南海の孤島に大型船が上陸した。タラップがかけられると、そこから数十人ほどの人間たちが続々と降りてくる。
 南の島をエンジョイする旅行ツアーなのだろうか。しかし、それにしては不自然な光景だった。
 なぜなら、島に上陸した者たちは、みな若い女性だったからである。
 年齢層には多少ばらつきがあるとはいえ、それでも十代半ばから二十代後半までの範囲でしかなさそうであった。
 どう考えても、彼女たちはお互いに面識があるとは思えない。それならば、この奇妙なまでに客層が偏ったツアーとは何なのか。

「皆様、ようこそおいで下さいました」
 主催者だろうか、女にしては背の高い、真紅のドレスを着た貴婦人が大衆に向かってそう言った。一同は一斉に貴婦人に注目する。
「あそこに見えますのが皆様の宿泊先でございます」
 貴婦人は森の少し奥のほうにある、やけに大きな建物を指差した。すると女性たちから驚きと喜びの声が上がる。
「あちらに着いてから、完全自由行動といたします。ぜひこの現代の秘境でバカンスをお楽しみください」
 一人の婦人についていく女性たちの長い行列ができる。彼女たちは道中それぞれの連れと楽しそうに話していた。


「ホント、ラッキーだよね。南国ツアーに無料で行けるなんて」
 あどけなさの残る顔立ちの、薄オレンジ色のワンピースを着た長髪の少女がこう声を出した。
 友人だろうか、彼女の両隣にいる少女たちも同調するように数回うなずく。
「これもあたしらの日頃の行いの良さでしょ」
 先程最初に声を発した少女の右にいた、彼女とは反対に髪を短くしているノースリーブの少女がこう言うと、三人の少女は一斉に笑い出した。
「ノゾミはいつも授業中寝ているくせに」
 すると、長髪の少女の左隣りにいる、ボブカットに整え、メガネをかけた少女がつっこみを入れた。それでさらに笑いは広がる。
「でもさー、なんで女の人ばかりなんだろ?」
 ノゾミは船の中でも気になっていた疑問を、初めて友人たちにぶつけてみた。南の島の暖かく解放的な気候がそうさせたのかもしれない。
「そりゃあ、若い女の子向けの雑誌の懸賞だったからでしょ? ねえ、マリ」
 メガネの少女がワンピース姿の友人に同意を求めるように尋ねる。
「うん、そうだね」
 しかし、そう言われてもノゾミはまだ納得していないような表情を浮かべていた。
「それでもさあ、カップルくらいはいそうじゃん。別に女性限定ってわけでもなかったし」
「たまたまじゃない? 気にしすぎだよ」
「そうそう。あっ、ノゾミ、あんたもしかして男漁りでもしたかったの」
「ばっ、バカ、それはお前だろキョウコ」
 三人娘はまたけらけらと笑い始めた。


 ――だが彼女たちは知らなかった。ノゾミの疑問が、まさにこのツアーの核心を突いていたことに。
 女性だけが集まったのは偶然ではない。
 若い女性向けのファッション誌だけにツアーの懸賞があったこと。
 そして、応募はがきに応募者や同行者のフルネームと年齢・性別を書かせる欄をもうけたこと。
 さらには、無作為ではなく希望者の性別や年齢を見て意図的に当選者を決めたこと。
 つまり、これらはすべて仕組まれたことであったのだ。

 女学生三人から少し後ろのほうに、二人の年若い女性がいた。
「いやー、いい場所だね」
「うん」
 二人は社会人である。運良く当選した(と彼女たちは思っている)南国ツアーのため、夏季休業をとってこの島にやって来たのだ。
「こうしてユリナと遊べるのも、しばらくはおあずけになっちゃうね」
「そうだね」
 ユリナと呼ばれた女性は寂しそうに返事をした。
「でもまあ、おめでたいことだから、ね。ホント、結婚おめでとう」
「ありがとう、ミカ」
 ユリナは先月籍を入れたばかりである。22歳という遊びざかりでの結婚は、現代からしてみれば少しばかり早い決断かもしれない。
 また、夫からは家庭に入ることを望まれ、それゆえ仕事は今月いっぱいで辞めることになっている。
 専業主婦になれば、夫を支えるため炊事洗濯といった家事を年がら年中休みなく行わなければならない。
 それに、近い将来は育児にも力を注がなくてはならないだろう。
 そう考えると、このバカンスは羽根を伸ばせる最後の遊びとなる。
 結婚に後悔などないとはいえ、親友のミカと頻繁に遊べなくなるのは、ユリナにとっては辛く悲しいことだった。
「式は来月だっけ?」
「そう。だから旅行が終わったら結構忙しくなるかも。仕事のほうも引き継ぎとかあるし」
「よし、それならこの一週間は、遊びに遊ぼうや」
 そう言ってミカはユリナの背中を大きく叩いた。少し強かったのか、仕返しとばかりにユリナも同じことをミカにした。
 そして二人は少女のように楽しく笑うのだった。


