(七不思議・非常階段)
足が言うことを聞かなくなってきた。履いている靴までが重く感じる。
右には鉄の柵、左には鉄柱。柵は鉄柱の周囲を取り囲んでいる。
鉄柱と柵の間には鉄の階段。13段で一周し、踊り場が現れる。
眼を上げると、また踊り場だった。階段は、螺旋を描きながらまだ上に続いている。
もう、どれくらいここを登り続けたんだろう。
足を止めたいけど、それも敵わない。
音が背後から迫ってくる。それもたくさん。
一度でも足を止めたら、きっともう動かなくなるだろう。そうしたら終わりだ。
あいつらに、追いつかれる。
追いつかれないために、私は螺旋階段を登り続ける。
ほんの軽い気持ちだった・・・肝だめしなんかに参加したことを、今になって後悔している。
高校の七不思議スポットに、深夜にそれぞれ一人で行って印を残す。次の朝に、みんなでそれを確認して回る。
ただそれだけのことのはずだったのに。
私が向かったのは、校舎の横にある非常階段。一階から屋上まで続いている。通称、生首階段。
螺旋階段を一階から登っていき、四階に差し掛かったところで、上の屋上から何かが転がってくる。
それが、生首なんだそうだ。
それを実際にやることになった。夜中に校門でみんなと別れて、階段に向かった。
一階の一段目に小石を置いて、上へ向かう。全部の階でそれをやった。
四階まで上がっても、当たり前だが何も起きなかった。
四階の踊り場には、校舎への扉があるだけ。もちろん鍵がしまっている。
そのまま帰れば良かったのかもしれない。でも、なぜか上が気になった。
それで、つい、登ってしまった。
数段登るだけで、屋上への踊り場が見えてきた。でも、そこは何かがおかしかった。
さらに数段上に登る。見える踊り場が広くなる。
違和感の正体がわかった。
そこは屋上のはずなのに、さらに段が上に続いていた。
心臓が、多分、一拍止まった。少し遅れて汗が吹き出す。
やばい。洒落になんない。
慌てて振り返る。段を跳ばして、三歩で下の踊り場に着地する。
でも、それ以上は戻れなかった。
さらに下から、妙な音が響いてきた。まるで、サッカーやバスケのボールが跳ねるような・・・
何秒か立ち止まる。音が近付く。
そして、ついにあいつらが姿を現した。
生首が、螺旋階段を跳ね上がってきた。
それも、何体も。
中年の男、老婆、私より若く見える女の子・・・首の種類は様々だ。それが階段を登ってくる。
階段から転げ落ちるボール、それを巻き戻しにしたら、こんな感じになるだろう。
ほんの数秒、何も考えられなくなった。気が付くと、先頭の男の首が足元まで来ていた。
私の一段下に跳ね上がり、少し転がって私を見上げた。顔には血の気がない。でも、眼だけは赤く血走っている。
口の端が歪んだ。また転がって、跳ね上がった。
私の胸の高さまで上がって、口が開かれる。
ぶつかる寸前我に返って、横に避けた。男が空中でまた回転し、
左手がずしりとする。次に、痛みが走った。
男が腕からぶら下がっていた。開かれた口が、そのまま腕にぴったりついている。
急いで右手で払う。左手が軽くなると同時に激痛が走る。
男は螺旋階段の柵に当たって数段下に落ちた。また回って、私を見上げる。
それまで止まっていた他の首も、一斉にこちらを見上げた。みんな眼が赤い。
口の端が、同時につり上がった。
もう選択肢は無かった。私は螺旋階段を駆け上がった。
5階、6階、7階、階段は続いて行く。下の方からは、首が追ってくる音が響いてくる。
月もないから、柵の外は闇以外は何も見えない。自分が今、どのくらいの高さなのかも判然としない。
数段跳びで上の階に登っているのに、音は一向に遠ざからない。立ち止まることなんか、とてもじゃないけどできない。
10階を越えた辺りから、息が荒れてきた。噛まれた左手も痛い。
15階辺りから、数えるのをやめた。脚が上がらなくなってくる。
唾を飲み込む。乾いた喉が動かされて痛い。鉄の臭いがする
音が大きくなってくる。脚が重い。
脚が重い。堪らなくなって、踊り場で靴を脱ぐ。
振り返ると、さっき噛みついた男が階段の陰から出てきた。笑っている。
手に持ってた靴をぶつけてやると、視界から消えて何段か転がり落ちたらしい。これまでと違う音がする。
でも、またすぐ現れる。他の奴らも追い付いてくる。私はまた上へ向かう。
靴がないと脚は軽い、でも階段は鉄だから踵の骨が痛いし冷たい。
一階登るたびに、踵の痛みは酷くなっていく。
音はまた近くなっている。
額から垂れる汗が目に入る。額だけじゃない、背も胸も腕も脚も、汗で濡れている。服が肌に貼り付く。
髪が汗で頬や首に纏わりつく。でも、それを払うことすらできない。
奴らはすぐ後ろにいる。私と違って一向に疲れる気配もない。
一瞬、踵に何かが触れる。髪の毛だ。先頭の奴の髪の毛があたったんだ。
もっと速く逃げないと・・・もっと速く・・・
もっと・・・も
ガッ
爪先に電気が流れた。身体が前に傾いて、目の前に段が迫る。
鼻に激痛が走って、目の前に星が飛ぶ。涙が滲む。
つまずいた。しまった。
慌てて段に手を掛ける。鼻が痛い。起き上がらないと。痛い。奴らは?
