今月も、飼育小屋の周囲は酷い有り様だ。
鶏の羽根が散らかっている。中には、小動物の毛も混じって見える。
地面はまだ湿って赤黒く変色し、空気も心なしか生臭い。
毎月、満月の晩の翌朝は、いつもこの惨状が現れる。
もういい加減慣れたとはいえ、やっぱり気分が良いものではない。
これが、満月の晩に猫か何かが飼育小屋の鶏や兎を襲った、とかいうのなら、なんと言うことはない。
七不思議のひとつにこれが数えられるには、それなりの訳がある。
一つ、飼育小屋には鍵がかかっている。
金網には破れ一つないし、土台はコンクリだから穴も掘れない。
中の小動物は、外には絶対に出れない。
二つ、小屋の中の小動物の数は、惨状の朝にも減っていない。
三つ、外の惨状に、小屋の生き物の死骸があった試しはない。
むろん、猫にしろ他の生き物にしろ、襲った?方の死骸もない。
では、夜、小屋の外では何が襲われて、何が羽や血を散らかしたのか?
これが七不思議の一つ、飼育小屋の殺戮だ。
今、空には青白い円が浮かんでいる。今夜は満月なのだ。
生物部だという理由だけで、肝だめしの私の行き先は、ここになった。
そしてそんな訳でこの暗い中、もう小一時間も飼育小屋のそばに立っている。
猫どころか、ねずみ一匹現れない。
校舎の窓には時折、小さな光が現れる。他のメンバーが校内を回っているんだろう。
飼育小屋の中は暗くてよく見えない。時折、中の鶏の低く唸る声が聞こえる。。
もう帰ろうか・・・・
三回目の独り言とともに、息を吐き出す。
ちらりと扉を見やる。錆びた大きな南京錠がかかっている。
昼間と何の変化もない。小屋の周囲にも、穴とかそんなものも、もちろんない。
暇だ。
初めは多少は怖かったけど、今はとにかく暇だ。
もう帰ろうか・・・・
四回目の独り言を言いかけた時、
闇の中で何かが光った。
慌ててライトを向ける。
猫だ。猫がいる。
汚れたところをみると、野良猫らしい。
鶏をや兎を狙って来たのか、飼育小屋を見つめている。
その気配に気付いたのか、小屋の中が騒がしくなった。鶏の唸り声が増える。
猫はわたしには目もくれず、小屋を伺っている。
一歩一歩、じわじわとその距離が狭まっていく。
さあ・・・
この後、何が起こるのか・・・
朝の惨劇は、どうやって起こっているのか・・・
予想外の方から音がした。南京錠が開く音だ。
音に警戒し、猫が歩みを止める。
ぎいい、と耳障りな音とともに、飼育小屋の扉が開いていく。
南京錠を見ると、なにか、赤いぬるぬるしたものにまみれて開いていた。
扉の中から、白い鶏が姿を現した。
鶏は私を一瞥すると、何事も無いように猫へと向かっていく。
後から一羽、また一羽と現れる。皆、猫へと向かって進んでいく。
わたしも猫も、呆気にとられて微塵だにできない。
いつしか、小屋の中のほぼ全ての鶏が、外に出ていた。
全部で十羽程だろうか、猫の周囲を取り囲んでいる。
徐々に、鶏達の間隔が狭くなっていく。
ここで、猫が我に返った。毛を逆立て、唸り声をあげる。
そこからは速かった。
俊敏な動きで、一番近くまで来ていた鶏に飛び掛かる。最初に出てきた白いやつだ。
鶏は動かない、そう思った時には、猫の爪が鶏の首を掻き切っていた。
白い羽が舞い、赤い噴水が上がる。続いてもう一発、今度は胸から噴水が上がる。
