―止まるな、止まったら殺される―

麗佳は走っていた。
時刻は午前2時。場所は旧校舎。
薄暗い廊下を、窓から射す月明かりを頼りに、必死で走る。
長い黒髪がうなじに張り付いて気持ち悪いが、そんなことを気にする暇は無い。
後ろに―居る。
(どうして…?)
麗佳は走りながら、思い出す。
(どうしてこんなことに…)


きっかけは友達の結衣だった。
「旧校舎にさ、お化けが出るんだって」
そんなありきたりな、漫画か小説にでも出てきそうな言葉が始まりで、
「面白そうじゃん、暇だし行こうよ」
と同じく友達の美紅が乗ったことから、なし崩し的に麗佳も行くことになったのだ。
旧校舎とは、40年前まで使われていた校舎で、今は使われずに放置されている建物のことだ。
今の校舎と離れている上に、小高い山の中腹辺りに立地しているため少々不便で、
新校舎が出来てからは使われることはなくなったらしい。
だから、今旧校舎は廃墟状態で、取り壊しもされることもなく、
ほとんど手入れもされていないらしいので、この手の噂が流れるのもわかる気はする…が、
(バカバカしいな…)
麗佳はそう思った。ありきたりな言葉だが、科学万能なこの時代に幽霊なんて…と、つまりそういうことだ。
だが、幽霊なんぞは信じてないが、旧校舎の探索というのは面白そうだと思った。
おそらく美紅もその類だろう。まぁそれ以上に暇を持て余しているということが大部分だろうが。
そんな訳で、夜の1時という遅い時間に廃墟探索となったわけだ。
結衣はとてもノリノリで、懐中電灯を振りながら意気揚々と突撃していった。
しかし、そんな結衣の期待に反して、1階、2階、3階と登って行っても、特に何も出てこなかった。
せいぜい美紅がでかい蜘蛛に驚いたぐらいで、あっという間に屋上まで来てしまった。
屋上の扉には鍵が掛っており、大雑把な美紅は壊そうと言い出したが、結局はそのまま引き返すことになった。
なんとなく麗佳が先頭で、来た道を戻って行った。
「ま、科学万能のこの時代に、お化けなんか居なかったということで」
麗佳は軽い感じに言った。
結衣は結果が芳しくなかったせいか、後ろでとぼとぼと歩いている―ように見えた。
そう、麗佳には、そう見えた。
「うん、でもね…」
しかし―

「お化けは“居る”よ。確かに、ね」

「え?何……を……」
振り返ったとき、初めに見えたものは赤だった。
薄い月明かりにもはっきりと映える、赤。
それは―美紅の胸を中心に放射状に広がって、飛び散っていった。
「え…?」
麗佳が赤の次に認識したものは、白だった。
美紅の胸から生えている、所々に赤がこびりついた白いモノ。
それが人の手だということを認識し、次に顔をあげて美紅の顔を見ようとしたとき―ソレは居た。
「―ッ!?」
突然のことに呆けたように自分の胸から生えているものを見る美紅―その後ろ。


耳近くまで口が裂けた結衣が、その大口を限界まであけて美紅の首を―


そのときにわかったことはただ一つ。
美紅は何が起こったかもわからずに、絶命した。
いや、殺されたということが、だ。

そして現在―
(なに…?なんなのこれは!?)
必死になって走っている麗佳だが、すぐに異変に気がついた。
さっきから2分ぐらい走っているのに、一向に階段が見つからない。
階段だけじゃない。延々と真っ直ぐに進んでいるだけで突き当りも存在しない。
(どういうこと…?)
思わず走る速度を緩めてしまう、が。
悪寒。
咄嗟に足に力を込めて前に飛ぶ。背後で何かがカスる感触。
バランスを崩すがすぐに立ち直ってまた走る。
(これも、この化け物のせい…!?)
だとしたらお手上げだ。
さっきから全力疾走に近い速度で走り続けているが、流石に限界に近い。
案の定、それからものの数十秒もたたない内に、足がもつれて前のめりに倒れる。
それでもすぐに立ち上がってなんとか逃げようとする麗佳だが、その体がガクリと倒れる。
「え…?」
左足に違和感。
麗佳はゆっくりと左足へ、目を向ける。
そこには想像通り、口の裂けた化け物が左足にしがみついていて―麗佳の左足の肉を咀嚼していた。
激痛が走る。
「う…あっ…ああああああぁぁぁぁ!!!」
辺りに絶叫が木霊する。
絶叫に呼応するように、化け物はニィと、血塗れの口で笑うと、そのまま麗佳にのしかかった。
「いやっ!やぁぁぁぁぁっ!」
パニックになって必死に暴れる麗佳だが、力の差は歴然だった。
両手を押さえられ、それでもなんとか逃げようと体を捩るが、ふとその動きが止まる。
「…!」
その時、麗佳は初めて真正面からその化け物の顔を見た。
青白い肌、耳まで裂けた口、そして―真っ赤に染まった瞳。
醜悪に染まった顔は結衣の面影を全く残しておらず、その姿は異形そのものだった。
恐怖で体が硬直する。
そして、硬直している間に、化け物は次の行動を開始していた。
その大口を限界まで開け、自由に動かせる上半身を動かし、顔を麗佳の胸に埋めるように下げた。
そして、その大きく膨らんだ左の胸に喰らい付く。
「ヒッ…!」
思わず麗佳はビクリと体を震わせた。
直後―
「がっっああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
かん高い悲鳴が上がり、麗佳の体がビクビクと痙攣する。
美紅から羨ましいと評された大きく綺麗な胸が、化け物の圧倒的な力により服ごと喰い千切られていた。
一噛みでスプーンでプリンを抉るような、醜い傷口がその左胸に出来上がった。
血が溢れ出る様に服を濡らしていく。辺りに血の匂いが広がった。
化け物はグチャグチャと2、3回乱暴に咀嚼して飲み込むと、再び左胸に口を付けた。
悲鳴が上がった。

