硝煙と、物の焼ける臭いが風に乗って漂っていた。
 空気を溶けて消えていく轟音の残滓を浴びながら、葉巻の煙を燻らせる生き物が一匹。
 それは人間ではなかった。艷やかな毛並みとつぶらな瞳をした、一匹の獣。
 ゴールデンレトリバー。およそ戦場には相応しくないその犬はしかし、れっきとしたサーヴァントで。
 そしてその彼はたった今、また一騎のサーヴァントをこの界聖杯内界から消滅させてみせた。

 手足の短さや身体の小ささなどといったハンディキャップを一切物ともせず――無数の重火器による爆撃で敵を制圧。
 そして遂には、彼をランサークラスたらしめる所以の一つである金属槍射出兵装を用い、完全に敵の霊核を破壊するに至ったのだ。

「ご苦労。実に見事な手腕だったよ、ランサー」
「昔取った杵柄だ。これしきのことでいちいち賞賛されるのは、少しむず痒いな」

 そんなしもべの勝利を、拍手の音で迎える男が一人。
 オールバックの銀髪に、欧米人特有の顔立ち。
 額から頬に掛けて刻まれた、アルファベットのXを模した紋様。
 鳴らす両手、その右側には三画揃った令呪の刻印。
 彼こそが、この恐るべきゴールデンレトリバー……木原脳幹という科学者を召喚した、マスターであった。

「撃て、とは命じないのか」

 サーヴァントを失い、情けない声をあげながら走り去る敵のマスター。
 その背を鼻先で示し、脳幹は犬の見た目に似合わない貫禄ある男声でそう問うた。
 それに対しマスターの彼は肩を竦め、口角を緩めて答える。

「確かに僕が命じれば君は躊躇なく撃つだろう、あんなにも無防備な背中だ――外すとも思えない」
「……、」
「ただ、文字通り世界でただ一匹(ひとり)の味方との関係性に罅を入れるのは得策とは言えないだろう。
 これでも貴方の美学については承知しているつもりだよ、ランサー。聡明な科学者である貴方らしくない贅肉だとは思うがね」
「善悪ではなく好悪の問題だよ。不要な観念であることは百も承知だ」

 同族――同じ科学者からの素直な評に、脳幹は鼻を鳴らして言う。
 この成りではとても信じられないだろうが、木原脳幹は極めて優れた科学者の一人である。
 科学の功罪とでも呼ぶべき"一族"の手で、脳に高性能の演算回路を組み込まれ。
 自分に知性を与えてくれた彼らの想いと努力のために、老犬になるまで老いさらばえても働き続けた。
 数万の犠牲をすら必要とあらば許容する、科学の鬼子筋の精神性をしっかりと引き継ぎながら。

 しかし、されども。
 脳幹は他の同族とは違い、その優れた知性の中に感傷と自制を飼っている。
 不要な破壊と犠牲を好まない精神性。聖杯戦争の場にあっては"英霊を失ったマスターを殺さない"という形でそれが発揮されていた。
 彼のマスターであるもう一人の科学者は、それを心の贅肉であると皮肉ったが。

「だが科学の道を歩む上では、時に採算を度外視すべき場面もある。
 例えば、これだ」

 脳幹とて、そんなことは百も承知している。
 科学者たるもの、信じるべきは効率と確実性。
 採算の合わない行動を取る科学者は得てして嫌われるものだし、実際その考えも理解できる。

 だが――それでも、脳幹は全て理解した上で無駄を働くのだ。
 さながら過去の実験結果でも例示するように、脳幹は己の兵装……もとい宝具から二つの武装を展開した。
 片方は、掘削工事で引っ張り凧のお馴染みな工具。正しくはそれを巨大化させ、より武装らしいスペックにカスタマイズした代物。
 そしてもう片方は。先の戦いで英霊一騎を屠り去った、金属槍を超高速で射出する近代人には馴染みのない武装だった。
 ……いや。特定の趣味を持つ人種にとっては、むしろ前者以上に馴染み深いかもしれないが。

「ドリルと──ああ、ジャパニーズ・アニメに登場する架空兵器か。
 なるほど確かに採算は取れていない。効率面を考えてもより先鋭化した形状に改造するべきだと思うが」
「君も男なら覚えておけ。ドリルとパイルバンカーは、男のロマンだ」

 片やドリル、片やアニメの世界で猛威を奮った架空兵器。
 脳幹は好き好んでそれを再現し、わざわざ自身の武装として使用している。
 無論これは非効率的で採算の合わない、科学者らしからぬ――"木原"らしからぬ発想だ。

 さりとて、それでいいのだと脳幹は考える。
 ロマンと、そして感傷。効率の二文字とは縁遠い概念だが、それらはとても尊く眩しいものであるから。
 だから木原脳幹というサーヴァントは、合理に満ちた頭で敢えて不合理を働くのだ。
 贅肉と詰られようが大いに結構。狂った採算は己の活躍で取り戻せばいいのだと、この老犬は葉巻を燻らせながら大真面目にそう考えていた。