猫も土も、みるまに赤く染められていく。
どくどくと赤い体液が、白い鶏の体から溢れてくる。
小さな体から想像もできないほどの量だ。
もう、猫の周囲は血の海と化している。
鶏の体は、さっきの半分もない。空気の抜けた風船の様に萎んでいきてる。
猫は、完全に赤く染まっている。暗闇でも判るほどに。
べしゃり
粘っこい音を立てて、鶏が自分の血の中に倒れた。
潰れた、と言った方がいいかもしれない。
まるで、中身を抜かれた着ぐるみの様になっている。
猫は、潰れたそれを見下ろしている。
周囲の残りの鶏逹も、微動だにしない。
- 気のせいだろうか、血溜まりがさっきより小さくなっている。
一歩で、猫の足元の所では逆に血溜まりが盛上って見える。
猫の鳴き声も、一段と喧しくなった。
血溜まりは確実に縮んでいる。猫の足元では、血の塊が盛上っている。
猫の四肢はもう、膝近くまでが呑み込まれている。
さらに胴を揺らしているけど、足を血に固定されているのか、そこから動けそうにない。
一際大きな鳴き声がした。もう、悲鳴にしか聞こえない。
足元の血の塊がぶくり泡立った。
猫の足の辺りから、赤い泡が吹き出している。
あれを思い出した。
化学の授業の実験の、塩酸に入れたアルミ箔。
猫の足は、まさにあんな感じで泡立っている。
周囲の鶏逹が、いきなり羽ばたき出した。
血に沈んでいく猫の周りで、鶏の輪がざわめく。
羽音が響き、羽が舞う中に、鶏逹は一斉に首を持ち上げる。
まるで、早朝にこれから一声鳴く、とでもいうかのように。
だけど、喉から出たのは鳴き声ではなかった。
また、血だ。鶏の輪から、中心に向かって幾筋もの血が吐きかけられる。
血が猫にかかった。途端に、胴からも泡が沸き上がる。
また、猫の悲鳴。
中心の泡が増える度、周りの鶏逹は萎んでいく。
もう、猫の姿は見えない。
泡の足元のでは、血がどんどん盛り上がっていく。
猫も、泡も、血に呑み込まれていく。
周りでは、萎みきった鶏が一羽、また一羽と潰れていく。
最後の一羽が潰れたとき、さっきまで猫だったものは、
それに、完全に覆われていた。
赤黒く、半透明。
クラゲの様な、ゼリーの様なシルエット。
頭も手足もない、目も口もない。でも、微かに動いている。どうやら生き物らしい。
内部では、骨らしき白いものがゆらゆらと漂っている。
そしてそれも、少しづつ泡立ち、小さくなっていっている。
そいつはただ体?を振るわしながら、内の骨を溶かしていく
そうか・・・南京錠を開けたのは、あいつか・・・
どろどろが鍵に入り込んで、開けたり閉めたりしてたのか・・・
あのクラゲみたいなドロドロが、鶏の中に入って操ってるんだ・・・
そして、時々こうして、外で獲物を襲ってるんだ・・・
そうか・・・
我に返った時には、そいつはまた、元の血溜まりに戻っていた。
もう、骨も何もない。
地面に拡がった血溜まりは、幾筋にも分かれ、潰れた鶏の嘴へと続いている。
そのうちの幾つかは、元の様に鶏の形に膨らみかけていた。
そして、わたしは自分の状況に漸く気付いた。
あれが、こっちに戻ってくる・・・!
このままだと・・わたしも溶かされる!
慌てて逃げようとした時――
わたしの脚に柔らかいものが触れた。
そして、思い出した。
飼育小屋にいるのは、鶏だけじゃない・・・!