 こうして様々な女性たちが、この南海でのバカンスに胸を躍らせていた。
 しかし、これが彼女たちの最後の笑顔となる。
 宿泊先だという建物に着いたとき、彼女たちの運命は一転する。
 そしてこの孤島が彼女たちに与えるのは、恐怖と苦痛と絶望の連鎖だけであった。

一行はついに宿泊先だという大きな建物の入り口に着いた。
 てっきり豪華ホテルだろうとツアー客は思っていたが、近くで見ればそれは無味乾燥な白壁の研究棟といった外観であった。
 少なからずの人間が心の中で不満のため息をついたが、やがてこれは無料ツアーなのだからと諦める。
 それに、メインは南島の青い海なのだ。
 女性たちは無意識のうちに水着の入ったバッグに手を当てていた。
「それでは、荷物をそれぞれのお部屋に置いた後、6時半までに大食堂へお集まり下さい。そこで夕食となります」
 貴婦人の指示が終わると、女性客たちはそれぞれに割り当てられている部屋へと向かっていく。
 あらかじめ部屋番によって方法標識が明記されているため、一行は全員が迷わず自分の部屋へ着くことができた。
「あっ、ここだ。でも部屋が四階なんて運がないなー」
 ミカはそう言って取っ手を握り、扉をゆっくりと開ける。
 しかし――部屋には何もなかった。
 ベッドはもちろん、テーブルもイスもクローゼットも何もない。とてもここで泊まることなどできない殺風景な部屋であった。
「なに・・・これ」
 ミカは放心してつぶやく。するとようやく部屋の様子を見たユリナも驚いた。
「いくらなんでも、これはあんまりじゃん。確かに無料だけど、でも懸賞ツアーでしょ」
 半ば怒りのこもった声でミカは言った。
「あれじゃない? ほら、寝るときになったら布団が運ばれてくるとか」
 リゾートで事を荒げたくないのか、ユリナはなぜか主催側を擁護する。
「そんな手間のかかることすると思う? はん、どうせ懸賞旅行に応募するのは貧乏人ばっかだってバカにしてんでしょ!」
 ミカはもう完全に怒り心頭だった。荷物を放り投げるように部屋の中に置くと、ユリナにもそうするよう促す。
 ユリナは荷物を冷たいリノリウムの床にそっと置き、すでに早足で部屋を去っていくミカの背中を追った。
「文句の一つや二つ言ってやらないと」
 ミカは息巻きながら大食堂へと続く道を進む。すると足早に歩く女性たちが一人、二人とミカたちの前後に現れる。
 どうやらどの部屋も同じ状態のようだ。ミカはますます頭に血を昇らせた。
 大食堂の入り口には大勢の女性が集まっていた。そして皆殺気立っている。ノゾミもその一人だった。
「どういうことですか!」「説明しなさいよ!」
 女たちの怒号が飛ぶ。ノゾミもまた流れに乗って野次を飛ばした。
「やめようよ、ノゾミ」
 マリが友人をたしなめる。その様子をキョウコはやや不安そうに見守っていた。
「やめるわけないだろ! あんたねえ、バカにされっぱなしでいいの!?」
 語気の荒いノゾミの迫力に気圧され、マリはすくんでしまった。
 そんなマリをフォローするかのように、キョウコがその小さい肩を優しく叩く。
「部屋はもぬけの殻、そして何? 今度は夕食も用意されていないってわけ!?」
 ノゾミの言うとおり、大食堂のテーブルには皿の一つも置いていない。夕食開始の時間まではあと10分もないというのに。
「説明しろー!」「出てこいやー!」
 怒号は徐々にエスカレートしていく。このままでは暴動が起こりそうな気配だった。
 するとその時、大食堂の奥から、これまで案内人を務めていた真紅のドレスの貴婦人が優雅に現れた。
 主催者はようやく大衆の目の前に姿を見せたのである。
 彼女の口元には薄っすらと笑みが浮かんでいる。この状況を心底楽しんでいるとでもいった表情だった。
「皆さん、ようこそお集まりくださいました。これより夕食を開始いたします」
 料理など一つとしてない大食堂で、貴婦人は部屋全体に行き渡る澄んだ声を出した。
「ふざけるなぁ!」「どこに料理があるんだよ!」
 いきり立った女性たちの何人かが、貴婦人につかみかかろうと大食堂の中へ走っていった。
 ――この行動が彼女たちの運命を決定づける。

