◆
─────────月が、出ていた。
深夜の空。青色を過ぎ、朱色を超えて、黒色に染まった空。
未だ以て人の往来が絶えない賑わいを見せる下天の街と対象的に、天では既に全ての色が落ちている。
雲はない。千切れた靄めいた薄雲ひとつない、爽快な快晴だった。
星は見えない。遥か彼方で光る欠片は今夜に限って瞬きひとつ見せなかった。
この世界が、"界聖杯"によって形作られた、仮初の舞台だからか。
答えられる者はいなく、また問いかける者もいなかった。
空を彩るイルミネーションが飾られてない空は、ただひたすらに黒い。
雲に星、『空』をイメージさせる象徴が消え去った天蓋は、黒という色を超えていた。
あえていうなら、闇。
この世に『光あれ』と神が言う前から存在した、無色にして無概念の闇が凝縮されている。
まるで今まで見ていた空の色は天井を一面に覆っていたヴェールであって、それが一気に引き剥がされたかのようだった。
この闇を見てしまわないように、空があり、星や雲がかかっている。
闇は見てはいけないものだから。
闇を見た者は、闇の中から這い出るモノをも見てしまうから。
そんな馬鹿馬鹿しい妄想を真実だと思いこんでしまう。そんな闇だった。
その闇の中でただひとつ己を誇示するものが、月だ。
真円を描く満月。
美しく幻想的な光を放って天に鎮座するそれは、あたかも闇の更にその先を円状にくり抜いて、そこから光が漏れているとも見える。
世界の護りを剥ぎ取った先に闇がある。
ならば闇を切り裂いたなら、そこから漏れ出るものはなんなのか?
……古来から、月は狂気になぞらえられる。
狼男は月の光で変身し、魔女は黒ミサを執り行う。ローマ皇帝カリギュラは月に正気を奪われた。
狂気を司る光を受けて、人々は夜の街を練り歩く。
深夜の残業。若者の遊び。それらは人工の灯を頼りにしている。狂った光を浴びる事はない。
では。光を避け、夜の闇に蠢くもの。
人目に入らない場所で、秘めやかに為されるべき事を行おうとするもの。
それは多くは見つかれば罪に問われる犯罪であり、この街においては特に危険度の高い種類のそれが始まっている。
月はそんな者達にこそ光を与える。標を指し示すように。断崖に誘うように。
月は見ている。
それは単なる比喩の一種でしかないものであったが。
闇を抉った円形は、闇という"貌"に張り付いた巨大な眼玉であるかのように、街の仔細をつぶさに観察していて……
◆
街の狂騒を見下ろす月の下。
そこに彼は立っていた。
呆けて夜を遊び歩く酔漢とは質の違う、何某かの強い決意を感じさせる目をしていた。
その為にならあらゆる艱難辛苦を、自身にも他者にも課す事を厭わない、そうした決意だ。
それは非情ではあるが非道には遠い、『彼ら』なら持ち合わせていて然るべき強固な精神力だった。
彼は魔術師だ。
優れた魔術回路を持ち、血統書付きの魔術刻印を持ち、独自の魔術を操る技量を持っている。
出身もそれなりに名家といって通じる一族であり、家門を継ぐに相応しい力量が彼には備わっていた。
多くを望まなければ。身に余る栄光を求めさえしなければ、相応の賞与や称賛を労せず得られる人生を約束されている男だった。
しかし、彼は満足していなかった。
身に余る栄光をこそ彼は求めていた。
無謀な大望などではない。自らの家系に足りないものを正確な計算の下に冷静に自覚していたからだ。
実力に自信はある。刻まれた刻印を増設し、蓄積された相伝の知識を深め、今より更に家系を盛り立てられる自負がある。
ただ、流れが来ない。己を一段上の階段に登らせるに足る、つまりは実績の機会に恵まれていない。
今までのように地道に研究を続けるだけでは駄目なのだ。能力にも資産にも余裕がある今のうちがチャンスなのだ。
魔術の神秘は時を減る毎に薄れている。人の文明の侵食は着実に進んでいる。
家系の限界に突き当たり、権力闘争に負け没落する、最悪の憂き目に会うわけにはいかない。
確かな実績を立てる機会はないものか。幼子から老害にも分かるような名声を獲得できるトロフィーは無いものか。
それこそ都合のいい魔法の壺のような物語を、彼は身を以て体験する事になった。
聖杯戦争。
人類史に名を誇る英雄豪傑、を使い魔として従え勝ち抜く闘争儀式。
最後に残った者には万能の願望器、聖杯が手に渡るという。
極東の島国で開催されたその儀式は噂には聞いてはいた。
