「君、漫画って読むタイプ?」
綺麗に整頓されたその部屋は、如何にも女性的な内装で飾られていた。
壁紙はピンク色を基調にして、カーペットは白と黒のツートンカラー。
窓辺にはファンシーなぬいぐるみが並べられ、居間のテレビには流行りのゲーム機が繋がれている。
どこにでもあるような普通の部屋だ――それこそ、普通ならばまず気が付かないだろう。
この部屋の主が、此処とは違う外側の世界からやって来た"異世界人"であるなどとは。
「ああ、流石に質問が唐突すぎたかな。
実はボク、漫画雑誌の編集者をやってるんだよ。
だからか知らないけど、こっちでの設定も編集者なんだ」
「……、」
「補足してあげたんだから答えてくれないかなぁ。それとももう一回聞いた方がいい?」
「よ……読むっ。読みます……! 流行ったやつとか、たまに……」
されどそんな彼女は今、白黒のカーペットの上に転がされていた。
見れば右腕の肘から先がない。
足も左右両方、こちらは腱の部分をざっくりと斬り裂かれている。
出血のせいか恐怖のせいか、或いはその両方か――哀れな少女はその顔を真っ青にし、歯をがちがちと鳴らしながら答えた。
「じゃあ分かってもらえると思うんだけどさ。
ボク達が今置かれてる状況って、はっきり言ってリアリティが全然ないよね」
「……え、あ。それ、は……」
「能力バトルものにリアリティラインを求めるのは無粋だけど、それでも物語に感情移入するためには"現実との距離感"ってのが大事だと思うんだ。
いきなり異世界に転移させられて、願いを叶えてやるから殺し合え――ってのは、ちょっとその辺り心許ない。
もしボクのところにこれが持ち込まれたら、悪いけど設定から練り直せって言っちゃうかな」
少女の当惑は無理もない。
腕を切られ、両足の腱を切られ、止血しなければあと数分で命を落とすという状況に置かれている彼女。
その隣に体育座りで座り込んで、この男は何の脈絡もない話をこうして延々語っているのだ。
此処が"異常な世界"であることを踏まえても、あまりに異様過ぎる状況。
聖杯戦争という災禍にただ巻き込まれただけで、まだ一度もまともに戦いをした試しのなかった哀れな娘の心は既に破裂寸前だった。
頼みの綱のサーヴァントは既に存在しない。
彼女はもう、この男と……彼の連れているサーヴァントに対して、何の手も講じることができない。
「でも面白いことに。今ボク達にとっての"現実"は、そんなチープな漫画の中だ」
男はペンだこの目立つ手を口元に当てて、にやにやと笑う。
元の顔が整っているからか、その笑みからは爽やかなものさえ感じられる。そしてそれが、余計に不気味だった。
「"神に愛されてる"……って言うのかな。
ボクはあんまりそういうのを信じるタイプじゃないんだけど、流石にこう思っちゃったよ。
こんなおかしな経験、いくら金を積んだってそうそうできるもんじゃないでしょ?」
目の前で、自分より十歳は年下だろう少女が死にかけている。
ひゅうひゅうと危険な喘鳴を漏らしながら、涙を流して怯えている。
けれどそれに微塵の憐憫も示すことなく、男は彼女を助けるための手ではなく、喋るための口ばかりを動かしていく。
「だから、ありったけ取材して帰ろうと思ったんだ」
にぃ、と。
口元を緩やかな三日月のように曲げて、白い歯を覗かせる。
漫画の話も今しがた出た"取材"というワードも、この部屋の有様とはまるでそぐわない。
事の経緯は――実に単純かつ、唐突だった。
マスターでありながら戦うことを厭い、当分は一般人を装って影に潜むことにした少女。
彼女が見張りのために外へ出していたサーヴァントの反応が、急に消滅したのだ。
驚いている暇はなかった。それからすぐに、鍵がかかっているはずの部屋のドアが外側から押し開かれ。
そして、"彼ら"が入ってきた。
ウェーブの掛かった前髪を顔の左側に垂れ下げた男。
場違いな笑顔で入室してきた彼に気を取られたその一瞬で、少女の命運は完全に尽きた。
次の瞬間には彼女の右腕が宙を舞い、床に落ちていて――
脳が追いつき悲鳴をあげた時には、立つことができなくなっていた。
死の恐怖と混乱で頭をいっぱいにしている彼女を前に、男は滔々と何事か語り始め……そして、今に至る。