 白いテーブルクロスで覆われた食卓の下には、空腹の『何か』がいた。
 『それら』は、つい先程から食料の匂いを嗅いでいたので、今にも飛び出して行きそうであった。
 しかし『それら』は動かなかった。おあずけをくらっていたのである。主人の合図があるまでは、決して動いてはならないのだ。
 『それら』は息を潜め、主人の合図を待ち、そして狩りの時間を今か今かと待ち望んでいるのである。
 多くの足音が聞こえる。『それら』は歓喜した。なぜなら、この音が聞こえたとき、例外なくすぐに合図が聞こえるからだ。
 今までもそうだった。そして、これからもそうだ。
「夕食になるのは、あなた達だけどね」
 貴婦人はそう言うと、迫り来る人垣を物ともせず、にわかに指を鳴らした。パチンという甲高い音が室内に響く。
 その瞬間、一人の女性の足に何かが絡みついた。
 その女性――20歳くらいの年齢で、白人と比べても遜色ない透き通った白い肌の、やけにその豊かな胸元が強調されている服を着ている――は、
転倒し、そしてテーブルのほうへと引きずられていく。
「ひゃあ! な、なに……」
 突然の出来事に頭が真っ白になる女性。しかし、彼女はすぐに恐怖のどん底に叩き落とされる。
 テーブルが勢い良く真上に吹っ飛んでいく。そしてそのテーブルに潜んでいた者の正体が明らかになった。
 それは人間の身長と同じほどの大きさをしたカエルであった。
 いや、カエルにしてはその特徴である顔からはみ出た目がない。いま現在舌を伸ばしている、大きく避けた口以外にない。
 おまけに二本脚で立ち、二本の腕を広げている。
 つまりそれは、カエルに似た何かであった。この世のものとは思えない姿をした化け物であった。
「きゃああああ!」
 大勢の女性が一斉に叫ぶ。さっきまでの怒号は、一瞬で恐怖の悲鳴に変わった。
 しかし一番恐怖しているのは、紛れもなく舌に足首をつかまれた女性であった。
「いやあああ! 助けてぇえ!」
 女性は化け物の口元へと引きずられていく。伸ばした手をつかむ者は誰もいなかった。他の女性はみな恐怖と混乱で凍り付いてしまっていた。
 ところが、これで終わりではなかった。
 カエルに似た化け物を今にも泣き出しそうな顔で見ていた女性――髪をポニーテールにした、やたら太もものむき出しなホットパンツを履いている――の
後ろで、今度は横に吹っ飛んだテーブルがあった。
 ポニーテールの女性は轟音に驚いて思わず振り返る。そして彼女はついに絶叫のあまり涙した。
 彼女が見たものは、赤い皮膚で、その背中にコウモリのような羽を生やし、ライオンの顔と牙と爪を持った、四足歩行の生物だったのである。
 もちろん、こんな生物も自然界には存在しない。
 逃げる暇も与えられなかった。ポニーテールの女性はその生物の前脚によって両肩を床に激しく叩きつけられた。
 言葉では言い表せないほどの恐怖を感じている彼女は、体が動かして抵抗もできず、ただただ頬に涙を伝わせるだけだった。
「いやぁ……」
 ようやく搾り出せた声は、誰にも聞こえないほど小さいものだった。
 急激に遠ざかっていく幾人の足音を耳にしていると、彼女の眼前には鋭い牙があった。
 ライオンの顔をした生物はもう待ち切れなかった。
 大きく口を開け、あらゆる肉を引きちぎる牙を、獲物の顔面に突きたてた。
 カエルとライオンのような生物に捕まった二人の女は、同時に捕食された。

 白い肌の女は悲鳴をあげ助けを求めながらも、最後まで右腕を逃げていく人々の方へ伸ばし、まだ自由な左腕を必死に振り回し、
同じく自由な右足を使って化け物の口を蹴りつけ、そして最後には二つの手を化け物の上唇と下唇それぞれ置き、胃へと運ぶ力に抗った。
 だが、その抵抗が報われることはなかった。
 化け物はさらに大きく口を開く。それは両腕を左右に伸ばした人間の腕の長さを遥かに越えるものであった。
 彼女は足、下半身、そして胸へと順に大きな口へと呑まれていく。
「いやだあ! 誰かーーー!!」
 そんなことを叫びながら、彼女はついに頭まで呑まれる。
「んーーー!んぅうう!」
 狭い食堂で顔をしめつけられ、呼吸ができずに苦しいのか、くぐもった声が聞こえる。
「んがぁ……あぁ……」
 化け物が自分とそう変わらない獲物を呑みこんだせいか、胃があるであろう部分から女の体のラインが浮かび上がっていた。
 とくに、餌となる前にも強調していた豊かな胸は、その膨らみが化け物の腹を通じてもはっきりと分かるほどだった。
 その後しばらく、くぐもり声は聞こえ体のラインも見えていたが、それもやがては消えていった。