何でもある男がその儀式に参加し、優勝こそ逃したものの見違えるほど成長し、その縁で代理ではあるものの時計塔十二の学科を束ねるロードの一人にまで上り詰めたのだとか。
彼は狂喜した。
自分にもっとも欠けていたものを補える機会をようやくに得たのだ。
前触れなく、気づけば見知らぬ土地に召喚されていたという事態は面食らったが、空間転移という魔法に迫る代物が行使された点で聖杯の質というものが頷ける。
そして彼はマスターとなり、サーヴァントも恙無く召喚された。
聞きしに勝る圧倒的な魔力量。本質が霊だとは思えないほどの存在感。
令呪という縛りさえなければ、自分などこともなげに首を刎ねられるという確信が、彼から慢心を捨て去せた。
彼は出自を語り、マスターとしての願いを明かし、英霊を使い魔ではなく共に勝利を目指す同志として迎え入れた。
慣れない交流に苦心しながらも、首尾よく信頼関係を結ぶ事に成功し、戦いに向けて万全の耐性を整える事ができた。
そして彼の聖杯戦争は幕を開け、そこで魔術師は───狂気に出会った。
二十にも満たないような、肩口まで伸びた茶髪の少女だった。
一般的なデニムジャケットを羽織った、どこの市井にでもいそうな東欧人だ。
大きな瞳、可愛らしい顔の形、どこまでもありふれた群衆の一人に過ぎない記号で構成されている。
だからこそ───少女はどこまでも狂っていた。
にこやかに微笑んだ顔に邪気は一切ない。
なさすぎて、欠落している。
邪気の欠如、それは異常以外のなにものでもなかった。
男とて魔術師。人倫や理性でものを語る気がない、世間では外道といわれる人種だが、その枠組みにおいてさえこれは逸し過ぎている。
『───こんばんは。いい夜だねえ。"魔術師"さん』
───ざわ、
と風が鳴る。
変哲のない挨拶。
それだけで空気は一変した。
真冬でもないのに寒気がする。縄で頸を締め付けられたように、圧迫がある。
ただの静謐な夜の空間は、無音の闇にまで圧縮された。
いや、声だけのせいではない。
この場所に少女がいる事実そのものに対して、世界が過剰なまでに反応を起こしたのだ。
少女が従えている英霊のためではない。
少女の背後の暗闇に"いる"、不可視の異形の気配のためではない。
少女は少女だけで、この異常を引き起こしている。
少女が現れただけで、世界は断然されたのだ。
精神操作に対しての対策は魔術師の嗜みとして当然施してある。
だがそんな守りは少女にことごとく突破された。
魔術師のいわば思想の、意志の生き物だ。
術の行使にせよ、研究にせよ、類まれな精神集中を必要とする。
少女の言葉、雰囲気としか言いようがない謎の圧力に気勢を削がれ、精神をずたずたに引き裂かれてしまった。
魔術の披露も、血肉の削り合いも起こさず。
意志の押し付け合いにおいて、魔術師はとうに少女に敗北していた。
"魔女"───
そんな言葉が魔術師の脳裏によぎる。
ただそこに存在して立っているだけで神秘を為す少女は、お伽噺に現れる魔女に見えた。
杖は持たない。黒いローブも身に纏わない。
空も飛ばなければ黒猫を使い魔にもせず、それとわかる魔術を使ったわけでもない。
それでも少女は"魔女"にしか映らなかった。
一度"そう"とイメージした映像は写真のフィルムのように焼き付き、男だけの妄想は真実であると根付いてしまっていた。
「ねえ───あなたは、この世界についてどう思う?」
魔女は語りかける。
「ううん、聖杯じゃないよ。あくまでもこの世界の話。
ただ戦って、みんなバラバラの具材にして投げ込んで、シチューを作るだけの鍋? そうじゃないよねえ?」
語る様は笑顔のままだ。
マスター同士の邂逅。本来なら戦端が切り開かれるべき場面に、他愛もない世間話をするような調子で喋る。
「ここは"特異点"。
世界と切り分けられた、ここだけの"物語"が作られる場所。
まだなんのページも書かれてない、生まれたばかりの物語。ううん、私達の"物語"を食べる事で、ようやく生まれようとしている。
物語は読まれたがるものだから。読まれる事、私達に知ってもらう事で初めてあちらとこちらは繋がれる。誰にも読まれていない本を見つけたら気になるでしょう?」
手を広げて、視線を魔術師から離してみる。
そんな動作で、魔術師は錯覚を幻視した。
空っぽの手には古ぼけた本が収まっており、見渡す四方には、大書庫の如き本棚が陳列しているのが視える。
幻覚だ。想像だ。そんなものは存在しない。それが事実。
魔女の言葉は事実を歪め、異界の幻想を引き出していた。
