少女の歌には、血が流れている。
◇
立花響は反射する光に目を細めた。
まもなく正午を回る頃、太陽は天頂に差し掛かり、降り注ぐ日差しは雲に遮られることなく大通りの地表を温める。
今朝方まで降っていた雨はアスファルトに染み込み、それが蒸発することで気温と共に湿度も上昇、都心の蒸し暑さはここ数日で最高を記録していた。
「いやー……あっついね~今日は」
響の歩いている大通りはちょうど日陰になる筈だったが、正面に建つガラス張りのビルが日光を映し、第二の太陽が無情にも彼女を照らしていた。
そして響の隣を歩く、もう一人の少女も。
「ホントにね。"カナデさん"と一緒に出かけるといつもこう。あたし、もう首元に汗かいてきちゃったんだけど」
セーラー服の半袖を摘みながら、非難がましく響を見つめる少女の名を、柏木舞といった。
15歳の響より少しだけ年下の中学生、肩から背にかかるほどの黒髪は、響のボブカットよりも少し長い。
「ええー……そんなこと」
反論しようとして、響は以前、舞と共に外に出た日のことを思い出す。
一昨日は大雨だった。3日前は強風だった。そして初めて出会った一週間前も、天候は良くなかった気がする。
「たしかに……私、呪われてるかも……」
なんて言って響は笑ってみせた。
不服そうな舞の表情が、演技であると知っていた。
「でも私が一人で出たときは快晴だったし、案外呪われてるのは舞ちゃんのほうかも?」
「ええーひっどい、あたしだって一人のときは、こんなことないもん」
「てことは、ふたり揃って呪われてるとか?」
「……そうかも、まとめて呪われてるのかもね、あたしたち」
薄っすらと、舞は笑ってみせた。
その表情もまた、演技であると知っている。
響はそれでも、今の時間をできるだけ長く続けたいと思った。
都心の歓楽街にて人混みに紛れて歩く彼女たちは、傍目には仲の良い友人関係に見えただろう。
着ている制服こそ違うものの、年の近い二人の少女の会話は微笑ましく、ありきたりな日常の中にあると。
今、彼女らを監視している者が常人であれば、誤解した筈だ。
「あ、そうだ舞ちゃん、喫茶店入ろうよ!」
「いいよ、カナデさんの奢りね」
「私、昨日のお好み焼きも奢ったよね!?」
「いーでしょ、そっちの方が年上なんだから」
しかし、彼女らを見ているのは、そういった表面的な虚飾に欺かれるような存在ではなかった。
そして今、響を見つめる、目の前の少女も、また。
「しょーがな……」
鞄の中の財布を確認しようとして、後ろに回しかけた手が止まる。
ほんの一瞬だけ強張らせた響の表情は、すぐさま元の明るい笑顔を取り戻していた筈だ。
出来れば気づかせたくない、その一心だった。
「ごめん舞ちゃん、ちょっと今日は懐が極寒で……。
お金下ろしに行ってくるから、先にお店の中で―――」
「釣れた? ランサー」
晩秋の風のように冷たい声だった。
響の所作だけで、舞は判断を下した。そうとしか思えなかった。
舞の魔術師としての適性はお世辞にも高いとは言えず、響よりも先に察知することは不可能だから。
察知した気配、敵性サーヴァントの接近。二人を監視していた魔術師(マスター)が遂に動いた。
響に現れたほんの僅かな表情と動きの変化から、舞は全てを理解し、切り替えていた。
サーヴァントに向けた呼び方の変化が、何よりそれを示している。
監視対策のために適当に呼んでいた偽名でなく、単純なクラス名へと。
「なら行って、ランサー。あたしはマスターの方を始末する」
明確に、そして冷静に、響に向けた指示。
既に、舞の顔に一切の表情は無い。戦闘が始まった以上、もう虚飾を貼り付ける必要もないからだ。
一瞬にして彼女は切り替わった。いや、あるいはこれが本来の彼女なのか。
空洞のような舞の両目が、何の感情も読み取れない色褪せた瞳が、響を見ている。
響にはそれが、なにより悔しく、そして悲しく思えて。
「分かった……けど……舞ちゃんは、出来ればここから離れてほしい。絶対に私が守るから、危険な事はしないで、安全なところに居て」
けれど空虚な目をした少女は、既に響を置いて歩き始めようとしていた。