 ポニーテールの女は、額と下顎に牙を突き立てられると同時に絶命した。苦痛の叫びをあげる暇もなかった。
 全身が赤い皮膚の化け物は、人間の血を吸い取ってその口元をますます赤く染めていく。
 髪の毛すら残さず頭を食べてしまうと、今度はそのとがった爪を活かして女の上半身に纏ってある服を引き裂き始めた。
 服は食べるとまずいのだろうか、なんにせよ化け物は女の体が傷つくことなどお構いなしに爪を引いていく。
 擦り傷など生ぬるく、むしろ服のほとんどが肉と一緒に裂かれたため、女の上半身は見るも無惨な姿となる。
 見知らぬ土地で、風呂でもないのに乳房を空気にさらすというのは、女性にとって辱め以外の何物でもないかもしれない。
 しかし、そのことに抗議する口も、そもそも恥ずかしいと感じる脳も、もうこの世には残っていないのだ。
 肉のえぐれた箇所からどんどん血が噴き出てくる。化け物は時折それをおいしそうに舐めていた。
 上半身を食い尽くすと、今度は下半身に牙と爪を伸ばす。
 生前この獲物はホットパンツだったため、化け物が下半身の布地を取り除くのは早く済んだ。
 痛々しい傷痕のできた股間と秘部があらわになる。
 無論この化け物は人間に対して性欲など抱かないので、他の部位と何ら差異なくかじっていく。人間はただの肉にすぎないのだ。
 化け物は何度も肉を咀嚼する。やっとありつけたご馳走を味わうかのように。
 こうして、食事の後に残ったのは、大量の血溜まりとまばらな大きさの白骨だけであった。


「ふふ、やっぱりまだ足りないわよね」
 残虐な捕食を平然と見物していた貴婦人は、ここでようやく声を出した。
 彼女は愛おしそうに二体の化け物を撫でる。食欲旺盛な化け物も、この女にだけは手出しをしないのだ。
「さあ、ご飯はまだまだたくさんあるから、食べて食べて」
 婦人がそう言うと、まるで人間の言葉を理解しているかのように、化け物たちは逃げ行く女性たちを追って行った。
 しばらくすると、また女性の悲痛な叫び声が婦人の耳に入ってきた。
「ふふ、あの子たちも必死ね。まあ、早くしないと他の子に取られちゃうか」
 婦人は右手の人差し指をあごに当てた。
「多分ほとんどは外に逃げたと思うけど、実は散歩に出しちゃった子がたくさんいるのよね」
 満面の笑みを浮かべる貴婦人からは、大成功という雰囲気がにじみ出ていた。
「あの子たちの食欲をぜひ満たしてあげてね」
 ここにはいない数多の女性たちに向けて、婦人は優しく語りかけるのだった。
 薄暗い空の下、必死の形相で走る4人の女たちがいた。
 彼女たちはもと来た道を戻り、海岸まで行くつもりである。
 まだ船が残っていているかもしれない、という一縷の希望を胸に抱いていたのだ。
 4人は皆女子大生である。名前はそれぞれ、アミ、カナ、サユ、タエ。
 夏の思い出づくりにでもなればいいと、気軽に懸賞に応募し、運良く当選したから気楽に遊びに来た、それだけのつもりだった。
 それがこんなことになるなど誰が予想できただろう。
 みんなで決めたことだから誰か一人を責めることなどできない。
 それが分かっていたからこそ彼女たちは言葉を発することなく、荒い呼吸を上げながら、化け物に捕まるまいと懸命に逃げていた。
 だが、そんな彼女たちを上空から見ているモノがいた。
 鋭い足爪とくちばしを持ち、人間の二倍ほどもある翼を左右に広げた、巨大な鳥である。
 それは例えるなら、鷲の足とキツツキのくちばしが混ざった鳥であるが、大きさは尋常ではない。
 したがって、この鳥も十分に化け物と呼べる存在であった。
 その鳥が今、4人のうちの最後尾を走る一人の女性、サユに向かって急スピードで降下していった。
 そして、その鋭い爪で女性の肩をわしづかむ。
「ひぎゃぁぁ!」
 女性は肉に食い込む激痛で悲鳴を上げた。前を行く3人の女性はその声に驚き、後ろを振り向く。
 すると、巨大な鳥が一人の友人を空へと連れ去る光景が目に入るのだった。
「いやあぁああ! たすけてぇええ!」
 自分の体が宙に浮いた女性は、必死に助けを求めた。だが、どうすることなど誰にもできない。
 空へと連れ去られた友人の名を呼んでいた3人の女たちだったが、遠くから聞こえてくる謎の生物の唸り声を聞くと、すぐさま海岸目指して走るのだった。