「世界は"物語"」
謳う。
「世界はひとつでも、それを読む人は無数にいて、その数だけ世界の解釈や知った感想がある。
そしてここには無数の世界が集まって、無数の"物語"がそれを読める。
世界の境が、崩れている。
ここならきっと、あの子たちも来てこられる。今は形にしてくれるものがないけど、その代わりにたくさんの"物語"がある。
熱いものから悲しいもの、キレイなものから大きなものまで、本当に素敵な物語……」
魔女は本当に楽しそうに微笑んだ。
その時が来るのが待ち遠しいと、穏やかに、揺るぎのない笑みを崩さない。
「これだけの物語が集まったら、きっとあの子も降りてこられるよねぇ……」
その言葉を聞いた、魔女の背後にある"何か"が、一斉に蠢動した。
そこには暗闇しかない。
闇以外に見えるもの、感じるものはいない。
なら今動いたのは闇そのものでしかなかった。
形のない闇が、不可視の気配が、魔女の言葉に欣喜雀躍したかのように。
それを認識した途端、周囲の空気の温度が急激に下がった。
ひやり、とした空気は、死体の手の零度で頬をなでる。
得体のしれない情動が心臓を早打つ。魔術回路は乱脈に陥っている。
男が見てきたつもりの神秘など、そこにあるものと比べれば塵埃にも等しい。
もしアレが世界の真実だとすれば、そんなものには触れたくない。見たいとも思わない。
男は魔術師になりたいのであって、『あんなモノ』の仲間入りをするなど断じてごめんだった。
「あなたのお友達は、消えちゃったね」
笑みは消えないまま、少し残念そうに言った。
「心の欠けを補ってくれる為に聖杯が呼んでくれた、あなたにとっての"どうじさま"だったのに……」
不可思議な単語を発するも、その意味は個人の範囲でしかないらしく理解できない。
ただ起きた結果ならば、体内の魔術的な契約の消失が状況を如実に教えている。
彼が魔女との会話に引きずられてる間に、戦闘は終了していた。
魔術師のサーヴァントは、敗北していた。
肉体の大部分を砕かれ、エーテルの残滓を解れさせながら消失した。
あれほど時間を共有し、半身のように常に行動を共にしていた相棒は塵も残っていない。そこに、どこか体の内に空虚を感じていた。
英霊はなぜ敗れたのか。魔女の相手に気を取られ、魔術による十全なサポートを行えなかったからか。
いいや、違う。そんなものは瑣末事に過ぎないと断言できる。
魔術師は冷静に、極めて冷静に敗因を特定する。
相対した英霊……つまりは魔女の契約したサーヴァントが、自身のそれと隔絶した強さだったからだ。
戦場に独り君臨する姿、まさに女王の如し。
黒衣装に白い肌は、神話に登場する神代の魔女のイメージと相違ない。
英霊は魔女だ。クラスは予想するにキャスターか。
魔女のマスターには似合いの英霊だが、二者の印象は大きく異なる。
少女が不可視の神秘を従える空想の魔女であるなら、英霊は言外の神秘を統べる幻想の魔女。
放つ魔術、神秘の残り香、全てが規格外。
槍が空を割り、波が地を呑み込む。目に映るものは、全て灰と化した。
魔力の照射が魔術師に当たってないのはサーヴァントの奮闘ではなく、単に魔女に狙う意図がなかっただけだ。
その気があれば、サーヴァント諸共消し去られていたという見解が、魔術師から戦う気概を奪っていた。
「……別に怖がらなくていいよ? 私はただ、みんなの望みを叶えてあげたいだけ。
ここに集まってきた人たちはみんな質に関係なく、向こうに渡っても形を保っていられる強い魂の持ち主。
魂のカタチだって、キレイで面白いものばかりだもん。私はそんな人たちが好きだから守ってあげたいし、死んでほしくない。みんなの望みも叶えてあげたいって思ってるよ」
それは、まるで。
「そうだね。それじゃあまるで聖杯みたい。私も物語に囚われちゃってるのに、あべこべになっちゃってる。
そういうのは神野さんの分野なんだけど……あの人もここにいるかはわからないからなあ」
くすくすと笑う。
笑えるはずのない空気の中で、おかしな冗談もあったものだと。
望みを叶えると、魔女は言った。
聖杯の中で、自分が聖杯の役目を為すと。
魔術師は問うた。ずっとこみ上げていた激情がついに限界に達した、根源的な問いをした。
お前はいったい何をするのか。『その後ろにいるモノ』を使って、どうやって願いを叶えるというのか。
界聖杯に、何を望むのか。
「……ああ! やっぱりあなたには見えるんだね。それとも感じるのかな?
