◆
戦火が、広がっていた。
そこには悪夢が顕現していた。
紛争。血で血を拭う、死の舞踏。
誰かが言っていた。
この時、暴力は罪ではなかった。
市街地に押しかける武装集団。破壊され、焼き尽くされていく街並み。横たわる無数の怪我人。物言わぬ屍。死の灯火が立ち込める中、混乱と慟哭に支配される人々。もはや秩序など何処にもない。渦巻く混沌は、更なる凶行を生んでいく。
私“ゾーヤ”は―――あの時、ただ走っていた。
あの惨状の中。おじさんと再会して。お母さんが、既に犠牲になっていることを聞いて。
警察官であるお父さんは、学生達が隔離されているペテルヘイム高校へと向かったらしくて。人手が足りないから、少数精鋭で動くしかなかったということで。
だから私は、無理を押し通した。私を行かせて。お父さんの助けになりたい。私なら能力があるし、学校のことだって知っている。
所詮は民間人に過ぎない。子供の我儘に過ぎない。お父さんの助けになれる確証なんて、何処にもない。
でも、今の私にできることは、これしかない。最悪の事態を考えながら待ち続けることな、何よりも怖かった。
戦火を振り切り。地獄を振り切り。
瓦礫や残骸を乗り越えて。
私は、走り続けて。
その先に待ち受けていたのは。
無数の火の手が上がり。
破壊の限りを尽くされ。
もはや学校とは名ばかりの廃墟が、そこに佇んでいて。
足元には幾つもの肉塊が、転がっていた。
撲殺。斬殺。射殺。焼殺。人の形をしたそれらは、どのようにして事切れたのかが見て取れる。鮮明なまでの傷痕が、死が、横たわる。
みんな、同じだ。
学生服を身に纏った、屍の山だ。
狂乱の痕跡が、ここにこびりついている。
唖然として、焦燥して。私はただ、この地獄を掻き分けるように進むことしかできなかった。
焼き焦がされ、血に汚れた地面を踏みしきり。一歩、また一歩。歩を進めていく。胸騒ぎが込み上げる。それでも、進んでいく。何かに突き動かされるように。
そして、歩を止めた。
視線を落とした。
ゆっくり、ゆっくりと。
学生の亡骸に紛れるように存在していた、“それ”を見た。
心の隙間から、何かが零れ落ちた。
大切なものが、崩れ去るような気がした。
胸の内で堰き止められていたものが、爆ぜるように私を蝕んだ。
―――ゾーヤ、似合ってるだろう?
―――普段は制服だから、慣れないものだけどね。
―――母さんとのデートに着ていくんだ。
父さんの顔が、脳裏をよぎった。
暖かくて優しい手のひらの温度が、何処かへ過ぎ去っていった。
そして。―――父さん。
私はただ、呆然と呟いた。
父のような警察官に憧れていた。
正義を貫き、人々の幸福を守る、そんな警察官に。
あの時、私達は約束をした。
この冬が終わって、暖かくなったら。
一緒に、お祭りへ行こう。
春の訪れを告げる、優しいお祭りへと。
蜂蜜のお酒に、パンケーキが並んでて。歌って、踊って、溶け始めた凍土に小さな花が咲いているのを喜んで。
そうして、いつも通り。
この街に春が訪れる。
そう。春の、訪れは―――――。
◆
また、同じ夢を見ていた。
とても遠くて、限りなく近い、あの日の夢を。
この世界に来る前から、同じだった。
悪夢は、容易く消えるものではない。
目を覚ますと、時折自分が何処に居るのかも分からなくなる。
あの地獄を生き抜いて、心に傷を抱いて。
大切なものは、一つ残らず崩れ落ちて。
それでも、信念だけは何とか手放さなかった。
父から受け継いだ装備。
父から受け継いだ意志。
誰かを守り、救うために奔り続ける。
遺された気高き想いだけは、辛うじて、この手に握り締めていた。
元の世界で新たな居場所“ロドス・アイランド”に受け入れられた私は、少しずつ、ほんの僅かにだけれど、前へと進み始めていた。
だが、あの惨劇で刻まれた記憶はそう簡単に拭えるものではない。
胸の奥底には、疑念と絶望が今もなお巣食い続けている。自分の信じていた正義に価値はあるのか。何も守れなかった私に何が守れるのか。そんな問いかけに、今でも怯えている。
故に、私は――ゾーヤだった少女、“アブサント”は。夢を繰り返す。
固いベッドから身を起こし、瞼を擦った。