      *

 恐怖から錯乱したため、あるいは化け物たちに追われたため、女性たちは散り散りとなった。
 ある者は森の中へと逃げ込み、ある者はもと来た道を辿っていった。
 そして、マリは一人森の中で荒い呼吸を吐きながら佇んでいた。
 何も初めから森に迷い込んだわけでもない。
 最初は友人たちと一緒にもと来ていた道を走っていたが、その途中で巨大な鳥が一人の女性を空へと運ぶ姿が見えたので、前を駆けていた友人たちは森へと逃げた。
 しかし同じ行動をとった人たちが大勢いたため、その人ごみの中に友人たちは隠れてしまい、マリは彼女たちを見失ってしまったのだ。
 また、マリの足が遅かったというのも孤立した原因の一つである。
 こうして、体力の限界も尽きたマリは大群すらも見失い、暗い森の中に取り残されるはめになった。
 体の震えは止まらず、計り知れない恐怖ばかりが襲う。今にも何かが襲ってきそうだ。気付けばマリは涙を流していた。
 恥も外聞も捨て、まるで親を求める子どものように、マリは友人たちの名を叫び続けた。
 その声に化け物が反応するかもしれないというのに、彼女の頭の中にはただ一人になりたくないという思いがあるだけだった。
 その時、茂みが揺れ、葉のこすれ合う音がマリの耳に入った。
 彼女は凍り付いた顔を反射的にそちらへ向ける。
 音は次第に大きくなっていく。何かがいることは最早明らかであった。
 本能的に危険を察知したゆえ、まだ十分休めていないというのにマリは再び森の中を全力で駆けていった。
 そして、それは実に懸命な判断であった。
 なぜなら、マリが見ていた茂みの中から、人間などゆうに一口で呑み込んでしまいそうな口を持つ巨大な蛇の顔が現れたからである。
 その蛇は、走り去っていく人間の後ろ姿をしばらくの間じっと見つめているのだった。

「マリーー!」「返事してぇー!」
 ノゾミとキョウコは声を張り上げていなくなった友人を探していた。後ろにいると思っていた彼女は、そこにいなかったのだ。
 二人はマリが運動を得意としないことなど承知していたはずなのに、逃げることに夢中でそれを思いやることができなかった。
 その後悔の念もあり、二人は必死にマリの名を呼ぶ。しかしいつまで経っても返答はない。
「マリ…もしかして、もう」
 キョウコが絶望に満ちた声でつぶやく。それをノゾミは強く否定した。
「とにかく、諦めずに探そう」
 そう言うノゾミの声は震えている。いつ化け物に遭遇するか、という恐怖の中では当然であった。
 彼女たちは再び大声を上げる。化け物に気付かれる可能性のある危険極まりない行為だが、こうするしかなかったのだ。
 だがその時。
「ちょっと、大声出さないでよ!」
 当然といえば当然だが、その行為は咎められた。
 ノゾミとキョウコはすぐさま萎縮し、押し黙る。そして、声が聞こえた背後を同時に向いた。
 彼女たちの後ろには、ミキとユリナが立っていた。
 この二人も何とか今まで命を失わずに逃げきれていたのである。無論、顔は青ざめ、息も上がっているが、それでも平静さを失わずにいた。
「そんなことしたら危ないでしょ!? 気付かれたらどうすんの!」
 ミキは怒り心頭といった様子でさらに言葉を続ける。そんな友人と今にも泣きだしそうな女子高生たちを交互に見て、ユリナはおろおろするばかりだった。
「で、でも…友達と、はぐれて…」
 そして、とうとう女子高生たちは涙を流し始めた。恐怖と罪悪感、それに大人に出会えたというわずかながらの安堵で、涙が抑えられなくなったのだ。
「分かったよ。だけど今は逃げることにしよう。多分、それしかできないから」
 ミキの言葉を受け、ノゾミとキョウコは素直にうなずいた。友人の身と同じくらい、あるいはそれ以上に、自分の身が心配だったのだ。
「でも、どこに逃げたら……」
 安全な場所などあるのか、とでも言いたげにユリナはつぶやく。
「とりあえずは海岸まで戻ってみよう。まだ船があるかもしれないし」
 ミキは船が今も接岸しているなどあり得ないと思ったが、それでもわずかなの希望にかけることにした。
 その提案にユリナは真っ先に賛成する。そして彼女は、こんな状況でもきちんとリーダーシップを発揮してくれる友人を誇りに思った。
「あなた達も、一緒に行こう」
 ユリナの誘いに、今度はノゾミとキョウコが賛成する。
「きっと、大丈夫だから」
 こうして、彼女たちは化け物が闊歩する恐るべき島を進んでいくことになった。
 だが、彼女たちの希望は脆くも打ち砕かれる。
 もうこの島は、永遠に脱出することのできない地獄の牢獄となっているのだから。