絞り出すような響の声に、一度だけ振り返り、やはり凪いだ水面のような表情で、首をかしげている。
平静に、冷淡に、そして単純に疑問でしかなかったから、彼女はそれを聞くにすぎない。
「どうして?」
◇
疾風の如く襲いくる青い斬撃は鋭く曲がり、心臓を正確に追尾している。
戦場は陽の光届き得ぬ路地裏にて。
響は薄汚れたコンクリートの壁を蹴り飛ばして、斜め下からの斬り上げを回避した。
「さっさと獲物を抜け、貴様も三騎士のいずれかなれば」
大剣とも長槍ともつかぬ大型の刃物を振り回す敵サーヴァントの表情は、分厚い銀の甲冑の奥に隠れて伺えない。
代わりに兜の隙間に光る赤い目が、好戦的な意思を雄弁に語っている。
それでも諦めたくは無かった。響は両手を広げ、堂々と胸をそらして声を上げた。
「話し合おうよ! 私達、サーヴァント同士でも、言葉が通じるんだから!」
「寝言を」
まさしく切り払うように吐き捨て、騎士は追撃を放つ。
「俺は戦うため、聖杯を勝ち取るために来た。貴様と仲良くなりに来たわけではない。ここに、貴様と話すような英霊はいない!」
「だとしてもッ!」
続く三連撃を、響は素早く左右に跳ねて躱し、向かってくる敵にカウンターの肘打ちを合わせる。
鎧を揺るがす大衝撃は、しかし騎士の前進を止めるには至らず、反対に響の身体を大きく後方に吹き飛ばした。
空中にて体制を整え、なおも彼女は声を発し続ける。
「私は、分かり合うことを諦めたくないッ!!」
「くどい……!」
苛立ちをあらわにした騎士の獲物が変形していく。
近接武器から、火筒のような長距離射程の形態へ。
深まる剣呑な気配は、騎士の本領がこちらであることを物語っていた。
「仕方がない、お前が本気になれる理由を与えてやろう」
警戒を強める響に対し、騎士の眼光が輝きを強め、悪意に濁った意思を灯し始める。
「俺のマスターは優秀な魔術師でな、貴様の大切な主人の位置を常に把握している。この意味が分かるだろう?」
「…………」
「手遅れになる前に、俺を片付けなければなぁ?」
冷静に成るために、厳かに、響は自分の胸に手を当てた。
正直、今は分からないことだらけだった。
自分が何故、サーヴァントとしてここに呼ばれたのか。
元の世界がどうなったのか。聖杯戦争とは一体なんなのか。
そして何故、彼女の従者として選ばれたのか。疑問は尽きない。
だけど一つだけ分かることがある。
今は早く、マスターのもとに行かなければならない、手遅れになる前に。
それだけが確かな事実だった。
だから響は、間に合わせる為の決意をもって、大きく息を吸い込んだ。
「Balwisyall nescell gungnir tron――――」
宝具の起動。紡がれる歌が、その力を励起させる。
響の全身を光が覆う。
武装(ギア)が周囲を包み込み、少女を戦士へと変貌させる。
「そうだ来い! 戦え! ここは戦場! 聖杯戦争! 殺し合う他に道はない!」
闘争に飢えた騎士の声が囃し立てる。
やがて光を払って、現れた装者は裂帛の気合を込めて叫んだ。
「――だとしてもッ!!」
纏う聖遺物の名は激槍・ガングニール。
全身を覆うギア、それでも少女の両手は空いたまま。
それは傷つける為じゃない、誰かと繋ぎ合うための腕だから。
「あなたと分かり合うことを、諦めたわけじゃないッ!!」
声は陰湿な路地裏の空気を吹き飛ばし、熱血滾らす少女の歌が響き渡った。
◇
結論から言えば、立花響は間に合わなかった。
その場所はすぐに分かった。
歓楽街の外れ、閉鎖された雑居ビルの地下駐車場だった。
一般の者が立ち入ることのない暗がりで、密かに行われた戦いは既に決着が付いている。
残されたのは僅かな残り火と、黒く焼け焦げた敗者の骸と、小さく奏でられる勝者の音だけ。
響がたどり着いたとき、もう既に、それだけしか残っていなかった。
「ra―――ra―――ra―――」
それは悲しい歌だった。
そして寂しい歌だった。
目の前にあるどんな悲劇よりも、その旋律が響の胸を締め付けた。
自分は、間に合わなかったのだと、理解した。
「ra―――ra―――ra―――」
それは契約対価と呼ばれていた。
響と舞の間にある主従契約とは別の、それは舞自身の能力にまつわる。
