ステージの裏から地下に降りた瞬間、前を走っていた筈のミナとマオ、そしてレイカとユリの姿が跡形もなく消えた。
階段を降りてすぐに気付き、サエとエミは同時に足を止める。階段を降りた先は一本の長い廊下。廊下の奥には扉が
見えるが、そこに辿り着くには果たして徒歩で何分掛かるだろうか。その場から見える扉というのも、比較的視力の
良い二人でやっと見える程度の大きさだ。目算で一キロメートル程離れているような気がした。
 二人はきょろきょろと周りを見回すも、見えるのは白い壁だけだ。奥にある扉以外に、壁に扉は一つも見当たらない。
前を走っていた四人は一体何処へ消えたのだろう。ここに至るまでは本当に一本道だったのだ。四人もまたこの
廊下に来ている筈なのだが、姿はない。まるで神隠しにでも遭ったかのように。

「あ、あれ? 他の皆は?」
「さ、さぁ……」

 サエが問い掛けるもエミが答えられる筈がない。二人して首をそれぞれ別の方向に首を傾げている光景は、まるで
間に鏡でも置いてあるかのようだ。唯一違うのはカチューシャの色のみ。双子とは言え、それ以外は姿格好も含め
全く同じだ。
 鬼とやらは二人が入って来た道から出てくるのだろうか。捕まらないようにするためには、予めできるだけ離れた
位置にいる方が良いに決まっている。二人はどうするか相談する間もなく、「鬼が来たら走ろう」と言葉にせずとも
通じ合い、揃って歩き出した。最初から走っても疲れるだけだ。鬼とやらが後ろからやって来ない可能性も否定でき
ない以上、悪い判断ではない。もしかしたら奥の扉の向こう側で待機しているかもしれないのだ。
 いずれにしろ、二人は「所詮ゲームでしょ」と笑い合うだけで、深く考える事をしなかった。そう、確かに鬼ごっ
こというゲームでしかない。だが二人はまだ知らない。このゲームは勝つか負けるかの二択ではなく、生きるか死ぬ
かの二択だという事を。
 二人は暫く黙って長い廊下を歩いていた。響くのは二つの足音だけで、静かなものだ。そんな静けさを煩わしく思
ったのか、二人は同時に口を開く。

「ねぇ」

 同時に口を開かれては互いに遠慮して次の言葉が出てこない。ここまで思考回路も含めて瓜二つの双子も珍しい
だろう。言動や行動、考え方、そして容姿。全てに至って同じなのだ。例えば学校のテストでも全く同じ箇所を間違
った同じ点数という事もままあった。学校では誰でも知っているような人気者で、特に多くの男子から人気があった
が、誰も彼女達に想いを伝える者はいなかった。当然だ、サエとエミの内のどちらが好き、という想いではなかった
からだ。どちらでも良い、あるいはどちらもが良い、という想いの告げ方にしかならず、玉砕するのは目に見えて明
らかだ。男子にとってサエとエミは双子で、いつも一緒だから良いのだろう。
 サエが事実上の姉であるが、今となってはどちらが姉でも妹でも関係ない。幼少の頃から二人とも互いの名前を呼
び捨てで呼び合っている。二人の親もまた、姉だから、妹だからと言って二人を区別や贔屓する事なく育てていた。
結果として親でさえなかなか二人の区別ができなくなっているのは滑稽で、呼び間違えられる度に二人は笑って呆れた
ものだ。
 唯一、二人を完全に区別する事ができたのはレイカだった。どういう訳か彼女だけは二人を呼び間違える事なく、
的確に話をするのだ。初めて会った時から戸惑う素振りさえ見た事がない。学校では名札を見れば分かるが、プライ
ベートで遊ぶ時でも関係なかった。二人が意図したように全く同じ格好をしていたのにも関わらず、だ。別に二人は
騙そうとしていた訳ではなかったが、一度彼女に聞いた事があった。「どうして分かるの」と。返って来た答えはある
意味でシンプル、そしてある意味で複雑怪奇なもので、「二人は似てるけど、やっぱりサエちゃんはサエちゃんで、
エミちゃんはエミちゃんだから」という事だった。そう言ってクスクスと笑うレイカを前に、二人して頭にクエスチ
ョンマークを浮かべたのも記憶に新しい。
 多分、エミも同じ事を考えてるんだろうな――とサエはエミの目を覗き込み、微笑んだ。