ならわかるでしょ? 界聖杯(ユグドラシル)。北欧のお話じゃ最期は燃え墜ちてしまうけど、ここはそうじゃない。
この子はその名の通り、枝を伸ばすの。"物語"が書かれた場所の元にまで。繋がれば、あとは辿るだけ」
「全ての人が描いた空想を、異聞を、現実に呼び起こすの」
瞬間。
魔術師の頭が白滅した。
驚愕と戦慄が胸中を焼き焦がす
敗北に打ちのめされて冷めきっていた胸に熱が入る。熱が萎えていた手足に流れ活力が込もる。
少女の言葉は真実狂気の産物であり、その全ての内容を理解する事は叶わない。
だが狂気ではあるが盲言ではない。少女はおそらく正しく理解した上で『願い』を宣誓したのだ。
少女の神秘の才能は本物だ。
天才。天賦。それ以上の、異常を誇っている。
ならば少女は世界の在り方を知っていて、同様に壊し方も把握している。正確に!
人理定礎を。
時間と空間。歴史の固定帯となる人類史の土台を。
この魔女は破壊するのだと。
「壊す、とは違うかなあ? 私はあくまでみんなが一緒になれて、仲良くなれる方法を探していただけ。
急にこんなところに連れてこられて計画は狂っちゃったけど……この場所はとても都合がいいからね。
優勝だって、別にする必要があるとは思ってないよ? さっきも言ったように、私がみんなの"物語"を知っていけばそれは果たされると思うから」
その選択範囲が、全ての異世界、平行世界に及ぶとしてもか。
「うん。友達に聞いた時は驚いたなあ。だってもったいないじゃない?
本当ならその枝にはたくさんの可能性が生まれていたはずなのに、より多くの可能性を芽生えさせる"人柱"にしてしまうなんて。
それは逆に、人間の可能性を狭めてるって思うよ」
垣間見えるアレですらこの異常性だ。
その根本や、無数の世界と接続してそれらが垂れ流されればどうなるか。
生易しい理想郷が生まれるなど断じてない。神秘主義の復活と喜ぶ暇も起きるまい。
魔術世界すら無に帰す。人間世界の終焉だ。
それは宇宙が生まれる以前の、混沌そのものを呼びこむのと同義ではないか。
「大丈夫」
恐慌し、口角泡を飛ばし叫ぶ男を尻目に、魔女はにっこりと、満面の微笑みを浮かべた。
「きっとみんな、仲よくなれるよ。妖精も、神様だって、受け入れられる。
だって人は、とても優しい生き物なんだから……」
その時。
吐き気を催す人間賛歌を聞いて、魔術師は魔女目がけて身を弾丸の勢いで飛ばした。
アレは化物だ。悪魔だ。この世に存在してはならない生き物だ。
あの魔女の思い通りにさせてはならない。
殺さなくては。
殺さなくては。
殺さなくては。
あの魔女を、一刻も早く殺さなくては。
己の全存在を懸けて消し去らなければならない。
ああ、あるいはこの為に己はこの世界に招かれたのだろう。
この魔女を滅ぼす為に己は生を受け、我が家系は魔道を志し、研鑽を続けてきたのだ。世界を滅ぼす悪魔を止める"抑止力"として!