      *

「船がない……」
 誰よりも早く海岸に到着した3人組の女子大生たちが目にしたのは、あまりにも無慈悲な現実であった。
 船がなければ、この絶海の孤島から逃れられる術などない。
 化け物に連れ去られた友人の姿が自分と重なった彼女たちは、絶望のあまり膝を折る。そして同時に慟哭した。
「やだぁぁあ!」「死にたくないよぉお!」
 そんな悲痛な叫びが薄暗い海岸に響く。だが、彼女たちの一人が何かに気付いた。
「み、見て! ボートがあるよ!」
 岩場に近い波打ち際で、木で作られた小舟が揺れていた。
 ただ、大分年季の入ったものであり、したがってオールを使って漕ぐタイプである。電動で動くものでは決してない。
「ねえ、タエ、アミ、これを使って――」
「こんなものでどうするって言うの!?」
 半ば狂乱じみて叫ぶタエであったが、一方のアミはすぐさまカナと一緒に小舟へ乗り込んだ。
「タエ、早く!」
「あんた達、まさかそれで帰ろうって言う気!?」
 タエはアミとカナの正気を疑った。そんな小舟でどうやって大海を渡り切るというのか。
 途中で必ず力尽きるし、何より陸地の方角も分からない。餓死か溺死か、いずれにしても死に至ることは間違いなかった。
「バカなこと言わないでよ!」
 タエが呆れたようにこう叫ぶと、カナも負けじと声を張り上げて、
「だったら、ここで化け物の餌になれっていうの!?」
 と怒鳴る。タエは返事に窮した。確かにこのままでは化け物に喰われてしまう、しかしだからと言って小舟で海に出るなど自殺に等しい。
「で、でも……」
 一向に小舟へ乗る気を見せないタエに業を煮やし、アミはオールを漕ぎ始めた。
「さよなら、タエ。元気でね」
 これまでに見せたことのない冷酷な表情を浮かべて、アミはそう言った。
 まるで、のろまには付き合っている暇はない、とでも言いたそうだった。
「ま、待ってよ二人とも!」
 波に乗って勢いよく海を進む小舟に追いつこうと、タエは海面に足を入れた。
 暑い浜辺でバカンスを楽しむはずだったこの日のために買ってきたビーチサンダルは、逃走の途中でとうに脱げていた。
 タエの白い素足が海の中を進んで行く。
 ――だが、水中には彼女たちがまさに逃れようとしている存在が潜んでいたのだ。
 そいつはその足に気づくと、ためらうことなくそれに向かって突進を始めた。
 当然、その生物に気づくことのないタエは、友人たちの小舟に乗ろうと懸命に走っていた。
 彼女の不運は、その生物の姿が海面に隠れてしまうくらいの深さまで走っていったことである。
 水中の生物は、ウミガメのような甲羅を持っているが、手足はそれと異なりヤモリみたいに指を広げていた。
 だが、そいつの最大の特徴は、頭がワニなことである。そしてもちろん、ワニの代名詞である大きな口と牙も顕在していた。
 獲物に向かって突進していたそいつは、急に速度を落とすと、今度はゆっくりと接近し始めた。狙いを済まし、襲いかかる瞬間まで息をひそめるつもりなのだ。
 ゆっくり、ゆっくり、だが確実にごちそうへと近づく。ワニの頭は、タエが進む方向を塞ぐようにして迫る。
 そして時はきた。タエの足が牙を持つ口のちょうど真ん前にきたのだ。
 そして今、その牙がタエに襲いかかった。
「ひぎゃあぁあああ!」
 声ならぬ声を発し、タエは背中から海面に倒れ込んだ。一瞬で水が血に染まる。タエはまだ気付いていないが、左足を一瞬で噛み千切られたのである。
「ひぃ、ひぃぃ」
 激痛のあまり、タエは肺から絞り出された空気のような声しか出せない。そして水中に何かいると悟った彼女は、反射的に浜辺へと戻っていった。