「この鬼ごっこに勝ったら、エミは何をもらうの?」
「うーん、勝った時に考えるかなぁ」

 やはり同じ事を考えていた。せっかくの機会だから高価な物が欲しいところだが、具体的に思い浮かぶ物は何一つ
ない。宝石やブランド物、有名な絵画――……二人はどれも自分達には似合わないと思っていた。金銭も毎月親から
貰う小遣いで不便していない。思い浮かぶのはせいぜい将来の事を考えて、現金を貰って貯金するか、あるいは親に
新しい自動車でも贈る事ぐらいだろうか。
 いずれにしろ、勝つ前から勝った時の事を考えても仕方がない。負けたら何も貰えないのだ。
 ふと、エミはようやく負けた時――即ち鬼とやらに捕まった場合、どうなるのか何も聞いていない事を思い出した。

「ねぇサエ、この鬼ごっこって鬼に捕まったらどうなるのかな?」
「どう、って……ただのゲームでしょ? 普通の鬼ごっこだったら鬼を交代するけど、ホールまで強制送還とかじゃないの?」
「そ、そうだよね、別に罰ゲームがあるとかじゃないよね」
「そんなのがあるとは聞いてないよねぇ……もしあったら詐欺よ、詐欺! 訴えてやるんだから!」

 そう言ってサエは笑うが、一体誰を訴えるというのだろうか。自分達を誘ったレイカ達だろうか、それとも説明し
なかったクルミだろうか。あるいは客席に座っていた協賛者全員だろうか。この場合、訴えるのであればイベントの
主催者になるのだろうが、主催者が誰であるか知る由もない。招待状には知っての通り何も書いていなかったのだ。
 考えを巡らせると余計な疑問しか出て来ない。恐らく考えたところで見出せる事のできない答えなのだ、考えるだ
け無駄だ。二人は自然と早足になる。心の中で「罰ゲームなんかない」と言い聞かせながらも、もしもの事を考える
と不安になったのだ。
 奥に見える扉が随分と大きく見えるようになった。二人は長い廊下の中腹に当たる箇所まで歩いて来ていた。休憩
するように二人は足を止め、恐る恐る後ろを振り返った。誰も――否、何もいない。入って来た階段もまた随分と小さ
く見えるようになっていた。周りを見回しても相変わらず何もなかった。こんな殺風景な廊下にする必要などあった
のだろうか。
 一本の短い糸。エミは丁度それを踏み付ける形で足を止めていた。白い廊下の上に落ちていたそれに気付く由もな
かった。いや、仮に気付いていたところでそれを避けようとは思わなかっただろう。少なくとも見た目はただの毛な
のだから。
 糸はもそもそと独りでに動き出す。エミの靴に挟まれていたが僅かに開いた空間から抜け出し、靴の上へと出た。
糸は動きを止める事なく、彼女の足に張り付いて上へと上り始めた。エミはまだその存在に気付かない。素足を上ら
れているというのに、その感覚が全くなかったのだ。糸は念の為、サエに見付からないように彼女の死角から――脹脛
の方から上っている。
 糸が臀部にまで到達した頃だろうか、二人は歩き出した。糸は既にエミのスカートの中、白いパンツの真下にいた。
糸はまるで振り落とされないようにするかのようにパンツの中に潜り込むと、顕微鏡でしか見えない大きさの小さな
歯を立てた。糸――否、それは小さな小さなミミズのような虫。虫は歯をエミのお尻に押し当てると、皮膚に小さな穴
を開け、その穴から全身をエミの中へと侵入させた。