「今の気持ちを聞かせてほしいな。
急に異世界に呼ばれて、ちょっとした不意討ちであっさり殺されちゃうようなハズレの相棒を押し付けられて。
そんで本戦も始まらない内に、此処で人知れず死んでいくんだよ、君」
しかし、恐怖の時間はそう長くは続かなかった。
気持ちを聞かせろ、と言うなりだ。
男はその言葉とは裏腹に――いや、真に死を前にして出る言葉を"取材"するためなのか。
しばらく片手で弄んでいたサバイバルナイフで、ずぶりと少女の首を刺した。
「さあ」
促すように言って、メモ帳とペンを構える男。
そんな彼を、死の未来が確定した少女は虚ろな目で見つめていた。
どんどん、血と共に生命が抜けていく。
切断された腕からの出血だけでも危うい状態だったのだから、駄目押しに首を刺されて生き永らえられるはずもない。
最期の言葉を待つ、異常な男の思惑通りに、少女はその口をゆっくり開いた。
首を刺されたためか、奇妙な空気の通り抜けるような音がする。
だが、男にとっては幸いか。その最期の言葉は、しっかりと吐き出された。
「らん、さー……を……ばかに、しないで……」
確かに、彼は私を守りきれなかったけど。
それでも――あの人は私の大事なサーヴァントだったんだから、と。
最後にそう抗議をして、目を丸くする男をよそに目を閉じた。
それきり、少女はもう二度と目を開けなかった。
◆◆
「うっ……わあ……。
マジか、マジかマジか~。
そうなるのかぁ、そうなっちゃうのかぁ、こういうシチュエーションだと……!」
少女の最期の言葉を聞いた男は、数秒固まっていたが。
やがて我に返ると、高揚した様子でペンを走らせ始めた。
見れば、息絶えた少女の死体をスケッチしているようだ。
その頬は興奮で仄かに上気していたが、そこに浅ましい情欲の気配は微塵もない。
「いや、これはこれで参考になる……。
"ランサーをバカにしないで"、か。
今まで殺した人の中に、こういう殊勝でドラマチックな言葉を残した子は居なかったのに」
とある世界で――こんな殺人事件があった。
夫婦と、その親類に当たる女性が、家に押し入った何者かにより殺害された。
生き残ったのはベッドの下に隠れていた家の娘ただ一人。
隠れた娘の見ている前で下手人の男はカップヌードルを啜り、パソコンで動画サイトを楽しみ、挙げ句自慰行為にすら及んでみせた。
その大胆不敵にして、良心の欠片もない悍ましい犯行。
警察の追跡も虚しく、未だ解決の足掛かりすら掴まれていない件の事件の犯人を――世間は、"練馬区の殺人鬼"と呼んだ。
「日常の定義が……"世界観"が変わると、そこに居る人間のノリもそれに合わせてズレるってとこかな?
何にせよ、これは面白い取材ができた。ボクの作風に活かせる部分がないか、後でよく検討しないと」
それこそが、この男。
園田夢二。雑誌編集者にして作家志望。そして、殺人鬼。
件の一家殺人など、所詮彼の"取材歴"の一部分でしかない。
彼にとって最も価値のあるものとは、ひとえに"経験"だ。
実際に経験することでだけ生み出され得る生の反応――それを見るために彼は凶行を繰り返してきた。
その末行き着いたのがこの界聖杯内界。願いのために、あらゆる行いが容認される非日常。
「おかあさん、もうおわったの? その人、死んだ?」
「ん――ああ、終わったよ。
なかなか良い取材ができた。君のおかげだね、ジャック」
「えへへ……おかあさんが喜んでくれると、わたしたちも嬉しいよ」
時に。
聖杯戦争とは、言わずもがなマスターとサーヴァント、二つで一つである。
如何に園田が常軌を逸した殺人鬼であろうとも、人の手で英霊を殺傷するのは至難の業だ。
まして彼自身の運動能力もその肉体も、ともすれば並を下回る程度のものでしかない。
故に彼も当然、連れている。自分という存在に呼応して現れた、サーヴァントを。
それは、銀髪の少女だった。
露出の多い服装の上から、黒い外套を羽織っている。
その手には、今目の前で死んでいる娘の血で汚れたナイフ。
さしもの園田も――最初に彼女の真名を聞いた時には、声をあげて驚いた。
「近々また取材をする。その時も頼んでいいかい?
