【七不思議(美術室)】
「悪魔の壺」
私達がそう呼ぶ奇妙な壺は、美術室の片隅に置かれている。中からヒゲの大魔王でも飛び出しそうな(実際、あの壺によく似ている)この壺には、妙な伝説がある。
深夜になると壺の中は異次元につながり、手を入れると引き込まれる、というのだ。
これは、わが紫ヶ沼高校七不思議のひとつでもある。
今、件の壺が私の目の前にある。美術室の窓から見える外は暗い。
今頃、私のほかに6人が、この暗い学校のあちこちに居るはず。
つまり、私達7人は、肝試しを行っているのだ。
各人が同じ日の深夜、七不思議の各場所に一人で向かう。そして、問題の場所や物に印をつけ、そこに行った印とする。
翌日、明るくなったら全員でひとつずつ場所を回り、各自が体験したことを話そう、というイベントなのだ。
そういった訳で、今、私は深夜の美術室で、変てこな壺と対面している。
深夜に女子高生が家を抜けだし、高校に来るのはちょっと大変だったが、これまでのところ、特に怪異はない。後は、壺の中に手を入れて、底に印をつけるだけだ。
壺は側面いっぱいに笑い顔が描かれていて、上部がくびれて、その上に壺口がある。壺の口狭くは無いが、くびれのせいで、片手しか入らないだろう。
壺を上から覗き込む。壺の大きさ自体は、たいした事は無い。手を入れても、ひじの上辺りまでしか入らないだろう。
だけど、今、壺の口から見える内部は、とてもその程度の深さには見えない。暗闇が内を満たし、底は完全に隠されてしまっている。
…さすがに、少し怖い。
だけど、そうもいっていられない。深く息を吸い込んで、吐き出す。右手にチョークを持ち、壺の口へと近づける。
壺の中から、風が吹いた、気がした。気のせいだろう。たぶん。
チョークを闇の中に沈めていく。白いチョークも、指先も、すぐに黒く霞んでいく。
ひじ近くまでが隠された所で、チョークに硬いものが当たった感触がある。底に着いたらしい。
手首を動かし、底に印をつけていく。見えないが、☆が描かれているはずだ。昼間、懐中電灯で照らせば、手を入れた証拠が見えるだろう。
さあ、あとは手を抜くだけ。
………ふうっ………
壺の中で、空気が動いた。生暖かい風が感じられる。今度は、気のせいではない。
背筋が凍りつき、全身の毛穴から汗が噴出す。突然、周りの空気が生臭くなる。
すぐに、ここから逃げないと!
手を抜こうとする、が、抜けない。入れるときは何ともなかった壺のくびれが、私の二の腕を締め付けている。さっきまでは、闇が壺と腕のすき間から見えていた。だけど、今はそれも見えない。
七不思議を思い出す。手を入れたものは、抜けなくなる。そして、引き込まれる。
ねとっ、とした物が、手の甲にふれる。暖かく、湿っていて、軟らかい、大きな何かが、指や手を這い回っている。
ナメクジやウミウシを思い出させるその何かは、指先から次第に上へと登ってくる。
………はぁぁっ………
また、空気が動いた。今度は、低い音が聞こえる。まるで、獣の呼吸のような……
必死になって、右手を抜こうとするが、ダメだ。ひっぱっても、皮膚が破けそうになる。
ナメクジが、遂に手首まで上り、巻き付いていく。ねとねとしたその表面が気持ち悪い。
と、今度は別の痛みが走った。とがった硬いものが沢山、上下から腕を挟みこんでいる。
いや!痛い!
きっと、血が出ている。汗に混じって、熱いものが、手をつたい降りていく。右腕が、はさみ潰されそうになる。
ナメクジが、地を浴びるかのように、腕を這いまわっていく。
急に、腕を挟んでいたものが抜かれた。痛みと熱で、腕の内から、血が噴出すのが解る。
再び、今度はさっきよりも上のところが挟まれる。さっきと同じ痛みが右手を襲う。
ナメクジはさっきできた傷口を這いずり回り、腕を絡めて行く。ねとねとしたものが傷に触れ、焼けるように痛む。
腕に纏わりついているナメクジが、急に強く腕を締め付け始める。そして、壺の底側へむけて、引っ張り始める。
それまで腕を固定していた壺のくびれが、少し緩んだ。生臭い空気が、そこから一気に広がる。白い牙、赤い血が、隙間から見える。
引き込む力が強くなり、抵抗する間もなく、肩口まで壺の中へと引き込まれる。再び、くびれが閉まり、固定される。
壺の側面の、あの奇妙な顔が、笑った気がした。
反射的に左手で殴るが、壺は割れない。周囲を見渡しても、ノミや金槌は見当たらない。
牙がさらに食い込む。ぶちぶちという音が、聞こえる気がする。右手に力を込めるが、牙には抗えない。余計に血が出て行く。
いや!食べられる!
壺を壊せそうなものは無い。このままだと、本当に引きずり込まれる。
意を決して、左腕で壺を抱え上げる。そのまま、壁に思いっきりぶつける!
ガッ。壺が壁にぶつかると、右腕に激痛が走り、涙がでる。だけど、やめるわけにはいかない。もう一度! ガッ。もう一度!
乾いた音を立てて、壺が砕けた。右手が外気に触れ、濁った空気から開放される。
壺の破片が当たりに飛び散る。床や壁には、散らばった破片に混じって、赤いものもある。私の血だろうか。
右腕には、まだ痛みが続いている。見てみると、赤く染まっている。壺の破片も刺さり、新たな傷を刻んでいる。
周囲には、壺の破片と血以外、何も無い。あのナメクジのような舌も、あの牙も、何も無い。
あれは、なんだったんだろう……
ずきり、と、また腕が痛んだ。目を下ろす。破片が刺さったところから、まだ血が出ている。
その、肉に食い込む破片の中に
あの牙が一本混じっていた……
…みんなは無事だろうか…
今、学校にいるはずの6人を思い出しながらも、私は動けないでいた。
最終更新:2008年08月07日 20:07