「果てしない夢」・・・Hot Hot 100Kにいただいたメッセージ

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2003年 第1回目のHot Hot 100kに武石氏よりいただいたメッセージ


「果てしない夢」

自然の中にからだをポーンと放り投げて、1日中もしくは、何日も走り続けるウルトラマラソ。
今まで水道の栓をひねれば、すぐ飲めた水も、そのありがたみと水、本来の甘みを感じるようになる。
1日の大半を都会で過ごしてきた身体は、自然の厳しさ、やさしさ、美しさを感じるようになる。
フルマラソンのゴールからさらに1歩、足を踏み出すことによって果てしなく魅力的なウルトラマラソンの世界が広がる。
自分自身の弱いところ、好きなところ、嫌なところ、すべてが自然のなかにさらけだされる。
97年はじめてのウルトラマラソン、サロマ湖100キロは距離への不安を払拭してくれた。果てしなく遠いと思われていた100キロという距離がちょっとゆっくり走ることにより1歩、身近に近づいてきた。
木々をわたる風を身体で感じ、小鳥のさえずりを聞きながら気持ちよく走ることができた。
フルマラソンで前を走る人のゼツケンをにらみながらゼィゼィと目いっぱい走っていた時とはまったく違う世界だった。
それから、つぎつぎとウルトラマラソンの魅力に染まっていく。
98年、萩往還250キロでウルトラマラソンの厳しさを初めてあじわう。痛み止めのくすりをのみながら走り終えた足は、像のようにはれていた。頑丈な肉体とそれをコントロールする強い精神力が欲しいと思った。
それからは朝、5時に起きて毎日20キロ走りはじめた。夜10時には眠りにつく。
強くなれるのなら辛くはなかった。この頃にウルトラマラソンが自分にとつて、おおきな存在になりつつあった。
98年の東海道五十三次遠足6日間ステージレース(日本橋―京都間530キロ)で2位になる。練習しただけの成果が正直にあらわれる。うれしかった。でも、そのことよりも、わたしにとって日本再発見の感動的なレースだった。
日本には、まだまだすばらしい家並み、街道、歴史あるたたずまいが残っていた。それからというもの街道関係の古書集めに奔走。走ることと同時にそれらの文献を読むのがたのしくなってくる。ウルトラマラソンの深みは走るだけにとどまらず、いろんな方面に触手を伸ばしたくなることだ。その後、中仙道、甲州街道など、歴史ある道を好んで走る。
ウルトラマラソンには個性のある多種、多様なレースがある。100キロレースから、250キロレース、山岳レース、数日から数ヶ月にわたるステージレース、24時間走、48時間走、6日間走など、ただタイムだけじゃない、そのバラエティがたのしい。
2000年はじめてスパルタスロン246キロを完走する。日本の街道から世界の街道に飛び出す。
そして2002年夏、RUN ACROSS  AMERICAを走るために33年間、仕事をしてきた会社に別れをつげた。
自分のための時間がほしかった。気温40度、5000キロを71日間で走りきった。でも、これで燃え尽きたくはなかった。
アメリカを走る前に、つぎの目標を用意しておいた。今年2003年4月19日リスボン スタートーモスクワ間5017キロ、64日間のトランスヨーロッパフットレースに挑戦する。
物質的に豊かになるよりも、ゆたかなこころをもちたい。金銭的に楽になるよりも、精神的につよくなりたいと思う。
そして、地球のいろんなところへ自由気ままに走ってみたい。
次から、次へと果てしない夢がひろがっていく。

武石 雄二








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