「――痛っ!?」

 ビクン、とエミの身体が飛び跳ねた。同時に両手で痛みが走ったお尻を押さえるも、そこに何か異物があるような
感触はない。彼女はそのまま大胆にもスカートの後ろを捲り上げ、直にお尻を触った。やはり何もない。恐る恐るお
尻に触れた指を眼前に持って来るが、血は付着していなかった。

「どうしたの、エミ? お尻がどうかした?」
「きゃっ! ちょ、ちょっとサエ!?」

 サエは更に大胆だった。突然声を上げたエミの背後に回ると、両手でパンツの端を持って膝辺りまでずり下ろし、
そしてスカートを捲り上げたのだ。ぷるんとした形の良いお尻が露になる。まじまじとエミのお尻を凝視するサエ。
何も変わったところはない。

「いっ、いくら双子でも恥ずかしいって、サエ! 息がお尻に当たってくすぐったい……っ!」
「な~んにもなってないよ? 心配なら痛かったところを舐めてあげよっか?」
「いいよそんなのぉっ! は、早く元に戻して!」
「はいはい、今戻すね」

 サエは素早くパンツを上げ、スカートを持っていた手を離した。あっという間に元通りになるが、エミはやはり痛
みを感じたお尻に違和感を感じていた。あの痛みはまるで家庭科の時間に待針を誤って手に刺してしまったそれに似
ていた。だが針や棘が刺さったのであれば血が出ている筈の上、サエに直に見てもらっても何もなかったという事
は、やはり気のせいだったのだろうか。いや、そんな筈はない。
 エミは暫く気恥ずかしさに顔を赤くしながらも、やがて引き続きサエと並んで歩き出した。そうしている間にも
お尻から侵入した小さな虫は動きを止めない。誰にも気付かれないまま、エミの中のとある場所へと神経を掻い潜り
ながら進行していった。
 更に十分程歩いた頃には、エミは先程の痛みの事などすっかり忘れてしまっていた。代わりに下腹部に違和感を覚
え始めた。違和感が痛みへ、そして激痛へと変わっていくのにさほど時間は掛からなかった。自然と額に脂汗が浮き
出し、息遣いが荒くなる。隣のサエが気付かない筈がない。

「エミ、具合悪いの?」
「……お腹、痛い……っ」
「え~っ、困ったなぁ、ここにトイレなんかなさそうだし――……」
「ト、トイレじゃないと思う、この痛み、は……うっ、く……はぁっ、はっ、つ……ぅっ!」

 エミが手で押さえている場所に気付いた時、サエはハッとして自分の下腹部にも手を当てた。下腹部を押さえて痛
みを訴えるとしたら、周期的に訪れる“あの日”しかない。サエとエミはこれまで“あの日”さえも全く同じ周期
だった。だから自分にも訪れると思ったのだが、それは違う。前回“あの日”が来てから、まだ二週間も経っていな
いのだ。エミだけ周期が早くなる筈がない。また、こんなに激しく痛みを訴えるのを見るのも初めてだった。

「ちょ、ちょっとエミ! しっかりしてよ!」

 とうとう痛みに耐え切れなくなったエミはその場に蹲った。頬や足を伝う脂汗の量から尋常ではない事態だという
事が分かる。鬼ごっこをそっちのけで今すぐにでも救急車を呼びたくなったサエは、何をすれば良いのか思考を巡ら
せる。ここはコンサートホールの地下で、進むにしろ戻るにしろどちらも距離がある。動けないエミを背負って歩く
には時間が掛かり過ぎる。ふと、サエの頭の中にホールで聞いたクルミの言葉が過ぎった。

 ――あちこちに監視カメラがあるから道に迷っても大丈夫だよ。

 サエは慌てて改めて辺りを見回した。監視カメラらしき物は何処にも見当たらない。いや、単純にイベント参加者
に見えないように工夫がしてあるだけで、本当にあちこちにあるのかもしれない。そのカメラにマイクが装着されて
いるかどうかは疑問だったが、彼女はすぐに何もない廊下の天井に向かって、人差指と人差指で“×”を作りながら叫んだ。