契約者。
彼らは能力の行使に対価を支払う。
舞のそれは『歌』だった。
「ra――」
「……舞ちゃん」
見つめる少女の背に、響は言葉をかける。
黒焦げの死体を、数十秒前まで生きていた人間を、燃やし続ける少女の顔は見えない。
「もう、やめよう」
制止する響の言葉に、ようやく彼女は振り返り、そして言った。
「どうして?」
同時、舞の足元で、死体は跡形もなく灰になっていた。
それは敵マスターの存在を完全に消し去り、戦闘の痕跡を一切残さぬ情報秘匿。
自分の身を守るため、殺し合いの場において徹底された、合理的な判断に基づく行動に過ぎなかった。
数分前に行われていた戦闘の決着は実に簡素だった。
魔術師としての礼儀を重んじ、技量比べに拘った敵マスターを、舞は一切の躊躇なく燃やした。
彼女の魔術師としての素養は粗末なものだったが、契約者としての火力は群を抜いている。
舞の熾す炎は速く、そして強烈だった。
敵は一節の詠唱もままならず、喉から炭化して息絶えた。
舞は理解していたのだろう。
響が敵サーヴァントを退けたとして、マスターが残っていれば、やがて障害と化す可能性が高い。
こちらが一方的に補足された以上、主を仕留めなければ危険であると。
だから舞は自ら敵のマスターを誘い出し、確実な排除を実行する。
最初からそういう試みだった。
顛末は、合理的な判断の帰結に過ぎない。
だから――
「どうして?」
と、問うに過ぎない。
舞には分からない。響が今、どうして悲しい表情をしているのか。
どうして、やめようと言ったのか。
その言葉の意味は表層を撫でるだけで、舞の心に伝わることがない。
響は多くを知り得ない。
この場所で出会う以前、舞になにがあったのか。契約者とはどういう存在なのか。
それでも最初に舞の瞳を見たとき、その奥底に、大きな悲しみと、一切を諦めてしまったような寂寥を見た気がした。
彼女は今まで、どれだけの人を殺めてしまったのだろう。どれだけの人を傷つけ、そして傷ついてきたのだろう。
舞は守られるだけの弱者ではない。少女は強く、そして傷ついた罪人だった。
「だって……それは、悲しいことだから」
ああ、これじゃ駄目だ。
こんな言葉じゃ伝わらない。
響は悔しくて、唇を噛みしめる。
「痛くて、苦しくて、辛いことだから……!」
駄目だ。
これじゃ届かない。
これじゃあ、きっと舞の胸には響かない。
言葉が、声が、虚しく空を切るのが分かる。
舞の擦り切れた心に、凪いだ水面のような瞳に、波紋一つ与えることが出来ない。
響は知っている。守りたい日だまりの尊さを。そのために彼女は拳を握ってきた。
けれど響は知らなかった。自ら、日だまりを焼き尽くしてしまった者。罪とともに生きる人を救うすべを。
そのための歌(ことば)を。
「今はまだ、伝わらないかもしれない……」
響はゆっくりと歩み寄り、舞の正面に立つ。
そうして握る拳を、優しく、舞の胸に当てた。
見えない戸に、そっと触れるように。
「けどいつか、伝えてみせるから」
彼女を、助けたいと願う。
救われてほしいと願う。この心を間違いだなんて思わない。
知らなければいけないと思う、舞のことをもっと、そのために。
「まずは私のこと、もう一度、最初から、伝えるよ」
ここに宣誓を。
「私、立花響ッ!」
舞はどこか不思議そうに響を見ている。
伝わるだろうか。今は伝わらなくても、いつか。
一緒にいることで、いつか。
彼女の胸にまで届く歌を、歌えるように。
「15歳、血液型はO型ッ!」
胸の中で遠い世界の恩人に告げた。
師匠、翼さん、奏さん、私まだまだ未熟だけど、ここでもっと修行します。
「身長157センチ、体重は……もうちょっと仲良くなってからッ!」
舞の目をもう一度、正面から見つめた。
色褪せた空虚な瞳の、ずっと奥まで。
そこにまだ、なにも見えなくても。
「好きな物はごはん&ごはん、彼氏いない歴は……年齢と同じッ!」
舞の胸に手を当てたまま、強く言葉を紡いだ。
胸の響きを、伝える為に。
いつか必ず、伝える為に。
「……だから次は、舞ちゃんのこと、もっと教えて」
今はただ、拳にのせた心だけが全て。足りなくとも、全て。