それから後も、化け物は麗佳の体に暴虐の限りを尽くした。
左胸を喰い尽くした化け物は、すぐさま右胸にも喰らい付いて、これも喰い尽くした。
次に左腕を指先から徐々に喰らっていき、肘辺りまで喰らったところで止めた。
さらに右腕を肘辺りから噛み千切り、取れた右手首を持って、一旦麗佳の体から離れた。
右手首を齧りながら、麗佳の肢体を眺め、その醜悪な顔を厭らしい笑い顔に染めた。
化け物が離れた後に残された麗佳の体は、凄惨を極めていた。
まず目につくのが大きく抉られた乳房。
両方とも跡形もなく喰い尽されており、右の乳房の痕からは骨が覗いている。
服は、右胸を喰っている最中に、邪魔だと思われたのかビリビリに千切られて辺りに散乱している。
そのため、麗佳の体はなにも纏っていない状態で、傷跡から流れ出た血が麗佳の白く綺麗な体を赤く染めていた。
次に目につくのは生々しい傷跡を見せる両腕。
両腕ともに醜く抉られた傷から骨が覗いていて、そこから血が少しづつ流れ出ている。
だが噴き出すほどの勢いはなく、それが麗佳の命が残り僅かであることを理解させられる。
その他にも、喰い千切られた左足や、抵抗しているときにできた無数の傷など、
今の麗佳の体は見るに耐えないものへと変貌していた。
最初のうちは喰われるごとに悲鳴を上げていたが、右胸を喰い終わった頃には、
か細く「あぁ…ぁ…」と呟くだけで、あとは成すがままだった。
もう、救いようが無く、麗佳は最期の時へと向かっていた。

―そして終焉の時は訪れる―

右手首を喰い尽した化け物は、麗佳の傍へ近寄ると、そのままその体をお姫様だっこのような形で抱えた。
麗佳の目は虚ろで、もはや見えているかも怪しい状況だった。
が、まだ生きていた。かろうじて生をこの世に繋ぎ止めていた。
そして、化け物は、今まさにその生を断ち切ろうとしていた。
麗佳の、血に塗れた腹部を自分の口に近付ける。
ゆっくりと、丁寧にみぞおちから、腹部、股間に至るまでの血を舐めとる。
まだ薄く血で汚れているが、麗佳の下半身は、綺麗だった。
雪のように白く、肉付きの薄い腹部はとても柔らかそうで、化け物にとっては最上級の御馳走のように見えた。
しばらく、その芸術作品を眺めた。
そして、おもむろに、裂けた口を限界まで開けると―

そのまま思いきり喰らい付いた

「ぎゃああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
それまで静かだったのが嘘のように、麗佳は絶叫した。
同時に激しく体を痙攣させる。
それは断末魔の悲鳴で、死のダンスだった。
「あああ!!…ごぼっ…がふっ…」
絶叫が突然切れたかと思うと、吐血した。
それを契機に痙攣も急激に弱まり、光を一瞬取り戻した目は暗く澱んでいった。
「あぁ…ぁ………」
最後に僅かに呻くと、化け物の腕の中で、麗佳は事切れた。
その目からは、涙が一筋零れ落ちた。


旧校舎の地下室。
そこはコレクション置き場だった。
そこに麗佳だったものは運び込まれた。
そこには20を超える先客がいた。
そして、そこには美紅と結衣も居た。
地下室の主は、麗佳だったものを美紅と結衣の間に飾った。
気のせいか、生前友人だったものに囲まれた、麗佳だったものの表情は、笑顔だった―気がした。

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最終更新:2010年05月05日 22:18