本当はサーヴァントの方もボクが殺せたらいいんだけど、生憎ボクにバトル漫画の適性は無くてねぇ」
「うん。わたしたち、おかあさんが殺せって言うなら――がんばって、誰でも殺すよ」
「いい子だ。今日はジャックの好きなハンバーグにしようか」
嬉しそうに顔を綻ばせる"ジャック・ザ・リッパー"の頭を撫でる園田。
少なくともこうしている分には、彼女がかの伝説の殺人鬼だなどとは到底信じられないが。
しかしこの聖杯戦争という儀式においては、"疑ってかかる"という思考そのものが無意味であるのだと既に園田は悟っていた。
この少女は、確かにジャック・ザ・リッパーなのだ。
切り裂きジャック。人体を破壊するためだけとしか思えない猟奇的な犯行を繰り返しながら、しかしついぞ捕まることのなかった怪人。
恐らくは人類の歴史上、最も有名だろう未解決殺人事件――その下手人である。
「(そういえばボクの殺人も、軒並み未解決のままになってるんだっけ。
……あ~、そういうところで惹かれ合ったのかな?
ま、殺人に抵抗のないサーヴァントを引けたのは素直にラッキーだ)」
ジャックは、園田の凶器としてこの上なく優秀なサーヴァントだった。
自身の宝具で逃げ場を塞ぎ、確実に敵を殺して証拠を残さない。
故に彼も彼女のことは重宝していたのだが――それはそれとして、ひとつ気になることがあった。
「(ロンドンの切り裂きジャックの、"生の反応"……気になるけど、流石に高望みしすぎか)」
"わたしたち"という奇妙な一人称。
何度改めても、自分のことを"おかあさん"と呼ぶ不可解な言動。
そこに園田は、つぶさな人間観察で培った洞察力で以って、深い闇の気配を見出した。
伝説の殺人鬼の内側。彼女が経てきた経験。それを知れたなら、聴けたなら、見れたなら。
それは一体、どれほど貴重で有益な取材記録になってくれるだろうか。
「(ああ、凄い。此処には未知が溢れてる)」
園田は高揚を押し殺しながら、犯行現場を後にした。
大仰な後始末はしない。経験上、この手の殺人は特に隠し立てしなくとも足が付かないと分かっているからだ。
そして何よりも、早く帰宅して今日得られた取材記録を反芻したい気持ちが強かった。
この世界で、自分は一体どれだけの取材を積めるのだろう。
この世界を出た時、自分は一体どれだけ多くの経験を糧にしているのだろう。
考えるだけでワクワクが止まらない。
心臓の鼓動は早まり、自然と口元は弧を描く。
願いよりも、まずは目先の"経験"を。
異常者故の破綻した思考回路を正常運転で回転させながら――殺人鬼を連れた殺人鬼は、今日も健在だった。
【クラス】アサシン
【真名】ジャック・ザ・リッパー
【出典】Fate/Apocrypha
【性別】女性
【属性】混沌・悪
【パラメーター】
筋力:C 耐久:C 敏捷:A 魔力:C 幸運:E 宝具:C
【クラススキル】
気配遮断:A+
サーヴァントとしての気配を断つ、隠密行動に適したスキル。
完全に気配を断てば発見することは不可能に近い。ただし、攻撃態勢に移ると気配遮断のランクが大きく落ちてしまう。
しかし後述するスキル"霧夜の殺人"の効果によりこの弱点を克服しており、完璧な奇襲を行う事が出来る。
【保有スキル】
霧夜の殺人:A
暗殺者ではなく殺人鬼という特性上、加害者の彼女は被害者の相手に対して常に先手を取れる。
ただし、無条件で先手を取れるのは夜のみ。昼の場合は幸運判定が必要。
精神汚染:C
精神干渉系の魔術を中確率で遮断する。
この精神汚染はマスターが悪の属性を持っていたり、彼女に対して残虐な行為を行ったりした場合、段階を追って上昇する。
魔術の遮断確率は上がるが、ただでさえ破綻している彼女の精神は取り返しが付かなくなっていく。
情報抹消:B
対戦が終了した瞬間に目撃者と対戦相手の記憶・記録から彼女の能力・真名・外見特徴等の情報が消失する。
これに対抗するには、現場に残った証拠から論理と分析により正体を導きださねばならない。