「すみません! 私達ここでゲームをやめます! エミの具合が悪いんです! だから迎えに来て下さいっ!!」

 そう叫んだ後、サエの耳に聞こえてきたのは更に激しさを増した背後からのエミの嗚咽だけだった。聞くに堪え
ない、本当に苦しくて辛そうな声だ。鬼ごっこどころではない。サエは一人で鬼ごっこを続けたいとは微塵も思わな
かった。ゲームよりもプレゼントよりも遥かに大事なのは、自分の分身とも言えるエミの身体だ。
 サエは視線をエミへと戻した。エミは仰向けに倒れていて、両手で下腹部を押さえながら悶絶していた。とても周
期的に訪れる生理による痛みだとは思えなかった。彼女の身体の中で“ナニカ”が起きているのだ。
 異変はサエが見守る中で始まった。エミの下腹部がまるで妊婦のように膨れ上がり始めたのだ。見る見る内に大き
くなっていくエミの下腹部。異常な光景にサエは目を丸くし、腰が抜けてぺたんと床に尻餅を付いた。下腹部は着て
いた衣服から飛び出す。直で見ると肌がパンパンに膨れ上がっており、中にサッカーボールでも入っているかのようだった。
 下腹部の膨張は止まった。代わりに膨張した下腹部の内側から“ナニカ”が蠢いているのが外からでも見えた。

「なっ、何コレ……怖い、怖いよぉっ!!」

「ぁ……ぁあ……っ!?」

 サエは言葉を失うしかなかった。あまりにも非現実的な光景だ。以前映画でも同じようなシーンを見たことがあった
が、それはフィクションの世界だからこそ可能なのだ。その映画では性交渉をした直後の女性の下腹部が膨れ上がり、
やがてお腹を突き破ってグロテスクな赤ん坊が飛び出していた。女性はもちろん死に至っていた。
 ――そんな映画通りの事が現実に起きようとしているのか。いや、それとは比較にならない程の惨劇が起きようと
していた。

「熱いよ、痛いよぉ……っ、お腹の中で“ナニカ”が動いてるよぉぉぉっ!!」

 膨らんだお腹の中を“ナニカ”が蠢く。エミは自分のお腹の上に無数の筋のようなものが浮かび、動いては消える
ものを見て、気を失いそうになった。お腹が邪魔して彼女の位置からはサエの姿を見る事ができない。彼女は見えな
いサエに向かって徐に手を伸ばした。自分の身体に何が起きているのか分からない。それが恐怖と化して彼女の身体
を縛りつけようとしていた。それを和らげられるのは、今この場にはサエしかいないのだ。
 どうして良いか分からないサエだったが、伸びてきた手を放っておける筈がない。彼女はすぐにエミの手を握った。
励ますように両手で自分の手の温もりを伝えようとする。エミの手は氷のように冷たく、震えていた。震えていたの
はサエの両手も同じだった。それでも彼女は必死でサエの両手を握る。大丈夫、私がここにいるから大丈夫――と言わ
んばかりに、強く、強く。

「エミ、しっかりして! お願いだからしっかりしてよぉっ!」

 せめて気休めの言葉でも掛けれてあげられるのであれば良いが、この状況でそんな都合の良い言葉は思い付かない。
サエが叫んだ言葉も喉の奥からやっと出てきた言葉だ。何を言ったところで気休めにもなりはしない。サエは何もし
てあげられない自分が歯痒かった。エミの身体の中で起きている異常のため、痛みを分かち合う事もできないのだ。
似た状況で妊婦の出産であれば「頑張れ」で済むが、果たしてこの状況としてその言葉は適切だろうか。答えは断じて
否である。
 エミの身体がビクンと跳ねた。まるで“ナニカ”に身体を支配されているかのように、彼女の両足が自然と広がっ
ていく。膝を立てるとサエの位置からは白いパンツが丸見えだ。パンツは失禁したかのように濡れていた。だがそれ
は決して尿ではない。そして愛液でもない。赤い血が入り混じった透明の液体が何であるか、サエが気付いた時には
もう、“ナニカ”は動き始めていた。