男は戦闘専門の魔術師というわけではない。
使用できる術式も多くはないだろう。
この畸形の鬼子に、ましてやサーヴァントも失った身で挑むなど、歯が立つどころの次元ではない。
そんな至極当然の理論すら吹き飛び、魔術師は魔力を練り上げる。
狂気そのものの思考、行動を衝き動かす指向。
男にとっての初めての熱。正義という、為すべき者に課せられる使命。
絶望と陶酔が混じり合った感情のまま、誇りある魔術師は、人理を救う守護者という自らの使命(オーダー)を果たさんと突撃する。
今や男の意思は、怒涛として全身を駆け巡る数多の感情に流される小舟だった。
そんな男の狂態を、魔女はやはり微笑みで迎え入れ─────
…………………………
……………………………………………………
◆
廃墟の一角には不釣り合いな豪奢な玉座で、"女王"は足を組んでいた。
どの業者も手を付けてない廃墟のビル郡。
ひびの入った、手つかずの剥き出しのコンクリート。
割れて四散したステンドグラス。
朽ち果てた居城に収まる麗貌はさながら、忘れ去られた亡国の王を思わせる。
全身から迸る支配者の威厳とでもいうべき波動は、そんな儚いイメージを尽く払拭する。
己の國の支配を妨げるのならば、いかなるものであっても許さない、排除するという冷酷な執着心。
表面は凪いでいる湖色の瞳の奥底に、そんな大渦の気配が隠れている。。
それでも、女王はやはり亡国の王なのだった。
サーヴァントという、生を終えた影法師というだけではない。
彼女の國は滅び去った。存在の痕跡すら、通常の世界には残っていないだろう。
そもそもが尋常なる人類史において、彼女が治めた國は実在していない。
何故なら彼女は幻(イフ)の出展。無想の中で一夏の夜の夢に飛び出た絵画の肖像。
「何か考え事かな?」
肘掛けの隣にいた少女が、ひょこりと顔を傾けて覗き込む。
「うーん……つれないなあ。まだあなたの"魂のカタチ"を見せてくれないんだ」
「……我が妻といえ、みだりに女王の寝所を荒らすというのであれば報いがあるものといい加減覚えなさい」
「言葉を返しちゃうけど、その「我が妻」っていうのは、どうにかならないかな?」
「我がマスターであるのなら、それはつまり私の伴侶という事でしょう?
それとも臣下として扱ってほしいですか?」
「うーん……そうかな……。そうかも……?」
ここがマスターの拠点というわけでもない。
そもそも定まった居場所の"役割" というものを、彼女は界聖杯より与えられていない。
厳密にいえば、"既に崩壊し家族は残らず行方不明となった家"だ。
ただ彼女がどこかの学校の中庭にある池に佇んでいても、不審者と見咎める生徒はいないだろう。教師ですら疑問に抱いたりはしない。
「……いえ、やはりやめておきましょう。宮廷魔術師など必要ありません、どうせろくな事にはならないに決まっています」
「"夢魔"さんの事? 話を聞く限り、私は仲よくなれると思うけどなあ」
「絶対にやめなさい。話題に登れば何かの間違いで縁を繋げかねません。
マーリンとは悪夢そのもの。死んでも甦り常に最悪の記憶を更新していく。永遠に抜け出せない牢獄に閉じ込めてあとは近寄らず放置しておくに限ります」
魔女と女王。
黒い陰謀を巡らせているイメージで固まったような組み合わせだが、会話の内容はどこか呑気のものだった。
魔女は普段から日常の延長でものを語る。
女王はごく身近な相手のみには、こうして人格が変わったような穏やかさな面を見せる。
異常といえば、その光景こそが最たる異常だった。
「あれは、どこまで本気なのですか?」
女王の一声で、弛緩していた空気が、ギチリと固まった。
魔女の言葉と同様、殺気の点でいえば上回る密度で。もっともマスターは気負うことなく、何ら変化はないが。
「あれって?」
「あんなものを率いて、界聖杯と全ての世界とを繋ぐという狂想のことです。
あれらは我が妖精國に落ちる呪い、モースにほど近い概念です。災厄こそ招いてもその逆はあり得ない」
女王の知る妖精郷、人と異なるモノが住まう土地とも違う。
ただ別種族なだけではない。魔女が引き入れようとしているのは、この星の体系を壊す概念だ。
理と相容れず、神話を侵食し、魔術師の手に余る正真正銘の怪物。
『怪異』『異存在』という名称こそ知らぬが、備わった妖精眼は本質は見抜いていた。
