東京都――より厳密には、『界聖杯』によって作られた、偽りの、模倣された東京都。
 その都市群、歓楽街の一角に建つビルの地下二階に、ひとつのピアノ・バーがあった。

 内装は、綺麗に清掃されたフロアに、ボルトで固定されたテーブルと椅子が何組か。
 そしてテーブルの向こうの、一段高いステージに、グランドピアノが設えられている。

 そのピアノの音が響く中。椅子にもたれ、テーブルに寄りかかるように肘をついた体勢の男がいた。
 もしも営業中ならば、従業員にマナーを注意されても仕方ない仕草だったが――どうやら、今は営業時間の外なのか。
 『ピアノを弾いている』者以外、店の関係者はいないようだったし。ピアノの演奏者も、男のマナーを注意したりはしなかった。
 もっとも、従業員がいたとしても、男に声をかけるのは躊躇われたかもしれない――黒髪、黒のネクタイ、さらに黒のチェスターフィールドコートという、黒一色の、陰気を通り越して威嚇的でさえある風貌の男だった。

 その黒コートの男の名前は――衛宮切嗣という。
 かつて数多の魔術師を仕留めた、『魔術師殺し』とまで呼ばれた魔術使い。そして、冬木の『第四次聖杯戦争』に参加し、生き残った――生き残ったけれど、願いを叶えることはできなかった男。
 望みを断たれた、敗残者。
 彼がかつて、自らの手で望みを断った多くの人間を――そして、かつての聖杯戦争の敗者たちを思えば。そんな呼び方は、命があるだけ十分だろう、などと言われても仕方ないものかもしれなかったが。
 けれど。

「『界聖杯』――そして、『聖杯戦争』、か」

 何の数奇か。衛宮切嗣は、『界聖杯』に誘われ、『二度目の聖杯戦争』へと参加することになった。
 かつてのように、自らの意思ではなく。強制的に、という違いはあったけれど。
 そう、強制的に――聖杯を手に入れる機会を、切嗣は得た。自らの意思でなく、得てしまった。

 だから、悩む。

 自分をこの聖杯戦争に誘った、界聖杯。その力が真実であり、そして、切嗣がかつて求めた聖杯のような、汚染されたものでなければ。
 切嗣は、敗者復活のチャンスを手に入れたのだ――とも、言える。
 もっとも。ただ単純に、これをやり直しのチャンスだと言うには、今の切嗣と昔の切嗣では違いがありすぎたのだが。

 第一に、今の衛宮切嗣は、かつてと比べて歴然に衰えている。
 かつての聖杯戦争で、切嗣が被った聖杯の『泥』。それは切嗣の身体を蝕み、全盛期のスペックなど望むべくもない。
 死病に侵され、緩やかに、数年後には生を終える病人――解る者が見れば、今の切嗣はそう見えるだろう。
 聖杯戦争を勝ち抜けるかどうかは、かなり怪しい賭けだった。

 第二に。今の衛宮切嗣は、かつてと比べて置かれた状況が変わりすぎている。
 かつての聖杯戦争で、切嗣が聖杯に望んだ願いは、その聖杯に完膚なきまでに否定された。
 あるいは界聖杯ならば、その願いを完璧に叶えることができるのかもしれないが――それでも、同じ願いを、また願うわけにはいかなかった。
 状況が、変わったのだ。
 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
 衛宮切嗣の娘であり――アインツベルンの城に、未だ取り残されているだろう彼女を。切嗣は、父親として、迎えに行かなければならない。
 たとえそれが、裏切り者としてアインツベルンの結界に拒まれ、泥によって衰弱した切嗣では果たせないことであっても。
 だが――聖杯があれば。可能だろう。切嗣の復調か、イリヤとの再会を直接願うか――どちらにせよ。界聖杯が正しい願望機であれば、それは叶う。
 本当にそれが、許されるのなら。
 いや――切嗣自身が、それを許すのか。
 かつての切嗣は、多数のために、自らの大事なものを切り捨ててきた。それが、今更。自分の大事なモノのために戦うなんて矛盾が、許されていいのか――?