一度に幾つもの考えが浮かぶ。
とにかく、這ってでも登ろうとした。右腕と左足を一段上げて体を前へ進める。
左手も一段先に伸ばす。段の縁に触れた。伸びた右足も・・・右足も・・・
右のアキレス腱に激痛。
振り返る。右の足にぶら下がる生首。
ついに、足を噛まれた。
赤い筋が流れ出す。痛みよりも、重さが襲ってくる。頭の重みで足を振れない。振り払えない。
左足で蹴り落とそう、そう思って踏みつける。目の上に当たった。骨の硬い感触。
筋肉が引き剥がされるような痛み。頭は離れない。貼り付いている口の端から、さらに赤い筋。
てんっ、てんっ
他の奴らまで登ってきた。階段が首で埋まっていく。
その中の、女の首が飛び上がってきた。慌てて左足を引っ込める。
さっきの私みたいに、女の顔がが段にぶつかる。左足で蹴飛ばすと、下に転がって他のにあたる。
四つん這いで、また登り出す。
右足が重い。引き摺って上げるたびに、重いものが揺れて食い込む。
脚や太股に、髪やら歯やらが掠めていく。動いているためか、噛まれはしない。右足が痛い。
一階分、なんとか這い上がった。
スカートが引っ張られた。きっと噛まれたんだ。スカートを噛むそれが、揺れて腰にあたる。腰が重い。
振り払うこともできない。ただひたすら上を目指す。またスカートが重くなる。
スカートの裾、シャツの裾、袖、髪、どんどん重くなる。
重いものがどんどん増えていく。前へ進むたび、ぶら下がった奴らが揺れる。
スカートが重みに耐えきれなくなった。小さな音を立ててフックが飛ぶ。
スカートが膝までずり落ちる。足の動きを止められて、また前につんのめる。今度は鼻は打たなかった。
動きが止まる。急に服が軽くなった。
足に、腕に、冷たいものが一斉に食い込んでくる。
熱いものが顔にかかる。顔を上げると、腕の一部が削ぎ取られている。
首は、もう私より上に登っている。上も下も首、首の中に埋もれている。
指の付け根が熱い。目をやる。人差し指と中指が、男の口の中に突っ込まれている。
腕には幾つもの頭が食らいついている。熱くて痛くて、動かせない。
男が口を開く。何か、赤いものが混じりあっている。付け根から先は、無い。
薬指と小指が口の中に消える。生暖かいぐちゃぐちゃの中に、埋もれていく。
口が閉じられて、また、熱い感触。生暖かいぐちゃぐちゃが、感じられなくなる。
シャツの下にまで潜り込んでくる。ショーツやブラがあっという間に噛み千切られる。
周りの顔は皆、赤黒く汚れている。幾つもの口が動いてる。時々、赤やら白やらが開いた口から覗く。
隙間から見える階段も赤い。ぬめぬめしていて、身体が下にずり落ちていく。
手足が熱い、脇腹も熱い。でも、身体は急激に冷えていく。
喉の奥から熱いものが込み上げてくる。咳き込むと鉄の味が口の中に広がる。
息が吸えない、そのくせ赤い咳は止まらない。
私の内側が、階段にぶちまけられていく。
周りは鉄の臭いが立ち込める。身体はどんどん冷えていく。
もう、熱さと寒さ以外は感じない。
ついに、首の後ろに噛みつかれた。硬い歯が、一気に骨にまで達する。
ごりっ、ごりっ、
嫌な音が、鼓膜の内側から響いてくる。
また噛みつかれた。今度は喉だ。噴水が視界のすぐ下から吹き出る。視界が暗くなっていく。
首、肩、鎖骨、生首達は集中的に狙ってくる。
頭の安定が悪くなって、世界が揺れる。
意識がさらに遠退く。光も、音も、何も感じない。
自分の頭がぐらぐらするのはわかる。気持ちが悪い。
小さく、ごりっ、と響く。
頭が落ちる。落ちて、びちゃびちゃしたところにぶつかる。
そのまま世界が回り出す。一段、落ちて何かにぶつかる。見えないのに解る。膝だ。
また転がって、爪先の上に落ちる。指が何本か欠けてる。
瞼が持ち上がった。何故か、視界が戻っている。
視界が回って、また一段落ちる。今度は何もぶつからない。
視界が回る。時々階段に顔があたるけど、痛くはない。
踊り場で、回るのがようやく止まった。止まったけど何も考えられない。
どれくらい経っただろうか、生首たちが、今度は上から転がり落ちてきた。
みんな口の回りが赤い。私を見て、にやにや笑い出す。
今度は襲われない。ただ、落ちる首たちに巻き込まれて、また下に転がり出す。
今度は止まらない。いつまでも、いつまでも止まらない。
何も考えられない。
ただ、お腹が空いた。
もう胃も何も無いとか、そんなことは関係ない。
ああそうか・・・
みんなこんなにお腹がすいてたんだ・・・
- 私もお腹がすいた・・・
- 私も・・誰か・・食べたいな・・・
最終更新:2008年08月07日 20:10