「ぅぁあああっ!! ああっ、はぁあああっ!! いっ、いやぁ……“ナニカ”が出て来ちゃう……っ、んっく、
出て来ちゃう、よぉ……っ!!」

 内側から子宮口が開かれる感覚。次いで膣内を“ナニカ”が這う感覚。それは一つ――否、一匹どころではない。
何匹も何匹も膣内で暴れながら出口を目指す。やがて、一匹が出口まで辿り着いた。
 ――出口、それは膣口。ぷくり、とエミのパンツが膨れ上がった。膣口から一匹の“ナニカ”が顔を出したのだ。
“ナニカ”はそのまま真っ直ぐに進もうとするが、薄い布が邪魔をして外へ出られない。“ナニカ”は口を開き、
布に噛み付いた。そして呆気なく噛み千切られたパンツから、それはサエの前に姿を現す。
 おちんちんが生えた――サエはそう思った。パンツの穴から飛び出したそれはまさに男性器だった。現物をさほど
見た事がない彼女だったが、子供の頃にお風呂で見た父親のそれとまるで同じ形状だった。唯一違う箇所はただ一つ、
それには口があった。新鮮な空気を吸い込むかのように開閉を繰り返すその小さな口には鋭く尖った歯が円を描いて
規則的に並んでいる。いや、良く見ると僅かながら百足さながらの足も生えていた。何とも生々しい形状をしたそれ
は蟲なのだ。

「ぎゃっ、あああああっ!! 痛いぃぃぃっ!! 痛いっ、痛い痛い痛いぃぃぃっ!!」

 サエの前に姿を現した一匹が膣口からにゅるりと滑り落ちた後は早かった。エミの膣の奥から次から次へと虫が
這い出てくる。あれだけ膨らんだお腹なのだ、入っていたのが男性器の大きさをした虫一匹だけである筈がない。
 五匹、十匹、二十匹。数えるのが嫌になる程に、ビチャビチャと音を立てながら床に大量の蟲が落ちて行く。恐ら
く全てを排出し終えたのだろう、エミのお腹は元通りの大きさになったが、暫く開きっ放しだった膣口は閉じられる
事なく、ピンク色の穴の中が丸見えとなっていた。エミは口の両端から涎を垂らし、床に突っ伏して微かな嗚咽を漏
らしながら激しい吐息を繰り返している。サエの手の中のエミの手は完全に脱力し、サエが握っていなければ間違い
なく床に落ちるだろう。サエは異様な光景に言葉を失いながらも、それでも手はしっかりと握り続けていた。

 ――ギィ、ギィィ。

 金属と金属を擦り合わせるような嫌な音で、蟲達が合唱する。その鳴き声はまるで母親を呼ぶ赤ん坊のそれのよう
だった。この場合、母親と呼べる存在はエミだ。子宮内で成長させ、産み出した母体。蟲達は一斉にエミへと向き直
り始める。
 生物の中には、産んだ子供のためにその身を捧げるものがいる。文字通り子供達の初めての餌となるという事だ。
母親は喜んで子供達に身体を喰わせ、そして死に至る。遺品というべきか、遺骨というべきか、喰われた後に残るも
のは何もない。まるでその存在が最初からいなかったかのように、跡形も無く姿を消すのだ。

 ――ギギィ、ギギィ。

 エミの身体から産み出された蟲達もまた、そういった性質を持っていた。母体が望んでいようが望んでいまいが、
蟲達にとっては関係ない。蟲達にとって、産み出してくれたその身体は餌でしかなかった。
 もぞもぞと床を這うように、数匹がエミの顔へと近付いた。薄っすらと開かれた目から、自分がどんな存在を産ん
だのか見る事ができた。見るべきではなかった。歪んだ景色からはまさに、自分に近付いてくる男性器に見えたのだ。
 エミの頭の中が真っ白になり、混乱する。何故こうなってしまったのか、何故こんな蟲が自分から産まれて来たの
か。答えは闇の中にしかなく、答えを導き出したところで末路が変わる訳でもない。やがてエミは何も考えられなく
なった。放心状態で、虚ろな瞳で床で蠢く蟲達を眺めていた。
 サエは動くのが遅かった。エミが出産した直後に彼女の身体をおぶってその場から逃げ出しておけば、あるいは彼
女は助かっていたのかもしれなかった。
 逃げよう――とサエがエミの身体へと手を回そうとした瞬間だった。蟲達は二手に分かれて一斉に動き出した。エミ
の顔の近くにいた蟲達は開かれたままの口の中へと飛び込んでいく。そして残りは同じく開かれたままの膣の中へと
飛び込んでいった。