「時に、マスター。君がサーヴァントとの戦いを観戦したのも、今日で三度目だな」

 ――と。
 そこで不意に、脳幹はマスターへとこう問いかける。
 その質問に、問われた彼は頷きを返した。何しろ神秘と神秘のぶつかり合い、既存の科学全てに中指を立てるが如き超常の戦いだ。仮に忘れようとしても、そうそう忘れられるものではあるまい。

「ああ。ドローンを用いて空撮したものを含めれば、もう二回はプラスできるかな」

 くつくつと笑いながら答えるマスターに、脳幹は続けて問う。 


「絶望したか?」


 脳幹のマスターは、ゼノという名を持っていた。
 ゼノ・ヒューストン・ウィングフィールド。
 現代科学の最先端であるNASAに所属し、この界聖杯内界でも同様の役割(ロール)を与えられている文字通りの天才科学者。
 この世界とは比べ物にならないほど科学技術の発展した世界を出身地とする脳幹の目から見ても――彼が類稀なる才人であることに疑いの余地はなかった。
 だからこそ、こう問うたのだ。
 絶望したか、と。
 その問いの意味をより詳らかにするように、脳幹は続ける。

「君もその目で見てきたように、科学の外側の領域というものは現実に存在する。そして得てして、あちらの方が上を行く。
 私のこの『対魔術式駆動鎧(アンチアートアタッチメント)』とて、核としているのはあちらの力だ」

 科学における最大の力とて、所詮、その外側から来る魔術の真髄には敵わない。
 その現実を、脳幹は長い生涯の中で痛いほどよく知っていた。
 数式と理論だけでは証明の利かない非科学、オカルトの分野。
 科学者にとってこの上なく受け入れ難いだろう概念が、存在が――したり顔で人類科学の上を行く。
 それは、ともすれば。己の死にも勝る、大きな"絶望"であろう。

「君は科学の限界を見ただろう。いや、それ以前に界聖杯などという最大級の不条理も認識している筈だ」

 宝具、スキル。そして魔術。
 いずれも、科学の理論を超越した異能ばかりだ。
 極めつけが界聖杯。願いなどという朧気で曖昧な概念をしかして確実に叶えてみせるという宇宙現象。万能ならぬ全能の願望器。
 現実の世界に何ら劣らない"模倣世界"を作り上げ、異なる枝葉の世界から人間を呼びつけて知識をインストールする。
 挙げ句その全員に令呪を与え、英霊なる存在を召喚させ、願望器争奪のための"戦争"を執り行わせる――全て、何もかもが規格外の所業だ。

 言わんとすることを理解したのか、ゼノはまたくつくつと笑った。

「なるほど、それで絶望したかと問うたのか」

 だが、その瞳に脳幹の言う"絶望"の色はない。
 それどころか、むしろそこには喜色に似た感情が浮かんでいた。
 何十年とかけて積んできた知識と、紡いできた理論と、経験。
 その全てを粉々に破壊するような"不条理"の世界に放り込まれて尚――科学者ゼノは、笑っていた。

「ならば逆に聞こう、Dr.脳幹。何故それが絶望する理由になるのかな」

 両手を広げ、夜空を仰いで呼気を吐き出す。
 その様はさながら、未知の大地に一歩を踏み出し興奮する冒険家のようでもあって。

「今は遥か古の時代。雷は神の怒りと呼ばれ、世界は地球の内側のみで完結していると信じられていた。
 今この時代では小学生でも知っているような"常識"も、かつては皆平等に超常現象だったのだ。
 それを認識し、解析し、理解可能な概念として再定義するのが科学の役割だと、僕はそう考えている」

 ――しかし彼は冒険家などではなく、明確に科学者だった。

 彼の眼は、そして脳は。
 こうしている今も、この不可解で非科学的な世界を見、分析し続けている。
 無限の疑問と無限の仮説を常に抱き/立て続け、ショート寸前になるまで優秀な脳をフル稼働させているのだ。もう、かれこれずっと。
 その有り様は絶望の二文字とはてんで程遠く。
 むしろ彼は、"希望"を視ているように見えた。この、可能性の地平線上にある世界に。

「貴方は僕に絶望したかと問いかけたが、実のところ僕の答えはその逆だ。
 この世界に来てからというもの、毎日が楽しくて仕方がないんだ。
 当たり前のような顔で闊歩する"未知"を、片っ端から科学したくて堪らない。これは貴方にも理解できる感覚なのではないかな? Dr.脳幹」

 脳幹は、否定も肯定もしない。
 だが、ゼノはそれで満足だった。
 言葉はなくとも通じ合う、無言のやり取りがそこにはあった。
 奇しくもそれは、ゼノが贅肉と切り捨てた――科学者らしくない、ロマンに由来する一瞬で。