外科手術:E
血まみれのメスを使用してマスター及び自己の治療が可能。
痛みはないものの、まるでミミズがのたくったように見えるほど乱雑な処置を黒い糸で行うため、施術後の見た目はかなり酷い。
120年前の技術でも、魔力の上乗せで少しはマシ程度。
【宝具】
『解体聖母(マリア・ザ・リッパー)』
ランク:D~B 種別:対人宝具 レンジ:1~10 最大補足:1人
通常はランクDの4本のナイフだが、条件を揃える事で子供たちの怨念が上乗せされ、凶悪な効果を発揮する。
条件は"対象が女性(雌)である""霧が出ている""夜である"の三つ。このうち"霧"は自身の宝具で代用する事が可能なため、聖杯戦争における戦いでは一つ目の条件以外は容易に満たすことができる。
これを全て揃った状態で使用すると対象の霊核・心臓を始めとした、生命維持に必要な器官を蘇生すらできない程に破壊した状態で問答無用で体外に弾き出し、血液を喪失させ、相手を解体された死体にすることができる。
条件が揃っていない場合は単純なダメージを与えるのみだが、条件が一つ揃うごとに威力が跳ね上がっていく。
この宝具はナイフによる攻撃ではなく、一種の呪いであるため、遠距離でも使用可能。それ故にこの宝具を防ぐには物理的な防御力ではなく、呪いへの耐性が必要となる。
『暗黒霧都(ザ・ミスト)』
ランク:C 種別:結界宝具 レンジ:1~10 最大捕捉:50人
霧の結界を張る結界宝具。硫酸の霧を半径数メートルに拡散させる。
骨董品のようなランタンから発生させるのだが、発生させたスモッグ自体も宝具である。
このスモッグには指向性があり、霧の中にいる誰に効果を与え、誰に効果を与えないかは使用者が選択できる。
強酸性のスモッグであり、呼吸するだけで肺を焼き、目を開くだけで眼球を爛れさせる。一般人は時間経過でダメージを負い、数分以内に死亡する。魔術師たちも対抗手段を取らない限り、魔術を行使することも難しい。サーヴァントならばダメージを受けないが、敏捷がワンランク低下する。
最大で街一つ包み込めるほどの規模となり、霧によって方向感覚が失われる上に強力な幻惑効果があるため、脱出にはBランク以上の直感、あるいは何らかの魔術行使が必要になる。
【weapon】
四本のナイフ
【人物背景】
ジャック・ザ・リッパー。世界中にその名を知られるシリアルキラー。日本ではそのまま「切り裂きジャック」と呼称されることが多い。
五人の女性を殺害しスコットランドヤードの必死の捜査にもかかわらず捕まることもなく姿を消した。
アサシンとして召喚された彼女は数万以上の見捨てられた子供たち・ホワイトチャペルで堕胎され生まれることすら拒まれた胎児達の怨念が集合して生まれた怨霊。
この怨霊が母を求め起こした連続殺人事件の犯人として冠された名前が"ジャック・ザ・リッパー"である。
後に犯行が魔性の者によるものと気づいた魔術師によって消滅させられたが、その後も残り続けた噂や伝承により反英雄と化した。
【サーヴァントとしての願い】
胎内回帰
【マスター】
園田夢二@善悪の屑、外道の歌
【マスターとしての願い】
聖杯戦争という非日常を"取材"する
【能力・技能】
一般人の皮を被った殺人鬼。
致命傷を負った死に際でも自分の主義を語り続けるなど常軌を逸した本性を持つ。
良心や共感性といった人間に必要な観念がごっそり欠けた人格破綻者。
【人物背景】
普段は漫画雑誌の編集者で作家志望の飄々とした性格の青年を演じているが、その実態は取材と称して多くの人間を殺害しているシリアルキラー。"練馬区の殺人鬼"の異名を持つ。
最も価値があるものは「経験」だと豪語し、何の躊躇いもなく殺人を行い、その時体験した知識や感情を作品へ書き起こしている。
参戦時期はカモメ古書店の存在を知るよりも前。
【方針】
最後に生きて帰れればそれでよし。
適度に自衛しつつ、この異常な世界を"取材"する。
最終更新:2021年06月01日 20:23