「そも界聖杯は何の着色概念のされてない新生の土地。
アレらは媒介となる恐怖の伝承がなければこちらに顕れない影のようなものと言っていた筈。おまえのいう"物語"はここにはないのでしょう」
「うん、ここはわたしのいた時代と随分変わってるし、あまり長い時間もかけられないだろうから、"物語"や"都市伝説"を浸透させるのは難しいかもね」
『怪異』を広めるには下地がいる。人間が認識しなければ干渉されない彼らは"物語"に入り込む。
怪談。都市伝説。恐怖を基にした物語を読んだ人間の霊感を開き、こちら側に侵食を開始するのだ。
その条件が成り立たないという不備をあっさりと魔女は認め、続く言葉で前提を否定した。
「けど、もうあるの。この都市の誰もが知っていて、誰も気づかないけどこの世界に根付いてる、いちばん大きな物語───」
「界聖杯(ユグドラシル)。」
「そう」
魔女は頷き、笑みを浮かべた。
「あなたの物語を知ったから、この『魔法』は始まるの。
サーヴァントっていう、あなた達と同じ。誰かの物語で紡がれ、誰かの望みに引き寄せられてこっちに来るの。
望まれなかったことは、世界には決して起こらないから。悲劇でもね。
あなたたちは既に完結した"物語"。
完結したお話に書き加えをするのはご法度だけど、界聖杯(ここ)にいるあなたたちには余白に手を入れられる。
特にあなたは空白が多いね。昔からあったけど誰にも読まれず埋もれていた"物語"が、ある日突然たくさんの人の手に渡ったみたい。
そうまるで……」
異聞帯(ロストベルト)。宇宙の寿命を伸ばす名目で、発展を生まないと判断され並行世界の輪からすら弾かれた可能性世界。
彼女の世界はその中でさえ特級の異常地帯。
名を妖精國ブリテン。
風と土と生命(いのち)、詩(うた)と雨に愛された理想郷。多くの妖精たちが暮らす黄昏の島。
顕れただけで、現存する星ごと道連れに沈下して滅ぶ錨の穂先。
「そう───剪定された枝。
木が大きく太く成長する為に切り落とされた、余分なものと判断された枝先。
モルガンという、王を陥れる役割の魔女を外れて、女王になったあなた」
その支配者の名こそがモルガン。
アーサー王伝説の悪名高き神代の魔女。
汎人類史とは異なる道を歩んだ姿。ブリテンの支配者となる本願を叶えた、もはや空想と成り果てたサーヴァント。
「我が妖精國ブリテンは消えた。
二千年をかけて築き上げた支配。人理に望ましくないという理由でその全てが、私の旅路も砂と消えた。
十叶詠子。人の世ではない世界を視る眼を持った魔女。それをおまえは、取り戻せるというのか?」
終わった生涯、潰えた渇望への怨念をモルガンは乗せる。
名を呼ばれた魔女、生まれつき絶対的な霊感で異界を視てきたマスターは、にこりと唇を綻ばせた。
向けられた怨念を、優しく受け入れるように。
「あなたがそれを心から望むなら、私は叶えてあげたいかな。
世界の外で出会った、はじめての『ともだち』なんだもの」
詠子の言葉は全て、嘘偽りのない本心からのものだ。
人の心を信じ、可能性を信じ、あらゆる事を受け入れられると期待している。人を善いものだと感じる、善性だ。
だがその結果が人類にとって益を生むはずがない。
善意から来る行動が、どれも善い結果になるとは限らないように。
嘘も邪気もない世界とは、現在の宇宙においては狂気に他ならず。
本物の狂気は、人も、理も、何もかもを『捻じ曲げる』。
大災厄の温床。
尽きぬ人類愛を掲げながら人類を滅ぼすもの。
即ち───
「みんなはもうあの子の物語に組み込まれちゃってる。魔女の鍋の中に入れられたシチューの具材。そうならない為にはみんなは"魔女"になるしかない。
でもその資格があるのは、烙印を押された人だけなんだろうなあ……」
「鍋は」
「ん?」
「鍋なら、私もかき混ぜますが」
「……あはっ」
そも、モルガンにとっては汎人類史にかける温情はない。
欲するものは既に塵となったブリテンのみ。
モルガンにとって正義とは『支配している状態』であり、悪とは『支配を乱す者がいる状態』。
たとえ人間の世界が自身の悪夢に食い尽くされようと、それで我が国が浮上するというのなら。
確かにこの二人はバーサーカーと呼ぶのが相応しい主従だった。
狂える英霊を従えるのではなく、狂ったマスターを伴う英霊。
そして彼女達が界聖杯に触れれば、無垢なる器に、純真たる狂気が注ぎ入れられる。