そうして、自身の空間である小さな部屋を見渡す。
小さなテーブルに、細やかなタンス。壁に備え付けられたクローゼット。窓のカーテンからは陽が挿す。
目立ったものは置いていない。生活に必要な最低限。それ以上は求めていなかった。
ここには、私だけしかいない。
憧れだった父も。優しかった母も。
共に戦い、仲間として接してくれるロドスの面々も。
私を見守って、傍で支えてくれるドクターも。
誰一人、この家にはいない。
孤独だ。私だけが、放り込まれている。
家とは、帰る場所。
心の羽を休める、穏やかな揺り籠。
だけど、ここは違う。
“ここに住んでいる”という事実だけが用意された、見ず知らずの独房だ。
安らぎを求められる“居場所”には程遠い。
だから、余計なものは要らない。侘びしい内装なのも納得だ。
一時の生活を送る為の、箱に過ぎないのだから。
ベッドから立ち上がり、クローゼットを開き。着替えの衣服を手に取りながら、思考する。
『界聖杯(ユグドラシル)』。無数の可能性を収束させ、闘争のための世界を形成した“現象”。
敵を淘汰し尽くし、最後に到達した器に超級の奇蹟を齎す“願望器”。
そう、あらゆる願望を具現化する力がここにある。まるで御伽噺のような、理解の範疇を超えた事象。
だけど、現状の異常性は明白だった。“知識”として脳内に埋め込まれた聖杯戦争の概要。ロドスとは全く無関係の社会的身分、生活環境。自分達が居た場所とは異なる街並み―――天災から逃れる機能を持つ“移動都市”ではない市街地。そして、感染者が存在しない社会。
全く覚えのない現象が、この身に降り掛かっている。自身の常識を覆すような世界に、私は佇んでいる。
願望器が真実なのか。あるいは、偽りなのか。
答えは分からない。あくまで帰還こそが最優先だ。
ロドスとの連絡は絶たれている。文字通り、孤立無援。判断は自分自身に委ねるしかない。
故に、現状は調査の一手だ。この世界や他の主従について見極めつつ、“聖杯を狙う”か“別の手段を探すか”を思考する。
その上で、無益な殺生はしない。傷つけてはならない人々を傷つけたりもしない。これは、かつて警察官を志していた自分なりの線引だ。
ただし、かつて故郷を襲撃した暴徒達のような存在―――そして既に死者であるサーヴァントに対しては、敵になれば割り切る。
覚悟が必要となる段階では、引き締める。それは戦士として掴んだ、基本の心得だった。
普段着を纏い、窓の外を見つめた。
例え偽りであっても、ここには平穏な日常がある。
あの日、私の手のひらから零れ落ちた日々。穏やかで、優しくて、暖かくて。だけど、ここに私の手を握ってくれる家族はいない。
ほんの少しの羨望を抱いたけれど。その想いは、靄のように霧散していく。
ここは、私が焦がれた場所ではない。聖杯戦争の舞台、いわば戦場として作られた世界――――――。
《密林。うだるような熱。》
《身体中が湿気で汗ばむ。》
《酷く、酷く不快だった。》
その時、唐突に。
記憶が、混濁した。
《靴磨きの少年がやってきた。》
《そいつは箱を差し出してきた。》
《戦友は、その中身を開いた。》
《瞬間―――爆音。炸裂音。》
《手足が吹き飛んだ。絶叫が轟いた。》
《あいつは泣き喚く。帰りたい、家に帰りたい、と……》
これは、何だ。
意識が混乱する。
誰かの傷が、脳内を掻き回す。
胸を抑えた。
吐き気のような感覚が、襲ってきた。
《身動きが取れない。》
《縛り付けられている。》
《鋭い刃が、ゆっくりと突き付けられる。》
《やめろ。やめてくれ。》
《敵は、聞く耳など持たない。》
《やめろ。》
《やめろ。》
《やめろ!》
「……バーサーカー?」
フラッシュバックを振り切りながら。
私は、ぽつりと呟いた。
胃の中のものを吐き出しそうな衝動を必死に抑えて、口元に手を当てた。
古今東西の世界に君臨する、伝説の担い手。その化身であるサーヴァントを、マスターと呼ばれる存在が使役する。それが聖杯戦争。
私はマスターとして選ばれた。即ち、ここには私の従者がいる。
バーサーカー。狂戦士のサーヴァント。
流れ込む記憶とともに、情報が脳裏に浮かんだ。