 足が思うに動かないことを不審に思うが、それでもタエは這いつくばるようにしてもがき、何度も海水を飲みながらも、何とか波打ち際にたどり着いた。
 その苦闘の様子を、友人であるアミとカナが見守ることはなかった。
 なぜなら、タエが絶叫した時、思わずその方向を振り向いた彼女たちには見えたのである。甲羅を背負った謎の生物が海面から飛び上がったのを。
 彼女たちの生存本能は理性などふっ飛ばし、目の前の脅威から逃れることばかりを考えていた。そして、全力でオールを漕ぎ、岸から猛烈な速さで離れて行ったのである。
 奇襲を受けた友人を心配することなど、ましてや助けることなど、頭にすらなかった。
「あぅ…あぁ…」
 苦痛と涙で、かわいらしいと評判のタエの顔は見るのも憚れるほど歪んでいた。
 もしこれが人間同士の争いの結果なら、敵も彼女に同情し、これ以上苦しめるのを止めたかもしれない。
 だが、彼女を狙う者は人間ではない。人間のことなど食料としか見なさない化け物なのだ。
 まるでタエが浜辺に着くのを待っていたかのように、ワニの頭を持つ生物が彼女の跡を追って陸地へ上がってきた。
 それに気付いたタエは、今度は砂浜を這いつくばって逃げる。
「来ないで……」
 恐怖からつい発してしまった言葉は、あまりにも弱々しかった。
 だがそれもそのはずで、タエの左足からはおびただしい量の血が噴き出ており、このままでは失血死することは明白だった。
 ワニの頭が血の匂いに吸い寄せられるようにして彼女の左足に近づく。
「お願…い、やめ…」
 通じるはずもないのに、タエは必死に懇願する。
 その時、ワニの口が大きく開いた。その鋭い牙に噛みつかれたらひとたまりもないことは、タエの左足が証明している。
「いやあああ!」
 食べられる――そう思い込んだタエは、ぎゅっと目をつぶった。
 これが、彼女の最後の意識だった。
 ワニの頭は勢いよく噛みつき、タエの左脚を完全に喰いちぎった。左のお尻の下からはもう血をしたたらせた傷口だけしかなかった。
 耐えられるはずのない痛みにより、タエは気を失う。いや、もうショック死しているのかもしれない。
 だが、死を確認する必要もなかった。ワニの牙は、次々と彼女の若く健康的な骨肉を貪るようにして食べていったからである。
 左脚の次は律儀に右脚を食べ、そしてその次にはお尻を服ごと食べる。残ったのは上半身だけとなった。
 その上半身では、タエの小柄な体型に似合わないふくよかな両乳房だけをまた服とブラジャーごと食した。そこは特においしいのだろうか、異常なスピードでかじられていった。
 だが、ここでワニの頭を持ったカメは海へと帰って行った。おそらくはもう食欲を十分満たしたのだろう。
 それゆえ、女子大生3人組の次に海岸へたどり着いた女性たちは、鮮血に染まった浜辺の上で横たわる見るも無惨なタエの姿を見るはめになるのだった。
「でも、これからどうするの? 本当にこれで帰れると思う?」
 随分と陸地から離れた小舟の上で、カナは不安そうに尋ねた。
 しかし、友人のアミは無言のままである。彼女もまた、同じことを考えていたのだから。
「何とかなるって思うしかないでしょ」
 アミはしばらくしてこうつぶやく。だがそれは、友人に答えたというよりも自分に言い聞かせたものであった。
「そうだね」
 それとも知らずカナは心強い味方を得たと思い、大きくうなずく。
 こうして彼女たちは、いつかは陸地にたどり着くと信じて、果て無い海を貧弱な小舟のみで渡り続けた。
 ――ところが、二人の旅はあっけなく終わることになる。
 この島の周辺海域はすでに普通のものではない。すなわち、普通の生物が棲む海ではない。
 彼女たちの運命は、この島に訪れたときからもうすでに決まっていた。逃れることなど、できないのだ。