◇
【クラス】
ランサー
【真名】
立花響@戦姫絶唱シンフォギア
【ステータス】
筋力B 耐久B 敏捷A 魔力C 幸運D 宝具A
【属性】
秩序・善
【クラススキル】
対魔力:B
魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
大魔術・儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。
【保有スキル】
中国武術:C
中華の合理。宇宙と一体になる事を目的とした武術をどれほど極めたかの値。
修得の難易度は最高レベルで、他のスキルと違い、Aでようやく“修得した”と言えるレベル。
よって響はまだまだ遥か長い道の途中。そも修練過程すら正道とは判じ難い。
しかし英雄故事、至宝の歌。それは確かに実在するのだ。
融合症例:A
聖遺物と融合した肉体。
エネルギー出力と回復力の根源となるスキル。
毒や精神支配といった状態異常に耐性を持つ。
神殺し:B
立花響の纏うガングニールに積層した想念、哲学兵装。
彼女の拳は神の摂理に対する猛毒的な特効を有する。
神霊、亡霊、神性スキルを有するサーヴァントへの攻撃にプラス補正。
【宝具】
『神殺しの激槍(ガングニール)』
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1
北欧神話大神オーディンの振るう勝利必中の槍。
その穂先より造られし回天特機装束(シンフォギア)。
装者の口ずさむ歌の力によって励起され、彼女らの身に纏う鎧となり矛となる。
ガングニールはギアに加え槍状の武装を作り出す機能をもつが、立花響は「人と繋ぎ合う手に武器を持ちたくない」という深層心理から形成が出来ない。
代わりに、武装を形成するエネルギーそのものを拳に込め、敵に叩き込むように放つ近接戦法を得意としている。
『絶唱・始まりの歌(バベル・エクスドライブ)』
ランク:A+ 種別:対限界宝具 レンジ:1 最大補足:1
絶唱と呼ばれる、シンフォギア装者の最大最強の攻撃手段であり、宝具の域にまで高められた"歌"。
全力の歌唱によって増幅したエネルギーを解放し、限界を超えた極大の攻撃を行う。
その驚異的な威力の一方、反動(バックファイア)もまた深刻であり、使用者の生命を燃やし尽くすことも有りうる諸刃の剣。
効果範囲や形状は使用者や聖遺物の個性によって変化する。
真に限界の壁を破壊したときのみ、限界の先に至る決戦の宝具である。
【人物背景】
第3号聖遺物ガングニールのシンフォギア装者。
ノイズと呼ばれる特定変異災害から人々を守る特異災害対策機動部二課に所属していた。
聖遺物の破片を胸に受けたことにより、融合体としてシンフォギアを身に纏う資格を得る。
底抜けに明るく「人助け」が趣味と称されるほどのお人好し。
「人と手を繋ぐ」ことを信条とする前向きな性格で、たとえ相手が戦う敵であっても、わかりあうための手を伸ばす。
ちなみに15歳、血液型はO型、身長157センチ、好きな物は「ごはん&ごはん」、彼氏いない歴は年齢と同じ。
【サーヴァントとしての願い】
舞を守り、この胸の思いを伝える。
【マスター】
柏木舞@DARKER THAN BLACK 黒の契約者
【マスターとしての願い】
自身の生存と安全。
【能力・技能】
契約者と呼ばれる超能力者の一人。
能力は『発火』。
自身の意識の及ぶ範囲を瞬時に燃焼させることが出来る。
人も建造物も一瞬で消し炭に変えるほどの強力な広範囲火力。
能力使用後は固有の契約対価を支払う必要があり、彼女の対価は「歌をうたう」。
【人物背景】
ある組織に所属する契約者の少女。
モラトリアムと呼ばれる一種の能力暴走状態から、契約者へと状態を移行した唯一の例外。
能力を暴走させていた際には、友人を含む多くの人間を自分の意思とは無関係に焼き殺した。
契約者になってからは能力を完全に制御しているが、他の契約者と同じように表出する感情は希薄になり、冷たい合理的な思考のもと行動している。
【方針】
合理的に状況を判断する。
最終更新:2021年06月29日 20:13