ペロペロ…
すでに食べるべきものを食べつくした猫はかつてご馳走が乗っていた皿を舐めまわしていた。
その顔には至福の表情を浮かべていた。

その顔を見るのが彼女の最高の幸せだった。

一人暮らしの部屋でこの猫を飼うようになってからもう3年。
拾ってきたこの猫がいくつぐらいなのか彼女は知らない。
しかし、この猫を見た友人からは、すでに相当の歳を経ている猫らしいことだけは聞いた。
「いや、詳しく何歳かまではわからないけど、おそらく相当の老猫じゃないのかな」

しかし、毛皮は相当にくたびれていたにもかかわらず彼女の猫の足腰はかくしゃくとしており、
その表情からも老いは感じられなかった。今のような美味しいものを食べた後の表情は特にそうだった。

「このコ、本当はいくつなのかしら。誕生日もわからないけど、もし誕生日がわかるようだったら
なにかプレゼントでもしてやりたいわね」
彼女の背後には、小奇麗に包装された包みがあった。
彼女の誕生日プレゼントだった。
彼女は今日の誕生日に付き添ってくれた彼氏との一夜を思い出しながら、猫の顔を見て、幸福に浸る。

明日にでも猫のために少し高価なキャットフードでも買おうかと思いながらその夜の眠りについた。


彼女は自分の飼っている猫の夢を見ていた。猫はどこまでも愛らしい表情のまま口を開いた
「誕生日、教えてくれたらなんでもくれる?」
どこかで夢であることを近くしていた彼女は気軽に答えた。
「そうね、とびっきりの魚でもなんでも、がんばってあげるわね」
「そう、じゃ…」
彼女は身体に妙な違和感を感じて目を覚ました。
妙に全身が涼しい、そして、下半身に両足を縛られたような感覚。
ぼんやりと目を開ける彼女の目に飛び込んだのは、生まれたままの姿を晒す自分の身体だった。
「え?裸?な、なぜ?」
起き上がろうとする彼女、しかし、彼女の足は思うように動いてくれないままベッドから体ごと転落した。
そのとき、彼女の視界の隅に、大きな魚の尾ひれが見えた。

自分の目に飛び込んだものが信じられないまま、彼女は下半身に手をやる。
しかし、実際に触れてみても、彼女の下半身に備わっていたのは両足ではなく、
綺麗な鱗を持った魚のそれと尾ひれだった。

「これ、もしかして、人魚?なんで、あたしが?」
下半身をピチピチとさせながら彼女は這い回った。
人魚になった彼女の肢体は美しく、下半身も光を反射してラメのように輝いていたが、
彼女にとってはどうでもよかった。
自分のみに降りかかった異変をどうにかしなきゃ。
半ばパニックになりながら部屋の外にでようと這い出す。
もはや歩くことのできない下半身をもどかしく感じた。

その視界に突然、大きな毛皮が見えた。
その毛皮は彼女の下半身をつかみとり、動けなくした。
「痛っ!」
下半身を大きな手で押さえつけられる痛みに悶えながら、彼女はその毛皮の先を追った。
床に転がされた彼女の目の前に現れたのは、彼女の部屋を宿とする猫だった。
猫は、自分の下半身をしっかり捕らえると、そこに、大きな口を向け始めた。
「や、いやっ、あたしを食べようとしてるの?いやよ、あたし、魚じゃない」
必死になれない下半身をばたばたさせる。


鱗がはがれる感覚を無視して暴れまわった。完全に魚となった下半身はその勢いで半回転する。
彼女を押さえつけた両足はその動きでつるんと滑り、彼女の下半身を離した。

その隙を見て、必死に彼女は這い回った。

逃げなきゃ。またつかまったら、今度こそ食べられてしまう。

すっかり傷だらけになった下半身をピチピチさせながら陸に揚げられた魚のように自分の部屋を這い回る。

玄関までたどり着いた。しかし、腹ばいの彼女はドアノブに手を届かすことが出来なかった。
腰の骨まで変質した彼女の体は十分に身を起こすことが出来なかったのだ。
そこに迫ってくる猫の巨大な体。その身体は部屋を狭そうに動きながら、自分に向けて前足を突き出す。
その前足に捕らえられた彼女の身体は尻尾からずるずると玄関から引きずり出され、バスルームに引き込まれた。
そこに、猫の大きな口が襲い掛かった。
「!!!」
声にならない声を出す彼女。不思議と痛みは感じなかったが、
自分の身が噛み千切られる感覚が全身を走り、悶絶する。
ボキボキと骨が折れる音とともに、彼女の尾の身はかじり取られ、猫の口の中に入っていった。
下半身を押さえられながらむしゃむしゃと自分の肉が食べられる。
ごくりと飲み込んだあと、猫の前足は彼女を半回転させ、仰向けにする。
もう、彼女に動く力はなく、卵を抱きしめたまま呆然と仰向けになった。
そこに戻ってくる猫が彼女の目に入った。