「世界はかくも未知で溢れている。科学に、最果てなどは存在しない」

 彼は、言う。
 万感の祝福と、万感の感謝と。
 そして万感の"知識欲"を込めて――宣戦布告するように。


「──サイエンス・イズ・エレガントだ!」


 それが彼の全て。
 彼の骨子であり、そして生涯。
 脳幹は肩を竦めて、そんな己の主に嘆息した。
 犬である彼に肩なんてものはないが、それでも確かにそう見えた。
 それから彼は、ふとこんなことを言う。

「君の世界は遅れているな。
 魔術どころか、科学の分野に限っても私の知るそれに及ばない」
「耳が痛いよ。倫理的な制約さえなければ、影くらいは踏めたかもしれないんだがね」

 話に聞く限りでは、ゼノの出身世界はそれこそ学園都市の影も踏めていない科学状況だった。
 未だに核兵器が最強として幅を利かせ、人類の可能性を押し広げるような科学は倫理的問題の五文字で突っ撥ねられる。
 まさに科学の袋小路、行き止まり。
 挙げ句そんな世界が、既存の文明全てをリセットする超大規模の災禍に見舞われてしまったというのだから同情する他なかった。
 ……の、だが。

「だが──いつの時代、どこの世界にも生まれるものだね。
 科学の可能性をどこまでも信じて追い求める、馬鹿な人間というのは」

 脳幹は、呆れたようにそう言った。
 かつて脳幹に知能を与えてくれた人間も、確かそういう人物だった。
 きっと、この青年もそうなのだろう。
 そう思いながら、世界で一番優秀なゴールデンレトリバーは――主たる科学者と共に、しばし夜空を見上げていた。


【クラス】ランサー
【真名】木原脳幹
【出典】新約・とある魔術の禁書目録
【性別】男性
【属性】秩序・悪

【パラメーター】
筋力:C 耐久:C 敏捷:A 魔力:E 幸運:A 宝具:B++

【クラススキル】
対魔力:B
 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。

【保有スキル】
一意専心:A
 一つの物事に没頭し、超人的な集中力を見せる。
 脳幹は"科学"に対して異常な執着と探究心を持つ一族の精神構造を引いている。

動物会話:B
 言葉を持たない動物との意思疎通が可能。
 ゴールデン・レトリバーである脳幹は当然のようにこのスキルを所持している。 

【宝具】
『対魔術式駆動鎧(アンチアートアタッチメント)』
ランク:B++ 種別:対人宝具 レンジ:1~10 最大補足:30
 魔術を絶滅させる者の装備。脳幹がその脳内で命令を下すだけで起動する撃滅兵装。
 兵装の内容は各種の刃物、銃弾、砲弾から始まり、果てはレーザービーム、液体窒素、殺人マイクロ波に至るまでもを取り揃える。
 デザインには脳幹の趣味性が色濃く反映されており、特にドリルとパイルバンカーに関しては一家言ある模様。
 しかしながら、核としているブラックボックスの部分は科学ではなくむしろ魔術側の法理に基づいている。
 この宝具の本質は、脳幹の盟友である近代西洋最高の魔術師――アレイスター・クロウリーの魔術を打ち出せるという点。
 近代から未来兵器に至るまでの"科学"の火力と、それを用いて捩じ込む"魔術"の火力。
 兵器でありながら魔術の使用を前提とする極めて特殊な装備であるため、完璧に扱いこなすには卓越した知識と技量の双方が必要となる。

【weapon】
 『対魔術式駆動鎧』

【人物背景】
学園都市の暗部に君臨する、悪名高き『木原一族』の一員。
演算回路を外付けされ、推定八十年の寿命を持つ類稀なるゴールデンレトリバー。
ダンディな声で話し、葉巻を愛好し、ロマンをこよなく愛し、不要な破壊と犠牲は忌避する一本筋の通った信念の持ち主。

【サーヴァントとしての願い】
願いは持たない。ただ、サーヴァントとしての努めを果たすのみ。


【マスター】
ゼノ・ヒューストン・ウィングフィールド@Dr.STONE

【マスターとしての願い】
界聖杯を手に入れ、解き明かす

【能力・技能】
 科学者としての頭脳と知識。
 そして、尽きることのない探究心。

【人物背景】
 NASAに所属する科学者。現代の人類に鬱屈とした感情を抱いており、自らの独裁する世界を望むという危険思想家でもある。
 全人類が石化した後には、様々な幸運と自身の打っておいた布石によって無事復活。
 日本の科学王国を凌ぐ程の規模を持つ"科学文明"を復活させた。

【方針】
聖杯の確保を優先するが、この聖杯戦争という舞台を思う存分解き明かしたい。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2021年06月17日 20:00