「――んぶぅっ!? おごっ、ぐぇぁ……おぇぇえ……っ!!?」

 エミの口の中に侵入していく蟲達。一匹だけでも口の中に収まり切れないというのに、何匹も何匹も口の中へと飛
び込んでいく。膣も同じだった。ものの数秒の内にエミの身体の二箇所から磯巾着が飛び出しているかのような状態
となる。口からも膣口からも入り切らない蟲達の尾っぽが無数に飛び出しているのだ。そしてもう一箇所、膣の下に
位置する小さな菊座からもそれは飛び出していた。

「おごぇぇ……っ、ぅぇっ、げぇ……がぼっ、ごぶぅ……っ!!」

 鼻と耳の穴に蟲が入ろうとしないのはせめてもの救いだろうか。いや、いずれにしろエミを襲う苦痛は変わらない。
口を犯され、膣を犯され、果ては肛門まで犯される。レイプされているような錯覚に陥るが、現実はもっとおぞましい
ものだ。犯しているのは自らの子宮から産み出された蟲なのだ。こんな状況では暴漢にレイプされている方が遥かに
マシだろう。
 エミが白目を剥く様を見て、サエはハッとありえない光景に動けずにいた自分に気付いた。目を丸くしている場合
ではない。腰を抜かしている場合ではない。このままでは大切な妹が蟲達に弄ばれ続けてしまう。サエは両手に握っ
ていたエミの手をやや乱暴に床に落とすと、その両手をそのままエミの膣口から出ている一匹の蟲の尾っぽへと伸ばした。

「エミっ、エミぃぃぃっ!! このっ、エミから出てってよぉっ!!」

 ぐにゃり、と尾っぽを握った両手に伝わる感覚はまるで本物の男性器を握っているかのようだった。生暖かく、そ
して適度に柔らかい。込み上げてくる気持ち悪さに負けている場合ではないと分かっていたサエは、そのまま力一杯
一匹をエミの膣から引き抜いた。思いの他呆気なく抜けたせいで彼女は床に尻餅を付き、その拍子にエミの体液で濡
れていた蟲はサエの両手から滑り落ちた。
 サエは引き抜いた蟲をもう一度手に持ち、壁に投げ付けようとした。だが、危害を加えられた蟲は彼女を敵と見做
してしまっていた。蟲は近付いて来たサエの右手を素早い動きでかわすと、彼女の細く繊細な小指に噛み付いた。

「あぁぁぐっ!!?」

 小指に激痛が走った瞬間、そこには既にもう小指はなかった。付け根から蟲に食い千切られたのだ。小指があった
箇所から噴水のように血が吹き出ると、サエはあまりの痛さに左手で傷口を押さえて悶絶した。彼女の小指を噛み千
切った一匹の蟲は嘲笑うかのように口から小指を飛び出させたまま、じっと彼女の方を向いている。やがて彼女が蟲
を見たところで、蟲はようやく小指を口の中へと放り込み、激しく音を立てながら咀嚼した。もう一度蟲が口を開い
た時、そこには血に濡れた痕があるだけだった。
 サエがそうしている間にも事態は進行していく。蟲はエミの口と膣と肛門を犯しているだけに見えたが、生憎そう
ではない。蟲が欲しているのは彼女の体液ではなく、餌と化す身体そのものなのだ。蟲達はただそれぞれから再び彼女
の体内へと侵入しようとしていた。