「なにやら――先ほどから、悩んでいるようだが」

 声が、悩み続ける切嗣に届く。
 いつの間にかピアノの演奏は終わり、演奏者はステージを降りて、こちらへ歩いてくるところだった。
 ウエーブのかかった長すぎる印象さえ与える黒髪に、いかにも音楽家然とした燕尾服の男――事実、彼は音楽家だった。
 音楽家で、殺人鬼。
 クラスはアサシン、真名は零崎曲識――そう、彼は名乗った。

 その能力は、切嗣も把握し――高く、評価している。
 つい昨日、このピアノ・バーに襲撃をかけてきたマスターとサーヴァントの主従を完膚なきまでに封殺し、撃退したのはこのアサシンの能力あってこそだろう。
 かつての衛宮切嗣が召喚していれば、『当たり』を引いた、と確信していたことは間違いない。
 もっとも――今の切嗣にとっては、皮肉な話でしかなかったが。

「殺す相手に条件を付けているせいか、『菜食主義者』などと呼ばれることもある僕だが。喩え話として僕が本当に菜食主義だったとして、目の前で肉を食べる人間を糾弾したりはしない。自分のスタイルを他人に押し付けるような人間は、菜食主義者ではなく、菜食主張者とでも名乗るべきだろう」

 菜食主義。限定条件つきの殺人鬼。零崎曲識は、零崎一賊でも唯一、――らしい、無差別ではなく、殺す相手を選ぶ殺人鬼らしい。
 そして、その限定条件とは――『少女であること』。
 少女を助ける願いを抱いて、少女だけを殺す殺人鬼を引き当てる。
 運命というものは、つくづく、切嗣を嫌っている――あるいは、歪んだ形で好いているようだった。

「何が言いたい」
「つまり――マスターが誰を殺そうと、僕には関係がない、ということだ。賞賛もしなければ、批難もしない。令呪とやらで、僕の殺しに命令をするのは辞めてほしいが――それさえ除けば、僕はマスターが何をしようと気にしない」
「殺人鬼らしい論理だな」
「これでも、背中を押してやっているつもりだったのだが」
「それこそ余計なお世話だ。僕が誰を殺すかは、他人に言われるまでもなく自分で決める」
「それを決めかねているように見えたからこそ、声をかけたのだが――それに、他人ではあるまい。マスターとサーヴァント、契約と主従の関係だ。この場かぎりのものではあるが」

 マスターとサーヴァントは、一蓮托生。たとえ少女殺しの禍々しい殺人鬼だろうと、切嗣のサーヴァント。
 片方の脱落は、もう片方の脱落を意味する。なるほど確かに、マスターが悩んでいるのを放置するサーヴァント、というのは稀有だろう。
 殺人鬼に殺しの心配をされるというのは、傍から見たら滑稽な構図ではあったが――今まで切嗣に殺されてきた相手からすれば、切嗣も殺人鬼も、大差はないのかもしれない。
 やはり、皮肉な話だった。

「心配されるまでもない。どんな手を使っても、泥水を啜っても――生き残ってみせる」

 アサシンに声をかけられたから、というわけでもないが。
 いくら切嗣が悩んでいるといえど、ここで死んでやる理由は、さらさらなかった。
 何故なら。

「士郎――帰りを待っている家族が、僕にはいる」
「『家族』のために生きる、か。それは――悪くない」

 すでに背を向けたアサシンから、微かに笑みの気配がした。
 家族。殺人鬼を名乗る男にも、家族がいたのだろうか。いや、この世に生まれた以上、家族は必ずいる筈、ではあるのだが。

