし、何か起きたとしても未来の自分が映るだけだから、少なくても、何かに襲われるといった怖さは無い。
時計を見ると、もう5分以上こうしているけど、顔も腫れないし、皺も入らない。目がちょっと充血しているけど、これはこんな時間にこんな事をしているせいだろう。
もう充分だろう。さっさと撮って帰ろう。明日報告する時には、何も無かったと言うしかない。それとも、何か適当な話をでっちあげるか……
ケータイを出して、鏡に向ける。カメラに切り替えて、焦点を合わせる。
画面には、鏡の向こうで同じ様に写メを撮ろうとしている私が映っている。
カシャッ
フラッシュが焚かれて、意外なほど大きな音がした。狭いトイレの中が、一瞬、狭いトイレが照らされて、また真っ暗に戻る。
画面には、さっきと同じ姿で、私が映っている。ボタンを操作していく。保存しますか→はい→保存しました。
さあ、これで任務完了だ。
最後にもう一度、鏡を見る。相変わらず、不機嫌そうな顔しか映ってない。
鏡の中の私と、目が合う。これも、初めは自分の目線が怖かったけれど、もう慣れ……
………!!
鏡の左端、トイレの奥の方向に、何か白いものが見えた。
急いで、首を左に回す。トイレの奥は薄暗いが、何もいない。さっきと同じだ。
……気のせい…なの……?
首をゆっくりと、前に戻していく。視界には、また鏡が入ってくる。
だけど、今度は目が合わなかった。
鏡の中の私は、確かにこちらを向いている。だけど、私の真正面ではない。
私の顔は、まだ若干左を向いたままなのに、鏡の中では微動だにしていない。
な…なに…これ…
思わず、あとずさるだけど、鏡の中では、相変わらずこちらの方を向いたままだ。
鏡の、左のふちから、また白いモノが姿を現す。
ヘビだ。真っ白で大きなヘビが、背後の壁を這っている。
もう一度、トイレの奥を見る。真後ろの壁も。もちろん、そこにはさっきと同じで、何もいない。
ヘビは、鏡の私からは、死角になって見えないのか、こちらを向いたままだ。
と、ヘビの頭が、こちらを向いた。舌がチロチロと、口からのぞいている。ヘビの身体は真っ白だが、二つに分かれた舌も、同じ様に白い。
ヘビの頭が、こちらに向かってくる。かなり大きい。ヘビは、鏡の中で私の真後ろにいる。なのに、白い頭が、私の頭だけでは隠しきれずに見えている。
鏡の中の、それも、私自身を見ているわけではないはずのヘビに睨まれて、私自身も鏡の中のように、動けなくなる。
冷たい汗が一筋、頬をつたう。
ヘビの頭が横に割れた。口を開いたんだ。舌も白いけど、口の中も白い。のどの奥を通る血管さえ、白く見える。
鏡の私の真後ろで、ヘビが口を大きく開けている。いつか科学番組で見た、ネズミを飲み込むアオダイショウを思い出す。ネズミと私が、一瞬重なる。
これって……ま…まさか……
突然、それまでこちらを見つめるだけだった、鏡の私の目が動いた。
ひっ。
たったそれだけで、口から変な息が漏れる。心臓が急激に動くのが感じられる。
ドッ…ドッ…ドッ…
それまで意識しなかった心臓の鼓動が、肉や骨を伝って、頭の中で響いてくる。
鏡の私が動かした目線の先、手がゆっくりと持ち上げられていく。
手の中では、ケータイが光っている。音はしていないけれど、誰かからの着信が有ったらしい。
親指が動く。ケータイが、耳元に持っていかれる。
・・・・・・・・・・・・
口が動かされているけど、どちらの声も聞こえない。
背後の、ヘビの頭が急に膨らんだ。もう、鏡の大部分は、ヘビの体と私で埋まっている。
次の瞬間、鏡の私の胸から上が、白いモノに覆われた。
呑まれた、と解った。一瞬遅れて、私が暴れだす。
ドッ…ドッ…ドッ…
耳には、鼓動しか聞こえない。
鏡の中で、腕が何度もヘビの頭に打ち付けられていく。握られていたケータイが弧を描いて、鏡の枠外に消えていった。
ヘビは動かない。私が暴れても、鏡の前で、私を呑みかけたまま、じっとしている。
身を捩ろうとしているのか、腰が妙な動きになる。でも、それらもヘビには何の効果もないみたいだ。
と、急にヘビの身体がうごめいた。体重を私にかけるかのように、首を真上に持っていく。そして一気に下へ沈めていった。
鏡の私は、さらに呑まれて行く。もう、腰までが、白いヘビの頭の中に収められている。
口の端では、かろうじて指が何本か出ていて、ヘビの口の端をつかんでいる。
ヘビの頭が、また上がっていく。白くて膨らんだ頭が鏡の枠外に消えていき、下からは私の脚が見えてくる。
左右バラバラに、脚が振られている。ヘビの胴にもあたって入るけど、空をきるほうが多い。さっきの腕ほどの勢いも無くなっている。
ヘビの唾液だろうか、スカートが濡れているのが見える。
腿には、玉のような汗が浮んでいる中で、汗が一筋、内股を伝っていく。
次第に、汗が一筋、また一筋と、増えていき、スカートや内股を濡らす。
暴れていた脚は、もう揺らされるようにしか振られていない。口のふちをつかんでいた指も、力が見られない。
再び、ヘビが身をうねらせ、今度は上下逆さにされる。
濡れたスカートが捲れ、ヘビの鼻先に張り付く。ショーツが露にされるのが見える。アレは、今夜はいているのと同じやつだ…
左脚は上に向かって力なく伸びている一方で、右足は膝や付け根で折れ曲がり、だらりとしている。
脚も、ショーツも、汗やら唾液やら、何だか解らないものでてらてらと濡れて、何だかわからない色に光っている。
びくん、と、また脚が跳ねた。
それっきり、暴れなくなり、上を向いた脚は、ゆらゆらとしている。
ヘビが身を震わすと、脚が下に向かって沈んでいく。
曲がった脚がまた伸ばされ、スカートが、ショーツが、白いヘビへと消えていく。
太股が、脚が、どんどん沈んでいく。二つの上履きが揃って消えてしまい、鏡の中には、最初より腹を膨らませた、白いヘビしかいなくなる。
……~パパラパッパ~パララ~パラ~♪
場違いな音が響く。いつの間にか、鏡の中にはまた、私が戻っている。
音は、私の右手から鳴っている。
視線を、右手に落す。握ったままだったケータイが、鳴っている。
右手を上げて、画面を見る。那由子からだ。
いけない! 出ちゃだめ!
それはわかっている。でも、身体が言うことをきかない。親指が着信ボタンを押す。
ピッ
…ねぇ、香織…?
那由子が、私の名前を呼んでいる。ケータイが、耳元へと運ばれていく。
…香織?ねぇ、大丈夫?ここおかしいよ! ちょっと香織!?
鏡の中では、さっき見た光景と同じことが起こっている。
わたしはケータイを耳に当てていて、
私の背後には、なんだか白くて大きなものが口をあけている。
…香織?トイレで何かあったの!? 返事して香織!?
那由子…ごめん…さよな
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そこで、私の視界は、白いモノで完全に覆われた。
最終更新:2008年05月19日 21:30