右手に刻まれた令呪を見つめつつ、直感した。今のは、バーサーカーの記憶。理由はわからない。だけど、そんな確信があった。
「バーサーカー?」
私は、従者を呼んだ。
返事は返ってこない。
沈黙だけが部屋にこだまする。
数秒。十数秒。
無言のまま。
『マスター。俺はいる』
そして、静寂を破る声は脳裏に響いた。
念話。マスターとサーヴァントの交信手段だ。
『バーサーカー……今、どこに?』
『偵察の最中だ』
愛想も無く、淡々と答えるバーサーカー。
指示は出していない。私が夢を見ていた最中から、彼は独断で動いていたらしい。
『……どうだったの?』
『今はまだ、敵を捕捉していない。しかし魔力の気配は着実に増え始めている』
感情を出さず、彼はただ報告を続ける。
相槌を打ちながら、私は考える。
先程のフラッシュバック。
地獄のような、深い密林での記憶。
血と暴力に支配された、極限の状況。
あまりにも鮮明で、生々しくて。
凄惨で、悍ましい。
兵隊も、子供さえも、自らを傷つける存在として立ちはだかる。
あれは、バーサーカーの記憶。
先程そう直感した。
あの体験は、彼の根幹に巣食っている。
心に抉りこまれた、深いトラウマとして。
『その、バーサーカー』
私は、問いかける。
恐る恐る、慎重に。
『あなたは、聖杯を求めている?』
『ああ』
有無を言わさず、答えが返ってきた。
私は、問いを重ねた。
『……何か、願いがあるの?』
聖杯を使えば、あらゆる祈りは叶う。
確証はない。それでも、“情報”として脳裏に刻み込まれている。
マスターも、サーヴァントも、聖杯にかける願いを持つことに変わりはない。
ならば、バーサーカーも。
あの戦場の記憶が、頭を過る。
そして。
『“戦争”を―――終わらせる』
バーサーカーは、ただ一言。そう答えた。
それだけで、理解してしまった。
あの記憶に、彼は囚われていることを。
あの悪夢に、今もなお苛まれていることを。
あの痛みを、癒そうとしていることを。
私は、それ以上何も聞かなかった。
無数の瓦礫。
絶え間ない戦火。
狂乱に陥る人々。
死体の山。
学生の亡骸に混じる、父だったもの。
私の記憶もまた、鮮烈に蘇る。
ある意味で、すべての始まり。
今の私に繋がる、世界の始まり。
一人で歩くには、あまりにも長い長い道程。
私は居場所を得て。仲間を得て。
そうして、ほんの少し未来へと進み始めた。
ロドスのドクターと関わる中で、分かり始めたことがある。
過ぎ去ったものは、戻らない。
過去の痛みは、自分自身で背負いながら癒やしていくしかない。
不可逆な結末を覆すことは出来ないのだから。
善も悪も、あの戦乱では綯交ぜになっていた。
あの時、私は無邪気に信じていた正義を見失いかけた。
それでも。道を歩み続けるためには。
過去を受け止めて、折り合いをつけて、糧にする他無い。
今の私には、前を向いて生きる為の環境がある。
過去は変えられずとも、未来は自らの手で動かせる。
だけど、それは『奇跡が存在しなければ』の話だ。
仮に、聖杯の力が本物だとすれば。それは個人のために使うべきではない。
奇跡に縋るというのは、元の世界では夢物語に等しかった。だけど、その奇跡を顕現する術があるというのならば、縋ることは決して無駄ではない。
あの世界は、そうしなければ救われないことが多すぎたから。
未だに治療法が確立されていない鉱石病。感染者への差別、迫害。感染者と非感染者の対立。それらを起因とする、数多の紛争。元の世界で、ロドスは残酷な現実と対峙し続けていた。
わかっている。
不可逆な過去を捻じ曲げる。それは時間への、死者への冒涜だ。
わかっている。
個人の過去よりも、世界の歪みそのものに対して奇跡を使うべきだ。
わかっている。
悪夢は、自らの手で克服すべきだ。
それでも。それでも。
手が届く可能性から目を逸らすのは、本当に正しいのか。
万物の願望器が現実のものならば、それを無視する理由があるのか。
万物の願望器、聖杯があれば。
あの日の惨劇を、やり直せるのだろうか。
父も、母も、救うことが出来るのだろうか。
◆
――何も終わっちゃいない!
――俺にとってあの悪夢は、今でも続いてるんだ!