「既に演奏は終わり、本懐は遂げた。アンコールを望まれても、『いい』とは言いづらいが――」「零崎を再び始めるのも、悪くない」


【クラス】アサシン
【真名】零崎曲識@零崎曲識の人間人間
【パラメーター】
筋力C 耐久C+ 敏捷C 魔力D 幸運B 宝具B
【属性】
中立・悪
【クラススキル】
気配遮断:B+
 サーヴァントとしての気配を絶つ。
 音を操り、音に紛れ、自らの発する音を消して気配を消す。
【保有スキル】
音使い:A++
 音を扱うスキル。
 音使いには「音楽で肉体と精神を調律し支配する」、「大音量の衝撃波で敵を直接攻撃する」の2パターンがあるが、
 アサシンはこの2パターンをどちらも十全に扱える、万能の音使い。
 その声、言葉ですら、他人を支配し、指揮するには十分である。
陣地作成:D+
 自身に有利な陣地を作成するスキル。
 小さなピアノ・バーを経営する。
 店内にはスピーカーが仕込まれており、ほぼ常に不可聴域の超音波が流されている。
 そして、この超音波でさえアサシンは他人の身体に干渉可能。
 わずか数分の滞在で、耐性のない人間やサーヴァントは身体の指揮を奪われてしまう。
仕切り直し:C
 戦闘から離脱する能力。
 誰が呼んだか、「逃げの曲識」。
情報抹消:C-
 敵に対しての情報隠匿。
 アサシンのステータスやスキル、宝具の効果を読み取ることが不可能となる。
 ただし本人の言動そのものには作用しないため、そこから情報があっさりと判明することもある。
 生前、アサシンが一賊でも非常に謎めいた殺人鬼であったことに由来するスキル。
 ただしそれは周囲の一賊の尽力あっての物であり、本人は自らの能力を隠すことに特に関心を払わない。
精神汚染:D
 同ランク以下の精神干渉を無効化する。Cランク以上の精神干渉においても、成功率を削減する。
 また、他人と会話や意思疎通が通じにくい。
 周囲の空気を読めない精神的なスーパーアーマーであり、同時に殺人鬼としての異常な精神性。
 また、アサシンは少女のみを殺害対象とし、それ以外を殺害対象にしない。
 少女以外は、殺さない。
【宝具】
『少女趣味(ボルトキープ)』
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:音の届く限り 最大補足:音の届く限り
 零崎曲識が手にした、最初にして最後の『専用の得物』。
 とある武器職人集団の統括クラスの凄腕が作製した、黒色のマラカス。刻まれた紋様は、禍々しく呪いの言葉にさえ見える。
 曲識の音楽家としての力量を十全に発揮するために「広く、そして正確に音階を表現する」ように製作されており、
 マラカスでありながら、小さなオーケストラレベルの演奏を可能とする。
 それと同時に、打撃武器としても使用可能な頑丈さを併せ持ち、暴力に依る破壊はほぼ不可能と言っていい。

 宝具となったことで『少女趣味』の二つ名を持つ曲識の逸話と共鳴しており、
 その奏でる音も、頑丈さを盾にした打撃も、『少女』に分類される相手に対しては特攻となる。

【weapon】
『少女趣味(ボルトキープ)』

 当然として。宝具である『少女趣味(ボルトキープ)』をメインに扱うが、その本質は音使い。奏でる音の全てが武器となる。
 それはその声や不可聴域の超音波でさえ例外ではない。

【人物背景】
 殺し名の序列第三位に列せられる殺人鬼集団、零崎一賊の三枚看板、零崎三天王のひとり。
『少女趣味(ボルトキープ)』の二つ名で呼ばれる、音楽家にして殺人鬼。
 かつての少女時代の『赤』と出会った体験から、『少女以外は、殺さない』という菜食主義を掲げる唯一の殺人鬼。
 その禁欲ゆえか戦いを好まず、『逃げの曲識』と揶揄されることもあるが、彼もまた『家族』を大事にする零崎一賊の殺人鬼に変わりはない。

【サーヴァントとしての願い】
 ――なし。本懐は遂げた、笑って死んだ。それなのに、どうしてそれ以上を望む権利が僕にある?



【マスター】衛宮切嗣@Fate/Zero
【マスターとしての願い】
 現状まだ決まっていないが――生き残り、勝ち残らなければいけないのは確か。
【weapon】
 銃器類、爆発物。
 現役時代は『起源弾』と呼ぶ魔術師殺しの銃弾を所持していたが、この聖杯戦争では不所持。
【能力・技能】
 魔術使い。
 かつては『魔術師殺し』とさえ呼ばれた卓越した傭兵だったが、『この世全ての悪』の泥に苛まれ、身体は衰弱し魔術回路の八割が機能不全に陥っている。
 自身の時間流を操作する独自魔術、『固有時制御』の利用すら危険を伴う。
 本格的な衰弱がはじまる前であるため、体術や銃器の使用はそれなりにできる。

【人物背景】
 かつて魔術師殺しと呼ばれた魔術使い。
 聖杯戦争に失敗し、娘を取り返すこともできず、吹雪の森を彷徨う内――この界聖杯を争う聖杯戦争に取り込まれていた。

【方針】
 どのような形であれ生き残る。

 曲識は少女以外を殺せないため、基本的に『曲識はサーヴァントの足止め、切嗣がマスターを殺す』戦術を強いられる。
 現役時代ならばともかく、泥で衰弱した切嗣がマスターを狙う危険を侵さなければならない。
 曲識がどれだけ切嗣をサポートできるかにかかっているといえる。

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最終更新:2021年07月14日 22:15