「――ッ!!?」

 エミの身体中を声にならない苦痛が駆け巡る。口の中の蟲達が一匹ずつ喉の奥へ侵入していったのだ。狭い食道が
次から次へと押し広げられていき、やがて胃へと到達する。何匹もの蟲達が狭い胃の中で暴れる感覚。それだけでも
耐え難い苦痛だと言うのに、膣と肛門に群がっていた蟲達も同様に中へと侵入していく。気が付けば外に出ている蟲
の姿は一匹もいなくなっていた。全ての蟲が再びエミの中へと入ったのだ。彼女のお腹は再び大きく膨れ上がっている。
 身体の内側で異物に暴れられる不快感は、エミの精神を壊していく。脳や神経までまともに働かなくなっていく。
エミは必死に胃の中の蟲達だけでも吐き出そうと必死だったが、口まで込み上げてきたのは少しばかりの酸味の強い
液体だけで、蟲は一匹も出てきやしない。膣や肛門も同様だった。排泄するかのように力を込めても、膣から出てき
たのは入っていた空気、肛門から出てきたのはおならだけだった。聞こえてきた間抜けな音に恥ずかしさを覚える余
裕はエミにはなかった。

「――エミっ!!!」

 サエは激痛を我慢しながら、エミの身体を起こそうとした。
 もう自分だけではどうにもならない。助けも来ない。では自ら助けを求めて進む以外に道はない。
 彼女は蟲達がこのままエミの身体の中で何もしない事を祈りながら、エミを負ぶって来た道を戻ろうとしていた。
ホールにいた人間もクルミもこうなる事が分かっていながらも参加させたのであれば、無事に戻れたところでエミを
助けてくれる可能性など皆無だろう。だがそれでも、サエにはそうする事しかできなかった。皆無に等しい可能性に
縋るしかなかった。

「エミ、大丈夫よ! ちょっと蟲が身体の中に入っただけ! こんな蟲なんか、皆でやっつけちゃうんだから……っ!」

 サエの視界は自然と吹き出た涙で歪んでいた。心の奥底で彼女も分かっていたのだ。人間の小指を造作もなく食い
千切るような蟲が、エミの身体の中で何もしない筈がない。即ち、エミはもう助からないという事を。
 だがサエにとってエミは掛け替えのない妹だ。簡単に見捨てられるものか。サエはエミを背中から抱き起こそうと
する。だが一向にエミの身体は一ミリメートルたりとも浮く気配がなかった。彼女は負けじとばかりに歯を食い縛っ
て傷の痛みに耐えながら、全力で力を入れる。だが結果は何も変わらない。まるで床に据え付けられた鉄でも持ち上げ
ようとしている感覚だった。身体の中に大量の蟲が入っている分、体重が重くなるのは至極当然だが、ここまで重く
なるものだろうか。あるいは中で更に繁殖を繰り返しているのかもしれない。それを肯定するかのように、エミのお腹
は先程より大きく膨れ上がっていた。今にも破裂してしまいそうな程に。
 慣れてきたのだろうか、エミは仰向けに倒れたままだったが、瞳に生気が宿った。身体はやはり自分の力で起き上
がれそうにもなく、今してもらっているようにサエに手伝ってもらったところで同じだろう。身体の中では相変わら
ず蟲達が所狭しと暴れている。その感覚もまた、先程に比べると随分とマシになっていた。
 エミは瞳を下へ向けた。大きく膨れ上がったお腹が見える。あまりに非現実的な光景が可笑しくなったのか、エミ
は力なく笑った。

「サエ……もういいよ……」
「何言ってるのよ! ほら、立って……っ、ひぐっ、お願い、だからぁ……立ち上がってよぉ……っ!!」

 ぽたり、とエミの頬にサエの涙が弾ける。

「……ダメだよ、もう。動かないの。それとね、私の身体から産まれたからかな、蟲のキモチが何となくだけど分かるの……」
「えぐっ、何も……っ、何も言わないで……何も聞きたくないっ! 聞きたくなんかないよぉっ!」
「この子達はね、私を食べたがってる……その後はきっと、サエが狙われちゃう……っ、だから、だからね……?」
「何も聞きたくないって言ってるじゃないっ!!」
「――……お願い、サエ。私を放って逃げて。サエだけでも……お姉ちゃんだけでも逃げて……っ! 私の身体から
もう一度蟲が出てくる前に……っ!」