首を曲げて下を見る。
案の定、一匹の兎がじゃれついていた。
辺りをみると、既に他の兎逹に囲まれていた。
急いで、脚にまとわりつくそれを蹴飛ばした。
柔らかいものが潰れる感触、
そして、直後に脚が焼けるように痛んだ。
萎んだそれが地に落ちたが、中身の方はわたしの脚を汚していた。
赤い染みがついた所から、靴下に穴が空いていく。
膝や太股には飛沫が飛び散り、そこが熱い。
濡れた肌から小さなシャボン玉まで浮かび上がっている。
今度は腕が痛んだ。
痛んだ所は赤く濡れている。そしてすぐに、泡が立ち始める。
周りの兎逹も、中身を吐きかけ始めた。
いつの間にか、鶏も戻って、猫にしたことを今度はわたしにしている。
赤いどろどろが、服に、腕に、髪にかかる。
髪が焼ける臭いが鼻をつく。
服が血の色に染まり、穴が開く。
手足のあちこちで、焼かれるような痛みが走る。
皮膚が泡立つと痛みが弱まり、代わりに痺れるように力が抜けていく。
足元は既に血の海。その中に、両足首が沈んでいる。
力が抜けて、上半身が揺れる。暴れようにも、
腕を振ると、飛んでくる飛沫がかえって飛び散ってしまう。
急に膝の力が抜けた。
お尻から、血の海に落ちてしまう。手もついてしまった。
スカートもショーツも既に襤褸布同然で、敏感な部分に泡が立つのが感じられる。
もう、痛みは余り感じない。
ただ、全身がむず痒い。
足首をみると、泡の間から、もう爛れてしまった脚が覗く。
白いのは・・・骨?
血の海がせり上がってきた。膝や肘が血に包まれる。
周囲に立っている生き物はいない。みんな潰れてしまっている。
股間に熱いものが走った。その部分が泡立つ。
熱いものは股間にから、そしてお尻から、内側に登ってくる。
熱い・・・それ以上に、むず痒い・・・・
赤い血が、わたしの血と混じり合い、 体内を駆け巡る。
頭の芯の方が痺れてきた。
首から下は、あの赤いクラゲもどきのドロドロの内にある。
猫の様に、脚が地面から離れ、ゆらゆらと浮いている。
猫と違うのは、わたしは猫よりも大きすぎるらしい。
兎の文大きくなったとはいえ全身は飲み込まれず、息もなんとかできる。
身体の表面を包んだドロドロは、今度は体内へと潜り込もうとする。
お尻から入った熱い液が、腸を通るのが判る。
股間を押し拡げて入った方は、わたしの内の袋を満たし、
さらにその外へと漏れ出している。
腹筋の内側が泡立ち、お腹を膨らます。
痒みと痺れての中に、わたしは漂っている。
時折わたしも口から赤いものを吐き出すけど、さして苦しくはない。
下を向いてみる。
脚や指先は、もう白いものしか見えない。
どうりで、力が入らない訳だ・・・
脇腹が破れて、中身が外に漏れ出している。
黄色ががった長い襤褸布が見える。
黒や赤のもある。太い糸もついている。
もうかなり溶かされているけど、あれが中身か・・・
元からあまりなかった胸は、もう跡形もない。
筋肉と骨、それしかない。
その骨の隙間から、びくびく動く赤黒い球が見える。
ついに、頭も沈み出した。
あごが、次に唇が浸かり、鉄と酸の味が口内に広がる。
耳が沈み、鼓膜を破って熱いものが流れ込んでくる。
きちきちと、耳の内側が、そして首から下の骨が溶ける音がする。
どくん、どくんと、途切れながらも鼓動が聞こえる。
まだ、いきてる・・・
息はもうとっくにしていない。
肺なんかもうとうに穴だらけになってる。
でも鼓動は聞こえる。
鼻から上も血に浸かる。
生臭い鉄の臭い。
視界が真っ赤に染まり、次にはもう真っ黒になった。
耳の奥が、目の奥が熱い。頭蓋骨の内側がへ、染みてくる。
微かな隙間を焼き拡げて、血がはいってくる。
わかる、脳ミソが血に染まってる。
鼓動もさっきからきこえない。
きちきちいう音しかしない・・
味もしない・・
においもしない・・
目の穴から耳からなかみがもれていく・・・
ああ・・・・・
わたしがひろがってく・・・・・
- そう・・いえ・ば・・きのう・・・ぜりーを・・たべたっけ・・・
あれ・も・・・こうして・・・・わた・し・・なかで・・
- とけ・・て・・なく・な・・・・た・・・か・な・・・
最終更新:2008年08月07日 20:09