 小舟に、下から叩かれたかのような衝撃が走る。
「ひゃ、な、なに……」
 幸いにも小舟はバランスを崩して転覆することはなかった。
 が、二人は尋常でない恐怖感じずにはいられない。タエを襲った化け物が舟を小突いているのだろうか。
 もしかして舟を転覆させ、海中に投げ出された己を喰うつもりなのか? いや、きっとそうなのだ!
「いや、いやあああーー」
 カナが取り乱し始める。
 そして、舟底にいると思われる化け物を威嚇するためか、オールを海面に向けて力いっぱい突き刺した。それを何度も何度も繰り返す。
 無理もないことであるかもしれないが、不安定な舟の上ではそれは愚かな行動でしかない。
 カナの攻撃の反動で小舟が激しく揺れる。このままでは転覆は免れないだろう。
「カナ、止めて!」
 しかしアミがこう言っても、完全に平静さを失っているカナの耳には届かなかった。
 海水が舟に溜まっていくのを見たアミは、とっさに行動に出ていた。
 彼女はカナの背後に素早く近づくと、その背中に向けて自身の両手を思いっきり突き出した。
 このままでは自分まで危ない、そう考えたアミの選択は、邪魔な存在を消してしまうというものだった。
 カナが海面で必死にもがいている姿を見て、アミは、そういえばカナはかなづちって言ってたな、と他人事のように思うのだった。
 そして、運よく小舟に残ったカナが使っていたオールを自分で持ったアミは、危機を脱するために一人で沖合へ向かった。
「いや゛や゛あああーーだれがあ゛あ゛ーー」
 海水を飲みながらのども潰さんばかりにカナは叫ぶ。
 突然自分の身に起こった事態と、死の恐怖とで、錯乱していることは疑いようもない。
 彼女は友人に裏切られた怒りすらも湧き起こらず、ただただ、助かりたい、ということだけを考えていた。
 ――しかし、彼女の痛いほど懸命な望みは叶うことはなかった。
 溺れる苦しさであがいているカナの足もとに今、白く半透明な生物が頭から触手を伸ばしていたのだ。
 この生物は、一言でいうなら人間の倍以上の体を持つ巨大なクリオネである。
 ただ本物と違い羽根は左右にそれぞれ二枚ついており、水の中に棲む蝶々のようにも見えた。
 だが、流氷の天使と似たような外見であっても、ここまで大きければおぞましい化け物以外の何物でもない。
 そんな生物に狙われたなら、華奢な女性などなす術もなく餌となってしまうだろう。
 ――この海面に投げ出され哀れな少女のように。
「ひあっ!」
 カナは自分の足に何かが絡みつくのを感じると、それが何かを確かめる暇もなく海中に引きずり込まれた。
 そしてカナは見る。自分が今、どんなに恐ろしい化け物に襲われているのかを。
 彼女の悲痛な叫びは泡となり、涙は海に同化する。
 それでも、せっかく手に入れた餌を見逃す生物などいるはずもない。クリオネは情け容赦なく、頭の触手を絡めていく。
 全部で四つあるクリオネの触手は、一つはカナの右脚に、もう一つは腰に巻き付く。
 そして、三本目と四本目は、彼女の発育の良い胸をがっつりと、それこそ潰れんばかりに抑え込んだ。
 カナは触手を振りほどこうと必死に暴れる。だが水中では、動けば動くほど息が上がり、危険である。彼女はもう水中の奥深くまで沈んでいるのだから。
 息が続かなくなったカナは、海面に上がろうともがく。しかし触手は全く解かれない。
 溺死という世にも苦しい最期が彼女に与えられたものなのだろうか。
 その時、クリオネが触手を自分のほうへ向けて一気に引っ張り出した。
 すさまじい勢いに抵抗できるはずもなく、カナは足からクリオネの体内へと引きずり込まれる。そして半透明の生物に全身をすっぽり覆われる。
 ここで、彼女に光明が訪れた。
 どういう原理かは不明だが、クリオネふうの化け物の体内には空気があったのである。
「っぷ、はあっ、はあ、はぁ」
 カナは貪るように空気を吸う。ここまでの苦しみと恐怖など、生まれて19年のあいだ味わったことはないだろう。
 しかし一休みする暇も与えられなかった。
 あえぐカナなどお構いなしに、クリオネは獲物をどんどん自身の中へと取り込んでいく。
「や、やあぁ……」
 カナはのどが潰れてしまったかと思われるくらいのかすれ声を出す。いや、そんな声しかもう出せないのだ。
 巨大クリオネの半透明の体を外から見ると、中心部に赤い球のような器官が確認できる。
 これは、消化器官であった。ここに獲物を押し当て、溶かし、己の養分とするのである。
「ああ…う…」
 これから自分がどうなるのかさえ知らないカナは、放心するしかなかった。
 これはきっと悪い夢だ、本当の私はいまベッドの中ですやすや眠ってるんだ、こんな悪夢から早く覚めてほしい。
 だが、カナの身に起こっていることはれっきとした現実である。現実離れしていようとも、これは事実なのだ。
 クリオネの赤い球にカナの小さな両足の裏が触れる。
 この瞬間、カナはすさまじい激痛に襲われた。
「いぎゃあああぁぁあっ」
 焼けるような痛みが続く。まるで火にあぶられているようだ、いや火なんてものじゃない、骨をも溶かす灼熱の炎で焼かれているものだ。
「あぁぁ゛ぁっ、あ゛ぁあぁぁああーーーっっ」
 もう疑いようがない、カナののどは完全に潰れていた。おそらく永遠に元の声に戻ることはないだろう。
 しかし永遠に戻らないのは声だけじゃない、カナの両足はもう完全に溶かされていた。足の甲はきれいになくなっており、その部分はクリオネの養分となったのだ。
 声ならぬ声を発し続けるカナ。これなら溺死していたほうがまだましであったかもしれない。
 それほどの苦痛をいま彼女は受けているのだ。
「うあ゛、あう゛」
 涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔は、見る者の良心を疼かせずにはいられない。
 けれども、この状況で助けがくることなど皆無だ。カナはもう、クリオネの餌となる以外の選択肢は残されていなかった。
 両脚をきれいに溶かされた時、ようやくカナに平穏のときが訪れた。彼女は痛みに耐えかね、自らの意識を閉ざしたのである。
 彼女が覚醒することは、二度とない。
 カナのお尻と大事な部分はゆっくりと消化され、さらには腰、そして形のよい胸も消え、最後は頭と両手も溶かされた。
 こうして、カナという少女がこの世に存在したという証は、完全に消失したのである。

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最終更新:2016年01月24日 12:37