「ヒロー?随分長いけど、大丈夫ー?」
しかし、古汚れたトイレの中から返事は返ってこない。
『ここは汚いし、別のトイレに行ったのかしら?
でもここら辺には、ここしかトイレはないハズよね・・・というより、』
トイレの戸は内側から鍵がかかっており、開かなかった。
『これがもし故障なら、もう戻っているわね。』
内側から作り出された密室。
そして、そこから出てこない親友。
便通が悪いなら返事の一つも返すはず。
これは・・・
『状況によっては、遅延気味の原稿の足しになるかもしれないわ♪』
親友を思う気持ちと知的好奇心に耐えかねた沙英は、
長身を活かしてトイレの上の方から覗き込む事にした。
好奇心、沈黙、密室。
これらに気を取られ、状況判断が疎かになっていた沙英は、
血肉の芳香と、空腹を誘うような声で目を覚ました複眼の妖怪に気づかなかった。
まだ、この段階では。
「ヒロー、ちょっと覗くわ・・・」
彼女が目にしたのは、艶めかしい表情のまま息をしていない親友。
"それ"が、何かに引っ張られるようにトイレの中へ消えていく光景であった。
沙英が常軌を逸した光景に絶句している間にも、それはズリッ、ズリッと暗闇へと消えていく。
茫然自失となっていた沙英は、ようやく自分のとるべき行動に気づいた。
「い・・・いやあぁぁ!!ヒ、むぐぐっ!?」
しかし、全ては遅すぎた。
何かが彼女の口元を封じた後、彼女の全身をトイレの戸に張り付け、その動きを封じたのだ。
『え・・・なに、コレ!?』
それは白い糸のようなものであった。
細く、柔軟性を持ちながら強靭でもあるのか、暴れてもビクともせず、噛み切ることも難しい。
息はかろうじて出来るものの、声を発することは難しい。
助けを呼ぶことは、もはや不可能。
『や、やだぁ!助けて、ゆのぉ!』
理解を超えた出来事の連続からパニック状態になっている獲物を後目に、
狩猟者は狩りの仕上げを行う。
彼は結界を貼り、トイレ全体を不可視の状態にしたのだ。
上等の獲物を、外へ逃がさないために。
状況は絶望的であった。だが、それに沙英が気付くことはない。
沙英はパニックからは抜け出したものの、まだ親友を失った感傷から抜け出せずにいた。
『ヒロ・・・、こんなの夢よね?こんな悪い冗談みたいなお別れなんて、
私、絶対に認めないんだから・・・。』
体が十分に動かせず、声は出せない。
唯一自由な視界は、しかし首を動かせないことから、
背後にいるであろう襲われた相手を捉えることも叶わず、
今は誰もいない、親友の体液で濡れたトイレを写すしか能がない。
このような、小説よりも異質な状況こそ、彼女の現実。
美少女高校生小説家はその顔を悲哀に歪め、
認めたくない現実を頑なに拒むかのようにキッと目を瞑った。
その目からは、止め処なく涙が流れていた。
「-むぐぅ!?」
突如、沙英の首筋にナイフで刺されたような激痛が走る。
刺された箇所から何かを注入され、一瞬恐怖を覚えるも
直後に発生した体の異変に、それはかき消されてしまった。
初めは首筋の痛みが消えていき。
次いで手足から力が抜け、動かなくなり。
注入が終わるころには。
『あ・・・れ、ここ、どこだっけ・・・。』
頭がぼーっとして、思考が困難になってしまった。
何かの注入が再開されたときに彼女が感じたのは、
『あ・・・♪』
頭を溶かし尽くすような、抗しがたい程の、快楽。
それは瞬く間に全身へと広がっていき、
彼女の全身を性感体とするのにもさほど時間はかけなかった。
『からだがかゆくて・・・せつないよぉ・・・。だれか、なんとかしてぇ!』
かつて親友の死を悲しんでいた顔は、いまや快楽を欲する雌の表情へと変貌していた。
全身に麻痺毒と消化液が浸透した沙英という肉汁袋は、
今や食べられるのを待つばかりとなっていた。
ドクンッ!
『ひゃ・・・?ふ、ふあぁぁっ!?』
今まで注入していた物が吸入を始めたのは、
沙英の指先からつま先まで消化液が浸透した直後だった。
吸入による快楽は、人同士での交わりでは味わうことの出来ない程に濃密なものであった。
それこそ、魂すら彼岸へと押し流すほど。
『やぁ・・・、きえちゃうよぉ・・・。』
狩猟者は彼女の恐れを嘲笑うかのように、
沙英の体液をリズミカルに吸い取っていった。
ドクンッ!ドクンッ!ドクンッ!
『らめ・・・えぇん!あたひ、ほんとおに・・・いぃぃっ!ひえひゃ・・・・あ、あひぃぃぃ!』
既に洗濯板であることすらわからないほどに小さく薄くなっていたが、
吸入音が鳴る毎に、更に体と意識は薄く、薄くなっていった。
ようやく牙が引き抜かれたのは数刻後、哀れな少女の肉汁が皮袋から抜けきった頃であった。
かつて沙英と呼ばれた亡骸は、唯一無事だった頭部に、
白い皮がぶら下がっているという無惨な姿に成り下がっていた。
彼女の明晰な頭脳は、二度と文字を紡ぐ事はなく、
数多の風景を写し込んできたであろう瞳も、
今や完全に濁りきり、何者も写すことはないのだ。
狩猟者は、同居人に役得を与えるため首筋を噛み切って
首をトイレの中へと放り込んだ。
ヒロと沙英、二人の少女は冥府の前に、
まず河童の腹の中で再会を果たし、互いの組織を濃密に絡み合わせることであろう・・・。
最終更新:2010年05月06日 04:46