 聞きたくなかった言葉。認めたくなかった現実。
 エミには全てが分かっているようだった。このまま自分が何も言わなければ、きっとサエは自分を助けようとする。
だが決して助ける事はできずに、サエもまた蟲に喰われてしまうのだと。
 死にたくない。死にたくなんて、ない。だけど……きっともうどうにもならない。だからお姉ちゃんだけでも
逃げて。お願いだから逃げてよぉ――。
 ひしひしと伝わってくるエミの気持ちに、サエはまた彼女の頬を涙で濡らした。本当は言葉を交わす必要などな
かった。容姿も考え方も全く同じ、双子なのだから。もしサエがエミと逆の立場だったなら、迷わずにエミを逃がそ
うとしただろう。
 分かっていても、簡単に割り切れる事ではない。サエの中で激しい葛藤が繰り広げられる。
 助けたい、だが助けられない。死にたくない、だがエミを見捨てられない。これは夢だと信じたい、だが夢ではない。
 そうしている間に、エミの中の蟲達が一斉に口を開き始めた。

「あ――」

 内臓が喰い散らかされていく。血が啜られていく。肉が噛み砕かれていく。
 口、膣、肛門。それぞれからほぼ同時に血が吹き出る。傷付けられた内臓から吹き出た血が逃げ場を求めた結果だ。

「――エミっ、エミぃ……っ!!」
「がふっ、がぁ……はぁっ、にっ、逃げてよぉ……ぎぃっ、あぐ……っ、食べられちゃうところ、なんてぇ……
お姉ちゃんにだけは見られた、く――……」

 エミの言葉のそれ以降は、言葉にならない悲鳴へと変わった。

「あ゛あ゛あ゛あ゛っ!! はぁあ゛あ゛あ゛っ、はっ、ぁあっ、ぎゃあ゛あ゛あ゛っ!!!」

 中の蟲達がそうさせているのだろう、ビクン、ビクンとエミの重い身体が何度も跳ねる。蟲達が本格的にエミの
身体を内側から喰らい始めたのだ。内臓や血肉だけでなく、骨さえも噛み砕かれるくぐもった音が聞こえてくる。
 エミが一際大きな濁った咳をすると、彼女の口から大量の血が吹き出た。サエに付着したその血は赤というよりは
赤黒かった。少々粘り気もあるそれは、紛れもなく普段出血する事のない箇所から溢れ出たものだ。留まる事を知ら
ない出血が彼女の喉を遮ると、もう断末魔に似た悲鳴も発せられなくなった。唯一発せられたのは「ゴポゴポ」と水
の中で息を吐いたような音のみ。
 サエはその光景に後退りし、ようやく踵を返して一目散に走り出した。目指す先は入って来た道。走れば数分で
ホールまで戻れるであろう、その道。彼女はもうこれ以上見ていられなくなったのだ。エミの身体が壊されていき、
喰われていく様を。それはまるで自分の身体がそうされているかのように見えたからだ。
 もうイヤぁ……っ、何なのよコレ! 一体何なのよぉぉぉぉぉ――。
 出血が止まらない小指の付け根から血が垂れて、ポタポタと赤い点を白い床に作っていく。事切れる寸前、エミは
その血の点々を虚ろな瞳で追い、やがてサエが走り去る後姿へと追いついた。そして見てしまう。サエの背中にくっ
ついて離れない“ナニカ”を。
 エミは最期の力を振り絞って声を上げようとした。サエに“それ”を伝えようとした。だが、その瞬間だった。

 ――ブシャアアアアッ。

 血が吹き出る音と共にエミの膨らんでいたお腹の肉と皮膚を噛み千切り、中から大量の蟲が外へと顔を出した。





 僅か数分後、エミが横たわっていた床にあったのは、人の形をした血の痕と、何かが這った痕だけだった。

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最終更新:2012年11月28日 22:24