故に、正義を懐く者よ。
世の平穏を望む勇者よ。
善悪の傾きを委ねられし天秤の守り手よ。
この二人を聖杯に辿り着かせてはならない。界聖杯の中で枝葉を伸ばさせてはならない。
彼女らを前にして、魂を屠る決意を鈍らせてはならない。
魔女の言葉を軛であり、女王の指は神威である。
受け止めてはならない。聞き入れてはならない。
さもなくば世界は最果てまで、絶望という大海に呑まれ、あらゆる人が溺れ死ぬまで溢れ出すのみ。
「……"恐ろしい戦女神"のあなたも素敵だけど、"湖の善き妖精"のあなたも私は好きだよ」
此処に、人理は発狂する。
………………
【クラス】
バーサーカー
【真名】
モルガン@Fate/Grand Order
【ステータス】
筋力C 耐久E 敏捷B 魔力A+ 幸運B 宝具EX
【属性】
秩序・悪
【クラススキル】
狂化:B
全パラメーターをアップさせる代償に理性の大半を奪われる。
異聞帯のモルガンはいかなる理由かバーサーカーでありながら理性を保持している。
【保有スキル】
渇望のカリスマ:B
多くの失敗、多くの落胆、多くの絶望を経て、民衆を恐怖で支配する道を選んだ支配者の力。
湖の加護:C
湖の妖精たちによる加護。
放浪した時間があまりにも長い為、ランクは下がっている。
最果てより:A
幾度となく死に瀕しながらも立ち上がり、最果ての島に至り、ブリテンに帰還を果たした女王の矜持。
通常のモルガンは持たない、異聞帯の王であるモルガンのみが持つスキル。
戦場の勝敗そのものを左右する強力な呪いの渦、冬の嵐、その具現。
対魔力:A
ランクAでは魔法陣及び瞬間契約を用いた大魔術すら完全に無効化する。事実上現代の魔術師が彼女を傷付けるのは不可能。
道具作成:EX
魔力を帯びた器具を作成可能。
アーサー王伝説で数々の謀を企てた力ある妖精の力量は伝説級。
陣地作成:B
魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。
凄いのを建てます。
妖精眼:A
妖精が有する、真偽を暴き本心を見抜く眼。
【宝具】
『はや辿り着けぬ理想郷(ロードレス・キャメロット)』
ランク:EX 種別:対城宝具 レンジ:10~99 最大捕捉:100人
モルガンがその生涯をかけて入城を望み、そして果たされなかった白亜の城キャメロット。
世界の
ルールそのもの、即ち「人理」が彼女をブリテンの王にはしなかった。
叶わぬ望みは嘆きに変わり、やがて憎しみとなった。ねじれた支配欲と特権意識。燃えるような望郷と人間たちへの怒り。
そして同じ存在でありながらキャメロットの玉座に座ったアルトリアへの憎悪が、モルガンを『円卓を破滅させるもの』に変えてしまった。
この宝具はその在り方を魔術として顕したもので、決して辿り着けない路を一瞬にして踏破し、破壊せんとするモルガンの恩讐である。
モルガンが倒すべきはアーサー王ではない。人間の為にブリテン島の妖精たちを一度滅ぼそうとする運命=人理そのものを打倒する為、彼女は最果てより戻り、世界を呪う魔女となった。
円卓の騎士・妖精特効。
【weapon】
手に持った黒い杖は、槍、剣と状況に応じて形を変える。
また神代に等しい数々の魔術を使いこなす。世界を縫い止める錨ロンゴミニアドすら魔術で再現する。
【人物背景】
アーサー王伝説に登場する伝説の魔女。
円卓の王位を終ぞ明け渡さない王、ひいては人理を生涯かけて憎みブリテンの破滅を招いた。
淫蕩・残忍・自分勝手、という、まさに悪女の見本のような性格。
以上の評価は汎人類史におけるモルガン。
このモルガンは正しい人理の枠から外れた剪定事象、異聞帯のサーヴァント。
妖精國ブリテンの女王にして、汎人類史を呪い続けるもの。
ブリテンに君臨するという渇望が叶った事と、2000年に渡る支配と永い旅での時間で本来の悪女然とした面はなりを潜めている。
いうなれば「なりを潜めた才女」もしくは「挫折、或いは反省した傾国の美女」といったところ。
冷徹、冷酷。ほとんどあらゆるものを嫌っているが、個人の好悪ではなく支配者の善悪で裁を下すため、自身の支配を乱す存在でない限りは能力を認め、許容する。
汎人類史においてはガウェイン、モードレッドと多くの子を産んだが異聞帯ではその経験はないようだ。