猫は彼女に近づくと、口を開き、しゃべりだした。
「俺は今日、誕生日をむかえ、猫又になった。猫又には猫にはないいくつもの能力がある。
こうやって人間の言葉を話すのも君を人魚にしたのもそのひとつだ。
その能力をさっそく使い、俺の誕生日パーティーをすることにしたのだ」
その話を失神しそうになりながら聞く彼女。
「な、何であたしを人魚に変えてまで食べようとするの?ねえ?」
必死でそれを聞く。
「本当は大きな魚でパーティーをやりたいところだったが、それには元になる大きな動物がいる。
そこで思案投げ首していたところ、君の姿が見えた。そこで、君の夢の中で君の許可を得て
君を魚に変えたのだ。ただ、まだ未熟ゆえ完全な能力ではなかったようだが」

彼女は、昨夜の夢を思い出した。

「それで、あたしをご馳走にしたの?」
「そうだ、下半身だけだったのは心残りだったが、君の身体は今まで100年間食べたこともない美味だった。
自慢じゃないが今まであちこちを転々とし、人間の食事を食べたことも少なくない。
ディナーとか言うものにも一度まぎれこんだことがある。
それらのどんな食べ物よりも君はすばらしい味を持っていた。」
そういった猫の顔に浮かんだ表情は、それまでどんなキャットフードを与えたときよりも上の、
満面の笑顔そのものだった。

「残る上半身だが、俺も人間などは食べたことがない。
もし望むのなら、これ以上食べるのは遠慮してやるが、どうだ?」
彼女は、無残に食べつくされて骨だけが残った下半身と、満面の笑顔を浮かべる猫の顔を交互に見た。
「…もう、下半身は、戻らないの?」
「食べてしまったものを再生することはできない。出来るのは、君にかけた能力を解くことだけだが、
そうなると君には腰から下の部分がそっくりなくなってしまう。もちろん、それでも生きることはできるようにするが」
それを聞いて、彼女は放心したように両手を広げた。
片方の手が、バスタブのふちに触れる。
「いいわ。もう、一思いに食べちゃって。あなたに食べられるなら、本望だわ。精々、美味しく食べて頂戴」
目を覚ましてからの信じられない事件の連続に、もう彼女はどこか正常な思考を失っていた。
そんな彼女の腹部に猫はかぶりつき、下腹部を裂いた。
「!!!」
魚に変える能力の影響で痛覚を失ったとはいえ、自分の腹が割かれ、内臓を露にされる様に彼女は悶える。
ざらざらの舌で引き裂かれた腹部を嘗め回し、内臓を犯し貫かれる。
彼女はここに来てやおら湧き上がった被虐心を刺激されたかのように悶え、喘ぐ。
「はっ、はっ。うげぇっ」
内臓を引きずりだされ、鈍い感覚と吐き出しそうな気持ち悪さが全身をめぐる。
胃も腸も残っていないがらんどうの彼女の身体の空洞にさらに舌を奥へと進める猫。
「(もう、食べられて死んじゃうのね。ねぇ、あたしを食べて、どうだった?)」
どこか焦点を失った思考をめぐらせながらうつろな目を自分を食べる猫に向けた。
その顔が、さっき以上の至福の笑みを浮かべているのを見て、彼女は安心し、そのまま力が抜けていった。
生命活動を止めた彼女の胸、そして頭を噛み砕く猫。
その口内で、彼女に残った丸みと弾力を帯びた胸と穏やかな表情を浮かべた首は噛み砕かれ、飲み込まれていった。

全てが終わったあと、猫は元の大きさに戻り、窓の隙間から身を躍らせて町に消えていった。
ふたつに分かれた尻尾を振りながら…


部屋に残ったのは、脱ぎ捨てられた服と、バスルームに残る骨と肉の欠片。
そして、水の張られたバスルームで孵化した小さな人魚だった。

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最終更新:2008年05月19日 11:27