◆
【クラス】バーサーカー
【真名】ジョン・ランボー@ランボー
【属性】中立・狂(中庸)
【パラメーター】
筋力:B+ 耐久:C 敏捷:C 魔力:E 幸運:E 宝具:E+
【クラススキル】
狂化:D+
理性と引き換えにステータスを上昇させるスキル。
筋力と耐久が上昇し、同ランクの精神干渉を無効化する代償に正常な思考能力を奪われている。
バーサーカーは生前と同じように、かつての戦争に魂を囚われている。
バーサーカーの抱える心傷は魔力パスで接続されたマスターの精神にも影響を齎し、彼が体験した“戦場での記憶”が突発的にフラッシュバックするようになる。
【保有スキル】
隠密:A
気配を探知されにくくなる他、奇襲や闇討ちの成功率が上昇する。
生前のバーサーカーは特殊部隊に所属し、ゲリラ戦などにおいて卓越した才能を持っていた。
破壊工作:B+
戦闘を行う前、準備段階で相手の戦力をそぎ落とす才能。トラップを含めたゲリラ戦術の達人。
ランクBならば、相手が進軍してくる前に三割近い兵力に損害を与えることが可能。
ただし、このスキルが高ければ高いほど英雄としての霊格は低下していく。
千里眼:D
視力の高さを表すスキル。
視界や動体視力を多少向上させる他、精密射撃時にプラス補正が掛かる。
無窮の武練:B
狂気に陥ってなお衰えぬ武芸の手練。
狂化スキルによる思考能力のデメリットを無視し、あらゆる武装を生前と同じ技量で扱うことができる。
【宝具】
『孤独の軍隊(ファースト・ブラッド)』
ランク:E 種別:対人宝具 レンジ:- 最大補足:-
一人だけの軍隊、居場所なき軍人―――バーサーカーの生涯に渡る闘争を具現化した宝具。
拳銃、弓矢、トラップ、散弾銃、突撃銃、対戦車砲など、自身が扱えるあらゆる装備を自在に形成する。
弾丸は魔力の続く限り生成される他、社会に疎外された自身の怒りと悲しみが強固であればあるほど威力が上昇する。
また、この宝具で生成した重火器はあくまでバーサーカーが操ることを前提としている。そのため彼以外の者が手にしても原型を留められずに魔力として霧散する。
『紅き荒野に果てる(ラスト・ブラッド)』
ランク:E+ 種別:対人宝具 レンジ:1~30 最大補足:1~20
老いたランボーが身を投じた“最後の戦い”を具現化した宝具。
ありとあらゆるブービートラップが仕掛けられた“死の空間”を結界として展開する。
展開された結界は地下洞窟の形状を取り、バーサーカーはその空間内部を自由自在に移動することが可能となる。
固有結界とは似て非なる能力。しかしジョン・ランボーという男の荒廃した心象風景が生み出した殺戮空間であることに違いは無い。
【weapon】
サバイバルナイフ、宝具で生成した無数の重火器
【人物背景】
ベトナム戦争に身を投じたグリーンベレーの兵士。
彼は国に尽くした。国のために殺戮を行い、過酷な死線を乗り越えながらも愛国心を貫いた。
帰国した彼を待ち受けていたのは、帰還兵を批難する無数の罵声だった。
仲間達は既に喪っていた。彼の帰るべき場所は、どこにも無かった。
狂戦士のクラスとして召喚されたランボーは『心傷を抱える帰還兵』としての側面が強く打ち出されている。
同時に生前のあらゆる記憶・経験が混濁している影響により、殺戮への躊躇を一切持たない。
【サーヴァントとしての願い】
この戦争を、終わらせる。
【マスター】
アブサント(ゾーヤ)@アークナイツ
【マスターとしての願い】
もしも、過去の惨劇を変えられるのなら――――?
【能力・技能】
武装製薬会社『ロドス・アイランド』で戦闘員として所属し、施設内の警備も担当している。
役割は術師。銃器型の杖からアーツ(アークナイツにおいて魔術に相当する)を弾丸のように射出し、遠距離攻撃を行うことが出来る。
スキルや素質の効果により、手負いの相手を集中攻撃して制圧することに長ける。
体術や技量において決して突出した才能を持つ訳ではないが、強い忍耐力と根性が彼女を戦士たらしめている。
またアブサントはウルサス人であり、身体能力に優れており肉体的に頑強である。
【人物背景】
大規模紛争「チェルノボーグ事変」で救助されたウルサス人の少女。本名はゾーヤであり、アブサントという名はロドスでのコードネーム。
地元警察官の娘であり、彼女自身も警察官を志す利発な少女だった。
しかし件の紛争によって父親を亡くし、彼女自身も数多の惨劇を目の当たりにした。
故郷の戦火と父親の喪失はアブサントの心に深い傷を残し、現在もなお自罰的かつ自傷的な側面を抱える。
それでも彼女はロドスでの生活を通じて年相応の無垢な一面も見せるようになり、少しずつ過去を乗り越えようと努力し始めている。
過酷な現実と対峙し、喪失と絶望に苛まれても尚、内に宿す生来の正義感は変わっていない。
界聖杯におけるロールは学生であり、本名のゾーヤを使っている。原作では高校生相当だったこと以外の明確な年齢設定は明かされていないが、此処では高校一年生となっている。
なおウルサス人の特徴である熊の耳を持つが、界聖杯内界の社会においては「少し変わった特徴」程度に認識される模様。
【方針】
バーサーカーを制御しつつ、現状の調査。
聖杯を狙うかどうかは今のところ保留。
最終更新:2021年06月03日 21:40