なおマスターが男であれば夫、女であれば妻と扱うという妙な態度を取る。
芋虫が苦手。
【サーヴァントとしての願い】
「聖杯? ああ、不自由な人間たちが求めたものですね。私には不要です。見たくもない。どうせアーサーの手に渡るのでしょう?」
と、半ば諦観を見せるが、それは望みが無いのを意味しない。
【マスター】
十叶詠子@missing
【マスターとしての願い】
界聖杯を成長させ、あらゆる【空想】も【異聞】も束ねる大樹として、【むこうのひとたち】を招き入れてみんなと一緒に仲よくする。
……【怪異】はおろか異聞帯すら呼び寄せて人類と接触させる。
それは新たな災厄、人理発狂の芽吹き。
【能力・技能】
肉体的には非力な少女。箒で空を飛べるわけでもなければ掌から炎を出すでもない。
だが生まれつき【異界】とのチャンネルが完全に合った、規格外の霊視能力を持った【魔女】。
絶対的な異物感と超常姓から常人は本能的な恐怖を覚え、彼女の言葉はそれが全て真実であるかのような錯覚を抱かせる。
本作での魔術は思い込みや深層心理を利用したものが主であり、その意味で魔女の言葉は呪文にも等しい。
異界との異常な親和性でむこうの存在と意思疎通を果たしており(少なくとも本人はそう思い、それらはその通りに動いてくれる)、
彼らに干渉する形で様々な怪異を起こし、関わった人間を破滅させる。
肉体的には普通といったが、頸動脈をナイフで裂かれてもしばらく動いたり、血を飲んだ者に自身の霊感と同調させたり「できそこない」の形が崩れるのを留めたりと、
体質的にはほとんど【異界】側に置き換わってると思しい。
世界が生まれる前の【闇】に名と存在を売り渡した、受肉した神の触覚とでもいうべき存在【神野陰之】から支援を受けているが、界聖杯にまで及んでいるかは不明。
【神野陰之】は強い願いを抱く者の前に現れ、その願いを叶える為の支援を行う、聖杯にも等しい性質と力を持った超存在である。
【人物背景】
いついかなる時も微笑を絶やさない【魔女】。
生存率が千億分の一の『絶対型』異障親和型人格障害といわれる霊感持ちで、悪意という感情が微塵も存在せず、それ故に善意で人を破滅させる狂人。
人の「魂のカタチ」を読み、それに倣った読み方で他人を呼ぶ(「影」「シェーファーフント」「ガラスのケモノ」等)。その人の経験が生んだ魂の歪み、本質を掴む一種の真名看破。
【怪異】【異界】とは文字通り人間の世界とは異質かつ高次元な存在であり、普通はこちらから認識されず、逆に干渉もされない。
目的も思考もあるかも定かではないが、彼らは常に現世の人間との接触を図っている。
そのために怪異は人間に自分を認識されるため、【怪談】や【都市伝説】といった希釈された形でこちら側の存在を知ってもらい、それら【物語】を媒介とすることで現世に進出する。
「等数学の数式は意味を介さない者にとってはただの記号の羅列に過ぎないが、公式を知っている者はそこから意味を見出すことができる」という理屈で作中では説明されている。
その目的は自分にとっては当たり前の隣人である【怪異】を、全ての人間が見えるようにして「みんなで仲よくなる」こと。
彼女にとって怪異とは「人と仲よくなりたいのに独りぼっちで寂しいお友達」であり、怪異と現実が切り離されてる現状を不思議にすら思っている。
怪異に触れた人間はほぼ例外なく発狂・自殺・異常死・怪異に取り込まれる・人にも怪異にもなれない「できそこない」になるかで、十叶ほど適合できる人間はまず存在しない。
にも関わらず「人間はとても優しい生き物だから大丈夫、彼らと仲よくなれる」と過剰に信じて疑わず、それによる犠牲者が出ても悲しいと言いつつ間違いとは微塵も思わない。
【方針】
集まったサーヴァントと出会い、物語を読みその望みを叶えてあげたい。上記の願いもあくまでこの延長上でしかない。
無論、怪異が交わった望み、純粋に望みだけを聞き過程を問わないその工程は計り知れない被害を生む。
それとは別にモルガンの魂のカタチを知りたいな。
怪異の形態は土着の信仰、社会の風聞に強く影響されるため新生したばかりで根付いた信仰のない界聖杯には現出しない……筈である。
だが界聖杯という世界そのものを構成する概念、サーヴァントという一個の『物語』がの事実からすると……
最終更新:2021年07月18日 15:25